DEATH NOTE―next Level―   作:内海鳥

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第四頁―side Chieko―

 車折(くるまざき)蓮二(れんじ)。28歳。警視庁総務部情報管理課勤務。身長171センチ。鋭い双眸と黒縁の眼鏡。

 2017年1月12日。警視庁。

 

 車折蓮二は目立って優秀な個人ではない。確かに仕事は正確でそこそこ速いが、それは能力というよりも性格に由来するものだ。身体能力も中の上程度。発想が柔軟な訳でもない。規則やルールは遵守するが束縛はされない。正義感も人並み。手先の器用さに関しては、自信があるが、スキルというより知識と経験が他人より多い程度だ。

 警視庁総務部情報管理課は、車折にとっては天職とも言えた。警察がより正確に、より多く、より効率良く情報を扱う事ができるようにシステムを点検・構築するのが主な職務だ。

 現場で犯人を捕らえたり犯罪を捜査するよりも、そういった仕事の方が性に合っていた。だがそれでも他の職ではなく警察を選んだのは、車折にとって最も社会に貢献できるのが警察官だと思ったからだ。

 車折にとって、自身は社会の歯車だった。

 

 昼休みに入り、仕事に一区切りつけて食堂で1人昼食をとっていた車折の向かいに、車折と同期入庁して別部署で勤務している1人の男が座った。

「車折」

「ああ、安田」

 カレーうどんの湯気で眼鏡が曇らないよう眼鏡を外していた車折は、声で判断した。

「なぁ、月末に合コン企画する事になったんだけど、車折もどうだ? 確かお前、彼女いなかっただろ?」

「月末……どうしようかな」

「嫌なのか?」

「嫌って訳じゃないけど……何人来る?」

「3対3。何、もしかして合コンに嫌な思い出でもあんの?」

「大したものじゃないよ。大学で5対5の合コンに無理矢理引っ張り込まれて、多人数の中で馴染めなかった事があるくらいかな。目立たない俺を数合わせにして、上手く使われたんだ」

「あー、いたいた、そういう奴」

 頷きながら、安田は定食の味噌汁を啜った。

「3対3なら、埋もれないし大丈夫だと思うけど?」

「それはわからないけど……どうせ週末はやる事もないし、使われてやろうかな」

「使うも何も、相手に受けが良さそうだからお前を誘うんだぜ?」

「俺は普通だよ」

「普通に真面目な奴って、あまりいないからなぁ。真面目になろうとして真面目な奴って、しんどいからさ。あ、ちなみに3人目の男は水野な。もう誘ってある」

「水野も来るのか。なら楽そうだな。いいよ、行く」

 水野は車折の大学の後輩で、安田の部下だ。背が高く大柄で、声が低い。人当たりが良く聞き上手なので、車折としても合わせやすい。

「ナイス! あ、それと相手は妹の友達なんだ。全員社会人だけど」

「警察官が学生に手を出すのも、な」

「色々世知辛い世の中だしな……そういえば――」

 安田はさりげなく声を低くした。

「木場さん、今揉めてるらしい」

「揉めてる?」

「持ち込まれた痴漢の担当になったらしくてさ。しかもこれがまた厄介で、ほぼ冤罪だってよ」

「嗚呼……」

 慎ましく沈痛な表情を浮かべた安田を見て、車折も似たような心境になる。

「やりにくそうだな……にしても、ほぼ冤罪っていうのは?」

「どうも、被害者の女子高生に見覚えがあるらしいんだよ。何度か痴漢被害で警察に来てるんじゃないかって」

「なるほど、そういう……」

「この手の話はやりにくいにも程がある。男からじゃ『女性専用車両を使うなどの対策をしろ』とかしか言えないし、かと言って女性専用車両自体にも色々と意見はあるし。本当に痴漢された可能性も否定はできないが、そう何度も何度も同じ子が痴漢に遭って訴えを起こしていると疑ってしまう」

 安田の話を聞きながら、車折も嘆息する。

 こういった日常で頻繁に起こる事件には、やり切れない些細な悪意や疑念が多く付き纏う。

「……何か、変わったよな」

「……ん?」

「いや……大きな犯罪は、そりゃ減ったよ。通り魔だとか、薬物売買だとか、詐欺とか。計画して大きな事件にする人間は確かに減った。けど、こう、隠れてやろうっていう意思が昔にも増して強くなったと思うんだよ」

 何故そうなったか、を公の場で口にしない安田はよく弁えている。

 キラの裁きによって一時期は世界、特に日本での犯罪件数は大幅に減った。ニュースで報道されるような犯罪者は片端から心臓麻痺で死んでいき、見せしめとなっていた。未だにキラの強烈なインパクトは世間に残っているが、同時に、キラを直接知らない世代が学生世代に増えてきている。そして、彼らが「キラにさえ裁かれなければいい」という困った考えを持っているような空気を、時折車折は感じるのだ。

「報道されない程度の犯罪とかならいいっていう空気、多分あの頃より強いよな」

「警察よりも先にキラを犯罪に結びつけられる事が増えたっていう感覚は、俺もわかるよ」

 警察に捕まる以上にキラに殺されるのが怖い、という感性が芽生えた上でそのキラという蓋がなくなった。

「その分、ネットへの晒しが増えたとも思う」

 車折は言った。

 こんな悪い奴がいる。そんな書き込みが、今でもキラを信奉する人間たちが多く集まる掲示板では多く寄せられている。膨大な量の、顔写真や名前といった個人情報が流出しているのだ。当然、キラなど関係なく悪用される事例は多くある。

「難しいな……」

 そう呟いてから、ハッと安田は顔を上げた。

「いかんいかん! 暗くなっちまった! お前と飯を食うとすぐこれだ」

「いや、元はと言えば安田が始めた話じゃないか」

「合コンの席ではやめてくれよ?」

「お前がきっかけさえ与えなければ、俺は自分からこんな話はしない」

 それから2人で食事を済ませ、車折はオフィスに戻り、やがてその日の仕事を終えて帰宅した。

 

 アパートの一室に入り、風呂を沸かして夕飯の準備に取り掛かる。その間も頭の中を巡っているのは、キラについてだった。

 キラならば、昼に安田と話していたような犯罪に対してどう接するのだろうか。疑わしきは罰するのか、はたまた明らかな悪を裁いて見せしめにする事でそういったものすら抑制しようとするのだろうか。

 ――キラはどこまで知っていた?

 何度も考えてきたその疑問に、今日も車折は思い至る。

 かつてキラと直接(?)対決をしたLを、キラは殺せなかった。リンド・L・テイラーという死刑囚をキラに殺させた直後現れた(?)Lはキラを挑発したが、Lは殺されなかった。そしてLはキラを「所詮はただの人間」と断定するかのようにさらに挑発した。個人情報を特定しできていない人間を、キラは殺せない。

 では、キラはどこまで犯罪者たちの個人情報にアクセスできていたのだろうか? 第二のキラ事件では、より多くの犯罪者を報道するようにという希望があった。それはつまり、ニュースなどがキラの情報源だったのかもしれない。

 ――俺なら?

 車折はさらに考える。

 ――俺なら、さらに洗練された裁きができるんじゃないか?

 世に報道されていない悪を裁ける位置にいる車折なら、最低でもキラと同程度、もしかするとキラ以上に的確に悪人を裁けるのではないか?

 そして車折ならば、キラという前例を教訓に、Lなどのキラを追う存在を最初から想定して動けるのではないか?

 リンド・L・テイラーのような人間を殺すという迂闊な真似はせず、徹底して、淡々と、実直に、脇目も振らず、ひたすらに裁きを行えるのではないか?

 思考しながら調理の手を止めず、作った料理をリビングのテーブルに運んでテレビを点けた。毎日報道される犯罪のニュースをBGMに、箸を動かす。

 キラという存在を知ってしまった事で生まれた、「自分がキラだったら」という思考ルーチンはこうなると止まらない。車折以外にも数多の人間が同じ発想を持つだろう。

 キラウイルス、と呼んでもいい。

 車折の性格では、どんどん率直に受け止め、考え、答えがない問題ほど泥沼に沈んでしまう。

 深く、深く、さらに深く。

 車折は沈んでいく。

 キラという深淵に呑まれていく。

 

 だが翌日、唐突に車折はその底に辿り着いてしまった。

 

 朝目を覚ました車折は、枕元に置いていた眼鏡を掛けて目を見張った。

 床に敷いた布団の傍にあるテーブル。その上には、見覚えのない黒いノートが1冊置かれていた。

 車折は、それに触れた。

 


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