小説 眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY   作:つっかけ

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一章 -後編- 違い

能力のレッスンは特殊なものが多い。実力に応じて変化させなければ上達しない。

例えば、野球選手が素振りばかりしていたとする。だが誰かが投げた球を打たないと上達するのは難しいのではないか。物事の本質的な部分に触れてしまうのかもしれないが、アスリートやアーティストにエンターテイナー。どんなことにも基礎の訓練だけで乗り越えられるほど低い壁ばかりではない。やはりそこには実力に応じた練習や訓練が存在していて、それをモノにしてこそやっと表舞台に立てると言うものだ。このレッスンも同じ事で、基礎ばかりをこなしても成長に限界が来てしまう。基礎を行い応用もこなす。基礎をしっかり覚えているからこそ状態に応じてレッスンを変化させられる。そして自分の実力に合ったレッスンをして初めて成長し、その成果が現れるという。

そんなプロセスが存在している。

 

その能力を使う上で必ず必要になるのが”魅力”と呼ばれるエネルギーだ。

魅力というのは、御伽噺(おとぎばなし)で言うところの魔力に相当する。

”内側から溢れる魅力”と言ったように内面、心を磨くことで心臓部に魅力を発生させて脳を経由して身体中に巡らせることで能力を使用することが出来る。

脳を使うとは言うものの、実のところ誰でもいつかは自然と出来てしまう。

人間産まれた時から息の仕方や身体の動かし方を自然に出来ていたように、気が付けばやり方を覚えていて勝手に出来てしまうのだ。

その能力の覚醒が遅いか早いかの違いでしかないが、それでも一般的な能力の発現は10代後半と言われている。10代前半だと早いほうで、9歳以下での発現は世界的に”天才”や”神童”と呼ばれて未来を期待される有望な能力者だ。

ただ難しいのはそこから能力を成長させること。今まさに彼女たちが2年間直面し、これからも考えていかなくてはいけない能力者全員が持つ永遠の難題だ。

 

 

そんな難題をしっかりと基礎から応用まで毎日こなしているのがやよいだった。

やよいが行う基礎レッスンは魅力を使って遠くにある飴の入ったビンの蓋を開ける、魅力の『操作』のレッスンだ。

やよいは身体中に魅力を移動させて強化するのだから、もし戦闘で魅力の移動が遅かったとなれば戦闘になったときに全く役に立たない。やよいの能力には魅力を更に緻密に操作する事が不可欠なのだ。

蓋が開くようになるたびにビンとの距離を開けていき、20メートルほどの距離で開ける事ができれば次は蓋を裏返してその上に飴を一つずつ乗せていくという難易度の高い操作を要求される。

それが出来て初めて応用レッスンの重量上げ。まずは100kgから、そこからどんどん重量を上げていく。これは両手に胴体に足と、バランス良く魅力を振り分けて維持しなければならない。かなり微妙な魅力の操作を行うこのレッスンは、もしも片腕の魅力が強かったり弱かったりすれば違う身体の部位に負荷が掛かるようになっている。

 

このレッスンを経て、やよいはようやく魅力を使った戦闘訓練が行われる。

もちろん相手は律子。生徒とのレッスンは講師が相手をすることが規則で決まっている。

生徒同士だと思わぬ事故や怪我になりかねないからだ。それぞれ人並み外れた能力を有しているのだから当然の措置である。

校内条例、いわゆる校則で”能力を使った生徒同士のケンカ”や”能力を使った合同レッスンは即退学”という重い罰則を強いている。ただしビンの蓋開けなどの魅力のみで能力を使わない基礎レッスンは危険を伴わないため生徒同士でも承認されている。

 

基礎レッスンと言えば、女性らしさを磨くためにも様々なマナーと歌や踊りに容姿の清潔さを学ぶと共に能力の扱い方を間違えるだけでどれだけ危険なことなのかとか、この能力にはどんなことをすれば向上するのかなども学んでいる。

そのため1年次では殆ど座学と基礎レッスンで終わる。複数ある基礎レッスンの中に『浮遊術』と呼ばれるものがある。能力のレッスンとしてはこれ以上大事なものはないと言われるほどのものだ。

まず魅力で身体を包み、空気中の魅力と同調させて身体を浮かせる。この時点でかなりの集中力が必要だった。慣れてくると空気の魅力を捕まえて浮遊することが出来るようになる。

次に滞空時間を保つために魅力の消費をコントロールするレッスンは更に難しく、始めたては魅力の消費感覚がわからず気が付けば落下するということを繰り返していた。

消費を抑えすぎると落下してしまい、多すぎると長時間飛べないという魅力コントロールの基本中の基本とされるレッスンだ。無意識に浮遊できるようになるまでおよそ半年。

うまく飛べなくて毎日挫けていた雪歩なんかはどちらかと言うと穴掘りの方が上達していたくらいだ。

そして浮遊レッスン初日からみんなの度肝を抜いたのはあずさだった。全員が空気中の魅力を同調させることに一生懸命だったのにあずさは笑顔で草の上に座っていたのだ。

伊織がレッスンに集中するよう注意すると座ったままのあずさの身体が浮かびだしたのをみて伊織が尻餅をつくという、今では珍しい光景を見たものだ。実は入学前からこの手の訓練は欠かしていないとのことで、みんながあずさにコツなんかを質問したのだが説明が抽象的過ぎてまったく役に立たずそれぞれ地道にレッスンした。

千早達がまともに飛べるようになるまでの半年間であずさは浮遊中に空間移動しまくるという業まで身につけて伊織の嫉妬を買っていた。

 

「浮遊と転移の魅力を分けちゃえば簡単よ~?」

 

とあずさは言うものの普通は簡単にできるものではない。学院に入る前からどこかで魅力のコントロールを身につけてきたからこそ出来る芸当だ。

そんな頃からしてみれば、やはり年月というのは人を成長させる。

そしてまたこれからも成長する。毎日同じことの積み重ねなのだろうけど、それが何より大事なことなのだ。

 

 

新学期初日であるこの日、3年次のレッスンや授業内容などの説明をするオリエンテーションのみとなっている。

教室は前方に大き目の黒板に壇上と教卓があり、その壇上から2メートルほど離れて生徒が読み書きをする横長の机と、机の前に取り付けられた引いて下ろす椅子がある。床は階段状になっていて、大きな窓と白のカーテンがある。

天井が高く壁は固いため音も声もよく響く。極小の声での内緒話も聞こえてしまいそうになるほどだ。

オリエンテーションが始まる前、響は既に中段の椅子に腰掛けていた。

響のその右前にやよい。左前に伊織が陣取っている。

その二人に向かって響は前のめりになって話し始めた。

 

「なぁ、知ってるか? 私達の中からアイドルが選ばれるかもしれないんだって!」

 

楽しそうな声で伊織とやよいに話しかける。

その問いかけに伊織とやよいはお互いの会話を中断させて質問に答える。

 

「まだ新学期が始まったばかりなのよ? ちょっと気が早すぎるんじゃない?」

 

「それはそうかもだけど、でももし本当だったら一体誰が選ばれるのかな!」

 

「もっちろん、この伊織ちゃんとやよい以外に誰が居るのよ! っとそれはともかく響。あんた授業中にまで筆談しようとするのやめなさいよね。気が散るじゃない!」

 

授業は仲の良い生徒同士が隣になると何らかの遊びやお喋りをしてしまうことから必ず隣一人分を開けて席に着く決まりになっている。お互いの間に一人分あいていることを確認するために、前の二人の間に後ろの生徒を一人挟むようにしている。やよいと伊織の間の空間をその一つ奥に座る響が埋めているのだ。

しかし、律子の目を盗んでは手紙で筆談することが出来るため、時折誰かが私用で手紙を渡して話をするのが授業の一つの楽しみにもなっていたりする。響は常習犯として一度律子に折檻を食らっているが懲りていない。

 

「自分手紙が好きだからな! それにこうでもしないと話せないし。」

 

「声を出したらティーチャー律子が怒っちゃうもんね」

 

「だったら黙って人の実技を見たりそっとイメトレでもしてなさいよ」

 

「ホントに伊織はレッスンが好きだよね。自分もレッスンは好きだけど伊織ほどストイックにはなれないさー。」

 

「でもこんなにも訓練してるんだもん。伊織ちゃんだったら本当にアイドルに選ばれるかもしれないね!」

 

「ま、この伊織ちゃんにかかれば楽勝よ! やよいだってきっと選ばれるから頑張らないとね」

 

「う、うん。そうだね」

 

ふふん、というように長い髪をかきあげながら余裕の表情を見せる。

しかしその反対に、やよいは笑顔を見せはするものの声のトーンはどこか元気がない。

響と伊織の会話が継続する間、教本を纏めながらそのまま俯いた。

 

その時丁度ドアが開いて律子が教室内に入ってきた。

みんな各々の席に戻り、律子の話が始まるのを耳を傾けて待った。

講師である『ティーチャー律子』が壇上の教卓の横で話し始めた。

19歳の彼女はまるで財閥の家庭教師のような格好をしている。少し長い髪を後ろでまとめ、長円形のレンズをしたリムレスのメガネはテンプルにチェーンをつけて首の後ろに回してぶら下げられる様になっている。

襟付きの純白ブラウスを着てその胸元部分には大きなエメラルドブローチを付けていてブローチの下からは細長い赤のリボンが伸びている。キュっとした腰から下は膝下くらいまで裾が伸びる抹茶色のロングスカートと、3センチほどのヒールのある茶色のブーツを履いている。

服装は地味に見えて彼女にちゃんと似合っているのだから、やはり律子自身が大人っぽいのだろう。誰から見ても美人と言わしめる顔立ちにメガネが良く似合うしっかりしたお姉さんという印象だろうか。怒るときは怒って笑うときは笑う。照れるとそのギャップにきゅんと来ることもある。2年間、彼女のレッスンと勉学に励んで着実に成長したのだから、有能なのは間違いなかった。文句の付けようがない信頼できる女性だ。みんな慕ってはいるものの、千早だけは会話をするもののやはりあまり関わろうとはしなかった。

最終段階に入る3年次のプログラムを強い口調で話し始めた。

 

「3年次の課題は特性向上よ。自分の持って産まれた特性を向上させるレッスン。まぁ得意分野といってもいいわ。個々の特性を磨くための特殊なレッスンが用意されています。卒業、特にアイドルになるためには個人能力と特性を高めて卒業試験にて講師、つまり私の合格を得る事が必要なので今までの研鑽を更に積む必要があるわけ。」

 

ここまで説明している律子だが、いまいち理解出来ていないやよいが質問する。

ゆっくりと手を上げるやよいに気付いて一時的に言葉を切ってやよいの発言を待つ。

 

「あのぉ、ティーチャー律子。つまり自分の能力を、特性で使いこなそうってことですか?」

 

「まぁだいたいはそういうことよ。2年生の時は特性の維持もようやく出来た段階だから、今度は無意識でも出来るようにしっかりとレッスンしてもらうからね。その力を試験で私に見せて合格すれば卒業、実力次第でアイドルになれるわ。」

 

「な、なるほど・・・?」

 

律子が左手で教卓をバンッと叩いて少し声を大きくして座っている7人に続けて話す。

 

「2年次に修得した特性をさらに向上させるのが3年次の要。3度ある卒業試験で特性を活かした能力を使って私の合格を得ることで卒業することができる。そしてさっきも言ったように、成績実力共に優秀であればアイドルの選出も兼ねているわ。3度の試験で全て不合格だと退学。アイドルになるためには最低でも2度目で合格しなければアイドルの道はないと思って頂戴。」

 

言い切ったところでフンッと鼻息荒く吐き出すと、今度は後方側に座る雪歩が手を挙げて律子に質問を投げかけた。

 

「あの・・・今までその試験で退学になった人は、ど、どれくらい居るんですか?」

 

雪歩らしいもっともな質問だった。この学院は3年に一度の入学と卒業という変わったシステムを採用しているため、先輩や後輩がいない。だからそういう『誰かが退学になったことやアイドルになったこと』という情報が全くないのだ。

最悪の出来事を予想ではなく確認をすることでどれだけ覚悟がいることなのかを推し量ることが出来る。今まで誰も退学したことがない、などと言うようなら気を抜く者は気を抜くだろうし、その言葉を逆に嘘ではないかと疑う者は全力の努力を惜しまないだろう。

だから常に自信が持てない雪歩はティーチャー律子にアイドルになるには、卒業するためにはどれほど困難なのかを再確認しようとしている。気弱な雪歩にとって大きな質問であることは間違いない。彼女の中にもやはり熱い何かがあるのだろうと思う。

そしてその質問に対しての律子の答えに絶句した。

 

「・・・毎期、3名から5名ほどが最低ラインに到達せず脱落するわ。私がこの学院の教師になった時から毎期それくらいの退学者が出ます。過去には9年連続で一人も卒業出来なかったこともあるみたいよ。」

 

「そう・・・ですか。ありがとうございます。」

 

雪歩の顔は見るからに沈んだ。そして他の皆も驚く者や堂々とする者、笑顔の者。

それぞれが違う表情を浮かべているにも関わらずさっきよりも強い緊張感を感じた。

3名から5名と言っても何人中かを言わなかったことは彼女なりの優しさなのだろうか。

とはいえ、9年連続というのはあまりにも酷い。普通に考えれば入学した生徒が極少人数、3人や4人の場合。また、過酷なボーダーラインを敷かれたと考えられる。

もしくは退学が続くほど生徒のやる気や才能がなかった可能性もないわけではないが、これはほぼ無いと思っていいだろう。少人数ならまだしも自分達と同じくらいの人数が3期に渡って入学したのであれば充分大人数だ。その中でやる気や才能がない人間なんてまず居るはずがない。何故なら厳しい審査をパスしてこの学院に入っているのだからそれなりの力はあったはずなのだ。にも関わらず3年間の研鑽の後に卒業できなかった。

となれば当然危惧するのはボーダーライン。ボーダーラインに到達できなければ卒業も何もない。退学、ただそれだけ。2年間頑張って研鑽を積んできたのだ。ここで退学などという不名誉はなんとしても避けたいところだった。

 

当然ながら今の話を聞いて千早も驚かなかったわけではない。

ただ千早はこの学院に居る間はどんな時でも努力を惜しむつもりは無かった。

それだけアイドルになるのは大変なことなのだと、毎日自分に言い聞かせて全力で取り組んできた。3人や5人の退学という言葉だけで大きく揺らぐほどの覚悟ではない。

皆の顔を見て緊張感が伝わったのか、律子が少し笑みを見せて話を戻した。

 

「この特性の違いは大きく分けて4つに分類される。やよい、何だったかわかる?」

 

「はわっ! えーと、攻撃と防御、補助、特質の大きく分けて4つです。そこから細かくすると他人とは違う自分独自の能力のことです。」

 

「正解よ。この特性は指紋のようなもので十人十色の違いがあるわ。例えば土属性のやよいが持ってるのは補助の中で最も多い身体強化の特性ね。その特性を合理的に効率よくレッスンしてその精度を高めて無意識に必要な魅力を使えるようにする。入学当初のやよいは200キロの錘を持ってたけど、この2年間のレッスンで2トンまで持てるようになった。魅力操作の精度が上がってる証拠よ。みんな2年間朝から晩まで覚えたことを必死にレッスンしてきた。そして今はもうみんな教わるという作業は全て修了してる。」

 

「つまり、3年次の課題はひたすら特訓しろって訳ね。」

 

真っ先に伊織が両の手のひらを持ち上げて律子が何を言いたいのかを予測して答えた。

先を越された質問の意図を手早く答えてくれたことに律子の顔から笑みがこぼれる。

 

「さすがね、頭の回転が速い子は好きよ。伊織の言うとおり3年次の課題はひたすらにレッスンして特性と魅力を高めていく作業。この作業はあなたたちが能力を使い続ける限り一生付いて回る言わば”責任”。一般的な筋トレと同じだからサボったりしたらその時点で他と差がつくと思って毎日を勤しみなさい。さて、他に質問は?」

 

質問の問いかけから数秒の間の後に真が手を上げて律子に質問を投げかけた。

 

「ティーチャー律子。卒業試験についてですけど、僕達それぞれの能力に対してのボーダー・・・合格ラインは答えてもらえるんですか?」

 

「それはダメ。教えてしまうとそのボーダーラインからの向上が止まってしまうわ。だから教えるわけにはいかない。・・・だけど、そうね。飛躍的に上達した程度とだけ言っておくわ。上達方法はそれぞれで考えてね。」

 

「なるほど。どれだけやればいいのかわからない不安と、実力に応じてその訓練を変えていかないと上達しない能力・・・精神的な負担が凄く大きいね。それなら退学が多いのも頷けるかな」

 

「それも含めての訓練てことでしょ。やるしかないわ。」

 

「ですよねぇ・・・」

 

伊織の言葉に雪歩が短い相槌を打つ。少なからず奮起した者もいるようだ。やるしかない。この学院に入って出来ることはやってきた。難しいことも理不尽に感じることも細かい命令やルールも全て守ってきたのだ。今の自分達に余程の”想定外”が無い限りこの精神を揺らがせることなんで出来ない。ただ只管にやるだけなのだから開き直れば恐れることなど何もない。この後の律子の言葉を聞くまでは、みんなそう思っていた。

 

「さてここで少し発表なのだけど、先日実施した能力値測定での結果なんだけどね。みんな相当頑張ってるからこのまま行けば全員卒業も夢じゃないわ。もちろんアイドル選出もね。」

 

その場の空気が緩んで喜びに変わる。退学などと暗い話ばかりしていたものだから反動が大きかったようで笑声がこぼれる。”やったね””これからだね!”そういう声が聞こえてきて律子がニヤッと笑った。

 

「そしてっ!!」

 

賑わった途端の律子の大声。

ピタッと、音が鳴ったように静かになった。

何事かと思い、揃って律子に向き直る。

 

「あんた達の中で現在一番アイドルになれる可能性がある子を発表するわ。千早、前に来て」

 

室内が大きくざわついた。一瞬の驚いた顔の後、無言のまま立ち上がり前へと歩む。

アイドルになれる可能性を秘めた者だと言うのに何故千早が前に立っているのか。

能力、協調性、信用性も自分達よりあるとは思えない彼女が、何故自分の名前ではなく千早の名が呼ばれたのか伊織は理解できなかった。

 

「ティーチャー律子! 何故千早なの。どういうことなのよ!」

 

「私が能力値測定で判断した結果よ。あなた達の誰よりも魅力と能力の特性が秀でている。日課にしている読書と一人行うレッスンの成果が出ているわけよ」

 

伊織たちからすれば魅力を高めるには”喜怒哀楽と感情豊かにすること”で成長するはずなのだ。だが千早は笑顔は殆ど見せない。大半は湖の畔やあの桜の下で本を読んでいるだけで喜怒哀楽のどれでもない状態ばかりなのに、何故自分たちよりも千早の方が力をつけているのか、今の律子の説明だけでは到底わかるわけが無かった。

 

「じゃあ説明してあげるわ。あなた達が入学したての頃、魅力について説明したわね。魅力を上げるためには心を磨いて知識と経験を付けなさいって。」

 

「そうです! 僕達は心を磨くためには喜怒哀楽が最適だとみんな考えました。」

 

「それで自由な時間はおしゃべりしたり遊んだりして心を開放してたんだぞ。それじゃダメだったてこと?」

 

「ダメじゃないわ。むしろそれが第一歩なのよ。魅力を鍛えるためには大切なこと」

 

「じゃあ何で千早が候補になるわけ!?」

 

「千早は自分に最適な方法を取っていただけのことよ。あなた達がお茶や船を漕いでいる間にもね。そして特性に関しては既に卒業生と同等に使いこなしているわ。目を見張る成長振りと現段階での能力の高さからアイドル候補として発表したまでよ。」

 

それぞれの方法で行っていた魅力を高める心の開放は感情豊かなことが大事だと思い、そして今も律子はそう言っている。お茶をすることや船で遊ぶこと以上に行えるレッスンとは一体何なのか。自分達以上に能力を有する千早は今までどんな方法で魅力を高めてきたのかに興味がある者や、そんなことはどうでもいいからちゃんとした説明を求めて怒る者。その光景をニコニコ見ている者もいれば荒げた声に反応して半泣きで身を縮める者。怒る友人にオロオロする者に不満そうだがそこまで怒ることでもないと腕を組んでいる者。それぞれが違う表情や感情が見えて少し面白いと思ってしまう千早であった。

 

「私は自分の好きな場所で本を読んでいただけよ。時には眠って時にはそこで昼食を食べて過ごしていただけ。」

 

「ほら聞いたかしら! そんなの何もしてないのと同じじゃないの!」

 

「何もしていないのはあなた達よ。」

 

厳しい言葉が伊織を、そしてその場に居る千早以外をバッサリと切り捨てるが如く言い放った。

 

「私は喜怒哀楽が”第一歩”だと言ったの。そしてあなた達は感情を豊かにすることに徹した。それは間違いではない。だけど、それ以上のことをしないと成長しないのは能力を使う上で必要なことだと散々言ったはずよね。」

 

確かに、口がすっぱくなり耳にタコが出来るほどに律子は言葉にしてきた。能力などを使うためのレッスンはその実力にあった方法を取らなければ成長しないと。それが今伊織を始め座っているみんなに襲い掛かっている。実力はある。能力も優秀。やらせて見れば大概出来て大した文句も付けられない。だけどそれ以上の成長が見られない。

停滞している。それに比べて千早はそれ以上のことをこなして来た。いや、正確には自然に出来てしまっていた。

 

「あなた達は感情豊かにすれば良いと、そこで考えをやめてしまったのよ。その先もう一歩踏み込んで考えていたら違っていたかもしれないけれど、知識と経験を蓄えたのはこの中にどれだけいるかしら。」

 

沈黙。俯いて表情が暗くなる。あずさを除いて。そしてここで千早の考えを聞いてみることにした律子が千早に促した。

 

「私が言うのもなんだけれど、感情豊かが人間にとって大事なのは当たり前だから、それ以外に目を向けたの。知識は本を読めばおのずと入ってくるし、経験は普段のレッスンや自主レッスンで補えばいい。でも心を豊かにするのであれば、やはり自然に触れることじゃないかと思ったの。そのためにこの建物の周りには森に桜に小さな草原、湖に古い建物まである。少し遠出すれば町もあるし山も川もある。自然に触れる環境としてはスゴく充実している場所だと思わないかしら?」

 

全員が沈黙する。言われてみれば確かに、この学院の周りには不自然なくらい自然が整っている。となれば、千早の言うことは概ね正解と捉ざるを得ない。心を豊かにするというのは感情ではなく感性。それを豊かにするという意味合いだったのだと、今頃になって気付くものが多数だった。そんな彼女達を見かねて口を開いたのは律子だった。

 

「これはあくまでも魅力に対するレッスン。魅力が備わればその分強力な能力を使うことが出来る。今のあなた達も大したものだけれど、千早はその遥か上に居るの。それだけのことをこの学院で感じ取ってきた。例え顔に出なくても、心が豊かなのは既に証明されているのよ。」

 

律子に目で合図され自分の席に戻った千早はいつも通り机に手を置き律子の話を聞く体制になる。立っていた伊織もストンと椅子に座った。みんながそれぞれ自分のやってきた事を振り返りながら、あれは正解だった。これは間違いだった。そんな考えが頭の中でグルグル回っている。その中でも一番混乱と不安が押し寄せていたのが伊織だった。

今まで必死にレッスンをして日常を心の赴くままに過ごして来たのに、それを今更になって間違いだったのだと言われたのだから。そして今まで見下していた千早には能力全てにおいて劣ってしまっているという事実に必死で理性を抑えている。

怒りと興奮で涙も滲む目を擦って律子に目を向けた。

 

「じゃ・・・じゃあもう、私達がアイドルになるなんて・・・。」

 

「・・・そう思うのはあなたの勝手よ伊織。他のみんながどう思うかは知らないけれど、ここで諦めるのであれば私から言うことは何もないわ。」

 

伊織は再び目線を落とした。膝の上に置かれた握りこぶしがフルフルと震えている。

涙を堪えているのか、それとも怒りを堪えているのか。今の伊織の中にどんな感情が渦巻いているのか・・・。長年一緒に過ごしてきたやよいですら、伊織の心にかける言葉はとうとう見つからなかった。

 

「3年生の授業やレッスンで私が出来ることはあまりないわ。ただ、何かに困ったり訓練の手助けをするだけだからある程度は自分でどうにかすることを覚えなさい。文字通り私のお眼鏡に適うようしっかり努力するように。以上。解散!」

 

そうしてこの日のオリエンテーションは終了した。律子が出て行った後、真と雪歩は今後の話しをしている。あずさは外に目を向けていた。伊織はやよいにレッスンに付き合ってもらうように教卓の前で話をしていた。

考え事をする者が居たり、開き直って頑張ろうという者も居たりだが教室内はあまりいい空気とは言えない。千早はその日の予定をどうするか考えていた。桜の木の傍で本を読むことは確定しているが、すぐに向かうような気分でもない。一度自室に戻るか先に昼食を摂るか、本の続きを読みながら頭の隅で考えていた。

 

やよいはリンゴを持ってどれだけの魅力でリンゴが割れるのかという集中のレッスンをしていた。

律子から出された課題で部分的に集中した魅力をコントロールするのだそうだ。

強すぎれば弾け飛んで弱すぎれば割れないという微妙なコントロールをするレッスンで攻撃型の能力者がよくやる方法だ。

 

「んん~。・・・はぁ、なかなかうまくいかないよぉ」

 

「・・・・・・。」

 

「・・・ねぇ伊織ちゃん。もう一回教えて?」

 

「別にいいけど。たまには別のやつに教わるのもいいわよ? 例えばアイドル様の千早とかね。」

 

癇に障ったのか少しだけ眉間に眉を寄せる千早は読んでいる本をパタンッと閉じて前へ出た。部屋を出るのかと思われた勢いある歩行は黒板の前で教卓にもたれ掛かる伊織の前で止まった。

 

「何かしら? 呼ばれた気がしたのだけど」

 

「あら、気のせいじゃないかしら? 誰もあなたなんかのこと呼んでないわ。アイドル候補になって自意識過剰になってるんじゃないの? 調子のいい事ね。」

 

そう言い放ち。やよいからリンゴを取り上げて掌の上でふわふわと浮かせている。

千早が部屋を出る拍子に後ろからぶつけてやろうという考えなのだろう。

 

「水瀬さん。そういう言い方は品位に関わるんじゃないかしら。もう少し配慮した言葉を使わないと失言が目立ってしまうわよ。財閥令嬢の名が泣くわね」

 

伊織の表情が変わった。単なる怒りではなくキレた。

千早を含めその場にいる全員が伊織の逆鱗に触れたことを察した。

フワフワ浮いている赤いリンゴが徐々に紫に変色していく。

微量だが、リンゴに電気を送り込んで帯電させているようだ。

 

「・・・むかつくわ。あんた。」

 

「怒るのは勝手だけれど、ふっかけたのはあなたよ。」

 

「・・・あんた何様?」

 

「・・・」

 

「なんとか言ったらどうなの・・・?」

 

「・・・・・・」

 

「・・・・・・なんで。」

 

そこに居る全員に緊張が走る。伊織の電撃なら部屋中を迸らせることは可能だ。

もし怒りが爆発したと同時に放電なんてしたら直撃する可能性も充分ありえる。

だからその場に居る伊織と千早以外の全員が放電に身構えていたが・・・。

 

「なんであんたがアイドルなのよ・・・なんで・・・。」

 

そして手の上で浮遊していたリンゴが爆発するが如く弾けとんだ。

伊織の怒りを含んだ静かな声が表情と共に荒々しく変化していく。これ以上ないほど千早を睨みつけて伊織特有の桃色に光る電撃が掌から迸る。徐々に強くなっていく電撃はまるで伊織の怒りの増減を表しているかにも見えた。

 

「認めない・・・。私は、認めない! あんたがアイドルだなんて!!」

 

「あなたが認めなくても、それを決めたのは私じゃない。私に文句をいわないで。」

 

「・・・ホンットいい度胸だわ! じゃあ今ここで決着を付けようじゃないの!! あんたの氷と私の電撃。どちらが上なのかハッキリと!!」

 

「やめてっ!!」

 

伊織が声を張り上げたのと同じくしてやよいが悲しみの表情を浮かべて伊織の腕にしがみついた。

怒りに我を忘れかけている伊織に声を大きくして説得を始めた。

 

「や、やめて伊織ちゃん!! こんな事したって結果が変わるわけじゃないよ!!」

 

「・・・やよい離しなさい。」

 

「それに能力を使ったケンカは退学処分なんだよ!? 退学になんてなったらそれこそ意味がなくなっちゃうよ!」

 

「・・・・・・」

 

やよいの必死の声に伊織は応えた。怒りに身を任せるのは自分の悪い癖だと自負しているが、やよいのことやプライドを刺激されると見境なく怒りをぶつける。

その度にやよいが必死に伊織を説得する。例えどれだけ怒りに囚われていても、やよいの声が届かなかったことは過去に一度たりとも無かった。そして今回も、やよいのお陰で退学という不名誉を回避することが出来た。

やよいが自分にやめろと言って来るのであれば聞かないわけにはいかない。それは伊織自身のプライドに関わる問題なのだから。伊織は千早の顔を再度睨みつけて無言のまま教室から出て行った。やよいも千早の顔をチラッと見て伊織に続いた。

一悶着が終わり緊張が解けた途端にそれぞれに動き出した。涙目の雪歩に慰める真。

千早に話しかける響。そして窓際に座るあずさは息を吐く千早を無表情で見ていた。

 

 

第一章

後編 

 


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