パーティの翌日。つまり七星剣武祭開催の前日。
ボクと黒鉄君は夕食に向かうべくホテルの入り口、噴水の前に来ていた。
「本当にずっとその格好でいるんだね」
「業務外だったら学生服でも良いんだけど、いちいち着替えるの手間なんだ」
相変わらず黒い正装を着ているボクに目を見開く黒鉄君。
当然のことながら約束の時間の直前まで警備の仕事が入っていたから服はそのままだ。正装もそうだけど、破軍の学生服も着るの結構面倒くさいのだ。
そう言うと黒鉄君は控えめに窺ってきた。
「警備の仕事大変?」
「んー、ほぼ歩いて回ってるだけだから別に忙しくないよ。そのぶん退屈なだけ。あと暑いし」
「そっか。昨日からあまり浮かない顔してたから疲れてるのかなって思ってた」
ドキリとするようなことを言ってきた。
夏の日差しが気になるふりをして顔を隠す。
「まぁ、慣れないことが多くてさ」
「何かあったら言ってね。相談くらいなら乗れるから」
「大丈夫。ありがと」
表情に出さないようにしてたけど、慣れないことをすればボロは出るものらしい。
もう寧音に頼んだ以上ボクが悩んでもしょうがないだろと自分に言い聞かせる。
「おー。もう来とったんか」
ちょうどホテルの入り口から出てきた諸星先輩が早足気味に駆け寄ってきた。
「楽しみだったもので」
「ワイも楽しみではよ来てしもうたわ。ほな早速行こか。早く着くに越したことあらへんやろ」
「そうですね」
出発の合図に合わせてそそくさと歩き出すボクたち。
先導する諸星先輩が気さくに話しかけてくる。
「昨日もその格好しとったけどそれ《沈黙》さんの趣味なんか?」
「仕事の関係で着替えるのが面倒だったので。あとその名で呼ぶのやめてください。切実に」
マジで誰だこんなセンスの欠片もない二つ名付けやがったヤツは。
聞いたところによるとこの手の通り名は観客が勝手に呼んでいるのが定着したものが使われるらしい。
百歩譲って観客が勝手にそう呼ぶのは良いけど、報道するならせめて本人が公認してからにしろ。
ボクが好んで名乗ってるみたいじゃないか。絶対許さないからな。
うちなる怒りを感じたのか、顔を引き攣らせる諸星先輩。
「そんなに嫌なんか?」
「嫌です」
「ワイは似合っとると思うけどな」
「えぇ……」
割と本気でショックだ……。客観的に見てそんなに根暗っぽいのかボク。
「相対しても真顔の無言やし、試合中も全く音出さんし、相手に有無を言わせんし。なるようになったって感じの通り名やで」
……言われてみればそうかも? でももっと他に言いようがあっただろう。クールビューティーとかさ。
これはこれで気恥しいな。やっぱり二つ名とかいう文化やめようよ。
「まぁでも、こうして話してみると確かにピンと来ない名前かもしれへんな。案外普通に喋れるし、表情もコロコロ変わるしの。試合の時の印象が強すぎるんよ、言ノ葉は。正直ワイも昨日までは連れへん奴やと思うとったしな」
「それは間違ってないと思いますよ」
「あん? 連れないってとこか?」
「去年だったら断ってたと思います」
「ほぉ。そりゃ興味深い話やけど、続きは店ん中でしようや」
軽い雑談をしているうちに目的の店に着いたらしい。入り口に『一番星』と書いた赤い暖簾を掛けた木造二階建ての店だ。
外からでも良い匂いが漂ってきて無性に食欲をくすぐられる。
黒鉄君が感慨深そうに店構えを眺める。
「ここが日本一美味しいお好み焼き屋さんですか」
「せや。まぁ見た目はオンボロやけど、そのぶん歴史のある店や。期待外れやったか?」
「いえ、むしろ安心しました。凄く高級そうなところに連れていかれると肩身が狭いというか」
「そういうとこも悪かないけど、この手の食いもんは老舗に限るで」
暖簾をくぐり、やや立て付けの悪い引き戸を押し開けると、店内からガヤガヤと人や物の行き交う音が溢れ出てきた。
夕食には少し早い時間のはずだが、かなりの賑わいだ。ほぼ全てのテーブル席が埋まってるし、日本一美味しいと言うだけあって結構待ちそうだな。
そんな感想を見透かしたように諸星先輩があっけらかんと笑った。
「安心せぇ。ちゃんと席は予約してある。おーい小梅ー! 案内頼むわー!」
喧騒渦巻く店内でもよく通る声に反応し一人の和服にエプロンを着けた少女が小走りで駆け寄ってきた。
なぜか傍らにスケッチブックを持っていて、しかも店員というには幼すぎる見た目だ。名前で呼んでいたし、どういうことなんだ?
不自然な現象に戸惑っていると、小梅と呼ばれた少女は営業スマイルと共にスケッチブックをめくり『いらっしゃいませ♪』と書かれた丸っこい文字を見せてきた。
「えっ。筆談?」
自分の口ではなく筆談で挨拶してくる店員なんて初めてだ。このビジュアルと相まってそういうキャラを作っているのだろうか。
びっくりし過ぎて目をまん丸に見開くボクらを見て、諸星先輩が「驚いたやろー」と悪戯げに口角を吊り上げた。
「この店の看板娘ってやっちゃ。まぁ、コレはキャラ作りじゃなくてほんまに口がきかれへんから堪忍な」
「そ、そうなんですか。やけに詳しいですね」
「ワイの妹やからなコイツ」
「へ? じゃあここでバイトを?」
「バイトっちゅうか家の手伝いや。ここワイの実家やねん」
あぁ、それで自信満々に日本一美味しいと豪語してた訳か。驚くのやら呆れるのやら。黒鉄君も苦笑いを浮かべている。
それを楽しそうにカラカラと笑う諸星先輩。
「なはは。そーゆーリアクションが見たかったんや。ま、日本一っちゅうのはほんまやから楽しみにしたってや」
『ではお席のほうご案内します〜』
ぺらりとスケッチブックをめくりメッセージを表示した妹さんに付いていきながら店内を見回す。
「近くにたくさん似たお店があったのにこれだけ繁盛してるって凄いですね」
「日本一やからな。にしてもこりゃ混みすぎやけど。去年はこんなにおらんかったからなぁ。念のために小遣い天引きしてもろたのは正解やったわ」
「天引き?」
「そ。これだけの量をお袋と小梅だけで捌くのは厳しいってのはわかるやろ? せやからワイも店回すの手伝った方がええんやけど、せっかくのメンツやったしどんなに混んでても手伝わへんでーってお袋に無理言ったんよ。そしたらしょっ引くどころかシフト倍にしてきよった」
「そうですか。ならそのぶん楽しまなきゃ損ですね」
「お、ええこと言うやん自分」
『こちらのテーブル席にどうぞ♪』
案内された席に着き、渡されたメニューを眺めると、ソースお好み焼きといった定番のものからナポリタンもんじゃという聞いたこともないものまで、粉物の品揃えが豊富だ。家族で何回かお好み焼き屋さんに行ったことがあるけど、ここまで多くなかった気がする。
さすが本場だーとワクワクしながら適当に注文を済ませると、承ったはずの妹さんがその場を動かずジッとボクを見つめているのに気づく。
注文の確認をしたいのかな? と思っていると、
「言ノ葉さん、ですよね」
煤けた瓶のようなガラガラで掻き消されそうなくらい小さな声だったけれど、確かに妹さんの口からボクの名前が呼ばれた。
口がきけないと聞いていた手前不意を突かれ呆けるボクに妹さんはペコリと小さく頭を下げた。
「ありがとうございました」
それだけ言うと逃げるように店の奥へ行ってしまった。
何から何までどういうこっちゃと諸星先輩に目を向けると仕方なそうに頭をかいていた。
「あのアホ、まだ喉使うなって先生に言われとんのに勝手なことしよって……」
「治してる最中だったんですね」
「四年くらいずっと使えんかったんやけど、ちょっと前に声出せるようになっての」
「……なんでボクお礼言われたんです?」
「声出せんかったのは精神的な問題だったんよ。ワイと自分の試合の後にこっちで色々あっての。アイツん中で吹っ切れたもんがあったんやろ」
「はぁ」
「意味わからへんと思うけど、言ノ葉をきっかけに小梅も
「それならまぁ、そうしますけど」
釈然としないが諸星先輩側にも事情があるのだろう。ひとまず納得しておくと、場を変えるためかパンと拍子を打った諸星先輩が身を乗り出す。
「んで、さっきの続きや。なんで今年は誘いに乗ろうっちゅう気になっんや?」
「考え方が変わったからです」
さてどこから話したものか、とお冷の入ったコップを弄りながら頭を巡らす。
「ボクが興味あるのは銃の扱いの上達だけです。上達するために試行錯誤する毎日で、とにかく自分一人で何とかしようと思ってました」
「じゃあ師匠みたいな人はおらんかったんか?」
「はい。というか、気づいたら周りより上手くなってたので教えられる人も参考になる人もいなかったんです」
本当に細かいことを言うなら小さい頃に行っていた射撃場の人たちに教えてもらったことはあったが、それも銃の持ち方くらいで、射撃の腕は数をこなしているうちに超えたのですっかり顔を出さなくなってしまったのだ。
そこそこ距離があったのと、そこだと霊装が使えなかったから貸し出された銃じゃないといけなかったっていうのも大きな理由だったけどね。
手の形に合わないし重量も段違いだしで結構モヤモヤしてたっけなぁ。しばらく感覚が残っちゃうせいで勘が鈍るんだよね。あれ以来自分の銃以外は触らないようにしてる。
思い返してたら懐かしくなってきた。今度帰省するタイミングがあったら寄ってみようかな。
「そんな訳でしばらく撃ち込んでいたんですが、中学校を卒業したくらいで伸び悩んじゃいまして」
「は? 中学校で? ほんならそんくらいには去年くらいの実力があったっちゅうんか?」
「たぶんそうだと思います」
「……おっそろしいの」
大きく顔を引き攣らせて呻くように溢した。
黒鉄君曰く零という一つの極地。至上だと思っていた場所が実は道半ばだったとわかったと同時にボクは指標を見失った。
光はぼんやりとしか視えなくて、先に道があるのはわかるけど道筋がまるでわからない感じ。
練習していれば視えてくるものもあるだろうと変わらず射的していたが、一向に風向きが良くならない時期だった。
「どうやったら先に進めるかなぁと困ってたときにある人に出会ったんです」
諸星先輩はボクの隣に黒鉄君に目をやった。察しが良いな。
「ボクと似ているようで正反対の人でした。脇目も振らず真っ直ぐ進むボクと手当たり次第掻き集める彼。戦う土俵は違うけれど、確かにボクに匹敵する強さを持っていました。その人の考え方や価値観に触れていく内に、今のボクに足りないのはその無境な貪欲さなのかなと思うようになったんです」
「それがどう関係するんや」
「人間関係です。ボクは銃に関わらないことだと思って適当に済ませていましたが、彼は熱中していること以外にも興味を持ってたくさんの人との関わりを大事にしていました。自分の考えが及ばない範囲は他人を見て学べるので一人で試行錯誤するより断然視野が広くなります。その広がった視野の中にボクが探している答えがあるかもしれない。なのでボクならスルーしていたことでも彼が興味を示したことであれば、ひとまず寄り道している訳です」
「なるほどのぉ。んで、その答えは見つかったんか?」
「ちょっとだけ視えてきた気がします」
黒鉄君からは本当に多くのことを学ばせてもらっている。
その中でも最も感じ入ったのは、やはり東堂先輩との選抜戦だろう。
試合内容もそうだったが、あれほど酷い状態でも破軍学園に辿り着いたことこそが偉業だと思う。
精神が持ち堪える限り、肉体もまた耐える。
「さよか。歴代最強の《七星剣王》なだけあって色々考えとるんやなぁ。勉強なるで」
諸星先輩が興味深そうに呟いたところで注文が届いたらしい。妹さんが小さい手ながらも慣れた手つきでテーブルに料理を並べていく。
思ってたよりサイズが大きい。これ食べ切れるかな? 残しちゃったら黒鉄君に食べてもらうか。
……なんて心配は杞憂で、今まで食べたお好み焼きの中で一番かもと思えるくらい美味しいもので、一枚丸々平らげられた。
黒鉄君なんかおかわりして二枚食べちゃったし、あんまり味に頓着しないボクも目が覚めた思いだしで、もしかして本当に日本一美味しいお好み焼き屋さんなのかもしれないな。
割と真面目に感心している間にも明日対決する男子二人も、普段どんなトレーニングをやっているかとか《比翼》と戦ったという噂は本当なのかとか、ボクには難しい戦闘論理についてだったり話が盛り上がっていた。
長く話し込んでいたが話の目処が見えてきたのだろう、お開きの流れで、
「お手洗い借りてもいいですか?」
「そこの角曲がったとこにあるで」
「ありがとうございます」
と、黒鉄君が席を離れた。そのタイミングで諸星先輩がボクに話を振った。
「ワイの期待以上におもろい男やな、黒鉄は。言ノ葉が惚れ込むだけあるわ」
「いえ、ボクと黒鉄君はそういう関係じゃ」
「わかっとるわかっとる。浮ついた話とか全っ然興味なさそうやもんな自分。そうじゃなくて騎士としての話や」
「あぁ……それならその通りですね。黒鉄君のことは本当に尊敬しています。だから彼にはずっとボクに付いてきて欲しいし、ボクは彼の先に在り続けたい」
「お前にそこまで言わせるならアイツも嬉しいやろなぁ」
諸星先輩はニッと口角を吊り上げた。人の良い笑みに見えるのに、何故か獰猛さやほろ苦さといった様々な受け取り方が出来る不思議な笑みだ。
「ワイも技に生きる身や。どれほどの心血を注ぎ、どれほどの鍛錬を重ねてその境地に至ったのか。お前のこれまでの修羅を思えば感服する他ない」
「それは、ありがとうございます……?」
藪から棒な賛辞に戸惑う。それでも諸星先輩は続ける。
「黒鉄がおらん今やから言えることやねんけど、ぶっちゃけ《七星剣王》の座に興味無いんよ。お前のおらん七星剣武祭で優勝して得る称号なんぞ、なんの価値もないからのぉ。勿論それで手ぇ抜いたりせぇへんし全力で優勝を目指すつもりやけど、ワイの一番の目標はお前や、言ノ葉」
「ボク、ですか」
「せや。去年ワイは真に目指すべき場所を見た。人生全部懸けても良いと思える場所や。今からでも手合わせ願いたいくらいなんやけど、今のワイじゃお前の本気のほの字も出せへんし、そんだけ隔絶しとったら学べるもんも髙が知れとる。せやから言ノ葉、いつかお前が本気を出すに相応しい所に行けたら、その時にもう一度手合わせしてもらえんか?」
そう言って膝に手を突き深く頭を下げた。
たぶん、ボクを呼んだのはこの話をしたかったからなんだろう。
自分の負けを噛み締め、矜恃を投げ捨てながらも決して揺らがない闘志が燃え盛っている。
……これだけ真っ直ぐに挑まれたのは黒鉄君以来だ。
ボクの早撃ちを見た人の誰もが戦意を喪失し、敵うはずがないと勝手に見切りをつけていった。
頑張っていればいつか辿り着けるのに、その道のりを恐れて諦めてしまう。
それが悪いことだとは言わない。全員が全員最後まで頑張れる訳ではないだろうし、そもそもその人がそれに全力をかけても良いと思える価値を見出せないのであれば頑張ることなんて出来ないだろう。
けれど、その価値を見出して、全てをかけると覚悟出来る人ならば。
「その時は是非よろしくお願いします。ボクも先輩に失望されないだけの場所に進んで待っています」
「おおきにやで。首洗って待っとき」
ボクの挑発めいた発破に牙を剥いて答えて見せた。
去年、ボクは圧倒してしまったために出場選手全員の力量を測ることが出来なかった。だから今年の七星剣武祭で黒鉄君が苦戦するのはステラさんや暁学園のメンバーくらいかと思っていたが、ここに新たな候補が出てきた。
諸星先輩とて伊達に決勝戦まで勝ち残っていない。並々ならぬ実力を持っていたはずだ。そして今年ボクが再び参戦してくることを想定してこの一年入念に牙を研いでいたはず。
初戦からの災難は黒鉄君の運の無さによるものか。今のやり取りを知らずに暢気な顔で帰ってきた黒鉄君に密かに苦笑を溢した。