ゆゆしき依頼に伝わりを
広々とした岩造りの浴槽から沸き上がる湯気。
ロキに無断で中庭を改築して建設した露天風呂は、程よい温度のお湯が張られ、周囲の雑踏を消し去った静寂と、見上げれば広がる星空に心を和ませた。
暖かい…。
あっちの世界に居た頃に、一度だけ行った温泉街を思い出す。
まだ小学生だった俺は、温泉だの露天風呂だのよりも、街にあるゲームセンターへ行きたくってウズウズしていたっけ。
…はは、気づけば俺も大人になっちまったもんだ。
あの頃は風情だなんて微塵も感じなかったのに、今は露天風呂から望める星空に心を奪われてるんだから。
「…はふぅ。ぬくい…」
そんな風情をぶち壊す少女の戯言。
金糸の髪をお団子に結い、一糸纏わぬ白くて細い身体を湯船に浸からせる彼女は、火照った顔を綻ばせながら、目を細めて湯に浸かる。
「やっぱり疲れた身体には温泉が1番だよな。酵素系の入浴剤だから傷にも良く効くし」
「…お肌もすべすべ」
「極楽ぅ〜」
「…極楽ぅ〜」
ふぁ〜、と。
身体の中に溜まった疲れを追い出すように、俺とアイズは互いに大きく息を吐いた。
白濁した湯が程よく身体に吸い付く。
あぁ、気持ち良い…。
テルマエ技師である俺の仕事っぷりも捨てたもんじゃないな…。
「……っていうか…」
「…?」
「なんで俺とアイズは2人で露天風呂に入ってるの?」
少し前から疑問だったのだ。
どうしてアイズが一緒に入ってるのかな?
この子、恥じらいとか無いのかな?
「…兄妹だもん」
「あぁそっか。それなら仕方ないな」
どうやら俺とアイズは兄妹になったらしい。
だから一緒にお風呂へ入るのもおかしくないのだ。
年頃の妹が珍しく兄に甘えて来たんだ。
少しくらい優しくしてやるのも悪くないか…。
「アイズ、これ出来るか?」
「?」
俺は両手を使って水鉄砲作る。
手に力を入れて、水を押し出すように。
ぴゅっ!
「!?」
それは見事にアイズの頬へ当たると、アイズは驚いたように目を丸くした。
「コレは簡易版の花鳥風月だ。アイズにも教えてやろう」
「…わ、私にも、花鳥風月が使えるの…?」
「鍛錬次第だがな…。まずはな、こう、両手を握手するように繋ぎ合わせて」
「…うん」
「中に空洞が出来たら、そこにお湯を淹れる」
「…おぉ、ぷくぷくしてる」
「そうそう、うまいうまい。そしたら力を入れて押し出すんだ」
「…えい」
ぴゅっと。
物覚えの良いアイズの手から放たれた水鉄砲は、弱い威力ではあったがしっかりと発射され、俺の肩にチョロりと当たる。
「ははは。アイズはセンスがあるな」
「…むふぅ♩」
アイズは柔らかそうな頬を嬉しそうに膨らませると、尚も俺が教えた水鉄砲で遊び続けた。
水を飛ばしては補充して、また飛ばしては補充してと、飽きる事なく遊び続ける。
その姿はまるで幼い女の子のようで、剣を持ってダンジョンを闊歩するアイズの姿は無い。
俺はその時、揺れる湯船を見つめながら、何の気なしに思った事を口に出していた。
「…アイズはどうして冒険者になったんだ?」
ーーなんとなく、踏み込むべき所ではないと思っていた部分に、裸で向かい合った状況も後押しし、俺は静かに、それでもアイズの瞳を真っ直ぐ見つめながら問い掛けていた。
ふと、アイズは一瞬だけ目を大きくしたと思うと、俺からそっと顔を背けて顔の半分を湯船に浸からせる。
ぷくぷくぷくーと、口から吐いた息で泡を作り、ちらりちらりと数度視線を俺に向けながらーーー
「…わ、私の事は、いいの。…カズマこそ、なんで冒険者に、なったの…?」
と、あからさまに話を逸らした。
「はぁ…。まぁいいけどさ。…俺は冒険者になりたくてなったわけじゃないよ」
「…?」
「この世界で生活するには金がいる。稼げるのが冒険者だった。それだけ」
俺はそう言いながら、手で作った水鉄砲をアイズの顔に向けて放つ。
小生意気にも隠し事をする小娘は、水を頬に当てられ少しだけ驚くも、それでもキョトンとした顔はやめない。
「…お金のため?…それだけ?」
「あぁ、遊ぶ金欲しさだ」
「……むぅ」
納得がいかないのか、アイズは再度湯船に顔を半分浸からせ泡を作った。
英雄になるため。って答えが返ってくると思ったのか?
少なくとも、俺は英雄を目指して冒険者になったわけではない。
「…私は違うよ。…モンスターを、いっぱい倒す…。倒して、倒して…」
「……」
アイズは言葉を止める。
倒して、どうするんだろうな…。
いや、アイズの場合、
無情に剣を振るう彼女からは、ほんの小さな憎悪を感じるから。
「アイズは、モンスターが憎いのか?」
俺はゆっくりと、アイズに向けて答えを求める。
ドクンと震えたアイズの心臓が、まるで湯船の水面を揺らすように。
波がふわりと俺を打った。
そして、彼女は自分に言い聞かせるように、確かな言葉を俺に返す。
それは危うく、恐らく今後、俺の考えと対立するであろう言葉をーーーー
「…っ。…モンスターは、
「…うん、そっか」
それだけ言うと、アイズは唇を尖らせて上目使いに俺を見つめた。
その瞳はまるで、曖昧な答えしか出せない子供のように、ふらふらと不確かな言葉だけを口にして不安がる、そんな感じ。
「……」
俺はそっと、アイズから視線を逸らして眼を瞑る。
もしも…、もしも俺が、ロキ・ファミリアと敵対し、モンスターの肩を持つような行為に出たら、アイズは俺の事を斬るのだろうか。
兄と慕ってくれて、こうして共に風呂へ入り、幾度の冒険を繰り返した俺の事も、倒さなくちゃいけないモンスターとして、アイズは剣を振るうのか。
……。
そうなったら、少しだけ…。
「…嫌だな」
「?」
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
カズマの造った露天風呂は連日の大盛況。
あの日、2人で入浴できたのはまだ露天風呂の存在がファミリア内に知れ渡っていなかったからだろう。
今や、どの時間に露天風呂へ行こうとも、必ずと言って良いほどに先客が居るのだ。
勝手に変なもんを造んなや!?
と慌てていたロキでさえ、最近では毎晩のようにお酒を持ち込み長風呂をする始末。
……私とカズマだけの場所だったのに…。
そうやって少し残念に思いつつも、造った本人であるカズマが何も言わない以上、私から露天風呂の使用を制限するような事は言えない。
「…むぅ」
…私とカズマの思い出に土足で入り込もうとは…。
許すまじ人類…。
「アイズ?どうかしたのか?」
私が賑わう露天風呂を睨みつけていると、肩を優しくリヴェリアに叩かれる。
リヴェリアは不思議そうな表情を浮かべつつも、ため息を1つ吐き出し要件を伝えてきた。
「招集命令だ。ロキから何か話があるらしい」
「…話?」
招集命令とは珍しい…。
それもロキからの物となれば尚更だ。
私はリヴェリアに並び、特に用事も無かったのでそのままロキが既に居ると言う応接間へ向かった。
…扉。
…会いたいときは、秘密の扉をノックノックと。
「我々が最後のようだな……っ!?」
「…?」
応接間へ入るや、リヴェリアは大袈裟に慄く。
何事かと、リヴェリアに続きヒョコりと応接間を覗くと、そこにはロキ、フィン、ガレス、ヒリュテ姉妹、ベート、そしてカズマが……、か、カズマ…っ!?
「…か、カズマ…」
「なんだよ?」
「…カズマが、招集に素直に従っている…っ!…あ、明日は槍が降る…」
驚くべきことに、あのカズマが既に応接間へ来ていたのだ。
ものぐさで適当なカズマが、素直にもルームチェアーに座って膝を組んでいる。
おかしい…、いつもなら絶対に招集の呼び掛けへ応じないのに…。
…ど、どんな心境の変化…?
「お、おまえらな、俺だって偶には従うっての。そこまで破天荒じゃねえよ」
「…おかしい。…もしかして、偽物…?」
「!?」
「…なんて。…冗談」
そうだよね。
カズマだって事によっては真面目に話が聞ける人だもんね。
私は納得とばかりに頷き、カズマの隣にチョコンと座る。
すると、それを見て呆れたように目を細めていたロキが、ようやくにその口を開いた。
「なんや、ほんまにカズマが素直にウチの呼び掛けに従うなんて…。変な感動さえ覚えるわ」
「な、なんだよロキまで。そんなことより早く話を進めようぜ」
「おっと、せやな。…んまぁ、端的に言えば討伐の依頼や」
討伐?
私は声にする事なく反芻させる。
ここに集められた面々を見る限り、ロキの言う討伐クエストが只事では無いと理解した。
「ほう。討伐のターゲットは何だい?まさか、このパーティーでコボルトを狩ってこいとは言わないよね?」
フィンが興味深げにロキへ視線を向ける。
「…遠からずって所やな」
「何だって?」
「ターゲットはヴィーヴル、リザードマン、セイレーン、アルミラージ、ガーゴイル…。もしかしたら他にも居るかもしれん」
「…冗談だろ?侮る訳じゃないけど、ヴィーヴル達を狩るのに僕らを集めたのかい?」
ロキの言ったターゲットは、階層主でも無ければ未知のモンスターでも無い。
第1級冒険者なら一度は倒したことのある
フィンが訝しげに首を傾げるのも納得ができる。
ハッキリ言ってしまえば、敵ではない…。
と、全員がこの招集へ疑問を抱いているにも関わらず、隣に座るカズマは表情一つ変えずにロキの言葉へ耳を傾け続けていた。
…今日のカズマ…、本当に少し…、変?
「コレを見てくれ。ヘルメスからの依頼書や」
そう言うと、ロキは1枚の羊皮紙を真ん中のテーブルへ置く。
そこに記されているターゲットのモンスターは、先程ロキが言った通り。
だが、そこには目を疑うような付加情報が。
『そのモンスターは装備を整え、知恵を使い、策略を張り巡らせ、連携を取って冒険者を襲う』
…モンスターが?
その情報に、私は思わず目を疑う。
「知恵のあるモンスター…。まさかとは思うけど、感情まで持ち合わせてるとは言わないよね?」
「わからん。ヘルメスはコイツらの情報を集めてんのか、連絡がつきひん」
集められた全員の声が消える。
フィンでさえも、思考を巡らせているのか顎に手をやり黙りこくっていた。
「なぁ、アイズ」
そんな中で呟かれるカズマの小さな声。
それはいつものような暖かさを持たない、少しだけ冷ややかな声音。
カズマはその沈黙を破るように、非情で冷酷な質問を私に…、いや、全員に向けて問い掛けた。
「…もしもその知恵のあるモンスターが涙を流して命乞いをしようものなら……。おまえは剣を振るえるか?」
ゼノス編。
投げっぱなしだったからここらで回収。