『小夜啼鳥が血を流す時』   作:歌場ゆき

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 罪無き者のみ読んでみるべし──────







「He is not a hero」

 

 

 

 

 ───────半年。

 

 

 

 

 

 それがフローレンス・ナイチンゲールに与えられたクリミア従軍までの猶予であった。猶予とは言ったものの、その言葉が想起させる時間的ゆとりや余裕などとはまるで無縁である。これより戦地にて身を粉にして働くため──そのために前段階から身を粉にして準備する必要があるのだ。

 

 …無論、言を弄しているわけではない。

 

 具体的には、

 ナイチンゲールの下でその手足の如く働く人材の獲得。医療ツールを含む救援物資の安定したライン確立。軍から下りる雀の涙ほどの資金では到底支えられない自らの活動のための金策も必須事項。その他、階級は高くなくとも軍隊の中においてできる限りの影響力を築いておくこと……など。

 

 半年という時間のうち、いったいどこまで整えられるかというのはかなりの疑問であった。ナイチンゲール自身もかねてから懸念事項と捉え、従軍依頼が下される前から事に当たっていたものの、途中経過は決して芳しくなく。

 

 ───そんな折の大臣よりの命。

 

 看護婦としてクリミアでの活動を希望していた彼女にとってそれが喜びの報せであることは疑いようもないが、タイミングのみを考慮すれば”まだ早い”というのが正直なところであり、半年という猶予は───”非常に短い”と感じざるを得ない状況である。

 

 しかし、戦争が一個人の都合を勘案するわけもなく。今、この時にも戦端は開かれ、時を追うごとに助けを乞う患者が増えていく。その残酷なまでの現実が強迫観念として彼女を責め立て、ただただ焦燥感を煽る。

 

 準備が整おうが整うまいが、たとえ自分ひとりであろうと苦しむ患者のいるところへ向かいたい、そんな衝動とも言える熱い気持ちが常に胸を焦がす。

 けれども。

 冷静な頭ではそれではいけない、今のままでは軍隊という場所では相手にされない。彼女にもそれはわかっていた。

 

 そういう意味で彼女の戦争は既に始まっていた。

 そして、苦戦を強いられることは火を見るよりも明らかだった。

 

 

 

 

 だから、地道であろうとも足元の地盤を固めていくことこそが今できる最善なのだ、と信じて。

 

 人脈という人脈を辿り、コネクションというコネクションを広げ─────、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────そして、半年後。

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば──────────”望外”と言える結果を収めた。

 

 

 誰もがありえないと口にするに違いない。あるいは逆に驚きのあまり言葉を失う者がいるかもしれない。

 

 苦戦を強いられることが定められていたはずの彼女の初陣───その時点でこれほどまでの成果を出したからこそ、今現在のナイチンゲールの評価があるとも推察できる。

 

 

 ナイチンゲールを支援するという複数の有力者と話をつけ。

 

 最終的には専門知識を会得したシスター24名、職業看護婦14名、合計にして38名を率いてクリミアへ。

 

 

 そして、なにより。

 時の最高権力者───

 ハノーヴァー朝第6代女王ヴィクトリアをも彼女は味方につけたのである。

 

 

 一介の看護婦が上げた功績としては完全に出来過ぎの類であろう。

 そう───出来過ぎなのである。

そのためこれをきっかけとして、彼女への逆風はまたより一層強く……なるわけではなかった。これが本当に一介の看護婦が上げた功績であれば、その彼女の”したたかさ”故にクリミア軍内部ですぐさま潰されていたかもしれない。

 

 

 

 だから、これは。

 ナイチンゲール個人の功ではないのである。

 それどころか、半年間で彼女個人が成し遂げたことは全体から見れば微々たるものであり、残りのほとんど全ての功は水面下で───彼女の認知の外で結実していた。クリミアへ発つ前の彼女は自らの周囲でなにが起こっているのかを知らない────まさかヴィクトリア女王とのパイプがいつの間にかできあがっているとは思ってもいない。

 

 そのため、軍内部からの彼女への圧力は非常に軽いものになったのだ。想定していたものからすれば、心地の良い春風のように思えるほど。

 完全なる男社会において、ただひとりの看護婦など取るに足らないものだと、所詮は女であると()()()()()()()()()()()()()()

 それが後の────

 

 ”クリミアの天使”

 ”ランプの貴婦人”

 ”血濡れの聖女”

 

 これらの伝説を作り上げることになった礎であるとは、この時点でまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 いずれ彼女がそのような人物になるであろうことを確信していた、ある男を除いて。

 

 

 

 

 

 

 ここまで語れば、いわゆる水面下の功績をどこの誰が打ち立てたのかは言うまでもないだろう。そのどこかの誰かの活躍無しには”クリミアの天使”、”ランプの貴婦人”、”血濡れの聖女”は誕生しなかったと言っても過言ではないのだ。

 しかし────、どこまでもったいつけたところで、偉人・天才・英雄と呼ばれ後世にまで賞賛されるようになったのはフローレンス・ナイチンゲールという女傑、ただひとりである。

 彼女を彼女たらしめる所以になった男の存在など、初めから無かったことになっている。

 したがって、本質的にこの者についての物語は詳らかにする必要が全くない。

 

 

 

 5世紀のブリテン島、円卓の騎士に纏わる物語を紐解くまでもなく─────。

 かのキングメイカーのような脇役にスポットが当たってろくなお話になるわけがないのだから。

 

 ただ……、本筋と離れてしまうけれど。

 補足的に述べるとするならば、花の魔術師と例の男は根底の部分に似たところがある。

 

 まさかただの人間が“世界を見通す眼”を同じく所有しているなどということはないが、ナイチンゲールも初対面時に看破していた緊張感や責任感が欠片も見出せないところ───どことない胡散臭さが同一のそれと言っていい。

 

 さらに言葉を選ばず表現するならば、

 ────両者ともに”馬鹿者”だ。

 片や自分がしでかしたことに対して罪の意識も持たぬくせ幽閉生活に甘んじる引きこもりの馬鹿者であり、もう片方は……。

 

 

 

 もし仮に──これらのことをその男に明かしてみたとすれば、以下のようなことを言いかねない。

 

「”馬鹿者”とは随分だなぁ。でも馬鹿と天才はなんとやらと言うし、もし馬鹿だったとしても僕はきっと天才寄りの馬鹿に違いない。……それにしても僕に似ている───そんなやつがいるのかい? それは是非とも会ってみたいものだね。本当に“世界を見通す眼”なんて持っているんだとしたら、話を聞かずにはいられないし。なんだか純粋に羨ましいとは言えなさそうな代物だけれど、その一方で愉快そうでもある。

 ま、僕には────”女性を見る眼”があるからべつにいいんだけど」

 

 この通り、言動から窺い知れる女癖の悪さも完全に一致。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて────、

 

 こんな”馬鹿者”にスポットが当たった話に興味のある者が果たしてどれほどいるのだろうか。

 

 

 

 

 もし自分が人知れず立てた功績を自分の意図しないところでこれから暴露されようしていることを知れば、

 

 

「こんなものはただの裏工作で、それほど大したことじゃないよー」

 

 

 と、男は(うそぶ)くに違いない。

 

 

 

 その通り──これから始まるは馬鹿な男のろくでもない物語だ。

 

 くれぐれも期待はしないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、これは─────

 惚れた女のために男が格好をつけた、

 たったそれだけのことなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ではでは─────、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────英雄になれなかった男の話をするとしよう。

 

 

 

 

 彼は最初から、英雄になるつもりなんてなかったけれどね。

 

 

 

 

 

 

 







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