小説 眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY 作:つっかけ
喧騒が外へと移り、静まり返った旧校舎。
誰も居なくなり破壊されたホールにうっすらと人影が地下から現れた。
怯えた表情で地上へと上って来た伊織が屋内の惨状に言葉を失った。
「・・・何よ・・・コレ。」
伊織は美希の攻撃を受けた激痛を思い出し震え、実戦など楽勝だと思っていた自信とプライドが粉々に打ち砕かれていた。
『・・・纏え』
それでも自分の身を守るために戦闘衣装を身にまとう。一瞬にしてピンク色の衣装が伊織の身体を覆った。これでまともに攻撃を受けることになっても多少のダメージは防ぐことが出来る。
外からは聞き取れない叫び声と爆発が響いてくる。
自分も戦わなくては・・・そうは思うものの身体が動いてくれない。
「・・・なんで、どうしてこんな時に・・・私はっ」
2年間衣食住を共にし、励まし学びあった仲間が自分のせいで傷つきながら戦っていると言うのに、それでもまだ我が身が可愛い自分に腹が立って仕方が無い。
自分の情けなさに俯き、目を閉じ、悔しい思いから拳を握り締める伊織の耳にコツン・・・と小さな足音が目の前から聞こえてきた。
目を開き顔を上げるとネグリジェ姿のやよいが伊織を見て立っている。
反対側の地下から上ってきたのであろうやよいとの距離は僅か7メートルと少しだった。
「や・・・やよい。無事だったのね!」
「・・・・・・」
この時、伊織はやよいの側に行きたかったのに”近づけなかった”。
何故か足が動こうとしない。
動かない理由が解らないまま、ふと不自然なことに気付いた。
普通ならば、今の伊織のようにやよいも伊織の様子を見て喜びを表しても良い筈だった。
だが、やよいは伊織の言葉で元気に喜ぶどころか全くの無反応だったのだ。
とてつもない違和感と現実とは思えない惨状の中に立つ二人の少女がようやく動き出したのは、やよいの雄叫びにも似た叫び声からだった。
「う・・・」
「や・・・やよい?」
「ううぅああぁぁぁぁぁああああぁっ!!!」
喉がはち切れんばかりの叫び声を上げてやよいの身体から電流のようなものが迸った。
身体全体を強張らせて白眼をむきガタガタと音がなるほど震えた。
放出されている電流はやよいの魅力と同じオレンジ色から真っ赤になり、やがて真っ黒に染め上がっていく。
突然の光とやよいに起こった事象に驚いた伊織はあまりの衝撃に尻餅をつく。
そして真っ赤な光がやよいを包み、弾けて消えたと思えばやよいの身体はオレンジ色の戦闘衣装に包まれていた。
微量ながら赤い電流がやよいから放出され、ゆっくりと開いたやよいの眼は真っ赤に変わり果てていた。
「や・・・やよい。どうしちゃったのよ・・・。」
囁くように口にした言葉はやよいの耳にも心にも既に届かなかった。やよいは右腕を挙げ、そのまま伊織に向かって歩き出した。
その拳は禍々しい程の赤に染まり、岩くらいなら簡単に粉砕できる魅力を纏っていた。
近づいてくるやよいを呆然と見ていた伊織は尻餅をついたまま動けず、とうとうやよいがすぐ側にまで近づいてきた時に伊織はようやく我に返った。
そしてすぐさま、やよいは挙げた右腕を肘から曲げて拳を顔の横に持っていき、そのまま一気に伊織に向かって振り下ろした。
伊織が真上に跳んだと同時にやよいの拳が石の床を砕いて深くめり込んだ。
仲の良い姉妹同然に時を過ごした伊織に向かって、放ってはならないほどの殺気に満ちた一撃だった。
直撃していればまず間違いなく命は無かったであろう攻撃がやよいから放たれた事に伊織はショックと動揺を隠しきれない。
跳び上がってから一回宙返りして着地した。
そこは丁度、両階段の中央。奥に中庭へと繋がる扉がある。
伊織はやよいから離れるためにドアを蹴破って中庭へと飛び出した。
それに続いてやよいも伊織を追撃して何度も殴りかかる。
中庭はいつもやよいと談笑する場所だ。広さはフットサルコートと同じくらいの面積がある。
あまり人が使っていない施設にも関わらず手入れされているその場所では、やよいと伊織のお気に入りの場所でもあった。
伊織は2階を支える柱を支えに息を調えようとする。振り返ると、やよいが支柱を無理やり引っぺがし振り回し始めた。その支柱はやよいの腕が回らないほど太く、重さは有に100キロを越える。当たればもちろん吹っ飛ばされて場合によっては大怪我をしてしまう。
「やよい! やめて!!」
「うぅぅー・・・うぅうっ!!」
「戻って!! いつもの優しくて元気なあなたに戻ってよ!!」
やよいが自分の意思で攻撃しているのではない。赤ん坊の頃から共に過ごしてきた、たった一人の親友が例えどんな間違いだろうと自分の意思で攻撃してくるなど天地がひっくり返っても有り得ないと言う確信があった。
やよいが支柱を振り回し、回避する伊織はやよいに呼びかける。
やよいが腕に持つ支柱を伊織に向かって振り回し、他の支柱も粉々に砕いていく。
一本、二本と砕いたところでやよいが支柱を投げた。
やよい「うぅぅぅぅぅっ・・うっうー!!」
「やめなさい!! やよい!!」
伊織へ飛んだそれを後方宙返り、いわゆるバク宙に一回転捻りで回避して両手から得意の電撃を迸らせる。
「眼を覚まして!!」
バシィッと言う音とともにやよいの身体を電気が走る。
もちろん低威力ではあるが人が気絶するには十分の電力だ。
電撃を受けたやよいは動きを止めた。立ってはいるが俯き両手はだらんと地に向いて垂れている。
「や、やよい?」
倒れないところを見ると気を失った訳では無さそうだが、今の状態では元に戻ったかはわからない。
だがこの沈黙が伊織とやよいの運命を大きく変えてしまったことを伊織が気付くはずもなかった。
「やよい・・・。」
手を伸ばしたい。今すぐに彼女を抱き締めていつものように頭を撫でてあげたい。
伊織の目尻に涙が浮かぶ。
気持ちを抑えきれず、無意識に右手をソッと伸ばす。
「いおり・・・ちゃん」
「やよい!」
声を聞いた瞬間、伊織は駆け出した。
5メートル程度の距離が遠く足が重い。
駆け寄った伊織はやよいの両肩を掴んで抱き締めようとした。
「!!?」
腹部に激痛が走った。
左足を踏み込んで腰を落とし、能力で強化されている拳を伊織の腹部に思いっきり叩き込まれた。
身体がくの字に折れ曲がった伊織は目の前を白黒させながら勢いよくぶっ飛んだ。
水切りのように地面を転がり奥の支柱に背中から打ち付けられる。
「っ・・・はっ、かっ・・・」
意識は何とか保ったが呼吸が出来ない。
プロの格闘家よりも重い悶絶必至の一撃を受けたのだ。
ギリギリのところで致命傷を避けられたのは戦闘衣装のおかげと言って良い。
と言ってもダメージが無いわけではない。
腹部の打撲、背中と頭部の打ち付けられた痛み。吐血は無いが嘔吐感は強烈だった。
「かはっ・・・うぐっ」
お腹と胸を押さえながら必死に呼吸をしようと空気を吸い込む。
しかし伊織の口の周りにある空気は微動だにしてくれなかった。
伊織に足音が近づいてくる。芝生を踏むその足音は、無表情のやよいがゆっくりと伊織に近づく音だった。
場所は変わって丁度その頃、真と雪歩はまたも美希に吹っ飛ばされ軽いが傷を負っていた。
雪歩の方が美希に狙われダメージが大きく、動くことがつらい。
響も具現化に体力と魅力を消耗してしまい、膝を地面についてしまう。
真も体力は普段の鍛錬から並大抵ではないものの、幾分魅力が尽き始めてしまって回復する隙がない。
魅力を大きく消費する炎の剣で戦い続けた結果だ。仕留め切れなければやはり、早い段階で戦えなくなってしまう。
今、上空で美希と戦っているのはあずさと千早だった。あずさの転移が徐々に遅れだし、千早の防御も薄くなり始めている。千早が複数のアイスニードルを飛ばして、そのうちのいくつかをあずさと一緒に転移して美希に飛ばすという戦法を取る。しかし補助型と防御型の二人が眠り姫である星井美希を相手にまともにダメージを与えられるわけもなかった。
例えるとラスボスにMP切れ寸前の魔法使い二人で挑むようなものだ。いや、今がまさしくその状況である。
かなり苦しい展開を強いられたあずさと千早だが、幸いまだ戦闘不能に陥るほどの傷は負っていない。
(下の3人はまだ動けそうにないし、私もあずささんも体力と魅力に余裕がなくなってきた。)
油断も隙も許されないだろう状況の中で、更に現状把握をすることが困難になっていた。
なのに、ほんの2秒程視線を地上の真たちに向けた時だった。
ドスンッと肩に強烈な衝撃と痛みが襲った。
何が起きたのか分からず、あずさの声だけが響いた。
「千早ちゃん!!」
2秒程度見せてしまった隙を見逃さなかった美希が、約15メートルの距離を一瞬で千早の頭上へ移動して肩を蹴り落としたのだ。恐ろしいほどの速さで近づいてくる地面に対して、頭が追い付いていない千早をあずさは転移で助けるつもりだったのだが・・・。
(・・・転移できない!?)
ここへ来てあずさの魅力も底をついた。ペースを考えずに誰かを庇い、誰かを助け、誰かの攻撃をかわし切っていた影響がここに来て回ってきた。
あずさはもはや浮遊術を数分使えるぐらいにしか残っていない。
最悪の状況だが美希にそんなことは関係なかった。
「余所見してる暇・・・あるの?」
「!!」
落下を始めて1秒と少し。千早はようやく自分がどうなってしまったのかを理解した。
アイスニードルで攻撃しようと魅力の残量を考えたときに、無理やり現状の把握をしようと真たちに視線を向けてしまった事で一瞬隙が出来てしまった。
その僅か2秒の隙に上から右肩に蹴りをお見舞いされた。20メートルの高さから完全に自由落下状態だ。
地面が迫っている。このままでは頭から叩きつけられてしまう。
何も出来ない状態ではあるが、せめて転落速度を落としたり衝撃を緩和させないと本当にパニックホラー映画さながらのグロテスクな光景を自分自身で演出してしまいかねなかった。
頭を働かせることに必死になったのだが、あと3秒とも無いタイムリミットにパニックと化した頭は働いてくれなかった。
死が頭を過る。
その時、落下するであろう場所を見て千早は目を疑った。
「千早っ!!」
そこには響が居た。
その横では真と雪歩もこちらを見ている。
(何をしているの・・・? ・・・まさか・・・いくら何でもそんな無茶、我那覇さんの能力じゃ出来っこない!)
今のタイミングで逃げろとも言えない千早はただ落下に身を任せていてもいけないと思い、少しでも衝撃を和らげなければと浮遊術で落下速度を落とそうとした。
けれどあまり効果がない。
落下を回避する方法を思いつかないまま、ついに千早は響の腕へと落下した。
ドシンっと受け止めた衝撃で響は腕どころか身体ごと下敷きになってしまった。
「ぐっ・・・うぅ。」
本来なら人が落ちれば即あの世コースまっしぐらだったはずの高さから落下して、恐ろしいほどの衝撃を受け倒れこんだ。
血の気が引いた・・・。
落下している人間一人を受け止めると言うのは想像しているよりも恐ろしいものだ。
速度と重力に応じて落下する人間の体重は何倍にもなる。その重さを人間の腕で受け止めるとなると骨折で済めばいい方だろう。落下した人間は助かる可能性も上がるが下敷きになった人間の死亡率が格段に跳ね上がるのだ。その行為を響は本当にやってのけた。千早はすぐに起き上がり響の様子を見る。
そこには仰向けに倒れている響の姿があった。
「我那覇さんっ!! なんて無茶を・・・。」
「だ、大丈夫さ。これくらいどうって事・・・つッ!。」
身体を起こした途端に左腕を掴んで蹲る。何とか立とうとするが立てずアヒル座りになった。
骨が折れたような音は聞こえなかったが、だから折れていないと言い切れない。実際、響は痛みで顔を顰めている。押さえているのは左腕。身体全体で受け止めてくれた響だが身体や足へのダメージもかなり大きいだろう。
歩くどころか立つことも出来ないような様子だ。
自分の油断のせいで響が傷付いたことに酷い罪悪感を感じた。
「・・・・・・そんな。」
恐怖の混じった声を発した雪歩を見た。彼女の視線がまっすぐ上空を見つめている。
その視線の先にいたのは美希だった。
美希の声が聞こえた。余所見してて良いの?・・・と。そう言って美希はあずさの脇腹に蹴り入れ、激痛と共に30メートルほど吹っ飛んだ。何とか空中で踏みとどまったあずさだが美希を見た瞬間に強い寒気を感じた。
地上から15メートルほどの上空で美希はその身体に恐ろしい程、魅力を高めていた。
そして美希の視線の先に居るのは、地上に座り込む四人の少女。
この光景に見覚えがあった。かつて未来で最も大切だった人達を殺された残酷な光景。
13歳になった数日後、妹と共に老婆に担がれ空を逃げながら眼に焼き付いた、最愛の二人との突如の別れ。
今もまた、あの時と同じ別れが訪れようとしている。
あずさは頭の芯が熱くなるのを感じた。数秒後の最悪な光景が頭を過ぎって胸が苦しくなり、目の奥もカッと熱くなる。そして全力で叫んだ。
「みんな!! 逃げてっ!!!」
脇腹が痛む。声を出さなければどれだけ楽だろう。
元々はこの世界の人間を巻き込むつもりだった。この学院の生徒になって星井美希と時の魔女を探し出し未来を変える。そのためなら自分以外の命なんてどうでもいいと・・・。でもあずさは今叫んでいる。未来を変えるのなら自分とは何の関係もない彼女達など、どうでもいいはずなのに。
あずさは叫んだ。
眠り姫、星井美希の犠牲者を数多く見てきたあずさにとって、もう誰一人として目の前で命を落として欲しくなかった。
同年代の子供なんて居なかった未来とは違い過去のこの世界で、たったの2年だが衣食住を共にした数少ない友人達が目の前で命の危機に晒されている。
彼女達に死んでほしくない。
これ以上は、もう立ち直れない!
助けるの。何がなんでも助ける!
残りの魅力を使って全力で飛ぼうとした。
しかし現実はあずさに牙を向いた。あずさの想いは突如の妨害に打ち砕かれた。
転移の使えない今を狙って何者かが後ろから羽交い絞めにしてきたのだ。脇の下から腕を入れられ肩を固定される。
あずさの後ろに回りこんで動きを止めた張本人。あずさは顔を右に向け目線を後ろにしてその犯人を見た。
そこには見開かれた瞳と不気味に笑う律子の顔があった。
グッと身体が強張ったのを感じて腕や足に力を入れるが動かない。身体を触られた瞬間に動きを封印されてしまったようだ。
「くっ! ティーチャー律子・・・なんでっ!?」
律子は右手を使って掌を顔の前に広げる。その手を退けたとき、そこにはもう律子の顔は無く、代わりに幼い頃から見知った顔が姿を現した。
「お久しぶりですわ。おねぇさま」
「貴音ちゃん!?」
律子の正体を知ったあずさは動揺を隠せない。自分と同じく時間移動をした実の妹なのだ。未来で眠り姫を操る研究をしていた貴音は崩壊した未来の科学では不可能だと悟った。だからこそ、時の魔女を復活させて丸め込み騙した挙句に過去へ転移した。
それ以降は消息不明だったのだが、未来よりも資源が豊富な時代で眠り姫を操る研究をしているだろうことは想像が付いていた。だがまさか同じ時代で教員に化けているなんてことをあずさは微塵も思っていなかった。転移する魅力もないあずさは貴音に簡単に取り押さえられてしまった。
「そんな、こんなところで・・・」
「おねえさま。少しの間眠っていてもらいますね」
羽交い絞めにしていた右手をあずさの両目に被せた。すると一瞬にしてあずさの意識がなくなった。だらんと身体の力が完全に抜け切ったあずさは貴音の肩に担がれた。再び律子の顔へと変え、下界の惨状に目もくれず、浮遊術でそのままあずさを連れ去ってしまった。
「みんな消えちゃえばいいって思うな!」
美希がゆっくりと両手を持ち上げ空へと向けた。
すると美希を中心に左右と頭上にフレッシュグリーンの色をした三角形の陣が出現した。
回転している3つの陣はゆっくりと回転を緩め、やがて止まった。
キラッ
と、それぞれの陣の中心が煌めいたと思ったらバシューッと黄緑色の特大閃光が千早へ一直線に降り注ぐ。
千早は瞬間的に巨大な防御シールドを展開した。
前後と2枚のシールドを作り出した事で何とか防ぐ事は出来たものの、千早たちの後ろへ弾け跳んだ美希の閃光がプラズマを発生させていた。そのプラズマが消滅する頃、攻撃の余波に耐えられずシールドが一気に四散してしまった。
両手を前へと突き出した格好で息も上がり、立っているのもやっとだ。
「くっ・・・!」
「「「千早!!」」」
千早の後ろで三人が叫ぶ。彼女のシールドが衝撃に耐えられず四散したことで、美希の閃光がどれほどの高威力なのかを三人は察していた。
千早は防御に特化した防御型だ。千早に防げなければこの場の誰も防げない。そのシールドが砕け散ったのだから身体に直撃すればどうなるか、容易に想像がつく。
千早は膝を地面につけまいとふんばる。
氷の特大防御シールドを作り出した千早はこれほどまでに膨大な魅力の消費は経験したことがない。
当然、急激な疲労が千早を襲った。
美希は千早たちの周囲の木に閃光を放った。吹っ飛んだ桜の木は燃え上がり、空中では美希がいつでも攻撃する準備を調えている。
つまり、千早たちは退路を絶たれた。
満身創痍の状態で周囲は炎。上空は絶対無敵の眠り姫。文字通り絶体絶命。
「これが・・・アイドルの力だというの!?」
あまりにも圧倒的。一撃の攻撃力に回避行動の早さ。目にも留まらぬ浮遊術に隙を見せない強力な防御。相手を追い詰めるために何を利用すれば良いかという状況判断能力と冷酷無慈悲な行動力。どれをとっても想像を遥かに越えている。
再び攻撃が放たれようとしている。今の千早にはまともに防御できるだけの魅力がない。
必死に頭を回転させて打開策を考える。しかし冷静さを欠いた今の千早の頭では、あと数秒で答えを出すなど到底不可能だった。
代わりに一つの答えを示した雪歩が千早の前に出て水のシールドを展開した。
「防御型じゃないから大した力にならないけど、このシールドと千早ちゃんのシールドで持ちこたえられないかな!」
「・・・今は逃げることもできない。やるしかないわ!」
雪歩の作り出したシールドに千早の氷のシールドを合わせて何とか強固な防壁を作り上げようとしていた。
雪歩の物質変化で温度を0℃以下まで下げ、千早の氷のシールドに触れさせ分厚く凝固させていく。
それと同時に二人の残った魅力をシールドに注ぎ込む。
響と真も壁を張れれば良かったのだが、響は具現化能力ではあるものの盾を出現させることが酷く苦手だ。
真は炎属性の盾しか出現させることができない。この状況で炎の盾を出現させても千早たちの氷の盾を弱体化させてしまいかねないのだ。
再び美希の攻撃が開始された。
黄緑色の閃光は真っ直ぐ千早と雪歩の防壁を直撃し、今にも砕け散りそうな程シールドにヒビが入り始める。
「くぁ・・・あぁぁっ!」
「くっ・・・」
正念場と言わんばかりに二人は全力を注ぎ込む。
攻撃力が薄れ始めた光線をなんとか防いでいる雪歩と千早。均衡状態が続いたが突如、美希の攻撃が止まった。
「・・・と、止まった・・・?」
二人は息を吐き、千早は顔を青くして地面に膝をついた。もう余力は一切残っていない。
みんな顔を見合わせて笑顔がこぼれた。
そして千早は雪歩の清楚な笑顔を見上げて、よく似合う純白の衣装の腹部から赤く染まっていくのを笑みと驚愕の表情で見ていた。
「あ・・・・・ぁ?」
一瞬、ほんの一瞬気を抜いてしまった瞬間だった。
一筋の黒い光が雪歩の身体を貫いた。
一点集中されて放たれた黒い閃光はキリで板に穴を開けるが如くシールドを破壊して雪歩を貫いた。
「ゆ・・・」
美希が手を勢いよく引くとそのまま黒い閃光は美希の下へ戻っていく。それにつられて雪歩も美希の元へ引き寄せられ、手の先で止まった。美希の口元が恐ろしく無邪気な笑みを見せ、途端に至近距離からの衝撃波で吹き飛ばされてしまった。
「雪歩おぉぉーーっ!!」
炎で包まれた木々のその先まで飛ばされてしまった雪歩を真が走って追いかけた。
「待って真・・・ぐっ」
「我那覇さん! 痛いでしょうけど、二人を追って!」
「千早も一緒に・・・!」
「急いでっ!」
千早に促され多少回復した響はいぬ美を出現させ、動揺して走る真に追い付きいぬ美の背中に乗せて炎の間を駆け抜けた。
千早は美希に向き直った。
燃え盛る周囲の木々の上空にたたずむ眠り姫の姿は美しくも恐怖。
魅力が尽きることの無い美希は消費を気にすることなく能力を使用できる。
それはまるで無限に放つことが出来る銃弾のようなものだ。
兵士にとっては夢のような話。能力者にとっては有り得ない現実だった。
美希は再び両手を空へと掲げ魅力を集中し始める。今度こそ千早たちにとどめをさすつもりで、さっきの黒い閃光よりもさらに強力な魅力を千早は感じた。
時同じくして伊織は窮地に立たされていた。
やよいの攻撃を受けてしまった伊織はゆっくりと迫り来るやよいを見ながら、苦悶の表情を浮かべている。
顔色一つ変わらず迫るやよいは紅い眼を光らせながら伊織の前まで歩いてきた。
そして、伊織を持ち上げたと思えば首を掴んで締め上げてくる。
「や・・・・やよ・・・・ぃ・・。」
首を絞められ持ち上げられた伊織は足をバタつかせながらやよいの名を呼ぶ。
しかし、答えない。ただただ、伊織を殺すことだけに集中しているようだ。
意識が薄れる中、伊織は力を振り絞り身体から放電してやよいを攻撃する。
するとやよいは手を放し、放電攻撃を受け3メートルほど吹っ飛んだ。
地面に落ちた伊織は大きな咳をしながらボーっとする意識を必死に戻す。
「はぁ・・・はぁ・・・や、やよい・・・」
伊織はやよいを見た。するとやよいはうずくまり、頭を抱えて地面に何度も打ちつけている。勢いよく頭を叩きつけるやよいを見て駆け出した。
ヨロヨロと千鳥足ではあるが、それでも急いで止めに入る。
無理やり抱き起こしても一向に暴れることをやめようとしない。
「あぁぁっ!!や・・・ぐぅっ!!」
「やよい!! しっかりしなさいやよい!!」
「い・・・・いおり・・・・ぢゃ・・・・」
うずくまって苦しむやよいを起こして抱きしめた。
一体どれほどの苦しみがやよいを襲っているのか全く想像がつかない。
今までどんなことでも泣き言や弱音を言わないやよいが耐え難いと思うほどの苦しみ。
それを思うと伊織の目からは涙が溢れ出てきた。
苦痛のせいか既に能力を使っていないやよいは痛いくらいの力で伊織を抱きしめた。
二人の涙が止めどなく滴り落ちる。
「いぉ・・・り・・・ぢゃ・・・・」
「やよい・・・。ダメよ・・・絶対にダメっ!」
「こ・・・ごろ・・して・・・くだ・・さぃ・・・・おねが・・ぃ」
「絶対ダメなんだから!! しっかりして!!」
「痛い・・・ぐるし・・・・お願い・・・殺して・・・くだざい・・」
「っ・・・。」
幼い頃から同じ屋敷で同じ時間を過ごして、姉妹のように育ったやよいが痛み、苦しみ、あまつさえ自分に殺してくれと懇願してくる。
なんなのか。一体なぜこうなってしまったのか。
星井美希を解き放ってしまったからか。
鍵の使用場所を探してしまったからか。
学院の謎を解き明かそうとしたからか。
そもそも鍵を見つけてしまったからか。
いや、こんな学院に来てしまったからだ。
自分が描いていた未来はこんな悲劇では決して無い。
一番大切な彼女が苦しむ未来など、ただの一度として望んだことは無かった。
やよいの苦しむ声と後悔の念で気が狂いそうだった。
今自分がやよいにしてやれるのはそんなことしかないのか。
答えが出ない。わからない。最善なんてものはもうとっくに無くなってしまったのか。
ただ、今の自分がやよいにしてやれることは・・・。
それは・・・。
「い゛おりぢゃん!!!!!」
「ぅ・・・あぁ・・・ああぁぁぁぁぁぁーーーっ!!!」
伊織の全力を注いだ電撃がやよいを包み込んだ。
ほんの3秒ほどだろうか。
放電していた、たったの3秒が1分にも、1時間にも感じて。
今この時、
水瀬伊織は、
高槻やよいという、
親友で、
姉妹で、
一生傍に居ることを誓った存在を、
殺してしまった。
崩壊。自分は取り返しの付かないことを、例えやよいの頼みでも殺してしまった現実は決して忘れることはないだろう。
伊織の精神が耐えることを諦めかけた時だった。
「い・・おり・・・・ちゃん」
「やよい・・・・やよいっ!!」
伊織はやよいを抱き起こした。
「いおり・・ちゃん。・・・ありがとう・・・ごめん、ね」
「やめて・・・そんなこと言わないで! 私はあなたを殺してしまった。例えやよいのお願いでも、仕方なかったからって私はあなたを殺したの!! ごめんなさい! ごめんなさい・・・!!」
「私ね・・・・ずっと、憧れてた・・・。伊織ちゃんに。」
やよいを強く抱きしめた。伊織は涙を零しながら耳を傾ける。やよいも伊織の背中に、力を振り絞って手を回し抱きしめる。
「・・・伊織ちゃんの・・・傍・・・居たくて・・・私・・・弱いから・・・りつ・・・こ先、生に・・・くすり・・・て・・・アイドル・・・に」
「やよい・・・・バカ! 力なんて無くても、見合わないと言われても私はあなたから離れるなんてできなかったのに・・・なんでよ・・・なんで・・・」
「ごめ・・・なさい・・・・。伊織ちゃん・・・?」
「・・・やよい・・・・?」
「伊織ちゃ・・・・どこ・・・?」
「やよい!! ここよ、私はここに居る!! ずっと傍に居る!!」
「・・・伊織ちゃん・・・・あ・・・とう・・・だい・・すき・・」
「やよい・・・私もよ! 私も・・・!」
伊織の背中から腕が落ちる。
現実味のない時間が流れて彼女を感じようと一層強く抱き締める。しかしやよいの鼓動は、もう感じない。聞こえない。
「・・・・・・・・・いやよ。・・・いや・・・いやぁぁっ!!」
もう笑うことも、泣く事も、怒ることもない腕の中で眠る大好きな人を抱きしめながら・・・大粒の涙を流す。
「一体・・・アイドルってなんなのよ」
大切な人を亡くしてまで手に入れる必要があるの?
いや、あるはずがない。アイドルにそこまでの価値なんて、やよいに見合う価値があるはずがない。
アイドルなんて、初めから目指さなければこんなことにはならなかったのに・・・。
いや、違う。そうじゃない。やよいを見ていなかったのは私だ。アイドルの事ばかり考えて彼女の苦悩に気付けなかったのは私。
なのにどの口が親友だなんて言えるのかしら。
私は・・・。
自分の価値。プライド。アイドルと言う今では無価値となったピエロの栄誉。踊らされた自分の不甲斐なさ。そしてやよいを唆した信頼できる敵。
失った大切なものと得た無価値なものが伊織の心の中に大きな穴と化し、その穴に見合う憎悪が広がり始めた。
やよいの亡骸をその場に寝かせ、伊織はやよいが最後に口にした『りつこ』の言葉を頭に置き、復讐の炎を燃え上がらせる。
「ごめんなさいやよい。」
「くすっ」
立ち上がって見上げると、そこには伊織とやよいを見る美希の姿があった。
「ケジメはつけるから!」
衝撃波によってかなりの距離を飛ばされてしまった雪歩は夜桜の花びらが舞う地面の真ん中で倒れていた。
響の召喚した狼がようやく雪歩に追いつき真が真っ先に雪歩に駆け寄る。
響は、月の光に照らされる雪歩の周りに黒い水が広がっていくのを見た。
赤くはない。そう見えないだけだ。しかし、その量は既に物語っている。
響の中に一言だけ無意識に呟かれた。
もうダメだ・・・と。
真はそのことはお構いなしに雪歩を抱き上げ必死に呼びかける。
「ねぇ起きて!! 起きてよ雪歩!!」
眼を覚まさない。今の雪歩は生きているのか、死んでいるのか。距離を置いて見ている響にはわからない。
近づけない。友人を失うであろう恐怖に足が動こうとしない。震えは無い。しかし嫌な汗が背中を伝う。
そして眼を開けない雪歩を抱きしめ涙を流し今尚、真は必死に呼びかける。
「起きてよ・・・じゃないと、僕は・・・・僕は」
「真・・・・ちゃん・・・。」
真は顔をあげる。そこには笑顔があった。その笑顔はジッと真を見つめる。
涙が止まらない真は拭うことも忘れてただ雪歩と言葉を交わそうとする。
「雪歩・・・」
「まこ・・と・・・ちゃん。そんな顔・・・しちゃ、ダメだよ。いつもの・・・カッコいい・・・・まこと、ちゃんに・・・」
「そんなことどうでもいいよ!! すぐに助けられる。治療できる!! しっかりするんだ雪歩!!」
「まことちゃん・・・。もう、わかってる・・・んで、しょ?」
雪歩は視線を自分の腹部へ移す。真はその視線を追わず雪歩の顔を見つめ続ける。
見たくないのだ。自分の大事な人に空く憎くて仕方が無い風穴を。
「もう・・・助からない。私は・・・」
「諦めちゃダメだよ!! そんなの雪歩らしくない!! 諦めることが一番ダメだって雪歩が一番わかってるはずじゃないか!! ボクは・・・ずっと・・・」
雪歩と居たい。
何故かその言葉だけが出てこない。声が出せない。言葉にしたい。伝えたい。だけど声が出ない。眼を強く瞑り思いは水滴になって零れ落ちる。
嗚咽が漏れそうになる。既に心では理解している。
頭では否定してももうわかっているのだ。
だから声が出ない。出せない。出てくれない。
例え声にしても、あとほんの数秒で幻に変わるその言葉が。
真の頬に冷たい感触が触れる。まるで長時間雨に打たれたように冷たい雪歩の手が真の頬を包んでいた。
「今・・・まことちゃんが・・・できる、こと・・・を。ひび・・きちゃん・・・・・・を、まもって・・・」
「雪歩・・・? ダメだ・・・眼を閉じちゃダメだ雪歩!!」
頬に触れる手に自分の手を乗せる。もう眼を開ける力も残っていない雪歩は最後にため息のように一つ息を吐いた。その一息と同じく身体から力が抜けていく。真が放せば簡単に落ちてしまう手をそのまま頬に押し当てる。彼女を少しでも感じたい。そう思って押し当てていた手から雪歩の最後の言葉が、心が真に伝わった。
『ごめんなさい。私・・・幸せだったよ。まことちゃん・・・・・・ありがとう』
一滴の涙が雪歩の眼からこぼれる。彼女の手が真を安心させようとするかのように頬を包みこんでいる。雪のようなその手に熱い水滴が伝う。止まることを知らないその水滴は真の頬を伝い、雪歩の手を伝い、雪歩の頬に落ちた。
「・・・・・・・・・雪歩・・・。」
終わったのだ。
ずっと守ると誓ったその言葉を守ることができなかった。
守れなかった。
助けられなかった。
底知れない悲しみに襲われる。
しかし涙は止まった。
もはや涙も出ない。
それほどまでに心のダメージは真を壊した。真の中でのすべてが今終わりを告げた。
永遠に開くことのないその眼を見ながら、真もそっと眼を閉じた。
そしてもう一人、真の遠い後ろから友の命が尽きるのを見ていた響は何も言わず二人の元を後にした。
自分の非力さを呪いながら涙の落下に合わせて嗚咽が漏れる。
主人を乗せた一匹の狼はその零れ落ちる悲しみと声を背中で受け止め静かに歩いた。
第七章
終