エロエロンナ物語   作:ないしのかみ

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外伝をお届けします。
結構な長さになってしまったよ。
久々の『エロエロンナ』です。お楽しみ下さい。


〈外伝〉、実習航海14

〈外伝〉実習航海14

 

 館の中は混乱中であった。

 前日の無理難題の要求に加え、新たに難題が持ち込まれたからである。

 

「これは確かにロートハイユ公爵家の物ですね」

 

 手紙の確認を行ったベクター男爵が呟く。

 これを調べるのに書庫から貴族年鑑を引っ張り出し、わざわざ封蝋を壊さない様に調べ上げるのに時間が掛かった。

 開封し、更にサインをも確認するとまごう事なき本物であるのが判明する。

 

「如何しましょう?」

 

 傍らに勤める家令のエドワード、この島には珍しい男性のそれだ、が尋ねる。

 仕立ての良い簡素なドレスに身を包んだ女男爵は、「貴方はどう思うのかしら?」と逆に質問する。

 家令はごほんと咳をすると、「では…」とおもむろに口を開いた。

 

「ビッチ・ロートハイユ公爵令嬢は本物です。となれば我が男爵家で歓迎すべきですな」

「門前払いはならぬと?」

「はい。少なくとも、我が家へ迎え入れるべきです」

 

 男爵はチラリとエドワードに視線をやり、「その後は?」と続きを促した。

 まずは歓待して様子を見るべきと彼は続ける。

 相手の目的が分からぬ以上、手出しは避けるべきとも。

 

「こちらが注意すべき人物の一人が、こちらの手中へとやって来たのですからな」

「もう一人は、侯爵家の息子だったわね」

 

 ボルスト侯爵の次男。名はダニエルとか言ったか。

 練習艦の名簿にあった要注意人物だ。この二人の他に高位貴族の子女は確か居ない。他は子爵以下の中堅貴族ばかりだった。

 万が一、敵に回しても何とか切り抜けられる筈だ。

 

「とにかく、歓迎の支度を調えなさい」

 

 家令は一礼すると、他の使用人に対して指示を出して行く。

 

「海賊の要求でさえ頭が痛いのに……」

 

 高価な窓ガラスの外を見詰めて、ベクター男爵は盛大なため息をついた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 カルシスの町は平和そうな田舎町であった。

 無論、領主の居する領都であるから、それなりの発展をしているものの、港町ポートバニーに比較したらその繁栄度は比べものにはならない。

 

「いずれ、古都と言われる様になるでしょう」

 

 馬車内でガリュートの説明にビッチは頷いた。

 今でも食料供給の要であり、隣の領主に備えた軍事的要地ではあるが、経済的な中心は既にポートバニーへと移っている。

 よって軍事も騎士中心の陸軍よりも、港防衛の海軍に力を注ぐ必要がある。行政の中心が移るのも時間の問題だろう。

 

「そんな中で、海賊との結託。海に対する防備の薄さを突かれたと見るべきかしらね?」

「かも知れません」

 

 ビッチの問いにガリュートは顔を曇らせた。

 

「男爵は軍艦をお持ちですの?」

「本格的な物は僕が留学前に一隻あった筈です。でも、稼働しているかどうかは怪しいと思われるのですが……」

 

 記憶をまさぐりながら答えるガリュート。

 軍艦は金食い虫である。地方貴族の間では、平時は軍艦を持たず、必要になったら漁船なんかを徴用して臨時の軍船に仕立てるのが多い。

 

「艦種は何ですの?」

「ガリオットです。残念ながら、それ以外に軍艦と呼べる船はありません」

 

 ガリオットは小型ガレー船の一種。小回りが効いて、低乾舷な為に浅瀬での活動に向いているが、逆に言えば荒れる海では活動が困難になる。

 また、どのガレー系の船でも同じであるが、漕ぎ手を多数必要とするので食料搭載の問題から長距離航行には向かない。

 風魔法を用いなくとも自由に航行が可能なのが利点だが、漕ぎ手の人員確保とその維持費に頭を悩ませる事になる。

 

「漕手は確保されてますの?」

「いえ、現国王時代になってからは」

 

 ガリュート曰く、昔は漕ぎ手に奴隷を用いていたのだが、奴隷制が廃止されてる今日では、必要な漕ぎ手確保は至難の業であるそうだ。

 必要人員が居なければガレーは動かない。補助に帆も持つが、それでは漕走船の特徴を殺しているような物であり、戦力としては計上出来ない。

 

「建造されてから年月も経っていますし、そろそろ代艦の話も出ていた位ですから、戦力としては余り頼りにならないと思います」

 

 ガリュートは、もし海賊が攻めてきたら頼りになるかは怪しいと述べる。

 

「港で象徴としての置物になっているのかも知れませんね」

 

 マリエルが口を挟む。

 

「パイロットボート(水先案内艇)の方が目立ってましたしね」

 

 こちらは御者台に座るハミーナ。

 あっちの方がばりばりの現役だが、あれは軍艦として使うのには小さすぎる。

 

「さて、いよいよ男爵邸ですわ。覚悟は宜しくて?」

 

 会話している内に目的地に到着した様だ。

 門に立っている衛兵が、跳ね橋を下ろしてビッチ達の馬車を迎え入れる。

 屋敷は地方貴族の典型的な城館で、本土の貴族家の様な屋敷だけの物では無く、周囲に堀と塀を張り巡らした小さな要塞である。

 近隣の勢力との抗争や、山賊や魔獣の襲撃ら備えた実戦タイプの砦であった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 アリエル達は海賊と思しき者達を監視していた。

 メイド服は注目を集める服装だと思われがちだが、白いエプロンを脱いでカチューシャを外してしまえば、案外、目立たない地味な服になる。

 彼女らは路地を利用してその早変わりを実践し、一般市民に溶け込んでいた。

 

「ダニエル様を追跡していった奴は放って置いていいのですか?」

 

 テルミはアリエルに問うが、ベテランの侍女長は肯定した。

 曰く、「あの存在は主だって気が付いているから、放置しても問題ない」と。

 後れを取る事はあるまいとの判断である。

 

「それより、残った奴らが何処へ行くのかを突き止めるのが先決です」

 

 屋台近辺に残る男達。

 目を付けていたゴロツキの他に、市場の各所から其処此処から集まり始め、案外、数が多い。

 全部で五人。

 リーダー格が支払いを済ませると、海賊の仲間らしき者達はたわいも無い会話を交わしながら、やがて移動を開始した。

 無論、侍女二人は耳を立てる。

 

「こいつら……、海賊ブロドールの配下ですね」

 

 屋台の影からそっと移動しつつ、テルミは呟いた。

 その途端、どかーんと大きな物音がして、近くの酒樽が吹き飛んだ。

 

「テルミ! もっと用心深くありなさい」

 

 バラバラになった酒樽の付近から立ち上がったのは侍女長のアリエル。

 手には伸びた男が捕まえられている。

 屋台の親父だ。アリエルに掴まれて放り投げられたのだろう。

 落下地点にあったラム酒浸しになって失神している。

 

「侍女長」

「こいつも仲間でしたよ。貴女はこいつを引っ立てて練習艦へ戻りなさい」

 

 アリエルは「ふん」と鼻を鳴らして、グロッキーになった親父を同僚に引き渡す。

 

「私は先程の男達を追跡します」

 

 言うが早いが、アリエルは影となって素早く姿を消した。

 敵わない。侍女長は戦闘侍女と言うより、本気で『闇』に就職出来るのはないのか?

 テルミは上司の身のこなしを、呆気に取られて見送るしか無かった。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 一旦、堀と塀を越えると城は簡素な佇まいだった。

 石造りの荒々しさが目立つ本館は、内郭から見ると砦と言うより、居住用の城館風に改造されていた。

 大きな窓が並び、貴重な窓硝子が填まっていて、もし内側へ敵兵が侵入したら如何にも脆そうな作りになっている。

 

「元は城塞風であったのでしょうに」

 

 ビッチは呟く。しかし、戦が程遠くなった時代に、戦争よりも住居としての快適さを求めるのは仕方が無い。ロートハイユ家でもそうであったからだ。

 およそ、城塞という軍事施設は住居とは相反する設計思想で作られている。

 窓は狭く、陽が入る事は無く、湿ってじめじめして暗い。

 湿気が篭もり、かび臭く、鼠や虫などの嫌な生き物が大量発生する。

 防衛を最優先するとこうなる。

 

 だから、戦争が多発する時代では、城とは純粋な防衛施設であって、城主ら居住者は普段は城で生活する事は余りなく、城の側に生活用の別棟を建てて、普段はそこで生活する物であった。

 今でも、紛争地域の近くの城塞はその形式だ。

 

「母上が継ぐまでは、仮設の城館があったらしいですが……あの」

「何ですの?」

「私はこれを着なくてはなりませんか?」

 

 服を前に困惑する男子。

 メイド服。いわゆる侍女のお仕着せである。

 

「当然です。貴方本人であると、男爵に晒す訳には参りません」

 

 とはマリエル。ちなみに貸し出した服一式とウイッグの持ち主である。

 

「うーん……」

「なら、ビッチ様のスカートの中で行きますか?」

「……着替えます」

 

 マリエルのその一言が決め手となって、渋々だが異裝が行われた。

 もっともガリュートは屋敷内へ同行するのはリスクが大きい為、ミモリと一緒に馬車でお留守番に回される予定だ。

 屋敷内を見学する気満々だったミモリは不満げだが、無学なヤシクネーを伴っての訪問は拙いし、馬車に工作される恐れもあるから、馬車を無人にする訳にも行かなかったのである。

 流石に知り合いの多い邸内で、その姿を見せるのは都合が悪かろうとの配慮で、基本的には彼は馬車内で待機する事となる。

 馬車内を覗かれても、遠目には誤魔化しやすいからだ。

 

「では、これを」

 

 言いつつも、手にカトラス(船刀)を持って降りるビッチ。

 二本の内、一振りをガリュートに渡すのは万が一の用心の為だ。もう一振りは、裾をたくし上げて太股に吊してあるが、ボリューミーのあるドレスのせいで、全く目立たない。

 

「行きますわよ」

 

 ビッチは侍女二人の前で宣言する。

 後ろで「いってらっしゃいませ」と、にわか仕立てで覚えた礼をするのはミモリ。

 本当なら元気良く、手をぶんぶんと振りながら「いってらっしゃーい」と大声で叫びたいのだが、それは「メイドの作法としては駄目」と教えられたので我慢する。

 

「ミモリ達もお留守番、宜しくお願いしますわね」

 

 後ろを振り返りつつ、公爵令嬢は残留組に声を掛けて歩み始める。

 ミモリ〝達〟で、ガリュートの名は出さないが当然含まれているのは、言うまでも無い。

 前方には男爵側の使用人達が、案内しようと待ち構えていた。

 

「ご案内宜しく」

 

 先導役の客間侍女(パーラーメイド)らしき年配女性へ、主に代わってハミーナが告げる。

 客間侍女はメイドの中でも接客担当の使用人で、沢山のメイドを雇える家庭にしか存在しないが、従僕(フットマン)の様な男性使用人の代理という面も持っているので、これを雇っている家は〝男性を雇えない金銭的余裕の無い屋敷〟と家格が位置づけられる事が多かった。

 もっとも、バニー諸島では人口比の問題から男性の使用人を雇える家の方が少ないし、客間侍女自体も世間的に地位が向上して、昔程は低く見られる事は無くなっている。

 

「では、こちらへ」

 

 先導され、歩き出す一行。

 客間女中に続くのはハミーナ。その後ろに豪華なドレス姿の主人が続き、最後尾にマリエル。

 前後に侍女が位置するのは、当然ながら護衛を兼ねているからだ。

 

 正面の石段を昇り、邸内へと入ると印象が一変した。

 無骨な砦と言った風情は何処へやら、床には絨毯が敷き詰められた広いロビーが現れる。

 備えられた窓から入る日差しで室内は暗くない。

 正面には大階段があって、その奥が客間の様である。階段の左右には連弩を持ったヤシクネー像がそれぞれ飾られていた。

 騎士みたいにいっちょ前に胸甲を身に付けているのが、何となく可笑しい。

 

「お嬢様。射線から外れます様に……」

 

 ハミーナが目配せすると後ろからマリエルが近づいて来て、ビッチの耳に囁く。

 

「やはり?」

「罠の類いですね。あの連弩は遠隔の無人砲座です」

 

 小声で確認し合う主従。

 ビッチは「まさか、今の段階で撃つとは思えませんわね」と述べるが、侍女二人は警戒して、それぞれ主の横へと己の位置を変える。

 左右の連弩の射線前に立ち、主の盾となってカバーしようとする姿勢である。

 

「堂々としてれば宜しくてよ」

 

 ビッチはその心遣いに感謝しつつも、鷹揚に構えていた。

 恐らく、あのヤシクネー像の下にある台座の中に射手がおり、台座自体が旋回して広い射角に矢を浴びせる構造になっているのだろう。

 弾倉の大きさから、連射可能な数は限られるだろうが(左右合わせて二十射程度か)、弩だけあって威力はありそうだし、不用意に足を踏み入れた侵入者は酷い目に遭うに違いない。

 だが、ビッチは像から視線は感じても、敵意は無いと判断した。不意に像がこちらを向く様だったら困るが、今の所は大丈夫そうだからだ。

 射手からは死角となる階段に辿り着き、侍女二人は警戒を解く。その時、階段の上から小柄な人影が動いた。

 

「ようこそ、ロートハイユ公爵令嬢」

 

 コルセットもフープも使っていないシンプルなドレスを身に纏っており、左右に女騎士を伴っている所から、この女性がベクター男爵本人なのだろう。

 

「男爵閣下ですの?」

「はい、この領地を治めるロザリア・ベクターと申します」

 

 女性は答えた。

 姿形はガリュートの面影があるので、贋者では無いとビッチは素早く判断する。

 

「この度はこちらへ旅行の最中、御領主様にご挨拶をと思って立ち寄らせて頂きましたわ」

 

 ビッチは続けて「震災の被害に遭ったとの話。お悔やみを申し上げますわ」と続け、頭を垂れて哀悼の意を表した。

 勿論、前後の侍女二人も同じである。

 

「ありがとうございます。さ、こちらへどうぞ」

 

 男爵は三人へ手招きをすると、くるりと背を翻して奥へと消えた。

 ビッチらも階段を昇り、男爵の後へと続く。

 やがて客間らしき部屋へと案内され、席を勧められる。

 

「このカルシスは、幸いにして被害は大きくありませんでした。しかし……」

 

 男爵は窓の外を見る。

 

「ポートバニーですわね」

「はい。そちらの被害は大変大きかったと聞き及んでおります」

 

 ビッチの言葉に返事を返す男爵。

 『聞き及んでいる?』との言葉に違和感を感じるビッチ。

 

「直接、港の被害を見ていないのですか?」

「お恥ずかしながら、別の用件が立て込んでいまして……」

 

 男爵は寂しく笑うとビッチに向き直り、「さて、本当のご用件を伺いたく思います」と口にする。

 やはり、挨拶だけではないと見抜かれていたか。

 ビッチは息を整えて、「貴方のご子息のお話です」と核心を突く。

 

「やはり、貴女は海軍の方でしたね」

「判りますの?」

「入港した船の記録はこちらにも届いております。公爵令嬢を載せた客船は寄港していませんからね。消去法で言うなら、貴女は身分詐称をする贋者か……」

 

 最後までは言わせず、その言葉を継いだのはビッチである。

 

「エロンホーフェンに乗り組む士官候補生、と言う結論に達しますのね?」

「前に寄港した際、人員名簿に貴女の名がありましたからね。

 取りあえず、本物のロートハイユ公爵令嬢なのは確かですから、粗略な扱いは出来ません」

 

 そう語る、ベクター男爵の言葉には裏があった。

 要するにロートハイユ公爵家の名が物を言っているのだ。王国有数の大貴族で無ければ、とっくのとうに謀殺されていたかも知れない。

 

「息子の問題ですが、今はそれどころでは無いのです」

「あら、ガリュートの問題よりも重要なんですの?」

 

 男爵は下を向いて顔を伏せる。

 ここはもう一つの核心に迫るべきだろうか?

 

              ◆       ◆       ◆

 

 バニー本島には入り江となっている場所が無数にある。

 しかし、条件が良い場所のみが選ばれて、多くの場合は港として利用される訳では無い。

 入り江の状態が良くても、後背地が山だったりすると港としては不適格だし、水深や大きさの問題だって関わってくる。

 地元の漁船が利用するだけの物だってあるのだ。

 

「これは……」

 

 アリエルが葉影から慎重に相手を監察する。

 船影がある。

 

「ブロドールの艦ですね」

 

 侍女長に確認するテルミ。取って返してきたばかりである。

 海賊らしき男達を付けてきて、発見したのが目の前の船だ。

 ご丁寧に海賊旗なんかを船尾に掲げている。

 

「旗艦ではなさそうね。先遣隊の一隻ね」

「あっ、もう一隻やって来ますよ。侍女長」

 

 入り江を回って一隻の船が姿を現す。

 巨大で異様なシルエットの船だった。左右からアウトリガーを突き出した三胴艦で、その上に張られた甲板が特徴的だ。

 それにもまして異様なのは、その甲板上に蠢く巨獣達である。

 

「竜母ですって」

「えっ、ビッチ様の報告にあった騎竜母艦ですか」

「ブロドールはこれを背景に、ベクター男爵を脅迫している可能性があるわね」

 

 甲板を歩いて中央船体の格納庫へ入りつつある竜を見て、テルミは絶句した。

 アリエルは手でテルミをそっと招くと、「ダニエル様達に報告を」との命令を伝える。

 

「侍女長は?」

「私は此処に留まって監視を続けます。奴らの動向を掴む必要があるでしょう」

 

 アリエルは顔を上げると、テルミに早く行く様に申しつける。

 後ろ髪を引かれつつも、テルミは己の任を果たすべく、上司に従ってその場を離れた。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「出歩いちゃ、危ないんじゃないですか」

 

 ミモリが仰天したのは、ガリュートが馬車の外へ出たからである。

 彼は苦笑して、「この格好なら大丈夫だよ」とウイッグを直しながら言った。

 

「軽くそこらを見てくるだけだ。この屋敷には土地勘もある」

 

 言い終わるや、彼は駆け出した。

 あっと言うのに建物の影へと消える。

 

「私がビッチ様に怒られちゃいますよぉ」

 

 涙目になるヤシクネー。不自由な脚のせいで追えないのだ。

 ミモリにお構いなく、ガリュートは勝手知ったる城の中を突き進んだ。

 

「確か、こっちだったな」

 

 故郷を離れて三年。もしかしたら館の配置が変わっているかとも危惧したが、どうやらそれは杞憂に終わった様だ。

 秘密の通路(と言っているが、子供の頃に開拓した抜け道)も以前のままだ。

 時々、歩哨が立っている場所が一番苦労した。

 裏手に回り、目が届かぬ所から建物内へと侵入する。

 向かうは地下牢。

 

『相変わらずだね』

 

 地下はかび臭く、手入れは成されていない。

 子供の頃から破損した鍵なんかもそのままだ。

 廊下は細い隙間から差し込む、小さな明かり取りだけが光源である。灯火なんかは燃えておらず、夜のとばりが降りてしまえば一寸先は闇だろう。

 

『昼間で助かったな』

 

 徐々に闇に慣れた目で、ガリュートは慎重に歩を進めた。

 恐らく、目的の人物はその先に居る筈だった。幾つかある収監室の一つにだ。

 

「どなた……ですか?」

 

 到着すると同時に、か細い声が闇に木霊する。

 どうやら気配で気付いた様だ。

 その声のする部屋を覗き込むと、横たわっていた大きなシルエットがむくりと動いた。

 

「ルゥか?」

「! ガリュート様」

 

 カタカタと石畳に硬質の足音が響き、扉に付けられた小さな覗き窓に顔が現れる。

 ルゥ・ピプン。前回、館からガリュートを逃がしてくれたヤシクネーである。

 

「地下牢に閉じ込められてたと予想してたが、やっぱりか」

「ガリュート様。ガリュート様ぁ」

 

 泣き顔になる彼女をガリュートは「よく頑張ったね」と褒め称える。

 そして扉を調べて行く。

 流石に此処は鍵がちゃんと機能している。昔は壊れていたのだが、ルゥを収監する際に直したのだろうが、やはりお粗末な造りである。

 

「応急修理のつもりなんだろうが、安普請で助かる」

 

 スカートの下からカトラスを抜き、鉄棒の代わりにはめ込まれている木の棒を叩き折った。

 南京錠は取り替えたのに、こんな所が手抜きなのは、やはりバニー本島が長年平和慣れしすぎているからなのだろう。

 彼女の収監先が警備隊の獄舎で無かった事を感謝すべきかも知れない。あっちは現役だから、こうは行かないだろうと思う。

 

「済まない。苦労をかけた」

 

 錆び付いて立て付けの悪い鉄の扉を開けて、ルゥを抱擁する。

 ルゥの顔には疲労の色が濃い。

 ヤシガニ体の方は外骨格だけに目立った変化は無いが、上半身の方はげっそりと痩せてしまっている。多分、何日も絶食させられているのだろう。

 

「お腹が空きました」

「此処を出たら何かを奢るよ。さて、歩けるかい?」

 

 こくりとヤシガニ娘は頷いた。

 元来、ヤシクネーはタフなので基礎体力の方は余り落ちていないのだろう。

 

「さて、行きはよいよい、だが帰りは…」

 

 欠伸している歩哨だが、ルゥを連れて戻るのは一苦労になるかも知れない。

 

              ◆       ◆       ◆

 

「海賊船が停泊してるのか」

 

 練習艦エロンホーフェン。

 ダニエルの元に捕虜は連れ込まれ、更に侍女は無事に帰還した。

 彼女らの報告を聞いたダニエルは、苦々しい顔で呟く。

 

「どう言う事?」

 

 肩の上に乗ったクローバーが問う。

 ダニエルはここらやや離れた目立たぬ入り江に、既に海賊の先遣艦が到着している旨を告げる。

 無論、それはブロドールの全艦隊ではない。

 

「大した戦力では無いと思うが…」

「いえ、ダニエル様」

 

 テルミが深刻な顔で否定する。思いの外、戦力は大きく、ブロドールはその力を背景に、ベクター男爵を脅迫していると。

 

「この目で竜母を確認しました」

「何だとっ?」

 

 騎竜母艦。ビッチの報告にあったあれか!

 

「確かに竜母があれば、地方の男爵領の一つや二つ、灰燼に帰せるな」

 

 とはパカ・パカ。しかし、それは搭載竜が揃っている場合だ。

 彼はテルミにその規模を尋ねる。

 

「正確では無いかも知れませんが……。

 全長は60mクラス。搭載騎竜は8頭を確認しています」

「8頭か、こりゃ手強いな」

「格納庫に入ってる竜は未確認です。恐らく、プラス数頭は増える物かと…」

 

 とテルミ。

 彼女とて海軍士官学校に入った主を補佐する為、海軍の知識は学習している。竜母の存在とその構造も叩き込まれているが、何しろ実物にお目に掛かるのは初めてである。

 それでも60mは大型艦で、主力艦隊に一隻居るか居ないかのレベルであり、8頭の竜がどの程度の戦力を有しているのかは知っている。

 

「竜母の他の戦力は?」

「小型のキャラベルだけです。こちらは典型的な海賊船ですね」

 

 テルミはダニエルに答えた。

 主は腕を組んで長考に沈むが、不意に顔を上げてテルミを呼ぶ。

 

「何か?」

「お前はこの情報を持ってビッチの所へ行け。

 この情報がベクター男爵に対して、何等かの武器になるやも知れんからな」

 

 テルミは一礼すると風の様にその場を去った。

 ダニエルはそれを確認すると、傍らの副官を呼ぶ。

 

「カラット。俺はこれから艦長の下へ行く。第10班の指揮代行を任せるぞ」

「いよいよ、決戦、決戦なのね」

「クローバーは少し黙れ。パカ・パカはその捕虜を引っ立てて付いて来てくれ」

 

 両名は「はっ」と返事を返した。

 

              ◆       ◆       ◆

 

 会見は曖昧に終わらされ、男爵は「では、ごゆるりと」との言葉と共に引き上げた。

 男爵曰く、「逗留するのならここを使って下さい」との言葉と共に提供された部屋は申し分の無い物であったが、無論、ビッチらが浮かれる事は無かった。

 

「どういうつもりでしょう?」

 

 盗聴の危険もある。ハミーナは【楽音】の魔法を発動し、優雅で多少騒がしい音楽で周囲を満たしながら、小声で呟いた。

 

「私達をどう扱うか定まっていないのでしょうね」

「ですわね。ハッタリとは言うものの、自分が公爵令嬢で大助かりですわ」

 

 王国有数の公爵家の娘を害したら、ロートハイユ公爵からどんな報復があるのかを恐れているのだ。しかし、もしロートハイユ家の内情に詳しかったら、こんな扱いはしなかったのに違いない。

 父、ロートハイユ公との関係は良くない。お義理で娘と認識している様な状況であり、娘の為に動くかと言えば、外面を取り繕う形だけの物になるのに違いない。

 

「激怒して『よくも我が娘おぉぉぉ!』となるとは思えませんわ」

「でも、ベクター領目当てに動きそうですよ」

 

 マリエルの指摘に、ビッチは「もっともですわね」と納得する。

 此処は豊かな領地である。娘の敵討ちを理由に攻める事は充分有り得た。

 一応、王国では建前上、領主同士の私闘は禁じられてはいるが、大義名分もあるから、王国とてこの報復戦を認可するしか無い。

 

 ガリュートの言から、本気になったら、ロートハイユ軍の海軍力(中型艦三隻を中心とする艦隊)でも圧倒可能な戦力しかなさそうだ。

 父は迷わずに嬉々として大軍を送り込むだろう。「ビッチよ。味噌っかすに見えて、よくぞ役立ってくれたな」とか言いながら。

 南洋の豊富なゴム、椰子、砂糖、ジュートは、それだけの価値があるのである。

 

「ロートハイユ令嬢。宜しいでしょうか?」

 

 こんこんとノックの音。主に確認すると、マリエルが「どうぞ」声を掛ける。

 声の主は部屋には入らず、「夕食の用意が出来ております。私は先触れで参りました。ご案内致します」と告げた。

 

「ベクター男爵は会食しますの?」

「既に食前でお待ちです」

 

〈続く〉




書き直し、書き直しの連続でしたが、これでも予定のエピソードまで行っていない。
うーん、拙いなぁ。
ベクター男爵とガリュートの件の解決まで書く予定だったのに…。
それと、ルゥを覚えている人はまだ居るんだろうか(笑)。 wy

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