銃は剣より強し   作:尼寺捜索

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30話

 薄暗い廃墟とも言える暁学園の校舎を馳ける珠雫は、煮え滾る怒りの片隅に、氷のように冷ややかな自分がいることを自覚していた。

 

 七星剣武祭という華やかな晴れ舞台を前に意味不明な襲撃を仕掛けてきた暁学園への怒り。大切な友達を傷付けられた怒り。またも兄の隣に立てなかった自分に対する怒り。それを『仕方ない』と受け入れてしまっている怒り。

 

 様々な要素が珠雫の神経を逆撫でする中、今自分は敵陣の最奥に一人で突入していて、その先に待ち構える賊の頭目と戦うことになる現実に臆す。耳朶に残っているある言葉を思い出す。

 

『キミ自身が納得してないのなら納得できるように自分を変えなきゃダメだろう』

 

 随分と簡単に言ってくれた言葉。それが出来れば苦労はしないと、何度も何度も悩んだ言葉。何かを変えようにも何を変えればいいのか分からない言葉。

 

 しかし、それを実現するために挑み続けているのが兄だ。ならば、その土俵に上がれてすらいない自分は、無茶苦茶でも、我武者羅でも、何かに挑まなければならないのだろう。

 

「追いついたわよ」

「あン?」

 

 地下の訓練場。埃を被った階段を下りた先に防寒着を着込んだ女・多々良と、彼女に担がれているアリスを認める。

 

「随分早ェ到着だな。アタイの足について来れる奴はそんなにいねェはずなんだが」

 

 どさりと、ダンボールを捨てるかのように意識のないアリスを傍らに降ろし「まぁ、どうでもいいけどな」と嘯いた。

 珠雫の目が鋭くなるのを余所に多々良は続ける。

 

「アタイの仕事はコイツをここに運ぶこと。後は破軍にとんぼ返りして雑魚どもを蹴散らす。これで良いんだよな? センコー」

「構わん」

 

 暗闇から投げかけられたと同時に、多々良の背後からふらりと黒い法衣を纏った壮年の男が現れた。

 

「面倒をかけたな。本来ならばオルレウス……いや、今は平賀といったか? 奴の仕事だったのだが」

「全くだぜ。本番直前で作戦変更とかマジでやめろよな。アンタもわかンだろ?」

「あぁ。奴に言い聞かせておく。行っていいぞ」

「あいよ」

 

 事務的に会話を済ませた多々良は男と入れ替わるように闇の奥へと姿を消した。獣のような野蛮な光を宿した目で地面に横たわるアリスを一瞥した後、珠雫に目をやった。

 

「小娘。なぜここまで追ってきた?」

「アリスを返しなさい」

「用件はコレか」

 

 そう言って、足元のアリスの体を足で乱雑にひっくり返した。

 

「貴様はコレの何だ?」

「大切なお姉さんよ。アリスから離れてさっさと失せなさい」

「威勢が良いな。しかし、そうか。貴様の言葉でようやく確信がいったぞ」

 

 ふっと薄い笑みを浮かべた。その笑みに色は無く、ただただ貼り付けられたハリボテのようだった。

 

「貴様は()()同じ過ちを繰り返したのだな。くだらん情なぞに絆され、ありもしない空想に縋った。この世界の真実を、何度も何度も教えてやったというのに、貴様は……ッ!!」

 

 徐々に口調が震え出し、突如男は激昂した。

 

「何故、何故! 何故だ! 何故、この私の期待を裏切ったッ!!」

「がっ! がふっ!」

 

 目をひん剥き、怒りに任せ無防備なアリスの体に足を振り下ろす。体がバウンドし、それをさらに叩きつける。何度も何度も繰り返される暴力が齎す激痛がアリスを覚醒させた。

 

「あなたは、ぐふっ! ヴァレン、シュタイン……!?」

「この私が他の何に見えるか!!」

 

 それでもなお続く狂乱に言葉を失った珠雫だが、大切な人をゴミのように扱われている現実にすぐさま「やめなさいッ!!」と怒鳴りつけた。

 その声に応じたのか、ヴァレンシュタインと呼ばれた男はドスンと足を叩きつけたきり止め、口元を震わせながら憤怒の眼差しを珠雫に突き刺す。

 

「貴様も貴様だ、小娘! この男を何も知らぬから戯けたことをぬかせるのだ!!」

 

 息を巻くヴァレンシュタインの剣幕を物ともせず……それどころか珠雫も怒りの形相を以て迎え撃つ。されどその口から流れるのは凍てついた声音だ。

 

「知ってるわ。アリスが何人もの人を殺してきた暗殺者だってことも、私たちを騙していたことも全て打ち明けてくれた」

「そこまで知っていて何故────!!」

「そんなこともわからないのね。だからこそ、情が空想だなんて言葉を吐けるのかしら。可哀想な人」

 

 珠雫は平然と宣ったが、ヴァレンシュタインの疑問はアリスこそ強く感じていた。

 親しい友が血にまみれた人の皮を被った殺人鬼だったなんて、普通の人ならば到底受け入れがたい衝撃のはずだ。仮に受け入れられたとしても、その後の関係はいつも通りにいくはずもない。少なからず負の感情を抱くはずだ。

 にも関わらず、自分を見る珠雫の目には憐れみこそあれど、侮蔑などの負の色が一切ない。

 

 フラッシュバックする、かつて愛した妹たちから向けられる恐怖と絶望で彩られた濁った目。

 あの目が、あの目こそが、この世の真実。尊敬や愛など白い雪のようなもの。泥が混ざれば瞬く間に汚される儚く脆いもの。

 所詮現世(うつしよ)は偽りだらけの夢幻。何かに情を注ぐことなど虚しいだけのはずなのに、この少女は────

 

「アリスまで不思議そうにしちゃって。アリスが大事だからに決まってるでしょう?」

 

 アリスの正体を知る前と全く変わらない親しみを湛えた翠の瞳でアリスを見つめた。

 

「もしアリスを知らない時に人殺しだって知ってたらアリスを嫌っていたでしょう。でも私はアリスがお洒落で、かっこよくて、私の悩みを真剣に聞いてくれて、一緒に悩んでくれる人だって知ってるから。たとえ過去にどんなに酷いことをしていようとも、私はアリスを見捨てたりしないわ」

「下らん……! 人の醜さを知らぬ小娘が知ったような口を利くな!!」

「人の美しさを見ようとしない人には言われたくないわね。それに人の醜いところなんて目が腐るほど見てきたわ」

 

 黒鉄家の人間。権力の奴隷になった学園関係者。人を人と思わない処遇は、ともすれば殺しよりも残酷なことだ。兄にしてきた仕打ちは万死に値する。

 そして今もなお、大切な人を物のように扱う奴が目の前にいる。

 

「最後の通告よ。アリスを返しなさい」

「先から口が過ぎるな、小娘。強者こそがこの世界のルールだ。返して欲しくば奪え」

 

 ヴァレンシュタインは背筋が凍るほどの嗜虐的な笑みを浮かべると、右手に巨大な大剣を顕現させた。

 

「アリス、これが最後の教えだ。その目にしかと焼き付けておけ。『力』に抗えばどうなるか」

 

 その言葉にアリスは察した。珠雫を、自分の目の前で殺す気だ。ヴァレンシュタインを裏切った報いを知らしめるために。

 

「逃げて、珠雫……!」

 

 伊達にこの男を師と仰いでいない。アリスは知っているのだ。隻腕になりながらも《剣聖》と呼ばれるヴァレンシュタインの力。こと戦闘において、攻守ともに並ぶ者のない伐刀絶技(ノウブルアーツ)を。

 

「コイツの能力は『摩擦』よッ! 貴女の能力は無力────ガッ!?」

 

 ドスッと背から腹にかけて衝撃が走る。数瞬遅れて体内に異物と焼けるような激痛を感じた。

 

「黙って見ていろ。すぐ終わる」

 

 乱雑に大剣を引き抜き、血の滴る鋒を床に擦らせながら珠雫に歩み出す。

 咳き込むことすら許されず悶絶するアリスは、それでも珠雫に必死の願いを目で送り続ける。

 それを受けてなお、珠雫は屹然と言い放った。

 

「強者こそルール。全く同感ね。どれだけ言葉を尽くそうと、結局は『力』の前に屈するもの」

「それを知ってなお歯向かってくるとは救えん小娘だ」

「だから私は『力』を上回る何かを手に入れる。もうなりふり構うのはやめるわ」

 

 珠雫は眼前に迫る死に目もくれず、アリスにだけ注いだ。

 

「そういう訳だからアリス、今からすることを見ても私を嫌いにならないでよね」

 

 何を意味しているのかまるでわからないアリスは呆然と眺めることしかできない。

 ヴァレンシュタインは低く笑い、

 

「別れの挨拶は済ませたか? ならば終わりだ」

 

 間合い十メートルほどの位置で左手に持つ巨大な剣を肩に担ぐように構えた。

 その構えは、《隻腕の剣聖》を知らずとも必殺の構えであることを知らしめるのに十分なものがあった。

 そして、それを熟知しているアリスは絶望に吠えた。

 

「珠雫!! 逃げて────!!」

 

 果たして振るわれるは《山斬り(ベルクシュナイデン)》。剣の接触面に発生する『摩擦』を操作することによってあらゆる防御を紙のように斬り裂く断崖の剣。

 

 空気を断つ刹那、珠雫が己を庇うように腕を突き出した。

 

 何をしようとも無駄なこと。数多の敵を剪断してきた無双の伐刀絶技(ノウブルアーツ)が、か弱い少女を無残に引き裂く────

 

「────」

 

 ────それが、ヴァレンシュタインに許された最後の自由だった。

 

「……えっ?」

 

 珠雫の死を幻視していたアリスが呆気に取られたような嘆息を漏らした。珠雫が腕を伸ばした直後、剣を振りかぶったヴァレンシュタインが石像のようにピクリとも動かなくなったのだ。

 

「き、貴様……何をした……!?」

 

 突如一切の身動きが取れなくなったヴァレンシュタインは愕然と叫ぶ。

 己の能力を熟知している故の不条理。あらゆる物理接触を逸らす事の出来る能力は、かのオル=ゴールの魔力の糸をも防ぐ。

 しかし現実は体を支配されている。この不思議の技を為しているのは間違いなく眼前の小娘だ。

 

「『摩擦』の操作。攻めに転じれば神の剣に、守りに転じれば神の盾になるのでしょうね。普通に戦えば間違いなく殺されてたわ」

 

 世界が止まったかのような静けさの中で、珠雫だけは悠然と語り始めた。

 

「けれどその『摩擦』による防御には穴がある。それは体内。体内だけは生身そのもののはず。だって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうでしょう?」

「……ッ!」

 

 脇に添えるように停止しているヴァレンシュタインの剣をそっと退かし、ヴァレンシュタインの喉元に指を付ける。それは『摩擦』を操る能力をも解除させられていることを示していた。

 

「お生憎様。私は水を操る能力者。自分で生み出した水だけじゃなく、大気に含まれる水分も操れるのよ。直接触らずとも、間接的にね」

「バカな!! 呼吸で取り入れた水分だけで身体の自由を奪えるはずがない!!」

「えぇ。だからその水分を伝って貴方の体内の水分全てに私の魔力を巡らせたのよ。言ったでしょう? 間接的にも操れるって」

「だとしても、人体にどれほどの水分が含まれていることか! 血液から細胞外液……果ては細胞そのものまであるのだぞ!? それら全てを制御するなど……!!」

「お陰で時間がかかったわ。この術はとても大掛かりだから大変なのよ。口を動かすのに精一杯なくらいリソースを食われるの。だから舌先三寸で時間を稼いだってわけ。ダメよ、敵と悠長にお喋りしてちゃ」

 

 何とか術中から抜け出そうと苦心していたヴァレンシュタインの耳に突き刺さる、小馬鹿にするような笑い。

 ヴァレンシュタインの全てを掌握し制御下に置いている珠雫はその悪足掻きも感知している。つまり、今のヴァレンシュタインは既に珠雫の敵ではないということだ。

 

 思わず苦悶の声が漏れる。不覚を取ったのもそうだが、珠雫の術がいかに埒外なことか。

 珠雫は簡単に言うが、時間があれば出来るような単純な術ではないのだ。水の魔術の側面、人体に作用する治療術は、言ってしまえば破損した細胞を作り直して補填しているのだから、理論上はあらゆる人体の細胞も創造・制御できる道理。

 しかしそれは人智を超えた神業そのもの。iPSカプセルが最高峰の治療であるのが証明している。カプセルですら切断された四肢を繋ぐ程度のものだ。消失した肉体を復元するのは生半なことではない。ましてや細胞レベルで生命活動をコントロールするなど、そんな神業を為し得るのは《白衣の騎士》一人しかいないだろう。

 

 あまりに高等すぎる魔術に戦慄するヴァレンシュタインをクスクスと笑い、平伏するアリスの側にしゃがみこむ。

 

「治療するわ。急所は外してあるのね、安心した」

 

 信じられないという面持ちのアリスの頭を一撫でし、あっという間に刺し傷を治してしまう。その尋常ではない治療速度に眼を見張る。

 

「珠雫……」

「練習したのよ。ちょっと危ない方法だったけど」

 

 茶目っ気たっぷりにウィンクした珠雫は「さて」と手中に収めたヴァレンシュタインに向き直る。

 

「時にオジサン。今の医学は何を土台に発展してきたかご存知かしら?」

「……人体実験か?」

「その通り。医学は科学。科学はデータ。今の医学は過去の人たちの死屍累々の上に成り立っているのよ。特に戦争をしていた頃の発展は目覚しかったそうね。そのおかげでiPSカプセルが発明されたと言っても過言ではないくらい」

 

 淡々と紡がれる言葉にヴァレンシュタインはいよいよ青褪める。

 

「貴様まさか────!!」

「ここに都合の良いモルモットがあるんだもの。使わない手はないでしょう」

「正気か!? 人体実験など世界大戦が終わってから行われていないのだぞ!! 血も涙もないのか!?」

「あら、強さこそこの世のルールだなんてぬけぬけと言う人がそんな聞こえの良い話をするなんて思いもよらなかったわ」

 

 それにね、と自分の鳩尾辺りを指差す。

 

「貴方には見えないでしょうけど、ここに歪みが出来ちゃってるのよ。思いつきでするものじゃないわね」

「な、何を言っている……?」

「使えるものは何でも使うって決めたのよ」

 

 その言葉でようやく意味を悟った。この女は既に自分の体で繰り返し実験をしてるのだ。元に戻せないくらい、何度も。

 

「お兄様の力になるためなら血も涙も捨てるわ。もちろん人は選ぶけれど」

 

 思い出すのはあの日の恐怖と後悔。満身創痍の兄を送り出した時の無力感は今でも忘れない。兄が家を去ってしまった日にあれだけ後悔したのに、二度と繰り返さないと決めていたのに。泣いて、喚いて、惑うことしか出来なかった。

 

 もう、あんな無様は晒さない。()()()()()諭されたのだから。今までの自分を変えなきゃ。

 

「《青色輪廻》」

 

 言葉と共に、珠雫の全身から魔力の輝きが迸った。直後、ヴァレンシュタインの体が文字通り弾け飛んだ。掛かるものがなくなった服がその場に落ち、無数の粒子となって散り散りになるヴァレンシュタインだったものが、煙となって集まり像を成す。

 

「っ!? ────!?」

 

 現れたのは素っ裸のヴァレンシュタイン。本人は理解の範疇を超えた事態に言葉を失っている。

 否、もはや声を上げることすら許されない。今のヴァレンシュタインは珠雫のモルモットで、この空間は珠雫の手術室になっているのだから。

 

「やっぱり完全に元通りとはいかないわね。何度か繰り返して改善点を炙り出すしかないか……」

 

 事象を吟味する研究者のように呟きながら再び術を作動させる珠雫。その様子に、アリスは驚きに染まった表情で問う。

 

「うまく飲み込めないのだけど、ヴァレンシュタインを倒した……のよね?」

「無力化したという意味ならそうね。もうアリスを連れて行く奴はいないわ。大丈夫よ」

 

 片手間に実験し続ける珠雫に引き笑いを溢す。珠雫はそれをチラリと横目で見遣った。

 

「私がこういうことするの、引いた? 」

「……正直、引いたわね」

 

 嘘偽りなくアリスは答えた。可愛い顔をしながら命を弄ぶような真似をしている光景は、さしものアリスと言えど眉を顰めるところがある。

 

「でも、それはあなたの覚悟の表れだってわかってるから、怖がったりしないわ。ずっと悩んでたものね、あなた」

 

 口にこそ出してはいなかったが、時折見せる暗い表情で珠雫の苦悩を察していたアリスは、この横暴の真意を正確に理解していた。

 この子は本気で兄の力になりたくて、そして自分を助けたかっただけなのだ。その健気な想いを無下にするなど出来るはずもない。

 その言葉に珠雫はニコリと微笑んだ。

 

「私がアリスを見捨てないのは()()()()()()()()()

「え?」

「相手を知って、共感したり感動したりしてこの人が好きだと心から思えたら、何が何でも肩を持ちたくなるものなの。倫理とか道理なんて二の次よ」

 

 清々しいほどの不遜な物言いに、アリスは胸の内に蟠っていた恐れがすくような気持ちになる。その気高いあり方がどれほど尊いものなのか噛み締めながら。

 

「あたしの手、すっごく汚れてるけど、それでもいい?」

「とても綺麗な手よ。嫉妬しちゃうくらい」

 

 そっと手を重ねた珠雫は慈愛の光を湛えた瞳でアリスを見上げる。

 

「いつもアリスに助けてもらってるばかりだもの。私にも助けさせてほしいわ」

「……っ。ありがとう、珠雫……!」

 

 咽び泣くアリスの頭を抱き寄せ、優しく撫でる。こうして《隻腕の剣聖》と《深海の魔女》の戦いは終結した。

 

 


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