士官学校編の冒頭を飾ってたのですが、独立させました。
〈閑話〉パン職人の憂鬱
パンを焼く。沢山パンをひたすら焼く。
「馬鹿野郎。使い終わったら竃をきちんと掃除しやがれ。そこ、もたもたするんじゃねぇ」
「へい、親方」
忙しいがパン屋としては嬉しい限りだ。
上等な小麦を使った白パン。保存性の高い黒パン。そして乾パン。パンと言うより、堅焼きのビスケットなんだが、それを含めて、毎日、毎日、パンを焼く。
昔、親方から独立したばかりで青二才だった俺も、今じゃいっぱしの職人面して、徒弟を雇い、女房と娘のいるささやかな所帯を持てたのも、我が王国海軍が士官学校を開いてくれたお陰だ。
廃兵院の頃には患者と看守ばっかりで、門外に出る奴らなんて皆無だったが、二十年前、何も無かった郊外にこうして小さな門前町みたいな集落が出来たのもその為だ。出入り御者として軍関係に納入する事で、安定した収入が得られる。
「父さん。粉屋のおじさんが…」
「何だ? 今月の支払いは済んでるはずだぜ」
愛娘の声に顔を上げると、娘の隣に馴染みの粉屋の野郎が立っていた。
顔色が良くないな。
「どうしたい。不景気な面だぜ」
粉屋の主人、ガヴドはここに居を構えて以来の仲である。パン屋と粉屋であるから二人三脚の様に、ずっと親しく付き合いをさせて貰っている。
「悪い知らせだ。…砂糖を来月から値上げせざる得なくなったんでな」
値上げ…だと?
「おいおい。冗談は顔だけにしてくれ」
「北の方で何かあったらしい。物流が途絶え気味でな」
こいつは粉屋だが砂糖や塩、調味料も扱っている。
北方。我が王国の砂糖供給源である甜菜糖の産地だ。サトウキビから作られる南方の竹糖と違い、国内生産でまかなえる分、廉価な甘味料として普及している。
「噂の戦か?」
「戦端は開かれてはいないが…。今は買い占めは起こっていないが穀類も軍用として買い上げられつつあってな。
まだ北以外の供給量が豊富な分、さしたる影響はないが、場合によっては」
「小麦も値上げか」
軍の兵糧用として買い上げられてしまう可能性は否めない。
俺はため息をついた。こりゃ、士官学校の経理に掛け合う必要がありそうだ。場合によっては特別配給を回して貰いたいとな。
「やだねぇ」
「全くだ。単なる国境紛争で終わって欲しいぜ」
俺と粉屋は顔を見合わせて肩をすくめた。
グラン王国とマーダー帝国は幸い、直ぐには戦火を開かなかったが、これが長い間のにらみ合いとなり、物価に関して一喜一憂する事態に陥るなんて、その時は思わなかったぜ。
〈FIN〉 <