黒鉄君に告白されたボクはすげなく断った。
まあ、実際は空いた時間に模擬戦闘をしてほしいというお願いだったんだけど。
後に聞いたところ一世一代の頼みごとだったらしいからテンパるのもわかるよ。でも、一番重要な要素を抜かすドジとか普通やらかす?しっかりしてそうな見た目に反して、変なところに抜けがあるらしい。
しかしボクの早撃ちの正体に一発で気づいたのは驚いた。
今まで誰に見せても「うわー速いですねー」で終わらされて『違う。そうじゃない』と不満に感じていた。いや確かに速いんだけどね?もっと深いところまで気づいてほしいなぁって、ならない?そこのところ黒鉄君はしっかり見抜いた上で驚いてくれていたから嬉しかった。
そこから察するに、彼は伐刀者としてはFランクだけど、人間としては超人クラスなんじゃないだろうか。こう言ってしまうとボク自身も超人なんだぜ〜みたいに聞こえちゃうけど、事実ボクの早撃ちはそんじょそこらのものとは格が違うと自負しているからね。
蛇足に、ランクとは伐刀者としての評価だから、主に魔力に関する評価が成される。逆に言えば運動神経とか座学とかはほとんど含まれない。運とかいう意味わからん項目もあったりするんだけど、ともかく黒鉄君のFランクは魔力関連のことしか表していないのだろう。
もしかしたら身体能力だけならAランクとかピーキーな人だったりして。この学園を一周走って息すら上がってないのだからありえそうだ。
そんな彼に「どうやってそんな早撃ちをしているんだい?」と尋ねられたけど、残念ながらボクもほとんど意識してやってる訳じゃないから「なんとなく?」としか答えられなかった。
随分前から繰り返してる動作だから体に染み付いちゃってるのだ。例えると、キミはどうやって足を動かしてるの?と聞かれているような感じ。そんなの「なんとなく」としか言えないでしょ。
さておき。話がついたところでボクたちは違う訓練所に移動していた。第七訓練所とラベルされていたところだ。
ボクが最初にいた訓練所は遠距離攻撃を扱う伐刀者──魔法をメインに戦う人とか──に向けられた仕様だったのに対して、こちらは完全なリング。石畳のフィールドを取り囲む階段兼観客席はコロシアムを彷彿とさせる。実戦訓練に使うのだろう。
訓練所というより会場って言った方がいいだろと内心で呟いていると、黒鉄君が霊装を取り出してリングの開始線に立った。
「黒鉄君の霊装はシンプルな剣なんだね」
「ただの日本刀のようなものさ」
確か彼の霊装に備わった能力は身体能力の向上だったはず。ほとんどの伐刀者は一瞬だけとはいえ魔力を使って身体能力の向上を行えるから、実質の無能力と言い換えられる。たぶんこれもFランクの由縁になってる。
もっとパッとした能力だったら黒鉄君もイジメなんて受けずに済んだかもしれないのに、運がないねぇ……。あ、だからFランクなのか。悲しすぎる。
彼のとことん恵まれない環境に涙を禁じえないボクは、訓練所に置かれていたタイマーを勝手に持ち出してリングの端っこに設置した。
その意図は彼の提案にある。
「でも本当にいいのかい?ボクの早撃ち、見えなかったんだろう?普通の模擬戦闘の方がいいんじゃない?」
「奥の手……《一刀修羅》を使っても見えなかったら、今度から普通の模擬戦闘にしてもらうよ」
つまり、彼はボクの早撃ちと対決したいとのこと。タイマーは公平なゴングとして使うわけだ。
ちなみに、当然お互い幻想形態の使用である。学生騎士の規制にある霊装の使用許可も学園の訓練所でなら問題ない。
え、ボクが自宅で霊装を使いまくってただろうって?ハハッ、バレなきゃ違反じゃあないんですよ。
そんなわけで、準備も整ったことだしボクも開始線に立つ。人を射撃するのは初めてだけど、不思議と抵抗がない。こういうのって結構抵抗を覚えるらしいけれど、もしかしてボクってサイコパスなのか?トリガーハッピーじゃないのは確かのはず。
そんなくだらない事を考えるボクと対峙する黒鉄君は己の霊装──《陰鉄》を垂直に構え、
「僕の
言葉とともに黒鉄君の体と《陰鉄》から光が生まれる。蒼い焰のように揺らめく淡い輝きが、瞬く間に彼の体を覆った。
可視化できるほどに高まった魔力の光だ。魔法とは違い、ただ純粋に魔力のみが放出された状態。これが黒鉄君の異能、身体能力の倍化だろう。
離れていても熱を感じるほど振りまかれる魔力。これほどの量を放出し続けていれば、Fランクと評価される彼の魔力はすぐに枯れるんじゃないか?
そんなボクの疑問を読んだように黒鉄君は言う。
「普段、人は全力の三割しか出力できないように作られてる。生存本能が体を守っているからね。それは魔力にも言えて、これも全体の三割から五割程度しか出せないらしい。だから今、僕はそのリミッターを外した」
なるほど、どうやってリミッターを解除したのというのは置いといて、だから尋常ならざる魔力が迸っているのか。
しかし、
「それは、何と言うか……」
──あまりに不器用すぎじゃないか?
さっきも言った通り、普通の伐刀者は瞬間的に魔力を放出することで一瞬だけ身体能力を向上させることができる。そうすることで何メートルも跳躍したり、霊装で地面を叩き割ったりできる。
何が言いたいかと言うと、黒鉄君もそうやって小出しに魔力を放出すればいいのでは、ということだ。
何もそう多くはないであろう魔力を垂れ流す必要はないじゃないか。それだけの量の魔力を用意できるのなら、その濃度のまま一瞬一瞬で使った方が遥かに合理的だと思う。
しかし、同時にボクは気づく。だから彼はFランクのレッテルを貼られているんだと。彼は魔力制御もままならないのだ。小出しすることもできないほどに。
黒鉄君自身が言ったように、彼には武器となる強みは身体能力しかないのだ。だから彼はイジメられ授業から締め出されても、自己鍛錬に当てていた。その強みだけは負けたくないから。
何となく彼の人となりがわかってきた気がする。わかってしまうほどの覚悟が、今の彼から伝わってくる。
「……わかったよ。ボクも本気でいこう」
なら、なおのこと負けられないね。ボクも
それからお互いに口をつぐみ、仕掛けられたタイマーの針が時を刻む音に耳を傾ける。
昔から庭でしてきたように一番慣れ親しんだ姿勢──棒立ちのまま意識を高める。それにつれて心臓の鼓動も限りなく穏やかに静まる。
チク、タク。チク、タク。
そして、けたたましくベルが鳴った。
△
《一刀修羅》はどの異能と比べても完全下位互換と評される。しかしそれはあくまで能力のみを評価した場合に限る。
この異能の最大の強みは身体能力の強化そのものではなく、一点特化による戦力の先鋭化。一分という短い時間の中に、正真正銘、自身の全てを注ぎ込み最強の状態を作り出す。生半な
この状態になることこそが一輝が伐刀者として持ち得る唯一にして最大の強み。一輝だからこそ使いこなせる異能。
ゆえに一輝は綴の早撃ちに勝負を挑んだ。この状態なら彼女の早業を見切れると踏んだから。
それは正解であり──不正解でもあった。
チャイムの音を耳が捉えたと同時に一輝は動いた。そのラグはおよそ0.13秒。人類において最高峰の反応速度で以ってスタートを切った。
対し、綴は未だ動かず。否、動けない。特殊な訓練や先天的な才能が無ければ人は反応するのに0.2秒すら切れないのだから。射撃しかしてこなかった彼女が反応できる道理はない。
この時点で0.07秒以上のアドバンテージを得た一輝。常人ならば切って捨てるようなごく薄い時間でも今の一輝にとっては非常に有利な時間となる。
それだけ有利な時間があれば、彼女の筋肉の動きから、目線から、呼吸から、銃弾の軌道を予測することもできる。当然、早撃ちの工程すら観察できるだろう。
事実、綴がチャイムに反応して肩から腕の筋肉を動かし始めたのを見切った。
──さあ、見せてもらうよ。キミの最強を!
一輝は己の目に勝利を確信した。
しかし、次に一輝が目にしたのは、綴が霊装を光の粒へと
そして、いつの間にか眼前に迫り来ている不可視の魔弾
──バカな。
三度目の正直。《一刀修羅》を用いても、遂に彼女の早撃ちを見破ることは叶わなかった。
絶対的有利な時間を持っていたにも関わらず、それを嘲笑うかのように踏み越えてきた彼女の早業を。後より出でて、先を断つ早撃ちを。
そう、確かに一輝は見たのだ。綴が人間の限界を超えた早撃ちをしていたのを。
そして、彼女が最初に見せた早撃ちは本気ではなかったということを。
答えを得たと同時に一輝の敗北は確定した。
《一刀修羅》は最強の一分間を得る能力。しかしその最強の定義は、一輝自身が持つ《完全掌握》を始めとした超人的な読みや技術を十全に発揮できる状態のこと。
いくら身体能力が倍化されていようと、本人が付いてこれなければ空回りするだけ。
つまり、綴の早撃ちが一輝の反応速度と読みを上回った時点で、一輝が綴に対抗できる武器は何一つ無くなった。
その上、喉・右脇・左肩目掛けて突進してくる目に見えない
薄い飴のように引き伸ばされた時間の中、スーパースロー映像のように迫ってくる不可視の魔弾を見ながら一輝は思った。
──あれはマズルフラッシュじゃなくて、霊装の着脱の光だったのか。
三ヶ所を全く同時に穿たれた一輝の意識は暗転した。
△
気だるさを覚えて意識を取り戻した僕は、観客席に横たえていた。
「起きたみたいだね」
その声はすぐ隣から聞こえた。幻想形態の銃弾で喉を撃たれたせいか満足に首を動かせない。
目だけで声を辿ると、最初に出会った訓練所で使っていた的に射撃している言ノ葉さんの姿。
だんだんと体の感覚が戻ってきたのを感じ、ゆっくり体を起こすと第七訓練所の景色が映る。長いこと枕にしていたせいか、起こした頭に引っ付いていたタオルがはらりと落ちた。
どうやらわざわざ僕の介抱をしてくれた上で射的しながら起きるのを待ってくれていたらしい。
そして、自分が負けたことも。
的から目線を外して僕に向き直った言ノ葉さんの手には、映画でよく見られる回転式拳銃──コンバットマグナム──が握られていた。黒い銃身に上質な木がはめ込まれたようなグリップ。銃に精通していない僕でも一目で洗練されたデザインだと感じる。あれが彼女の霊装のようだ。
僕の目線で気づいた言ノ葉さんは有名どころのガンアクションを披露してくれる。おー、と拍手を送ると最初に見せたようなドヤ顔を浮かべた。どこかよそよそしさの感じられた空気はなくなっており、今の言ノ葉さんが素なんだと気づく。
「どう?カッコイイでしょ」
「キレがあって見応えあるよ」
「練習したからね!」
ニッと歯を見せ、クルクルと回していた手を止めて僕の隣に座った。それから伺うように僕の顔を覗き込んだ。
「幻想形態で撃ったから後遺症はないと思うけど、気だるさ以外に何か変なところある?」
「特に何も。もう少し休めば元通りになる」
なら良かった、と明るく笑った。
《一刀修羅》を使った後は反動で疲労困憊で呼吸すら儘ならなくなるのだが、発動時間が短すぎたために反動はなかったようだ。
すなわち、それだけ彼女の早撃ちは速かったのだ。
それに、あの勝負では僕は更に負けていた。
「言ノ葉さんが撃った三発の弾。牽制弾でもあったんだろう?」
「まぁね。どこに逃げても一発は当たるように撃ったよ」
しゃがめば額に。左に避ければ胸に。跳んでも右に避けても腹に。考えられる回避先を全て潰していたのだ。仮に銃弾を斬っていても、やはり一発は受けてしまう。
僕は躱すことでいっぱいだったのに対し、言ノ葉さんはその先すら読んでいた。あの短い時間に行動を読むだけの余裕があった。
文句なしの完敗だ。
……自信あったんだけどなぁ。
自分でもよくわからない虚無感が心に巣食う。その感覚から逃げるように空を見上げた。雲ひとつない快晴だった。
それきり二人の呼吸音とそよ風だけがその場を行き来した。どれくらい時間が経ったか忘れた頃に、ふと言ノ葉さんが口を開いた。
「黒鉄君って負けず嫌いでしょ。それも極度の」
前触れもなく呟かれた言葉に僕は呆然と顔を向けることしかできなかった。その内容は痛いほど自覚している。けれど、知り合って間もない彼女がなぜそれを言い当てられたのか。
僕の反応を見て、言ノ葉さんは小さく微笑んだ。
「見てればわかるよ。普通あんなイジメ受けてたら不登校になるし、伐刀者の道も諦める。僕は才能がないから〜とか言い訳してさ。たぶんボクならそうしてる。でもキミはそうじゃなかったんでしょ?こんな奴らに負けないって踏ん張ったんでしょ?」
息をするのも忘れて言ノ葉さんの横顔を見つめる。彼女はこちらを見ずに、長く使い込んでいるのであろう射的を眺める。そこに何かを探すように。
「普段の姿と『これくらいしかないから』って言葉、それにキミの能力を見て確信したよ」
そして僕の両目を見て、ハッキリと言った。
「キミはすごい奴だ。ボクよりずっとね」
力強い響きが、心に巣食った
「ボクには想像も出来ないような苦しみの中でキミは頑張ってきたんだろう?同級生から見下されても、学校から見放されても、キミは努力をしてきたんだろう?」
僕の一番古い記憶が蘇る。道場に兄や分家の人たちが稽古をつけてもらっているのを外から覗き見る自分。身も心も寒くて。蔑まれ、唾を吐かれ、除け者にされ。それでも盗み出した竹刀を握り続けた。
「だからそんな顔をしちゃダメだ」
言ノ葉さんは落ちていたタオルを拾って僕の顔を拭った。思い出したように視界が滲み始める。慌ててジャージの袖で拭いても、熱いものが溢れ出る。
──なんで僕は泣いているんだ?
鏡を見れば、きっとひどい顔をしているに違いない。自分に絶望してしまったような、ひどい顔を。
「誰かに負けるのは別に良いんだよ。いつか勝てば良いんだからさ。泣いたって良い。また立ち上がれば良いんだから。でも自分にだけは負けちゃいけない。今まで自分にだけは勝ち続けてきたなら、たった一度誰かに負けたことなんて大したことじゃないさ」
だからさ、と手を差し伸べ彼女は言った。
「挫けちゃいそうだなって思ったならボクに相談しなよ。まあ銃くらいしか興味ないから協力できることは少ないと思うけど、弱音くらいなら聞けるから」
ボロボロと溢れる涙を拭うことすら忘れて、震える両手で彼女の手を取った。白く細い手は女性らしく華奢で柔らかいが、数カ所だけ大の大人も顔負けの硬い部分があった。
タコだ。位置的にグリップと引き金によるもの。何度もマメを作っては潰して、それでも飽き足らずに握り続けたのだろう。僕ですらこんなに硬くなるほどのタコは作ったことはない。
そこに彼女が的を通して見ていたものが見えた気がする。彼女も僕と同じように、ずっと頑張ってきているんだ。あの早撃ちを裏付ける確かな過去があるんだ。彼女のようにやり遂げれば、僕もいつか同じような土俵に立てるかもしれない。
それがどうしようもなく嬉しくて、恥も外聞もなく声を上げてその手に縋り付いた。
涙やら鼻水やらで汚れて不快だったろうに、僕が泣き止むまで何も言わずにじっとしていた。
初めて差し伸べられた手は、とても温かかった。