小説 眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY 作:つっかけ
千早とあずさが教室で会っていた頃、やよいは旧校舎の中庭で一人思い悩んでいた。
旧校舎の中庭は大半が芝生で覆われている。四方を校舎に囲われていて吹き抜ける空を寝転がって見上げるのがとても心地いい場所だ。
いつもなら伊織と一緒に空を見上げる彼女が珍しく一人で膝を抱えて座っている。
暗く沈んだその顔には恐怖と焦燥が微かだが感じられる。
そんな彼女を二階の窓から覗く奇妙な女性がいた。
身長が高く、腰程まで伸びた銀色の髪。白いカチューシャに春香と同じ服。紺色の布地で胸元には白いラインとその中心に赤いリボンが結ばれたセーラー服。
彼女はそっと窓を離れて姿を消した。
それから2、3分ほど経った頃、いつもの溢れるような笑顔とは違い、無表情のやよいからタメ息が漏れる。
「・・・・・・はぁ。」
「どうしたのタメ息なんてついて。」
顔を上げると、何時の間にか目の前に立っていた律子に声を掛けられた。
いつものように笑顔で腕を組み毅然と立っている。そして、何気なくやよいの隣に腰を下ろした。
「何を悩んでいるのかしら?」
昔の本に出てくる財閥の家庭教師のような格好をしている彼女は私達とそう変わらない年齢の女性だ。抹茶色のロングスカートに襟付きの白ブラウス。首元の大きなエメラルドブローチからは細い赤のリボンが下に伸びている。
「べ、別に悩んでなんていないです。ティーチャー律子こそ、どうしてここに?」
「私はちょっと資料を見に来たんだけど、良いのが見つからなくてね。どうしようか考えてたら、2階の窓からやよいの姿が見えたから降りてきたのよ。」
そう言うと律子は2階の窓を指差した。
やよいもその手の動きに合わせて窓を見る。
頭をポリポリとかきながら恥ずかしくて顔を赤くした。
「あはは、見られてたんですね。」
「やよい、今は私しか居ないから喋っちゃいなさい。あなたにタメ息を付かせる理由。」
「・・・・・・。」
やよいは戸惑った。人に相談するような話じゃないし、それが律子だったらなおさら相談し辛い。
そんなことで悩むなら訓練しなさい!
と言われるのが予測できるほどに。
それほどまでに厳しい人だと思っている。だから話しかけられたときの笑顔に少しだけ驚いた。確かに、今まで律子の笑顔は授業でもプライベートでもたくさん見てきた。
だけど・・・どこか変な・・・まるで何かを待っていたようなそんな感じが少しだけした。でも、隣に座った律子の雰囲気はいつもどおりだった。
「ほら」
「は、はい。・・・その・・・私、自信がなくって。みんなはあんなにも凄くて、頑張ってて、どんどん先に行っちゃうのに。私は何をやってるんだろう・・・って」
「つまり、置いていかれてる気がするってこと?」
やよいは首を大きく横に振った。抱えていた膝に一層顔を埋めて表情を悟られないように隠した。考えていることを声に出すと、意思とは関係なく涙が浮かんでくる。
「そうじゃなくって・・・私、伊織ちゃんのメイドだから。・・・ずっと伊織ちゃんの傍でお仕事したいから。だから、もっと頑張らなきゃって思うんですけど・・・どんどん伊織ちゃんが凄くなっていって、私に伊織ちゃんの傍に居る資格があるのかなって」
「あぁ、そういうことか。」
やよいはずっと伊織の隣を歩きたい。しかし、自分と伊織では能力や魅力に大きく差が出てきてしまったことでやよいは自信をなくしていた。
このまま差が開いてしまって、もしも伊織が自分のことを見損なったら嫌われてしまうかもしれない。そんなことを考えていたのだ。
「だから・・・私、もっと強くならないと。もっと能力を使いこなして魅力もどんどんあげて伊織ちゃんに追いつかないと・・・。」
「・・・・・・いい方法があるわよ?」
明るい声。満面の笑顔と共に発せられたのは笑顔に見合う明るい声だった。
やよいは他人にどれほどの欲や悪意があろうとも、人を疑うということをしない。
律子には今まで散々能力向上の世話になってきた為か信頼すらしている。
切羽詰っているやよいに律子の提案は救いの手に思えた。
律子が言うそのいい方法と言うのをしっかり耳に残そうとするように、顔をグイッと律子に近づける。
「ど、どうすれば・・・その方法ってなんですか!?」
「実は、誰にも知られていない秘薬があるの。能力と魅力を格段に向上させる薬なんだけど、試してみる?」
「お薬・・・ですか。えっと、ちょっと怖いかなーって。」
流石に薬と聞いて少し引き気味になってしまったやよいではあったが、それでも今の状況を打開出来るのであればこのチャンスを逃すことは出来ない。
心理的に追い詰められた人間と言うものは救いを求めて普段よりも人の言うことを信じやすくなっている。
そして、一度疑ったり他人に恐怖心を覚えると疑心暗鬼に囚われ攻撃的になったり自暴自棄になりやすい。
だが元より律子のことは信頼している。
ずっと前に伊織が身体能力や魅力を向上させる薬や疲れを一瞬で吹き飛ばす薬なんかの話を聞いたことがあった。
その薬の一種だと考えれば、律子なら持っていてもおかしくはないとやよいは思った。
「大丈夫よ。その薬は極秘のものだけど、今までに薬を使用した子の中にはアイドルに選ばれた子も居たわ。」
「アイドルに・・・。」
やよいは困惑の顔色から直ぐに律子への期待の眼差しへと変わった。
律子の言う薬を使えば伊織と一緒にアイドルに選ばれるかもしれない。
やよいの中にあった一片の疑心が一瞬で掻き消えた。
「お願いします。そのお薬、私にください!」
「いいわ。ただし、この薬を他の生徒に見られるわけにはいかないの。だから今日の夜、消灯後に新校舎の私の自室まで来なさい。」
「はい! よろしくお願いします!」
やよいの顔が明るくなった。やよいにとっては悩みは解決したのだから笑顔になるのは当然だ。
しかし、それとはまた違う笑顔を律子は放っていた。傍から見れば普通に笑っている彼女だが、わかる人にはわかるだろう狂気と興奮が入り混じる笑顔。
その笑顔の裏側をやよいが気に留めることは無かった。
同時刻。伊織は新校舎の資料室で学院の記録を手にしていた。響の言っていた『サクラの木の下に女の子が眠っている』という謎の日誌にかかれたことを調べていたのだ。
日誌の最後の内容とそこに書かれた女の子のことが気になっていた。
『止められな 。 子が だと思い込んでいたのは の上 った。
は掌の られた け。ここか が始 ことはわかっていたはずなのに
・・・。 これを読 た。お願いします。これを た 0年 の に
起こる 劇をどうか さい。私が だった為に った彼 たちの
ために。そして から 若い ため 。 りの少女は大きな桜の木の下に
眠ってい 。も に うこと 来たら、 女の言う てください。
それが未 守る最後の鍵 す。お願いします。 記: り』
書かれていることを普通に読み取るなら、この学院で死人が出たという解釈になる。
このことが公にされていたとしたら責任を負わされたこの学院に何かしらの記録が残っているかもしれない。死人が出るほどの出来事なら、何かしらの資料や記録が残っていてもおかしくは無いのだ。だがその期待とは裏腹に、古い資料を探しても一向にそれらしいモノは見つからなかった。
そして授業が終わってから3時間近く経った頃、少し気持ちが萎えかけてきていたその時だった。
手に取った資料には学院の見取り図が描かれていた。どうやら旧校舎のモノの様だが、それを見た伊織はとても大きな違和感を感じた。それは旧校舎のエントランスホールにある左右の階段。その右の階段下の壁に奇妙な部屋が存在している。
大きさにして凡そトイレの個室二つ分くらいの小さな空間だ。
初めて見た見取り図に何故違和感を覚えたのか?
それは、前々から思っていた違和感と繋がったからだ。
短い春休み後の一斉清掃で旧校舎のエントランス階段後ろの壁が左側に比べて右側がやけに出っ張ってることに違和感があった。
つまり、左側の階段裏はしっかりと空間が出来ているのに右側は階段の半ばまで壁が出っ張っているのだ。
その時に壁を叩いたりしてみたが特に変わった音も感触もなかったから、それ以降気にしなかったが。
部屋一つ丸々埋め立てるなんて真似は普通しない。何かの間違いで描かれたのか、それとも何か別の理由があったのか・・・。
伊織の中にこの奇妙な空間を確かめたいと言う好奇心が芽生えた。
その衝動に駆られ伊織は見取り図を手に資料室を出てその場所に向かった。
もう日が沈み始めている。夕焼けから夜へのグラデーションし始めた空を無視して伊織は旧校舎に来ていた。
両開きの扉を開いて中に入ると広いホールがあり、磨かれた石の床には入り口からレッドカーペットが真っ直ぐ敷かれている。カーペットはホールの中央で十字に別れていて、真っ直ぐ行くと中庭に出るための扉、左右には昔使われていた教室や個室に繋がっている。そのカーペットの十字になる手前には左右に椅子と長い机が設置されていてまるで協会のような作りになっている。
そして伊織が今立っているのは1階の入り口から見て右側にある階段の裏だ。
木造の階段は左右に二つあって一段ごとに綺麗な絨毯が敷かれている。
右階段の後ろには少しの空間とただの白い壁があるだけだ。ここは毎年の大掃除で拭き掃除をする壁なのだが、目の前の白い壁には特に変なところなんてない。叩いてもコッコッと、やはり普通の石の音がするだけだ。
それでも何かあると睨んだ伊織は周囲を見回してみる。そして、一つだけ気付いた。
大掃除と言えども壁や階段は拭いても『階段裏の一段目』まで拭いているところを見たことがない。
這いつくばって一段目の階段裏をジッと眼を凝らして見る。すると、一箇所だけ指先程度の丸く凹んだ部分がある事に気がついた。その部分をグッと押し込んでみる。その凹みは簡単にグイッと奥まで押され、ガタンッと言う音がしてから壁を見ると床から伊織の胸元くらいの高さで伊織二人分くらいの幅の壁がガコッと飛び出してきた。
そのまま、ゆっくりと左へ開いていく。
「まさか・・・。」
まさか本当にこんなものがあるとはと戸惑った。
恐る恐る近付き中を覗きこむ。そして驚愕と共に埃と真っ暗な地下へと続く階段が現れたのだ。
「こんなところに隠し階段だなんて・・・何かを隠しているのかしら?」
せっかくここまで来たのだから確かめないわけにはいかない。伊織の心をくすぐった好奇心と冒険心は、物怖じもせず地下への階段があるその石戸の中へ一歩踏み出した。
身体を屈めて中に入り階段の一段目を踏むと、足元に設置された蜀台の蝋燭に火が灯る。
まるで物語に出てくるダンジョンだ。
息を呑み、意を決して伊織は石階段をゆっくりと降りていく。階段を降りていくと徐々に広い空間になり始め、一番下の段を踏む頃には大人が並んで歩けるほどの空間になっていた。その一番下へと辿りつくと、まっすぐ伸びる通路が現れた。周囲は完全に石や岩で出来ていて人が作ったことが丸わかりに整備されている。通路は思ったより長く200メートルほどもある直線だ。壁の蝋燭が通路を不気味に照らしていて少し怖い。
進んでいくと、行き止まりの手前の左側に大きな木製の扉を見つけた。鉄の枠が嵌っていてとてつもなく古いその扉はシンプルで特に装飾の類は施されていない。取っ手がついていてその真ん中に大きな錠前が付けられている。大人の両掌を広げたくらいで、錠前の真ん中にこれまた大きな鍵穴があった。
その時、ふと伊織の脳裏に一つの鍵が浮かび上がった。
直感的にだが伊織はこの扉こそが、あの鍵で開くことが出来るのだと。
だが、これは恐らく開けてはいけない扉なのだろう。隠し階段、地下通路、厳重な扉。
これだけのワードが揃えば危険なものが中にあるのだろうことは容易に想像がつく。
他に何か無いか周囲を見回す。
「・・・え?」
変わった部分と言えば天井から木の根が這い出ているだけだと思っていたが、見回してみると伊織は戸惑った。
「キレイ過ぎる・・・。」
伊織が気にしたのは床や壁、鍵に天井の木の根だった。壁を触ってみても割れてる部分があまりなく、床にも土ぼこりすら殆ど落ちていない。鍵は磨かれては居ないが錆ないように手入れされている。
未だに誰かがここに出入りして保存している形跡があった。
生徒の誰かだろうか? ・・・いいや、それは無いだろう。
普通に考えて同じ場所で衣食住を共にしていた友人達が2年以上もこの場所への出入りを見つからずに過ごせるとは思えない。外部の人間だと、一番近い町でも14里(約55キロ)程の距離がある。管理する為にその道のりを移動するのは非効率だ。そして前の理由と同じで2年間も不審な人物が見られていないのであれば、この線はほぼ無いと思っていい。
もしこの場所が学園も承知の上で管理しているのなら必然的に律子が一番怪しいわけだ。更にここから細かく可能性が分岐する。
律子が知っているのか、いないのか。隠しているのか、隠していないのか。言う必要が無かったのか、近づけたくなかったのか。考え始めるとキリが無いが、何か大きな秘密があることだけは感じざるを得なかった。
あと気になると言えば天井の木の根。これは一体なんなのか・・・。
そこで伊織は自分が今地上だとどの位置に居るのかを想像してみることにした。
『ねぇ知ってる?サクラの木の下には女の子が眠ってるんだって』
響の言葉を思い出した。そういえばここは丁度、旧校舎外の丘にあるサクラの木の下。
ということはこの中に居るのはその女の子なのだろうか。こんな場所で監禁でもされていると言うのか。だとしても、これでは生きてるか死んでるかなんてわからない。
日が暮れる。ここは時間を掛けて調べる必要があると思いその場は離れた。
地上に戻って、階段裏の扉をしっかりと閉めた。不思議なことに、開いていた扉の跡が消えてしまった。完全に閉じたことを確認して外に出た。
日も暮れかけた空は橙から紫にグラデーションがかかっている。あずさの話を聞いて部屋に戻り、本を持って部屋を出たのがお菓子時。春香の話を聞き終わったのが数分前。
そして夕刻を迎えた今、焦りが生まれていた。鍵を持っているのが水瀬さんだということはわかった。攻撃が最大の防御と言わんばかりの高火力を持つ彼女からすれば、私は防御だけで攻撃が使えない役立たず的な考え方をされている。入学したときにからそんなことを思われているためか当時から犬猿の仲とも言うべく良い関係とはいえない。
だから話をしたところで簡単に鍵を渡してくれないだろう。恐らくまだ鍵を使う場所まではわかっていないと思う。彼女自身も慎重な人間だから無闇に鍵を使うとも思えない。
だけど、やよいと響が絡むと話が別だ。
響が好奇心で鍵の使用場所を特定し、もしもやよいに『開けてみようよ!』なんてたきつけられたら開けてしまうかもしれない。予想は予想を重ね、最悪の場合は場所の特定が終わっていて鍵を使う算段を立てている。というのが最も不味い状況だ。
そんなことを考えながら桜から走って旧校舎を通り過ぎようとしたときだった。
なんと伊織が旧校舎の入り口から出てきて伸びをしている。
こんなところに一人で何をしているのか。中庭で休んでいたのだろうか。だが、いつもならやよいと一緒に中庭で談笑することが多い。一人という状況で旧校舎、中庭にこんな時間まで居たというのは少し疑問を感じる。でもどちらにしろ伊織に用があったのだから都合がいい。伊織が行動する前に声を掛けることにした。
「水瀬さん!」
反応した伊織は怪訝そうな顔をしてから気付いていないフリをして新校舎の方へと身体をむける。それを止めるべく声を掛けて追いついた。
「水瀬さん丁度よかったわ。今からあなたの部屋に行こうと思っていたところなの」
「こんな時間までお気に入りの桜の下で本読みかしら? よっぽど暇なのね。」
相変わらずの嫌味全開の会話が始まりそうだったが、そんなことをしている場合ではない。
気が進まないことではあったがあずさと春香の必死の頼みなのだ。この世界と未来を壊す訳にはいかない。だからこそ、鍵は早急に伊織から取り上げて元の場所に返さないといけなかった。
「悪いけど、冗談に付き合っている場合じゃないの。水瀬さんあなた、鍵を持っているでしょ?」
「・・・部屋の鍵のことかしら? 持ってるけど、それがどうかして?」
目を合わさずにポケットから自室の鍵を見せつける。
一拍置いてからの返答。逆に分かりやすい反応で伊織が惚けてるのは簡単に判る。
「部屋の鍵ではないわ。旧資料室で見つけた古くて小さな鍵。」
「・・・・・・持ってないと言ったら?」
「はぐらかさないで。あなたが持っているのはわかっているの。」
「・・・誰から聞いたのか知らないけど、持ってたらなんだっていうの? まさか、あなたの鍵だなんてバカなこと言わないわよね。」
伊織は右手を腰に当てて千早に向き直った。
千早は奥歯をギリッと噛んだ。
(やはりこうなるのね・・・。水瀬さんが素直に渡すとは思っていなかった。この分だと理由を話したところで徒労に終わるでしょうし、かと言って下手に嘘を吐くと余計に拗れることになる。ここは本当のことを話して納得してもらうしかない。最悪あずささんにも話して貰って納得させるしかないわね。)
伊織は財閥令嬢と言う肩書き関係なく頭が良い。
気が短いから途中で話にならなくなるが、冷静な彼女と言葉の応酬になれば負けてしまうのはわかっている。
「それは私のではないわ。でもあなたの物でもないでしょ。」
「そうね。これは誰のものでもない。だけど何か重要な鍵だっていうことはわかる」
「なら、それをこっちに渡してくれないかしら?」
「嫌よ。あなたに渡す理由がない。」
「理由はちゃんと話すわ。だから・・・!」
言葉が止まった。理由は水瀬さんの後ろの先にある。彼女の顔を見ながら話していた私は視界の端に動く律子を見つけたからだ。
こちらに向かって歩いてきている。もし春香の時代から生きているのであればあれは人間じゃない。永遠に年をとらない背格好も変わらない、まるで時が止まっているような生き物なのだ。律子にこの話を聞かれるわけにはいかない。聞かれればあずささんや春香、私自身の命も危うくなってしまう。
「水瀬さん。今日の消灯後にあなたの部屋まで行くわ。そこで話しましょう。」
今まで無表情だった伊織の顔が険しくなる。私と話して癇に障ったのかイライラしているだろう。
「あんたを私の部屋に入れるわけ無いでしょ? それにあんたの部屋にも行く気はないわ。この話はおしまいね。」
「待って! じゃあこの旧校舎でお願い。私の最初で最後のお願いだと思って聞いて。」
「嫌よ。あんたの頼みなんて聞く気もないのに睡眠時間を削ってまで・・・」
「お願いだから・・・。」
水瀬さんの眉間の皺が一層深くなる。その後に目を瞑り諦めたように大きなため息をついた。
そして次の言葉で私は水瀬さんに対して少し光明が見えた気がした。
「はぁ・・・・・・消灯後にこの旧校舎まで来ればいいのね?」
「えぇ! 鍵も持ってきて欲しい。それがないと話すのに時間がかかるわ」
「どんな間抜けな理由が聞けるのか楽しみね。言っとくけど、律子に見つかりでもしたら承知しないわよ。」
「二人ともここで何をしてるの?」
私もだけど水瀬さんもギクリッと身体が震えた。私はまだ見えていたからいいモノの水瀬さんは気づいていなかったらしく動揺を隠せていなかった。
ちゃんと名前を呼ばないことを怒られると思い覚悟していたが、律子の顔を見るとエラくニコニコしている。何故かとても機嫌がいいようだ。いつも以上にニコニコしていて怪しさを感じさせる。偽者だと聞いたせいか、どうにも怪しく見えてしまう。
「もう夕食の時間なのに何をしているの。早く食堂に行きなさい。」
「何でもありません。すぐに戻ります」
そういうと水瀬さんは私の方を見て『教えなさいよ!』と言いそうな顔をして律子に向き直り、一礼して足早に去っていった。私も一礼して食堂に向かう。
その二人を律子は無表情で見送った。
消灯前の伊織の自室。10畳ほどの室内では入り口から見てすぐ右手にカップや紅茶の葉を置いた棚があって、部屋の中央左側に丸いテーブルと奥の方に椅子が設置してある。
その反対側には勉強机と呼ばれる学生の必需品的なものが壁向きに置かれていた。
右側奥にベッドが置いてあり、頭を右側にして眠っているのか枕が右壁側に置かれている。
奥の壁との間には約20センチ程の隙間が開いていて、隙間には引き出し付きの棚とその上に花瓶が枕の横辺りに置かれている。
奥の壁の左部分に上下開閉式の窓がある。窓の右側の壁には画も掛けられている。
伊織は丸テーブルの椅子に座り、やよいと響もベッドに座っている。
二人は談笑をしたり響がハムスターを出してやよいの肩や頭の上に乗せたりする。
響はやよいの変化が少し気になっていた。いつもハムスターなど動物を出すとよく可愛がってくれるのだが、今日はそんな素振りを見せず愛想笑いが続いていた。伊織も伊織でやけに考え事をしているので話し掛けづらかった。
その伊織は、夕暮れの千早の行動の事で考えに耽っていた。
、
正直あそこまで食らいついてくるとは思わなかった。了承はしたものの行かない手もある。
でも気になる。日誌、扉、鍵、千早の態度。
千早はこれがなんの鍵なのかを知っている。あの扉の鍵であろう事を。
けど、千早が焦る理由が一体何なのかがわからない。昼間の推測で、もし本当に女の子が監禁されているのだとしたら千早も関わっている?
事件がバレると不味いから隠蔽するために鍵を保持する・・・。 いや、それはない。いけ好かないけれど、いくら千早でもそんな真似をするとは思えない。あの日誌や鍵、地下の様子を見ても最近のモノでないのは明らかだし若い千早や他の皆が加担しているとは思えない。
だとすると、もう一つの可能性。この学院を揺るがしかねないほどの危険なものが入っているとしたら、それを知った千早の態度にも説明が付く。
確かに焦る理由ならば充分だけれど、それならば『眠る女の子』とはなに?
矛盾が生じるし危険なものかもハッキリしない。律子が何か秘密を持ってる可能性もある。
(んー、まだ証拠がないから下手に動けないし、これほど考えが煮詰まったらもう千早から話しを聞いて材料を集めるしかないわね。)
この件は非常に荒れる気がする。それを最後に思考を停めた時にやよいの顔が眼に入った。何故かやよいが愛想笑いをして元気が無い。
「どうしたのやよい? なんだか元気がないみたいだけど。」
「え・・・? そんなことないよ・・・元気だよ?」
明らかな嘘。歯切れが悪いし、やよいが私に嘘をつくなんてかなり珍しい。
やよいに限ってあるとは思えないが、何か良くないことを隠しているような気がしてならない。
「何年一緒にいると思ってるの? 私がやよいのことを元気か元気じゃないかくらい判らない訳ないでしょ。 何か悩みなら話しなさい。ちゃんと相談して。」
「悩みなんてないよ。気にしないで。」
「じゃあなんで元気ないのよ。いつものやよいらしくないわよ?私に相談しなさいよ。どんな事でも解決してあげるから」
「なんでもないよ。大丈夫だから」
「やよ・・・」
「なんでもないって言ってるでしょっ!!」
「ーーー!!?」
驚いた。突如大声を上げたやよいにスゴく驚いた。
やよいはいつもなら元気で笑顔が絶えないことが多いため、怒ったりする印象が凄く薄い。この私でも今までやよいが怒ったりする場面というのはほとんど見たことがない。だが今この瞬間は間違いなく怒りを露にしている。
そしてこの時、私以上に驚いていたのが響だ。隣でいきなり勢いよく立ち上がって怒鳴り声を上げれば、そりゃ誰だって驚く。そして訳もわからず焦りながら響はやよいに話しかけた。
「や、やよい? どうしちゃったんだ? いきなり怒鳴るなんてらしくないぞ・・・。」
「・・・ごめん。もう寝るね。」
そういうとやよいはスタスタと私の前を通って自分の部屋へと戻っていってしまった。やよいが怒る理由も解らないまま残った私たちは顔を見合わせた。
「・・・・・・響、悪いけど今夜はもう部屋に戻ってもらえる?」
「あ、あぁ。・・・わかった。」
何がなんだかわからない響が一番動揺していたが、私も一瞬の動揺の後に静かに湧き上がる苛立ちから響と入れ替わりでベッドに寝そべり布団をかぶってしまった。
響は何故か涙目になりながら部屋の明かりを消して自分の部屋へと戻っていった。
消灯してから2時間。今は日付が変わろうという頃。千早に言われたとおり消灯後に鍵を持って旧校舎へ向かった。そしてその姿を廊下の隅っこから小さな動物が見ていた。
寝巻きのままで出てきてしまったため少しだけ肌寒い。近頃は春の割に暖かい夜も多く過ごしやすかったのだが、今日に限って空気が冷たい。
自室から旧校舎まで特に遠いわけでもないのだが、こんな時間に出歩くというのは慣れていないせいか落ち着かない。足早に旧校舎まで歩く伊織は、すでに旧校舎の入り口で待っている千早を見つけた。
消灯してから1時間。そろそろかと思い外まで歩く。建物の中は気味の悪いほど静まり返り足音すらも遠くに響くように思う。すると、気のせいか自分の足音とは違う足音がしたように思った。こんな時間に廊下を歩く人といえばこの後に会う伊織くらいしかいないのだが、姿が見えない以上そうともいえない。音の正体を確かめずにサッサと建物を出て、肌寒さを感じながら旧校舎まで向かう。これからしばらく来るかどうかもわからない伊織を待つのだが、いつ来るかわからない不安が襲う。
あと1時間もせずに日付が変わる。満月の明かりに照らされた夜空を見ながら、2の時まで待つことにしよう。明日も授業があるのだから朝まで待つわけにはいかない。
そろそろ日付が変わる頃。羽織を持って来るべきだったと思いながら、新校舎の方から人影が歩いてくる。近づくにつれて姿が現れてくるのを見て、安堵と感謝を心で感じた。
「水瀬さん、ありがとう。」
「手短に話してもらうわよ。どういうことなのか。言っとくけど、いい加減なことや私をイラつかせたりしたらすぐに部屋へ戻るからね。」
「水瀬さん。この旧校舎に地下室があることは知ってるかしら?」
「・・・知ってるわ。地下室の場所。鍵も持ってる。この通りね」
「それを渡して。じゃなきゃ元の場所に返してきて」
「なんであなたに命令されなきゃいけないのよ。それに理由を話すと言っておいて話さずに鍵を渡せなんて順序が逆じゃないのかしら?」
確かに、あの時は焦って理由を話すからと言って呼び出したのだから伊織の言うことが正しい。穏便に済ますにはやはり春香との話を言うしかない。
あずさのことについては、まだ付き合いは続くのだろうことから未来人ということは一旦伏せておくことにした。
「春香って言う女の子が居てね、その娘が警告してくれたの。地下にいる眠り姫を復活させてはダメと言われたわ」
「眠り姫?」
「えぇ。未来を破滅に導く能力者だそうよ。あなたが持つのはその鍵なの。」
伊織は手に持つ鍵を見る。こんな鍵と扉にそんな大層なものが居るとは到底思えなかった。そして一つの疑問を千早に提示した。
「その春香って娘は何者で何でその事を知ってるの?」
これは必ず訊かれると思っていた。普通に考えたら誰だってそう思う。だが、下手に嘘をつけない。
ボロが出ればその時点で伊織は自分と取り合わない事を千早はわかっていた。正直に話すのが無難であることは間違いなかった。
「何故知っているのかはハッキリと言えない。ただ、彼女は昔桜の木と魅力を融合させた精神体だと言っていた。」
「はぁ・・・あなたバカじゃないの? そんな訳の分からない女のことを信じるわけ?」
「確かにおかしいかもしれない。でも、こういう理由があって―――」
「あのね、理由理由ってなんでも理由さえ話せば分かってくれると思ったら大間違いよ。地下に眠り姫とかいうバケモノみたいなのが眠っていて扉を開けると世界が滅ぶ? 本の読みすぎで頭に花でも咲いたんじゃない? そういうのは妄想の中だけにして。」
理由を話したところで無駄だった。こうなることは予想していたが、だからと言って引き下がるわけにもいかない。伊織の罵声罵倒は今に始まったことではないし今まで無視すればよかっただけだが、この分からず屋には熱意も誠意も必死の声にも応える気がないのだと思ってしまう。だが何とか説得しなければ・・・。
「これは冗談じゃないの! 嘘でもないこれから起こる真実を・・・」
「あんたに予知能力でもあるのなら考えてあげてもいいわ。でもね、私からすればそんなに簡単に人を信じてる時点で呆れるわけ。そんなことじゃこれから先、人を信じていつか足元を掬われるかもね。」
「確かに私には予知能力の類は備わっていない。だけど、彼女はそのことを知っているのよ! 危険を教えてくれる彼女を信用して何が悪いの!」
「まったく話しにならないわね。その胡散臭い幽霊女の証拠も何も無い情報で人を信用するだなんて呆れてモノも言えないわ。さぁ、くだらない茶番はこれでおしまいよ。部屋に帰らせてもらうわ」
「待って! 待ちなさい! その鍵をちゃんと返しなさい!! あなたはそれがどれほど危険なものかを理解していない! 元の場所に返す気が無いならそれを今すぐ私に渡しなさい!」
部屋に帰ろうとする伊織の反転させた身体が止まった。手を見ると握りこぶしが震えている。怒らせたのだろうけどそれはこちらとて同じことだ。じれったいやり取りに私もいい加減イライラし始める。やりたくはないけれど無理やりにでも鍵を使えないようにしないと万が一があればそれこそ後の祭りとなるだろう。
自分の焦燥と伊織の怒り。お互いにもう限界だった。
「・・・うるさい。・・・うるさいのよいちいち!! あんた何なの! こんな時間に呼び出して訳のわからない話をしたのだから鍵を寄越しなさいって・・・何様よ!! 私に命令しないでちょうだい! あんたの言うことなんか誰が聞くもんですかっ!!」
「いい加減にして!! 扉が開いたら世界が終わってしまうのよ!? 少しでも開く危険があるのならその芽を摘んでおかなければいけないの! 春香の、人の忠告を無視しないで! その鍵は明日必ず元の場所に返してもらうから!!」
「このっ・・・!! もう許せないわ。だったらあんたの言うことと逆のことをしてあげるわ。あとで慌てふためくといいのよ!!」
「水瀬さん!?」
そういうと伊織は旧校舎に走って入っていった。
それを追いかけようとしたときに、視界に歩いてくる人影が見えた。
急いで旧校舎の中に入って伊織の姿を探すが見当たらない。地下ということはこの1階に入り口があるはずだと見渡してみる。伊織はそれに向かって移動したに違いない。
だがどれだけ見ても入り口が見当たらない。そうこうしている内にさっきの人影が旧校舎の入り口にまで迫ってきた。仕方なく2階へ続く右の階段の裏に身を潜める。
早く伊織を探しださなければいけないのだが、もしも律子が見回りに来たのであればこの状況を説明できない。そして予想通り律子と何故かやよいまで一緒に旧校舎に入ってくる。足音が近づいて来てその数だけ心音が恐ろしいほど高鳴ってくる。
そして、自分の隠れている反対側の階段の裏で二人は止まった。もし振り向かれれば即見つかってしまう。
律子は階段裏で両手を広げ、能力を発動させた。封印術が得意な彼女の呼び掛けで空中に金色の錠前が姿を表した。その錠前を解錠して床にかかっていた封印を解除した。
すると今まで床だった場所が一瞬で地下へと続く入り口に変わった。二人はそのまま中へと姿を消した。どうやら見つからずに済んだようだ。殺していた息を吐き、額の汗をぬぐう。
あの中に伊織がいるのだろうか。
音を立てずに地下へと潜ったのはこういうことだったのかと納得しつつ、降りていく律子とやよいの後を静かに追った。
螺旋状の階段を下りていく。暗い足場をゆっくりと確認しながら進む。
長い。もう50段は越えている。3分ほどかけて降りたところでまっすぐな通路に出た。
横幅2メートルと言ったところか。石造りながら整備されたその通路は壁に蝋燭立てが付いており、蝋燭も立てられているのだが火は付いていない。整備されているとは言っても石造りの足場はデコボコが多くしっかり歩かないと足を引っ掛けそうになる。そんな暗い通路を20メートルほど先に明かりが見える。どうやら扉が開いているようでその扉は木製で出来た普通の扉だ。その扉が少しだけ開いた状態で静止していた。
この中にやよいと律子がいる可能性が高い。そして伊織も。
見つからないように中の様子を伺おうと扉の隙間からのぞき見た。
「・・・・・・なんなの・・・これ・・・。」
眼を疑った。
これはなんだ。部屋中赤い光でいっぱいだった。
壁や床が石造りなのは判る。だが部屋が赤く見えるほどの発光は一体なんなのか。
そしてその部屋の、千早の居る入り口の傍で行われている行為は一体なんなのか。
ネグリジェ姿のやよいの腕に挿された一本の針。律子が手に持つのは黄緑色に発光する液体の入った注射器。今まさにその注射針がやよいの腕に刺さり発光する薬物であろう液体を体内に注入されている。
ゆっくり、ゆっくりと投与されていく薬と徐々に赤く変化していくやよいの目。
異様であり異常。人体に害のない薬品だとしたらこんなところで処置するはずが無い。
つまり人目を避けて投与する何かだと言うこと。
そのとき私はあの時の会話を思い出していた。
『うん。この学院はアイドルを輩出したときの保証金で運営されているの。つまりアイドルは金銭的に必要だということ。』
『なるほど・・・アイドルは金蔓になるから成績上位者は狙われない。逆に危険なのは成績の中間順位にいる生徒。高槻さんや真たちってことになるのね』
ついさっき春香としていた恐ろしい会話を頭の中で鮮明に蘇った。
偽者の律子がこの学院で生徒に何をしてきたのか・・・。
こうして今日、何らかの理由で目を付けられたやよいを実験材料にしたわけだ。
どんな効果をもたらすか判らない非道の人体実験。今まさにそれが目の前で行われていた。
自分も見つかると恐らくただでは済まない。封印術を使われてしまえば終わりだ。
そしてこの時、千早は自分がとんでもない思い違いをしていることにやっと気が付いた。
律子が封印していたあの地下への入り口が伊織に解錠出来る筈がない。見た限り補助型の強力な封印術を攻撃型の伊織に解ける訳がないのだ。
ならば地下への入り口はまだ他にあるというのか。
急いで通路を引き返そうとした時だった。
とてつもない衝撃と地響きが建物と周囲の地面を揺らした。
「・・・まさかっ」
転びそうになるのを必死に建て直し螺旋階段に向かって走った。
第四章
終