天才一年生投手・久々野が入部し、部内の雰囲気も大きく変わった。
そうして迎えた春季大会。今までにない確かな自信を持って挑んだが、その結果は無残にも『初戦敗退』。
この結果は受け入れ難いものであった。
もちろん、大会の数週間前からやる気を出したところでチームが劇的に変わるとは思っていない。
だが、エラーで失点し淡泊な攻撃で0点に終わる「いつもどうりの負け方」でひとつの大会を失ってしまったのだ。自滅、完敗、これは「次に繋がる負け」という類の敗戦ではない。
・・・春季大会はもう終わった、悲観に暮れても仕方がない。
残されたのは夏の選手権、高校最後の大会のみ。それに向かって悔いのないよう全力を尽くそう、まだ上を目指せるはずだ。そう思っていた。
だが、事態は思いも寄らぬ方向へ向かっていった。
いつも通り練習を終え、自主練習に取りかかろうとしたときの事だ。
「おい、末広、何してんだよ」
帰宅の準備を始めた末広を、副キャプテンの塩谷が呼び止める。
「何が?」
「何って、自主練しないのかよ」
「自主練は自由参加だろ?俺は帰るよ」
「昨日の試合でマズイ守備とバント失敗しただろ?それなのに帰んのか」
「あぁ、あれは悪かった。まぁ次の試合はもうあんなミスしないから」
笑ってごまかしながら帰る準備を進める。塩谷は憮然とした表情のまま変わらない。
ここまでは、まだいつもの雰囲気であった。真面目な性格の塩谷と正反対の末広が言い合う事は度々あったが、それでも程度は知れていた。
次の一言で急転した。
「分かってんのか?下手クソ。お前のせいで春季大会負けたんだぞ」
スパイクの土を落とす手を止め、末広が眉を潜める。
「は?」
明らかに末広の声質が変わった。他の部員も異変に気づき、視線が集まる。
「お前だけじゃねえぞ、試合で足引っ張ったのは自主練出てない奴ばっかじゃねーか。おい、花川!福寺!お前らのことだぞ」
二人を見つめる集団の中から、花川と福寺に向けて言い放つ。
「自主練に出ない奴らは、普段の練習の時もあんま真剣ににやってねーしさ・・・
真面目にやれよ!俺は勝ちたいんだよ!」
「おい塩谷。落ち着け」
場を納めるため二人の間に割って入った。取り巻きはまだ事態が飲み込めずに困惑している。
「いくらなんでも言い過ぎだ、誰だってエラーすることぐらいあるだろ」
「だとしても、1年の久々野が頑張って抑えたのに、俺たち3年生が足引っ張って負けたんだぞ!悔しくねぇのかよ!」
塩谷の気は収まりそうにない、今にも掴み掛かりそうな勢いだ。
「・・・何なんだよ、急に必死になってさ」
ここまで沈黙を守り続けていた末広がゆっくりと口を開く。
「そんなに『勝ちたい勝ちたい』って言うなら、何で二年までは必死にやらなかったんだよ」
正論を言われ、塩谷はたじろぐ。
「それとも何だ?『凄い一年生が入って来たから頑張れば甲子園にでも行けるかも』とでも思ってんの?バカじゃねーの。
俺らは三年間で1回も公式戦勝ててないんだぞ、行けるわけねーだろ!はっきり言って巻き込まれるのは迷惑なんだよ!」
希望とは程遠い現実を突きつけられる。
末広は塩谷の様子を伺うが、意気消沈して何も返せない。その場も静まり返り、ただ沈黙が続いた。
その雰囲気の中にいることに末広は気まずさを感じたのか
「・・・とにかく俺は帰る。もう巻き込むな」
最後にそう言い捨ててグラウンドから去った。
一旦の間を置いた後、帰宅組が後を追うようにグラウンドを後にした。
たった一試合でここまでバラバラになってしまう程、この野球部のチームワークは脆いものだったのか。
いや、違う。
元々、神高野球部は「野球を楽しむ」というスローガンの元で団結していた。エラーしても「ドンマイ」負けても「次は勝とう」と声を掛け合う。神高の野球とはそういうものであった。
だが、久々野の入部によって「勝利」が今までよりも手に届きそうなものとなった。あともう少し手をのばせば勝てる。その「あと少し」のために必死になり、部員の間には大きなギャップができていた。
キャプテンとして、そこに気づけなかったのは痛恨であった。
俺は俺なりにチームを引っ張ろうとして練習を重ねた。努力を重ねることでキャプテンらしさを演出できたつもりでいたが、実際にそれは自己満足でしかなく、チームの事には何一つ目を向けれていなかった。
部員の大半が去ったグラウンドに、この時期にしては少し冷たい風が吹き抜けた。