旧都は昔地獄の一部であった。
これは勇儀さんが話してくれたことである。"地獄"という言葉の響きの割には賑やかな繁華街だ。能力故に忌み嫌われた者が集まってきたと聞いたが、皆明るく快活な様子である。
地下にある街のため、空は常に真っ暗だが、ここの住民のあまりにも明るい様子のせいか、不思議と暗い気分にならない。
そんな様子を背景に、一軒の古びた一枚板の看板の飲み屋に俺はいた。古びた外観ではあるが、繁盛しているようだ。
人通りは終始、種族を問わず妖怪たちで溢れかえっている。その通りにはたくさんの商店が並び、よく分からない店もある。俺としては、静かな喫茶店とかあって欲しいのだが…………
ふと視線を巡らせると、どこもかしこも大男が酒を煽り、どんちゃん騒ぎだ。真昼間から、酒を浴びるように飲み他愛のない話に大笑いする。この街を象徴するかのような風景だ。
「どうだ?いいところだろ」
隣に座る勇儀さんが、酒を飲みながら言った。すでに瓶を1つ開けているが、顔は別段変わっていない。
「地上の世界とはまた違った、盛り上がり方だろ?私にとって、ここは楽園だ」
「朝から酒を飲むのは感心しませんが…………」
「硬いこと言うなって。郷に入れば郷に従えって言うだろ?ほら」
差し出された酒を俺は丁重にお断りしておいた。目覚めてすぐ連れてかれたのもあるが、ここの酒のペースについていったら確実に潰れる。そもそも一杯の量が異常だ。
「ここが勇儀さんオススメの店なんですね?」
「ああ、馬鹿騒ぎしてもいいし、喧嘩だったいい。こんな自由な店は地上にないだろ?」
「喧嘩はできるだけしたくないものですが…………」
水を一杯飲んだところで、向こうの席で飲んでいた鬼たちがいつのまにかこちらに集まっていた。
「姉御!俺らと飲みましょうぜ!」
豪快な声でそう言った鬼はグループのリーダー格らしい。いかにも豪放磊落な様子の鬼は酒臭い息を吐きながら勇儀さんを誘う。そんな中、一番小さな体つきの俺を見つけると
「ん?お前、人間か?」
「は、はい…………」
完全に萎縮しきった俺を横に、勇儀さんは
「こいつは碓氷勇人ってんだ。しばらく、ここに住むからよろしくしてやってくれ」
「ほぉ!勇人か!よろしく頼むぜ、あんちゃん!」
すぐさま、人懐っこい顔となり、挨拶した。
「よろしくお願いします」
「かったいなぁ…………ここでは堅苦しくいる必要はないぞ?」
明朗な声で勇儀さんは言った。しかしだなぁ…………ここにいる者は基本的に身長190はゆうに越している。ガチガチにならない方がおかしい。
考え事が過ぎたのか、リーダー格の鬼は怪訝そうな顔をしていた。
「か、顔に何かついてます?」
「怖がらないのか?」
「へ?」
急な質問に変な声が出てしまった。
「いや、まぁ…………妖怪とかはたくさん会ってますし、知り合いもそれなりにいますから…………」
「こいつ、萃香と互角に戦ったんだ」
「ちょっと…………!」
「本当か!?カーッ!こいつぁ、とんでもねぇ奴が来たもんだ!」
ガハハ!と豪快に笑う鬼たちとは裏腹に俺の心は穏やかではなかった。
「そう言えば、こいしが随分と勇人のことを気に入ってたよなぁ」
「はは…………きっと、人を見る目があるんですよ」
ちょっとした冗談で返すが、やはり心は穏やかではない。いや、たしかにこいしやフランとかは俺よりも桁違いに歳上なのだが…………外面上、ロリコン疑惑がかかる可能性がある。俺は決してそう言うのではない。あくまでもノーマルだ。
「なんだと!?こいしちゃんのお気に入りなのか!!」
いきなり食いついてきやがったなこいつ。後ろの鬼たちもザワザワし始めている。穏やかではない理由はこれか…………
「最近、こいしちゃんを見ないと思ったら…………お前に会ってたのか!?」
「ま、まぁ…………寺子屋には基本的に来てくれますが…………」
「な、なんだと!?お前…………俺ですら、声をかけてくれるのは稀なのに…………」
「どのくらいの頻度で来るんだ!?」
おいおい!どんだけ食いつくんだ?他の鬼たちも血涙を流しながら、俺に迫って来る。
「妖怪の授業は週に3日ですので、その日はほぼ確実に来ますし…………授業外にも友達と来ますが…………」
「週に3回…………!?他の日にも来る…………?」
「どんな話をしてるんだ!」
「いや、授業ですので…………和算ですかね?たまにいっしょに遊んだりもしますけど」
教師だからと言って、授業だけすればいいもんじゃない。と、どっかで聞いた気がするので、誘われたらなるべく一緒に遊ぶようにしている。
「遊ぶ!?この野郎…………!なんて、うらやmけしからんことを!!」
「す、すいませんが、貴方達はこいしのなんなのでしょうか…………?」
「そうか…………知りたいか?」
「い、いや、無理を強いて言わなくても…………」
「なら、しょうがない…………それだけ、こいしちゃんとのエピソードがあるなら、知る権利がある」
「それほど知りたいわけでも…………」
「おい、お前、教えてやれ」
人の話を聞け。
「我らは!この旧地獄の天使、こいしちゃんを護るために発足した"こいしちゃん親衛隊"である!」
1人が前に出て、声高らかに紹介してくれた。まぁ…………こんな親衛隊ならたしかに守れそうだが…………
「こいしちゃん可愛い!」
「天使!」
「我らの女神!」
「あー…………分かりました、分かりました。それでなんでしょうか?」
やや暴走気味の彼らをなだめるが熱が冷める様子もなく仕切りにこいしへの賛辞の言葉を叫ぶ。
「お前はしばらくここに住むそうなんだな?」
「はい」
「なら、我ら親衛隊に入れてやろう!」
「い、いえ…………そんな滅相な…………」
「もちろんただで入れるとは言ってないぞ?」
誰が入るって言った。もう少し頭を冷やしてくれ…………
「こいしちゃんを護るのに貧弱な奴が務まらんからなぁ…………」
「入りたいわけでは…………」
「よし!俺と立ち会え!」
「え、えぇ…………」
「いいじゃないか!その話乗った!勇人、そいつと戦え!」
困惑する俺に勇儀さんは無理な命令を強いる。
「いや、入るつもりは…………」
「よし!1週間後に岩鉄(がんてつ)と勇人の一騎打ちだ!」
「よっしゃああ!って、一週間後!?」
「すまんが、私にもこいつに、ちと用事があるんだ」
「勇儀さんがそう言うのなら…………」
「いや、俺は別に…………」
「決まりだな!私はこれでお邪魔するよ。ほら、勇人、行くぞ!」
「え、え、ちょっと…………待ってくれ!」
俺を置いてけぼりにしたまま、一週間後に試合が組まれてしまった…………別に親衛隊に入りたいわけじゃないって…………
未だに熱の冷めない親衛隊の皆様を通り過ぎて、俺は外へ向かう勇儀さんを追いかけた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
"ちょっと飲みに行かないか?"
勇儀さんがそう言ってあの空間に連れて言ったのは、今から約3時間ほど前のことだった。
"あんたにここの世界を見せたくってな"
その気遣いに感動し、ついて来た俺だったのだが…………気づけば望んでもいない親衛隊に勧誘され、果てにはそれに入るために試合が設けられることとなった。
「本当に何を考えてるんですか!?」
と問う俺に、
「岩鉄って奴がいただろ?」
と何食わぬ顔でそう聞かれた。
「…………始めに俺に声をかけた人ですか?」
「おや?怒ってるかい?」
「別に!…………コホン、とにかく、その岩鉄って言う人が何です?」
「岩鉄はだなぁ…………ああ見えて喧嘩がそこそこ強い。旧都じゃあ、殴り合いであいつに勝てる奴はそうはいない」
ああ見えてって…………そうにしか見えない。むしろ、ロリコンだと言うことが驚きだ。
「もちろん、私や萃香には勝てない。…………あんたにもね」
「買いかぶりすぎです」
「そんなことはないさ。まぁ…………苦戦はするだろうな。あいつはタフだからな。だが、ちとここが足りない」
と勇儀さんは頭を指す。まぁ、パワー自慢で頭がいいって言う奴はなかなかいないな。
「そこでだな。あんたは岩鉄に素手で勝ってほしい。能力も使わず」
「そうでs…………は?」
「ああ、別に霊力を使うなとは言ってない。肉体強化ぐらいは許す」
「いやいやいやいや!無理ですって!」
身長およそ170cm(自称)のヒョロイ男と、190cm以上ありそうな大男と戦うなんてありえねぇ!ヘビー級対フライ級で戦うような体格差だぞ!?
「無理じゃねぇ!何のために一週間後に設定したと思ってるんだ?」
「だとしても、流石にあの体格差は…………それに人間と鬼という壁もあるんですよ!」
「そこはあんたの自慢の頭脳でどうにかしろ!」
「えぇ…………」
「それに心配しなくてます自然と岩鉄を越すくらいの力になる。そもそも、岩鉄に苦戦するようじゃあ、あいつらには勝てないぞ?」
「うっ…………」
「あと、言っておくが、ただ勝利すればいいわけじゃあない。圧倒的な勝利、それが目標だ。いいな?」
「は、はい…………」
「というわけで、お前の銃は私が保管しておく」
といつのまに、取っていたのか勇儀さんは俺の銃を取り出した。
「え、ちょっと!」
「これからは敵に遭遇したら素手で戦え。銃を返すのは岩鉄を倒してからだ」
「…………はい」
相棒まで人質に取られてしまい、岩鉄と戦わざるおえなくなってしまった。
「これから、ビシバシ鍛えてやる。覚悟しておけよ」
「お手柔らかに、お願いしますね」
勇儀さんの特訓は想像を絶するものであったのはまだ知る由もなかった…………
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
十六夜咲夜は驚いていた。彼女はナイフの扱いに長けており、自分自身それを自負している。しかし、目の前の男はどうだ?同じナイフ使いとして、自分と互角、又はそれ以上。
「…………ッ!」
ナイフが頬を掠める。ケヴィンの投げたナイフだ。正確無比なスローイングは度々咲夜を掠める。
「これならどう!?」
時を止めることで、ナイフを一斉に投げる。しかし、ケヴィンはバク転でそれを躱す。
近接に持ち込みたい咲夜だが、相手はスローイングナイフだけでなく、ナイフも持ち合わせており、バク転で距離を取る戦法も相まってより困難にさせる。
咲夜はやろうと思えば、時を止めているうちに相手を仕留めることもできる。しかし、それはプライドが許さなかった。同じナイフ使いとして、勝利したかった。
「銀符『シルバーバウンド』」
時間停止を利用し、大量のナイフを一度に発射させた。ケヴィンの視界の前には一面にナイフが広がっているだろう。致命傷にならないとしても無傷はありえない。そう思った矢先だった。
「…………」
「な…………ッ!?」
ケヴィンの体は透けていったかと思えば消えてしまった。大量のナイフは虚しくも空を切り、壁や床を刺す。
「こうなったら!」
再び時を止める。そして、咲夜は辺りを見回した。しかし、ケヴィンの姿はどこにもいなかった。隠れた?いや、違う。この部屋には隠れれるようなスペースなどない。なら、どこへ?
「どこなの!?」
必死に探すが全く見当たらない。まるで、忽然と
「チッ、時間切れ…………!」
「…………」
時が再び流れ出した時、昨夜の背後にはすでにケヴィンがナイフを咲夜の喉にスライドさせていた。