___ふしぎなひと___
__いいえ___いえ___
___わたしは___しらない___
___あなたの___
___はんぶんは___
___いったい___
___どこからきたの___ ?___
___わたしとおなじ、ふしぎなひと___
わたしは___
ここに___いて___
いいの?
◇◆◇◆◇◆
"いいから、払うのです!"
喧しくもやたら凛とした声に叩き起こされ、俺の意識は浮上した。一瞬、寝惚けた頭はこれはなんなんだと混乱したが、目を開き枕元を見ると白い西洋甲冑を着た2等身の男性の形をした物体から発せられているという事がわかる。
その姿は確かに昨日寝る前にセットした目覚まし時計そのものだ。
"取り立てる!"
目覚まし時計に手を伸ばしながら見た目に似合わず妙な単語を並べるコレについて考える。
"午前の光よ、借金を返したまえ"
コイツは母さんが趣味で作った目覚まし時計のひとつだ。それぞれ人物が違い、中に録音された声も、停止スイッチの場所もそれぞれ違う所に付いているという無駄に凝った作品である。
"その財布を奪う!"
まあ、大概こんな風に妙な言動で叩き起こされるのだがな。えーと、コイツのスイッチは何処に付いているんだ? ああ、頭か。
"マイドオオキニ"
最も妙な言葉を残しながら目覚まし時計は止まった。このように俺の家には母さんが作るだけ作った大量の目覚まし時計があるのである。余らしとくのも勿体無いので全て使ってみているのだが、大概ろくなボイスが収録されていない。
『………………』
そんな事を考えながら寝返りを打つと、隣に敷いた布団にちょこんと座り込み、こちらを見下ろしている耳の後ろから大きな角の生えた水色の髪をした大層な美人と目が合う。更にじっと何か言いたげな様子でこちらを眺めていた。
「おはよう、人魚さん」
『Aaaaa』
挨拶をすると小さく挨拶を返してきた。相変わらずの無表情ながらその仕草がとても可愛らしい。
とりあえず布団から立ち上がると、人魚さんも布団から立ち上がり俺の背後に立った。数歩歩くとそれに合わせて人魚さんも歩き、止まると人魚さんも止まる。ピクミンみたいな生き物だな人魚さんは。
そんな失礼な考えは一切口に出さず。キッチンに向かう。途中でリビングの席に人魚さんを座らせると今度はその席に座ったまま微動だにしなくなる。
成る程、これは捕まるわけだ。兎に角この人魚さんは自我というモノが薄いらしい。きっと俺の時のように釣り上げられて悪い人に拘束されたのだろう。うらやまけしからん。
適当に冷蔵庫にあったモノをチョイスして朝食を作る。味噌汁にご飯、玉子焼きを作りながら、ウィンナーでも焼いて並べればいいだろう。
人魚さんが箸が使えるとは思えないのでフォークとスプーンを並べておく。朝食が揃い、人魚さんの向かいに座ると人魚さんは珍しく表情を変えて目を丸くしながら交互に俺と朝食を見詰めていた。
「冷めるぞ?」
そう言ったからか人魚さんはフォークを持つと玉子焼きに手を伸ばす。ぷすりと刺さり、食べやすく切っておいた玉子焼きのひとつが持ち上がると、ゆっくりと人魚さんの口に運ばれた。
『――――Aaaaaaaaaaa』
人魚さんの顔が嬉しそうに綻ぶ。いつも張りつめたような悲壮な表情をしている人魚さんの意外な表情にこちらも思わず面食らった。それと同時にその表情をみれるだけでこちらも何と無く満たされる。
俺は人魚さんの食事風景をよそ目に俺も何かを食べようと、買い貯めしているメロンパンの袋を開けた。
『Aaaaaa……?』
すると強い視線と歌のような人魚さんの呟きを感じそちらに視線を戻す。
そこには既に朝食を平らげ、俺を……正確には俺の持っているメロンパンを食い入るように見つめる人魚さんがいた。それに遅れてくぅ~と偉く可愛らしい腹の音が響き渡る。
どうやら見た目に似合わず中々食べるらしい。腹の音に恥ずかしがる素振りも見せずに口の端から涎の輝きが見えるので間違いないだろう。
「………………………食うか?」
『Aaaaaaaaaaa!』
おかしい……人魚と接しているハズなのに雛鳥を相手にしている気分になる。
◇◆◇◆◇◆
結局、メロンパンがやたら気に入ったのか人魚さんはもふもふ食べ進め、バスケットいっぱいの夜食兼朝食用のメロンパン軍団は壊滅した。この家、地味に一番近くのコンビニですら徒歩で15分程掛かるので手間だが、俺の朝食が無くなるので買い貯めねばなるまい。
まあ、今はそれよりも重要な事がある。食事が終わり、今はリビングのソファーにちょこんと腰掛けて無表情で部屋の天井の角をぼーっと見つめている人魚さんの前に立った。すると人魚さんの視線が俺に向き、少し首を傾けながらじっと見つめてくる。その仕草がお人形さんのようでこちらの頬が緩みそうになるがそこはグッと我慢して口を開いた。
「さて人魚さんや」
『UI…?』
「お風呂のお時間です」
風呂が湧いたので人魚さんには風呂に入って貰う。昨日は釣った時に一切衣服を纏っていなかった人魚さんを、街中の人の居ない地域を縫うように行動するステルスアクションゲーム並みのスニークスキルで家まで連れて帰ってきた結果くたくたになってしまい、そのまま寝てしまったのでに風呂に入っていないのだ。人魚さんだって人魚の前に女の子である。お風呂には入れてあげた方が当然良いだろう。
ちなみに人魚さんは角が邪魔で普通のシャツが着せられなかったので、俺のチャック付きの黒いセーターと、ジーパンを着せている。大人なお姉さんといった風貌である。下着は着けていないがな。
俺が風呂場に案内すると、勿論人魚さんは俺の後を着いてくる。相変わらず、鴨の親にでもなった気分であるが、そんなに広くもない家なので直ぐに脱衣場に到着した。
「さて……」
人魚さんの服に手を掛けて脱がし、彼女の昨日見たままの姿が露になる。
あまりにも容姿が整い過ぎていて、まるで完璧な人形という印象を受ける為、美しいや綺麗という感性が先行する。しかし、人魚さんは身体は大人だが、行動は子鴨、そして仕草は鳴かない小鳥だ。どちらかと言えば手の掛かる妹とぐらいに感じる。
まあ、"人魚さんと俺は同性"なので一緒に風呂に入ったからと言っても特に気にする事も何もないのだがな。俺の女らしからぬ喋り方は生まれつきなので仕方なかろう。
裸の人魚さんの背中を押して風呂場に入り、風呂イスに座らせた。すると本人は気にしていないが、人魚さんの髪が床に付いてしまう事に気付き、洗面器を持って来てそこに巻いておく事にした。
とりあえずシャワーノズルを引っ張り上げて風呂桶に向けてから蛇口を捻る。
『!!』
お? 急に出た水に人魚さんが少しびっくりして肩が跳ねたぞ。どうやらシャワーを見たことがないのだろうか。
シャワーの水が暖かくなってからとりあえず人魚さんの手を優しく握り、手に浴びせてみる。
『………………』
人魚さんは無言でこちらを見上げてきた。猫のように逃げたりしないようなので大丈夫だろう。
「頭にかけるぞ」
人魚さんの水色の髪を濡らす。流石は水棲生物の人魚さん、お湯を被っても目を瞑るどころか瞬きひとつしない。
「手で目を囲っておくと痛くないぞ」
俺のジェスチャーの通りに人魚さんは手で眉の上を囲ってシャンプーが目に入らないようにする。シャンプーを頭に直接掛けて頭を洗い始めた。
「………………」
『………………』
わしゃわしゃと音が風呂場に響き、人魚さんの頭があわあわになる。それを人魚さんは相変わらずぼーっとみているが、何処か目を輝かせているような気もしなくもない。
しかし、これだけ髪が長いとシャンプーも大変だろう。というか大変だわ。人魚さん程ではないが、そこそこ長い俺が言うんだから間違いない。
『Aaaaa――』
頭皮マッサージを兼ねてしゃかしゃか人魚さんの頭を掻いていると人魚さんから気持ち良さそうな声が上がる。
「痒いところはありませんか?」
『z]d@』
勿論、彼女の答えはわからないのでつむじでも重点的にマッサージしておこう。
暫く頭を洗ってから泡を洗い流して次は身体を洗おうかと身体用スポンジに手を伸ばすと、人魚さんは何かが足りないといった表情でこちらをじっと見つめてきた。
その様子を何かと思っていると、人魚さんはゆっくりと両手を上げ、人差し指を立てると自身の大きな角を指差す。
「…………ああ、角も洗えって事か」
『Aaaa』
ところで角はシャンプーとボディーソープどちらを使うべきなのだろうか……?
◇◆◇◆◇◆
人魚さんはリビングのソファーに腰掛けながら、ホカホカと擬音が付きそうな程湯気を上げている。ちなみにサイの角は毛らしいので人魚さんの角はシャンプーで洗った。
なんだが、湯槽に入れた人魚さんが清姫伝説で川に身を投げる清姫の如く、水に沈んでいるのが様になっていたので、人魚さんを湯槽に入れたまま少し見ていたらこんな風になってしまった。どうやらのぼせる事はないようだが、体温はすぐに上がるらしい。変温動物みたいだな人魚さん。
「とこで人魚さんや」
『………………?』
「人魚さんは何処から来たんだ?」
俺は人魚さんの膝の上に地球儀を置いて少し回転させる。そもそも人間の文化に疎い人魚さんが、地球の形や大陸の形を認識しているとは思えないので、90%ぐらいは期待はしていないが、もしかしたらという事もあるので見せてみたのだ。
すると人魚さんは地球儀を持ち上げてまじまじと見つめると地球儀を何度か回転させてからとある場所を指し示した。そのまま一ミリも動かなくなったので俺はそれを見る。
そこはチグリス川とユーフラテス川が注ぎ、イラン、イラク、サウジアラビア等の国々に囲まれた細長い形状の陸に入り込んだ領域。
"ペルシャ湾"を示していた。
「随分遠くから来たんだな…」
『Aaaaa』
どうやら本人曰く人魚さんは中々洒落たところに棲息していたらしい。
次にペンと紙を持たせてみると、なんだか、横に倒した三角フラスコのようなものやら、骨にした魚のようなものやら、削った直後の鉛筆の先のようなものやらが描かれている。しかし、規則的なひと繋ぎらしくどうやらこれは人魚さんの象形文字のようだ。
『!』
書き終えた人魚さんは小さくガッツポーズを作ると俺にその文を早く読んで欲しいのか渡して来た。中でもひとつある大きく強調された単語と思われる場所を指差している。
『wィ#js!』
「すまない人魚さん……俺は西暦1000年代より前の言語は解らないんだ」
『Aaaaa……』
そう言うと目に見えて人魚さんが沈んだ。うわ、めっちゃ可哀想。
「そろそろ夕飯にす――」
話題を反らす為にそう呟いた次の瞬間、ソファーに座っていたハズの人魚さんの姿が消え、気が付けばリビングの朝座らせた食卓に腰掛けていた。その星のような瞳はいつにも増して爛々と輝いているように見える。
その可愛らしい姿に小さく息を漏らしてから人魚さんの棲息地の事はもう忘れ、キッチンに向かうことにした。