エロエロンナ物語   作:ないしのかみ

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ファタ・エロイナー女伯

〈幕間〉

 

 数万年昔に滅亡した超古代文明。それは謎に満ちている。

 古妖精族の口伝として伝えられる超古代文明が行った行為が、余りにも人間離れしているからだ。

 天にも届く巨塔を作り、光に満ちた眠らぬ都を一夜にして造り上げ、豊穣なる大地を一瞬に不毛の砂漠へと変える。

 現代人は大規模な魔導の技が使われた物と理解している。だが、それは違う。超古代文明は古代王国や現在の文明が基幹とする、魔素を用いなかった文明なのだ。

 信じられないが彼らは魔法ではない、別の高位な何等かの技術を持っていたのだ。

 

『ノルーデンの歴史書より』

 

〈エロエロンナ物語3〉

 

 それからドライデンは順調に航海を続け、二日後にはポワン河の河口に辿り着いた。

 

「いつ見ても目を疑う光景ね」

 

 今まであたしたちが航行してきたポワン河の西岸は緑豊かな山野が広がるのに対して、東岸は乾燥した不毛の砂漠地帯だ。陽の光を受けて白い砂がきらきらと輝いている。

 王国が主張する国境線は遙か東だけど、凶暴な怪物も多く、住む民も殆ど居ない砂漠は国土としたら無価値なんだろう。東からの脅威を食い止める防壁として、この河が事実上の国境線と認識されている。

 

「あ、あそこがエロンナ村です」

 

 ラーラが指さした先には、白い砂に埋没しかかっている様な小さな集落があった。村の港は小さく、あれでは大型船は寄港不可能だろう。

 

「じいちゃんごめん。王都経由で帰ってくるよ」

 

 無情にも村の側を通過して行く船上から、ラーラは手を合わせて謝っている。もっとも三角州に大小無数の河が流れている関係で、側と言っても本流からはかなり離れてるんだけど。

 

「姫様、古代の戦争ってどんなだったんですか」

 

 ニナは呆れ顔だ。確かにポワン河は幅が数キロにも及ぶ大河だが、河の左右でこれだけ地形と気候が一変してしまうのが大古の戦争の結果だとしたら、想像を絶する。

 

「さぁ、元々は西岸と同じく、緑豊かな沃土だったと伝えられてるけど、ハイロード種の妖精族でも無い限り、正確な歴史は分からないでしょうね」

 

 全ての妖精族の故郷、南大陸の妖精王国にはその歴史を知る者も居るんだろうと思う。でも、彼らは口をつぐんで何も言うまい。

 地形や気候まで一変させる戦い。今は失われた大規模な魔導が用いられたんたろうけど、これが現代まで伝わってないのは、僥倖なのだろうか。

 

「………」

 

 ラーラの隣には例の少年。やはり無言だ。海水に濡れた高価な仕立てのブラウスやズボンは脱がされ、今は船員達の身に付ける水夫服が着せられている。まぁ、これはラーラも同じで、あたしの着替えだったシンプルなドレスを着せられている。

 ニナの服はウサ耳族の民族衣装。肩出しで太もも丸出しの『バニースーツ』と呼ばれる露出度の高い服だ。流石にウサ耳族以外は着るのを躊躇われるから、あたしの着替えの出番となったのよね。

 因みにラーラには「わぁ、こんな上等な服、初めてですぅ」と感激されてしまった。いえ、あたしの服なんて貴族令嬢としては安物ですよ?

 

「お嬢。本流に入った。ここからは流れに逆らって遡行するので船足は遅くなる」

「有難う、船長。それで王都への到着は?」

「何も無いのなら三日後。予定通りだな」

 

 ここまでは海魔に遭遇した以外は、概ね順調な航海だったと言えるわね。

 

「あ…」

 

 そんなとき、今まで言葉を発しなかった少年が口を開いた。

 

『ぴーよーよー、ぴよよー』

 

 な、何? この頭の中に響いてくる不快な音色は。

 

「ニナ、調子っぱずれの笛の音みたいのが聞こえるんだけど…」

 

 ニナのウサ耳がびくんと動く。ウサ耳族に限らず、獣人は普段の生活に使う普通の耳と、人間や妖精には聞こえぬ音を捉える獣耳の計四つの耳がある。

 

「いえ、姫様。ニナには何も」

 

 聴覚の鋭いウサ耳族だけあって、ニナが嘘をついているとは思えない。じゃ、これは何?

 そう考えた時、船の前後から舟影が現れる。

 

「KILL」

 

 手漕ぎの小舟だ。但し、その船上にはぎっしりと黒ずくめの人影が詰まってて、白刃に煌めく物騒な武器を掲げている。

 

「KILL」

 

 あれは槍かな?

 

「野郎共、戦闘配置だ!」

 

 即座に船長の号令が飛び、あたしへ一礼をして離れて行く。だが突然すぎて、弩砲の準備も間に合いそうもない。

 

「姫様。奴らキル(殺す)とか物騒な事を呟いてませんか?」

「あたしにもそう聞こえるわ。って、私掠船を襲う賊なんて居るのね」

 

 何て命知らず。と呆れてしまう。

 

「KILL」「KILL」

 

 あたしは愛用のカトラスに手を伸ばした。女貴族や女騎士はレイピアみたいな優雅な細剣を愛用するものだけど、私掠船乗りとして海戦主体のルローラ家での獲物は船上で扱い易い短めのこの曲刀だ。

 

「KILL」「KILL」

 

 こいつらキルキル言いながら、登ってきたわよ。同時に頭の中の騒音も『ぴーよよーよ、よよよー』と一段と激しく、五月蠅くなってきたわ。

 

「姫様はお下がりをっ!」

 

 ニナが叫んで先頭で登ってきた黒ずくめを蹴り落とす。バニースーツから伸びたすらりとした長い足が一閃すると、相手はそのまま吹っ飛んで水面へ墜ちる。

 他の船員もニナ同様、甲板に立つ前に賊を叩き落としているらしく、あちこちで水柱が上がる水音が響いてる。

 

「KILL」「KILL」

 

 だけど数は多い。間もなく、乗り込んできた連中と船員達の剣戟が始まってしまった。

 

「ラーラ、船室へ!」

 

 あたしは少年とラーラを護衛しつつ、じりじりと後退する。ニナは既に側におらず、カトラスを抜いて敵と切り結んでいる。

 あたしだって刀槍は扱える。貴族子女の嗜み程度と侮っては困る。これでも海賊を生業とする家の娘として育てられたのよ。市井の暴漢を返り討ちにする位は容易いと自負しているわよ。

 だけど、それだけ。今目の前で行われてる殺し合いに関しては、圧倒的に実戦経験が足りない。ニナや義母は「要は慣れ」とも言われているけと、これ、慣れる事は出来そうも無いわ。

 

「KILL」

 

 が、向こうはそんなこっちの事情に合わせてくれる訳は無い。どう考えても戦う力の無いラーラと少年を船尾楼の船室へ押し込めると、扉の前で楯となったあたしに、ついに賊の一人が踊りかかってくる。その槍の一撃をがしっとカトラスで受け止める。

 

『ぴーよーよー、ぴよよー』

 

 まだ頭の中ではあの怪音が響いている。

 

『ええぃっ、五月蠅いっ。こっちは斬り合いに忙しいのよっ!』

 

 鬱陶しい。あたしは心中で思いっきり叫んでいた。

 

『!』と、頭の中で誰かが息を止める気配がした。同時につばぜり合いに勝ったこちらの刃が相手を薙ぐ。

 

「な…に?」

 

 あたしのカトラスは、呆気無く敵の横腹を切り裂いていた。斬り捨てられた黒ずくめはバタリと倒れて動かなくなった。あの笛の音が途絶えている。

 うわ…これであたしも人斬りの仲間入りなの。ねぇ?

 

「お、おい」

「な…何、これ」

 

 当惑したニナ達の声にはっとなって、あたしは周囲を見回したわ。見ると襲撃犯達は一人残らず床に転がっているじゃない。

 

「どうしたのニナ? 報告なさい」

 

 あたしは愛刀を鞘へ収めながら、呆然と立ち尽くす侍女へ命令した。

 

「奴らが動きを止めました。そしてばたばたと力を失って自滅したんです」

 

 あたしは床に転がる黒ずくめ共に目をやった。そして自分の斬った相手を確かめる。

 

「…あら、血が出てないわね」

 

 不作法だけど相手を蹴った。お気に入りのブーツを履いた右足が賊の身体をすくい上げてひっくり返す。ごろりと転がる衣服の切れ目から、青黒い油粘土の様な地肌が見えた。筋肉や内臓らしき物は無い。

 

「クレイゴーレム?」

 

 内心、「ああ、まだ殺人には手に染めてない。セーフ」との気持ちと、「敵は魔導士が錬金術師。厄介ね」という判断が入り交じる。

 

「姫様…」

 

 ニナが不安げにあたしを見る。

 

「あたしは専門家じゃ無いけど、これが傀儡の類いである事は分かるわ。船長、証拠になる一体をふん縛って、後は河へ投棄しなさい。また動き出したら面倒だから」

「了解だ。それっ」

 

 船長が敬礼すると水夫達にてきぱき指示を下して、クレイゴーレムをどんどん舷側から放り出して行く。

 

「あの~、チャンバラは終わりましたかぁ?」

 

 背後の扉が開いて、キョロキョロ辺りを窺うラーラが、その場にそぐわぬ間抜けな声を出した。

 

               ◆    ◆    ◆

 

 王都ハイグラード。

 国内最大の都市だ。ドライデンはその河港の一角に停泊していた。

 

「献上用の積荷は、一旦エロイナー商会に移して保管して貰います。姫様達も商会へ宿泊予定です」

「船長達は?」

「拾い上げたラーラとガキ、おっと坊主を連れて船宿の風鈴亭へ泊まる予定だ」

「いつもの定宿ね。出航予定日は…オーケー、後で顔を出すわ」

 

 埠頭で打ち合わせをしていたら、がらがらと車輪の音を響かせて高級そうな露天馬車がやって来た。御者台にニナが座っている。

 

「姫様。お待たせしました」

 

 馬車の側面にはエロイナー伯爵家の家紋がある。あたしはその車中の人となり、エロイナー伯爵家別邸へと向かう。

 

「ファタ義姉様って、一回しか会った事無いのよね」

「ニナも三回位しかお目に掛かってません。商会には何度か出入りしてますが、姫様とニナでは立場が違いますし…」

 

 あれから襲撃に警戒する日々が続いたけど、幸い、再襲撃も無く王都へ到着したわ。あたしは義姉であるファタ・エロイナー女伯を頼る事にしたの。

 まぁ、襲撃があろうが無かろうが、王都では女伯を頼る事は決定事項だったんだけどね。だって、ルローラ家には王都に屋敷が無いから。

 

「あんまりあたしに好印象を抱いてない雰囲気があるのよね。五年前は赤の他人だったから仕方ないんだろうけど」

 

 義母のセドナは「王都へ別邸持つなんて無駄。国政にも関わらないし、社交界にも出ないんだから」と言って、王都にある別邸(タウンハウス)を廃止してしまったそうだ。その代わり、共に貴族であるファタ義姉様とエルン義兄様が、王都における目となってセドナの仕事を代行してくれる様になったという。

 

「姫様は名前にエロが入ってるからじゃないですか。もし、将来独立の際に分家が出来て、家名にもエロが入ったら、エルフ的には凄い名誉だから、ファタ様が嫉妬してるとの噂が…」

「ないない…と思いたい」

 

 そう。エルフィン(妖精語)でエロは『光』とか、『輝き』って意味ね。だからエロって単語は大変に名誉があるのよね。エロイナーも『素晴らしき輝き』って意味だし。

 

「まさかですが、河口での襲撃はファタ様が黒幕で」

「あたしに将来エロが二つネームに入る位で、それは無いでしょう。一代で王国有数の商会をお創りになった方だし、その聡明さはあたしも憧れてるんだから」

 

 三代前の国王の時代、帝国との戦争で頭角を現し、その功績で貴族となったのがファタ姉様だ。王立魔法学院の主席で王国軍の一員として多大な貢献をした。

 従軍中に学園在学中からの同級生に見初められ、結婚。今は軍務や国政から身を引いて、代わりに夫の商家を引き継いでエロイナー商会を創立し、経済界の重鎮になっている。

 

「そんな義姉様が、まだ海軍士官学校にも入ってない青二才に嫉妬なんて、ねぇ?」

「…また自分を卑下する。姫様は充分凄いですよ」

 

 そんな会話を交わしつつ、賑やかな大通りを進んで行くと、ひときわ重厚な四階建ての建物が見えてくる。エロイナー商会本店兼エロイナー伯爵家の別邸よ。

 店頭にいた商会員に目的を告げると、あたし達は商会の奥に通された。当主である義姉はすぐ来るとの話で、暫く応接間で待つ事を告げられる。

 待つ事、十数分。

 

「お待たせしたわね」

 

 妖精種らしい背が高く細身。シンプルな緑のドレスに紫がかった銀髪を高く結い上げ、手に高価そうな魔法杖を持っている。三百歳を超えてる筈なのに見た目はヒト種では、まだ二十歳前後に見える女性。ファタ・エロイナー女伯だ。

 

「お久しぶりです。今回は義母の名代として租税他の納税を任されました」

「貴女に出来るの? まぁ、お手伝いしますけど」

「経営学は学んでおりますが、ファタ様に御教授願えるなら、是非ともその手腕を間近に見て勉強したく存じます」

 

 ほほほ、と義姉と上品に笑い合う。他人行儀なのが良く分かるわ。

 まだ値踏み段階。極端に好かれてなければ、嫌われている訳でも無い。とあたしは女伯があたしを現時点で評価していると判断している。

 例え身内であろうが無条件に信用したりはしないのが、帝王学を学んだ者にとっては常識だ。ましてあたしは妹だが、養女。血の繋がりすら無い馬の骨なんだから。

 

「…さて」

 

 暫くはルローラ領での出来事や、商会が扱う商品の市場動向等、当たり障りの無い世間話的な会話をしていたが、頃合いだろう。

 

「義母から王室に対して良からぬ噂を耳にしております。今、下手をすると国分裂の危機とか、国王崩御の噂は本当でしょうか」

 

 女伯は優雅に眉をひそめて見せた。

 

「ギース……じゃなかった、国王陛下は半年以上行方不明なのは事実よ」

 

 ギース・グラン王。命を何度も救った事で前国王陛下の一人娘マルグリッドに見初められ、冒険者でありながら王国の婿として認められた王。

 一応、廃絶した田舎の子爵家の出身とされてはいるが、それは王家との結婚に対して体裁を整えるだけの後付けだ。

 冒険者時代は良い腕をしていたのは確かで、戦士としての実力はある。女伯も何度か依頼を行ったばかりか、一緒にクエストにも同行したらしい。正妃、いや当時の王女に「ギース様の本質を見極めて下さい」と懇願され、一介の女魔導士を装ってだけど。

 王国に限らず、拓けて来たとは言うものの、まだまだエルダではモンスターやら山賊やらの危険が多い。何でも屋として活躍する山師達。気取って「クエスター」とか名乗ってる冒険者達の出番もまだまだ多いのだ。

 

「国政を放り出して自分から動いてしまうってのは悪癖よね。他者に任せられないってのは、王が臣下を信用出来ないって公言してる様な物だし、それでも、何とかなっていたのは正妃マルグリッド様と前国王陛下が優秀なため」

 

 女伯は優雅にお茶菓子をつまんでみせる。

 

「まぁ、クエスター(冒険者)上がりのあの方なら、多分、生きてるんじゃ無いかと思うわ」

「自信ありますね?」

「ギースの奴なら、殺したって死なないわよ」

 

 国王陛下を呼び捨ててるわ。

 

「あくまで個人的な憶測だけど、国王はわざと雲隠れしてるんじゃ無いかって気もする。それか逃亡ね。『王様でいるのが飽きた』って奴。あたしからしたらギースが良く、王宮なんて詰まらない場所で、二十年も王様でござい面が出来てるのか不思議だったのよ」

 

 あたしはお茶菓子をぽいと口に放り込んで、続きを促す。

 

「元々、風の様な自由人だからね。拘束されるのが嫌いで反権力的。本来はどう考えたって国王になる柄じゃないのよ。愛しているマルグリッドに請われて、王国を支えるって約束なんかしなけりゃ、あのギースが王冠なんか被るもんですか」

「はぁ」

 

 力説なさるなぁ。

 

「ああ、話を元に戻すわね。これ以上、ギースを思い出すと腹立ってくるから」

 

 女伯は息を整えると深く深呼吸した。

 

「では、お話の続きをお願いします」

「知ってるとは思うけど、マルグリッド妃を支えていた父親…前国王陛下がみまかわれたわ。四六時中王座を空けてる国王に代わり、実質的な国務を担っていた両輪の片方が砕かれた。これが宮廷勢力が二つに割れた原因」

 

 それまでも水面下では派閥争いがあったのも事実。でも、国王が飛び回ってたとしても、宮廷はしっかりとこの二人によって掌握されており、一枚岩とは言えないけど、対外政策に関してはぶれは無かったのよね。

 

「ジナ妃を立てる帝国派が力を増した。ですね」

「半分正解。ほら、ギースには貴族の中では敵が多いのよ。擁立されるまでの経緯とか、王になった後の行動とか、エロイナー家みたいな中級貴族ならともかく、侯爵以上の上流貴族には受けが悪いわ。

 特に王位継承権を持ってる公爵とかになると、『なんで何処とも知れぬ馬の骨に頭を下げなければならん』と内心思ってるでしょうから」

「国益よりも怨恨が優先の連中も居るって事ですか。厄介な」

「まぁ、でも国王陛下はそれでも有能よ」

 

 嘆息。そして女伯は卓上の鈴を鳴らして、紅茶のお替わりを要求する。

 

「女伯、このお茶ならば、このニナが…」

「貴女はエロコ付きの侍女でしょう。ここはエロイナー家です。控えてなさい」

 

 女伯はあたしの後ろに控えるウサ耳族に鋭い視線を送る。当然だ。他家の使用人が当主へ給仕が許されていると思ってはいけないわよ。

 毒殺の危険だってあるんだからね!

 

「お話の続きを」

「そうね」

 

 外から優雅にお茶を乗せたワゴンがやって来て、屋敷の侍女さん達がテーブルに茶を淹れて行く。一礼して応接間を去ると、やっと女伯が口を開く。

 

「ギースね。本当なら王家や貴族社会を否定して、革命でも起こして共和制でも敷きたいんでしょうけどね。今の世でそれをするのは無理だって悟ってる。ま、私やマルグリッドが教えた様な物だけど」

 

 突然、王家や貴族制を否定し、社会秩序をぶっ壊したらどうなるか。

 国を守り、治安を司る軍は当然瓦解する。反発した貴族が勝手に独立を宣言し、その日暮らししか考えなかった平民達は、無秩序の社会に狼狽するだろう。

 共和制の前に内乱になる。そして外国が攻めてきて終わりと言うシナリオしか見えない。

 

「要は共和制に移行する基盤が無い。ですか」

「そ。民衆には学が無いわ。突然、国政を渡されて『君らが明日から王家に代わって国家を運営しろ』なんて無理よ。

 となると結局、学のある大商人か、大地主みたいな金持ちが政治を占める事となるけど、これって名を変えた貴族制とどう違うのって話になるわ。

 しかも統治者には『高貴なる者には、高貴なるが故の義務が課せられる』(ノブレスオブリージェ)すらない、単に金か武力を多く持った者に統治されるだけの、ね」

「貧富の差が縮まるどころか、より差別が目立ちますね」

「本末転倒よ。だから社会を変える為には力が必要だって教えたのよ。むしろ、自分が権力中枢を支配して、ゆっくりと国自体を改変すればいいってね。

 まぁ、ついでに『だから、私と共に王国を支えてくれませんか』って、マルグリッドは続けたんだけど」

「それで国王にクラスチェンジですか?」

「見事にね。そしてギースは幾つか改革をなした。奴隷制を廃止して農奴を解放したり、職業訓練校を創り、軍の近代化も推進した。貴女が入ろうとする士官学校なんてのもギースの発案よ。縁故では無く、能力を持った平民が国軍の主力になれる様にね」

「それは国王陛下に感謝。ですね」

 

 これは本音。国王陛下、有難うございます。

 

「でも、第一段階の『国から文盲を無くしたいって』願いは未だ届いてないのよね。私達みたいにヒト種の寿命は長くないから、ギースが死ぬまでに叶うかどうか…」

 

 ファタ義姉様は少し遠い目をしていた。さらっと流しているけど、農奴解放や職業訓練校の導入なんかも大変な反発があったらしい。

 特に奴隷制は貴族にとって領地経営の要だから、本当に死活問題。だから、現時点でも完全に奴隷制の廃止までは至っていない。罪人以外の新たな奴隷取引を禁止して、新たに『奴隷の家系は子々孫々まで奴隷身分』だったのを、『奴隷の家系であろうと、子孫は自由民』とする新法を発布した程度。

 

「まぁ、ギースが帰還したら政争も少しは収まると見てるわ。燃えだした炎が灰の下でくすぶる埋め火に戻るだけだけども、世継ぎ問題が表面化する事態に陥る事は無いでしょう。あたしはマルグリッドに付くからね」

 

 意外な言動だわね。

 

「義母はあたしにはどちらにも肩入れせず、中立を守れと指示していますが」

「それはルローラ本家の方針。あたしは分家として独立したエロイナー伯爵家の当主よ。お母様の方針には口出ししない代わり、伯爵家の方針にも口出し無用」

 

 あたしの意見はぴしゃりと弾かれた。

 

「一族を助けたいってのは無論あるわ。でも、ファタ・エロイナーは友達を見捨てては置けない。見捨てたら、私は永遠に後悔する」

「了解しました。ただ、あたしは本家の方針で活動させて頂きます」

 

 あたしは一礼する。しかし、これでエロイナー伯爵家と商会に全幅な信頼は置けなくなった。決裂という程では無いが、これからの王都生活を考えると痛い。

 

「構わないわ。そうね、良かったらエルン兄様を頼りなさい。他に知りたい事は?」

 

 エルン義兄様は北方で辺境伯をしている貴族だ。ルローラ本家とは距離を置いているので、お目に掛かったのは一回だけだし、この時期に王都へ赴いているのかは知らないが、女伯が頼れと言うのなら、現時点ではタウンハウスへ逗留しているのだろう。

 

「既に報告は行っているでしょうが、ドライデン襲撃の際にクレイゴーレムが使われた形跡が…。あたしは魔導に関して素人です。女伯の力を貸して頂きたいのですが」

「これから商会の雑務を片付けるから、その仕事は明日になる可能性が高いけど、いいかしら。それと場所は埠頭で構わない?」

「はい。ゴーレムはドライデンの船倉で保管してますので」

「期待しないで待っていて」

 

 その後、幾つかの情報を得ると、あたしとニナは商会を退出した。

 

〈続く〉

 




第3話目。
概ね6000から8000字程度で投稿予定です。
やや、政治方面が入って参りました。

かなりスローテンポですが、宜しくおつきあい下さいませ。

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