光彦・哀のペアは更に移動し、その間にもポテトチップスを置いて居場所を示していった。しかし、それもついに残り1枚となり、光彦は溜息を溢しつつ、それを地面に置いた。そのことを哀にも口で報告をしたのだが、彼女からの返事はなかった。それを疑問に思い、光彦が後ろにいるはずの彼女を振り返れば、哀は木に寄りかかり、そのまま座り込んでしまった。
その様子を心配そうに見つめる小熊。それらを見て光彦は目を丸くし、急いで彼女のもとに向かった。
「は、灰原さん!?どうしたんですか!!?」
光彦の問いかけに、哀は左足首付近に手を持っていきながら気丈にも答える。
「最初に逃げたときに、ちょっと足首捻っちゃって……」
どうやら逃げ切るためにも我慢して歩いていたつけがここで来てしまったらしく、ほんの少しでも触った瞬間、足から激痛が走り、彼女は苦し気に顔を顰める。
光彦はそんな彼女の様子を確認しつつ、診せてほしいと断りを入れて、彼女の靴と靴下を脱がす。それにさえ痛みを感じたらしい彼女がうめき声をあげ、光彦は謝罪をのべつつすぐに怪我の痕を見てみれば、顔がこわばった。
「ちょっと!?紫色に腫れてるじゃないですか!!?」
光彦の声につられたのか、小熊も心配そうに哀の足首を見つめ、まるで子犬の様にくぅくぅと鳴く。その横で、光彦が応急手当をするからと自身のリュックを肩からおろせば、哀はそれを不思議に思った。
「応急手当って、包帯なんかもってるの?」
しかしそれに光彦は否定を返しつつ、とあるものをリュックから取り出した。
「いいえ!でも、この『タオル』と『はさみ』があれば、大丈夫です!」
彼は自分が持っていた『タオル』を『はさみ』で互い違いに切れ目を入れていく。それを全ておえれば、それは『タオル』から『包帯』へと早変わりする。光彦の笑顔での説明に、哀も安心からか、少し笑みを浮かべた。その後、光彦がその包帯を足首に2度巻き、足の裏から甲に通し、再度、足首へと巻く。それをきつめに何度も繰り返し、最後にきちんと結んだ。
「──これで、完成です!」
その手際の良さと知識に哀は感心したように声を上げる。
「へぇ、すごいじゃない!」
それに純粋に嬉しくなった光彦は頬を赤く染めて、答える。
「実は前にキャンプで僕が捻挫したときに、コナンくんが……」
しかし、彼の言葉は徐々に尻しぼみしていく。
「……コナンくんが、僕に、こうやってくれたんです」
光彦の嫉妬の対象はコナンだ。そのコナンが、どうしようもない悪人であったなら、彼はこんなに嫉妬にかられることも、彼自身を羨ましく思うこともなかったことだろう。
「……彼、なんでも知ってて、すごいですよねっ。おまけに、行動力も抜群ですし……僕なんか、足元にも及びませんよ」
光彦は自分でそう卑下しながら、徐々に顔を伏せていく。状況が状況だけに、不安とストレスから気持ちが落ち込んでいるのもあるのだろう。しかし、日ごろからコナンの頭1つどころか10以上も抜けた頭の良さと運動神経を見ていれば、それが積もるのもまた仕方はない。
光彦が己のふがいなさに気持ちが沈み、顔を伏せていると、隣で話を聞いていてくれた哀がフッと笑った。
「……バカね」
「えっ?」
唐突なその言葉に、光彦が彼女の顔を見れば、彼女は優しい眼差しと笑みを浮かべて光彦に伝える。
「──大切なのは、その知識を『誰に』聞いたかじゃなくて、『どこ』でそれを『活用』するか……今のあなたは私にとって、最高のレスキュー隊よ……ありがとう、助かったわ」
哀からの心からのお礼と気持ちに、光彦の頬に、再度赤みが戻ってきた。
「あっ……いえっ!そう言っていただけると、恐縮です!」
光彦の元気が戻ってきたことに、また笑みを浮かべる哀。照れたように笑っていた光彦だが、しかしこのままでは危険だと、その笑みを隠せないながらも移動をし、森の中でまた腰をつけて考えようと、自身のリュックを持ち、彼女に自分の肩を貸して立ち上がる。
「──コナンくんたちに、知らせる方法を!!」
「──えぇ、そうね」
そのまま、彼女たちは歩き出す。勿論、哀の負担にならないよう、ゆっくりと。哀はその空いた片手に自身の靴と靴下を持ちながら、横にいる、目を綺麗に輝かせて喜ぶ光彦を見つめた。
哀たちの捜索から時間が過ぎるが、一向に彼女たちは見つからない──そんな折、博士の携帯に連絡が入った。
彼はその相手である旅館の男性の話を聞いている。その内容は勿論、咲にも聞こえていたのだが、内容を聞いて咲は頭痛がする思いを抱いた。
「──なんですと!?それは、本当ですか!!?」
博士の声にコナンは振り向き、固唾を呑む。どうやら、先刻頼んだ件の報告で、博士が伝えた場所の近くに、枝や落ち葉で隠されていたらしい男性の遺体が見つかったいう。それも──腹部に銃弾を受けての即死。
(間違いなく、この場の3人の誰かじゃないかっ!!!)
咲が頭を抱え始める横で、更に小熊の射殺体も見つかったという。しかし、男とは違い、ご丁寧にも埋められていたという。
「小熊!?」
『ああ。こっちはご丁寧に石が乗っかっていたそうだがね……兎に角、この山は危険だ!!子供探しはワシ等に任せて、アンタらはすぐに下山──』
「──おい、なんかあったのか?」
そこで、深刻そうな雰囲気に気付いたのか、根来が声を掛けてきた。博士が言いよどんでいると、咲が携帯を奪って切り、コナンがその横で子供らしく笑みを浮かべて話す。
「小熊だよ!探してる2人かと思ったら、小熊2頭だったってさ!」
旅館の人にも探してもらっていると言い、後ろに立ったままの博士もにっこりを笑顔を作って何度も頷けば、根来は納得したように笑みを浮かべる。
「なんだ、驚かしやがって……」
「さあ、跡を追いましょう!」
「日が暮れたら、始末が悪いぞ」
雑賀の言葉に、八坂と根来も後ろを振り返って後を追う。それを見て、博士はコナンに聞こえるように腰をかがめて、小声で訊く。
「おい、なんで本当のことを言わんのじゃ?もしかしたら、あのハンターたちの中に犯人が……」
「博士、『もし』じゃない──確定だ」
博士の問いに、コナンではなく咲が答える。博士がちらりと見てみれば、彼女は鋭い眼差しをハンター3人に向け、腕を組んでいた。そんな咲の隣にいたコナンも、それに同意する。
「咲の言う通りだ──いるんだよ、間違いなく。あの3人の中に、殺人犯がな!」
「なんじゃと!?」
博士は小声ながらも驚きの声を出し、3人を見つめる。しかし、彼らは警戒するように周りを見てくれていた。
「おそらく、その殺人現場を灰原たちに目撃されて、口封じする気なんだ!!」
「じゃが、なんでワシ等と一緒に探しておる?」
「そんなのは簡単なことだ。あの2人の逃げ道を塞ぎ、我慢できずに出てくるのを待ってるのさ──『熊と間違えて撃ってしまった』とでもいえば、よくある誤射騒動に収まるのを理解してな」
咲が犯人の立場となって現状の理由を話せ、博士が2人に問いかける──犯人の目星はついているのか、と。しかし、2人はそれに首を振る。
「いいや、全然」
「ああ、手がかりが少なすぎる……咲、アイツらからは何か言われたか?」
「いや、まったく言われていない……私の聴覚の範囲外か、もしくはそれどころではないか……どちらにしろ、私に『声』で伝えるのも危険なんだ」
「なぜじゃ?」
博士のもっともな疑問に咲は説明する。
「さっき、言っただろう?『伝えるな』と言われたとき、私たちよりも高いところにいる、と。つまり、呼びかけて私に微かにでも聞こえるほどの声なら、間違いなく大声を出しているはずだ。そうなると、一歩間違えば彼らにも聞こえてしまう恐れも出てくる──山彦として、な」
山彦は本来、山や谷の斜面に声があたり、それが反響するからこそおこるもの。そして、今彼女たちがいる場所も、林となってはいるが、近くに山がある。あとは条件さえ整えば──山彦として返ってくるのだ。
「聞こえてしまえば意味がないし、それで犯人が分かったとして──人質が取られて皆殺し、なんてことも起こるだろうな」
勿論、この場にはコナンと咲がいて、他のハンターもいる。けれど、警察でもない人間が、殺人犯とはいえ命を奪ってしまったということが起これば……その証拠となるものが少ない以上、言葉で説明しても正当防衛が成立する可能性は低い。
「特に、犯人であろうと死亡すれば、逮捕や勾留も大いにあり得ると、聞いたことがある」
それは、『青の古城』での件をコナンから聞き、咲の身体能力と知識、実力を重くみた修斗が教えたこと──つまり、彼からの
「そして、それは哀も分かっていること……だから、教えられないでいるんだろう」
「だろうな……でも心配すんな。目撃者のあの2人が、犯人を教えてくれるはずだよ──俺たちだけに分かる、何らかの方法で!」
その時、少し離れた場所を探していた歩美から声が上がる。
「ねぇ!見てみて!!キノコがいっぱい、落ちてるよ!!」
その声につられて元太がまず駆け寄り、その後をコナンと咲が追い、博士もゆっくりと近づく。そのキノコたちを見てみれば、
「おい、なんか意味あんのか?そのキノコに」
そこで全員が振り向けば、ハンター3人が全員、離れた所からコナン達の様子を窺っていた。それと共に、コナン達が来るもっと前から──茂みに隠れて哀たちも様子を窺っていた。
その時、咲の耳に小熊らしき可愛らしい、しかし嫌がるような声が聞こえてくる。それに咲が顔を向けようとしたとき、哀から咲にだけ聞こえるように──小声で、話す。
『咲、顔を動かさないでっ』
それを聞いた咲がぴたりと動きを止める。その間にも、哀たちと共にいる小熊が暴れ、それを哀が動かないでと頼み込む。それを聞き届けたらしい小熊は不満そうにしながらも、動くのをやめた。咲の反応は遠目からではよくは見えない。しかし、聞こえていると知っている哀は、そのまま話しかけてくる。
『それは、彼の大好物の暗号よ。貴方には先に答えをいうから、必要はないと思うけど、犯人になんとかばれないように誘導して!』
それに頷くこともできない咲は、まるで周りを警戒するように周りを見ている傍ら、哀からの話を聞く。
(……なるほど、『あの人』が、ね)
咲はちらりとハンターたちの方に視線を向け──哀たちに見えるように、右足で1回、つま先で地面を叩いた。
それを了承だと理解した哀は笑みを浮かべた。その横で、光彦が不安そうに問いかける。
「けれど、気づいてくれるでしょうか?」
そんな光彦に対して、哀は自信ありげに笑みを浮かべる。
「大丈夫よ!アレは彼の大好物……私たちが頭を捻って考えた暗号なんだもの」
そんな反応と会話を他所に、コナンが枝木を手に取り、観察する。
それぞれの傘からテングタケは左よりに刺さり、松茸は右斜めに刺され、椎茸は右寄りに刺されている。それをじっと見ているコナンに、咲は誘導は必要ないと判断し──先ほど、移動する前に遭遇しそうになった熊の足音に注意することにした。
そして、一心の期待を背負われたコナンは──呆れたような表情を浮かべた。
「ふん……くっだらね~」
その一言に、哀たちも、そして警戒に意識を向けていた咲ですら、焦りの表情をコナンに向けた。
「心配しなくてもよさそーだぜ?あいつら、キノコ狩りに夢中みてぇだし」
それを聞いた八坂が先を急ごうと言い、ハンターたちはコナンたちに背を向けた。咲がジッとコナンを見る傍ら、博士がその枝木のキノコを手に取った。
「変じゃのう……なにかあると思ったんじゃが」
そんな博士にコナンが声を掛ける。
「おい博士──下がってろ」
博士がそれに驚いた瞬間──コナンが博士の前に立ち、時計の蓋を開けた。
博士がそれに驚き体をずらせば、コナンの目の前に見えるのは──ハンター3人組。
「分かったんだよ──光彦と灰原を狙っている、犯人の正体がな」
それに驚きの表情を浮かべる博士と、安堵したように息を吐く咲。
(覚悟しやがれ……今、この麻酔銃でっ)
コナンが狙いを定めたその時──元太がその照準器の前に顔を出した。
それに驚いたコナンが思わずと後ずさりをするも、元太はそれを気にせず、何をしているのかと聞いてくる。コナンが咲をちらりと文句ありげにみれば──咲は微かに、焦りの表情を浮かべていた。
(……咲?)
首を傾げそうになるも、元太が気にせずぐいぐいと聞いてくるため聞けず、遂にコナンも焦りから口を滑らせる。
「邪魔だ、どいてろ!!そこにいる犯人に当たんねぇだろ!!!」
しかし、そこに歩美も割って入ってくる。
「犯人って?」
それにコナンは説明する。
「いるんだよっ!あの3人の中に、殺人犯がっ!!」
それに驚き、元太と歩美が大声を上げ、とある『音』に戦々恐々となっていた咲は、集中していたのもあり、いつもの倍の音量で入ってきたそれに思わずとヘッドフォンを耳に着けた。つまり──聞こえていた『音』が聞こえなくなってしまった。
そんな咲の様子を気にしないまま、コナンが子供たちに静かにするように促し、子供たちも自分の口を手で押さえ、改めて小声で訊く。その近くにいる咲も、ダメージが抜けきっていないながらもヘッドフォンを外した。
「でも、なんでそんなことが分かんだっ?」
「灰原たちがポテチを落として、自分たちの通り道を知らせていながら、俺たちと合流せずに逃げ回っている理由は、他に考えられねぇよ」
そのハンターの遺体も、警察が小熊の遺体と共に見つけていることも話す──そこで、コナンは疑問に思う。
なぜ──小熊の遺体がそこにあるのか、と。
コナンたちの様子を見ていた哀たちも期待の眼差しで彼を見ていた。
「!コナンくん、何かを構えてますよ?」
「時計型麻酔銃……どうやら、私たちが残したあのキノコの暗号、解けたみたいね」
コナンがそれを撃ちさえすれば、哀たちは小熊を抱えて博士たちの元へと走る……そう哀が話す声は勿論、咲にも聞こえており、今、こちらに向かってきている『音』の原因が理解できた──出来てしまった。
このままでは、どれだけ移動しようとその『音』から逃げきれはしないこと、また、そもそもその『音』の原因が、すぐ近くに来ていることに気付き、咲が声を上げようとしたのを遮るように、コナンが咲の前に出て、麻酔銃の照準器の蓋を閉めて声を上げた。
「なぁ、もうくだらない鬼ごっこはやめにしようぜ──殺人犯さん」
コナンのその一言に、八坂と根来は動揺を露わにし、雑賀も目元を細める。
「さ、殺人犯!?」
「なにっ!?」
「……」
その間に、咲は博士の服を引っ張る。
「?どうしたんじゃ?咲くん」
「博士、横に移動しよう。ここにいては危ない!!」
指を右側──哀たちがいる側に移動しようと提案し、咲の様子を見て、博士もなにかがあるのだと理解し、元太と歩美も連れて移動した。咲自身は、コナンに何かあってはいけないと、コナンの傍に居座っている。
「……咲、いいのか?」
コナンも理解している。彼女の焦り、そして小熊の死体──それが指し示す答えはただ1つ。
「……『音』がここに来るタイミングが分かるのは、実質私と『あの人』だけだろ」
咲はそう言って──1人を見据える。
その目を見たコナンは頷き、話を続けることにする。
「分かっちまったんだよ──キノコの暗号で、犯人がな」
それにハンターたちに動揺が走り、互いに互いを見つめた。
「キノコは全部で8つ……これは俺たち8人のこと。ばらばらに落ちている占地4つは子供4人、大きい初茸は博士……そして、枝に刺さっているテングタケ、松茸、椎茸の3つは、背中に猟銃を背負っているハンター3人って訳だ」
「そうか、分かったぞ!!枝に刺さっているキノコの中で、テングダケだけが毒キノコ。となると、犯人は猟銃を右肩に背負っている……」
そこで八坂、雑賀、博士の視線が根来に向いた。それに対して、否定したのは本人ではなく、コナンだった。
「違うよっ!テングダケが毒キノコだってことは、山に詳しい人間ならだれでも知ってるさ」
「そうだな。もしそんな暗号にしてしまったら、犯人に先に見つけられてしまったとき、証拠を隠滅するだろう」
博士の言葉に咲も否定する。それではどれが犯人を示すものかと問えば、コナンは松茸を『犯人捜査』に見立てて教えたことを話す。それは確かにコナンたちにしか分からない会話……犯人に知られることなく、伝えられる方法だった。
そう、この場合、松茸が『犯人』を示していたのだ。
「つまり、その暗号が指し示す犯人は、あんたってことさ──雑賀又三郎さん!!」
それに八坂も根来も驚く。そして、とうの雑賀はと言えば、額に汗をかき、どこか焦っている様子を浮かべている。そして、それは咲も同じだった。
「コナンっ」
彼女は焦った様子のまま、コナンの服の裾を引く。それに彼はちらりと見て、頷く──彼も理解している。しかし、話はまだ終わっていないのだ。
「遺体はもう警察が見つけてるよ。まだ確証はないけど、殺害されたのはおそらく細目のおじさん、アンタの友人だと思うよ」
それに八坂は顔を青ざめさせる──彼の知らぬ間に、彼の友人が亡くなったというのだから。
「その殺人現場に、灰原と光彦が偶然、足を踏み入れ、遺体を発見。雑賀さんは2人に向けて発砲した。そして、灰原たちは思ったんだ──このままじゃ、口封じのために殺されるってね」
それを聞き、雑賀は目を見開き──そして焦ったように背負っていた猟銃を構え、コナンたちの方角へと向けた。
それを見たコナンは咲を見る。彼女はその意図を理解し──首を横に振った。
そこでコナンが咲と共に博士たちがいる方向へと移動する。しかし、雑賀の照準はコナン達には向けられない。それに疑問を持ちつつも、博士は小声でコナンに話しかける。
「これっ!!相手は猟銃を持っておるんじゃぞ!!早く麻酔銃でっ!!!」
そこで咲と歩美が先ほどまでいた場所の先にある茂みへと視線を向け、それをコナンは横目で見た後、博士に言う。
「いやっ、あの人が灰原たちを撃ったのは──殺すためじゃない。あの人が発砲した本当の理由はっ」
そこで──歩美が叫んだ。
「──出てきちゃダメっ!!!」
その叫びと共に全員が歩美と咲、そして雑賀の視線の先にある──2mはあるだろう獣の姿を見てしまった。
獣は大きな咆哮を上げ、雑賀たちへと近づく。その姿に八坂は腰が抜け、根来も慌てて猟銃に手をやった。雑賀は猟銃を構えたまま発砲しない。
博士たちは焦り、その隙間から見ていた哀と光彦はその巨体の獣に別の恐怖を抱く。
「っちょ、ちょっと!?」
「なんですか、アレっ!?」
その声は博士たちにも聞こえただろうが、それと共に獣の咆哮が邪魔をして聞こえなかった。
雑賀は獣を目の前から見据えて──名前を呼ぶ。
「じゅ、十兵衛……っ!!」
十兵衛はそのままゆっくりと雑賀へと近づき、雑賀は十兵衛の襲撃距離に入らないように下がる。しかし、その後ろにいた根来は少しだけ下がり猟銃を向けるも、それは瞬時に十兵衛に弾き飛ばされてしまい──猟銃は元太と咲の前に飛ばされた。
咲は十兵衛から視線を逸らさないままそれを拾い上げようとして──元太に膝から抱えあげられてしまう。
「っおい、元太、おろせっ!!!」
「お、俺だけ逃げるなんて、出来る訳ねぇだろ!!!」
元太は、咲の太ももと腰に手を入れた状態で走り出す。それに彼女は目を丸くする。
彼自身も怖いのだと、震えるその手が咲に直接、語っている。ここで彼女を放って逃げても、咲は元太を責める理由がなく、周りだってきっと責めないだろう──それでも元太は、見捨てれないと言ったのだ。
呆然と元太を見上げていると──その場に轟く銃声によって現実に戻され耳が傷んだ。
元太はそれに思わず足を止めて振り返る。当然、そうなれば咲にもその向こうが見えた──雑賀が空へと発砲したのだ。
その威嚇発砲により十兵衛の意識も雑賀へと変わる。その雑賀はといえば、元太に逃げるな、と叫ぶ。
「背を見せて逃げると、熊は本能的に獲物だと思ってしまうっ!!目線を逸らさず、ゆっくりと、後ずさりするんじゃっ!!!」
その助言に、元太は咲を抱えたまま、助言通りにゆっくりと後ずさる。
「十兵衛っ!!!ワシが分からぬかっ!!!?」
十兵衛は雑賀の言葉に反応を示すかのように威嚇しつつも攻撃に向かわない。それに雑賀は続ける。
「さぁ、怒りを鎮めて森の奥へと帰るのじゃっ!!!冬ごもりの支度が残っておろうっ!!!!さぁ、早く行かぬと、良いねぐらを仲間を取られてしまうぞ!!!!!」
十兵衛にこの場を去るように雑賀が語り掛けるも、十兵衛はどこにも行かずに咆哮を上げる。それにコナンは麻酔銃を構えつつ、近くにいる哀に叫ぶ。
「灰原っ!!小熊だっ!!!小熊を放せっ!!!傍にいる小熊は多分、十兵衛の仔だっ!!!抱えてんなら放してやれっ!!!」
コナンの言う通り、哀は今も小熊を放さず抱えており、その小熊はと言えば、先刻からずっと何かを呼ぶように鳴き、徐々に暴れだす。
「灰原っ!!!!!」
コナンの叫びとほぼ同時に小熊は哀から離れ──十兵衛へと駆け寄った、
十兵衛はその足音が聞こえ、後ろを振り向いた。そしてその小熊を視界に入れれば、彼女は愛おしそうに小熊を舐め始め、小熊もまた母の愛を受け取りその体を舐める。
十兵衛たちの様子を見て、元太は咲を下ろし、咲は哀たちを茂みから出るように促す。離れた所では、八坂が根来に力を貸してもらって立ち上がり、雑賀は重い息を吐き出す。そんな雑賀の近くに、照準器を閉じて、コナンが近付いた。
「──そう。雑賀さんが発砲したのは、灰原たちと……十兵衛を助けるためだよ」
そこでどうやら十分に再会を祝し終えたらしい十兵衛が、小熊を連れ立ってその場を離れていく。
「おそらく殺されたハンターは、十兵衛を撃ち殺そうとしてたんだ。そして、それを阻止するために……雑賀さんは、そのハンターを撃った」
その一言に、咲は眉を顰める。くだらない理由だとは思わない。しかし、人を殺すほどの理由になってしまうのが、彼女には理解できないのだ。
(自分の命が掛かっているわけでもないのに……なぜ……)
その間にも、コナンの説明は終わらない。哀たちがその現場にやってきてしまい、近くにいた十兵衛が彼女たちに気付く前に、銃で威嚇し、その場を離れるように仕向けたのだと推理を話す。
「光彦のバッチが落ちていたすぐ傍の木にあった銃痕は、おそらくその時のもの」
「だけど、なにも撃たなくても……」
哀が不満そうに雑賀を見れば、コナンが哀に目を向ける。
「さっきので分かったと思うが、熊は想像以上に俊敏なんだ。2人がまだ声が聞き取れる範囲にいなくて、銃の腕に自信があるのなら、口で伝えるより早いだろ?」
コナンの説明を受けながら、咲は自分が拾い上げようとしたものを見て、眉を顰める──やはりと言うべきか、猟銃は先端からへし曲げられて使い物にならない状態だった。
(あの時、拾い上げなくて正解だったな……)
そんな咲の様子に疑問を抱いたらしい元太が同じく近づき、顔を青ざめさせる。しかしこれ幸いと、咲は元太に話しかけた。
「元太」
「ヒっ!!な、なんだよ……」
元太が驚きでつい悲鳴を上げ、それでも咲だと気づき彼女の顔を見れば──珍しく嬉しそうに笑みを浮かべたその表情に、目を見開いた。
「──さっきは、助けてくれてありがとう」
「──お、おうっ!!俺たち、仲間なんだから当然のことをしたまでだぜっ!!」
そんな咲たちの後ろでコナンが推理は当たっていたかを雑賀に確認すれば、雑賀は口を開かず、根来が口を開いた。
「おいおい、待てよ……俺たちは猟をしに山に入ってんだぜ?なのになんで熊を撃とうとして殺されなきゃいけねぇんだよ!?」
しかも相手は雑賀が散々凶暴だと語って聞かせた2m級の大熊だ。しかも隻眼にしたのも雑賀本人。なのになぜだと不満そうな根来と八坂に、遂に雑賀が観念したように口を開いた。
「……ああ、そうじゃ。十兵衛の左目は、ワシが潰したも同然じゃ──奴の左目と引き換えに、ワシは今もこうして生きながらえておるんじゃから」
「……命と、引き換え」
コナンたちの元へと元太と共に戻った咲が思わず口に出す。その言葉と共に思い浮かぶのは──白く、優しい青い目の、『先生』と慕っていた男。
彼は咲を──優と、そして志保のことも。宮野夫妻との『約束』を果たすため、そして明美を入れた3人を、組織から解放するために、彼は動き──失敗した。
その代償が──彼の命となり、優が奪ったのだ。例えそれが、その彼から場所を伝えられ、直前まで知らなかったとしても、咲が今の今まで無事に……組織を裏切るまで無事に生きてこられたのは、彼が細工をしたおかげ──彼の命と『引き換え』なのだ。
しかし、それと共にふっと感じた別の喪失感に、彼女は何かの恐怖と焦燥にいつも取りつかれ、その恐怖に負けて、その理由を探れないでいる。
そんな咲の様子に哀が気づくも、彼女はなにも言わず、過去を語りだす雑賀に意識を集中する。
「──あれは20年前。春熊猟のために、まだ雪の深いこの山に入ったときじゃった……ワシは不覚にも足を滑らせ、数十m転げ落ちて、両足の骨を折ってしまったんじゃ」
声も出ず、身動きも取れない──そんな時に現れたのが、十兵衛だったという。雑賀は食われるしかないと思い、目を閉じたとき、彼の顔に生暖かいものがあたったのだ。
「おそるおそる目を開けると……舐めておったんじゃ、ワシの傷口を、何度も何度も」
そのまま十兵衛は舐め終わると、雑賀の隣で寝入ってしまったという。
「起きたら食おうとしていたのか、黒い毛皮を纏っていたワシを仲間だと思ったのかは、定かではないが……しかし、ワシには本当に、心地よい時間じゃった──両足の痛みを忘れてしまうぐらいにな」
その瞬間──その場に一発の銃声が轟く。
雑賀が慌てて起き上がれば十兵衛の左目から血が流れ、彼女は慌ててその場を去ってしまったらしい。銃声の主は、十兵衛の足跡を追ってきたらしく、雑賀が十兵衛に食われると思って撃ったのだと話した。
「──つまり、十兵衛がワシを見つけてくれたおかげで、ワシは凍死する前に助けだされたというわけじゃよ」
それから、雑賀が十兵衛を人の目が届かぬ山奥へと追い返す毎日が始まった。彼は毎日のように山へと入り、十兵衛を見つけては威嚇発砲を繰り返し、山奥へと追い立てる。
「じゃあ、あんたが言っておった十兵衛の話は……」
「そうじゃ。十兵衛のことを怖がらせ、近づけさせぬため……最近じゃ、逆効果になっておったようじゃがの」
博士の問いかけに答え、雑賀が根来へと視線を向ければ、根来は笑いだす。
「ハッハッハッ!ハンターが動物愛護ってか?……撃たれたハンターに同情するぜ。敵である熊を狩にきて、味方であるはずのハンターに狩られちまったんだからな!」
「ふんっ!熊は天からの授かりものじゃ。わしらマタギは、もとより熊は敵じゃと思うとらんっ!!──それに、運悪く見つかって、狩られるならそれまでの運命……仕方なしと目を瞑るが、十兵衛に銃口を向けたあの男は、常軌を逸しておった!!!」
その雑賀の言葉に根来は理解が出来ず、八坂も困惑する。そんな2人に答えを言うのは、雑賀ではなく──コナンだった。
「──囮だよっ!!……多分、そのハンター、小熊を囮に使ったんだと思うよ」
それに2人が驚愕するも、雑賀は否定せず肯定した。
「坊主の言う通りじゃ。あの男は、十兵衛のもう一匹の子供を射殺して、十兵衛を誘き出したんじゃよっ──その亡骸を、木に吊るしてなっ!!!」
その狂気的な方法に、少年探偵団たちは顔を青ざめさせ、大人たちは信じられないと顔を背ける。
「……ワシは、我が眼を疑ったよ。必死に小熊を木から下ろそうとしている母熊に、銃口を向けるその男の方が──獣に見えたんじゃからな」
この1時間後、コナンたちは山を下り、警察と合流後、雑賀は連行されていった──十兵衛がいるその山に、寂しげな視線を送りながら。
***
山からの帰り道、なぜ雑賀の本当の理由が分かったのかと博士がコナンに問い掛ければ、小熊の墓のことがあったことを中心に話し出す。それにより博士も納得するように感嘆の声を上げる。
「なるほど、小熊の墓か……それで分かったんじゃな」
「ああ。最初は、雑賀さんが十兵衛を横取りされそうになったから撃った、なんて思ったけど、そんな人間が墓石を建ててまで小熊を葬るわけないし、十兵衛が小熊を産んだことまで知ってんなら、狩れるチャンスはいくらでもあったはずだしな」
「けどよ、それならそうと早く言えばいいじゃねぇかよ……」
コナンの説明に元太が不満そうな表情で言えば、雑賀はそのまま御用となり、十兵衛が殺されかねないとコナンは言う。それに咲も頷いた。
「実際、あの場に雑賀さんがいなかったら、まず私と元太は確実に十兵衛に殺されていただろうな」
「ひぇっ!?」
咲の恐ろしい未来予想図に、元太は顔を青ざめさせる。事実、雑賀がいなければ、良くてあの場の2人のどちらかが十兵衛を狩り、悪くて全員死亡による十兵衛察処分ルートが待っていただろう。
「しかし、よく分かったのぉ。哀くんたちが小熊と一緒におることが」
「そうだ、それは私も聞きたかったんだ。私は鳴き声と哀たちのやり取りで理解できたが、お前はよく分かったな」
その問いに、コナンは呆れたように返す。
「ポテチの上に小熊のフンと足跡が数か所のってたからな……後ろを気にしてた歩美ちゃんと咲の反応で、親熊がその跡で小熊を追ってるってこともなっ!!」
そう言ってコナンが歩美と咲を振り返れば、歩美は頬を赤らめ、咲は溜息を吐く。
「仕方ないだろ……さすがに親熊は怖い」
事実、襲われでもしたら咲は逃げきれずに死が待っていたことだろう。
コナン曰く、熊が仔を産むのは通常では2頭で、発見された小熊と、哀たちが連れていた小熊が後ろにいた十兵衛の仔であれば、全てつじつまが合うのだと、悲し気に話す。
「……きっと雑賀さんは、殺されて怒った十兵衛が、もう一頭の小熊と一緒にいる灰原たちに、手を出す前に止めたかったんだよ」
「つまり、あの老人は私たち人間より、あの熊の方が心配だったって訳ね」
哀の言葉にコナンは動揺するも肯定する。それを返された哀に、光彦は苦笑気味に彼女を励まし始める。
「仕方ありませんよ。あのおじいさんにとって十兵衛は、20年来の友人みたいな──」
「あら、そうかしら?」
しかし、当の哀が言葉を遮り、光彦が動揺するのすら無視して、彼女は言う。
動物愛護も、行き過ぎれば迷惑だ、と。
それに、同じく追われていると思っていた側の光彦がなにも返せないでいると、歩美がよかったのだと嬉しそうに語りだす。
「熊さんの親子、助かって!!」
そんな歩美の純粋な反応に、哀は視線を向ける。その視線に歩美は気づかないまま、冬ごもりのねぐらが見つかることを願い、子供たちは山を見つめる。
そんな子供たちの様子に、哀と咲が優し気に微笑み、子供たちを見つめる。
そんな咲と哀の様子に、博士と話すためにと運転席の座席につかまっていたコナンが愉快そうに笑みを浮かべ、それに気が付いた哀がコナンに顔を向け、顔を赤らめて反発する。
「なっ!?なによ、その顔っ!!」
「べっつに~?」
そのまま、素直になれない彼女の様子を見つめたまま、車は帰り道を走るのだった。
さて、次回はレトロルーム(予定)です!
ちなみにレトロルームを取りやめた場合、目暮警部の話を書きますので、よろしければお待ちください!!
近頃、雨と職場の忙しさで頭痛がしておりますが、それに負けぬよう、頑張る所存ですっ!!
さて、かの『先生』の話を強引にいれた理由は、哀ちゃんが初登場した際に『自分のせい』と語っていた理由をそろそろ出さなければ、と思ったからです。
『先生』と宮野夫婦の間で交わされた『約束』の話を誰がしたのかは……まあ、おいおいです。決めてない訳じゃないのですが、今じゃなくても、予定している咲(優)さん過去編ではなしますので、それまで頑張ろうとおもいます!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!!