〈エロエロンナ物語9〉
朝早く面会者があった。でも、あたし達が相手ではない。
「お前は来なくていい」
「しかし、兄貴」
「くどい。足手纏いだ。それに衆人環境で大声を出すな」
食堂正面で赤毛の男性二人の口論が聞こえてくる。一人は馬鹿ダニエル。もう一人は旅装に身を包んだ知らない貴族の男だ。
「ボルスト侯爵家の長子。バウアー様ですわ」
いつもの様に隣に座っているビッチ様が教えてくれる。次期侯爵継承者で社交界では人気との噂がある男だ。顔かたちや雰囲気はダニエルに近い。
「こんな朝早くに面会ですか、何かあったのでしょうか?」
事情は予想が付く。しかし、あたしは敢えて知らぬ振りをして話題を振った。
「さぁ、わたくしには何とも…ただ」
縦ロールの公爵令嬢はパンにバターをたっぷり塗ると、優雅な手つきで千切って口へと放り込む。左右に控えた侍女さん達がバター入りの紅茶を注いで差し出すと、やはり上品に杯を飲み干した。
「国境付近がきな臭いとの噂が届いてますわ。領地へ下がる前に弟君へ面会に来られたのでしょう。ボルスト家の領地は北方でしたからね」
ため息一つ。
「帝国国境沿いに領地を持つ貴族は、今、例外なく領地へ走っていると思いますわね」
身内だとエルン義兄様辺りか。
「あら、となると、いつもの山賊だかの越境行為では無いのですか?」
「帝国の正規軍が演習と称して動いたらしいですわ」
そんな会話をしていたら、いつの間にか不機嫌そうな顔をした赤毛が、乱暴に椅子を引いてどっかと座り込んだ。
「畜生。兄貴め」
テーブルを叩く。悔しいのは分かるけど、物に八つ当たりは困るわよ。
「俺は駄目なのか。侯爵家の一人として何の役にも立たないのか!」
ダニエルは喚くと、視線に気が付いてじろりとあたしを睨み付けた。
「…笑えよエロコ。家の一大事にも呼んで貰えない、役立たずな俺に」
兄に同行すると我が儘言って、戦力外通告されたみたいね。
「それで貴方の気分が晴れるのなら…、笑わせて頂きますが」
一息入れる為、バター茶を口にする。
「先程のバウアー様でしたか? 兄君が言った言葉を取り違えてますね。その意味なら笑いに値するかも知れません」
「どう言う意味だ」
「あたし達は成人ですが、まだ齢15である事実です。そして見習いですが身分は爵位有無に関係なく海軍士官候補生。つまり、国に仕える軍属です」
つまり後ろにグラン王国を背負っているって話よ。国の公的な人的財産なんだから、どんな高位貴族だろうが、勝手に引き抜いて連れて行くとかしたら、国家財産の横領になってしまうじゃない。
「無論、ここで退学して士官候補生の身分を捨てるのはありです。でも、バウアー様は
れを良しとしなかった。理由は分かりますよね。ダニエル様?」
これで分からなけりゃ、救い様の無い馬鹿の烙印を押させて頂くわよ。
「! 俺の、将来を…」
「その通りですわ。愚鈍な侯爵の四男坊にも、ようやく理解出来た様子ですわね」
縦ロール揺らしてビッチ様が口を開く。相変わらずきつい毒舌だけどね。
前にも説明したけど、世襲貴族の領主が没したら長男は家と爵位を継ぎ、次男以下は貴族の分家として小さいながらも領地を与えられ、本家より下位の爵位得るのが通例だけど、分家になれるのはその貴族の財力に掛かってくる。
王族や大公クラスならまだしも、公爵や侯爵クラスでも良くて三人が限界。伯爵以下は二人居ればビックリレベルよ。当然、四男坊のダニエルにボルスト侯爵が分け与えられる領地や爵位は無い。
ここで士官候補生の経歴を棒に振ってしまったら、無位、無冠の平民になるか、一代貴族として金で士族の身分を買うしか無くなる。
そう、士族身分は金銭でも買えます。但し、値段は中規模な荘園が一つ買える位にお高いわよ。男爵や子爵クラスの貴族にだって、おいそれとは手が出ません。
と言うか、普通そんな金があったら長子以外は他家へ嫁入り婿入りさせ、収入増の為に荘園買います。
「兄君は一時の感情から、ダニエル様が一生を棒に振る事を諫めたのでしょう。分かったのなら貴方は、三年間歯を食いしばって学業に励み、卒業せねばなりません」
卒業さえすれば、海軍士官として士族位は自動的に貰えるからね。あー、あたしはこの馬鹿のカウンセラーじゃ無いんだけどなぁ。
「流石はバウアー様。将来を心配して下さる、良き兄ちゃんだよね♪」
軽い声がした。
「ユーリィ」
金色のさらさらな直毛を後ろに束ね、着崩したセーラー服を着こなした女子生徒。クラスメイトのユーリィ・リリカ子爵令嬢。
所属はあたしと同じ技術科だけど、何故か交友関係は広いのよね。
「まぁ、帝国の侵攻は現役の騎士達に任せて、あたいらはあたいらで、如何に楽しい学園生活を送れるかって考えよう♪」
テヘ、って感じで片目を瞑ってぺろりと舌を出す。
「賛成ですが、その制服は学校の規定違反ではありませんこと。特にスカートの裾が物凄く短いですわよ」
元々、制服のスカートは船上で活動的に動く為に短いんだけど、彼女のそれは一寸屈むと下着丸見えになる丈だ。しかもキュロットでは無く、普通のプリーツだし。
「ビッチは相変わらずお堅いなぁ。ちゃんとした制服だよ。常裝からスカートを礼装のそれと交換したけどさ♪」
「丈も詰めましたわね?」
「大正解♪ 大丈夫。見せパン穿いてるから」
わざとらしくスカートをめくり、白いフリルが沢山付いた下着を見せる。
「そう言う事ではございません!」
ユーリィ様とビッチ様の掛け合い漫才。
驚いた事にこの二人は幼馴染みだそうだわ。所領が隣同士で、田舎で育ったから兄弟姉妹よりも親しき仲なんだとか。ビッチ様は深窓の令嬢。ユーリィ様は野生児的な行動派の姐御肌で、タイプは全く違うんだけど。
「あー、それよりもさ♪ お化け退治に行かない?」
ユーリィ様はビッチ様のみならず、食堂の皆に対して提案した。
「お化け?」
「ほら、廃兵院の幽霊島♪ 知ってるでしょ?」
ネーベル湖の中央にある島にある廃墟だ。幽霊が出るとの怪談話が伝わってきている。ガセだろうけどね。
「ダニエルも気分転換にさ。楽しくピクニック♪」
「ピクニックって、おい。幽霊退治じゃ無いのか?」
ダニエルの問いに、ユーリィ様は頭をポリポリと掻きながら悪戯っぽく笑う。
「幽霊なんて枯れ尾花だよ。退治とか言っても、それを証明する余興さ♪」
彼女曰く、「無人島の探検気分を味わおう」との話ね。次の休日に日帰りで探検出来そうだし、装備は自主訓練扱いで借りられるのが安上がり。
「まぁ、本当にアンデットが出るんだったら、とっくのとうに教官達が退治してるだろうしね。で、乗るのかな♪」
気分転換か。何も手出しが出来ず、もどかしく事態の推移を見守るより良いかもしれない。あたしは挙手をした。
「うーん、あたいを入れて四人か。みんなチャレンジャーじゃ無いなぁ。ま、いいか。許可はあたいが申請するよ♪」
◆ ◆ ◆
次の休日、自主訓練の名目でカッターを借り、帆走して約20分。
あたし達は幽霊島と呼ばれる無人島の地へと立つ。
「おおっ、到着したね♪」
最初に上陸したのが言い出しっぺのユーリィ様。すたこら走って舫縄を近くのポラードへ結びつける。鮮やかなロープワークは見事ね。
あたしはニナ達を。ビッチ様とアドニスはそれぞれのお付きの侍女達を伴っているが、ユーリィ様は単独だ。と言うか、彼女は貴族子女としては珍しく、実家からの侍女を伴っていないのよ。
曰く「子供じゃあるまいし、自分の事は自分でやるよ」って主義との事。「狙われる様なお家柄じゃないし、護衛も不要。士官学校で貴族の見栄。何それ、美味しいの?」なのだそうだ。決して、リリカ子爵家が貧乏って訳では無いんだけどね。
ユーリィ様は次女で家を継ぐ立場では無い。兄と姉の三人姉弟の末っ子で、ビッチ様曰く「野生の悪たれ」だそう。
実際、彼女は腕っ節が強い。剣の模擬戦なんかでは常に上位だ。しかも、正統派の貴族の習う、細剣を操る華麗な流派なのよね。
「幽霊か。ここが閉鎖されてかなり経つけどな」
続いて桟橋に降り立ったダニエルが呟く。足元は草に覆われた石畳だ。その先は鬱蒼とした森へ消えている。
「古い施設には付きものの怪談ですわよ。まぁ、他に幾つか伝わってますけど」
ビッチ様が仰る通り、この士官学校は元は古い廃兵院だった。
廃兵院というのは、戦場で負傷して障害を負った軍人の福利厚生施設。約百年前の帝国との戦いでは四肢を失ったり、障害を受けた患者が一杯だったと言う。
そんな生活を営むのに困難な者達を、国が責任を持って生活の面倒を見るのだけど、大きな戦が無くなってから規模は縮小の一途を辿り、ついに二十年ほど前に廃止された。最後まで残っていた兵が寿命を全うしたからだ。
廃兵院に収容された患者は家族達と別れ、孤独死するケースが多く。それらの無念の想いが幽霊となって徘徊している。と面白おかしく伝えられている。
真夜中に交代を告げる幽霊衛兵。
フルヘルムを被り「あたしの顔、綺麗?」と尋ねて来る女騎士。お約束通り、面貌を上げると顔面は無茶苦茶に爛れてるってオチの奴とか。
でも「衛兵は患者じゃないだろう」や「騎士なら廃兵院でお世話になってる訳無かろう」とかのツッコミ満載よね?
「ここは狂人を隔離する場所だった。ぞっとするな」
湖の真ん中にあるのはそう言う理由だ。戦場で狂気に犯された兵士を収監した施設がある。その建物は刑務所さながらだったと伝えられているわね。
「まぁ、先輩達の脅しや誇張があると見るわね。実際、これから確かめに行ったら、何か分かるでしょう」
あたしは燦々と照る陽光を見上げながら言う。天気良いなぁ。鳥の鳴き声も聞こえて行楽日和だ。
「森の向こうに塔があるって噂だよね。登ってみたいな♪」
「崩れる程の廃墟にはなってないと思うけど、はしゃぐなよ?」
「いやー、それは確約出来ない♪」
森の向こうに塔が見えてきた。煉瓦造りで灯台風だ。
「意外と大きいな。遠目では塔しか見えなかったが…」
近づいてみると塔の下にはコの字型に立てられた二階建ての建物があった。こちちも煉瓦造りで、塔はその建物が作る中庭から生えている。
「獄舎…ではなく、病棟ですわね」
鉄格子が填まった窓が光景は、確かに病棟と言うより獄舎を連想させる。
窓に付けられていただろう鎧戸はない。長年の風雨で朽ち果ててしまっただろう。しかし、建物自体はがっしりとしており、手入れさえすれば再使用は可能だと思えた。中の梁が腐ってないのなら、が条件になるけど。
「お、こっから入れそう♪」
正面玄関に当たる場所でユーリィ様が手招きする。
屋根付きの車寄せがあり、その奥にある玄関は重厚な扉で閉鎖されているが、蝶番が外れて傾いだ扉は用をなしていない。空いた開口部は人が一人潜り抜けるのに充分なサイズだった。
失礼して潜り抜ける。 あれ?
「これ、足跡だわね?」
皆が建物に入った後、あたしは正面玄関から奥の方へ続く足跡を見つけてしまった。それも二つ。サイズは大人の靴底ほどで、埃の溜まった床に点々と残されている。
「本当ですね。しかも、それ程古くなさそうです。姫様」
腰をかがめて、足跡を調べていたニナが顔を上げた。
「管理人でも来たのか? こんな場所へ来るのは俺達だけだと思ったんだが」
「ユーレイだったりして♪」
「おやめなさい、縁起でもない」
あたしは周囲を見回す。一階の右側は元々は集会室だったらしく大広間状になっており、開口部が多いだけあって、館内はそれ程暗いと言う印象はない。
左側は受付だったらしきカウンターが並ぶ。その隣に事務室が設けられていた模様だ。変わって正面を見ると、二階へ上がる巨大な階段があって、足跡はその階段方面へと伸びている。その先は暗くて見えない。
「【幻光】!」
得意ではないが光の魔法を唱える。二階へ行くのなら必要になるだろう。
「上へ行くのでしょう?」
あたしの問いに皆は一斉に頷いた。
〈続く〉
息抜きに島へ冒険に出かけたエロコと学友達。
同じく、島へ赴いたのに閑話のラーラ達と違ってお気楽モードですね。
しかし…、と言う所で続きます♪
おっと、ユーリィの癖が移ったか(笑)。