小説 眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY   作:つっかけ

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第十六章 -あの空見上げて-

星が輝く夜。微風になびく草原。取り戻した静寂と出てきたばかりの虫たちの小さな鳴き声を証拠に周囲は平和を取り戻した。

全てが終わった空の上では、如月千早が取得したてのスタンドマイクを右手で持って正面を見つめている。

何もないその場所にひとつ、深く礼をしてから地上を見渡した。

あずさと伊織は呆然と千早を見ている。真は戦いが終わったことを理解して緊張の糸が切れたのだろう。左手で顔を覆って大きく肩を震わせていた。律子は大きく息を吐いてホッとしたのか笑みを浮かべる。その横では亜美と真美が両手をを上げて大喜びしていた。我那覇さんは両膝をついて手を組んでいる。祈りを捧げるように見えるその恰好は月明かりにも照らされて凄く聖らかに見えた。

千早はゆっくり、ゆっくりと降下して地上に降りた。

少し焦げた草の上に立つ。空から見るのと地上で見るのとはやはり違いが凄まじい。

周囲の桜は根こそぎ焼け焦げ、斬り倒れ、旧校舎は跡形もなく吹っ飛んでクレーターのようになっている。新校舎もところどころ壊れ、無事な部分も大きくヒビが入って完全に立て直し案件になってしまっている。

だが、あれだけの攻防の中でよくこれだけの被害で済んだものだと感心半分と呆れ半分の感想を持つ。

 

「千早!」

 

千早に一早く駆け寄ったのは伊織だった。ボロボロで所々が擦り傷が目立ち、打ち身の痣はパッと見でもよくわかる。伊織に続いてあずさも駆け寄ってきた。伊織同様に傷だらけで綺麗な身体だけに痛々しい。

走ってきた勢い任せで千早に抱き着いた。突然のことで倒れそうになるのを何とか踏ん張る。

 

「ありがとう・・・・・・ありがとう。」

 

耳元で涙声ながらに囁く感謝の言葉に何だかむず痒くなって少し頬を紅潮させた。

その姿を見てか、伊織もやはり目尻に涙を溜めて素直な称賛の声を発した。

 

「やったのね、私たち。ホントに・・・よかった。」

 

彼女もとうとう頬に一筋、流れる雫を堪えきれずに次々と落ちていく。

この時、千早はやっと実感した。長く短く、悲しい戦いが終わったのだと。未来へと続くはずだった凄惨な物語が道筋を変えて走り出したのだと。

たまらず千早の目にも涙が溜まる。

少し息苦しくなり始めた頃合いであずさが千早を離した。その時の二人の顔を千早は忘れることはないだろう。一瞬の驚きの後に見えた異質なものを見る目。あずさと伊織が同時に千早の目の変化に気付いたのだ。右目だけが赤く輝いて今までとは違う不思議な雰囲気を感じる。それは二人とも同じように感じていて、千早であって千早ではない、という根拠もハッキリしない感覚的なもので、その感覚をうまく言葉に出来ず口篭もる。

そんな一瞬の静寂と入れ替わりで今度は亜美と真美と響が何やら騒いでいるのでとりあえず集まることにした。響の許へと歩み始めると亜美と真美が何かを言い合っていて響が頭を抱えている。

こうして観ると双子に責められている褐色少女と言う構図に妙な安らぎを感じてしまっていた。

 

「うぎゃ~~っ!」

 

響が悲鳴のような怪獣のような声を上げて頭をブンブン振り回す。それを真似るように亜美と真美も頭を抱えた。

 

「どうしたのよ、何があったの?」

 

伊織がすかさず訊いてくれたことで頭を抱える少女たちと地べたで座る眼鏡娘がこちらを向いてその異常事態を話始めた。騒ぐ三人が同時に喋るため訳の分からない音だけが耳を通り抜けて内容が全く入ってこない。

伊織が一喝して静かにさせると代表して真美に状況を説明させることにした。

 

「あれを見れば分かるよ。」

 

何とも面倒くさそうに言葉でなく視覚に説明させようと指さした先には、地面に横たわったまま目覚めぬ少女たちが居た。手前に雪歩が横たわり、その奥には伊織の大切な人であるやよいが眠っている。そしてその奥にはあずさの妹である貴音の姿が・・・。

 

「・・・ない。」

 

あずさが急激に混乱し始める。頭がオーバーヒートしたのか思考停止状態になってフラついた。

倒れそうな彼女の肩を抱くように支えたのは、いつの間にか近付いていた真だった。

 

「あずささん、大丈夫?」

 

「ま、真ちゃん。・・・ごめんなさい、・・・大丈夫よ。」

 

真の支えで何とか再び立つあずさに周囲もホッとする。こういう時には頼れるというかすぐさま駆け付けてくれると言うか、少女なのに紳士だと矛盾じみた感想を改めて持つ。

それでも変わらず混乱状態のあずさは、何故貴音だけが居なくなってしまっているのかと双子に視線で問いかける。彼女は間違いなく地下にてあずさに身体を貫かれ絶命した。死体が勝手に動くなどB級ホラー映画ではないのだから何か明確な理由があるはずだ。そしてそれについては律子が口を開いた。

 

「推測でしかないんだけど、多分未来が変わったことで貴音の存在自体にも何か変化が起こったんじゃないかしら?」

 

「それってあれだね! タイムパラダイスボックスってやつっしょ?」

 

「違うよ亜美。タイムパンドラボックスだよ。」

 

「嫌な箱ね。」

 

「タイムパラドックスだぞ。確か過去への干渉が未来を変えてしまうことだったかな。」

 

なるほど、可能性は捨てきれないと千早は頭の中でその推測が一番可能性が高いだろうと思った。

もしあずさの未来がこの世界の延長の時間軸なのだとしたら、貴音に何か影響があったことも頷ける。

 

「その、貴音さんに変化があったなら、あずささんにも何か影響がないとおかしいんじゃない?」

 

と、真が最もな意見を口にした。確かにそれならばここにいるあずさにも何か変化がなければいけないはずだ。見た感じでは特に何か変化した訳ではなさそうで、本人も変化には気付かなかった。

その謎には亜美が推測ながら答えてくれた。

 

「多分、まだ影響が出てないんだと思う。」

 

「どんな影響が出るのか予測出来たりしない訳?」

 

「で、できなくはないけど・・・。」

 

「亜美ちゃん。私が教えて欲しいの。」

 

言うのを躊躇う亜美だが、影響があるであろう本人からの申し出とあれば流石に教えない訳にもいかなかった。

聞くとあずさ自身が迷ってしまうと思ったからと言う亜美なりの気を使った行動だったが、それもどうやら意味は成さなかったようだ。

 

「・・・これも推測だけど、あずさお姉ちゃんは本当はこの時代に居ちゃいけない人なんだよね。もしパラドックスが起こった未来に戻ったら、その瞬間に・・・この時代での記憶は全部なかったことになると思う。」

 

この推測にみんなが驚きを隠せない。この時代に来た3年近くの記憶や経験が根こそぎ無くなってしまう。それはあずさにとって途方もなく酷な選択となってしまった。未来の世界が本当に変わったのかを確かめたい。だがその未来に戻ればこの世界でのことが全て消えてしまう。

いくら推測と言っても可能性があるのであれば、それを踏まえて未来へ戻る選択肢があずさにあるのか。それを問おうと伊織はあずさに向いた。

そして頭の中に出来上がっていた問いかけがすぐに消えていく。

 

「やっぱり・・・そうなってしまうのね。」

 

彼女の顔は迷いなど少しも抱いていなかった。ただ、どんなことがあろうと自分の責任を果たそうと心に決めていたのだ。そんな彼女にどうするのかと言う問いかけは決している覚悟をバカにするのと同義で、到底口にしてはいけないことだった。

 

「私、未来に戻るわ。」

 

「そ、そんな! あずささん———」

 

「響!」

 

伊織の声が響く。静まり返る周囲の音は風と葉音で月夜には相応しい。

みんなにしてみれば当然ながら、この世界での思い出が消えると言うのに、迷いなく簡単に決めてしまえるものなのか・・・とも思わなくもない。だが、未来を変えたいがためにこの世界に来たという大きな事柄に対して自分たちとの思い出を秤にかけるなど出来はしない。あずさも本当は記憶や経験を消したいとは思っていない。でもわざわざ秤にかけないのは迷いたくないからだ。その気持ちを酌まなければみんな笑って彼女を送り出せなくなってしまう。

それが一番酷であると、伊織は思った。

 

「迷わせちゃダメよ。あずさの決意を無駄にするつもり?」

 

「でも! ・・・でも。」

 

響の目から涙が零れる。人一倍、人との繋がりを大切にしている彼女があずさの記憶と未来への帰還を悲しまない訳がない。心の準備も整わないまま別れることになってしまうのは誰にだって堪えがたい。

そんな別れの悲しみは時間が解決してくれる、などと言う者もいるが、時間が解決すると言うのは単に忘れてしまうということだ。人は時間が経つにつれ古い記憶は軒並み忘れていく。大切な人との思い出を忘れないようにするには、その人との思い出を時折思い出すことだ。それだけで、その人も自分も笑顔で居られるだろう。

だからこそ、最後の思い出は悲しい顔ではなく笑顔で別れなければならないのだ。

 

「ありがとう響ちゃん。伊織ちゃん。・・・みんなには申し訳ないけれど、それが私の選択なの。」

 

伊織は心の底から感服する。この言葉だけで、引き留めようなどと言う無粋な真似をする微かな気持ちもなくなった。そして彼女が初めから持つ信念と共に自分の場所へと戻るのであれば、自分も前へ進まなければいけないと固い決意を抱く。

 

「亜美、真美。あずささんを未来へ戻してあげて。」

 

「でも、魅力がまだ・・・。」

 

「大丈夫よ。」

 

千早は亜美と真美の手を握って意識を集中させた。うっすら視覚化されるほどの魅力が身体を纏い、ゆっくりと二人に移っていく。青色ではなく桜色の魅力は繋いだ手から黄色く変わり亜美と真美の身体へと入っていく。

 

「こ、これ・・・。」

 

「はるるんの・・・?」

 

春香の能力である『支配』。彼女との融合は彼女の能力も受け継ぎ、更に長樹の桜の魅力をも受け継いだ。今の千早の中には自然や太陽、月光から魅力を吸収してくれる桜の魅力と繋がっている。そして眠り姫となり能力が変化してしまったことで元から持つ防御の能力は強化され絶対無敵の盾と化し、攻撃力は申し分ないほどの威力を持ち、『支配』の能力で相手の魅力を吸い取ったり譲渡したり融合したりと、魔王も泣いて謝る勇者状態と言う最強のアイドルが誕生してしまった。

そこまで理解した律子が満足そうな顔をして千早に近づく。

 

「これで魅力の心配はないわね。さ、帰るわよ!」

 

「じゃあ、あずさお姉ちゃんから送るね。未来の世界は変わってるだろから、イメージしないで。代わりにあずさお姉ちゃんがよく知ってるお姫ちんを心に思い浮かべて。」

 

「真美がお姫ちんのところに降り立たせてくれる。亜美は80年後の未来へ跳ばしてあげるね。」

 

亜美と真美が両手を前に突き出して身体から黄色の魅力が視覚化される。ボルテージ現象ほど沸き立つものではないので能力を使うときの現象なのだろう。徐々にあずさの身体が白く光り始める。あずさは千早と伊織に向き直った。

 

「千早ちゃん、あなたにはどれほど感謝しても足りないくらいの希望を貰ったわ。伊織ちゃんも、一緒に戦ってくれて本当に感謝してます。二人とも、ありがとう。」

 

「あずささん、お元気で。きっと、良い未来が待ってます。お幸せに・・・。」

 

「あんたのゆったり口調がもう聞けなくなると思うと清々するわ。・・・・・・元気でいなさい。」

 

二人と短い抱擁を交わす。

あずさは心地いい幸せを感じていた。引き留めたいだろう二人は笑顔で送り出そうとしてくれている。本来ならこういった形で家族が送り出してくれるのだろう。新たな門出を初めて祝ってくれる人たちの事を、未来に戻っても決して忘れまいと思う。

もう少し別れの感慨に浸っていたいが、彼女にだけは言わなければいけないことがあった。

 

「真ちゃん・・・あなたたちを戦いに巻き込んでしまったのに、雪歩ちゃんを守れなくて・・・本当に・・・ごめんなさい。」

 

「あずささん・・・。」

 

こればかりは誰も慰めの言葉を軽々しく口には出来ない。美希の攻撃を防ぎきったと思い油断したために目の前で流さなくても良い血が流れ、果てに萩原雪歩はその純白の戦闘衣装を真っ赤に染め上げ命を落とした。

守れなかったという点では千早が一番責任を感じている。

そしてその場に居なかった伊織はやよいの死を経験している分、真の気持ちが痛いほど分かる。伊織は自らやよいを手にかけてしまった。真にとって雪歩は誰よりも守りたい存在だったはずだ。眠り姫を解き放ってしまった伊織からすれば、間接的にだが雪歩を殺したのは自分のようなもの。例えいつか伊織じゃない誰かによって眠り姫が解き放たれたとしても、それを言い訳には出来ない。この罪はあの世に行って雪歩に謝罪するまで背負わなければいけないなと、密かに思う伊織だった。

 

「・・・あずささん、ボクはあなたを責める資格はありません。ボクは雪歩を守れなかった。なのに人を責めるなんてこと、それこそ雪歩に怒られてしまいます。」

 

「真ちゃん・・・。」

 

「雪歩が死んで、ボクの中で大きな変化があった。今までずっと赤かった炎は青くなって更に熱くなった。眠り姫に太刀打ち出来るほどの力を、雪歩がくれたんです。」

 

掌から炎を出す。小さく揺れる炎は月の光でも判るほどの深い青だった。勢いよく炎を握りつぶす。

千早は真が何を言いたいのかが何となくわかった。赤から青へと変化したのは炎だけではなく、心がその色に変わったのだ。赤く熱い炎ではなく、青く静かな炎へと。

彼女の死が真を成長させた。それは、雪歩が命と引き換えに真と伊織、そして世界の命を繋いだのだ。

高槻やよい。彼女も伊織の力を覚醒させる発端になった。それはまるで甘えていた親が居なくなって巣立つ鳥のように逞しく、守るべき対象が変わった伊織は死したやよいに成長した姿を見せようとするように皆と協力して戦った。二人の命が未来への懸け橋になった。

すべての発端である貴音も、やり方が間違っていたが運命を変えようと美希に対抗するため制御できる眠り姫を作り出そうとしていた。その貴音を手にかけたあずさは妹と友人二人の死をキッカケにかつての自分を取り戻した。死が渦巻く世界での立ち向かう意思。その意思はこれ以上誰も死なせないと言う決意に変わり美希と戦えるまでに成長した。

伊織が春香と千早の時間を稼ぎ、その伊織が危機の時は真が守り、伊織と真が危機に瀕したときはあずさが助ける。そして春香と千早は世界の未来を救った。それは多分、あずさの世界も。

死した者も生きた者も誰一人欠けてはいけない戦いだった。

 

「結果的に世界は救われました。だから・・・雪歩には、 ”ありがとう” と言ってあげてください。」

 

明るく、しかし笑顔のまま頬を滑るものを見てあずさも同じく笑顔で雫が頬を伝う。

そうだ。最後の別れくらい暗い顔をしていてはいけない。それが例え生者であろうと死者であろうと、そこに感謝があるのなら言うべき言葉は”ありがとう”だ。

 

「そうね・・・。真ちゃん、雪歩ちゃん。そして、律子さんとやよいちゃんも・・・。ありがとう・・・ございました。」

 

真と律子の顔を一瞥して今は目覚めることのない友人二人に深く長い一礼をして、顔を上げる。そこにはもう涙はなく、満面の笑顔に包まれた美麗な女性が居た。お腹の前で組んでいた手をそのまま胸の前に持ってきて、みんなの顔を忘れないように瞳に強く焼き付けた。

身体がどんどん白く光り輝いてきた。もう時間がないことをその場の全員が察した。

 

「みんな、本当にありがとう。・・・元気でね。」

 

未だ涙を流す響に向いたあずさは、少し子供っぽく愛情に満ちた笑顔を見せた。

その顔を見て響の涙も止まった。

 

 

 

「会えて良かった。ありがとう、響おばあちゃん!」

 

 

 

最後と言わんばかりにあずさの全身が白く輝く。その光は空へと飛び立ち、光の柱となって夜空へ消えていった。

響は握った手をソッと胸に置いて、何かが報われたように小さく微笑んだ。

 

「・・・さて、それじゃ私も帰らせてもらうわね。亜美、真美、頼んだわよ。」

 

「待って!」

 

意気揚々と律子が自分の世界へ帰還しようとするところで、まさかの待ったをかけられた。

彼女の顔は、特別な何かを決意していた。ゆっくりと律子の前に立つ。そしてまさか、プライドの高い彼女が深く頭を下げて胸の内にある言葉を口にした。

 

「私も連れて行ってちょうだい。」

 

「・・・なんのために?」

 

「わからない。けど、そうしないといけない気がするの。」

 

頭を上げた伊織がもう一度、律子の顔を見る。律子も伊織の目を見て本気であると感じ取った。何かはわからないが強い目的があるように思える。

 

「伊織も・・・行っちゃうのか?」

 

「ええ。」

 

「高槻さんのためかしら?」

 

その言葉に響は驚き伊織の顔を改めて見る。伊織も言い当てられたからか驚くような呆れるような顔で千早に返答した。

 

「まったく、あんたには敵わないわ。聞けば律子はこの世界とは違う時間軸の世界に居たらしいじゃない。なら、亜美と真美に頼まない限りこの世界とは不干渉になるわけよね。」

 

「そだね。」

 

あずさを送り終えた二人が手を下ろして若干の休憩をとる。魅力の消費が激しく額から汗が流れ落ちていた。

千早も二人に魅力を送り続けている。『支配』の能力が無ければどれ程時間がかかることかと、汗を拭いながら溜息が出そうになるのを何とか堪える双子だった。

 

「未来や過去にも跳ばせて時間軸の違う平行世界にまで跳ばせるのは世界中探しても真美たちだけだよ?」

 

「時間跳躍は亜美の仕事だけど、平行世界の移動は次元的に空間操作できる真美の仕事だし。」

 

律子は顎に指を置いて、なるほど・・・と呟いている。響もこの手の本はよく読んでいた方でSFチックな話には軽々とついていけていた。しかし千早に至っては何とかついていけているレベルで時間跳躍や平行世界などの話は分かるが、あっちの世界やこっちの世界が時間軸の不干渉だけどと言う触れることの少ないワードに少し混乱気味になっていた。アイドルになってもボキャブラリーは変わらないなと思わぬ弱点を発見して少し馬鹿らしく笑いそうになる。

 

「律子に能力を教わりながら私も能力者を育てたいの。もちろん、正しくね。そしていつかどこかで生まれる私とやよいを守りたい。それが理由よ。」

 

千早は何とも伊織らしいと思った。一時は見損ないもしたけれど、やはり彼女は沈んだ顔より自信に満ちた顔の方が似合っている。あずさのことで伊織も思うところがあったのだろう。自分なりに前へ進もうとしている。

伊織が無言で歩き出す。そして向かった先は高槻やよいの傍だった。そのまま腰を落としてその亡骸を持ち上げる。華奢な腕でやよいを持ち上げ、お姫様抱っこ状態になって再び律子の許へ戻った。

 

「この子はあっちで埋葬する。もしも未来でやよいに逢えたとしても、私にとってのやよいはこの子だけだもの。」

 

「・・・良い墓を作ってあげるわ。亜美、真美!」

 

「「あいあいさー!」」

 

あずさの時と同じように二人は両手を前に突き出した。

100年前の別次元に送るのだから、あずさを送ったときよりも魅力を消費することは容易に想像できる。千早もより集中して二人に魅力を送った。

律子たちの身体が白く光り始める。

それを合図に真が伊織に握手を求めた。差し出された右手を照れ臭く一呼吸置いて握り返す。

 

「伊織、よくケンカもしたけど良い友人に出会えた。もしあっちの世界のボクたちに会ったら、良くしてやってよ。」

 

「何年先だと思ってんのよ。だけど、このスーパー美少女の伊織ちゃんに任せなさい! 必ず見つけて面倒を見てあげるわ。にひひ。」

 

「伊織!」

 

響が駆け出した。走り寄った彼女は伊織とやよいを一緒に強く抱擁する。思えばこの三人はいつも一緒にいた。朝はパンと紅茶で一緒に食事を摂り、尽きない話に花を咲かせ、休日に14里も離れた街へ遊びに行ったり、夜はそれぞれの部屋でお泊り会。この学院で誰よりも仲の良かった彼女たちが簡単な挨拶だけで終わるはずがない。

最後の抱擁と言葉もあって、ありったけの感情を乗せて響が伊織の耳元で囁いた。

 

「伊織・・・・・・ありがとうだぞ。」

 

これ以上ないほど心のこもった友人の感謝の言葉を通じて伊織の中へ流れ込む。堪えきれるはずもなく伊織の心があらゆる感情を爆発させ、顔をくしゃらせて涙を見せた。誰だって友人や親しいものとは別れたくなどない。けれど、それぞれの道を進むにつれて必ず違える。その違え方が今生の別れと同義なのだとすれば、いくら伊織でも気持ちを抑えておくことなど出来ない。

響の言葉で難なく決壊した涙腺からは止めどなく、あたたかい雫が溢れていた。

 

「響、ごめんね。こんな別れ方でごめんなさい。だけど私、行かないといけないから。ここで行かないと、きっと後悔するから。絶対忘れない。みんなのこともあなたのことも。ずっと! ありがとう!」

 

「伊織、自分も絶対忘れないぞ! 楽しかった。ありがとう!」

 

「うん。・・・・・・千早!」

 

響の抱擁越しに伊織の目は千早へ向いた。

この時の伊織の目を千早は一生忘れることはない。涙に滲む自信と不敵な目は、この学院に来て誰よりも衝突して誰よりも憧れた水瀬伊織そのものだ。そんな彼女が旅に出ようとしている。二度と再会することのない果て無き旅路へ行こうとする彼女の最後の言葉を心して待った。

 

「この世界を、頼んだわよ。」

 

一層強い光に包まれて、響の腕を擦り抜け空高く飛び上がり、水瀬伊織は新たな世界へ旅立った。地面に膝と手をついて蹲る響を真は、その両腕で優しく包みこみ泣かせた。落ち着かせようと、まるで子をあやす様に頭を撫でる。

 

「真はどうするの?」

 

「ボクは・・・故郷に帰るよ。雪歩を連れて。」

 

「大丈夫なの?」

 

「大丈夫・・・じゃないだろうね。雪歩の親は町の統治者だ。父さんもボクも町を追い出されるだろうね。どれだけ責め立てられるかはわからないけど、そんなのは何てことない。」

 

やはり前のような陽気さがない。今の真を一言で表すなら”一匹狼”がピッタリだと言うほどにクールな性格になっていた。笑顔を見せず、今にもどこかへ行ってしまいそうな雰囲気を出している。

さっき心の色と魅力や炎の色が同調していると思ったが、あながち間違いでもなさそうだ。真の心は雪歩が死んだことで一度壊れて再び息を吹き返した。その時、もしかすると色んなものが抜け落ちたのかもしれない。表面上の変化で分かりやすいのはやはり明るさだろう。今の真を人に見せて、とても明るい乙女チックな娘だったのだと言ったら思わず嘘だと言われそうなほどだ。

 

「ボクは雪歩を届けたら、どこかでひっそりと生きていくよ。もうアイドルになる理由がないし。」

 

真は落ち着いてきた響を離して最後に頭にポンポンと手を乗っける。

立ち上がった真は雪歩の許へゆっくり向かう。そして月の光に照らされたその光景はさながら眠る姫君を抱き上げる王子と言ったところか。物語であれば良い幕引きにでもなるのだろうが、現実としてはこれほど悲しいことはない。

数秒、雪歩の顔を見てから月を見上げる。何を思ったのか、それを訊くなど野暮ったいので千早はその衝動を無理矢理静めた。1分ほどその場で立ち尽くした後、雪歩と共に千早に近づく真は目を伏せている。

 

「じゃあ、ボクたちは行くよ。」

 

「そう・・・達者で。」

 

「きっとまたどこかで会うだろう。響も亜美も真美も、君たちはボクたちの数少ない友人であり恩人だ。いつまでも元気でいて欲しい。・・・またね。」

 

彼女は歩き出した。今となっては真の心はわからない。あの頃の分かりやすいくらいの真に戻ることはもうないだろう。これから先、彼女に待ち受けるのはきっと過酷な道だ。その先に幸せがあることを祈って見送る。

響もいつの間にか涙を止めて真の背中を見送っていた。

 

「いいの? 何も言わないで。」

 

「また会えるって言ったんだ。あずささんや伊織とは違う。また会える。なら、その時に話すさ。・・・それに頭をポンポンされた。表情はあんなでも根っこは全然変わってない。優しい真のまんまさ。」

 

「・・・そうね。」

 

後ろから草を踏む音が二つ。亜美と真美はこれからどうするのか。貴音に見つかる前の二人がどんな生き方をしていたのか分からないし、操られていた二人はこの世界で生きていく術を持たない。

そして浮遊術などの基本的な能力すら出来ない二人は完全な陸路で移動することになる。

 

「亜美、真美、二人はどうするんだ?」

 

「真美たちは世界を見て廻るよ。400年前と違って面白そうなモノがいっぱいありそうだし。」

 

「・・・二人は400年前の人なの?」

 

思わず訪ねてしまう。どれだけの時間を生きているのかは気になっていたけれど、まさかそこまでだとは思ってもいなかった。400年前と言えば歴史上この世界が大きな大戦に見舞われていた頃だ。

能力者も一般的ではなく、魔女狩りと称し能力者を無差別に処刑したと言う時代。その時代を生き抜いてきた二人にしてみれば、今は平和なことこの上ない。

楽しみで仕方がないと言わんばかりの笑みを見せ、二人で顔を見合わせて笑い合う。

 

「そうだよ、ビックリしたっしょ。まぁ昔のことはもう断片的にしか覚えてないけどね。」

 

「昔みたいな危険はなさそうだし、今度こそ思いっきり楽しんじゃうもんね!」

 

こうして見ると、年相応の少女なのだと思わされる。常に持ち続けている童心に火が付いた二人はこれから何をするかや何処へ行くかと、まるで旅行の行き先を決めるように幸せそうな笑顔がとても輝いていた。

しかし、二人はスッと残念そうな笑みを浮かべて千早と響に向き直った。

 

「・・・千早お姉ちゃんもひびきんも、元気でね。」

 

「・・・もっとお話したいけど、長くなると別れが辛くなるし亜美たちも、もう行くね。」

 

少しの静寂が訪れる。二人が歩を進めようと足に力を入れたとき、それよりも先に千早の足が前へ出た。迷いのない足取りで亜美と真美の前に立つと、そのまま二人を抱き締める。

 

「この世界はまだまだ安全じゃないから、気を付けてね。・・・ありがとう。」

 

「助けてくれてありがとな。また会おうね。」

 

千早に続いて傍に来た響は抱き締められた双子の頭をソッと撫でて別れの言葉を口にした。亜美と真美は照れ臭そうに頬を少し紅潮させて笑う。

千早が二人を解放して頭を撫でる。

 

「えへへ。なんか照れるね。」

 

「そだね。今日のこと、真美たちは絶対に忘れないよ。」

 

「「ありがとう。絶対、また会おうね!」」

 

幼いながら遥かに歳上の彼女たちは、子供がはしゃぎ追いかけあうように楽しみながら走っていく。

手を振る彼女たちが見えなくなるまで、こちらも手を振って応える。

残された千早と響は無言のまま強めの風が草木を騒がせ、少し冷える春の夜風に今日と言う日の思いを馳せる。

みんながみんな、それぞれの気持ちと覚悟を持って歩き始めた。未来、過去、そして現在。幾重にも折り重なる平行世界は一分一秒が違う世界。みんなが口にして言う『if』の世界。それが平行世界だ。

それは自分の生き方次第で何にでも変わる世界。

その世界にみんな生きている。

 

静寂の中、隣で哀愁帯びる同じ歳の褐色の少女はこちらに手を差し伸べ、千早はその手を優しく握り返した。

その手は少し震えていて、放したくないと言う気持ちが密かに伝わる。

 

「千早も行くんだろ?」

 

「ええ。いつまでもこうしていられないもの。」

 

「そうだな・・・ちょっと早い卒業さ。」

 

手を放して両手を頭に組む響は空を見る。あれだけ黒に染まっていた空は少し白みがかってようやく長い夜が明けようとしていた。

恐ろしく長かったのにその間はたったの5時間程度。本当に苦しく悲しい夜だった。それが今終わりを告げ、新たな朝が始まろうとしている。

 

「その・・・千早はこれからどうするんだ?」

 

「私は・・・世界を変えてみようと思ってる。」

 

「世界を?」

 

先日の昼に春香との話を思い出す。貴音はこの世界に来て美希を倒すために眠り姫を自ら作り出そうとしていた。この世界で美希と同じ眠り姫を作り出し、亜美と真美の力で未来へ戻って討伐すると言う計算上では不可能ではないその企み。それが原因で未来が崩壊すると言うことも頭に過らず後悔の人生を歩むことになってしまった。そんな貴音の企みを利用しようとしていたこの国をみすみす放っておくことなど出来ない。

間違った教えを受けたアイドルは今も国に従事し、人によっては戦いに身を投じている。しばらく小規模の戦いが何年も続いているが、これがもし世界的な戦いに発展してしまわないように、世界を変える。それが今の千早の目標になった。

 

「世界には悪も貧困も大きく渦巻いてる。それを可能な限り減らしたい。そして春香、美希、萩原さん、高槻さん。死んで行った人たちの分も困ってる人の助けになりたい。みんなの描いていた夢も、希望も私が全て未来へ持っていく。みんなが笑って過ごせる世界にしたい。そう思うわ。」

 

響には、それが千早であれば可能だろうと思った。並みの人間やアイドルでは到底できやしない。思いもつかないようなその考えに未来を見た気がした。みんなが笑って日々を過ごせる世界を。

そこでようやく、一つの答えが響の中で生まれた。

 

「そっか・・・。ひょっとしたら、それがアイドルなのかもしれないね。」

 

「どういうこと?」

 

「千早の中で夢や希望が生まれたみたいに、色んな人たちに夢や希望、生きるための笑顔を与える。そうすれば、例え死んだとしても受け継がれた夢や希望は誰かの中に残り続ける。誰かの心に残ること。誰かの記憶に残り続けること。誰かを笑顔にし続けること。それがきっと、アイドルなんだよ。」

 

響の思いもよらない言葉に少し胸が締め付けられるようだった。

あの時、春香と律子のおかげでアイドルを目指したキッカケを思い出し、決意と覚悟を持って新たな気構えで美希へと臨むその時、春香と話したことがフラッシュバックを起こす。

 

『・・・あ、春香。』

 

『ん?』

 

『アイドルとして大事な2つ。人の心と共にと・・・あと一つは?』

 

『ふふ・・・それはね。』

 

 

 

『”色んな人たちに笑顔を与え続けることだよ!”』

 

 

 

数秒、記憶の回想に少し微笑む。もうその会話が遠い昔のように感じて、少しセンチメンタルになってしまった。

その答えを自ら導きだした響に強い敬意を表する。優しく人を思いやる彼女だからこそ行き着いたアイドルにとって大切なもの。その考えを世界に広められれば、きっと未来は明るいはずだ。

 

「・・・なら、みんなアイドルね。」

 

「そうさ。みんなアイドルだ!」

 

二人で笑い合う。この答えは千早にとって一つの救いとなった。数奇な運命の渦に巻き込まれた12人の少女たち。その中で自分だけがこれだけの力を手にしたことに少なからず戸惑いはあった。美希を止めるのは到底自分などではないと本気で思っていたのだから。しかし普通に老いて死ぬことのない人生となった千早には死んで逝った者と生き残った者の意思を継ぐと言う道を選んだ。悲痛な運命のレールはこれからも続くだろう予感はある。だが今の響の言葉で千早は自分が死なない限り、今夜この場で戦った者達を誰一人として忘れなければみんなが千早の中で”アイドル”として生きていられる。そのことは今の千早にとって先へ進むための足枷の鍵となって重い鉄の輪は外れて地に落ちた。

心が軽くなるのを感じながら、今度は千早が響に同じ質問を投げかけた。

 

「我那覇さんはこれからどうするの?」

 

「・・・・・・自分は今回の戦いで、いろんなことを思った。やよいや伊織のこと。雪歩が死んだときやその時の真。春香に美希やあずさや貴音。ティーチャー律子。みんなが自分の大切なもののために戦った。それはとても大事なことで、とても尊いことだと思う。ティーチャー律子みたいにはいかないけど、人の心の在り方をこれから生まれてくる子供たちにちゃんと教えてあげたいと思うんだ。」

 

響もちゃんと自分の考えを持っていた。そして千早は思う。白い大きな建物の広い庭先。その場所で子供たちに囲まれながら本を読み聞かせる白いローブを来た優しい笑顔の老婆の姿。肩にはハムスターが乗っていて前後に揺れる安楽椅子に座っている。きっとそんな未来が彼女のたどり着く人生の末端だろう。

そんなことを想像して目尻にジワッと来るものを感じつつ響に微笑みかけた。

頭の後ろに両手を組んで笑顔の彼女を一生懸命、目に焼き付ける。

 

「そう・・・・・・。あなたの戦いは、まだ続くのね。」

 

「どの道長い人生だし。こんなに大切な目標も出来た。自分的には望むところさ。」

 

「強いわね。でも、とてもあなたらしいと思うわ。」

 

「さっき散々泣いたからな。でももう、くよくよしなんてしてらんない。みんなのために、自分も出来ることをする。」

 

とても固く強い決意を千早は感じた。響は元々戦闘が好きじゃない。むしろ嫌いでアイドルになったら戦場には立たずティーチャー律子のように後続を育てる仕事をしたいと言っていた。それが今、子供たちをはじめ様々な人たちに心の在り方を教えようとしている。

彼女なら出来ると、そう思わせてくれるほどの自信に満ちていた。

そんな響を見て、もう大丈夫ね。と一人残していく響の心配も消えた。名残惜しくはあるけれど、千早の時間がどれほどあるのかもわからない中、ジッとしてもいられない。それを響も感じて、微笑む。

最後と言わんばかりに重みのある足を動かして響に近づいた。そのまま力強く、しかし優しい抱擁を数秒交わして離れた。

 

「頑張ってね。あなたならきっと出来る。・・・元気で。」

 

「うん。今までありがとう。・・・バイバイ。」

 

「さようなら。」

 

千早は身体を浮かせる。響に背を向けて東の空へと身体を向ける。その瞬間に顔を出し始めた太陽の光を一身に浴びながら響の声を後ろに飛び続ける。

 

「千早ぁー!! また・・・また、会いに来なよー!! 自分達、いつまでも友達だからなぁー!!」

 

千早も響も込み上げる涙を拭い去り、青い空を見上げながらそれぞれの旅路についた。

たった一つの夜の出来事で何もかもが変わってしまった彼女たちの行く末は、この太陽の光のように明るい道が続いている。

一人はひたすらに太陽へと飛び続け、一人はその姿が見えなくなっても手を振り続けた。

瓦礫の中から一枚の紙が風に飛ばされて空へと舞った。所々がカビや虫に食われて読めない箇所が多いその紙が、徐々に変化して少し古びて端っこが茶色く変わった紙に変わる。

そこには今まで書かれていた言葉は一つもなく、全く別の言葉が書かれていた。

 

 

世界は広く、人の人生の時間だけでは到底成し得ないことが星の数ほどある。その中からたった一つの道を選ぶ難しさと厳しさをこれから彼女たちは全て経験するだろう。

それでも大切なものを心に持ち続け、励みになる何かを、自分が大切だと言う明確な何かを持つことで道は常に永く続いていく。時には揺らぐこともあるだろう。しかしそれを乗り越えても尚、心に持っている者こそ、人を幸せにする”アイドル”である。

 

記:水瀬 伊織より

 

 

 

 

第16話

 

 


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