『小夜啼鳥が血を流す時』   作:歌場ゆき

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「猫って何考えてるかわかんないじゃないですか
 私はそこが好きなんです
 言葉が通じないから考えさせてくれるというか
 想像の余地を与えてくれるのがとても
 …いいですね」

────大今良時『聲の形』より







「That is not all」

 

 

 

 それから、従軍までの期間において────

 

 ジョン・スミスとフローレンス・ナイチンゲールはほとんど毎日会っていた。

 

 ジョンが”他の軍務がある”と言って、ロンドンを離れていた数日間を除いた毎日。

 

 互いにやるべきことを抱えていながらも報告・連絡・相談の時間を作った。

 

 どれほど些細なことでも欠かさず、正直な所感ととともに相手へ伝達する。

 

 互いに尊重し合い、互いの助けとなるように。

 

 必要であれば、対立もした。

 

 時に意見がぶつかり認められないポイントが現れようとも時間をかけて話し合い、意見を交換しあった。

 

 いや────より正確に事の次第を記すのであれば、そこには感情の交換もたしかに含まれていたと言っていい。

 

 ふたりでいる時間は、まさに心と心を通い合わせるような邂逅だったのである。

 

 そう、一から十まで全てが従軍の準備についての話であったわけではなく─────

 

 ───たとえば、

 

 それは、出産予定日より大幅に遅れて心配していたアレシアの子どもがようやく産まれて、母子ともに元気で本当によかったという話題。

 アレシアの夫のジョージは軍人であり、仲間内の誰もが認める冗談のひとつも言わない無口で厳格な性格の持ち主。

 いざ仕事をやらせれば、迅速かつ丁寧に事を為し、文句のつけようのない完璧な結果を残すことで有名。

 そのジョージが妻の出産の報せを受けてからというものミスが目立つようになり、作戦中も上の空、仕事がまるで手につかなくなってしまった。

 その件で上官に「それでも貴様は一児の父親か」と叱責され「一刻も早く、妻の待つロンドンへ急行せよ」との命令を受けたジョージ。

 実家のロンドン郊外に急行し、子と妻をその手で抱いたジョージが病室で男泣きして医者と看護婦たちを困らせた。

 どうやら赤ん坊よりよっぽど泣いていたらしいという話は忙しない軍部にちょっとした温かい笑いと涙をもたらしたのだとか。

 

 ───たとえば、

 

 それは、ナイチンゲールのところに面接に来た従軍志願者の中にジョンのことを知っている女性がいたという話題。

 彼の女癖の悪さについての噂に尾ひれがついた形でナイチンゲールの耳に入った日のこと。

 最初こそ舌鋒鋭くジョンを問い詰めるものの、ジョンはのらりくらりといつもの調子な上に、そもそもからしてなぜ自分が憤る必要があるのかと急に冷静になったナイチンゲールは、現在誠実に生きているのであればそれでよしと不問に付した。

 噂が広まりに広まった──手広い女性関係の相手の中には、かのヴィクトリア女王の名前も出てきて、”いやいや、それはないだろう”と噂全体の信憑性を著しく低下させたこともジョンを攻めるナイチンゲールの気勢を削ぐことに一役買っていた。

 

 ───たとえば、

 

 それは、以前からの忙しい看護婦生活の中で飼っているような飼っていないような状態の一匹の猫がナイチンゲールの家の戸を叩くことがあった。

 毎日ではなく、週に一度二度、玄関の戸をカリカリと引っ掻きに来たときだけ小さな訪問者を家に招いてはご飯をご馳走する。

 そんな一匹の猫とのやりとりに癒されていたナイチンゲールであったのだが、ある日、一週間ほど姿が見えなくなった。

 今までの来訪でそんなに日を置くことはなかったのにも関わらず。

 慌ただしい従軍準備の日々の中でも頭の片隅でずっと気にかけていたが、それが二週間、三週間、果ては一ヶ月を越えたとなると「あぁ…、あの子は自分で死期を悟ったのですね」と諦めもする。

 それから数日後、昼下がり。ナイチンゲールが自宅で名家からの献金に対してのお礼状をしたためていると、いつものようにジョンが訪ねてきた────その両手に例の猫を抱えて。

 しかも、件の一匹のみではなくもう一匹おまけつき。

 「玄関のところで二匹して、戸を叩くようにしていたから思わずそのまま抱えてきてしまったけれど、まずかったかな?」そう言ったジョンも含めて、その日は温かい夕食を囲んだ。

 ご飯を食べるや否や、あいさつもそこそこにナイチンゲール家を後にする二匹を尻目に「新たに連れてきたのはオス猫でしょうね、あの子に連れ添う存在ができたのは喜ばしいことです」と微笑むナイチンゲールと「まるで僕らのようだね」とニヤつくジョン。

 いつも通りの馬鹿な軽口にいつも通り小突きはするものの、近頃完全に手心の加えられたそれは痛みよりも甘酸っぱい空気を生むことが多いようで。

 

 

 

 

 

 ジョンとナイチンゲールの打ち合わせの中には、以上のような──とりとめもないやりとりも含まれていた。

 

 初めのうち、ナイチンゲールはやはり必要最小限の接触で済ませようとしていたけれど。

 

 そこはジョンのペースに引きずられるようにして──ずるずるずるずると。

 

 最初に設定した彼女の中の線引きを何度となく飛び越えてやってくる男に辟易しながらも。

 

 いつの間にか──、知らず知らずのうちに──、彼女もそんな時間を楽しむようになっていた。

 

 驚くべきことに、ナイチンゲールから世間話を持ちかけるまでになっていたのである。

 

 たとえ、そんなことをしている場合ではないとしても。

 

 ───互いを知るために必要な過程だったから。

 

 ───互いにわかり合うために必要な工程だったから。

 

 決してそれを意識していたわけではないけれど。

 

 そういった余分に思える時間が言外の信頼関係を築き上げ、ふたりの間に生じるはずだった諸問題の芽をあらかじめ摘み取っていったのだった。

 

 それだけではなく────

 

「彼ならきっとこう考える」「彼女なら絶対にこうする」

 

 信用し信頼しているからこそ、互いの思考を推量・予測することができ、その結果、作業の能率を飛躍的に向上させていた。

 

 そうして。

 

 ナイチンゲールひとりきりでは、到底為し得るはずのなかった数々の勲功。

 

 それが────この半年間でたしかに結実している。

 

 遠くない将来、ナイチンゲールという人物が世の人に語り継がれる女傑となる地盤は整えられていた。

 

 

 

 

 

 

 ナイチンゲールからすれば、初めこそ”最悪”の印象であった男。

 

 軽薄な調子でなにを考えているのかさっぱり読み取れない。

 

 こちらが従軍準備に奔走しているというのに毎日のように声をかけてくる。

 

 声をかけてくるだけならまだしも、内容が完全に軟派のそれなのである。

 

 『軽佻浮薄』を人型にかたどり、軍服を着せたら丁度こんな男になるのではないか。

 

 ────全く信用が置けない。

 

 そんなジョンの評価ではあったものの、彼は重要なところでナイチンゲールの支えになったし、宣言通り──結果で自らの有用性を証明していった。

 

 彼と同じ時間を過ごせば嫌でも思い知らされるミスディレクションという技術の凄み。

 

 彼は自らの本質を隠すために取るに足らない男をあえて演出している。

 

 初見で油断させ、主導権を握り、盤面を掌の上でコントロールし、”この男はもしや”と気がついたときにはもう遅い。

 

 絶妙のタイミングで考え得る限り最悪のカードを突きつけてくる。

 

 できれば相手取りたくない、敵に回すと厄介だという印象を植え付ける。

 

 それは、勝つ技術というよりも負けない技術。

 

 権力、政治力、資金力…そういったもの全ての力で劣っていたとしても、終わってみればイーブンで取引を着地させるだけの手腕。

 

 驚愕し、舌を巻く他なかった。

 

 

 

 そうして次から次へと舞い込んでくるジョンの働きによる朗報に面食らいつつも、おのずと彼に対する感謝の念が徐々に徐々に深くなっていく。

 

 この調子であれば、準備のほうは確実にうまくいく。

 

 クリミアでの活動もおそらく問題なくこなせるはずだ。

 

 そんな安堵感が生まれてきたと同時に─────、ナイチンゲールの胸に芽生え始めたジョン・スミスへの特別な()()

 

 そう、それはたしかにそこにあったのである。

 

 疑いようもなく。

 

 ただし、その感情に丁寧に名前をつけるには────彼女は少し忙しすぎた。

 

 彼女の元に集まった従軍志願者に対する教育とジョンの働きによって発生する諸々の作業を順次こなしていくことで精一杯だった。

 

 後から振り返れば、そんな仕事の数々も彼が成し遂げたことのごく一部にすぎないのだが。

 

 ナイチンゲールはそのことをまだ知らない。

 

 それに加えて────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の全てを知ったときにはもう彼に感謝を伝えることができないということも知らなかった。

 

 

 

 

 

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 これも────、そんなたとえばの日のことだった。

 

 

 

 

 従軍準備に明け暮れながらも、本来の通常業務──ロンドン病舎での看護のほうにも変わらず力を注いでいた。こちらのほうも最後までやれるだけのことはやっておきたいし、なにしろ、もうすぐ私はここから去ることになるのである。周囲への申し送りはもちろんのこと、受け持ちの患者の方々にも挨拶をしておかなければならない。

 

 

「───ご子息のケアを最後まで私が行うことができず、申し訳ありません」

 

「なにを言うんだ、ミス・ナイチンゲール。貴女は息子のために本当に…本当によくしてくれた。高名な医師のかたでも手の付けられなかった病の原因を特定し、治療のできる先生も見つけてもらった。ここまで尽力してくれた貴女にどう感謝を述べていいか……。息子の命があるのは貴女のおかげだよ」

 

「そうですよ、この人の言う通りです。どこの病院へ行こうとも匙を投げられる形でたらい回しにされ、諦めるしかないのかと悲嘆に暮れていた私たち家族を救ってくださったのは貴女なのですから。もちろん、退院まで貴女に見守ってもらえるのなら、それ以上のことはないけれど──前線の病舎ほうへ行かれるのでしょう? 立派なことだと思います」

 

 

 こうした挨拶も従軍前の業務のひとつ────

 

 病室にて担当していた患者と近親者に事情の説明を行い、どうにか納得をしてもらう。

 本来、こういった患者とその周囲に不安を与えかねない急な異動は激しく責められてもおかしくないことなのだけれど、なぜかこのように受け入れられてしまう。これまでに挨拶をさせていただいたところも全て同じだった。

 

 今回であれば、こちらが頭を下げていたはずなのに、いつの間にかその両親に揃って頭を下げられてしまっている。

 

 こちらとしては目の前の患者に対して当然のことをしたまでであるし、従軍という理由があるにしろその経過を最後まで見届けることができないのだから、あまり過大評価してもらっても恐縮するばかりというのが正直なところ。

 

 この違和感は───、今は気にしたって仕方がない。胸のうちにしまっておこう。

 

 

「私は、ただロイドくんが元気になるお手伝いをさせていただいたにすぎません。それほど大袈裟なことではないのです。───従軍の件は前線に行くと言っても、病舎があるのはもちろん前線と呼ばれる範囲の中でも後方にあたりますから…」

 

 

 一応、従軍に危険はないということを情報として付加しておく。

 そうしなければならないという決まりがあるわけではないが、事実最前線に病舎があるわけではないし、取り除くことのできる気がかりは取り除いておいたほうがいいだろう。

 

 

「本日のオペが無事に終われば一週間ほど安静にした後に、退院できるというお話を担当医師のほうから伺っています。私の後にケアにつく看護婦もベテランのかたですから、どうか安心してください」

 

「貴女が保証してくれるのなら、なにも心配はないさ」

 

「ええ、そうね──ああ、そうそう、ロイドからもナイチンゲール先生にお礼を言いなさい」

 

 

 ベッドに横たわる息子の頭を撫でながら、母親がそう声をかける。

 親譲りである栗色のくせっ毛が母親の手に撫でつけれられる度、くすぐったそうに目を細めていたロイドは母親の声に応じるように私に視線を送る。

 

 呼吸器をつけ、点滴を左腕に刺した状態のため、大きく身動きを取ることができないものの、彼はその表情と首の動きで精一杯の感謝を伝えてくれる。彼は病気の影響でうまく発声することができないものの、それ以外の方法で意思表示をしっかりすることができるのである。

 

 それから───、彼は震える右腕を必死に持ち上げてこちらに手を差し出す。

 

 ああ、もしかすると、私が退院する患者に対して最後に必ず握手をするようにしているという話をこの子は知っているのかもしれない。今回の場合は──、私のほうが先にこの病院を退く形になるのだけれど。嬉しいことだ。

 

 彼の小さな手を支えるようにして両手で取り、優しく握る。

 

 

「ロイドくんも今のお話を聞いていたとは思いますけれども。最後まで側にいることができず…、ごめんなさい」

 

 

 というこちらの言葉に対し、気にしないでと彼は目を閉じて首を振る。やはり、この子も離れていく私を責めるようなことはしない。

 

 まだ幼いにも関わらず、とても我慢強い少年だと思う。

 遊びたい盛りに、屋内に四六時中閉じ込められ、いったい彼はどんな気持ちだっただろうか。

 

 言葉を発せない彼のためにごく簡単な手話をいくつか教え、それを用い──時には筆談でコミュニケーションを取ってきた。

 苦しくないですか、痛くないですかと尋ねる度に”大丈夫”と手話で答えてくれていたが、今まで同じ症例の患者を見てきた経験から言えば、そんなことは()()()()()。大の大人でも泣き言を漏らすほどの想像を絶する苦痛が彼の体を蝕んでいるはずなのだ。

 

 本人は”小さいころからのことだから、苦しいのも痛いのも慣れたよ。だから平気”と書いて教えてくれたが、その苦痛は本来耐える必要のないものなのだ。健康でさえあれば、そんなものに侵されることはないのだから。

 

 苦しい、痛いに違いないのに、周りに心配をかけたくないがため、決して弱音を吐かずにこれまでの入院生活を耐えてきた。そのつらさを多少緩和する程度のことしかできない自分が歯痒くて仕方がなく。

 

 ”元気になったら、お父さんとお母さんと一緒に外で散歩をしてみたい”、筆談でそんなささやかな願いを明かしてくれたときには胸が張り裂けそうになった。

 

 それが、いよいよ────

 今日の手術が無事に成功すれば、彼はこの生活からようやく解放される。

 傍らで彼を見守ってきた者として、その瞬間に立ち会うことができないのはとても残念に思うけれど、今それを惜しむべきではない。引き継ぎが終わるまでは私が彼の担当看護婦なのだから、彼にかける言葉は励ましと応援であるべき。

 

 

「今日の手術、頑張ってくださいね。あともう少し、ほんの少しだけ頑張れば、すぐに元気になりますから」

 

 

 私の言葉に力強い頷きで応える彼にこちらが元気をもらっているような心地でいると──、

 

 ───同僚の看護婦が病室にやって来た。

 

 

「そろそろオペの時間ですが、お話のほうは…まだ?」

 

「───いえ、問題ありません。では向かいましょうか」

 

 

 彼に声をかけ、移動の準備を整える。

 

 同室である周囲の患者に「頑張れよ」「きっと、大丈夫だ」「泣くなよ~、坊主」と声を掛けられる彼をストレッチャーに乗せ、病室を後にする。

 

 

「いつもの通り、先生に任せておけば安心だ。寝ている間に終わるからな」

 

「ロイドは強い子よ、なんにも心配いらないわ」

 

 

 オペ室までの移動の間、彼の手を取った両親が声をかけ続ける。

 

 その様はどちらかと言えば両親のほうが緊張しているような印象であり、当人のほうはもう慣れたものなのだろう時折微笑んで頷き返すなどしていて、とてもリラックスしているようだった。

 

 ここまで、長かった。本当に、長かった。

 こんな幼い少年が手術に慣れてしまうほどに。

 今日を乗り越えれば、彼の長い病との闘いもようやく幕を閉じるのだ。

 

 

「ご家族のかたはここまでになります」

 

 

 オペ室の前に立っていた医療スタッフがそう伝え、ロイドくんを乗せたストレッチャーが扉の向こうへと運搬されていく。

 

 最後の手術を前にしてどんな心持ちでいるのだろう、そんなことを思いながら彼を見送っていると、扉が閉められる前に──彼は私に向けて”とある手話”を送って、ニッコリと笑ってからバイバイと手を振ってくれた。

 

 

 

 それを目撃した両親は、

 

 

「───まぁ、あの子ったら」

 

 

 そう言いながら朗らかに笑った。煩雑とした思いを抱えていた私もつられるようにして笑みがこぼれてしまう。

 

 

 ロイドくんは─────本当に強い。

 

 誰だって不安なはずの手術前にあそこまで気丈に振る舞えるなんて。

 

 最後のあの手話には、そして手話を送ってくれた彼の瞳には──私へのエールが込められていたように感じた。

 

 手話の意味自体は、簡単で、おませな子どものしそうなそれであったけれど。

 

 

 ”ボクも頑張るから、ナイチンゲール先生も頑張って”

 

 

 言葉にせずとも伝わってくるそんな彼の気持ちを確かに受け取った。

 

 自分ではなく他人を慮ることのできるあの心優しい男の子が──命を落とすことがなくて本当によかったと感じる。

 

 あれほどの生きる力があれば、たとえどのような手術であろうと必ず乗り越えるに違いない。

 

 やはり、

 最後までこの病院に残って、私に与えられた務めを完遂したいという気持ちがあるけれど。

 彼の退院を見届けて、本来の意味できちんと握手を交わしたいという思いがあるけれど。

 

 

 ────それでも、私は次の患者の元(クリミア)へ。

 

 

 そうしなければ、救えない人たちがいるから。

 

 私は、私の目的のために、私の戦場に向かうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな感慨に浸りつつ──オペ室を背にして後ろを振り返ると、廊下の先の角からこちらの様子を伺っているあの男の姿が見て取れる。

 

 ロイドくんの両親と私の後の引継ぎとなる担当看護婦に改めて挨拶をし、その場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう時間でしたか───、こちらの都合でお待たせすることになってしまいまして、すみません」

 

 

 近づいたジョンにそうして声をかけながら、謝罪を入れる。

 どのような事情であろうと時間は時間だ。

 

 

「今、来たところさ…と言いたいところだけれど、鉄道の時間もあるから、とりあえずは移動しながらでいいかい?」

 

「わかりました」

 

 

 ジョンはこの後、このままハーバート戦時大臣の元へ現状の報告に戻るようで、今日はそのための最終打ち合わせをする予定になっていた。

 

 手紙で詳細を連絡すればいいのでは、という話もしてみたのだが、どうやら今回は直接会って話さなければいけない内容もあるのだとか──────

 

 

「さて、話は──、うまくまとまった?」

 

「───ええ、こちらが驚いてしまうほどすんなりと。どの患者も私のクリミア従軍の話を快く受け入れてくださいました。……他の人の前でこのようなことは言えませんが、なんだか私は必要とされていないのではないかと、複雑な気持ちが…、ないとは言えません」

 

「おやおや、弱気じゃないか。患者やその周囲の人たちと対面した君がそんなことはないと一番わかっているだろうに」

 

 

 先ほどまでは心の底に隠していた思いが口をついて出てしまう。

 

 ジョンの言う通り、そんなことはない。どの患者も本心からこちらの試みを励まし、応援してくれていた。それは理解している。

 

 理解はしているが、納得には至らない。

 

 そんなこちらの様子を感じ取ったのか、

 

 

「君はさ、前に話してくれたよね。医療レベルの水準──その底上げをしなければならない、現場で働く医療スタッフにはもっともっと専門知識が必要なんだ、と」

 

「はい、そうですが…今、その話が関係ありますか?」

 

「あるよ。大アリだ。半年前と比較して、この病院の医療レベルは数段上がっている。もはや別物と言ってもいいぐらいに。無論、従軍する人たちと一緒にここのスタッフが君の英才教育を受けたというのも大きいだろうけれど、もうすぐ君がいなくなるという危機感はここで働く者たちの意識を変革させた」

 

「…………」

 

「これは、非常に大きな意味を持つことだ。医療レベルの水準が上がることは、救う命の数が増えるのはもちろん──イコールで患者とその周囲に安心感を与えることになるからね。君がいなくてもこの病院であれば大丈夫と誰もが思っている、だから君は快くみんなに送り出してもらえたんだろう。これこそ、君の目指していたことのひとつだ、違うかい?」

 

「────」

 

「この病院ではそれが体現されている。そして、君は──国単位、世界規模で()()()最低ラインにしてやろうと画策しているんだろう? そのためにクリミアへ行き、自らの方法論が間違っていないと世界に証明するんだろう? だったら胸を張れよ、フローレンス。君はなにも間違ってない、僕が保証する」

 

 

 ああ、この男は。

 

 いつだって知ったような口ぶりで、どこまで行っても上から目線で。

 

 普段はまるで頼りなくて、いつ見ても油を売っていて。

 

 それなのに、やるべきことはすべてつつがなくこなしている。

 

 それでいて、欲しいときに欲しい言葉をくれる。私がふらつくときは支えてくれる。

 

 この男がそばにいれば、私はなんだってやれる、そんな錯覚を起こしてしまいそうになる。

 

 

 

 

 ───なんだか、ちょっと悔しい。

 

 

 

 

「ぃ痛って、ちょ、なんで殴るの!? 脇腹のっ、肋骨の…あい、でっ、間を──的確に、殴らないで! いたぁ!?」

 

「うるさいです、照れ隠しです」

 

「えぇ? これって、んぐ、そんなかわぁい、ぉお……らしい痛みじゃないんだぁ、けどぅふ!?」

 

 

 

 

 脚を止め、こうして戯れているのも悪くないけれど時間があるし、病院内で怪我人を出すのはまずい。

 

 行きますよ、と声をかけ、うずくまるジョンの手を引っ張り無理矢理歩かせる。

 

 もう片方の手で脇腹をさする彼とともに屋外へ。

 

 あぁ、もちろん追撃するために病院の敷地外に出たわけではない。実際に時間が押しているのにも関わらず余計なことをしてしまった…。

 

 

「…やれやれ、そろそろ本題に入らないと……いや、待てよ、その前に───ひとついいかな? 少し気になって」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「さっき、手術室に入っていく少年…かな? その子が扉の向こうで君に向かってなにか手話のようなものを送っていた気がするんだが、あれはなんだい? その後にそばにいたご両親ともなにやら話していたようだけれど」

 

「ああ──、さきほどの……。子どものすることではありますが、不覚にも少し…ときめいてしまいましたね」

 

「……へぇ、そう言われると俄然気になってくるね。あいにくと手話のほうは不勉強で。遠目だったし、手の動きもよく見えなかったんだ」

 

「ふふ…、知りたいですか?」

 

「なんだよ、君がそんな顔をしてもったいぶるなんて珍しいな…」

 

「───いつもなんだかんだで貴方には主導権を握られてばかりですからね。たまにはいいではありませんか。教えてほしいと言うのなら、教えて差し上げますし」

 

 

 

 

 

 

 ───まず、空いているほうの手を広げ、

 

 

 ───中指と薬指の二本のみを

 

 

 ───内側に折りたたむ。

 

 

 

 

 

 

 そうして自らの手で先ほどのロイドくんの手話を再現しながら。

 

 

 

 いたずらを思いついた猫のような仕草で身を寄せて、

 

 

 

 長身の彼の耳元で──その意味を囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「という意味です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十二分に間を置いてから、付け足した台詞を発するころ。

 軽く取り乱し、照れたような表情のジョンの横顔を眺めた私は────なぜだか、すこぶる気分がよかった。

 

 

 

 

 

 いつも、してやられてばかりな彼にやっと一矢報いることができたからだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ええ──、きっと、そうに違いない。

 

 

 

 

 

 







 誤字脱字、ここの文意がワケワカメ、展開に対する苦情等ありましたら、気軽にご連絡いただけますと幸いです(反映するかはこちら次第だがな!
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 今回ばかりはタイトルがいい感じに決まったな(ニヤリ




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