銃は剣より強し   作:尼寺捜索

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16話

 ガチガチに体を強張らせている綾瀬に一輝が声をかけた。

 

「やっぱり緊張するかい?」

「そ、そりゃもちろん」

「そう意気込むことはないさ。気楽にいこう」

 

 一輝の笑みと対照的にぎこちない笑みらしきものを浮かべる。一輝も綾瀬の内心を理解しているので、気楽にいけるはずがないことも承知している。

 

「いいかい絢辻さん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんなものを意識しちゃダメだ」

「どういうこと?」

「昨日の僕との試合を思い出してみて。絢辻さんは僕と戦うとき、そんなことを考えながら戦っていたかい?」

 

 少し考える仕草を見せて答えた。

 

「……いや、何も考えてなかった」

 

 正直に言うと、一輝は満足そうに頷く

 

「それがベストの状態なんだよ。小難しいことは考えずに、ただ目の前の敵と戦うことに集中する。そう心掛ければ自然と緊張もほぐれるよ」

「うーん……やってみるよ」

 

 眉を顰めながら思考に意識を傾けた綾瀬。あまり合点がいってない様子だ。

 それもそのはず。一輝はあえてぼかして言ったのだから。一輝が言わんとすることをきちんと説明すると混乱するだろうし、そもそもきちんと説明してしまうとかえって理解出来なくなってしまうことなのである。

 概念的なことを理解するためには自分の中にある感覚に当てはめなくてはならない。その型は個人個人で違う。闇雲にピースを型に押し当ててみて、ピタリとハマりそうな角度を変えながら探していくしかない。

 

 疑問符を掲げながらも綾瀬が了解の首肯を返したところで目的地に着いた。

 

 威厳ある門構えだったはずの絢辻道場は見るも無惨に荒らされており、入り口には下品な笑い声を上げる不良たちが屯している。変わり果てた光景に綾瀬の歯が音を立てて軋んだ。

 一輝は悲嘆のため息を押し殺し綾瀬の肩に手を置いた。

 

「ウォーミングアップの時間だ。覚悟を決めたあなたの姿を見せつける時だ」

 

 一輝に言われずとも綾瀬はわかっていた。蔵人に相手にされないのならば、相手にする他ない状態にしてやればいい。取り巻きを全て薙ぎ払い挑戦状を叩きつけてやるのだ。

 

『あん?ンだテメェら』

 

 入り口付近でタバコをふかしていた不良の一人がメンチを切って立ち上がる。それを合図に綾瀬も自らの霊装を顕現させて一歩踏み込んだ。

 

「引き立て役になってもらうぞ。覚悟しろ」

 

 少女とは思えないほど低い声で呟かれたそれに思わず聞き返そうとした不良は、そのときには視界が傾いていた。

 

 近年下品な笑い声しか聞こえなかった絢辻道場に活気溢れる、されど獰猛な雄叫びが飛び交い始めた。

 

 

 

 

 △

 

 

 

 

『ク、クラウドぉ!!』

 

 青ざめた表情で情けなく駆け込んできた不良によって、道場内で好き勝手遊んでいた取り巻きたちが俄かに騒めく。

 対し、一番奥に勝手に持ち込んだソファに身を沈めていた蔵人はニヤリと口角を吊り上げた。

 

「ハッ、随分と早ェ再会じゃねェか。この俺に喧嘩売ってくるとはクレイジーな野郎だ」

 

 巷で話題の《無冠の剣王》が殴り込みに来たと取った蔵人が飛び上がる。

 しかし駆け込んで来た不良は『ちげぇんです!』と悲鳴に似た絶叫で彼を止める。

 

『綾瀬です!綾瀬のヤツが目に入った奴らを片っ端からぶちのめしてるんです!』

「なに?綾瀬だと?」

 

 言われてみれば報告に来たこの不良の様子は大袈裟だった。一輝のようなガタイの良い男が暴れまわる様子は不良たちにとって見慣れた光景だ。こんなに怯えることはない。

 

 しかしこの不良は、まるで鬼を見たかのような怯えようだ。尋常ではない光景が繰り広げられていたのだろう。喩えば、かつて見下していた存在が予想外の暴力を以って歯向かって来たような。

 自分と顔を合わせるたびに小動物のように震えていた綾瀬が真っ向から喧嘩を売ってくる。蔵人には考えられない光景だが、しかし心当たりはあった。

 

 一輝だ。あの男が何か吹き込んだに違いない。根本からポッキリ折れた綾瀬の心を立ち直らせた何かを。

 それが何であるかはどうでもいい。ただ、立ち直った綾瀬が蔵人の欲するものを見せてくれるかどうかが問題だ。

 

 蔵人は思い出す。綾瀬に抱いていた期待を。未熟な綾瀬を叩きのめすことで鍛え、いつか《最後の侍》が見せようとしたモノを携えてやってくるという淡い期待。

 随分前に見限ったはずの期待が今更になって返ってきたらしい。二年間という長い月日を賭けて待った甲斐があったようだ。

 

 なるほどと小さく呟いた蔵人は一旦真顔で考える仕草を見せて、再び獰猛な笑みを浮かべて指示を出した。

 

「テメェらは引っ込んでろ。外にいるヤツも全員だ。どうやら面白ェことになったらしい」

 

 蔵人の意味深な言葉に疑問を抱きながらも忠実に従う取り巻きたち。全員がわきに退いたところで入り口から足音が響き渡る。

 姿を現した来客三人の前に仁王立ちした蔵人は両腕を広げた。

 

「揃いも揃っておっかねぇツラしてやがる。まぁ、話の早ェヤツは嫌いじゃねェ。いいぜ、誰からヤる?」

「お前の相手はボクだ」

 

 霊装《緋爪》の鋒を突きつけ歩み出た。

 

「道場を賭けて勝負しろ倉敷!」

「ハッ。威勢がいいな。泣き寝入りしてたヤツとは思えねェな」

 

 ゴキゴキと手を鳴らした倉敷はサングラスの奥から一輝を睨め付ける。

 道場に踏み入ってから何かを探るように見回す彼に威嚇する。

 

「待ってなクロガネ。ソッコーでテメェの番にしてやるからよ」

「それは楽しみだ。ルールは実戦形式かい?」

「ったりめぇだ!ここは俺の道場だ。道場主の意向に従えねぇなら出ていきな」

「いや、それでいい。確認しておかないと規約違反になるからね」

 

 律儀なこった、と小さく毒づく。

 認められた敷地外での霊装の使用はご法度だ。ただし国から使用許可が出た場合と、国に認可された私営道場の道場主が使用許可を出した場合は例外となる。今回は後者に当たる。

 もちろん不良の蔵人はそんな面倒なことを忘れて暴れまわっていたので何度も叱責を受けているのだが、それはさておき。

 

「判定は僕が取ればいいのかな」

「何寝ぼけたこと言ってやがる。()()()()()()()()()

「なるほど。──良いルールだね」

「ハッ、知ったような口を叩く野郎だ。わかったらすっこんでな」

 

 やれやれと肩をすくめて言いなりになる一輝にステラが問い詰める。

 

「何が良いルールなのよッ!それってつまり死体蹴りもアリってことでしょ!?センパイを危険に晒してるじゃない!」

「確かに彼ならやりかねないけど、絢辻さんに限っては絶対にしないよ」

「どうしてそう言い切れるのよ!?」

「そんなことをするなら初めからしてるからさ」

 

 綾瀬は道場を奪われてから二年間、蔵人の提示する条件下で戦って来たはずだ。その全てに負けてきた綾瀬だが、逆に言えば二年間戦い続けられるだけのコンディションがあったということ。

 仮に蔵人が死体蹴りをしていたならば今頃綾瀬は心身ともに壊れていたはず。しかし彼女の身体は健康そのものだった。それは判定を緩くして早々にケリをつけていたことに他ならない。

 

「言われてみれば確かに……。でもどうしてそんなことを?アイツ、そんな優しいヤツじゃないでしょ?」

「もちろん優しさなんかじゃない。たぶん、絢辻さんの勝負を受けることに意味があったんだよ」

 

 その証拠に、と辺りにぐるりと目を巡らせる。

 

「彼は取り巻きに手出しさせないよう徹底している。本当に飽き飽きしているのならいつも通り門前払いをするか、取り巻きにあしらわさせるはずさ」

「なんで今更相手にするのよ」

 

 首を傾げるステラに微笑みを落とし一輝は推測する。

 蔵人は今までに多くの道場を潰してきた。不規則に、気まぐれに、確実に。

 しかしひとつ確実なのは、道場潰しは点々と行ってきたということである。ひとつの場所に留まらず手当たり次第。さながら何かを求めて放浪する鬼のように。

 そんな彼が潰したはずの絢辻道場に二年も居続けるのは不自然極まりない。何か理由があるはず。

 

 その謎に一輝は心当たりがあった。《最後の侍》こと絢辻海斗である。

 綾瀬によると心臓病により体調が優れない身で戦い、蔵人に敗北したという。そして意識不明の重態に陥ったとも。

 

 もし仮に一輝が当時の蔵人だったなら、どう思うだろうか。

 ()()()()()()。歴史に名を刻んだ武人と手合わせできたにも関わらず相手が不調子で、しかもそこにつけ込んだ形で勝利しても納得できない。

 今度は万全な状態で戦いたい。そう願うはずだ。それが形となって道場に居続けているのではないか。いつか目を覚まし道場を取り返しに来る海斗と戦うために。

 

 全て憶測に過ぎない。だがこれしか辻褄が合わないのだ。蔵人が綾瀬を相手にする理由が。

 海斗の剣を手に入れた綾瀬ならもしかしたら。そんな淡い期待を寄せていたからこそ、過度に痛めつけることなく相手し続けたのではないのか。

 

「君の願いが叶うかもしれないよ」

 

 人知れず呟かれたそれを契機に綾瀬と蔵人の霊装が火花を散らした。

 

 

 

 △

 

 

 

 

 綾瀬の戦闘スタイルは『待ち』だ。絢辻一刀流はカウンターを主にする剣術であるからして当然の帰結である。

 

 しかし敵対する蔵人の霊装《大蛇丸》は刀身を自在に伸縮できる異能を持つため、日本刀と同等の間合いでしか勝負できない綾瀬が待とうとしても──

 

「ハッハーっ!さっきまでの威勢はどうしたぁ!?」

 

 抜身の骨のような野太刀がまさに蛇の如く空間を走り回り、間合いの外から一方的に綾瀬を打ちのめす。

 蔵人が綾瀬に能力を使うのはこれが初めてだった。今までは綾瀬に対して全く警戒することがなかったため、才能にモノを言わせてインファイトを仕掛け綾瀬の対応を振り切って倒してきた。

 

 だが今回は違う。今の綾瀬は蔵人をして警戒しなければならないと思わせる何かがあった。幾多の強者を食らってきたために培われた一種の直感が何かを感じ取ったのだ。

 

 言い換えれば、初めて蔵人が本腰を入れて立ちふさがった。それがこの決闘に何の影響を与えるのか、蔵人は知る由もない。

 

 異形の生物を相手取っている錯覚に陥りながら綾瀬は懸命に剣を振るう。時に空振りを交えながら道場内を走り回り迫り来る切っ先を叩き落とす。

 

 だが人間の腕によって振るわれるのではなく、魔力という見えない力によって踊る剣戟は強い違和感を植え付ける。

 対人に慣れきっている者ほどこの異様な光景に手をこまねくだろう。人を相手に剣術を振るう剣士を殺す伐刀絶技《蛇骨刃》。《剣士殺し(ソードイーター)》とはよく言ったものである。

 

 結果、見切れなかった斬撃が皮膚を掠め僅かながらも着実に綾瀬の体にダメージが蓄積していく。

 しかし綾瀬は待ちの姿勢を崩さない。解こうとしない。傷を無視し正眼に構え縦横無尽に駆け巡る斬撃に追われながらも凌ぎ続ける。

 

「まずいわよセンパイ……!待ってても事態は好転しないわ!」

 

 ステラが忠告しても綾瀬は聞く耳を持たず、ひたすら蛇の毒牙を捌き続ける。

 一方、その隣に座る一輝は綾瀬の真意に気づいていた。綾瀬が大袈裟に道場内を動き回る狙いを読み取ったのだ。

 

「ステラ、心配はいらないよ。絢辻さんは文字通り、待ち伏せているのさ」

 

 どういうことか問いただそうとしたまさにその時、何もない空間から火花が散り《大蛇丸》が怯んだように軌道を変えた。

 ピクリと眉を動かした蔵人に対し綾瀬は腰に《緋爪》を引きつけ、柄に手を添えている。

 

「えっ!?何が起こったの!?」

「絢辻さんの異能は霊装で付けた傷を開くというもの。それは人体だけじゃなく空間に対しても可能だったというわけだ」

「ということは、道場内を走り回っていたのも──」

「斬撃の配置が目的。今絢辻さんの周りには無数の斬撃が漂っている。どんな角度から攻めてこられようが能力を発動すれば対処できる状態だ」

 

 綾瀬の伐刀絶技《風の爪痕》による究極の待ちが完成した瞬間である。

 しかしこれは蔵人が相手だからこそできた布陣。真剣勝負中に斬撃を配置することはほぼ不可能だからだ。

 斬撃を配置するにはそれだけ空振りする必要がある。すなわち自ら致命的な隙を作らなければならないのだ。その隙を見逃すほど剣士は甘くない。ゆえに一輝と戦った時には使えなかった。

 

 だが蔵人は違う。彼は剣士であるにも関わらず遠距離攻撃を仕掛けるスタイルだ。攻撃するのにどうしてもタイムラグが発生するし、次の攻撃を仕掛ける時にも時間がかかる。

 綾瀬の待ちに対しアウトボクシングを徹底すると決めたゆえの隙。そこを綾瀬は利用したのだ。

 

「チッ。面倒なことしやがって……」

 

 《剣士殺し》を思わぬ形で封殺された蔵人は渋面を浮かべる。が、焦る様子は全くない。確かに攻めの手を潰されたのは痛いが、良くも悪くも綾瀬は待ちを徹底している。こちらが攻めに動かなければ敵も動かない道理。いくら斬撃を配置しようが、それが蔵人に直接害を与えられないのならば打開策を考える時間はいくらでも確保できる。

 

 一方的な追いかけっこから一転して膠着状態に陥った戦況を見て、一輝は綾瀬の更なる真意を悟る。

 

 ()()()()()。もとより配置した斬撃だけで蔵人をどうにかしようなどと考えていないのだ。

 綾瀬の能力を発動するのに条件があるらしく、それは《緋爪》の柄を手で叩くことのようだ。絢辻一刀流にはない居合のような姿勢を取っているのが良い証拠。

 斬撃を起動するのに無駄なアクションを強いられるということは、当然ラグが生じる。そのラグに対して《神速反射》を持つ蔵人が反応できないはずがない。

 つまり不可視の斬撃が鬩ぎ合う森は《蛇骨刃》を弾くことは出来ても、蔵人の侵入を妨げる足かせにはなり得ないのだ。綾瀬の予備動作をヒントにすれば回避するのに事足りるのだから。

 

 それを自覚した上でなお斬撃の森に身を潜める理由とは──

 

「いいぜ。テメェの土俵で戦ってやるよォ!!」

 

 同じく綾瀬の布陣の弱点に気づいた蔵人は《大蛇丸》をデフォルトに戻すと同時に躊躇わず危険地帯に突進した。

 足を踏み入れた瞬間綾瀬が柄を叩くが

 

「おせェッ!」

 

 身を煙らせ紙一重で斬撃を躱す。回避先の空間から刃が飛んできても豪腕を振るい危なげなく防ぐ。

 一進一退を繰り返しながらも着実に侵入していく蛇は今か今かと牙をちらつかせる。蔵人に合わせジリジリと後退する綾瀬だがすぐに壁際まで追い込まれ逃げ場を失った。

 

 遂に決着かと思われたが、

 

「せあァッ!!」

 

 後ろに下げた足を踏み込み足に転じ、逆に蔵人へ飛び出した。

 突然の切り返しにも関わらず蔵人はあっさり綾瀬の腕を弾き飛ばしてみせ、牙を剥く。

 

「あばよ」

 

 払った腕を引き戻し、豪腕が振り払われる。

 数瞬後の惨劇を予見し咄嗟に目を瞑るステラ。しかしその予想は裏切られることとなる。

 

 ギィン!と鋭い擦過音を鳴らして《大蛇丸》が空中でつっかえたのだ。

 

「なにッ」

「せあァッ!!」

 

 体勢を立て直した綾瀬が再び食らいつく。

 

「クソがッ!」

 

 短く毒づく。その場を飛び退くことで難を逃れるが、綾瀬が柄に手を添えたのを見せたことにより息をつく暇すら得られない。

 耳元を掠めた斬撃に続き、回避した隙を縫って間合いを詰めた綾瀬による攻撃が蔵人を襲う。このままではマズイと直ちに判断し、斬撃の森から抜け出さんと後方へステップしようとしたところで背後の空間から鎌鼬が発生。すんでで立ち止まった蔵人を待つのは綾瀬の追撃である。

 

 この迷いのない連携に蔵人は遅まきながら綾瀬の真の狙いを悟った。

 

 ──配置した斬撃で体勢を崩し本命の追撃で仕留める狙いか!追撃を受け止められようが躱されようが、その隙に能力を発動しループさせるってわけだ……!《蛇骨刃》を防いでみせたのはオレがこの結界に突っ込むよう仕向ける罠!一度入れちまえば後は能力で逃げ場を絶って内に戻るよう誘導すればいい……!──

 

 さながらコーナーに追い込まれたボクサーのよう。パンチをガードしても背後のロープの弾性で前面に押し出され、再びパンチを受けなければならない悪循環。ジリ貧の一方だ。

 

 これは綾瀬の思惑外だが、実はこの悪循環こそ蔵人の最大の弱点を突くものだった。

 《神速反射》は常人より遥かに早く反応できる才能だが、裏を返せば常人より何倍もの体力を消費しなければならない道理。

 常人なら見落としてしまうような些細なことでも《神速反射》は過敏に反応してしまう。その都度スタミナを余計に削らなければならない。

 

 そして今のような常に気を張らなければならない状況だと、その無駄な浪費が秒単位で行われることになる。

 反応したくなくてもしてしまう。過敏ゆえの摂理。皮肉なことに、こればっかりは蔵人本人の意思で抑えられるものではないのだ。

 

 あっという間に体力を燃焼させてしまった蔵人の口から荒い息が不規則に吐き出される。凄じい勢いで消耗を強いられる蔵人を見てステラは渾身の声援を送る。

 

「なるほど!これが《神速反射》の弱点だったのね!いける、いけるわよセンパイ!」

「凄いの一言に尽きるよ。完全に自分の土俵に引き摺り込んだ。だけど……」

 

 後半の言葉を濁した一輝は厳しい面持ちだった。

 その理由は、青ざめた額にびっしり汗を貼り付かせる綾瀬を見れば明らかだった。ゆえに、蔵人は窮地に立たされている者とは思えない獰猛な笑みを剥いた。

 

「策に溺れたな綾瀬!いや、それすら織り込み済みならテメェは大したクレイジーだぜ!このオレに命がけのチキンレースを仕掛けるたァな!!」

 

 不可解な発言にステラが眉を顰める。

 

「チキンレースっ?何言ってるのアイツ」

「君は一番重要なことを忘れているよ。能力を使うためには何が必要かな」

「そりゃあ魔力よ。……あっ、まさかッ!?」

「そう。魔力切れだ。絢辻さんの魔力量は決して多くない。あんなに能力を連発していればすぐに底を尽く。倉敷君と同じくらい絢辻さんも追い詰められているんだ」

 

 桁違いの魔力を有するステラが見落とすのも無理はなかった。魔力切れを気にするようなことは無いし、一輝のような一芸に掛けた能力を見慣れていると忘れがちになる現実である。

 どんなに燃費の良い能力だろうと数が重なれば山となる。森を作るほどの斬撃を用意すればそれだけ消耗するのは至極当たり前のこと。

 

 逃げ場がないのは二人とも同じ。どっちが先に尽きるかのチキンレース。綾瀬の一世一代の大勝負だ。

 狂行とも言えるそれに戦闘狂(バトルジャンキー)の蔵人が喜ばないはずがない。まして自分の前から逃げ出した弱者が仕出かしたのだ。これほど嬉しいサプライズはない。

 

 ゆえに。蔵人は素直に綾瀬を認めた。

 

 ──弱虫っ()ったのは撤回してやる。テメェは《最後の侍》の後継者に相応しい剣客だ──

 

 かの剣豪には遠く及ばない。けれど、それを余りある覚悟で覆すだけのものを見せてくれた。

 それで十分だった。もう綾瀬に思い残すことは何もない。良い意味で期待を裏切ってくれた綾瀬に惜しみない賞賛を抱き。

 

 ゆえに。蔵人は決断した。

 

 ──全力だ。殺しちまっても後悔はしねェ。テメェと立ち会えたことを誇りに生きていく……ッ!!──

 

 理不尽に道場を奪われ乗り越えたなら、命すら奪われようとする今も乗り越えて見せてくれ。

 《神速反射》を以って成す超人の絶技──

 

「《八岐大蛇(やまたのおろち)》ッッ!!」

 

 渾身。振るうは一瞬に放たれる八連撃。ただでさえ速い脳の伝達信号を更にフルスロットルに回し撃ち出すそれは、骨のように光沢のない八つ首の白蛇を幻視させる。

 残っていた体力を全て注ぎ込んだ全身全霊の必殺技である。

 

 その絶技が放たれるわずか直前に綾瀬はそれを察知できた。

 なぜかはわからない。強いていうならば死に対する剣士の直感が知らせた。

 迫り来る死に対し綾瀬が抱いたのは恐怖でもなければ反骨でもなかった。

 

『虚』。何もなかったのである。

 

 もとより決闘が始まった直後から綾瀬は何も感じていなかった。

 今に至ってもそうだった。限界に至ったはずの体は痛覚どころか疲労すら覚えていなかった。ステラの忠告を無視したのではなく、そもそも聞こえていなかったのだ。

 感覚が麻痺したのではない。ひとえに一輝にアドバイスされた『何も考えないこと』に集中した結果だった。

 

 それが父・海斗の教えである虚心に至らしめた。何ものにも動じず、あるがままに受け入れる。絢辻一刀流の真髄に触れたのだ。

 

 時間感覚の矛盾の狭間、綾瀬は湖面の如く静かな心のまま己の手を《緋爪》の柄に触れさせた。

 蔵人の腕が動き出したと同時に綾瀬を守るように弧を描いた斬撃が浮かび上がる。しかし数が足りない。大量の斬撃を用意したとは言え、一ヶ所に集中した攻撃を防げるような都合の良い斬撃があるはずもない。

 

 起動した斬撃は四つ。どんなに上手く捌けたとしても絶対に一つの太刀が致命傷を与える角度だった。

 全ての手札を切ってもなお凌ぎきれない──たった一つの道を除いて。今の綾瀬を躊躇わせるものは何もなかった。

 

 対しその経緯を正確に見届けた蔵人は勝利を確信する。文句の付けようのない詰み。確実に死に至らしめる。

 だというのに、思考と裏腹に蔵人は感じた。自身の命を切り裂くような悪寒を。

 

 向かいくる八つ首の牙を前に刀を正眼に、切っ先を蔵人に向けたまま、守るそぶりすら見せず飛び込んでくる綾瀬の目。それを過去に一度だけ見たことのある目だったのだ。

 ──絢辻海斗との戦い、その最後の瞬間。今の綾瀬と同じように飛び込んできた海斗は、何の感情すら感じさせない、されど光すら断ちそうな鋭い眼光を浮かべていた。

 

 まさにその光景が、夢にまで見た『あの日』の続きが目の前に。

 

「待った甲斐があったぞ!二年間────ッッ!!」

 

 二人の渾身が交錯し、そして。

 

「──」

 

 僅かに世界が停止したが、それを破ったのは綾瀬だった。

 《緋爪》を振り切った姿勢のまま固まっていた彼女が音もなく傾いた。そのまま床に崩れるかというところでガシリと綾瀬の体が止まった。

 

 蔵人だった。彼が左腕で倒れこんできた綾瀬を受け止めたのだ。ピクリとも動かない彼女のうなじを見下ろす顔は全ての精気が抜け切ったような無表情だった。

 しかしそれは見た人に『彼の悲願が叶った瞬間だ』と思わせるような達成感に満ち溢れた虚脱感だ。

 

「──なるほどな」

 

 荒々しい性格から出たとは信じられないほど穏やかな声音で呟かれたそれは、誰の耳にも留められることはなかった。

 右手に残った奇妙な手応えを探るように開閉させる。水を斬ったような、空を漂う木の葉を斬ったような。そんな手応えを、誰よりも敏感に感じ取れる蔵人は持て余していた。

 およそ人の成し得る技ではない《最後の侍》の奥義。その一端を垣間見れた蔵人は胸につっかえていた蟠りがストンと降りた気分だった。

 

『あの日』の終わり。胸糞悪い気分で道場を後にしようとした時、蔵人は確かに聞いたのだ。

 すまない、と。昏倒したはずの男から発せられた謝罪は誰に向けられたものなのか瞬時に悟った。そしてその意味を今ようやく正しく理解できたのだ。

 奥義を見せられず無様を晒したことを恥じ謝ったのだ。《最後の侍》に憧れ挑んできたクソガキに応えられなかった不甲斐なさを悔やんで。

 

 そこまでして見せたかったもの。それを直に味わった蔵人はようやくこの道場から去ることが出来る。後を継いだ娘から《最後の侍(オマエ)》の姿をしかと見届けたと踏ん切りがついた。

 きっと完全から程遠いものだったのだろうが構わない。武の究極に達した男の生き様を見れたのだから。

 

 感慨の呟きを口にした自覚がないようなそぶりで、決闘の気迫に呑まれ黙り込んでいた取り巻きたちに視線を巡らせ、目的の人物に声を掛けた。

 

「おいオマエ。確か車持ってただろ。綾瀬を学園に運んでやれ」

『……えっ?なんで──』

「いいから、運べ」

 

 ドスの利いた声で命令された不良は小さく悲鳴を漏らすと、脱力し切った綾瀬の体を受け取った。

 

 そして彼女の容態に気づく。体の至る所に裂傷が刻まれており、特にひどいのが上半身と顔だった。左右から抉り取られたように肉が削ぎ落ち止めどなく血が溢れる腹部に、その傷に重なるよう袈裟に迸った一条の裂傷。端整だった顔は左の頰肉が皮と共に大きくめくれてしまい恐ろしい様相を呈していた。魔力を全部使い切ったせいで魔力欠乏症を引き起こして顔色も著しく悪い。心臓が動いているのが不思議なくらいである。

 

 数人で協力して綾瀬を外に運び出したころに、ようやく我に帰ったステラが彼らを止めようとした。が、一輝が肩に手を置いたことにより綾瀬はそのまま送られた。

 

「今更綾瀬さんをどうこうしようとするほど無粋じゃないよ。張り合った強敵には最大の敬意を。そうだろう?倉敷君」

 

 だらりと腕を下げたまま見送った蔵人は清々しい微笑みを浮かべて答えた。

 

「よくわかってんじゃねェか。何でもお見通しだな、クロガネ」

「……そんなことはないさ。君がそこで切り上げたのは意外だった」

 

 近づき、一輝は蔵人のコートをめくった。その下には野晒しにされた腹と、薄っすらと浮かび上がる一条の切り傷があった。

 綾瀬の刀は僅かながら届いていなかったのだ。とても一本取ったとは言えない傷だが、蔵人にとってはそれでも良かった。それで満足だったのだ。

 

「《天衣無縫》……。やはり海斗さんとの試合で見たのはそれだったのか」

「ハハッ。ほんとにお見通しじゃねェか。エスパーか何かか?」

「君と考え方が同じだけだよ」

 

 一回区切り、一輝は同類に尋ねた。

 

「僕らの憧れた偉大な剣客は、君のように笑えていたかい?」

「ハッ。熱い死合いを楽しめねぇようなヘタレが《最後の侍》なんて呼ばれる訳ねェだろうが」

 

 吐き捨てるように返した蔵人と少しだけ見つめあった後、揃って笑いを零す。片やその通りだという思いで、片やコイツも大概イカれてやがるという思いで。

 蚊帳の外にされたステラが遺憾の念を顔で訴えてきたところで咳払いを一つ置いた。

 

「それで道場は綾瀬さんに返すってことでいいのかな?」

 

 わかりきった問だったが、しかし蔵人は

 

「いや、ダメだ」

 

 断ってしまった。これには一輝も驚き目を丸くする。ステラはツインテールを逆立てて噛みつく。

 

「ちょっとアンタ!自分が立てたルールすら守れないワケっ!?」

「今すぐ返す訳にはいかねェ。まだクロガネとヤってねぇからな。その後ならくれてやる」

「この期に及んでぇ……!」

 

 ふてぶてしい態度に憤慨するステラ。対し蔵人はしれっと言葉を返す。

 

「いいじゃねェか。今すぐ返したって綾瀬がいないんじゃ意味ねぇだろ。あの様子じゃ二日は起きねェぞ」

「むむ。確かに……いやでも」

「うるせェ女だな。返すことは確約してんだから納得しろよ」

「ムキーッ!!」

「まぁまぁ。当初の目的は果たせたんだから、それで良しとしとこう」

 

 地団駄を踏むステラを宥めなつつ、それでと先に進める。

 

「ならいつやるかってなるけど、今からやるかい?僕は構わないけど」

 

 これに対して蔵人は緩やかに首を横に振った。

 

「今日はやめだ。そんな気分じゃねェ。明日は空いてるか?」

「午後からならいける」

「よし。明日の午後ここに集合だ。存分にヤりあおうや」

 

 なぜか仲良く拳をぶつける二人にむっすりするステラだった。

 また明日、と挨拶したところで一輝が振り返って蔵人に言った。

 

「君には特別に見せたいものがあるんだ」

「ほう?なんだよ。言ってみろ」

 

 軽口のつもりだったが、一輝が悪戯小僧のような悪どい笑みと共に返した。

 

「《最後の侍》と同じ域の技さ」

「ッ──!?」

「もちろん《天衣無縫》のことじゃない。むしろ逆ベクトルの技だ」

「──ヘェ。そこまで大口叩くんなら楽しみにしとくぜ。くだらねェ真似しやがったら道場は返さねぇぞ」

「構わないよ。きっと君好みだろうからね」

 

 そして今度こそ立ち去った一輝たちを見て蔵人は顎をさすりながら笑みを浮かべる。自分が挑戦者になるのは『あの日』以来だ。

 久しぶりの感覚に血湧く蔵人だった。

 

 

 △

 

 

 

 後日、一輝は約束を果たした。

 

 《天衣無縫》が『受け』の究極ならば、それは『攻め』の究極。

 ()()()()()に倒された蔵人は愕然としながらも、畏怖と畏敬に身を震わせた。

 

 ()()に至ったこともそうだが、何よりも至るために費やした狂気に対して同じ戦闘狂として慄かずにいられなかったのだ。体に深く交差した太刀筋を見下ろしながら吐き捨てる。

 

「……ハッ。狂ってやがる。()()()に勝つためだけにそこまですンのかよ」

 

 一方的な勝利を収めたはずなのに、ともすれば蔵人よりボロボロになった一輝は弱々しくも得意げな笑みを剥いた。

 

「ハァ……ッ!ハァ……!……するさ。当たり前、だろう。……()()が僕の憧れた場所なんだ。ハァ……ッ、手が届くなら、是が非でもしがみつくさ」

「ハハハっ!やっぱりイカれてやがる野郎だテメェは!()()()は性に合わなかったが、テメェは最高に俺好みだ!」

 

 全身の裂傷から夥しい血を流し肩で息をする一輝に拳を突き出し宣言する。

 

「この続きは七星剣武祭だ。それまでにオレはテメェに追いついてやるよ。だからテメェは()()を完成させやがれ」

「……気づいていたのか」

「一番納得してなさそうな野郎がどの口叩いてやがる。コケにしてんのか」

 

 自分の顔に手を当て困り笑いを零した一輝は蔵人の拳に己の拳を合わせ力強く頷いた。

 

 こうして彼らの邂逅は幕を閉じたのだった。

 

 


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