エロエロンナ物語   作:ないしのかみ

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海魔

〈幕間〉

 そりゃ、貴族の方と親しくなるのは初めての経験でしたよ。

 客として泊まりに来る方だって、基本は最低限の接触で放置ですしね。もし何かの拍子に貴族様の秘密の会話でも聞いてしまったりしたら、面倒臭いじゃないですか。

 うっかり関わったばかりに、因縁を付けられてその場で手打ちにされる、なんてのも珍しくないんですからね。

 表向き、法は守ってくれると言うのが建前ですけど、そんなのは気休めに過ぎないってのを、あたしら平民は理解してますからね。

 闇に葬られないにしても見舞金としての幾ばくかの金貨数枚分があたし代価でしょう。

 無論、あたしはその際に死んでるから、それを貰えるのは国と遺族だけなので、あたしは死に損です。

 

 うーん、何て言うのかな。

 その貴族の少女は傲慢な所もなく、『姫』と呼ばれていた反面、身分差による見下しもなく、本当にごく普通に接して下さったんです。

 グリューナ号に三等船客として乗ってた時、貴族階級に汚い物を見る目つきで蔑視されていた時とは違い、彼女は雲の上の存在だと思っていた貴族を、初めて同じ人として見る事が出来たのが新鮮でした。

 それにあたしは、こんな出自ですしね。

 

『船宿女将、ラーラ・ポーカムの語り』

 

 

〈エロエロンナ物語2〉

 

「風が気持ちよいですね、姫様」

 

 数日後、あたしは侍女のニナを伴って王都へ向かう船上の人となっていた。

 

「ええ」

 

 修繕が済んだばかりのキャラベル船、ドライデンはタールの匂いがきつかったが、甲板に上がって風を受けているとその匂いも気にならなくなるわね。

 

「さんざボロ船と罵っていたのに、いざ船に乗るとニナの態度が一変したわね」

「当然です。私は私掠船主になりたいんですから、このままずっと航海していたいくらいです」

 

 ニナは元々、船乗りとして実家に仕えた海の女。本質的には身体を使う体育会系で、どちらかと言うならインドア系のあたし付きの侍女に向いた性格では無い。

 

「王都に着かなければ困るから、ずっと航海は却下」

 

 一応は家の名代だからね。

 

「分かってます。ああ、でもやはり現場はいいですね」

 

 ニナは「マストに昇る」と伝えると、ウサ耳族らしい俊敏な動きで縄梯子をするすると上がって行く。生き生きとした表情がまぶしい。

 

「…士族か」

 

 我がルローラ家は森を後背にした海に面した土地を領地にしている。当主がエルフ族らしく森林生活を営むかと思いきや、主な産業は林業の他は私掠船の運営。

 私掠船。つまり、我がグラン王国に公認を受けた国家海賊の事。

 海賊と言っても無論、自国の船は襲わないわ。また、普段は海賊専門では無く、貿易に携わっている方が多い。

 そしていざ戦争になると海軍の一部として戦力の一部に、と言うか、伝統的に陸主海従な王国はまともな海軍が無いので、実質的な戦力になるの。

 艦隊ってのは平時には維持に費用が掛かるから、王国直属の艦船なんてほんの数隻。残りは各地の領主が持ち船を集めて艦隊を作る。

 国は徴集された艦隊へ海軍士官を派遣して、船の指揮を執る。

 その戦力を維持するために、王国はルローラ家の様な爵位を持たぬけど、小金持ちの平民や荘園主へ私掠船免状を交付して士族の位を贈っている。

 つまり、ニナが晴れて私掠船主へなれたなら、平民から士族へと成り上がれると言う事。

 

「一代限りだけど、成功すれば世襲貴族並みかそれ以上になれるチャンスか」

 

 士族(ユンカー)。俗的に言えば騎士(ナイト)も含まれる階級は下級だけど、それでも貴族の仲間入りとなり、社会的ステータスは飛躍的に上昇するわ。

 当然、地位に見合う義務は課せられるわよ。その中には軍役も含まれるの。しかし、士族には大艦隊を持つ者など殆どいないわ。所有船一隻だけと言う、いわゆる一杯船主が多数。でも、こんな寄せ集めでも、常設の海軍を置くよりは安上がりなのよね。

 

「あたしも士族を目指さないと…な」

 

 今の身分は士族令嬢。言ってみれば義母であるセドナの七光りに過ぎない。士官学校を出て軍功を得れば、上手く行ったら士族の仲間入りを果たせるかも、って皮算用は立ててあるけど、正直、それは甘いと自分でも思う。

 あたしは養女で家に対する継承権が無いから、もし海軍に仕官出来なかったら、政略結婚の駒だろう。まぁ、拾ってくれた恩もあるし、これは仕方ないわね。

 それでも初めっから駒では無く、義母がこうして別の道を用意してくれた事には感謝したい。だって、言うならばあたしは、何処の誰とも分からない馬の骨だからね。

 

「姫様。右舷に船影。あと、水柱か何かが見えます!」

 

 あたしの考えを中断させたのは、緊迫したニナの叫びだった。

 

「水柱?」

 

 慌てて舷側に駆け寄ると、水平線近くに鯨の潮吹きを何十倍にもスケールアップした様な、確かに水柱としか表現出来ぬ物が視界に飛び込んで来た。

 

「海魔か! 見るのは二十年ぶりだが」

 

 いつの間に居たのか、あたしの隣でマイスター、いや今の立場は船長ね、が呻いている。って、さらりと呟いてるけど海魔って海の魔物よね?

 

「あ、やられた」

 

 先程、報告にあった船影。シルエットからでもこのドライデンなんかより、大きさも装備も立派そうな帆船が突進する海魔の体当たりを受けて、一撃で粉々に砕かれた。

 

「急げ、先の船には悪いが、一刻も早くここから離れるんだ」

 

 薄情かも知れないが、船長の判断は正しいとしか言えなかった。

 海魔には普通の武器は通じない。例え弩砲(バリスタ)を沢山備えた戦闘艦でも意味はない。大威力の攻撃魔法でも無い限りは抗っても無駄な存在。

 そしてその生態は謎に満ちている。何せ本体は水の中だからね。

 浮上時に出現する水柱のみが目撃例の大半だし、突然、真下から奇襲されたらそれすら見る事も敵わない。

 幸い海魔の関心は、まだこのドライデンには向いてない。悔しいが、ここは尻尾を巻いて遁走するのが正解。

 水夫達が甲板を駆けている。補助の帆が幾つも張られ、滑車がうなりを上げて巻き取られて行く。こんな時、あたしは何も出来ないと自分の無力を痛感した。

 

「海魔が沈みまーす」

 

 ニナの声にあたしははっと顔を上げた。見ると水柱は消え、黒い影が海面下へ没して行く姿が目に映った。

 

「助かったのかしらね?」

 

 でも油断は出来ない。

 

「あのー」

 

 海魔が鯨の化け物みたいな物だとしたら、水面下を密かに押し進み、この哀れなボロ船を板切れに変えるなんか造作も無いはずだから。

 

「えーと、宜しいでしょうか」

 

 あたしは舷側から身を乗り出すと、海魔の消えた辺りを…。

 

「もしもーし」

 

 ってうるさい。

 

「ニナは少し黙っていて!」

「エロコ様、ニナは何も言ってません」

 

 ニナじゃない。そう言えば声は上からではなく、下から聞こえた様な…。視線を下に向けると、見慣れぬ人影が喫水線の近くに認められた。

 

「あー、やっと気が付いてくれましたぁ。船の上に引き上げてくれませんか」

 

 黒髪。そして白い肌の少女は気絶した少年を背負って、波に飲まれまいと必死に船腹にしがみいていたのだった。

 

            ◆      ◆      ◆

 

 船上に引き挙げられた彼女はラーラと名乗った。海魔に沈められた船の船客であり、同じ船客である少年をとっさに救って、海の中を漂流していたのだそうだ。

 と言う事は、海魔は既に何隻もの船を餌食にしているって事よね。

 

「いきなりで海に放り出されて。だから、私もこの男の子が何者かは知らないんですよ。あ、お茶をもう一杯頂けますか?」

 

 ラーラは屈託の無い笑みを浮かべてカップを突き出した。身にまとう裾の長い実用的なエプロンドレスは、仕立てから身分は町娘っぽい。

 対する少年、こちらはまだ気絶したままだけど、は地味だが上流階級の子息にふさわしい装いをしている。

 

「グリューナ号か。確かロートハイユ公爵家の持ち船だったな。東の皇国との航路へ就いていた奴だ」

 

 ブラート船長が尋ねる。撃沈されたあの船は、ロートハイユ公爵家の船だったらしい。あそこ金持ちなのよね。

 

「はい。私は皇国へ行く途中で下船する予定でしたけど」

「うちは王都へ行くんだが、大丈夫か?」

 

 船長が顎に手を添えてラーラに問う

 

「あはは、助けられたんだから文句を言うとバチが当たります。ただ…」

「ただ?」

 

 ラーラは全財産が海没してしまった事を告げた。元々、東行きの船に乗って珍しい香辛料を仕入れる予定だったのだが、なけなしの元手が全て海の底へと消えてしまい、途方に暮れている、と語る。

 

「気の毒に…。しかし、俺にはどうする事も出来ん」

「ですよねぇ。取りあえず次の港まで乗せてくれませんか?」

「この船、王都直行だぞ」

 

 思い出した。王国は温暖な気候な為に香辛料と呼べる植物はハーブを除いて育たないから、それが入手可能な東方から輸入しているのよね。

 でも陸路では行き来が難しい。それは皇国との間に広がる危険な大砂漠地帯のせい。隊商を組んで行き交う者はあるけど、流砂他の過酷な環境やモンスターに盗賊なんかの危険があって、交易は海路の方に比重が移りつつある。

 例え、生還率が半々の丁半博打でも、成功さえすればかなりの儲けを見込めるのよね。

 

「もっと安全な船が作れれば…ううん、任せて。絶対安全な新型船を設計してみせるから!」

「姫様。ラーラがどう反応して良いか、困ってますよ」

 

 水夫の呆れ声。気が付いたら、彼女の両肩に手を置いて力説していたようだ。

 

「あ、ごめんなさい。あたしはエロコ・ルローラ」

「ラーラ・ポーカムです。先程は助けて頂き、感謝します。えーと、姫様だから高貴なお方なんですよね」

「田舎の士族令嬢よ。そんなに高い身分じゃないわ」

 

 姫なんて呼び名は領内でしか通じないだろう。特に男爵以上の子息、令嬢がわんさかいる王都ではお笑いよ。

 

「いえいえ、それでも貴族の方には失礼は出来ません。あたし実家は船宿なんです。宿泊客の方に失礼していては、商売あがったりだと祖父から教えられておりますし」

「へぇ、どこの宿だい?」

 

 ラーラの発言に船長が興味を持ったみたいだわ。

 

「スキュラ亭です。エロンナ村の」

「ああ、そこか。素通りしちまうな。済まん」

 

 あら、盛り上がってるわね。ん、エロンナ村?

 

「エルフィン(妖精語)だわね。『光る村』?」

「名前は素敵ですけど、ポワン河々口の東岸にある集落に過ぎねぇぜ」

 

 ラーラの後を船長が継ぐ。

 

「姫様はご存知ないでしょうね。砂漠の入口にある寂れた村ですから。ほら、あそこの砂は石英が多くて遠目にも輝いているでしょう?」

 

 白い砂が砂糖菓子みたいに輝いているから、砂漠を旅する人は眩しさから目を保護しないと痛めるって話よね。

 

「ああ、だから光る村なのか。あの大河東岸に集落なんかあったんだ」

 

 ポワン河はグラン王国でも最大規模を誇る大河。この船みたいな喫水の浅い船なら遡行すれば王都まで直接乗り付ける事が出来る。

 

「小型船が補給目的で寄航するけど、基本的にはエロンナは寒村ですねぇ。名前は妖精族の初代村長が付けたって聞いてます」

「その村、ルローラ家の領地だった気がするな」

 

 船長の何気ない言葉に、え?となる。そう言えば、幾つかの領地は遠隔の飛び地にあるとは耳にしていたけど。

 

「エロコ様」

 

 そこへ船内からニナがパタパタ駆け上がってくる。

 

「漂流者が目を覚ましました!」

 

            ◆      ◆      ◆

 

 ラーラと共に助け上げられた少年。

 明るい金髪を持ったヒト種の男の子だ。身長は150cm位だろうか。色白で華奢な体付きをしている。

 

「…喋ってくれないわね」

「どうします?」

「かなり怯えてるみたいですねぇ」

 

 かなり狭い船室でぎゅうぎゅう詰めになりながらの三者三様の意見だ。

 勿論、あたし、ニナ、ラーラの三人よ。ベッドに腰掛けて顔も上げない少年を前に途方に暮れているってのが真相だけど。

 

「えと、私はエロコ。良かったら、何か話してくれないかしら?」

 

 もう一回乞うてみるわ。

 

「出来れば何で東方へ行きたかったとか、これからどうする気なのかとか、今後の身の振り方に関係するから、答えてくれると嬉しいな」

 

 顔を覗き込むけど無反応。困った。あたしもルローラ家の一員だけど、権力を持ってない養女だから、自由になる権限はあまりないんだ。

 

「聾唖者(ろうあしゃ)かも知れません」

 

 ニナが呟く。

 

「背負ってた時にうわごとを耳にしてますから、喋れると思いますねぇ」

「何て言ってたの?」

 

 ラーラは暫く目を瞑ると、「父上、母上、だったですねぇ」と呟いた。

 少なくても庶民ではなさそう。と少年をあたしは判断する。

 

「向こうの船に乗ってた時に見かけた事ありましたか?」

 

 ニナの問いにラーラは首を横に振った。曰く「あたしは三等船室客ですから」だ。確かにこの身なりから、少年は船室を取れる身分よね。船底にハンモックか雑魚寝の三等船客とは同じエリアに立ち入る事はなさそうだし。

 

「歳からして両親とか、家令か護衛みたいな大人の保護者が付き添っていると考えた方が自然なんですが、見ていませんでしたか…」

 

 三等船客は一番運賃が安いだけあって、殆ど荷物扱いで乗船させられる。食事になっても食堂に招かれる事は無い。窓の無い暗い大部屋で航海中は甲板に出る事も許されない。だって、甲板は船室を取れる二等船客以上の場所だから、三等に乗る様な下層民が視界の端にうろついていたら迷惑と言うことらしい。

 あたしは全然迷惑では無いんだけど、まぁ、上流貴族様や富豪みたいな階級ともなると、無役な士族令嬢と違い、色々あるってのは理解出来なくも無い。

 それはともかく、ラーラがそうであった以上、甲板で少年とその保護者の姿を彼女が目撃する機会は無い。手掛かり皆無という事だ。

 

「まだ時間が必要なのかも知れないわね。でも、どうしよう?」

「良かったら私に任せて貰えませんか。同じ漂流者同士だし、これでも船宿屋の娘ですから、子守には慣れてますからぁ」

 

 ラーラが申し出た。

 

「ニナは構いませんが、姫様はどうなさいますか?」

 

 勿論、あたしも異存は無い。

 

「済まないわね。でもいいの?」

「はい、お任せです」

 

 任せなさいとラーラはどんと胸を叩いた。

 

〈続く〉

 




連投ですが第2話目をお届けします。

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