俺たちの伝説の夏   作:草野球児

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13話 知られざる過去と未来

 久々野と謎の男「監督」が向かったのは、そこからほど近い喫茶店「パイナップルサンド」。

 

 2人が入店したのを確認し、窓からこっそりと覗き込む。

 落ち着いた雰囲気の店内。学校帰りに通う飲食店といえばラーメン屋くらいしか選択肢のない野球部からすれば、おおよそ縁のない空気に少し引けを取る。

 

 久々野らが店内で一番奥のテーブルに腰掛けているのが見えた。

 丁度2人を発見したタイミングで、マスターが注文を伺うためかその席へと向かう。

「今だ」

 塩谷に合図を出し、久々野らの注目がマスターへと向けられるタイミングで素早く入店。向こう2人からは死角に入るカウンター席につく。身を屈めればこちらの姿を完璧に隠すことができる絶好の位置。

 

「なんで俺達が隠れるんだよ」

 塩谷が声を潜める。

「まだあの男が怪しいってだけで、何者か分かった訳じゃない。それに勝手に後を付けてる俺達の方がどっちかと言えば問題だ」

 

 改めて店内を見回す。店内には久々野ら2人と俺達2人の他に、カウンター席に腰掛けて新聞を読みふける男がいた。

 音楽も有線放送も流されていない静かな店内。これならなんとか2人の会話を聞き取ることはできそうだ。

 このままただ居座るのも申し訳ないので、こっそりとアイスコーヒーを2つ注文した。身を屈め小声で注文する高校生2人組。こんな怪しい客を相手に、マスターは平然としたまま「少々お待ちください」と言って笑顔で対応してくれた。

 

 

 

「・・・久々野君がまた野球を始めたって噂を聞いた時は驚いたよ。それも岐阜の無名校で始めてるとはね」

 謎の男から会話を切り出したようだ。耳に神経を集中させ聞き入る。

「君が中学生だった時を思い出すよ。あの時から君は、将来を嘱望されたピッチャーだった。

 中学生離れした剛速球でねじ伏せる圧倒的なピッチング。それはまさに『天才』と呼ぶのにふさわしいモノだった。」

 

「だが、中学2年の夏の大会直前、突然野球を辞めた。その原因は確か肩の故障だったかな」

 

 久々野が故障?今は140キロを超える速球をビシビシ決めているのに「故障持ち」だったのか?

 

「君は怪我の直後すぐさま野球部を退部し、夏休みのうちに岐阜県の鏑矢(かぶらや)中学に転校。そこでも野球は再開しなかった。

 失礼を覚悟で言うと、そこで『天才プレーヤー・久々野和巳』は終わったと思った。ケガをしてフェードアウトなんてのはよくあるから、残念ながらそのパターンだと思っていた」

 

「だけど今年の春季大会の後、岐阜県の『神山高校』なんていう聞いたことのない公立高校で、久々野君がとんでもないボールを投げてる。って噂が入ってきた。

 それを聞いて何試合か神山高校のグラウンドにこっそり足を運んだうえで、今日に至るって感じかな」

 

 知らなかった・・・。久々野にそんな過去があったとは、塩谷と目を合わせ互いに驚きの表情を浮かべる。

 

 

 

「・・・藤成(ふじなり)監督。結局話ってのは何ですか」

「そうだった。すまない、まだ一番重要な部分を話してなかったね」

 

 

 

「久々野くん。君にはぜひ、ウチの高校に来てプレーして欲しい」

 

 ウチの高校?どういうことだ?やっぱり何者なんだあの男は?

 混乱して状況が飲み込めない。

「思い出した!」

 塩谷が静かながらも威勢のある声を上げ、指を立てる。

藤成(ふじなり) 俊生(としき)監督だよ!アイツは愛知の名門『名京商業(めいきょうしょうぎょう)高校』の監督、藤成監督だ!」

 名京商業高校。それは野球をやっている者なら誰もが知っている「超強豪校」。これまでに8度甲子園優勝を果たし、プロ野球選手も数多く輩出している。

 

「『名京(めいきょう)』の監督が久々野をスカウトしに来たんだ!」

「言われなくても分かってる」

 どうだ?久々野は今何を考えている?ここからは久々野の表情を伺うことができない。

 

 

「君が中学生の時から、何度か名京に来ないかと誘ってきた。今でもそれは変わらないよ、君のにはぜひ名京のユニフォームを着て甲子園のグラウンドに立ってほしい。

 どうだい?久々野くん。怪我から完全に復活した今、君の実力なら愛知でも充分やっていける。

 そして今、君の力が必要なんだ。どうだ?一緒に甲子園を目指さないか」

 

 断るはずだ。断ってくれ。久々野に去られたら、今の神高野球部はもう・・・。

 

 そこからの沈黙は永遠のように永く感じられた。追跡を始めた時は、こんな事態になるとは勿論思っていなかった。今後の神高野球部の運命を握るような、重要な場面に立ち会うことになるなんてのは。

 

 

 

「・・・行きます。名京商業に。」

 

 

 それを聞いてすっと血の気が引き、思わず店を飛び出した。

 後ろから塩谷が後を追って店を出た事が感じられたが、そんな事はどうだってよかった。

 

 エースが去る。これでもう何もかも終わりだ。

 何も考えたく無かった。ひたすら走った。走り続けた。

 

 苦しい、気持の悪い汗が止まらない。滅茶苦茶な足取りで走り続けた足は悲鳴を上げ、スピードが緩んでいく、足が止まる。気づけば見覚えのない住宅街へと差し掛かっていた。

 両手を膝について鼓動を落ち着ける。顔を上げると辺りは既に真っ暗で、目の前の路地は進むにつれて闇に飲み込まれていた。

 

 それはまさに、自分の未来を暗示しているようだった。


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