〈幕間〉
古妖精達はメルダ法を使う我々と違い、ルーン法と呼ばれる単位を使う。
1ルーンは約4Km。1コーダは約4m。1ラングは約4kg。と言った具合だ。
対して我々の使うメルダ法は、古代王国期に設定された物だと言われている。超古代文明期に使われたルーン法を廃し、新た設定した物であるのだが、これも起源がはっきりしない。
古代王国の中興を担った【落ちてきた】英雄、テラ・アキツシマが設定したとも言われているが、テラは一代で数々の改革、発明を成したとされる実在が疑われる人物なので、話半分に聞いていた方が良さそうだ。
紙や蒸留酒、果てはスリミの様な練り物を発明し、
メルダ法…当時はメートル法と言っていたらしいが…や時間を60進法。ひいては24時間に制定する単位改革を行い、
木から樹液を採ってゴムを普及させ、
コークスによって製鉄法を改良して弩砲を完成し、
数々の戦場で指揮を執っては不敗を誇ったなどという人物が、果たしてたった一人の英雄として存在しえるのか?
テラに当たる人物は複数存在し、それが一人に集約された偶像として史書に載っているのではないか。
そう考えた方が自然であろう。
王国アカデミー著『古代王国の謎』より。
〈エロエロンナ物語4〉
風鈴亭。
埠頭に面した船員通りにある、賑やかな喧噪に包まれた船宿だ。軒先に吊してある風鈴が目印で、それが店名の由来であるらしい。
ニナとあたしは商会へ宿泊する予定を変更し、船長達が宿を取ったこの風鈴亭へやって来た。万が一、政変でもあった場合、義姉の家へ迷惑を掛けない為よ。
「姫様も一杯どうです?」
「美味しそうね。頂くわ」
到着した時には船長以下、水夫達の酒盛りが始まっており、あたしらもそれに混ざって夕食を取っている。
「わぁ、同じ船宿だけど、うちとは違って繁盛してますねぇ!」
同業であるラーラは何か役に立つのでは無いかと、出された料理や宿のインテリアなどを色々観察しているらしい。
「……」
あの少年はラーラの隣に座っている。相変わらず無口。だが、出された食事には手を付けており、口がもぐもぐと動いて咀嚼しているのが分かる。
「姫様。屋根裏部屋ですが、一室取れました」
フロントで宿泊交渉をしていたニナが戻ってきた。「ご苦労様」とあたしは彼女を労う。定宿とは言うものの、急な宿泊客追加なので満室を恐れていたけど、何とか空きがあったみたい。だから、それが屋根裏だろうが有り難い。
「これから、ラーラはどうするの?」
皿に載った地魚の揚げ物を突きながら、あたしは尋ねた。
「やー、いつまでも姫様達のお世話になるのも心苦しいですから、エロンナ村行きの船を見つけて、一旦、帰郷しようと思ってますよぉ」
「帰りは急がないから、途中で寄航して送り届けてあげるわよ。二日後に抜錨予定だから、船長も構わないでしょ?」
「構わんぜ。ラーラ嬢ちゃんの作る飯は美味いから、こちらから頼みたいぐらいだ」
船長の言うとおり、ただで乗船するのも心苦しいとして、往路ラーラはドライデンの厨房を手伝った。本職だけあって水夫が交代で作る食事より遙かに美味しく、船長なんか「いっそ、船の料理番として雇いたい」と誘った位なのよね。
「でも、この子の事が心配で…。彼、どうなっちゃうんでしょうねぇ?」
少年に付いては頭が痛い。こっちに着いたらエロイナー商会を頼って人捜しをする予定だったけど、その目論見は潰えた。
「教会付属の施設に預けるしか無いと思いますが」
と語る、ニナの意見は順当だった。残念だけど、あたし達は最後まで責任を取れる様な立場には居ない。
「!」
がたっと席を立つ少年。そのまま駆け出すと出口から夜の町へ。
「え、ちょ…」
とっさの事で反応が遅れる。「姫様はここでお待ちを!」と言い残し、しなやかな動きでニナが続く。
そう言われても「はいそうですか」と、大人しく従うあたしじゃ無い。運ばれて来たばかりの夕食が心残りだけど、当然、あたしも追いかけたわよ。
◆ ◆ ◆
船員通りはろくな街路灯が無い。先行するニナのバニースーツが明色系であるのが幸いだ。そして月明かりがあって助かる。
波止場の近くだし、数軒の船宿の他は倉庫ばっかりで、一般市民が繰り出す様な場所じゃ無いけど、それにしても暗い。
「何で追ってきたんですか」
「あたしの性分じゃ無かったからよ。あたし付き侍女なら分かるでしょう?」
ニナが嘆息する。
「その癖、姫様は変な所で慎重で思慮深いんですよね」
少年は既にニナに捕まっていたわ。まぁ、身体能力の高いウサ耳族の戦闘侍女は伊達じゃ無い。それでも彼が風鈴亭から数百mも逃げられたのは、あっぱれなのかも知れない。
「帰りますよ。物取りの類いが出たら物騒です」
ニナが促す。そこへ、がらがらと大きな音を立てて前から荷馬車がやって来た。何を積んでいるのかは知らないけど、近づくにつれて異臭が漂う。
「…フロル様か?」
御者台の男が呟いた。少年はそれを耳にした途端、硬直する。
「ほう。教授の魔手を逃れたってのは、そいつらか」
男がぎろりとあたし達を睨んで言った。良く見ると男は漆黒のローブにフード姿の異様な出で立ちをしている。口元を覆った顔にぎらぎらした目だけが妙に目立った。
うん、こいつは黒頭巾と呼んでやろう。
ニナが前へ出る。カトラスを抜刀し、油断無く左右に視線を走らせる。
「やれ」
短い命令。すると馬車の荷台からむくり、むくりと人影が起き上がった。
「光よ」
あたしの唱えた【幻光】は、何故かこんな時だけは一発で成功するのよね。空に浮かび上がる光の塊は、周囲を照らし出した。
「貴方、ネクロマンサー(死霊術士)ね」
馬車より降りてくる人影は腐りかけの死体だった。そして良く見ると、荷馬車に繋がれた馬も腹から白いウジを涌かせ、白く濁った目をしたアンデッド。
動く死体、リビングデッドだわ。うええ、気色悪い。
「ご名答。しかし、フロル様共々、ここで亡くなって頂きます。ああ、死体は私の手下として有効利用しますので、心置きなく死んで下さい」
冗談じゃない。あたしも抜刀すると少年を庇う形で相対する。リビング・デッド共は石で出来た粗末な棍棒を掲げて、ゆらゆらとおぼつかない足取りで迫る。
「言って置くが仲間はここへは来ぬぞ。宿や船の方にも手を回してある」
御者台から降りつつ、黒頭巾は言い放ったわ。あいつをやっつけりゃ、何とかなりそうな気もするけど、壁になってる死体が邪魔ね。
「教会の手の者か」
発言したよ、この子。初めて意志のある言葉を口にしたわよ。あたしはびっくりしたけど、ここで敵から注意を逸らす訳にも行かず、横目で少年へ視線をやるだけに留める。
「それはお答えしかねますな。ここで天界へ昇天、いや、地獄とやらへ墜ちてから、ご自分で冥王にお尋ね下さい」
「やぁーっ」
ニナが突撃する。先手必勝とばかりにカトラスがリビング・デッドの身体に食い込む。しかし悲しいかな、相手は生身じゃ無かった。刃が背中まで突き抜けているのにまるで痛痒を感じてない。
「無駄じゃ。お、教授の方もやり始めおったな」
埠頭の方で大きな破裂音が聞こえる。倉庫の屋根越しに真っ赤な炎が天を焦がすのが見えた。そう言えば、黒頭巾の仲間が船の方にも襲撃をかけると言ってたわね。
『ぴーよーよー、びよよー』
聞き覚えのある不協和音。それがかすかに頭の中で響き出す。
「くそっ、放せ」
ニナの方はと見れば、貫通したカトラスが回収不可能になってしまったらしく、愛刀を抜こうと悪戦苦闘中だった。
そこへリビング・デッドのパンチがお見舞いされる。悲鳴を上げて小さな身体が吹き飛んで行き、石畳に数回身体を打ち付けて動きを止める。
「ニナ!」
あたしはニナへ駆け寄った。同時に精神集中が消えて、辺りを照らしていた【幻光】の光が消滅した。ええ、あたしの魔法の実力なんざ、こんな物よ。
駆け寄ったのは迂闊だが先程、ニナを殴った剣付きの奴がニナの方へと向かったからだ。このまま無防備なニナが追撃を喰らったら、命の危険がある。
剣付きの背中から全力を込めて刃を振るうと腐った腕が千切れる。
返す刀で胴を薙ぐと、腹が斬り裂かれ、あんまり直視したくない内容物が、吐き気を催す異臭と共に路上に飛び散った。しかし、それでもリビング・デッドの歩みは止まらない。
「姫様…うし…ろ」
息も絶え絶えのニナが顔を上げ、よろよろとあたしを指さす。あっと気が付いた時には、別のリビング・デッドが背後からがっしりとあたしを捉えていた。
「うああああ」
出るのは情けない悲鳴。でも痛い痛い痛い!
こいつ冗談じゃ無く、その怪力であたしを押し潰そうとしてるわ。
「聖なる力よ。浄化の光を持って、不浄なる者共に裁きを与えん」
突然、視界が白光で満たされる。そして身体を締め付ける圧力が消えた。ニナへとどめの一撃を刺そうとしていた剣付きも、分解される様に光に包まれた空中へと消えて行く。
あれ、これって聖句魔法(ホーリィワード)?
「くぅ、これがフロル様の力かっ!」
黒頭巾は馬車に飛び乗って逃げようとしたけど、それを引く馬も今は浄化されていない事に気が付くと、自分の二本の足で遁走する。
ええぃ、逃がさない。カトラスは締め付けられた際に取り落としてしまったから、とっさに路傍の石を拾う。石は重さもサイズも丁度手頃な拳大で、横投げの要領で恨みを込めて投げつけた。
「ぐげっ」
投擲された石は黒頭巾の後頭部に見事に命中。黒頭巾はカエルの声みたいなのを一声挙げてばったりと倒れた。余程、良い所に当たったのか、ぴくりとも動かなくなる。
「ニナ!」
侍女の方へ振り向くと、あの少年がニナの所へ座って手当てをしているのが目に映る。
あたしは再び、【幻光】の呪文を唱えて辺りを照らすと、ニナへ駆け寄る。
「施術で手当は施しました。そちらも良かったらどうぞ」
彼はそう告げてあたしを見た。
「その前に色々と尋ねたいわね。名前はフロルだっけ?」
「はい。今はその名で呼ばれています」
「別の名もあるんだ。でも、一番疑問なのは…」
「私が、何故、巫女にしか使えぬホーリィワードを使えるか、ですね」
聖句魔法。生命とか癒やしに関する魔法体系。
精霊魔法や錬金術などの他の魔導体系と決定的に違うのは、それが女性にしか発現しない点にある。何故かは知らないけど、男性には使えない。
「だけどフロル。貴方はそのホーリィワードを使って見せた」
フロルは肩をすくめる。
「そうです。だから追われてます」
「教会にね。それって聖教会?」
聖教会。中央大陸で広く信仰されている白の神達を祀る教会。
ただ、最近は権威的な世俗主義が強くなり、権勢欲に塗れてきていると古参は嘆く。
「それを知ってしまうと、姫様もこちらの事情に巻き込まれますよ?」
「とっくに巻き込まれてるのに、何を今更…」
「ははっ、違いない。私さえ国から離れてしまえば迷惑を掛けないと計算してたのですが……他国でこれだけ派手にやらかすとは」
少年改め、フロル君は星空を見上げて叫んだ。
「甘かった。ええ、大甘だった。何が聖女だ!」
「姫様。お話中失礼しますが、ニナは宿か船に戻られ、味方へ合流する方が宜しいかと提案致します。最悪の場合はエロイナー家を頼るべきかと…」
復活したウサ耳侍女がそっと告げたわ。聖句魔法になってすっかり元気になっているみたいね。
「そうね。ここなら波止場の方が近いから、ドライデンへ参りましょう」
最悪の場合。それは宿と船の双方が全滅している事態だ。あたしはフロルの方へ向き直ると宣言する。
「フロル君。ここまで巻き込んでくれたんだから、来て貰うわよ。文句は無いわよね」
「ええ」
「それとニナ、あの黒頭巾ネクロマンサーを縛って連れてきなさい」
「無理です。姫様の投石でぽっくり逝っちゃってます」
「え?」
一瞬、思考が止まった。
「当たり所が悪かったみたいですね。見事に事切れてます。姫様、初戦果おめでとうございます」
なんですと?
「口を割らせるつもりだったに…口封じしてどうする、あたし!」
おいおい、黒頭巾。確か「お前達を死体にしてやる」とか喚いてなかったの。
って、あたし、何気なく初めて人を殺しちゃったわよ。
〈続く〉