「そっか……なんか安心した」
「安心?」
「だってここでゆきのんのことをまだ好きじゃないとか言い出したら、さすがに鈍感とかっていう話じゃないだろうし」
笑いながら話す彼女の表情は明るかった。でもいつも学校で見る彼女の表情とは違った。無理に笑っているのは誰が見ても明らかで目を逸らしそうになるけどこれは俺が犯した報いなんだ。
何故なら俺はこんなにも可愛い女の子を振ってしまったのだから。可愛くて、人辺りが良くて、周りをしっかりと見て、それでいて優しい女の子を振ってしまったのだから目を逸らしてはいけない。
由比ヶ浜結衣がどういう性格で、何が好きで、何が嫌いなのかも知っている。彼女と一緒に旅行にも行ったし、文化祭も話したり、俺と雪ノ下の間にはこいつの存在がなくてはならないのだ。そんな彼女は告白したんだ。俺に。比企谷八幡に。学校中の嫌われ者で他人よりも一人でいることに慣れていると強がってて、他人の為なら平気で自分を犠牲にする俺は彼女は怒ってくれて、泣いてくれて、そして……好きと言ってくれたんだ。
何度でも言う、この事実を。由比ヶ浜結衣は比企谷八幡に告白し、比企谷八幡はそれを断ったと。
「さーてじゃあかえろっか」
「ああ」
それから駅に向かって、電車に乗り、俺達はそれぞれの家へと帰って行った。電車に乗ってる間も一言も話さず、別れ際も「じゃあね」の一言だけ。最もこんな状況で何をどう言えばいいのかわからないし、今日起きた出来事を思い返しても未だに信じられない。
由比ヶ浜結衣が俺の事を好きだった。その事実だけでも頭が混乱する。今までそういう雰囲気はあったものの、期待すれば、違う時のショックがでかいと思って期待はしなかった。それにここ最近は雪ノ下の事で頭がいっぱいで他の事に目をくれてやれるほど余裕はなかった。
てか落ち着いて考えてみろ。4月に入ってからなんか俺、おかしくね?
雪ノ下に由比ヶ浜、それに一色からも好きって言われてる。何これ? ハーレム系主人公目指してないし、築く予定もないよ?
まあ信じられないだろうか事実だし、俺はその事を受け止めなきゃいけない。ドッキリとかではなく、本気で俺の事を好きになってくれた彼女達に申し訳ないからな。
そう考えてると俺は一人の女の子のことを思い出す。その子との出会いはあの修学旅行で俺達の関係がすれ違っていた時、彼女はやってきた。それから何かと俺を引っ張り出して、仕事を押し付けたり、時にそれは奉仕部を巻き込むこともあった。
でもあいつは言っていた。
「私はずっと頼りっぱなしでした。正直最初は生徒会の仕事を手伝ってほしくて、先輩にあざとく接したりしてました。でも一緒に仕事していくうちに先輩と一緒にいる時間が楽しくて、そのうち先輩と一緒にいたいから仕事をお願いするようになりました」
俺はベットに転がって、小さくため息を吐く。そして携帯を取り出して、LINEを開くと履歴からその名前を見つけて、メッセージを送る。
『夜遅くに悪い。あのさ、夏休みに入ったら暇な日あるか?』
「せんぱーい! こっちですよー!」
「ほーい……」
朝っぱらからテンション高い後輩は目の前にあるビーチに向かって走って行った。天気はあいにくの晴れ。残念ながら海になって、クーラーの効いた涼しい場所に行こうという俺の期待は打ち砕かれてしまった。
夏休み入って数日経ったある日。一色と共に海に来ている。もちろん俺が行きたいって言う訳がない、一色の希望である。
「先輩の高校最後の夏の思い出作りに協力してあげますよー! とりあえず夏と言ったら海じゃないですか? てなわけで海行きましょー!」
と、強引に押し切られ、朝から電車に乗って今しがた着いたばかりだ。
「じゃあ先輩。先に着替えに行ってくるんで、適当に場所取りよろしくです」
「ああ。その辺探しとくわ」
「よろしくですー」
海開きを開いているビーチということもあり、更衣室や海の家。また近くにホテルがあるのでマリンスポーツ等も行えるとのことだった。もちろんそれだけの設備が整っているのなら、当然利用客も多く、まだ朝九時だと言うのにすでに砂浜は人で溢れており、至る所にレジャーシートとビーチパラソルがある。
それでもなんとか端の端まで行くと比較的空いているところは多く、レジャーシートを広げ、一色を待つこと数分。
「お待たせしましたー」
着替え終わった彼女がやってきた。チョイスしてきた水色のビキニは白い肌に良く似合う。ちょっと控えめな感じがするがそれでも周囲の男性から注目を浴びているので俺まで見られてる気がして気まずい。
「どうですか? 先輩」
当の本人はそんなこと気にしている様子もなく、くるっと一回転する。楽しそうな彼女はえへへと笑っていた。
「まあ……いいんじゃねえの」
「へへへ……先輩が好きそうなの選んだんですよ?」
「そうなのね……まあありがと」
「どういたしまして」
本人が喜んでいるのでいいとしよう。一色が来たので俺も更衣室へ行き、水着に着替え戻るとさっそく泳ぎに海へと向かう。
「そういえば先輩って泳げるんですか?」
「そりゃあな。小学校の頃はプールの時間に潜水して、楽しそうに話しているクラスメイトにバレないように手水鉄砲で顔に水をかけたりしてた。あのスナイパー気分は最高だったな……」
「悲しい遊びをしてたんですね……」
ちなみに潜水時間が長すぎて、人扱いされず、しばらくは周りの奴らから妖怪比企谷としていじめられていたのは内緒。
緩やかな波に足をつけると冷たい感触がするがそれを堪えて、少しずつ海の中に入ってく。そーっと、そーっと。
「うわー気持ちいい。先輩、もっと沖まで行きましょう!」
「いやあんまり遠いとお前の身長じゃ足つかなくて、溺れるんじゃ」
「だったら先輩に捕まるんでいいですよー」
そう言って、俺の手を引いて、どんどん沖の方へと進んでいく。そりゃあもうぐいぐいと。すぐに水深は深くなり、ビーチが遠のいていく。
「おいどこまで行くんだよ」
「どうせなら行けるところまで行きたいじゃないですか……つっ!」
急に一色の動きが止まった。様子を見ると足の指を手で押さえており、痛がっている様子だった。
「足をつったか?」
「はい……」
「だから言わんこっちゃない……戻るぞ」
「いえ……ここからは先輩の番です」
俺の番? と、言おうとした時、急に一色はおれの首に手を回して、しがみついてきた。当然体は密着しているので胸も当たっているし、何か足も腹のあたりの絡めて来てる。海の中じゃなければちょっと間抜けな感じになってるかもしれない。
「先輩の身体って絡みやすいですね。てか細くないですか?」
「これでも自転車通勤で少しは鍛えてるはずなんだかな」
「まあその辺はあとで聞くのでブイのところまでれっつごーです!」
はいはい……。言われるがままに進んで行く。ブイの近くには人はおらず、ビーチにいるライフガードが望遠鏡越しにこちらを見ているのが遠目からでもわかる。なのでさっさとブイのところに行って、とっとと戻ろう。一心不乱に進むが一色がしがみついているので胸が当たる感触や顔が近くにあるのが見えるとつい意識してしまい、思わず足を止めそうになる。
「先輩、あと少しですよ」
「わかってる……はいついた」
ブイに捕まってひとまず落ち着いた。途中で足がつりそうにはなったが案外行けたもんだ。ブイから見る海はビーチから見る海とはまた違って、海がどれだけ広いかを認識させてくれる。水平線の先は肉眼では確認できず、海の広さと深さ、そして何だか引き込まれそうになる怖さを感じる。
「さてそれじゃあようやくお話できますね」
「え?」
「ビーチでお話したらうるさいじゃないですか。だからわざわざここまで来たんですよ?」
「話す?」
「だって話すことがあるから、デートに誘ってくれたんですよね?」
首を小さく傾げてこちらに聞いてくる一色は髪が塩水で濡れ、未だに俺にしがみついてるから肌の感触を感じられ、それでいて上目使いで聞いてきている。
ここまでの演出も計算のうちか? と一瞬考えるもそんなはずないと思い込んでしっかりと一色の顔を見る。
「それじゃあ私から聞きたいことを聞いてもいいですか?」
「ああ」
波に揺れながらもブイに捕まっているから溺れる心配はない。もしかしたらライフガードが勘違いしてくるかもしれないがその時はその時だ。今はこの静寂な場に連れて来てくれたので話すことに集中しよう。
「単刀直入に聞きますけど雪ノ下先輩の事、好きなんですか?」
「ああ」
以前とは違って、きっぱり答えた。今更恥ずかしがることじゃないし、それに気付かせてくれた親友の為にもちゃんと答えるのが筋だと思ったからだ。
「はあーやっぱりかー。予想していたとは言え、なかなかストレートに言われると傷つくなぁ」
「ご、ごめん」
「そうやって謝られると余計に傷つくんでNGですよ、先輩」
むっとした表情でこちらを睨んでくるので思わず動揺する。さすがに誤魔化すのはまずいと思ったから、ちゃんと言ったけどそれもまずかったの? こういう時なんといえばいいんだろうか……。
「で、結衣先輩はどうするんですか?」
「ああ。由比ヶ浜に関してだがこの前告白された」
あっさりと答える。衝撃的な事実を。一色はへ?とわけのわからない顔をしているがすぐに我に返って、
「はあ!? どういうことですか!? 何があったか全部話してください! ぜ・ん・ぶ!」
「わかった、わかった…..」
それから俺はお台場での出来事を一つ一つ丁寧に説明した。アトラクションに乗ったことや待ち時間に話したこと。それから砂浜で告白に至るまでどういうことを話したのかを。
気付けばあの日の出来事をほとんど話しており、聞いている一色もだんだん真面目な顔でそれでいて途中から目を逸らしながら聞いてくれていた。
「まあなんだ。あいつのおかげで雪ノ下が好きってことも認識できたし、本当に感謝してるんだ」
「……ふう。結衣先輩、本当に頑張ったんだなぁ」
空を見上げながら、いないはずの由比ヶ浜に語るように一色は呟いていた。
「先輩」
「何だ?」
「好きですよ、私。先輩の事」
「……知ってる」
「ありがとうございます」
波に揺られながらの会話はそれ以上することなく、俺達はライフガードの人がブイの所まで来る間、ひたすら空を眺めていた。