人魚さんが家に来てから三日が過ぎた。
俺は人魚の生態を解明するという素晴らしい大義の下に公園に人魚さんと来ている。
公園に来たのはズバリ人魚さんの身体能力を測定する為だ。別に暇潰しではない、そんな事は一切ない。無いったらない。
ちなみに人魚さんにはバッチリ認識阻害の魔術を掛けているので外に出ていても問題はない。
これは魔術としてはそこそこ高度な暗示である。無意識にありえないと少しでも感じる者には、ありえないモノは見たいように見えるという効果がある。
わかりやすく言えば半側空間無視の症状が出ている者は、視界の半分程の世界を無視するが、別に無視されている視界は見えていないわけではなく、脳が見えない場所を自動的に補ってしまう事もあるのだ。その場合、不思議な事に世界自体は健常者と同じように見えていると本人は思っているのである。
それを応用したのがこの幻術。術が掛かったモノを見た者は普段ありえないと感じる場合、ありえないモノは通常通りのモノに見えるというただそれだけの暗示だ。
これにより一般人どころか普通の魔術師から見ても今の人魚さんは、角がなく、黒髪で黒目のただの美人に映っている事だろう。まっこと魔術とは便利である。人魚さんを連れて帰った日にこの魔術の事をすっかり忘れていた事が悔やまれるが、まあそれはそれだ。
しかし、この魔術にも一点だけ欠点がある。 それというのは単純な話だ。角が生えて水色の髪で目がピンク色の女性をありえないと思っていない者には一切効果がない。
要するに……。
「わー!おっきいつの!」
「すべすべしてるー!」
「すっげぇ! かっこいい!」
『Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――!!?』
「つののお姉ちゃんあそんでー!」
「あそぼうよー!」
「かいたいするよ!」
小さな子供には全くの無力なのである。
よって現在、公園の鉄棒の脇で上下水色に白のラインの入ったポカリスエットみたいな芋ジャージを着た人魚さんが、集まってきたチビッ子たちに囲まれるという事態になっている。身体能力測定どころではない。
『 q r : w 』
相変わらず言葉はわからないが、今回は人魚さんの必死の形相からなんとなく言いたい事は伝わった。しかし、非常に楽しそうな子供たちから人魚さんを取り上げるのはなんだか気が引けるし、俺は子供が苦手である。
………………………………。
…………………………。
……………………。
………………。
…………。
……。
このままながめているのもいいか。
『Aaaaaaaaaaaaaaaa!?』
約1時間後、チビッ子から解放された人魚さんに無言の腹パンをされたのはまた別のお話である。
◇◆◇◆◇◆
「おーい」
『………………』
「人魚さーん?」
『………………』
「拗ねてる?」
『Fuuuuuuuuuu!!』
人魚さんはご立腹のようである。つーん、と効果音が付きそうな様子で顔を俺から背け、木陰からテコでも動かないと言わんばかりにガッチリと膝を抱えている。
仕方がないのでその辺りにあったベンチに腰掛け、隣にリュックを置いてからジッパーを開けてお弁当の重箱をリュックから取り出し、自分の膝に乗せた。
「ん…?」
『………………』
ふと、視線を感じて人魚さんの方に視線を戻すと、人魚さんが顔だけを上げてこちらを無言でガン見しているのが目に入った。
全く気のせいとは言えないが、とりあえずリュックから水筒を取り出し、再び人魚さんに顔を向ける。
『………………』
すると今度は人魚さんがいた場所と、俺の座るベンチの丁度中間で直立不動でこちらを見つめている人魚さんがいた。微動だにしないので、まるでだるまさんが転んだでもしているような気分になる。
最後に割り箸を取り出してから人魚さんが居た方を見れば、何処にも人魚さんの姿は無く、見回せば直ぐに俺の隣に座りながらお弁当に星のような瞳を釘付けにしている人魚さんがいた。
猫か何かなのだろうか人魚さんは。
そんな事を思いながら、人魚さんの膝に重箱を乗せ、割り箸を割って渡した。ちなみに人魚さんはもう箸を使えている。元々かなり学習能力が高い人魚さんなのだが、食べ物が絡むと特にそれが発揮されるようで、2日前に間違えて箸を渡してから少し箸と格闘し、黙々と食べ始めたのである。
『&a↑'』
「はいはい、お茶ね」
言葉はわからんでも流石に空のコップ突き出しながら呟かれたらわかるぞ。
◆◇◆◇◆◇
人魚さんは子供の面倒見がそこそこ良い事と、食べ物が絡むと瞬間移動並の身体能力が出せる程度の事だけがわかり、公園を後にし、今は商店街のスーパーを人魚さんと歩いていた。
俺一人なら2~3週間持つはずだった食料品の補充である。いや、備蓄のカップ麺等もほぼ全滅したのでそれ以上かもしれない。人魚さんを保護する時はスーパーの近くに住むんだ。お姉さんとの約束だぞ。
『………………(ひょいっ)』
『………………(ぽいっ)』
『………………(ぺいっ)』
カートを押していると、次から次へと人魚さんが食べたいと思われる食べ物をカゴに投入してくるのだ。お陰で会計は軽く5桁を越えそうである。
「こら、同じもの沢山入れるんじゃない」
『Eeeeeeeeeeeee…』
口を尖らせてもダメなモノはダメなのです。
会計を終えると店員にレシートを見せれば福引きを回せると言われた。どうやらこの商店街でやっているイベントらしい。5000円につき1枚回せるので3回回せる。
と、いうわけで福引きを回しに来た。外れ無しの5等まであるモノなようだ。
『……?』
隣にいる人魚さんはキョトンとした表情で首を傾げているので、先に俺が一回ガラガラを回してみる事にした。ソイヤっ。
「5等です」
「…………そうですか」
ハズレ用なんじゃないかと思う白球がガラガラから排出され、笑みを浮かべた係りのお姉さんからうまい棒(コーンポタージュと明太子味)が真っ先に目に入るお菓子の詰め合わせを受け取る。
まあ、昔から運は対して良くないので仕方ない。母さんに言わせれば"幸運値たったのEかゴミめ"と言わしめる俺の幸運値ではこんなものだろう。今更だが、幸運値って何さ。
「二回回すんだぞ」
『Aaaa』
次は今の動作を見ていた人魚さんの番だ。
人魚さんは俺と同じようにノブを掴むと、ゆっくりとガラガラを回した。
「1等です! おめでとうございます!」
お姉さんが持っているハンドベルが激しく鳴らされ、人魚さんが出した球を見れば黄金に鈍く輝いている球が転がっていた。
え……こういうガラガラに1等ってマジで入っているのか。都市伝説だと思っていた。
気にしてすらいなかった1等が何か確認すると米俵のようだ。大きさから見て1俵(60kg)だろう。奥から出てきた体格のいい兄ちゃんからそれを受け取ると、いつも買っている10kgのモノより遥かにずっしりとした重さが伝わる。
『UI、B;?』
「お米だ」
『Aaaaaaaaaaaaaaaa――!』
また、首を傾げていた人魚さんにそんな言葉を送ると、人魚さんは凄まじい勢いで残っていたもう一回分のガラガラを回した。
「い、1等です……」
軽く顔を引きつらせながら係りのお姉さんはハンドベルを鳴らし、体格のいい兄ちゃんが再び米俵を持ってきた。俺は軽く放心しながら人魚さんに視線を戻す。
『………………(ふんっ)』
なんだその見たことないどや顔みたいなニヤケ顔。喧嘩売ってんのかオラ。幸運値EXってか? 俺の大敗じゃボケ。
「だ、大丈夫ですか…?」
片手で米俵を肩に担ぎ上げ、その米俵と首の上に米俵を置くという方法で2つの米俵を持ち、もう片手に買った商品のレジ袋の山をぶら下げている俺の様子に係りのお姉さんが声を掛けてきた。俺は内心溜め息を吐きながら会釈すると、人魚さんを連れてその場を去った。
江戸時代ぐらいの女性はもっと逞しかったんだがなぁ。まあ、現代人にそれを求めるのは酷というものか。
染々と昔を思い出して多少ブルーな気分になったが、買った商品と米俵を嬉しそうに眺める人魚さんを見ていると何だか幸せな気分に浸れたので、考えるのを止めて人魚さんに他愛もない事を話し掛けながら帰路に着いた。