小説 眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY 作:つっかけ
月明かりが地上をまるで昼間のように照らす。
いつもに増して巨大な月はこの戦いを見守る、まるで神のような存在だ。
しかし、厳然としてそこにあるのはただ見守るだけの月。助けてくれるわけでもなく、ただそこにある世界の行方を傍観する。だが、それがこの世界の神だ。
本当にそれが神だと言えるのだろうか。いや、きっとそれが神なのだろう。
手を出さず、口を挟まず、しかし目を瞑ることもしない世界の創世者。
こんなちっぽけな宇宙のちっぽけな星のちっぽけな生き物が戦っていたところで神には気にも留めない。
我々人間がアリとアリの戦いを見ても戦っていることすらわからない。戦っているのが別のアリでも気づきもしない。別にそれに手を出すつもりもない。たまに気まぐれに巣を潰したりアリを潰したり、飽きたらまた傍観。どうでもよくなるとその場を離れる。
きっと神も同じだろう。人間が死のうが人間の世界が潰れようが神にはどうでもいいことなのだ。
だからただ傍観するだけ。必死に戦う人間たちの命が、世界が、未来がかかった戦いでも。神は無関心なのだ。
ただ、それでもたまに助けてくれる時もあるのは事実だ。
他のアリに食べられそうな生き物を助けて安全な場所までもっていく。
そんな気まぐれがあの時に起きれば・・・そんなことをつい思ってしまう。
なんであの時、助けてくれなかったの。神様?
そう思わずには、居られなかったの。
私の前に真が立っていた。正確には浮いていただけど。
4,5メートルと言ったところか。私からその程度の距離しかないのに、月明かりで青く照らされる真は神秘的と言ってもいいほど画になっていた。握り拳は腰の横に置かれ、回避して飛び上がった美希を強い眼差しで見つめている。
今までどこに居たかもわからない真の攻撃が美希に回避させた。
近距離で放つ私の電撃ですら身体で受けてそのまま攻撃してくるような奴が避けた。
さっきの青い炎は幻でも偶然でもない。正真正銘のこの子の攻撃。
あの夕陽のように眩しく血潮のように赤かった灼熱の炎が、まさか雲一つない青空より青く迸り何でも溶かしてしまいそうな程の熱量を持つなんて、一体何があったと言うの?
真の能力が変化したのか、何故ここに居るのか。今まで何処に居たのか、どれも何もわからなかった。
ただひとつ、私がわかったのは。
また、命を拾えたと言うことだけだった。
「真・・・あんた、なんで?」
「・・・なんて顔をしてるのさ。らしくもない。」
「う・・・。」
身体を軽くこちらに向けた真の言葉に声が詰まる。
それはそうだろう。だって、自分でだってどんな顔をしているのかなんてわからない。でもそれ以上に恥ずかしかった。真に照れているのでは決してない。生きることを諦めたことにだ。
やよいにケジメをつけると言ったけれど、それが仲間に大見えきって死ぬことだなんてありえない。あってはいけない。それはただの責任を放棄することと同じだ。
そんなことしたらやよいに怒られる。
今の真の言葉で気付いたことだけど、私はこんなにも卑屈になったことはない。いつでも、どんな時でも不安と一緒に自信も満々で挑んできた。そして私はいつだって勝ち残ってきた。
どこからこんなに怖くなってしまったのだろう。
私の自信は、プライドは、努力は、こんな安っぽい恐怖や痛みに負けるほどちっぽけだったのか。
・・・冗談じゃないわ。
今までの努力も気持ちも自身だって、どれだけのものを引き換えにして今の私があると思ってるの。
この程度で怖気ずくなんて、そんなの私が許さない!
これじゃ私に憧れていたやよいと千早に申し訳がないじゃない。
ふざけるんじゃないわよ!!
「なんだ・・・いつもの顔に戻ったじゃないか。伊織。」
「ふん、余計なお世話なんだから。でも・・・・・・ありがと。」
真とは仲は悪くないけどよく口喧嘩をしていたから普通に礼を言うのはこれが初めて。よくよく考えてみたら千早ともケンカ、真ともケンカ。やよいのことにも気付いてあげられなかったし、つくづく自分のことしか考えてなかったんだなと自分に呆れてしまう。
こんな自分をずっと傍で支えてくれていたやよいにもう一度強く、今までで一番強い気持ちで感謝した。
ありがとうと、やよいを見て口に出そうとしたのに、呼吸も忘れて別の言葉が口から出た。
「・・・・・・真・・・あんた。」
「・・・・・・。」
後ろから歩いてきた真は私たちの隣を通り過ぎて、高槻さんの傍でしばらく動かなくなる。
20秒ほどでようやく動いた真はその腕に抱えた彼女を下した。
私の目の前で腹部を貫かれ、さらに追い打ちで上空から吹き飛ばされた彼女は無残としか言えない姿になっていた。純白だった戦闘衣装も胸部にまで赤黒く染まり、息絶えているにもかかわらず汚れ一つないその顔とはあまりにもかけ離れた姿だった。
ゆっくりと彼女を下した真は空に向かって一層強く睨みつける。そして空へと飛んだ。
奥に貴音さん。その手前に高槻さん。そしてその手前に・・・。
「萩原さん・・・。」
純白の戦闘衣装に高く澄んだ声。屈託のない笑顔と真のことを熱く語る彼女に気おされたり、男性と犬が嫌いで我那覇さんのいぬ美によく追いかけられて悲鳴を上げていた。か弱いを体現したような彼女の能力のコントロールには自然とため息が漏れたこともあった。水を扱うという繊細で多様な能力にうらやましいと思うこともあった。みんなの前で能力を披露しては恥ずかしがっては穴を掘って埋まろうとする彼女。
もうどれ一つも見ることが出来ない。
「・・・ごめんなさい。」
一言つぶやく。
その声は呻く律子の傍で発せられた。
「・・・ごめんなさい。ごめ・・・なさい・・・・・・・。」
肩が震えている。頬から顎にかけて流れる水滴。その主は今までに見たこともないほど痛々しかった。もちろん彼女が悪いわけではない。それでも水滴が止まらない。
あずささんはきっと、今こう思っているだろう。
『何も変わっていない』と。
未来で物心ついた頃から能力を鍛えてきた。未来の眠り姫に太刀打ち出来ず、両親を失い、師を犠牲にして過去に戻り、眠り姫の復活を阻止するどころか倒そうとしても手も足も出ない。あずささんのこの2年間。いや、人生は一体何のためにあるのだろうか?
2年間共にした同年代の友人を巻き込み、狂気に取り込まれた妹を自らの手で殺め、なぜ彼女がここまでの悲劇に見舞われなければいけないのか。それが運命というにはあまりに残酷だ。幸せに生きる権利すらもないと、神に烙印を押されたような人生。そう考えてしまった今、彼女のこの2年はどんな気持ちだったのか。想像に難くない。
戦っても守れず、守りたくても戦えない私たちは、目の前で消えていく命にどう報いればいいのだろう。
一体どれほどの涙を流さなければいけないの。
ほんの数時間で何度も命の危機を経験し、ほんの数時間で学び舎を失って、ほんの数時間で友人を・・・仲間を2人も失った。
日付が変わったと同時の開戦。今はまだ空すら明るくならない時間。たったそれだけの時間しか経っていない。
たったそれだけの時間で失うものがあまりのも多すぎた。
「・・・あずささん、交代しよう。少し休んだ方が良いぞ。」
見ていられなかったのか、近づいた我那覇さんがあずささんと交代を進言した。
声もなく入れ替わる二人は、あずささんはその横で顔を両手で覆って声もなく肩を震わせた。
我那覇さんはそんなあずささんを見て涙目ながら律子の両腕を押さえる。律子自体も出来るだけ腕を動かさないよう意識しているだろうけど、痛みが酷いのか時折上半身が跳ね上がる時がある。
亜美の汗量もかなりのもので地面の色が変わっているほどだ。それほどまでに緻密な作業をするような子には見えないのだけど。腕はようやく肘まで到達したところで、あと数分ほどで治りそうだ。思ったより早い回復に驚きはするけどこの状態の律子と亜美を戦闘に参加させるわけにはいかない。二人とも体力の消耗がかなり酷いのだから当然。律子は万が一の時に美希を止めるための貴重な戦力なのだから。
しかし、これほどの能力差があるにも関わらずまだここで食い止められているのは奇跡と言ってもいい。
春香がまさか、眠り姫である美希と同等の力を有していたから戦いが大きく崩れることなく続けられていた。
100年前の在学当時、恐ろしいほどの努力を重ねたに違いない。それはとても学院を卒業したばかりの女の子の武器捌きとは思えなかった。そして美希も同じく、惚れ惚れするほどの武器捌き。きっと数えられないほどの訓練を二人で積み重ねたのだろう。
高槻さんを護りながらその戦いを見ていた私はこんな印象を受けた。
それはまるで、二人が月夜の晩に久しく遊んでいるように。
律子とあずささんの話が本当なら、春香はこの世界にとって何より重要な役割を担っている。
そして春香を実体化させている我那覇さんも、何としても守り抜かなくては。
「・・・春香。これから話すことをよく聞いてほしい。」
つらい現状を慰めたいのは私もだけど、話さないことには前に進むことも出来ない。今、世界の未来を勝ち取るために後ろを向くのは後回し。嘆き悲しむのは、あとでも出来る。
「春香、律子とあずささんの話を聞く限り、どうやらあなたはこの世界でしか存在していないみたいなの。」
「え・・・と、それはどういう・・・?」
「あ・・・端折りすぎたわね。律子の世界ではあなたは居ない。律子にすら出会っていない。そしてあずささんの世界で春香は伝えられていない。よって、あなたは美希と戦っていない。つまり今、あなたが美希と戦っている世界はここしかないのよ。」
「なっ!?」
当然、こんな話を聞いて驚かないわけがない。別の世界があるということ自体が一般の人からすれば信じ難い内容だけど、さらにそこから自分が存在していないと言われればショックを受けない人間はいないだろう。ただ単に存在していないだけならまだ受け流せる。しかし最も信頼している先生が自分のことを知らないと言うのは割とキツイ。そして冷静に考え始めると、ある疑問が生まれる。
自分がここにいる理由だ。
この時間軸にしかいない自分にどんな意味があるのか。その答えはきっと春香もわかってる。
「春香、あなたならわかるはず。あなたが何故ここにいるのか。」
「何となくだけどわかるよ・・・私が美希と出会ってこの学院に来たこと。そしてこの能力のせい・・・でしょ。」
すぐにその答えに行き着いたことに心から称賛する。
そう、この世界で春香は美希と深い絆で結ばれている。他の世界ではきっと出会ってすらいない。良くても友人程度の関係だろう。家族と思えるほどの意識を持っている二人がこの学院に来たのはこの世界だけだ。
だから春香はここにいる。美希を止めるために。
そして特質型に分類される能力『支配』
人間はもちろん、動物や草木にも魅力は存在する。その魅力に干渉できる『支配』には自分以外の魅力を吸い取ったり、送り込んで操ったり、他者の魅力と融合させることができる。この話を聞いた時には俄かに信じられなかったけれど、それもそのはず。今までどんな本を読んでもそんな能力は聞いたことがなかった。
相手の魅力を支配するという春香の能力は前例の無い最強クラスの能力。
そういった意味では間違いなく特別。国軍や一部の組織が春香の能力を知ったら喉から手が出るほど欲しい人材でしょう。もしかすると、もしかしなくてもきっと『支配』の能力者はこの世界で春香一人なのだろうと理由のない確信があった。
「ええ。あなたの『支配』が、この世界を救うカギだと私は思ってるわ。その能力で眠り姫を止められないかしら。」
春香は右手を持ち上げて人差し指をこめかみに当てる。考えるときの癖なのか、そのまま思案する。およそ10秒ほどで何故かどんどん、眉を寄るほど苦い顔になっていく。
そして何か思いついたのか、一言ボソっと口にする。
「一つだけ・・・方法がある・・・かもしれない。」
「どういうこと?」
「私にも何が起こるかわからないんだよ。人には一度も試したことがないから・・・。」
「春香、まさかあなた・・・。」
「うん。私が思いつくのはそれしかないかも・・・。」
なるほど、それは確かに試せないでしょうね。春香の能力は相手の魅力を吸い取ったり、逆に送り込んで操ったりと反則級の能力を持っているけど、もう一つ。彼女にはあった。
”魅力の融合”というものが。
この絶望的な状況を打開できるのなら何でも構わない。と、言いたいところだけれど、本人が試したことがないというのは正直なところ不安でしかない。
いや、試したことがないというより試せないと言った方が正しいのかもしれない。自身の魅力を他者に融合させるなんて、幽霊が他人に乗り移るのと同じ。後で分離できればいいけれど、二度と離れられなければ・・・あとは想像できる。
「分離出来ないのね。一度でも融合すると。」
「うん。」
「でも何故、あなたは試したことがない能力をそこまで知っているの?」
「いやー・・・実は私、昔一度この融合を使ったことがあって・・・いや、偶然使っていた・・・かな?」
そこで私はぴんときた。話に聞いた春香の過去に起こった忌まわしい悲劇の中で、たったの一度だけそうしてしまった瞬間があった。さっき春香は”人には一度も使ったことがない”と言った。つまり人以外になら使ったことがあるということ。
そしてその使った、いや・・・春香も気付かないうちに使ってしまっていたのが・・・。
あの桜の木だ。
私がいつも本を持って読んだり昼寝をしたりするお気に入りの場所。春香は美希を眠らせた後、その木に自分の魅力をすべて流し込んだ。このすべての魅力を流し込むことが、春香の言う融合だった。
相手に自分の魅力を全部渡すのだから、融合というのは語弊があるかもしれないけど間違っていないとも私は思った。
融合のおかげで春香は桜の木と一体になった。桜の魅力が有効である範囲しか自由に移動できない。それは桜の木の魅力と一体になっているのなら桜の森から深緑の密林に入ると消えてしまうのは当然のことだった。
桜の木に宿った春香の魂を木が魅力体として現わしてくれている。彼女の意思は彼女のものでもあり桜の意思でもあるということ。私は2年間、ずっと春香と一緒に居たのだと気付いて少し嬉しかった。
だけどそれとは別に当然と疑問が浮かび上がる。春香がさっき言った方法を使うのであれば、今でも他人と融合することは可能だということ。しかし一度融合して分離出来ないというのにそれは可能なことなの?
空がひと際青く輝いた。
水瀬さんと真が美希と戦い始めたらしい。さっきも目にしたけれど、真の炎が青く変化している。萩原さんが亡くなったことで真の心に何か変化が生まれたのかもしれない。水瀬さんも、高槻さんが亡くなってやはり魅力の総量や回復速度なんかも段違いに変化している。心の変化がもたらすものは、どうやら偉大なもののよう。
あの眠り姫である美希相手に、ぱっと見で善戦しているように見える。
もうしばらく、もうしばらくだけ時間を稼いでほしい。
「春香、あなたの能力で魅力を融合させるのなら早い方がいいわ。私を————。」
「ダメだよ。」
不意に聞こえたその言葉の顔を振り向ける。視線の先に、立ってヨロヨロ歩く真美がこちらに向かって来ていた。
「ダメだよ。はるるんは融合しちゃダメ。」
「真美、何故止めるの? あなたは融合することで何が起こるのか知っているの?」
「まぁ確実とは言わないけど。でもそれはあずさお姉ちゃんも知ってるんじゃないかな?」
少し落ち着いたのかあずささんが涙を拭う。少しだけ額を押さえて大きく息を吸い込み、続いてゆっくり吐き出す。彼女の心が持ちこたえてくれたのか、少し安心したところで真美があずささんに問う。
「あずさお姉ちゃんもわかるよね。何が起こるのか。」
数秒の沈黙のあと、再度大きく深呼吸をしてこちらを向いたあずささんは目を赤く腫らせて落ち込んだように小さな声で答えを発した。
「まだ・・・千早ちゃんに教えてなかったわね。眠り姫が何故生まれるのか・・・。」
眠り姫が生まれる理由。それをあずささんが知っているということは、つまり80年後の未来では眠り姫に成り得る原因が既に突き止められているということ。それを貴音さんも知っていて実験を繰り返していたのか。残念な話ではあるが、それが解明されなければもしかすると100年前から続いた実験と殺戮の悲劇を止められたかもしれない。
「眠り姫は・・・・・・”自分の魅力と別の魅力が体内で混ざり合うことで生まれるの。そして元々持つ能力とは全く違う能力になって暴れだすらしいわ”」
その情報は知らなかったのか、私よりも春香の方が驚いていた。春香が知っていたのは性質と能力が変化して特質になると言うことだった。
だがまさか・・・春香の言った方法がまさか眠り姫になるかもしれない方法だとは夢にも思わなかった。
2つの魅力が混ざり合い眠り姫と化す。それが本当だとしたら、逆に春香の能力は眠り姫を生み出してしまう致命的な能力ということになってしまう。春香の能力がこの世界を救うカギだと思っていたのに、再び振り出しに戻る現実を突きつけられた。
「お姫ちんが前に言ってたんだよね。人間の中にある魅力を生み出す核、それを液状化させた薬を作っているって。」
魅力を生み出す核は心臓の中にあるとされている。神経と血管の張り巡らされた臓器の中に、一見して異様な塊があることが数十年前に医術発展のための遺体解剖で発見された。以降、その塊の研究が進んでそれが魅力を発生源であることがわかり、血管を通して血液と一緒に体中を巡りまた心臓に戻るという循環が発覚した。
そして、心臓。つまり『心の臓器』である心臓には魂もそこにあるとされている。そして春香の存在が魅力と魂の関係を証明してくれた。春香が融合を使用したと同時に”魂までも桜の木と融合”してしまったのだから。
これで魂の存在が証明された。
そしてもう一つ、春香の存在が証明してしまったものがある。
『魂にも心がある』ということだ。
魂=心と考える人もいるかもしれないけど、私はそうは思わない。
少し哲学的なことになってしまうけれど、もし魂と心が同じものであるのなら文字を別にする必要性がない。
魂は云(うん)と鬼(おに)を合わせたもの。云は雲の元字であるとされている。鬼は人が死んだ霊であること。死後、人の魂は雲になって霊界へ旅立つとされた。
それが『魂』
そして心は私たちが思う感情や精神。それによって心は魂と別のものであると考え得る。
ここで区別されるのが幽霊だ。良い霊は心が有るもの。悪い霊は心がないもの。
人間が悪いことをすると”心無い行い”と言われるように、心の有り方で人は変わる。と言う、まさに完全オカルト専門書的なものを偶然読んだことがあったのだけれど、思ったよりも侮れない内容だったのでよく覚えている。私が心を磨くという答えに行き着いたのも、これがあったからと言ってもいいかもしれない。
魅力の核と魂が同じ心臓の中に存在していることは、心を磨くことで魅力や能力が向上するという仮説が立証されたも同然だ。これは人類にとって大事件。
昼間、春香との会話がまさか当たっていたとは思わなかった。
春香が幽霊みたいなものであり魅力体であり精神体。
こんな状況でなければ笑って話したいものだけれど、当然それどころではない。
「なるほど。一人の身体に魅力が二つ存在することになってしまうから、結果的に私も眠り姫になってしまうということを言いたいわけね。」
「そうだよ。可能性は0じゃないと思う。」
思わないところで私が眠り姫になってしまう可能性が出てきた。それを聞いたあずささんが俯く。彼女の未来に私は眠り姫として存在しているのだから止めない訳がない。
美希だけならまだしも、もう一人眠り姫が生まれてしまったらそれこそ終わりなのだから。そうなってしまう可能性がある以上、魅力の融合は使うことが出来なくなってしまった。
切り札が封殺された今、これ以上の打開策がいつ何処から出てくるというのか。戦って勝てる可能性ももちろん0ではないけれど、絶望的なのは変わらない。
空ではまだ二人が奮闘してくれている。早く考えないと・・・。
「千早ちゃん。」
あずささんが立ち上がって私の方へ歩いてくる。彼女は私の前で止まり、ジッと目を見てきた。その目には力がこもっていた。これから起こるすべてを受け入れることを、見つめる目から感じた。
そして、彼女の今までの人生とこれからの人生を賭けた言葉を私に放った。
「千早ちゃん。私はこの世界が大好き。あなたがいて、みんながいて、私の今までの人生で一番平和だった時間。それももう終わってしまったわ。」
彼女の中で何かが変わった気がした。それは平和ボケした私たちとは何か違う。そう、気構えと言うのだろか。もしくは覚悟と取るべきか。あずささんの目からはそんな意思と迫力があった。
この目には見覚えがある。もう遥か昔にも思える昨日の昼間に、私が眠り姫だと言い放った時の迫力。でもそれとは比べ物にならないほどの気迫だった。
しかし、優しい笑顔だけは何一つ変わることはなく。安心をもたらしてくれる。
「だから私はこれ以上失わないようにみんなを守る。千早ちゃん、これからの判断はあなたに任せるわ。春香ちゃんの魅力と融合するのも私は止めない。私は、あなたたちを信じる。」
そう言って空へと飛んだ。
あずささんの身体から紫色の魅力が視覚化されてあふれ出している。
ボルテージ現象。見るのは初めてだけど、それが発生したあずささんの魅力が急激な速度で回復してくのがわかる。そしてその現象が現れたということは、彼女の中で何か大きな覚悟を決めたという現れだった。
ボルテージ現象は本人の心が限界点を超えて高ぶった時に発生する現象。意図的に出来るようになるまで早くても凡そ5年。小さな頃から訓練していたのなら使えて当然だろうとも思った。
だが、意図的に使えたとしても最低限の高ぶりは必要だ。さっきまでの悲しみは涙で流れたのか。そんな訳がない。それを払拭する何かがあったのだろうか。そうであればいいと思う。
上空には水瀬さん、真、あずささんの三人が美希と対峙してくれている。戦いに赴いてくれてる三人に報いる策を、そして命を落とした三人に報いる結果を、私たちは出さなければいけない。
何とも重いものを背負ったものだ。けど、悪くない。
「亜美!」
「うっ・・・・・・はぁ・・・はぁ。」
亜美が地面に両手をついて息が乱れてうずくまる。そんな亜美を真美が背中を摩っている。
律子の両腕は完全に治っていた。肩近くまで破れた服の袖から露出していた腕。あれほど痛々しかった皮膚のただれも赤黒い腫れもキレイになくなって元の艶やかな肌色に戻っている。
痛みに堪えるため体力を使い切ったのか律子は気を失っていた。
「亜美、おつかれ。めっちゃ頑張ったじゃん!」
「はぁ、はぁ。こ、こんくらい・・・よ、よゆー・・・じゃ、ないかも。も・・・魅力、す・・・からかん。」
それはそうだろう。律子の腕を治している間ずっと魅力を消費し続けていたのだから。
苦しそうな亜美の元へ春香が歩いていく。
そうして亜美の額に手のひらを当てた。
「は、はるるん?」
「ジッとしてて。すぐに済むから。」
春香の手のひらがぽぅっと光りだす。その光は赤から桃色に変わり、だんだんと黄色く変化していく。
亜美は目を瞑ってその光に身を任せている。苦しそうな表情は徐々に取り除かれ、頬の血色が戻って桃色に、やがて良い夢を見ているように安らかな顔になっていく。
「あぁ~・・・すんごく・・・気持ちいー。」
「なに? どうなってんの?」
「亜美の中に私の魅力を分けてるんだよ。最初はくすぐったいと思うけどすぐに馴染んで楽になると思うよ。」
光っていた手のひらはスーッと音もなく消えていく。手のひらが離れて亜美は数秒の幸福感をを味わった後、突如の身震いをして、まるで寒い肌を温めるように両手で両腕を摩る。
「にゃははっ! ひゃわっ! くすぐった!? ちょっ、こちょばい!」
「んっふっふ~。かかったね亜美。真美のハンドパワーに。」
「ふひっまっ真美関係なぁは・・・やぁ~まだくすぐったいよぉ。はるるん何これぇ。」
「あぁ~、魅力を渡したら何でか擽られたみたいになるみたいで。多分、私の魅力が身体を巡っちゃうからだと思う。」
「え・・・!?」
亜美と春香のやりとりに強い違和感を覚えた。例えるなら、分かっているのに頭に答えが出てきてくれないときのようなもどかしさ。今のやりとりでの違和感・・・いや、どちらかと言うと既視感に近い。
この答えが出るまで、頭を回してひねり出すしかなさそうだった。
下では律子の治療が負ったみたいで心配事が一つ減ったことに軽く安堵する。
どれほどの時間が稼げるかという心配もしていた私だったのだが、私の電撃とあずさの転移がうまく機能していて今のところ、そこまで劣勢というほどではない。美希の攻撃を何とか避けては電撃での反撃を繰り返す。
危ない時にはあずさがキッチリと転移で助けてくれる。何度かの攻撃の後、あずさは私を美希と200メートル程離した。美希のところへ戻ったあずさは、流石と言わざるを得ないほど俊敏でキレのある攻撃を避けて避けて避けまくっていた。
縦に振り降ろされた鎌を左に避けて首を掴みに来る右手を転移で避けて美希の後ろへ。すかさず美希が後ろへ足刀蹴りを繰り出す。それを宙返りでかわして繰り出した踵落としを美希は左腕で受け止めた。そのまま足を掴んでグルンとあずさを投げ飛ばす。体制整わないあずさに追い打つべく鎌のスタンドマイクを投げて回転させる。回転速度が速すぎて電動カッター状態の武器があずさを分断しようとするところで再び転移。左のストレートパンチが美希の腹部に命中して吹っ飛んだ。吹っ飛んだ先に真が剣を振り上げて待っていた。
流石の美希もこの一撃必殺の剣が直撃するとただでは済まないだろう。飛んできたところで斬り降ろす。なんと頭の上に目でもあるのかと言わんばかりのタイミングで身体を捻って避けた美希は後ろ宙返りで真を蹴り落とそうと足を伸ばした。真もその行動が読めたのか頭を下げての宙返りで美希とは足裏を合わせる形で一撃。衝撃でお互いに距離が出来る。そしてあれだけ近距離戦で戦っていた真がまさか炎による中距離攻撃をしかけている。
しかしその炎を掻い潜って真の懐に入り込む。速度が乗った美希のパンチが空を切った。紙一重で避けた真が美希の腕を掴んで勢いを乗せたまま背負い投げ。飛んでいく美希に炎の砲撃を飛ばした。それに対して体制整わない美希は、咄嗟に放出したにしては高威力の閃光で真の炎を圧倒していく。
迫る閃光に驚いた真をあずさが転移で助けに入った。安全のためかなりの距離をとる。
その行動を美希が不審に思ったのか、上空を見て私の目が逢う。
私の両手に溜まりに溜まった電力は突如としてバチバチと耳がつんざくほどの金切り声をあげ、力いっぱい振り下ろした両手の電撃を一気に打ち放った。雷でも落ちたかのような雷鳴と光と衝撃が辺りを巻き込む。
電圧と電流は人が死ぬには十分の量を打ち込んだ。人が受けると黒焦げになるのではと思うほどの威力の雷にも似た電撃が美希に直撃したのだが、やはりそれくらいでは倒れてくれない。服や肌に多少の煤けはあるものの美希は無表情で立っていた。
「はぁ・・・はぁ・・・冗談じゃないな。これだけ打ち込んでも涼しい顔して。」
真が汗を拭ってそう口にした。
確かに、今のはこの水瀬伊織様の渾身の一発。それ以前から何度かダメージになりそうな攻撃を当ててはいるものの効いているのかイマイチ判断できない。
戦闘速度が速すぎて、体感ではもう1時間以上戦っているように思ってしまう。実際は私が空へ飛んで15分ほど、真が現れて5分と少し、あずさが空へ飛んでまだ3分弱しか経っていない。
たったこれだけの時間しかまだ経っていない。
ホント、笑っちゃうわ。
私の電撃も真の炎も殆ど通用していない。何故なのかは私はすぐに理解した。
それには属性が深く関係している。真の炎、そして私の電撃も『熱量』だけは凄く高い。そして目先50メートルに浮いている怪物お嬢さんの攻撃も恐ろしいほどの熱量。
つまり、あの娘には熱量にかなりの耐性があるということ。さっきから真の炎を避けているのはその耐性以上の攻撃力を有しているから。対して私の電撃は真の炎ほどの熱量はないにしても電気信号の邪魔をするくらいなら出来るはず。大したことがない電撃ならすぐに反撃されてしまうけど、今のように100万を超える電撃なら動きを止められる。しかしそれも大したダメージにはなっていない。さらに言うと打撃ですら何故かマトモにダメージは通っていない。この二つの違いは物理であるかないかだけど、そのどちらの攻撃も通らないというのは、どう考えてもおかしい。となれば、私たちの知らない”何か”がまだ美希にはあるということ。
それを何とかしない限り、私たちに勝ちはない。
「あずさ、未来のあいつもこんなにタフなわけ?」
「ええ。未来でも何故か大したダメージを与えられていなかったと思うわ。」
「そう・・・。つまりあんたも知らない”何か”があるわけね。」
そうなると待っているのは今よりも常時劣勢の戦い。
その何かを解明しない限り倒せない。でも解明するための手がかりが何一つない。未来で戦っていたあずさですらわからないのならこの時代の誰にも分らない。いや、もしかすると春香がわかるかもしれないけれど、今この話をしに行っている余裕はない。
「伊織ちゃん。行って。」
「なっ、何言ってんのよ! 今そんな余裕があるわけないでしょ。」
「確かに、ボクたち3人でギリギリ渡り合えてる状態だね。でもこのままじゃいずれ負ける。やるなら今しかないよ。」
「殆どダメージを与えられていないのに渡り合えている訳ないじゃない。あいつにはまだまだ余裕があるわ。ないのは私たちの方。ここで私が抜けたら簡単にやられるわよ。」
「よくわかってるねデコちゃん。」
と、目の前に笑顔の美希が一瞬現れて消えた。
次にとんでもない衝撃が背中を襲った。両隣ではあずさと真も短い悲鳴を上げる。
美希の速さがまた上がって目で捉えきれないほどになってきた。私の目の前に現れたあと、後ろに回り込んでそれぞれに重い一撃をお見舞いしてくれたようだ。
一瞬の激痛と止まらない落下に抵抗できない。何とか浮遊術で落下速度を落とすけれど気休め程度でそのまま背中から地面に叩きつけられて転がった。
数秒呼吸を奪われて苦しくて咽る。やよいの手加減のない一撃ほどではないにせよ、もう消化されたであろう夕食に食べたものを吐き出してしまいたかった。
両手を地面につけていた私は自分の影が一層濃く、そして周囲の地面が黄緑色に発光している。
危機感に襲われ空を見上げる。
絶望を見た・・・。
私の目に映ったのは、空も大地も桜の木たちもすべてが黄緑色に見えるほどの高密度のエネルギー。
美希を中心に燃え上がるような魅力。それが本当に魅力なのかと思えるほどの膨大な力。
私たちどころか世界を、この大地すらも消し去ってしまいそうなほどの絶望が空を覆っていた。
これはボルテージ現象なのだろう。私が知ってるものとは規模が違う。さっき見た律子のボルテージ現象が赤ちゃんの遊びレベルに思える。それが美希に起こって、どんどんその身体に凝縮されて取り込まれていった。
「そうか・・・・・・そういうことだったのね・・・ははは。」
今更になって理解した。美希に何故こちらの攻撃が効かなかったのか。
いや、それは言葉の間違いだ。正確には美希にダメージは通っていた。でなければ私の電撃で動きを止めたりせず攻撃してくるはず。でも、そうじゃないときの彼女は一体どうしていた。
より強力な攻撃を受けるたびに数秒止まっていたじゃないか。それが何を意味するのか、私たちは理解するのが遅すぎた。
取り込まれた魅力が今度は巨大な陣になって美希の背後に現れる。
丸い線の中に三角の形。その中に四角。四角の中にバツが描かれ、右上と左上と下の隙間の中にもここからでは見えない文字がズラッと並べられていて、それが徐々に回転し始める。陣が回転し始めたことで周囲に暴風が起こる。
「あんなのに・・・勝てるわけない・・・じゃない。」
たった一つ、やよいに支えられていた私の心が木の枝を折るようにポッキリと音を立てた。
眠り姫である美希が何故今までダメージを負っても傷もつかず立っていられたのか、それは・・・。
「吸収していたのね・・・。」
私の思考を代弁してくれたのは、いつの間にか隣で空を見上げていた千早だった。
「水瀬さん、大丈夫?」
「何とかね・・・だけど、もうダメだわ。あんなのを撃たれちゃ・・・。」
諦めの言葉が口から洩れる。本当はこんなこと思いたくない。口にすら出したくない。だけど、折れた心が私の口を閉じてくれない。あずさも地面にへたり込んでいるのが視界の端で見えた。真も身体が動かないのか倒れたまま美希を見ている。響も亜美も真美もお互いにすり寄ってその時を待っているようだ。
律子も気が付いているのかいないのかわからないが目を閉じて遠目から口元が少し笑っているように見える。
その横で春香が空へと飛んだ。これ以上の抵抗はきっと無駄だ。
攻撃すれば吸収され、止められなければあれを撃たれて世界が一瞬で消滅するだろう。
弱気がこれでもかと言わんばかりに私に不安と恐怖を持ってきて自然と俯いてしまう。
「ごめんなさい千早・・・止められなかった。」
「大丈夫。」
その言葉にどんな意味がこもっているのか。それを今は理解出来ずにいた。顔を上げて千早の顔を見る。その顔は今まで見たことがないほどの自信と慈愛を感じるほどの優しい笑顔だった。
何かをするつもりなのは雰囲気で理解出来た。そして彼女に何か変化があったことも。
「千早・・・あんた、何を?」
「水瀬さん・・・私はあなたも、あずささんも、我那覇さん、真、亜美、真美、律子、春香、そして美希も・・・みんなを守る。」
青い。
とても青い炎が私の目に映る。
違う。炎じゃなく魅力。千早の身体から溢れ出しているその力は、さらに大きさが増して私の身体も包む。
心地いい。
表現のしようがないほどの安心感が心を満たしてくれる。数秒その心地よさに身を任せ、そして気付くとその魅力はどんどん千早に取り込まれていく。すべての魅力が彼女の中へ消えていった。
「行ってくる。」
飛び立った。
如月千早は空へと飛んで、小さくなっていく。
無意識に手を伸ばした私は掴めるはずもない彼女を、ぎゅっと握った。
第十三章
終