気分転換に書いたら、結構長くなってしまった。
実習航海編に登場した、ヤシクネーのトイズ家が主役です。
〈閑話〉トイズ家の昼下がり
「ママレンジ、ママレンジ♪」
イマーイは水牛の乳を小麦粉でこねて、鶏卵と黒っぽい糖を入れる。
前肢にある鋏で鍋を固定し、かき混ぜながら、上半身の両手は卵を割って砂糖を振る。ヤシクネーだから出来る芸当だ。
「前掛け付けて焼きましょう♪」
アリーイは姉の歌を続けながら、コンロに炭をくべてレンジの調子を見る。
骨董品である。自分達が生まれる前からあって、日々、食事に供されてきた台所道具。母であるアサヒが遺してくれた大切な品だ。
「お姉ちゃん。まだー?」
「お腹空いたー」
「手伝おうかー?」
妹たち三人が台所の外で囃し立てる。
今日は二週に一度の安息日。普段ならイマーイ達年少組の五人も、それぞれの職場へ行っており、職場で配膳される昼飯にありつけるが、休みの今日は自前になる。
「ミドーリ、ロッソは黙ってなさい。サーンワは良い子ねぇ。お姉ちゃん、感激しちゃうわよ。でも、大丈夫。手伝わなくても平気よ」
「ずるーい。あたしとミドーリは重労働なんだから、お腹も減るの」
「渾身の力を込めて糸吐いてるんだからねっ!」
ミドーリとロッソの職場は製糸工場。サーンワは姉達と同じ麻畑だ。
「普段から良い物食べてるんだから、我慢しな」
アリーイが振り返りながら叱る。
「「ぶーっ」」
ヤシクネーの特性を生かしてお腹から糸を吐き、それを元にして魔糸を紡ぐのは確かに重労働だが、それだけに工場側でも高カロリーな食事を用意してくれている。
肉や魚なんかである。一般的なヤシクネーの家庭では、一週間に一度並ぶかと言うご馳走だ。製糸工場側も品質の悪い糸を出されると困るので、糸を吐く従業員には毎日、こうした豪華な昼食を会社持ちで出してくれるのだ。
「はい、焼けたわよ」
フライパンを持ったまま、姉のイマーイが現れる。
黒々とした黄色。熱々のホットケーキが皿に移されると、ヤシクネーの妹たち三人は「わぁっ」と歓声を上げる。無理も無い、まだ10歳なのだ。
「ホットケーキ、久しぶり」
「お母さんの得意料理だったのよねぇ」
「お母さんが亡くなってもう二年だよねぇ」
姉妹は口々に語ると、自前の鋏でケーキを切り分けてそれぞれの口に運ぶ。
「仕事には慣れた?」
「うん。ただ、連続して糸を吐くのが難しいの。ミドーリなんか怒られてる」
「あーっ、それロッソだって同じじゃない」
その会話を耳にしたイマーイは「二枚目はもう少し待ってね」と言って、再び台所へ下がる。同い年なのだけど、一番上だけあって気苦労も多い。
母が生きていればなぁ、とつくづく思うが、口は出すまいと決意しているので黙る。
「職場の先輩は凄いわよ。ふんっと力を入れると、連続してしゅるるると糸が出るの」
「そうそう、それが何分も続くの」
「あたし達なら、一分位で限界。スタミナ切れじゃないから糸は出るんだけど、どうしても切れ切れになっちゃう」
糸は撚り合わせる事で長く加工するが、それでも短い糸よりも長い方が喜ばれるのは自明の理である。品質的には一定の太さの物が高級品とされるが、姉妹の出す糸は途中で太さが変わったりして、等級は低い。
「先輩は、あと二年もすれば一級品が吐けるわよって励ましてくれるんだけど」
「あ、いいな。あたしの所の先輩は嫌みな奴だから、いっつも『愚図』とか叱るだけのババア。でも言うだけあって実力はあるのよねぇ」
ロッソはやっぱ、ヤシガニ体が太った方が良いのかなとも思う。あのババアも下半身が物凄く大きくて太ってる。大量の糸が出るのもその為だろう。
上半身が太るのは嫌だけど、今度、脱皮した時にたらふく食って、下半身を太らせようかとも考える。
「製糸工場で優秀な工員になると、母様みたいに稼げるからねぇ」
末の妹サーンワはしみじみと言う。
麻畑は単調で危険な作業も多い割りに、余り稼げない。幼いから割りの良い仕事は大人に持って行かれる。だから、加工場の方に進んでやろうと決意している。
「だけど、結構辛いっていつも言ってた。身をすり減らすから、あたし達に女工になるのは反対って」
確かに母は優秀で、三十人姉妹(先に産んだ十八人姉妹。加えてイマーイ達は十二人)を女手一つで育てた。
もっとも生存しているのは半分以下だが、それでも何とかやって行けたのは、母が優秀な糸吐きだったからである。
体内から大量の糸を吐き出し続け、表彰される事数回。基本給に加えて多額のボーナスも年間貰っていた。いい加減、補修の必要があるこの家を、新築で手に入れられたのもその為である。
「糸吐きって過酷だよ。母さん頑張りすぎて、早死にしたって言われてるし。
先輩からいつも全力だったって聞いた。あ、だからかなぁ。あたしに先輩が優しいの。母さん、職場で慕われてたらしいし」
「きっとババアがあたしに辛く当たるのは、ライバル工場の好敵手をだったからね」
緑のボディを揺らしてアリーイが現れた。姉妹故に顔は見分けが付かないが、髪の色でどうにか判別が可能だ。
「ほい、ホットケーキ。三枚目は今、焼いてる」
「お姉ちゃん。午後からは出かけるんだっけ?」
「うん。イマーイと一緒にタカトゥク姉ちゃんの所へ行ってくる。脱皮の手伝い」
タカトゥクは彼女らの姉だ。十歳程年上である。
「お産間近なんだよね。危ないよね」
「まぁ、二、三日ずれてるけど、確かに脱皮と重なったら悲劇だよね」
脱皮とお産。どっちも大量に体力を消耗する。下手すると死んでしまうかも知れない危険な行為である。重なればそれだけ死のリスクが高まるのだ。
「あたし達も行こうか?」
「不必要。あんたらは食べて体力を回復しなさい。糸、吐くんだし」
「糸と言えば、知ってる?」
サーンワ曰く「この前、商品名がアラクネ糸になってた。ヤシクネ糸なのに」と不満そうに語る。正確には『アラクネ糸(高級ヤシクネ糸を使用しています)』だったらしいが、詐欺商法じゃないかと不満げである。
「糸の品質的にはヤシクネの方が高いのに…。うちらと違って、アラクネなんて殆ど糸を生産してないじゃない」
数の多さとヒト社会に順応している分、ヤシクネ達の製糸業は商業化されて久しい。対してアラクネは数も少なく、吐いた糸が出回る事は皆無に近い。
「そっちの名の方が、稀少品っぽくて売れるからなぁ…」とは、ミドーリの意見。
アラクネ糸とヤシクネ糸。どちらも伸縮性に富むのが特徴だ。
ウサ耳族の使うバニースーツが普及したのも、その材質にヤシクネーの提供する魔糸が容易に手に入った為でもある。レオタードに水着など、身体にフィットした服を造る際に伸縮性が欠かせないのだ。
「それでいて強く。触り心地もいいのが売りだから、高く売れる」
「ゴムが普及してからは、下着のシュアは落ちたけどね」
「姉さん達は、それでいいの?」
「ん、庶民の下着は相変わらず紐留めだけどね」
「いや、下着の留め具の話じゃなくて…」
プライドなのだ。とサーンワは力説する。
「そりゃ悔しいけど、あたしらは工場主じゃないし…」
「売れれば。そして、そのお金があたし達工員に回ってくるなら、あたしは名を捨てて、実を取るなぁ」
そこへ三枚目のホットケーキ。「まずは、貧乏から脱出してからだね」とアリーイが会話へ割って入る。
「工場主に『ヤシクネ糸って表示して下さい』って請願する程度なら構わないと思うけど、部外者のサーンワじゃ、鼻であしらわれて終わりだからね。
なら一国一城の主となって、製糸工場の主になって製品名を改善した方がまだ望みはあるんじゃない?」
不可能とも言える目標を告げる姉に、妹は押し黙る。
「無理」
「あたしは出来ると思うぞ。つーか、タカトゥク姉さんはそれを目指してる」
「「「ええっ」」」
妹たち全員が驚いた。それは寝耳に水の出来事だったからだ。
上の姉達とは年が離れている分、どうしても同じ歳の姉妹達と一緒に過ごす事が多く、余り交流はない分、余計に驚いてしまう。
「タカトゥク姉さんって、仕事何やってたっけ?」
「昔はあたしらと一緒で製糸工場務めだったよ。今は、転職して水商売」
「ああ、あの、娼…もとい風俗の…」
こそこそと会話を交わす、妹三人。
アリーイはふっと笑う。
「タカトゥク姉さんは店を持とうと頑張ってるんだ。娼館のね。
そして、いずれ金が貯まったら、製糸工場をやりたいとも言ってたよ」
「出来るの?」
やや不審顔のロッソ。
「道半ばだね。でも、妊娠させた相手の男が責任取るって言っててね、姉さん、玉の輿に乗れそうなんだよ」
「お金持ち?」
「商家の若旦那。大店じゃなさそうだけど、姉さんの店通える位は小金持ちだね」
アリーイは姉の相手であるヒト種を思い浮かべる。
良い所のぼんぼんで、ヤシクネーである姉を娶るとか、なかなか誠実な男であった。
多分、姉は本妻ではないだろうが、それでもいいと思う。
「タカトゥク姉さんのお店、そこそこ高級娼家だしね。あの大陸から来た男でしょ?」
「サーンワ、見た事あるの?」
「ちらっと。名はケージー・マールゼンだったかな?」
確かそんな名だったとサーンワは記憶している。
姉を訪ねていった時、その優男から「妹さんかい?」と問われて、店で酒ならぬ、パインジュースをご馳走になったっけ。
「それ、大物だよぉ!」
「自由貿易船団の主じゃん」
妹二人が驚きの顔で興奮している。対してアリーイとサーンワは顔を見合わせた。
「ここ数年で名を上げてる交易商人よ。船団も持ってるわ」
奥からイマーイが現れる。皿にはホットケーキが二枚。
イマーイは「あたしもタカトゥク姉さんから聞いただけで、詳しくは知らないけど」と前置きした後、かなりのお大尽である事を告げる。
「船団持ち?」
「マールゼンの商船隊って言ったら、あたし達の魔糸を買い上げて行くお得意様よ」
サンーワの疑問に答えるのはミドーリ。
製糸関係者ならとっくに周知の話だが、サーンワは知らなかったらしい。
「姉さん。そんな男に嫁ぐんだ」
「現地妻かもよ。嫁ぐとは違うんじゃない」
「でも、玉の輿だね。本当に工場主になれるかも!」
母であるアサヒ・トイズも現地妻だった。イマーイ達の父親は養育費だけを送る存在であったが、数年後、それは絶たれた。
生前の母曰く、「クエスターだったから、どっかでのたれ死んだのよ」だそうだが、それは好意的解釈だろうと姉妹は思っている。父は母を捨てたのだと。
「ホットケーキはこれで終わり。つーか、お前達、食べ過ぎ」
アリーイが皿を卓に乗せる。
一人一枚相当で焼いていたのだが、既に五枚目である。
「美味しいから」
「えへへ…甘い物が好き」
「やっぱり、この味だよぉ」
「御免ね。砂糖が黒糖なのが、今ひとつだけど」
その姉の言葉に姉妹は首を振る。
竹糖を現地生産してるから、本土よりはずっと砂糖が安価とは言え、白砂糖なんて高級品を要求するなんて恐れ多い。
それに、廃蜜が抜けていない、黒糖独特の癖が良い味を出しているのだから。
「お母さんの味だね」
「また作ってね」
「今度、焼き方教えて」
調子良いなとアリーイは思う。けど、やはり妹たちは可愛い。
彼女は「これから出かけるから、留守は任せるよ」と言い置く。
「今夜は?」
「泊まりになると思う。脱皮は一両日中だろうし、イマーイと一緒に寝ずに様子を見るよ」
「ご苦労様。じゃ、留守は任せといてね」
「備蓄の椰子、食べていい?」
「全部食べちゃ駄目だぞ。ミドーリは食い意地張ってるんだから」
「さて、出かけるよ、アリーイ」
「あははは、じゃ、また明日ねー」
ごく、普通の昼下がりだった。
しかし、イマーイ達は知らない。これがミドーリ達との永遠の別れである事を。
その夜、海底火山による地震と大津波が、フロリナ島を襲った。
〈FIN〉
「高級ヤシクネ糸を使っています」は、鮭缶の原材料「鮭(カラフトマス)」のノリ。
本編は来週更新予定。
今週中は一寸無理っぽいです。
<閑話>は結構すらすら書けるのに、難産なんですよね。