「フィンよ。少し良いか?」
公務室の扉を挟んで聞こえる声。
それがリヴェリアの物だと確認せずとも分かる。
彼女は落ち着いた手つきで扉を開けると、乱れぬ歩幅で足音一つ立てずに部屋へと入ってきた。
長い付き合いだ。
リヴェリアがどうして僕の元を訪れたのかなんて直ぐに分かる。
「座りなよ。紅茶でいいかい?」
「ああ。…相変わらず綺麗な部屋だな。
あははと笑いながら、僕は彼女の前にティーカップ差し出した。
物が散らばるのは好きじゃないし、ごちゃごちゃとしたレイアウトは落ち着かない。
その点、彼の部屋は僕の趣味とは大いに異なるわけなのだが、どうしてか、転がるガラクタのどれを見ても興味を唆る。
「…此処に来たのは、さっきの件だろ?」
「察しが良くて助かる。…フィン、おまえは先ほどの話についてどう考える?」
「知恵を付けようがモンスターはモンスターさ。僕らの生活に害を成そうと言うのなら、ロキに誓って戦うよ」
「…ふむ」
僕の言葉に、リヴェリアは曖昧な表情を浮かべたまま眉を寄せた。
「聞きたかった答えじゃないようだね。…リヴェリアが引っ掛かっているのは、カズマの言っていた事だろ?」
「…っ」
『…もしもその知恵のあるモンスターが涙を流して命乞いをしようものなら……。おまえは剣を振るえるか?』
あの時、彼の言葉に息を飲んでしまったのはアイズだけじゃないだろう。
もとより冒険者としてだけ剣を振るっていたアイズが、カズマと出会い、共に行動をすることで、ほんの幾ばくかの人間味が現れたように思える。
それは悪いことではない。
むしろ良い成長だ。
ただ、今回の件については話が違う。
「僕は、モンスターが言語を理解し感情を持っていたとしても…、狩るべきだと思ってる。…それが冒険者としてのーーー」
「義務だから、か?」
「…あぁ」
義務だから。なんてのは都合の良い言葉だ。
実際、僕も明確な答えが持てていないから。
「今回の任務は、カズマやアイズはメンバーから外すべきなのかもな…。もしかしたら、ティオネやティオナ、レフィーヤにベートだって…」
「モンスターの前で躊躇いを見せれば自身が危険だからね。……でも」
「?」
深層遠征での出来事を思い出す。
デストロヤーを前に、なす術なく唖然としていた僕らを、なんだかんだ統率したのはカズマだった。
終いには、アレを倒しちゃうし…。
やはり彼には常識が通用しない。
それなのに。
今は人間味のある一つの常識問題を、僕らはカズマに突き付けられている。
……本当に、カズマは僕らを楽しませてくれるよ…。
「…メンバーはいつもの通りで行く」
「む?」
一つの希望。
彼は僕らの英雄だ。
きっと否定するだろうけど、彼は間違いなく……。
「カズマなら、きっと正しい答えに導いてくれるさ」
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晴天のオラリオ。
街は賑わい、人は活気に溢れている。
所狭しに並んだ露天商が大声を張り上げ、雑踏を走る子供達は笑っていた。
きっと、
心の余裕が出来たのは、誰よりも強いアイツが、誰よりもバカで、誰よりもエッチで、誰よりも優しいから。
団長より強くなったのは少し許せないけど…。
「…ねえティオネ。ティオネはさ、さっきの話、どう思った?」
隣を歩くティオナが、肩を小さくさせて私に問いかける。
いつもの元気が無いのは、恐らく先ほどの件を考えているからだろう。
「ふん。モンスターはモンスターよ。倒すべき仇なの。…あいつらに、私達の仲間だって何人も殺されてるんだから」
「…でも」
「なによ」
「……」
ティオナは小さな声で呟きながら下を向いた。
純粋だからこそ、ティオナの中にはカズマの言葉がグルグルと巡り回っているのだろう。
…いや、本音を言えば私も同じだ。
胸の中でモヤモヤとする様々な考えは、恐らく私の腕に重くのしかかっている。
こんな状態でモンスターを目の前にして、私は普段の通りに剣を振るえるのだろうか。
「…ごめん。やっぱり私も分かんない」
「…。あのさ、ティオネもカズマの事が好きなの?」
「ぶーっ!?な、何よ急に!?わ、わ、私は団長一筋よ!」
前触れの無いティオナの質問に、私は思わず身構えてしまった。
ど、どうして急にガールズトーク?
私の妹ったら本当に唐突なんだから!
「…そっか。へへへ、それなら取り合いにならずに済むね」
「と、取り合いって…、あ、あんたはカズマの事が好きなの?」
「うん!だって、カズマは強いし、優しいし、暖かいし…。近寄るとね、甘い香りもするの。…ぎゅっとしてもらうと、凄く身体がポカポカするの。これって好きってことでしょ?」
「ぐ、ぐぬぬ」
ま、眩しいよ!!
恋する乙女なティオナの顔が凄く眩しい!!
私は取り繕うように咳払いを一つし、ティオナに向かって私の本音を少しだけ晒す。
「ゴホン…、わ、私もカズマは嫌いじゃないわよ。…確かに、あいつはデタラメに強いし。で、で、で、でも!わ、私の団長はもっと強いし!」
「えへへ、そうだね。フィンも強いし、きっとティオネの想いも届くはずだよ」
届くはず…、か。
恋を知れば知るほど自分が分からなくなる。
私が好きなのは団長。
ずっと前に、私達が小さかった頃から強い団長は、とても格好良く、私の憧れで…。
…憧れ…。
憧れ?
何それ、私のこの気持ちは恋愛感情よ。
憧れなんかじゃない。
団長を見るとワクワクするし、冒険者としても心強くて頼もしいんだ。
カズマと一緒に居る時に心が弾むのは…、きっと何かの気のせい…。
「…っ。そ、そんな事より!あ、あんたは今回の件、どうする気?…別に強制では無いし、メンバーから外してもらう?」
と、私は分からぬ想いを隠すように本題へと話を戻した。
そうだ。そもそも話の筋が脱線している。
今は例のモンスターの討伐について話していたんだ。
「う〜ん。私は…」
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ロキ・ファミリアホーム、黄昏の館。
ウチの神室に置かれたデスクには、他ファミリアの神々から寄せられた苦情と、ヘルメスから送られた例の依頼書でごった返す。
苦情の9割は…、いや、10割がカズマ関連の物だが、これはもう対処のしようが無いので放置。
ペラリと、ウチは1枚の羊皮紙を捲った。
そこに書かれたヘルメスからの伝言は、要所要所で具体性の欠ける文。
依頼書と題されるにも関わらず、その文には実行日時から必要経費、現状況、何も記されていないのだ。
…ヘルメスにしては間の抜けた依頼やな…。
だが、この文面の冒頭にヘルメスの署名がある事から、この羊皮紙が誰かに偽造されたとは考えにくい…。
「…なんや、ほんまに何が起こるって言うねん」
ウチら神さえも予想ができない未来。
おそらくそんな神々をも嘲笑うがごとく、ゲスな笑みを浮かべているであろうアイツがウチらの監視下にあることだけが唯一の救いであろう。
ヘルメスやウラノスからの定期連絡によれば、カズマは今、バベルの麓にある噴水広場でレフィーヤとソフトクリームを食べて居るらしい…。
…暢気かっ!
バシンっ、と。怒りを打つけるようにデスクを叩くと、山となって積まれた苦情の束が散乱する。
……あぁ、もう…。
床へと散らばった苦情の羊皮紙を1枚1枚拾い上げながら、ウチは内容にチラリと目を通した。
『過激プレイは禁止。縛り、焦らし、SM等は禁止です』
な、何の事や…。
『ウェイトレスへのセクハラ。過剰な接待の要求は止しなさい』
…あ、あいつ、何を…。
『私、カズマに脅迫されました。そのせいで、無断に神の力を使ってしまい罰則を受けたわ。あとゲロも吐かされて、ジャンケンも負けました』
……?
なんやコレ。
神の力?ゲロ、ジャンケン…。
差出神はフレイヤか…。
ってことは、神の力は魅了。
アイツ、フレイヤに魅了を使わせて何をしよった…。
……。
解せん…。
やはりカズマは放って置けない。
監視はしてるといえど、いつ何をしでかすか…。
と、ウチがデスクから立ち上がり、ヘルメスとウラノスに詳細情報の催促へ向かおうとした時に。
空一面へ広がる赤と青の丸い光。
尚も、ひゅ〜〜…、ドォォンッ!!と音を轟かせ、それは空から光を放ち続けた。
おおよその場所はダイダロス通りの奥部。
その光と音は、思わずウチの腰を抜かすほど。
「…っ!?!? な、なんや…っ、なんやねんっ!あの魔法はっ!!!」