諸行有常記   作:sakeu

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第103話 移住の日の青年

暗闇の中にポツンと建つ小屋のような家は、風で軋み続けていた。

 

 

「あ、勇儀…………連れて戻って来たんだね?」

 

 

呟いたヤマメの声に、勇儀は黙って頷いた。

 

彼女の肩には、真っ白な顔色の勇人がぐったりと寝ていた。

 

勇儀は勇人の体をヤマメに預けた。ヤマメはゆっくりと敷布団の上に勇人の体を横にした。

 

 

「こんな体で動くなんてな。やっぱり、萃香が一目置いているだけはある」

 

 

と、少し驚いたように勇儀はいった。そして、塞がりかけていた肩の傷穴から再び出血している勇人の姿を見て、嘆息した。

 

ヤマメはつい1時間ほど前の彼の様子を思い浮かべた。

 

起き上がることすらままならなかった人間が、少し目を離した隙に小屋を飛び出してしまった。何故、そんなことをしたのかヤマメには全く理解できなかった。

 

勇人に対して、ヤマメは驚きとともにやや呆れた感情を向けていると、勇人は静かに目を開けた。そして、ヤマメたちの姿を目に捉えると

 

 

「…………俺をどうするつもりだ?」

 

 

血の気のない真っ白な顔で勇人はそれだけを告げた。

 

 

「どうするも何も、危害は加えないよ。君は少し勘違いをしてるんじゃない?」

 

 

ヤマメがそう言うが、勇人は警戒を解く様子を一向に見せず、焦点の合わぬ目で睨みつけている。

 

 

「そうだ。私が保証する」

 

「勇儀さん!?」

 

 

勇儀を見ると勇人は驚いた声をあげるのと同時に上体を起こした。その時に傷が痛んだのかすぐに顔をしかめた。

 

 

「無理をしないの。ほら、水だけでも飲みな」

 

 

勇人は何も言わず、少しだけ水を飲み再び横になった。そして、大きなため息をつき、首だけを動かして勇儀に視線を戻した。

 

 

「まだ、飲むかい?」

 

 

ヤマメの声に、小さく首を左右に振った。

 

 

「なら、包帯を変えるね」

 

 

そう言い、血のべっとり着いた包帯を剥がした。そして、何やら薬を塗りつけ再び新しい包帯を巻いた。

 

 

「不思議なもんだ」

 

 

ふいに勇儀は小さく呟いた。その声に勇人は首をかしげた。

 

 

「一度、あんたと手合わせをしたかったんだけどね。久しぶりに会えたと思ったらこれだ」

 

 

呟き声が途切れたところで、勇人は掠れた声で淡々と言った。

 

 

「俺としたら戦いは懲り懲りですけどね…………でも、ここではそんな泣き言も言ってられませんかね…………」

 

 

一呼吸置いて、勇人は言った。

 

 

「兎に角、ありがとうございます…………」

 

「私に言うな。こうやって、治療までしたのはヤマメだ」

 

「そうだな…………本当にありがとう」

 

「いいよ。それよりも、怪我の方は大丈夫なの?」

 

「大丈夫…………と言いたいけど、これじゃぁな…………」

 

 

深く溜息をつきつつ、天井を眺めた。

 

 

「でも、ここでゆっくりと休んでいる場合でもない…………あ、そうだ!」

 

「どうしたの?」

 

「悪いが、俺を永遠亭まで運んでくれないか?それだけしてくれれば、後は手間をかけない」

 

「え、ええ…………そ、それは…………」

 

「できないな」

 

「え?」

 

 

勇儀のはっきりとした言葉に勇人は絶句した。

 

 

「あんたに言い忘れていたが、ここは旧都と呼ばれる場所だ。ま、厳密に言えばここは旧都までの洞窟だがな」

 

「旧都?」

 

「そうだ。地上で忌み嫌われた妖怪たちが集まる場所だ。そこまで言えば、あんたを運んでいくことができない理由くらい分かるだろ?」

 

 

勇儀の言ったことに勇人は察してらしくバツの悪そうな顔をした。

 

 

「それに、紫からあんたを特訓するよう依頼されたんだ。しばらくはこの旧都で生活してもらうことになる」

 

「そうか…………は?」

 

 

唐突な勇儀の発言に勇人は一歩遅れて驚きの声をあげた。

 

 

「俺がここで生活する…………?」

 

「そうだ」

 

 

勇人は軽く眉をしかめた。

 

 

「と、特訓って…………そんな暇はないぞ!」

 

「だが、今のお前が再び戦って勝てる相手なのか?」

 

「…………ッ!」

 

「言っておくが、お前が負けた相手はそれなりの手練れだろう。紫も一度痛い目にあってるようだしな」

 

「そうなのか!?」

 

「油断はしてたみたいだが、あいつぐらいの妖怪がやられるぐらいだ。お前が勝てるわけがねぇな。ま、私も戦ってみたいものだが…………その前にお前の特訓が先だ。紫はお前に戦ってもらいたようだからな」

 

「だが…………」

 

 

反論しようと口を開いた勇人だが、その口を閉じることになったのは、勇儀の目に鋭い光があったからだ。

 

 

「なら、勝てない相手にもう一度戦って、死ぬか?」

 

 

唐突な声が薄暗い小屋の中で重く響いた。

 

 

「あんたの勇気は見上げたもんだ。だが、勇気と無謀は別もんぐらい分かるだろう?」

 

 

口調は淡々としているが、声には勇人を嗜める思いが込められていた。しかし、勇人は

 

 

「勝算は0じゃない。実力に差があったとしても策を弄すれば、勝算はまだ上がる。俺が弱いから負けたと言われれば、そうだが…………」

 

「無理だ」

 

 

投げ捨てるようなセリフに、勇人はぎょっとした。頭ごなしに否定されれば、流石に勇人は黙っていられない。

 

 

「人間よりも遥かに力を持つ鬼にそう切り捨てられたら返す言葉の無いけど、こっちにだって事情はある。弱い者は弱い者なりに戦わないといけないんだ。強い勇儀さんには分からない…………」

 

「ああ、そうだな。分からないな」

 

 

あっさりと答えられ、会話は途絶えた。話の糸口を掴もうにも掴めず、勇人は天井を見つめるしかなかった。

 

 

「でもな、強くなるために一度努力してから再び戦う方が勝算はあるんじゃないか?」

 

「それでも、届かないなら色んな策を弄すればいいさ。何も今の状態で戦う必要もない。ここは地上の奴に任せておいて、この旧都で鍛えてみるのもありじゃないか?」

 

 

その言葉は勇人を決断させるには十分だった。勇人は返す言葉を持たずただ、じっと勇儀を見つめた。

 

 

「その目…………どうやら、決めたようだね。よし!そうとなれば、旧都の輩に挨拶しに行くぞ!」

 

 

いきなり!?と眉を動かす勇人に、勇儀は冗談だ、と豪快に笑い飛ばした。

 

 

「さて、特訓しようにもその身体じゃあ無理だな」

 

「そうですよ。この身体じゃあ…………半年くらいはかかりますよ、治るのに」

 

「そこでだ。紫にこの薬を渡されたんだ。これを飲めばどんな怪我でも1発で治るらしぞ」

 

と、取り出した錠剤に勇人はただでさえ青白い顔をより一層青くさせた。

 

 

「どうした?あんた、薬が苦手なのか?」

 

「そ、そうじゃないが…………それだけは…………」

 

「あぁ?あんた、男だろう?黙って飲め!」

 

「あがっ!?」

 

 

拒否する勇人に勇儀は無理矢理口を開けさせ、そのまま放り込んだ。

 

 

「…………」

 

「あ、これ飲み込んでないよ」

 

「む…………ヤマメ水を持ってこい」

 

 

ヤマメはすぐに水を持ってきた。

 

 

「ほら、これで飲むんだ」

 

「むぐ…………ッ!」

 

「なかなか頑固ですねぇ…………あ!そうだ、こうして…………」

 

 

とヤマメは勇人の鼻を抑えた。

 

 

「プスー…………」

 

「口の端が開いた!」

 

 

すかさず、勇儀は少し開いた口の隙間に水を流し込んだ。

 

 

「…………ごくん」

 

「よし、飲んだな」

 

「…………ッ!」

 

 

予期せぬ勇人の反応にヤマメと勇儀は不安になって顔を見合わせた。

 

 

「アガアァァァアアア!!?」

 

 

暗い小屋の中で、勇人の叫び声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだい、勇人は?」

 

 

萃香の声が聞こえ、勇儀は振り返った。

 

 

「どうだい、と言われてもな…………今は寝てるよ」

 

「それにしても意外だね」

 

 

勇儀は首を傾げる。

 

 

「何が意外なんだ?」

 

「あまり地上の奴と交流したがらないあんたが、すんなりとかの願いを聞いてくれることだよ」

 

「駄目か?」

 

「いいや、驚いただけさ」

 

 

萃香は伊吹瓢を口につけた。

 

 

「あいつは多分苦労するだろうな」

 

「もう、苦労してるさ」

 

 

勇儀は、酔っ払う萃香の姿を見て、微かに笑った。

 

 

「私にもその酒くれないか」

 

「へっ、どうせ、星熊盃で飲むんだろ?」

 

「当たり前よ」

 

 

萃香は勇儀の盃に酒を注いだ。その酒を勇儀は一息で飲み干す。

 

 

「勇人って奴は、腕がもげようが足がもげようが、戦うタイプだろ」

 

「…………腕がなくなったら、口で相手の喉仏を嚙みちぎりに来るだろうね」

 

「正義感が強いっていうのか…………頼ると言うことを知らないと言うか…………」

 

「もしかしたら、本能的に戦闘狂かもしれないね。一度戦った時、最後の最後で異常な力を見せてきたからね」

 

「へぇ…………あんな顔して、そんな所があるのか」

 

「まぁ、それを除けば、ただのいい奴さ。約束もしっかり守ってくれるし」

 

「お?嘘をつかないタチか?」

 

「さぁ、あいつ変な所で頭デッカチになるからなぁ…………"時には嘘も必要です"とか言いそうだもん」

 

「…………あんたや紫があいつの事を気に入った理由がなんとなくわかった気がするよ」

 

 

空になった盃に萃香は再び酒を注いだ。勇儀はすぐさま飲み干す。

 

 

「まぁ、妖怪に好かれるのも難儀なもんだ」

 

「確かに何人かは勇人にゾッコンなようだけど」

 

 

ん?と勇儀は眉を動かした。

 

 

「どんなに疲れている時でも彼の顔を見れば疲れがぶっ飛ぶって話だよ」

 

「はぇ…………勇人の奴、以外と女たらしなのか」

 

「はは、無自覚なら余計タチが悪いってね」

 

 

2人で笑い合いながら、萃香の脳裏には、嬉しそうに話す早苗の姿が思い出される。どんなに疲れていても相手を気遣ってくれる人だそうだ。

 

散々、早苗の惚気話を聞いていたが、そのくらいしか覚えていない。まともに聞くと日が暮れてしまうからだ。

 

 

「ま、常に酔っ払ってるちんちくりんな奴よりはいい人なんだろうな」

 

「あ?」

 

 

勇儀の煽りに萃香は顔をしかめたが、すぐに苦笑へと変わった。

 

 

「ある人曰く、兎に角素敵な人だってさ。いっつも、難しい顔で考え事をしていたり、紙に沢山の数字を書き並べたり、徹夜して次の日に倒れたり、よく怪我したり、よく子供たちに振り回されたりしてるが一生懸命な所がカッコいい、とさ」

 

 

へぇ、と首をひねった勇儀は、遠慮がちに口を開いた。

 

 

「…………それって、本当にかっこいい奴なのか?」

 

「同じこと思ったよ」

 

 

2人の鬼は顔を見合わせて、豪快に笑い合った。


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