夜が明け、日が昇りきった昼のこと。辺境の街エ・ランテル近郊に異色の集団が現れた。一人は王国の鎧をまとった男、ガゼフ・ストロノーフ。一人はカルネ村出身の村娘、エンリ・エモット。そしてもう一匹はエンリが従えたトブの大森林出身の大魔獣、ハムスケ。彼らはカルネ村での戦闘の後走り続け、ようやくエ・ランテルにたどりついた。
「ようやく着きましたね」
「ああ、そうだな」
「さすがのそれがしももうくたくたでござるよ」
一日走り続ける体力はさすが伝説の大魔獣であるが、さすがにもう限界だったのだろう。エ・ランテルの門近くでへたり込んでしまった。エンリはへたり込んだハムスケの横に座り込みあたりを見渡している。探しているのは唯一の肉親であるネムだ。ただ、その姿はどこにもない。
「馬では夜通し駆けることはできない。さすがにまだ到着していないだろう。それにエンリ殿は少し休んだ方が良い。顔色が悪いぞ」
「ですが…」
「君が倒れては妹も心配するだろう」
「そうでござるよ。夜通し走るそれがしに乗り続けたのでござるよ?かなり疲れているはずでござる」
ガゼフとハムスケが言った言葉にウソは無い。馬に一日乗り続けるのはかなり体力を消耗する。その上今回乗っていたのは馬よりも姿勢を保つのが困難なハムスケだ。速度も常に馬の出せるものを凌駕していた。その前の戦闘、生まれ育った村の壊滅。エンリはすでに限界だった。気力だけで立っていると言っていい。
「私たちは都市長の元にお世話になるつもりだ。君たちカルネ村の生き残りも泊めてもらえるだろう。まずは休みなさい」
「はい、あの、ネムを」
「私に任せておけ」
そう言うとエンリはついに気絶するように倒れてしまった。ガゼフがそれを支え、担ぐ。
「無論ハムスケ殿も泊まれるよう取り図るつもりだ。安心してくれ」
「それがしは一緒に戦ったガゼフ殿のことは信じてるでござるよ?ガゼフ殿は決して悪い男ではないでござる」
「ありがとう」
ガゼフはそのいかつい顔に笑みを浮かべた。
♦
「う、んぅ?ここ…は」
さらに日をまたいだ次の日の朝。エンリはようやく目を覚ました。まだ意識が覚醒しきっていないのかぼんやりと辺りを見渡している。そして勢いよく上半身を起こした。
「ネム!」
「横にいるでござるよ」
声の通り横を向くと自分の唯一の肉親であり、希望であるネムがすやすやと寝息を立てていた。そこにも怪我した様子は無い。エンリはほっと息を吐く。そこで疑問が湧きでた。いま、自分に声をかけたのは間違いなくハムスケだ。しかしなぜ室内でハムスケさんの声がするのか、と。
そしてあたりを見渡すと、ベッドの横の広いスペースにハムスケがデンと座り込んでいた。顔はこちらを向いている。
「ええっと…」
聞きたいことが色々あった。疑問が次から次へと湧いて来る中、エンリが口に出したのはあまりにも簡素な言葉だった。
「おはようございます?」
「おはようでござるよ」
「そうですか、みんな生きてましたか」
落ち着いてきたエンリがまず聞いたのはそれだった。ハムスケによるとカルネ村の生存者たちも、ガゼフとその部下たちも死者はいないらしい。エンリの作戦はうまく行ったということだ。
「ガゼフ殿も都市長殿もエンリ殿をたくさんほめてたでござる。それがしも誇らしかったでござるよ!」
「いや、私には全然自信がなくて」
「そうなんでござるか?」
うつむいたエンリをハムスケは不思議そうに見つめる。全然そうは見えなかった、と。
「姫がそれがしと一緒に時間を稼ぐ側に残ると聞いた時は相当な自信があると思っていたのでござるが」
「自分の計画を最後まで見届けないと不安だったんです。その場にいても何もできなかったけど、それでも私にはその計画がうまくいってるか見守る義務があると思ったんです」
「ふーむ。よく分からんでござるが姫は十分役に立っていたと思うでござるよ?」
「え?」
今度はエンリが不思議そうにハムスケを見た。エンリとしては自分があの場にいてできたことなんて何もなかったと思っているのだ。実際天使を倒すにあたってなんにも貢献していなかった。
「姫の指示はとても的確だったでござる。その通りに動いたら思っていた以上にうまく行ったでござる。姫には部下を従える才能があるのではござらんか?」
「そう、ですかね?」
そうならいいですねとエンリは小さく笑った。そして次に気になっていることを確認する。
「ネム達はいつエ・ランテルに?」
「昨日の夕方ごろでござる。ネム殿も疲れ果てていたでござるからそれがしが姫のとなりで寝かせるように頼んだのでござる。ネム殿は姫の顔を見て安心したのかすぐ寝てしまったでござるよ」
「なるほど」
大体聞きたいことは聞けた。エンリはそう判断する。あとはガゼフにお礼をしに行くくらいか。
「ガゼフさんは?」
「ガゼフ殿は明日の朝にはここを発つと言っていたでござる」
「え?ずいぶんと早いですね」
「その前にお礼を姫にしたいと言っていたでござる。会いに行ってみるでござるか?」
「そうですね。とりあえずネムが起きたらそうしましょう」
その後、エンリとハムスケはネムが起きるまでずっと話していた。ハムスケは生まれて初めてこのような大きい街に来て楽しそうにしていた。エンリもエ・ランテルに来るのは初めてなのでとても新鮮だ。特にこんな豪華な部屋には泊まったことはおろか入ったことすらなかったので、落ち着いてきた今は逆に緊張でくつろげなくなっていた。
そしてそうこうしているうちに館のメイドが食事を運んできてくれたので、ネムを起こしていただく。
ガゼフにあいさつに行けたのはお昼ごろになってからだった。
♦
ガゼフと都市長パナソレイにあいさつをしに行き、エンリは目を回すような金額の謝礼を貰ってしまった。パナソレイが言うには口止め料も含まれているらしい。エンリは絶対に誰にも話すまいと誓った。
現在エンリはエ・ランテルにある冒険者組合に向かっている。ガゼフの提案に乗り、冒険者になる決意を固めたためだ。エンリははたから見れば完全に森の賢王を支配下に置いている凄腕のテイマーだ。なにせあの王国戦士長と互角の魔獣だ。冒険者ランクで言えばアダマンタイトにも匹敵する。
エ・ランテルの最高位の冒険者はミスリルだ。アダマンタイト級の戦力はのどから手が出るほど欲しい。だからこそ都市長パナソレイはあらかじめ冒険者組合に人をやり、エンリのことを話しておいた。エンリを不快にさせないためだ。
冒険者登録を終えたエンリは依頼票が張ってある壁の前で熱心に依頼を眺めていた。それを遠巻きに職員と冒険者たちが観察する。みんながみんなエンリのことが気になって仕方ないのだ。
「おい、なんだあの娘」
「おい、やめろ。外にいる大魔獣を従えてるやつだ」
「はあ!?あの大魔獣を従えてるとかアダマンタイトでも出来るか分からねえじゃねえか。それをあんな小娘が?」
「ああ、なにせ都市長にもコネがある期待の新人って話だからな」
「まじで?どんだけだよあいつ。と、いうかあいつもしかして外の魔獣より強いのか?」
「その可能性はあるな。テイマーってのは力づくでいうこと聞かせるもんだろ?」
「あいつどんだけやべえんだよ。絶対喧嘩とか売れねえな」
「そんなことしたら殺されるぞ」
冒険者たちの噂話の中でエンリがとんでもない化け物にでっち上げられていた。しかしエンリはそれに気がつかない。ただ依頼票を眺めるだけだ。いや、ただ眺めるだけではない。エンリは今猛烈に焦っていた。
「(……字、読めない)」
エンリは焦る。まさか冒険者になるのにこんな落とし穴があるとは。どうすればいい?どうすれば依頼を読まずに……!その時エンリに電流が走る。うまく切り抜ける方法を思いついたのだ。エンリは依頼票が張られている壁の前を離れ、受付のところまで歩いて行く。
「すいません。ちょっといいですか?」
「はい、何かご用でしょうか?」
「私さっき登録したばかりなんですが、私にお勧めの依頼って何かありませんか?そう言うのよく分からなくて」
そう、必殺の人頼みである!この方法ならば依頼が読めなくてもどうにかなる上、どう言った依頼が自分に向いているのか分からないエンリにはうってつけだ。
「残念ですが現在エンリ様に向いていると思われる依頼は取り扱っておりません」
そして玉砕した。そ、そうですかと意気消沈するエンリに受付嬢が慌てて続きを話す。
「エンリ様ならモンスター討伐が向いていると愚考します」
「モンスター討伐ですか?」
「はい。エ・ランテル近郊や村々につながる街道沿いに出没するモンスターを討伐して、討伐証明を取ってきていただければそれをお金に換金します」
エンリは目からうろこが落ちる気分だった。エンリ自身自分たちにできるのはモンスターの討伐か護衛くらいだと思っていたのだ。そのうち討伐の方は依頼にもなっていなかったらしい。これはエンリにとってとてもいいことだった。なにせ依頼が読めなくても受けられる。
「討伐証明について書かれた冊子はあちらにあります。貸し出しは一日銅貨二枚です」
「……借ります」
結局文字読めないとだめじゃないですか、とエンリは口元をひくつかせた。
次にエンリが向かったのは友人の薬師がやっているポーション屋だ。
「ご友人のやってる店なんでござるか?」
「ええ、まあ場所は知らないんですが」
「行きつけるんでござるか?」
「受付の人に場所を聞いておいたんで大丈夫です」
ハムスケの上にネムを乗せ、話しながら歩く。そんなエンリ達の周囲が驚愕の目線をハムスケに向け、次にハムスケと楽しげに話す少女に驚き、その胸にあるプレートの色を見てさらに驚く。
そしてエンリはそのすべてに気が付いていなかった。
「ご友人の名前は何と言うのでござるか?」
「ンフィーレア・バレアレです。とても薬草とかに詳しいんですよ」
「ん?その者、男にござるか?」
「ええ、そうですけど」
もしエンリがハムスケの表情を完全に読めたなら、その悪どいにまにま顔を見て悪い予感がひしひしと湧いてきただろう。しかしエンリはまだそこまでの極みには達していなかった。
「その方、姫のこれでござるか」
「…どれです?(前足?)」
エンリは困惑気味にハムスケが上げた右前足を見る。どこか指を立てているのだろうか?
「嫌でござるな姫。いい人ってことでござるよ」
「いい人?」
今度はハムスケが困惑する番だった。エンリは本当に心の底から何も分かっていないようだった。
「(ええー?姫、鈍感過ぎでござるよ)」
「あ、ここですね。すいませーん」
しかしエンリはハムスケのその様子には全く気付かず、ようやくたどり着いたバレアレ家の中に入って行った。
「エ、エンリ!?どうしてここに!?」
「ンフィーレア、久し振り。実は色々あって。この家に下宿させてほしいの」
「それは僕の方から頼みたいくらいだけど…」
エンリを出迎えたのは前髪で目元が隠れた少年。この街では知らぬものがいないほどの有名人。ンフィーレア・バレアレだ。ありとあらゆるマジックアイテムを使いこなすと言うすさまじいタレントを持っている。
そしてエンリに絶賛べた惚れ中の少年である。しかし悲しいことにエンリには全く気付かれていない。
「え?」
「い、いや!何でもない。と、とにかく中へ。お茶でうわぁ!?」
「あ、私の友達のハムスケさんだよ。大丈夫」
「そうでござる。それに姫の友人はそれがしにとっても友人にござる。安心してほしいでござる」
「え?あ、そう…なんだ。分かった。いや、よく分かんないけど中で全部聞かせてくれる?」
今までの人生で見たどのモンスターよりも強そうな大魔獣を素で友人と言ってのけるエンリを見て、ンフィーレアは逆に落ち着いてしまった。許容量を超えたと言ってもいい。
「そんなことが…」
エンリからすべてを聞かされたンフィーレアは愕然とする。自分もある意味尊敬していたエンリの両親の死。カルネ村の崩壊。ハムスケがいなければエンリも生きてはいなかったという事実。どれもこれもンフィーレアが驚いて何も言えなくなるのには十分な内容だった。
「それで、エンリはこれからどうするの?」
「うん、私冒険者になったの。ハムスケさんが力を貸してくれるって言うから」
「え、あ、そうなのか。確かにハムスケさんが手伝ってくれるのなら安心だね」
一抹の希望を込めて放ったンフィーレアの言葉はエンリにたたき落とされた。もちろん本人にはそんなつもりは一切ないのだろうが、エンリに恋愛感情を持っているンフィーレアにとっては叩き落とされたも同義だった。ンフィーレアは外からハムスケが痛々しいものを見る目――同情の視線とも言う――で見てくるのを感じた。
「だからンフィーレア。ポーションを売ってほしいの。どれが良いのか分からないし、あとできれば文字も教えてほしい。もちろんお金は払うわ」
「そんなのいらないよ。別に僕もおばあちゃんもそんなに儲けたくてこの店をやってるわけじゃないし。もちろん文字を教えるのも一向に構わない。夜にでも……(それって夜に二人っきりってこと!?)」
「そんなに甘えられないわ。いくらなんでも依存し過ぎよ」
ンフィーレアが自分で言ったことに自分で悶えているのをエンリは不思議そうな目で見る。何で悶えているのか全く分からないのだ。そしてただでポーションをくれるというンフィーレアの言葉にもエンリは拒絶反応を示す。
「次からちゃんと払ってくれればいいよ。冒険者になった門出を祝う意味でも僕からポーションを送らせてよ」
「そういうことなら…」
エンリがうなづいたのを見てンフィーレアは少しテンションが上がる。これは自分から彼女への贈り物の様なものだ。エンリはそう思っていないだろうが自分にとってはそうなのだ。
「じゃあポーションについて教えてあげる。ポーションにも色々種類があるからね」
「魔法で作るのとか薬草だけで作るのがあるんだよね?」
「それもそうだけど傷を治すだけがポーションじゃあないから」
「え、そうなの!?」
ンフィーレアは楽しげに。エンリは真剣にポーションについて話し始めた。
読み直して気が付いたけどネムを全然出せてない…
ちゃんといるんですけどね。