小説 眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY 作:つっかけ
今は何時頃だろう。
少なくとも少しずつ朝に近付いている。
本来なら今ごろは部屋でゆっくりと眠りにつき、十人十色な夢を見て翌日も変わらない日となるはずだった。
だがその日々もきっと終わったのだろう。
未だに燃える木々と丸く大きな月明かりで空はとても明るい。
校舎はもう原型を留めず、どこから崩れてくるかわからない。
その校舎の中庭で世界の命運を掛ける戦いが繰り広げられていることなど、当事者以外に知りはしない。
空で戦う二人と地上で思考を凝らす三人。気持ちが吹き出して涙を流す二人と。少女たちは今、全てをかけて戦う時に直面していた。
「律子・・・今、なんて。」
私は律子の言葉に耳を疑っていた。
空で戦う彼女の事を、まるで知らないような口ぶり。
美希と貴音さんの先生だったのなら、彼女を知らないわけがない・・・ないのに。
「あのリボンの女の子、アイドルみたいだけど相当強いわね。実戦経験があるのかしら。」
「り、律子? 彼女のこと・・・わからないの?」
まるで自分に異常があるような言われ方をした事で少しムッとした律子は振り向いた瞬間に困惑に変わる。
何故なら、私の顔が目に見えて青ざめていたからだ。
当の律子からしてみれば、私の顔はさっきまで話していた女の子とはまるで別人のように色が消えていた。
しかし、律子は私がそうなった訳を理解していた。
その問題を解決するために再度、空へ目を向けて春香の姿を確認する。
かなりのスピードで武器を弾かせ合い、能力を使い戦う二人を目で追って数秒。
私に向き直り首を横に振った。
「まず間違いなく、私の知らない女の子よ。」
この答えに私は酷く大きな衝撃を受けた。あまりの出来事に右手で額を抱える。
春香は美希とずっと一緒だった。そして貴音さんも。なら春香のことを律子が知らないわけがない。
さっきの水瀬さんの説明だとこの律子は別の世界から来た律子だと説明を受けた。
その中から一つ考えられるとすれば・・・律子の世界に春香がいない、という可能性。
「・・・律子、あなたの世界の美希の出身は?」
「・・・あの子、美希は都の侯爵の娘よ。両親ともに健在で姉が一人。たまたま家を抜け出して街でアイドルの話を聞いたらしいの。興味を持って親に話したら喜んで、泣きながら連れて来たわ。さすがに引いたけど。」
「この世界の美希は施設に入ったらしいの。そこで今戦っている天海春香に出会って一緒にこの学院に入学。同時期にアイドルとして卒業したらしいわ。」
私の顔を見て質問の意図を察したのか、必要な情報をもらった私はこの世界の美希と律子の世界の美希が大幅に違う道を進んでいることがわかった。
律子の世界の美希は家族が健在で施設に入っていない。つまり、春香と出会うことがない。そして春香もアイドルを目指すことはなかったということ。これから出会うのか、それとも一生出会うことはないのか。それはわからないが二人の運命は大きく変わっていた。
そこへあずささんがタイミングを探していたように会話に混ざる。
「あ・・・あの」
「どうかしましたか?」
「その・・・春香ちゃんのことなんだけど―――」
ドガァーンっ!!
突然、春香が目にも留まらない勢いであずささんの後ろを通過し旧校舎の支柱に激突した。
あずささんも律子も私もその轟音に心臓が跳ね上がり、我那覇さんと水瀬さんは身体ごと跳ね上がっていた。
パラパラと支柱の破片が散らばって砂ぼこりが舞う。
春香は上体を起こすも両手を地面について四つん這いになってしまう。
「イタタタ。」
「春香!」
春香に駆け寄った。かなり痛烈だったのか春香は左の脇腹を押さえる。激しい戦闘を物語るように擦り傷に切り傷が絶えない。
「春香・・・無茶してはダメよ。身体が持たないわ。」
「えへへ、大丈夫だよ千早ちゃん。私今、100年ぶりの痛みで正直ちょっと嬉しいんだ。」
春香の身体は実体化していた。昼間に触れられなかった腕にちゃんと触れるし温かさもある。
今の春香は傷も付き、痛みもある。普通の人間と何も変わらない。
『ありがとね。響ちゃん』
~ 回想 ~
月が輝く森の中。能力によって作られた狼が、絶えず涙を流す主人を乗せてゆっくりと歩いていた。
ここは旧校舎の北側。いつの間にか緑の森林から桜の森林へと移行している。
迷いもなく進む足取りがスッと止まった。鼻をピクピクとさせて、一言「ガウッ!」と吠えた瞬間。
ドガシャーッ!!
地面が揺らぐほどのとてつもない音が旧校舎の方から鳴り響いた。
爆発のような、雷が落ちたようなその音は3秒ほどで聞こえなくなったが、響はこの音に驚いて一つ、忘れていたことを思い出した。
「ぁ・・・千早っ!」
友人の死という強烈な印象と悲しみですっかり忘れていたが、その前に雪歩を追いかけろと言ってくれたのは千早だ。眠り姫の、山をも貫かんとする一撃を防いだ後なのに、もしまだ戦っているのだとしたら千早の命も危機にさらされているに違いない。
血の気が引いて嫌な汗が額を伝う。脳裏にさっきの悲惨な光景が浮かぶ。今の轟音が千早に向けられたものだとしたらと思うといてもたってもいられなかった。
「千早ちゃんなら大丈夫だよ!」
走り出そうといぬ美にしがみついた時、謎の声に呼び止められた。少し高めの澄んだような声。風のように耳に入るその声がした方にいぬ美は反応した。
響が月明かりを頼りに目を凝らすと、そこには見覚えの無い女の子が一人立っていた。一瞬で印象に残ったのはリボン。彼女の第一印象だ。髪は肩にかからないくらいの長さで頭の左右に短いリボンをつけている。紺色の服は肩から胸に掛けて白いラインが入っていてその下に赤いスカーフをこれまたリボンのように括っている。今はあまり見ない洋服でかなり昔に『セーラー服』と呼ばれていた洋服だ。紺色の少し長めのスカートはシンプルというに相応しい格好で、一言に『純粋』という言葉が彼女を見て頭に浮かぶ。
「・・・誰!?」
「私は天海春香。我那覇響ちゃんだよね?」
右手を胸に軽く触れて名乗った彼女を少し警戒したが、いぬ美が威嚇しないところを見ると悪意が有るわけではなさそうだ。警戒心が軽くなったのがわかったのか春香が近づいてくる。
「春香・・・千早が無事って本当!?」
「本当だよ。・・・能力でわかるの。千早ちゃんは大丈夫。焦らないで。」
「そ、そうなのか。なら良かった・・・。」
どんな能力なのか少し気になったが、実際アイドルの中には千里眼や標的の捕捉能力をもつ者もいる。
その類なのだと思って、疑う気持ちはあるものの一先ず心は落ち着いた。
「響ちゃん。いつもみたいにハム蔵を造り出してみて?」
「う、うん・・・。でもどうして自分の能力を?」
「千早ちゃんに聞いてたから。魅力で動物を造る心の優しい女の子が居るって。」
千早にそう思われている事に少し照れる。言われるがままにハム蔵を手のひらの上で魅力からイメージで造り出し、10秒ほどで光輝くハムスターが出来上がった。
ハム蔵はまるで本当のハムスターのように両手で頭をこすってから、腕を駆け上がり肩を登って頭の上まで到達して止まった。
「響ちゃん。あなたにお願いがあるの。」
響に春香の声が低く響いた。眼光からもその真剣さは痛いほど伝わってくる。春香が何を考えているのかはイマイチわからないが、今のこの状況でとても重要な事であるのはわかった。
「響ちゃんは魅力を実体化出来るんだよね。そこのワンちゃんみたいに。」
「・・・出来るけど、何を実体化するんだ?」
春香の手が響の手を掴もうとする。
そのままスッと通り抜けた手は、手首から先がグワンとマーブル模様みたいに歪んだ。それを見て驚いた響は反射的に後退りした。
人間じゃないことに響は強い警戒心を示す。
「私を・・・実体化してほしいの。」
「・・・何で実体化するんだ!? 目的は!」
「私はあなた達を護りたい。もうこれ以上眠り姫に、美希に人を殺めてほしくないの!」
春香の頬が一筋光る。
それを拭って頭を下げられた響は戸惑った。
信じて良いのかがまず分からないし、何となく眠り姫と関係がある人なのかとも思える。
しかし、声も表情も一言に切実と言わざるを得ない。それほど必死さが伝わる。
「一つだけ、訊いていいか?」
「・・・」
「春香とその・・・美希とはどういう関係なんだ?」
「家族だよ。」
ハッとした。響にも家族には強い思い入れがある。入学が決まって実家を離れてから寂しいときは能力でハム蔵やいぬ美とよく添い寝をした。もちろん、眠れば能力は解除されるのだから朝には一人の起床だったが。
実家に帰るとみんなの優しさに心配をかけまいと強がったりもした。
家族は誰しも心の支えとなることはあるはずだ。
少なくとも響にはそれが家族の定義だった。
顔を上げた春香の真剣な声と真剣な眼差しは一層強く放たれ、響の両目を一切揺らぐことなく見つめ続けている。
なるほど、人の目を見て話せとはよく言ったものだ。たったこれだけの事で春香の言葉が真実かどうかがよく分かる。
響にも兄がいる。仕事が嫌いで気かつけばサボる事を考えている兄だが、もしもその兄が豹変して殺人鬼になったとしたら自分は止めるか逃げるか。いや、きっと必死に止めるだろう。逃げたとして赤の他人が被害に遭うことは身内として断固避けなければいけない。
それを考えると春香の気持ちは痛いほど分かる。
間髪いれずに返ったこの言葉に、響の気持ちは言うまでもなく固まった。
疑う気が無くなったと言えば伊織に怒られてしまいそうだが、それでも春香の願いを聞き入れても悪い方へと進む気は不思議としなかった。
「いぬ美、ありがとう。しばらく休んでて。・・・春香、自分の手の上に手を重ねて。」
響はいぬ美に礼を言った後、手のひらを空に向けて指示をした。春香もすぐに手のひらを重ねる。
響の後ろに居たいぬ美が胴体から少しずつ光の粒子に変わり、その粒子が少しずつ春香の身体にくっついていく。
いぬ美は尻尾がなくなり、首から顔に鼻先と耳が完全に光となって姿を失い、春香の身体は腕から足に胴体と頭まで完全に光に包まれた。
「自分の姿を強くイメージして!」
光はどんどん強くなって目も眩むほどの輝きを放つ。
そして今度は光の粒子が足先から徐々に離れて消えていく。足から膝、胴回りと胸に両手に顔。そして頭。
完全に光が離れた春香の姿は、アイドルの衣装に身を包んでいた。
真っ赤な薔薇のヘアアクセサリーを乗せ、白い生地を彩るピンクの縦のライン。黄色の袖にボタン留め、肩のエポーレットも同じく黄色で軍装飾のような仕様になっており、ピンク・白・黄色とヒラヒラのスカートを履いている。
右手にはそれこそアイドルの象徴とも言えるスタンドマイクが握られていた。
「ホントに魅力体だったんだな。」
「正直、不安ではあったけどね。私も今までただの精神体だと思ってたから。でも良かったよ。これで少しはマトモに戦える。」
グッと握ったスタンドマイクの上下から桃色から赤へと炎のように揺れ動く刃が姿を現した。
驚いた響からおぉ、と小さく声が漏れる。
「いいか? 自分が気を失ったり眠ったりしない限りは実体を保っていられる。今の実力じゃ実体化させられるのは一体だけだし、自分は戦闘には参加できなくなるから不便だけど、その分みんなを助けてね!」
「うん、もちろんだよ。私は旧校舎で戦ってる千早ちゃんのところに行く。響ちゃんは出来るだけ身を守ってて。」
そう言い残して姿が消えるように空へと飛び立った。
桜並木に残された一人と一匹はこれからどう逃げ隠れするかを考える。
突然、頭の上に居たハム蔵が飛び降りて旧校舎へ向かって走り出した。
「あっ! どこに行くんだハム蔵!」
振り向いたハム蔵の着いてこいと言うジェスチャーに、響は必死に追いかけて木々の間に消えていった。
~現在~
「せっかく響ちゃんがくれたチャンスなんだから。頑張らないわけにはいかないよ。」
「春香・・・」
私は一人納得していた。我那覇さんの能力で実体化出来た春香は本当に水瀬さんの命も私の命も背負って戦ってくれている。大したことが出来ない自分に不満を感じつつ、春香を支えて立ち上がらせる。
上空を見ると美希の周りに陣が出来上がって止まる直前だった。
実のところ、今は心に多少の余裕がある。さっきの攻撃と同じ威力なら一発くらいなら耐えられるし、状況が違って二発目を撃たせないだけの戦力もある。おかげで少しくらいなら無理することも問題はないと思った。
大技ではあるが、あの技が好きなのかしら? とか呑気な事を考えていると急に魅力が大きく回復したように思えた。
「まさかっ!? 千早ちゃん、魅力のサポートするから急いで分厚いシールド!」
「え、えぇ。わかったわ!」
魅力が回復しているのは春香の能力のおかげだった。
美希の陣が停止したと同時にかなり分厚いシールドを作る。驚いたことに私が調子いい時と同等か、もしかするとそれ以上の硬度を持っていた。これなら・・・と自信が気持ちを後押しする。
しかし美希の攻撃がまだ来ない。さっきと同じなら陣が停止した時に強力な閃光が放たれていた。
シールド越しにうっすら見える美希の姿を見て私は背中がゾワゾワする感覚に襲われた。
緑色に発行する三角形の3つの陣が一つに合わさって再び高速で回転し出した。
嫌な予感がして急いでもう一枚、同じサイズのシールドを造り上げる。その瞬間に、まるで爆弾が爆発したような音が空と大地に響き渡り巨大な閃光がシールドに直撃する。シールドは瞬く間にヒビが入り簡単にシールドが一枚破壊されてしまった。
信じられなかった。今のシールドであれば陣が停止する砲撃なら一枚でも凌ぎ切れる自信があったというのに。
閃光は勢いを衰えずに二枚目のシールドに襲い掛かって同じくヒビが入る。
「ダメっ!! 抑えきれないっ!!」
もうシールドが破壊されようとしていた。今破壊されてしまったらこんな大規模な閃光、みんな致命的なダメージは避けられない。
そしてとうとう二枚目のシールドも粉々に砕け散った。
その時、私の視界は世界がスローモーションで動いていた。
水瀬さんを護ろうと庇うように抱きしめる我那覇さん。転移しようと私と春香の肩に手を置くあずささん。
消滅覚悟で私たちを庇おうとする春香。それぞれがお互いを守ろうと動いている中、それとは別のことを考えて動いている人がいた。
その人は私の右側から両腕を伸ばして美希の特大閃光を受け止めた。
ドドドッと激しい重低音を響かせながら停止した閃光は彼女の手を熱で焼き始めた。
「ぐぅ・・・真美っ!!」
「合点承知の助ぇ!!」
その声を合図に私たちの目の前から美希と閃光は消えた。
何が起こったのかわからないまま耳の鼓膜が破れるかと思う爆音と爆風に辺り一面が吹き飛ばされる。
その爆風に吹き飛ばされないようみんなが必死に堪えている。地面に寝かされたままの高槻さんと貴音さんは亜美が必死にしがみついて飛ばされないようにしてくれていた。
爆風が落ち着いた頃になってようやくその場所がどこなのか理解できた。
美希の閃光が直撃した場所はついさっきまで私達が居た旧校舎。建物は跡形もなくなり隕石でも落ちたように巨大なクレーターとなって抉れた地面を燻らせている。
我那覇さんと水瀬さんはまだ抱きしめあっている。あずささんは何が起こったのかわからないと酷く混乱していた。私の右側から伸びた腕がゆっくりと降りていき、彼女は地面に膝をついたのを見て春香が慌てて駆け寄った。
「ティーチャー律子!!」
春香が咄嗟に肩から倒れそうになる律子を支えた。
「ティーチャー律子、無茶し過ぎですよ!」
「はぁ、はぁ・・・あなた春香ね。ありがとう・・・。」
「良いんです。また会えて・・・嬉しいです。」
「あ、あのね・・・うぐっ」
律子の手はヒドイ火傷でただれ、肘近くまでに及んでいる。
あの攻撃を受け止めるということは、律子の能力もかなり攻撃力が高い。しかし、それでも今の美希の攻撃力の密度はハッキリ言って律子を凌駕していた。両腕の火傷で済んだのが奇跡と言ってもいい。
「真美、ダイジョーブ?」
「大丈夫じゃにゃ~ぃ・・・すっからかんなりぃ。」
真美がヘナヘナと座り込み、身体を手で支えられずそのまま上体と頬を地面にペタンとつけた。
どうやら真美の能力で助かったらしい。
亜美が真美を放って律子に駆け寄る。
「律ちゃん、腕伸ばして腕。」
どうしてこの状況で腕を伸ばせと言えるのか。動かすどころか空気に触れるだけでも激痛が走るだろう。
それでも律子はゆっくり痛みに堪えながら腕を伸ばす。
ハッキリと見えた律子の腕を見て思わず両手で口を押さえた。律子の焼けた腕は人のものとは思えないほど赤黒く腫れ上がり。それが肘までに及んでいる。
律子の咄嗟の判断で私達は助かったけれど、そもそも私が油断せずにシールドを何重にも張っていたら防げたかもしれない。春香のサポートを無駄にする結果にしてしまい、真美と律子には申し訳がたたない。
猛烈なネガティブ思考をしていると亜美が律子の腕をかざすように光で包んだ。光の粒がその腕の周りを回転している。
治癒術なのかと少し期待した。
「亜美、なにを・・・。」
「集中するからシャラップ律ちゃん。あずさお姉ちゃん、律ちゃん押さえてて。」
「わかったわ!」
あずささんが律子の左横に座って突き出した赤黒い両腕を肩の近くで強く押さえる。
「律ちゃん、メッチャ痛いから我慢してね!」
グルグルと回る光の粒を見ていると、なんだか穏やかな気持ちになっていく。
そして律子の腕が少しずつではあるが焼けた皮膚が再生を始めた。
治癒術にこんな現象があるとは聞いたことがない。
「くっ・・・ぁあああああっ!!」
突如として律子が叫ぶ。それと同じくして腕から煙が上がる。・・・いや、腕に煙が戻っている。腕は治って行ってるのにどうしてこんなことが起こっているのか。亜美を見ると額から滴る汗がコメカミから頬を伝って顎からポタポタと地に落ちている。
そして律子の叫び声で美希がこっちに気付いた。
「・・・千早ちゃん私、もう一回行ってくる! ティーチャー律子をお願い!」
いち早く美希の感知に気付いた春香が空へ飛び立つ。さっきのように閃光を撃たれてしまっては次に回避する術がない。この状況では最善ともとれる春香の判断に感謝する。
せめて真美と律子が動ける状態になるまでは何としても守らなければいけない。
「亜美、これは―――」
「亜美は今、律ちゃんの腕の時間を戻してるんだよ~。」
私の質問を遮って気の抜けた声が聞こえる。真美が地面に頬をつけたままぐったりと教えてくれる。
「”治すじゃなくて戻す”だから、ケガしちゃった時の痛みも再生されるんだよね~。慎重に戻さないといけないから時間かかるし、その間は超地獄だけどね。」
「うぐっ・・・くぅうううううっ」
「律子さんも亜美ちゃんも、頑張って!」
気絶してしまった方が楽だろう・・・。いや、常に激痛に晒されるのだから気絶してもまた飛び起きる。
私たちを守ってくれた恩人に残酷な仕打ちと言わざるを得ない。
痛みに堪えるのには体力が必要だ。治療が終わっても体力の消耗が激しすぎるなら戦いには参加させられない。
そして亜美も、時間の操作という特別な能力なら一度の使用で大量の魅力が必要なはず。
彼女の夥しい汗を見て、部分的にとは言えそれが例外ではないことを物語っている。
これでは律子の回復後に亜美が真美のように動けなくなることも考えなくてはいけない。
「無茶し過ぎだよ律ちゃ~ん。真美が能力使えなかったらどうするつもりだったのさぁ。」
「その時は・・・みんな揃って黒焦げだった、かな。」
それを聞いて身体の芯から凍るようだ。確かに今のを律子と真美が助けてくれなければ、その場にいた私たちは閃光の熱量で炭にされていたことだろう。想像すると汗が背中を這う。
普通ならありえない。
たった一人の少女に何時間、何人がかりで戦っても常に劣勢。
状況を好転させる方法が未だ見つからない上に、全力で戦っているのはこちらだけ。
既に春香ですら押され始めている。
旧校舎跡からは少し離れて新校舎の前にいる私たちは態勢を立て直すことも難しい状態だった。
現時点で戦えないのが我那覇さんと律子、真美と亜美も戦闘には参加できない。
出来れば今、春香と話をしたいところだけど時間稼ぎもままならない。
それに、ここでこのまま一塊になっていると一網打尽だ。
どうする? どうすれば?
「私が行くわ。」
いつもの高い声が低く聴こえた。腰まで伸びる長い髪をなびかせて私の前に歩み出たのは、煤けた桃色の戦闘衣装を身にまとって力強く立つ水瀬伊織の姿だった。
赤く腫れさせている目は何かとても強い意志を感じる。
「なんとかして私が時間を稼ぐわ。」
「ダメよ伊織ちゃん。一人で戦うのだけは絶対にダメ。」
律子を押さえているあずささんが強い口調で水瀬さんを止めた。
星井美希こと眠り姫をこの中で一番よく知っているのは彼女だけ。その彼女がこれ以上ないほどの真剣な声で警告する。
「今一人で戦っても時間稼ぎにもならない。それくらい、伊織ちゃんもわかってるはずよ。」
やってみなければわからない・・・とは到底言えない。
あずささんの言う通り美希と水瀬さんとの実力差は例えるならライオンとうさぎ。
例え全力を出しても、たったの一撃受けるだけで致命になるほどの力の差を彼女も感じていないわけがない。
水瀬さんもわかってる。
”もしもあの時の一発が遊びでなかったら”
今も彼女の命があるのは、あの時の美希が遊び半分お試し半分で攻撃したから。
じゃないと水瀬さんは私の前に立っていない。
そして水瀬さんとの合流で戦った時。あの時、もしも春香が居なければ水瀬さんの身体は真っ二つだった。
この数時間で同じ相手から2度も九死に一生を経験している彼女が美希との差を理解していないわけがない。
それでも彼女は立ち向かう。そこにあるのは、世界の危機か。親友への罪滅ぼしか。
間違いなく後者でしょうけど、それを確かめる気はない。
これは薬物を投与された彼女が完全に眠り姫としての変異に成功していればの話になるけれど、空にはもう一つの影があって貴音さんの隣で寝かされているのが水瀬さんだったかもしれない。
もう一つの影は私の氷のシールドを簡単に叩き割るほどの怪力を使って攻撃してきたことだろう。
未来で暴れるのは、私ではなく高槻やよいに変わっていたかもしれない。
高槻さんにはそれがわかっていたのだろうか。
更なる悲劇を引き起こさないための、命の決断。それを親友で家族である彼女に託した。
その思いを、水瀬さんは背負っている。
「じゃあどうするって言うの? このまま大人しくしてろって言うつもり?」
「いいえ、そうじゃないわ。私の話を聞いて判断してほしいの。」
時間がないことはあずささんも承知している。
いつ美希が襲ってくるか。いつ春香が倒されてしまうか。それでも話を聞いてほしいというからには何か訳があるはず。それがこの状況を打開するヒントになればと、耳を傾ける。
水瀬さんも一旦あずささんに向き直り話を聞くことを無言で了承する。
それを見て私はあずささんに話すよう促した。
「さっき千早ちゃんに言いかけたことなんだけど・・・春香ちゃんのこと。」
「春香のこと?」
そういえばさっき、あずささんは何かを言いかけてすぐ春香が降ってきたのよね。
あの時に言おうとしたことがそれほど重要なことなのかと思いつつ話を続けてもらう。
「さっき律子さんは春香ちゃんのことを知らないって言ってたけど・・・実は私も知らないの。」
いまいち何が言いたいのかがよくわからなかった。
あずささんが春香のことを知らないと何か問題があるのかとも思うけれど、水瀬さんも同じくわからないようで難しい顔をしていた。律子が春香を知らないのには確かに問題がある。世界は違えど同じ時間軸で生きている人間でありこの世界ではちゃんと出会っている。ただ、色んな経緯が全く違っているから会っていないだけ。
「つまり、何が言いたいわけ?」
「それは・・・」
「居ないんだよ。」
言葉を詰まらせたあずささんの代わりに真美がようやく普通に座って会話に混ざる。
位置的に少し遠く、空で飛び交う戦闘音が真美の声を遮ろうと鳴り響く。
まだ立ち上がれない彼女は声を大きくして驚愕の内容を口にした。
「あずさお姉ちゃんが知らないってことはさ、未来にはるるんのことは伝わってないってことっしょ? それってあずさお姉ちゃんが生まれる前からはるるんはこの学院に来てないってことになんじゃない?」
その瞬間、私たちは凍り付いた。
あずささんが何を話そうとしているのかがしっかり理解出来て、絶句した。
律子の世界では春香がこの学院に来ていない。だから律子は春香のことを知らない。
だけどそれならあずささんが春香を知らないなんてことは”あってはいけない。”。
何故ならあずささんの世界では、美希が復活したときに我那覇さんはこの戦いに参加していたはず。そして私も。なら、一緒に戦っていたはずの春香のことをあずささんに話していないなんてこと、あるとは思えない。
「・・・あずささん。眠り姫復活の当時の話は全て聞いたんですよね!?」
「ええ。何度も聞いたわ。でもみんなの名前以外で春香という名前は聞いたことがないの。」
これで確信した。あずささんの世界ではまず間違いなく美希が復活したときに、春香は戦いに参加していなかった。
だからみんな、容易くやられてしまったんだわ。そして偽の律子であった貴音さんを止めることも出来ず、そそのかされ薬を使って私は眠り姫として殺戮を繰り返した。
律子の世界でもあずささんの世界でも、春香はこの学院に来ていない。もしくは存在してない。
その考えを巡らせたとき、私は一つの答えに行き着いた。それは・・・。
『春香がこの世界のカギであること。』
他の二つの世界になくてこの世界にあるたった一つの大きな違い。
他を探しても恐らくこの学院での大きな差異はこれだろう。
美希を倒すためには春香の力がいる。そして実体化している我那覇さんを護らないといけない。
私と同じ考えに行き着いたのか水瀬さんも我那覇さんを見る。
我那覇さんはその視線に疑問を浮かべていた。
「えっと・・・・・・なに?」
「あずさと亜美真美。律子の治療が終わったら響を守りなさい。私は春香を守る。」
「水瀬さん。春香にこのことを説明しなければいけないわ。任せて・・・いいかしら?」
水瀬さんは腰まで伸びる長い髪を右手でかき上げ、上空で戦う二人を見る。
赤と黄緑が交互に飛び回ってぶつかったと同時に衝撃と轟音を放ち、上昇や下降に左右と縦横無尽に飛び回っている。
さっきから気になってはいたけど、遠距離攻撃がこちらに飛んで来ない。美希が遠慮するわけがないのだから、当然春香が気を使ってこちらに攻撃が来ないようにしてくれている。
本気で戦えていないのは間違いないと思う。彼女が本気で戦おうと思ったら、きっと私達も周辺の住民もこの大陸から離れなければいけないだろう。
それほど、あの二人の戦いは人間離れしている。
覚悟が決まっていたとしても、その恐怖は計り知れない。
「誰かがやらないといけないんでしょ。やってやるわよ。その代わり約束して・・・」
水瀬さんは私達に振り向いて。
「絶対に時間を作ってあげる。だから私に何があっても、気にせず突き進みなさい。」
それだけを言い残して空へと赴く。
彼女も覚悟している。なら、私達が覚悟を決めないわけにはいけない。今の彼女ならそう簡単にやられることはないだろう。
春香と交代しても、水瀬さんが抜かれて美希が私たちに迫る可能性は常に持っておく。
今まともに対抗できるのは春香だけなのだから、我那覇さんを優先的に守らなければいけない。
例え、水瀬さんやあずささんが危機に陥っても。
私にその決断ができるのだろうか・・・。
覚悟は出来そうになかった。
覚悟なんてしていない。
私はただ、半分はやよいのため。もう半分はただのヤケクソ。
世界なんて大層なものを守るつもりもないし、自分にそれほどの力があるとは思っていない。
だけど、目の前の人を救う力ぐらいは欲しい。
それがどれだけ難しく、どれだけ望んでも手に入れづらいものであるのか。それだけは心底思い知らされた。
二度とあんな思いをしないように。大切な人を全力で守れるように。そして・・・
私が救いたいと思う人を救ってあげられるように。
そのために、私は空にいるあいつをぶっ飛ばす。
かなりの高さまで到達した私はもう一度しっかりと視認する。
飛び回っていた二人は現在は滞空してお互いの出方をうかがっている状態。そんなときに第三者がどう攻撃するのがベストなのか・・・。相手が格上なのだから普通に攻撃したところで気取られ避けられる。避けられれば反撃のタイミングを与えてしまう分、下手に攻撃しない方が無難なのではと考えた。
私は春香の横へと飛んだ。近づくにつれて空気が緊迫していて息が詰まりそうだった。
「何のつもり、デコちゃん?」
私が来たことで少し不機嫌になったらしい。声が低い。邪魔者を見る目ではなく生理的嫌悪の強い虫を見る目。
私では相手にならないとすらも言わない目の前の眠り姫は武器を下す。
「交代よ春香。あんた、千早のところに行きなさい。」
「・・・任せてもいいの?」
私は自信のない笑顔で強く頷き感謝した。
その返事をしてすぐ春香は千早の下へ降りていく。
それを追いかけようとする美希に広範囲の電撃を放って進行を阻止する。
美希の目の前を通り過ぎる電撃を美希は避けて進まずその場で止まった。その隙に私は美希の目の前に回り込む。
私に今にも刺し殺そうかという視線を向けて武器をクルクルとまわす。
「今の美希は遊ぶ気ないんだけど。・・・デコちゃんじゃ美希には勝てないよ?」
まったくこの子は人を思いっきり見下してくれちゃって、と言いたいところだけど実際勝てないだろうから口には出さない。今の私じゃ美希のスペックにはどれも敵わないのだから。
正直、1分すら時間稼ぎ出来るかもわからない。だけどそうなったらそうなったよね。だから・・・。
『死ぬ気で稼いであげるわ。未来の時間を!』
水瀬さんと交代した春香は思いがけないスピードで降りてきた。
というか降ってきた。重力の降下に加えて浮遊術の速度も足して来たので一瞬過ぎて誰かわからないほど。
地面との激突寸前に浮力を下から上に戻したことでものすごい土埃を跳ね上げる。同時に突風も巻き起こしながら着地した。
「けほっ。おまたせ~。」
「は、春香。危ないじゃない。」
「ていうか、まだ律ちゃん治療中なんだかんね! 亜美がミスったらどうすんのさ、もぉ~!」
「「ご、ごめんなさい」」
あれ、なぜ私まで謝らないといけないのかしら。
律子を見ると悲鳴を堪えているのか歯を食い縛っている。両腕の火傷は何とか半分近くは元に戻ってきたけれど、痛々しい光景と律子の地獄はまだ続く。水瀬さんも一人で戦うにはあまりにも厳しい相手。何とかもう少しでも戦力があればと思わずにはいられなかった。
その時、私の後ろで草を踏む音が聞こえた。
足音はザッ、ザッと早くもなく遅くもない速度で私たちに近づいている。
急いで振り向いた私は身体の芯が一気に冷めていくのがわかった。その存在に気付いたみんなが一斉に青ざめる。
春香は目を瞑って顔を背けた。我那覇さんは俯いて涙を静かに流した。真美は目を離せないでいた。あずささんは大粒の涙を流しながら嗚咽を漏らした。
足音は私たちの傍を通り抜けて高槻さんの隣でしばらく動かなかった。
盛大に啖呵を切ったけれど、それが恥ずかしくなるほどの劣勢だった。
中距離攻撃型の私と美希の遠近距離攻撃型とはそこまで相性が悪いわけではないのだけど、力量差がモノを言っている。そこそこの距離で電撃を放てば向こうは閃光を。近距離で放電すると鎌のように鋭い魅力を放ったスタンドマイクで直接攻撃。気まぐれに投げてきたと思えば、それは慌てて耳を塞ぎたくなるほどの、言ってみれば鉄と鉄を擦り合わせたような嫌な音を発しながら飛んでくる。離れすぎたら問答無用で陣を使った砲撃。どの距離も実践経験不足過ぎてギリギリで避けるのが精一杯だった。
魅力は響のおかげでそれなりに回復していたけれど、余裕があるわけでもない。無くなれば誰かと交代してまた回復するのに時間がかかる。
一撃当たるだけでも瀕死になりかねない攻撃を無尽蔵に打ち込んでくる。反則よね、あんなの。
今、美希との距離はだいたい30メートルほど。私の電撃の射程距離は約200メートル。十分に届く距離だけどそれは相手も同じ。しかも30メートルなんて美希の速さを考えたら在って無いようなものだ。瞬きをするだけで目の前には鎌を振り上げた美希。
「くっ・・・!!」
横に薙がれた刃を仰け反って避けると前髪が数本舞い散る。蹴り飛ばされないようにそのまま数メートル落下する。それを追いかけて頭上から真っ二つにしようと縦にまっすぐ振り下ろす。身体を左に捻って回避して一気に放電する。周囲に飛び散る電撃の雨が数発美希に直撃するもダメージが薄くてすぐに体制を立て直される。つまり追撃が出来ない。攻撃した私が逆に追撃される始末。振り回す鎌を寸前で何とか避ける。
人間とは咄嗟や瞬発的な集中を発揮すると意外に避けられたりする。左から右への上段横薙ぎを屈んでかわし、続いて切り返しで下段をジャンプのような形で足を屈めて避ける。そのまま美希は身体を回転させて右下段から左上段への斬り上げを屈んだまま無理やり側転でギリギリかわしてオーバーヘッドキック。驚いたことに振り上げていた美希の左肩に直撃して落下した。落下したのに蹴られたのと反対の右腕を伸ばして閃光を放ってくる。
その一撃を私も右肩にカスってしまい少量の血が舞う。
痛みで一瞬両目を閉じてしまった。
その一瞬の隙が私の目に”終わり”を映していた。
目を開いた時には目の前に美希の手のひら。
「バイバイ。」
あぁ・・・。これで終わっちゃうんだ。
時間稼ぎにもならなかったな・・・。
ごめんね、千早。ごめんね・・・やよい。
頭の中にはそんな言葉しか出てこなかった。大きく丸くて明るい月が私たちを照らしていた。
私が上空へ飛び上がって僅か6分弱。春香と交代して3分半ほど。戦い始めて2分強。思ったよりも持った方だろうか。もう私の命は1秒もないのかもしれない。
私はそっと両目を閉じる。涙がゆっくり流れる。
恐怖は不思議とない。でも、形容出来ないほどの悔しさが私の心に渦巻いている。
悔しい・・・スゴく悔しい。
勝てなかった・・・。
守れなかった・・・。
防げなかった・・・。
命を諦めるのがこれほど悔しいことだなんて思わなかった。
しかし、それを理解したところで今更どうしようもない。
きっと一瞬だろう。私の身体が塵も残らないほどに焼き尽くされて夜空を舞う。
そんなイメージが出来てしまうほど私の傍に死が寄り添っていた。
熱かった。
目を開けると視界には一面の青。
でも、その青はすごく熱かった。
それが通り過ぎた後、美希の姿はそこには無く・・・代わりに。
「苦戦してるみたいじゃないか。手を貸すよ。」
真が居た。
第十二章
終