妹紅に手を引かれ入った人里は人妖が入り混じり、活気に溢れ賑わっていた。
客引きの声が飛び交っていてどの店も雰囲気がいい。
執務室に篭っていた私は妖怪の山の宴会に数回しか出てないため非常に目移りが激しくなってしまう。
「あー、雪は人里来るの初めてだから色々気になると思うけど、後で色々教えてあげるからさ。今は私のオススメの店を紹介してあげるよ。こっちこっち!」
妹紅に引っ張られて流れていく景色は新鮮で興味深いものだった。
人波をかき分けて進む私達は周りからはさぞ仲の良い友人に見えたのだろうか。
髪の色も似てるし背丈も同じくらいだから姉妹と勘違いされてるかも。
時折、「あら妹紅ちゃん、って!あらまぁ?お姉さんがいたの!?美味しい団子あるから寄って行きなよ!」、「そこの美人姉妹さんや!うちの簪を買ってかないかい!お二人さんとも長いから絶対に似合うぞ!」
などなどと沢山声を掛けられた。
無口で舌足らずな私に変わって妹紅が「また今度」、「時間に余裕があれば行くよ〜」などとやんわりと断りを入れて進んでいった。
そして賑わいのある通りを抜け人里の端であろう場所にポツンと屋台が構えられていた。
「ふぅ、何時もならこんなに話しかけられないんだけどね。やっぱり雪が綺麗だから皆話しかけたがるんだろうね〜っと!
さて、ついたよ!此処が私の行きつけの店さ!」
ばばーんと言わんばかりに胸をはる妹紅、屋台を見れば移動式の屋台の様でリヤカーが取り付けられている。そして暖簾にはヤツメウナギと記されている。
「ヤツメウナギ?」
ヤツメウナギ、何故か聞き覚えのあるワードだ。それによく見ればあの屋台何処かで見たことがあるような…
「そう、これが美味いんだよ。あとは酒だな。雀酒っていって思わず踊ってしまうくらい美味い。実際に踊る奴もいるらしいな」
え、それ大丈夫なのか?何か薬でもキマってハイになるとかじゃないよね。
「大丈夫大丈夫。私は少し記憶なくなるけど問題はあまりなかったから。不安そうな顔してないでほら、行くよ」
それ絶対ヤバいやつだよね!?あまりって言ってるけどそれが余計に怖いんだけど!
――などという私の心叫びを嘲笑うかの如く妹紅がグイグイと背中を押した。遂には席に腰を下ろされてしまった。すると屋台の裏から茶色で統一された服を着た少女が出てきた。軽くお辞儀する様はなかなか堂に入っていた。
「あ、こんばんわ妹紅さん。珍しいですね!慧音さん以外に連れ人がい…る……?」
あ、確か彼女は妖怪の山の宴会で店出してた夜雀さん。確か名前はミスティア・ローラレイ。だから見覚えがあったのかー!
既視感の原因が分かりスッキリしたのもつかの間。ミスティアの様子がおかしい。私の方に震える指を向けて口をパクパクさせている。
「て、て、天魔さま!?何故此処に?!」
ミスティアが仰天して尻餅をついた。突然の事に私も驚いたし何より妹紅が驚いていた。
妖怪の山の住人でもない彼女が何故そんなに驚いたのか分からない。
「おい!どうしたんだミスティア!雪がどうかしたのか!?」
妹紅が私を指差しながらそんな事を言う。
え?私のせいなのか?完全には否定が出来ないが決めつけよくない。
「て、天魔様は悪くないです!突然大きな声を出して申し訳ありません天魔様!」
大仰に謝罪しながら尻餅から土下座に移行しようとしたミスティアをすかさず止めて留まらせる。
いや、させねぇよ?土下座なんて。何かよくわからないけど。
「!?」
肩を掴んだ手が私の手だと分かると触れている手から分かるほどにビクビクと震えて冷や汗を流している。
何か、怯えられている。天魔という職業柄故に、という訳ではないと思うんだけど。
「たしか…ミスティアだったか。私はもう天魔を辞めた身だ。畏まる必要はない。気軽に雪と呼んでくれ」
親しみを込めて言ったのだがミスティアはびっくり仰天と言わんばかりに再び尻餅をついた。
「ハァッ!?天魔を辞めたんですか!?」
ミスティアの驚きように雪は“もしや私はとんでもないことをしたのかな?”と脳裏に浮かんだ。雪は正式な後任として大天狗を据えて自分はお役御免するだけだから問題ないと思っていた。
だがミスティアの反応を見てもしかして一大事なのかなと考え始めた。
「まてまて!私にも分かるように説明してくれ。天魔ってなんだよ」
置いてけぼりにされた妹紅がグイッと私の肩を掴んで私を振り向かせた。顔が近い。
「天魔とは妖怪の山の頭領のことだ。先程まで私が天魔だったが今は違う。部下に委任してきた」
(風さん上手くやってるかな?一方的に押し付けてきたけど、まぁ頭のキレる天狗だし余裕かな)
ふんわりと大天狗である山神風の事を思い浮かべる。厳格さと優しさを供える彼なら悠々と引き継いでくれているだろうと当たりをつける。
実際は困窮して胃痛で顔を酷く歪ませながら雪の帰りを待っているのだが今の彼女は知る由もなかった。
「へぇ、あの天狗のトップねぇ…。確かにそんな雰囲気あるな」
「どんな雰囲気だ…」
「物静かな所とかな、いかにも組織のリーダーって感じじゃないか?なぁ、ミスティア。…ミスティア?」
ふと妹紅から視線を外してミスティアを見ると尻餅をついたまま仰天し口から魂が出ていた。
「三途の川を渡るにはまだ早いぞ〜?あのサボり死神も来てないぞ。ほら、目を覚ませ」
妹紅がしゃがみ込んでミスティアの目の前で手を振るが反応がなかったため頬をペチペチと叩いた。
「はっ!?…う、嘘じゃないんですか!?」
「私はもうただの天狗。浮浪の天狗」
(家出天狗ともいうかもしれんな)
語感が情けないので口には出さないが今の状況はまさに家出である。
「…」
ミスティアは頬に手を当て思案を巡らせて押し黙ってしまった。
色々と整理して考えを纏めているのだろうか?
「…まぁ、ひと段落したし、後は食いながら語ろうか。ミスティア、ヤツメウナギを2人分頼む」
痺れを切らしたかのように妹紅が席について注文を投げた。
私も暖簾を押し上げて席に着くとミスティアは思案から復帰して顔を上げた。
「え?あ、はい!ヤツメウナギですね!」
注文を繰り返すと屋台の中へ入り、仕込みの済んでいるヤツメウナギを慣れた手付きで串に刺して炭火がバチバチと音を立てる焼き場に2つ並べ据えた。
立ち上る炭の焼ける匂いに、独特の芳ばしさ加わり辺りに食欲を唆る良い匂いが充満した。
「いい匂いだ」
私は食欲に唆られてボソッと一言呟いた。
――めっちゃ美味そう!待ちきれないぜ…!
「いい匂いだ」
ヤツメウナギの焼き加減を見計らって串を回す。その動作を淀みなく終えると前の方から凛とした声が耳に入る。
声の主は純然な白の前髪を指で流して耳に掛けて微笑んでいた。
「あぁ、素材のヤツメウナギもあるがミスティア秘伝のタレがこの芳ばしさを醸しているのさ。そうだろミスティア?」
それを自分のことように説明して嬉しそうに笑っている妹紅さん。突然 同意を求められて反応が少し遅れてしまう。
「え、えぇ。その通りですよ。あともう少しで焼き上がりますので」
相手が相手故に緊張はやはり隠せない。
ミスティアの中で天魔という存在は畏敬の念を抱かざるを得ない者であった。それは過去に体験した事件故なのだが。
「そうか、楽しみだ」
その畏敬の象徴はニコリと笑うとお冷を口にして焼き場をジィッと眺めていた。
「そういやさ、何でミスティアは雪を避けてるんだ?」
焼き場を眺める雪に見惚れていると妹紅の横槍がミスティアを突き刺した。
突然の不意打ちに声が出ず焼き場を眺めていた雪もミスティアを見つめていた。
「…い、いやぁ?避けてませんよ、何を仰るのやら。私は…ただ…」
「ただ?なんかあるのか?さっきから不自然に雪と目合わせないし、なんかあるんだろ?」
「うぅ…」
この事を他言するのは恥ずかしい、その上まさに当の本人の目の前となれば尚更。
故に妹紅さんに言及されると非常に困るのだ。
私は言葉に詰まって何も言えなくなり、それを妹紅さんと天魔さまが不思議そうに見つめてくる。
穴があったら入りたい。あったら自身の持てる最速の速さで突っ込むだろう。
「…無理に話さなくていい。逆に、私に怨みや苦言を吐こうが私は咎めたりはしない。ミスティア、お前のペースでいい」
雪さんが変に気を利かせて既に喋べらざるを得ない雰囲気を作らされた。今はその寛大さが恨めしいのだ。
私は少しばかり閉口していたが困窮の果てに口を開くことにした。
「私は…私はただ天魔だった雪さんを尊敬していたんですよ。今私が雪さんを避けているように見えるのも近寄り難いと思ったから身を引いてしまった、それだけなんです…」
「尊敬…ねぇ。解せないな、何故妖怪の山の大将を尊敬するんだ?会う機会なんてそうそうないだろ?」
怪訝な様子で呟いた。それもそのはず、妖怪の山は身内に厚く、外の者には排他的な集団であるのは周知の事実であるからだ。
そして妹紅さんは私がその妖怪の山の身内という区切りに入らないと知っているからだ。事の経緯を説明しようとしたら雪さんが口を開いた。
「いや、彼女は妖怪の山の内輪の宴会にしばしば参加している。もっとも、出会いは宴会の場ではなかったな」
――そう、あれは確か…
妖怪の山の獣道を半リヤカーである屋台の牽引し登っていく。急とは言わないが、緩やかでもない。さらに距離が長いとなると人の手では一苦労だっただろう。しかし、押しているのはひ弱な人間ではなく妖怪。
夜雀と呼ばれる種族である妖怪、ミスティアは山の中腹の広場を見据え、鼻歌混じりに軽々と進んでいた。
「あと二、三合かな〜。飛んでいけたら早くて楽なんだけどなー」
流石に料理の仕込みや食材、調理器具の詰まった屋台を担いで空を飛んで行くのは無理な話だ。まず、荷台自体が重いし、運ぶのに細心の注意を払うのも面倒だし、失敗して仕込みがおじゃんになったら目も当てられない。
以上の理由から、安全性の高い方法である徒歩を取ったのだが、やはり山を登るとなると多少の疲れが出てくる。
「まだ少し時間はあるし、途中で休み休み登ろう」
休みというよりは気分転換に近い感覚で、ミスティアは屋台を動かぬよう停めて近場の石に腰を掛けて「うっゔん!」と喉を鳴らし調子を整えた。
「♪〜♬〜」
夜雀の本能として歌を唄い誘う、惑わすのはもはや日課であり習慣である。
ミスティアは毎日のように唄っては人や人型の妖怪や知性のある妖怪を誘いだし、惑わしていた。これは自身の存在、レーゾンデートルを確立するのが目的である。潜在的に少し悪戯心があるのはご愛嬌。
「♬〜♫〜?」
優れた聴覚が僅かな音を拾い上げた。ガサガサと音を立てて此方にゆっくりと向かって来ているのが分かった。
――どうやって驚かしてやろうかな?見てから決めよう。人間だったら…
基本的に誘われた人妖は意識が薄く、ミスティアに気づくのに時間を要する。見てから避難してもお釣りが来る程には。
今回もそれが頭を過ぎり余裕が生まれた。生まれてしまった。陽気にスキップしながら音の発生源へと近づいてしまう。
「…テン…マ…死…」
茂みから姿を現したのは人間ではなく妖怪。
それも見るもおぞましい体が腐り落ちた巨躯の猪、理性の欠片もない醜い悪性の妖猪と化していた。言語を発してはいるが理性は欠片もない。ただ、誰かへの明確な憎悪がこもった呪言を零すだけ。
しかし今、不幸にもその殺意は目の前に現れたミスティアへと向けられる。
「…ぁ、え?」
突然の事に虚を衝かれたミスティアは腰を抜かしてしまった。理解が追いつかず助けも呼べず呆然とする。
「…テンマァァァァァァァッ!」
テンマとは憎悪の対象なのだろう。呪怨を絶叫しながらミスティアに猛突進する。
「…ヒィッ!?」
呆然としていたミスティアは迫り来る脅威に対してあまりにも無防備だった。恐怖に足を取られ逃げ出す事も出来なかったミスティアは瞳を閉じて衝撃を怯えながら待つ。
――しかし、一向に衝撃は来ない。恐る恐る目を開けた。
「何をしておるか、お主の御仇は儂じゃろう。目移りするでないぞ…」
目の前は真っ白な髪が一面を飾っており、艶やかな白い髪は風に揺られて輝いていた。
その隙間から先ほどの妖怪が吹き飛ばされているのが見えた。
「…ぇ?」
目の前に立つ白い妖怪を見る。声や容姿から見て女性であるし妖怪である。髪は藤原妹紅と相違ないが体型や声、喋り方が違うから別人の筈だ。服装も白い意匠の着物であるし極め付けには翼がある。「白い天狗…?もしや天魔様…!?」と考察を進めていると吹き飛ばされた妖猪に動きがあった。
「なるほど、先日妖怪の山を追われた破落戸共の頭か。貴様らは妖怪の山の掟を破り追放となった身、さらなる処罰が欲しいと見える」
「グオォ…テンマ、コロス殺ス殺殺殺…!」
呪詛のように呻きながら妖猪は立ち上がり突進の構えを取った。その眼には先ほどの比ではない程の殺意がこもっている。
妖猪は足で地面を擦り様子を伺っていたが、動かぬ白い女性に痺れを切らして猛突進をした。
「戯け、儂を殺すなら正気でなければ話にならぬわ」
女性が手を翳すと妖猪は糸が切れた様に倒れた。ドシンと重みのある音と揺れを起こして。
「ふむ、さて…お主怪我はないか?」
「…え!?あ、はい!!」
「そうか、それはよかった。こちらの事情で迷惑をかけたな。改めて見たところお主は妖怪の山の者ではないようだが…」
「ふ、不法侵入とかではないです!断じて!!」
「…もしや、外部から妖怪の山の祭りに出店するミスティア殿だったか?」
「何故私なんかの名前を!?」
「祭りの運営は天魔たる儂がやっている。出店関係も頭に入れておかないと話にならない」
「な、なるほど〜。光栄です。」
「どれ、儂が祭り会場まで送ってやろう。荷物はないのか?」
「い、いや!天魔様の御手を煩わせる訳には!!」
「ほぅ、儂の厚意を無下にするか」
「え?!いやいや!とんでもございません。是非ともよろしくお願い申し上げます…!」
「あい承った。ところで、一つ聞くが…お主の出店するヤツメウナギとやらは美味いのか?」
「えぇ!それは勿論!当店のオススメ商品です。時間があれば是非私の屋台に足を運んでくださいね!」
「あぁ、なるべく時間を作れるように善処するとも。…と、もう着いたか。儂は運営の仕事に戻らねばならん、ミスティアよ此度の祭り存分に楽しんでくれ」
厳格という言葉が似合う天魔だったが飛び去る直前、ふんわりと笑う少女のような表情を見せた。
「はい!」
今でも鮮明に思い出せる程飛び去る天魔の後ろ姿は綺麗で、私の憧れとなった。
雪の方針で妖怪の山はある程度開放的です。他から見ればまだまだ閉鎖的に見られますが