よって文体は三人称です。
〈外伝〉実習航海2
「えーと、次期当主として皆にお披露目された後、当主の義務を果たすのです」
「具体的には?」
「あ、あたしが言ったとは皆には言わないで下さい」
ベッドの上でヤシガニ娘は懇願した。
ビッチは高圧的に「ロートハイユ公爵令嬢が命令します。言いなさい」と告げる。普段は余り好かない実家の名だが、武器として使えるのなら利用するのが彼女である。
「勿論、黙ってて差し上げますわ」
「ほっ、本当ですね。侯爵様」
「公爵令嬢ですわ」
訂正しても本当は士族なのだとは言わない。それに嘘は言ってないし、名乗るならはったりが効いた方が有利だからだ。
ヤシクネーは意を決したらしく、重い口を開く。
「男爵家の男子の務めとして、一族領民の皆に精を分け与えるんです」
「…精」
ちょっと顔を赤らめてしまうのは、ビッチもやはり15歳の乙女故か。
「あたし達、ヤシクネーに対してもです。その約定があるから、ベクター男爵家はこの地にて繁栄してきたと言われてます」
しかし、何となく謎は解けた。公式行事として乱交パーティをやろうとしているのを、副班長は逃げだそうとしているのだ。
ウサ耳族には男子が生まれる確率は少ない。その中で当主の家に生まれたガリュート兄弟は、男爵家にとって至宝みたいな扱いだったのだろう。
そんな時、兄が死んだ。外の世界で学んでいた弟へは、帰還せよとの矢の様な催促。
多分、これで捕まったら一生家から逃げられない。
「特に近年、男爵家は二代続いて女性当主でしたから、期待はいやが上にも高まっているんです」
「ガリュートが哀れですわね」
家の為に犠牲になる。それは貴族として生まれたからには当然の責務。
ビッチもそう教えられて育ってきた。領民へ高貴なる者の義務を果たす必要から、領地の安定の為に意に染まぬ結婚や、将来を選ばねばならない時だってある。
でも、やはり思うのだ。貴族個人の意思はどうなると。
「誤解なさらないで下さい。ゲルダ・ベクター女男爵は良き母上だし、良き領主であると思います。単なる一領民から見ても善政を敷かれています。
あたしみたいなヤシクネーにも、教育を施して下さったし…」
「教育?」
「読み書き計算です」
話によると領主が自ら学問所を開き、初歩的な読み書き計算を領民へ施しているらしい。
これは二十年前に王となったギース王との約定で、内乱になりかけた時にどっちつかずに位置していた貴族達、特に最後まで去就を決めかねていた者に対する命令だった。
曰く「俺に味方をするという意志があるなら、以後、公学校を建ててこれからずっと領民へ教育を施せ。それが、俺に対する遅参の詫びだと受け取ろう」である。
ビッチの実家、ロートハイユ公爵家はいち早くギース王の後ろ盾になっていたから、この要求は無かったが、数多くの貴族(全体の二割程)がこの要求に従う事になる。
その為、皮肉な事に敵対した貴族領の方が、今では識字率は上がってしまっており、産業面でも活力を付けてしまっているのだ。
学を付けた領民が創意工夫を行い、生産性が上がり、結果として富を持つ領民達が形作られる。領民は消費者となって商品が売れ、それだけ経済は回転する。
良い例が、このポートバニーの繁栄だろう。
「それに苦渋の決断で、ガリュート様を人質に送った訳ですし…」
「人質?」
それは初耳だ。
だが、話を聞いてみると、これも王位継承の乱からの影響で、ベクター男爵が王家への忠誠を示す為、生まれた身内を王国へ留学させているとの話であった。
ちなみにギース王は人質を要求した事はないが、王都へ留学に行く貴族子女達は自然と王家の人質扱いになるのは常識となっている。
王立魔法学院。王立軍学校。王立海軍士官学校。この三つに毎年、貴族が送られてくるのは、言外にそう言う意味がある。と、薄々ビッチも勘付いている。
「成る程。貴重なご意見、有難うございますわ。お送り致しましょう」
そうしてルウを部屋から解放し玄関まで送る。
外はもう真っ暗だ。ただ、田舎の港町はそぐわぬ街灯が立っており、結果的にかなり明るい。ポートバニーが豊かな街なのだと実感出来る。
この街を領地にするガリュートの実家は、かなりの勢力家なのだろう。自分が育った田舎の領地よりも遙かにインフラが整えられている。
「本来、お家騒動には関わらないつもりでしたのに」
ルウを見送った後、ぽつりと呟く。
自分の実家も内部対立がある。継承権下位なので興味は持てないし、そも「海軍へ入って、ロートハイユ家から独立します」と常に宣言しているから、火の粉が直接降りかかってくる事態にはないのだけど、継承権上位の兄や姉達は日夜政争を繰り広げているらしい。
「士族位も貰ったし、そろそろ本当にビッチン家を立ち上げるべきかしら」
だが、まだ実家の名を捨てるには早い。足元を固めるまでは利用すべき物は、何だって利用するとの計算が独立を押し留めている。
あと二年半。せめて、本当の海軍士官になるまで。
◆ ◆ ◆
「あ、伝令だ」
翌朝、第14班の点呼を取るビッチの下にガリュートの姿はなかった。その事を気にしつつも、彼女はさらりと点呼を終えた。
無論、内勤表での評価は×である。如何なる理由があろうとも、軍隊なのだから見過ごす訳には行かないからだ。
解散の命令を発した後、耳にしたのが「伝令」の言葉であった。
「あら、海軍の騎竜ですわね。定期便かしら?」
緑色の竜が広場の一角に降りてくる。
羽ばたきで速度を殺し、ホバリング体勢で四点着陸。前肢と後肢を同時に地面へと付ける海軍式の着艦法だ。
後肢だけで着陸する二点着陸法の陸軍からは格好悪いと中傷されるが、揺れの大きな艦上へ着艦する海軍竜は、格好よりも確実に竜を降ろして安定させる技術を好み、この四点着陸法が標準になっている。
同様に、竜の待機姿勢もべたっと地面に腹ばいになるのが基本だ。これも狭い艦上で竜が波で不意に体勢を崩し、滑って甲板を暴走したら大事故が起こりかねないからだ。
当然だが、着艦中は滑り出さぬ様に竜を係留索で固定する。
「ご苦労様ですわ」
本土からの定期便だろう。僻地や離島には腕木通信線が伸ばせないので、竜や船で物理的に情報を届ける必要がある。ただ、海上を飛ぶ連絡便は専ら海軍の担当になる。
多くの竜使いは川や都市等の地形を確認して飛ぶ、いわゆる地紋航法しか習得しておらず、何も無い海上での飛行を不安がるからだ。一方、海軍士官は天測航法が必須なので、海軍竜は太陽や星を観測して何も無い海上を飛行可能なのである。
ここで誰も近所に士官級が居ないのに気が付き、その場で一番階級が高そうなビッチが挨拶する。それだけで済むはずだったのだが…。
「…エロンホーフェンの者か?」
「はい」
「…艦長にこの…命令書…を」
竜騎士はそこまで言うとゆっくりと倒れた。
拘束帯で身体を固定しているので、竜座からずり落ちる事は無かったが、意識を失ってがくりと前のめりになっている。
慌てて駆け寄る。遠目には判らなかったが、良く見ると下半身が血まみれだ。右足と脇腹に折れた矢が突き刺さっている。
「誰か、誰か、お医者様を!」
拘束帯を解き、意識を失った竜騎士を抱えながら、ビッチは叫ぶのだけで精一杯だった。
◆ ◆ ◆
「半舷上陸中止と来たか!」
この血塗れ竜騎士が飛び込んでしまってから、南洋諸島の異国情緒を楽しみつつ、和気藹々と臨んでいた実習航海が、ぎすぎすした雰囲気に一変した。
上陸していた生徒達は直ちに船へ戻され、平時編制から戦闘配備に準じたシフトに移行したのである。
「今日の午後からは俺達の休みだったってのに、ついてないな」
ぼやくダニエル。一方、ビッチの方は血塗れ騎士の血を浴びた制服を着替え終わり、ようやく一息ついた所であった。
まだ港で助かったと思う。島の浴場で湯浴みす事が出来たからだ。
一端、船が出港したらこうは行かない。真水は貴重品であり、身体を洗うのは主に海水である。最終的に真水で仕上げをするにせよ、塩気を含んでいて髪や肌に悪そうだ。
「海賊が出てしまったのですから、仕方有りませんわよ」
「で、ただの海賊かと思うか?」
その侯爵子息の問いに、公爵令嬢は暫く沈黙するが、推論を交えて話し出す。
否と。
「ただの海賊が戦竜を持っているとも思えません。竜騎士は戦竜に奇襲された。連弩を浴びせられ、何とか振り切ってポートバニーへ辿り着いた。
明らかに賊は、こちらの騎竜が『海賊討伐の命令書』を携えているのを知っていたと見るべきでしょう」
甲板から見える光景は慌ただしかった。緊急出港に備えて備品の納入が行われており、ヤシクネー達が背中に荷物を背負って搬入を急いでいる。彼女らの硬質の脚がかちゃかちゃと立てる音が騒がしい。
「とすると、敵は海賊は海賊でも私掠船だな」
「明らかにマーダー帝国の、が付きますわよ」
かの国とは正式に戦端を開いた訳ではない。
しかし、公式な停戦はまだなされてはいない。
そして私掠船は軍艦ではない。準軍艦とでも言える性格の船舶であるが、正式な海軍の艦艇ではないのだ。だから、こうした紛争時に便利に使われる。
敵国の通商破壊を行い、打撃を与える為に。
その責任を追及されても「それは民間の愛国者が行った行為、我が海軍の方針とは無関係である」としらばっくれられる。
「竜母(飛竜母艦)を伴っているのかな?」
「まさかとは思いますわね。
でも、あの騎士様は敵の母艦を確認した訳でもありませんし」
竜母は飛竜を運用する為だけの軍艦だ。前後の甲板が広く、竜の搭載や発着に適した構造になっている。だいたい、十頭前後の竜を搭載する。
しかし、余りにも竜搭載に特化しすぎた特殊構造である為、他の任務への転用は難しく、帆走装備も貧弱な為、機動性は悪く、かつ大型な為に鈍足である。
民間船である私掠船には向かない不経済な特殊船であり、今回は伴ってはおるまいと考えたい所である。
「今夜出港予定だけど、ビッチの班は全員収容出来たのか?」
「いえ、副班長がまだ帰還していません」
門限までに戻れるのだろうか。
ふと不安になる。その時、ダニエルを呼ぶ声が後ろから響き、彼が会話から離れる。
「搬入完了しました。数量確認お願いします」
そう問うてきたのは、荷役作業をしていたヤシクネー。
ヤシガニ部分は青地に暗赤色で、脚の生えてる第二胸部の上に荷台を設置している。無論、今は荷台は空だ。
女性の上半身はかなりのダイナマイトボディで、特にブラに包まれた胸は爆乳であると言える。美人だが野性味ある顔立ちの美女であった。
「ああ、これは…あるな。大丈夫だが、保存食がもう少し欲しい所だ。頼めるか?」
「追加ですね。10ケース程で構いませんか」
「15だな。間に合うか?」
ダニエルは当直士官。この搬入に関しての責任者でもある。
この手の交渉は、士官になったら頻繁に行われるので、今から慣れさせる為に教官からも一任されている。
「大丈夫ですが、値段は相場の二割増しになります」
「高い、一割にまけろ」
「妥当な値段ですよ。では一割五分」
無論、値切り交渉も経験の内だ。
これも実技なので後で教官に調べられ、実技採点の対象となる。
「良かろう。搬入を急いでくれ」
「契約書にサインをお願いします」
差し出された内容を確かめ、羽根ペンでさらさらとサインを入れる。
ヤシクネーはしげしげとそれを眺めると署名を大事そうに丸め、一礼して下がった。
「契約書を持ち出されるとはな」
「ここの亜人や魔族には、口約束は通じませんわよ」
ルウにだって通じないと思う。
口約束を利用して、後で契約を反故にするテクニックはある。物資さえ手に入ればこっちの物。立場はこっちの方が上だから、「あの時、相場の半分でと言った筈だ」とか難癖付けてしまうやり方だってある。
だが、それは海軍としては禁じ手にすべきだとビッチは思っている。それは他者の無知、無学を利用した悪しき商習慣だし、今後の信用に関わるからだ。
我々は王国民を守る軍人なのだから、その王国民相手に苦しめてどうするとの矜持もある。
「この港町では少なくとも文盲や、無学の者はかなり少ないと見るべきですわ。特に先程のヤシクネー姐さん的な、荷役の頭領ならば尚の事でしょう」
「ま、いいか。一割五分なら、悪くない取引だからな」
ダニエルは気持ちを切り替える。そして自分の第10班に命令して、運び込まれた補給物資を船倉へと格納する指揮に移った。
チラリとビッチは時計に目をやる。
船には甲板に航海用の大時計が設置されている。本体である精密な機械部分はここには無く、これは端末で、本体は船内に設置され、長い航海の間、時が狂わない様に厳重に管理されている。
一日の誤差は僅か数秒。その針が長・短針共に、真上を向こうとしていた。
「そろそろ正午ですわね。全く、副班長は何やってますのやら」
正午と同時に、船鐘の綱を握っていた当直兵が盛大に鐘を鳴らす。
あと三時間で門限だ。一応、エロンホーフェンの出港予定時刻は18:00(ひとはちまるまる)。それまでに間に合えば良いのだが…。
◆ ◆ ◆
「では士官、そして見習士官諸君、概要を説明しよう。
本艦は実習航海を中断。本国から連絡のあった海賊退治へと出発する。
この海域に海軍所属艦船は本艦しかおらぬ事。
そして実戦を通して腕を磨くのも、また立派な実習であると私が判断したのだ。
では、質問に移ろう。疑問点がある者は挙手の上、発言したまえ」
艦長のエッケナー大佐は皆を睥睨する。
時間は14:00(ひとよんまるまる)。
ここは士官室。普段は士官の溜まり場で、玉突き台なんかも置いてある高級サロンだ。
本職の士官。そして各班長となっている士官候補生達が一堂に集められ、作戦会議を開いていた。
「敵の推定戦力は?」
「不明である。本国からの情報だとナオ級の中型私掠船が1隻だが、敵飛竜の存在が出た事で不確定となった。艦隊を組んでいる可能性もある」
「敵のこれまでの行動は?」
「商船3隻を拿捕、撃沈。我が国本土沿岸の村を襲っての略奪行為。犠牲者は三百人を超えている。由々しき事態だ」
「我が軍の援軍は?」
「軍としては出ない。西艦隊に所属する『ウルーカ』が急行してくれる事を祈るが、余り期待は出来まい。ただ付近の私掠船に動員を掛けている。との話だ」
ウルーカはグラン海軍の保有するフリゲート艦だ。やや古いが、戦力的には期待出来る。しかし、西艦隊は法国付近の国境を守る艦隊だから、この東海域に派遣されるかと言えば、艦長の仰る通り、かなり心許ない。
ビッチは挙手した。助けた竜騎士の事が知りたかったのである。
「竜騎士の安否か…ふむ、重傷であるが、聖句魔法が間に合ったので命に別状はない。しかし、回復するまで時間は掛かるし、残念ながら足に後遺症は残るだろう」
「彼の竜は如何しますか?」
「本艦に艦載したい所だが、残念ながら本艦には乗り手がおらん。ここに残して行くしかあるまい」
「残念です。一応、騎竜免許は持っていますが…」
でも、軍用の戦竜には乗った事はない。この航海にユーリィが参加していればと思う。彼女は戦竜に乗っていた。
ビッチは彼女の故郷で年老いた老竜に乗って遊んだだけなのだ。本家で酷使されていた草竜で、のんびり余生を過ごす為にビッチの住む地方領へ回されてきたのだった。
免許は洒落で取った。その竜は12歳の時永眠し、以後、彼女は竜に騎乗する機会はなかった。
だが、それを耳にした会議の面々はざわついていた。
「ビッチ・ロートハイユ士官候補生。それは真実(まこと)か?」
「はい。民生竜でしたが…」
暫く間があった。大佐は自慢のカイゼル髭を撫でると、やがて重々しい口調で一つの命を下した。「では命令する。以後、貴官は臨時に竜担当を任ずる」と。
「え」
「復唱!」
「はいっ、ビッチ士官候補生。竜担当を拝任いたします!」
いいのだろうか。と悩む。
自分は騎竜の専門家じゃないのだけども。
と言うか、海軍式の着艦、やった経験が無いのに気が付き顔が青ざめる。
しかし、軍隊に於いて命令は絶対なのであった。
〈続く〉
もしかしたら、次はようやく対艦戦を描写出来るかも。
やっとタグ「海戦」が、嘘にならずに済みそうだ。