サン=サーラ...   作:ドラケン

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虚無の闇 無限の光

 『星天』の座が激震する。その振動は時間樹崩壊の兆しだけではなく、『星天』の座そのものすら揺るがし――――

 

「――――うらあぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 怒号と共に振り降ろされた巨大な叢雲の影、それにより砕かれた空間の絶叫でもある。

 

「あははっ、あんまり力を使いすぎると不味くなるわよ?」

 

 それを、軽くいなして嘲るナル・イャガ。防御すら使わず、ステップを踏むように。

 

「煩い、黙れ――――アンタだけは、アンタだけは赦さない! 絶対に殺してやる!」

 

 その嘲りに、ナルカナは本気の殺意を返す。今まで何度激昂しようとも、一度たりともそんな顔を見せた事など無かったというのに。

 それは、純粋な怒り。純粋な絶望。純粋な、余りにも純粋な――――

 

「あ――――くあっ!?」

 

 大技の隙を突かれ、懐に空間転移してきたナル・イャガの強烈な拳の一撃に吹き飛ばされる。石の壁に叩き付けられ、肺が潰れるような息を強制的に吐かされる。

 ずるずるとスリップダウンしようとする身体を無理矢理に建て直し、肩で息をしながら。

 

「返せ……返してよ……あたしの……あたしの大事な、大事な“家族”を――――」

 

 ただただ、純粋な思慕。その存在より初めて生じた……永遠神剣としての欲求、『担い手を求める』という感情。

 否、そのような表現で語るのは無粋の極みか。単純に、そう――――

 

「あたしの大事な(ひと)を――――返せぇぇぇぇっ!」

 

 ナルカナの左手から、莫大なオーラフォトンの劫火『リインカーネーション』が撃ち出された。それは物体はおろか、空間すら焼き尽くす程の熱量でナル・イャガを――――

 

「ふぅ……貴方とのお遊びにも、そろそろ飽きたわね」

「っあ……」

 

 捉えるどころか、その体に触れる前に()()()()()()()()()()()()()()()()()消え去った。

 そして悠然と、ナルカナの前に立ったナル・イャガは……彼女の眼前に右手を差し出す。

 

「お望み通り、貴女の『大事な人』と一緒にしてあげる。私の胎内(なか)で、虚無(えいえん)にね?」

 

 にこりと、“最後(マグダラ)聖母(マリア)”が笑う。血の涙を流しながら、それでも慈愛に満ち溢れた眼差しで――――

 

「――――よう、ナルカナ……今、どんな状況だ?」

「あ、き……」

 

 その境界に、ライフルのような長柄の片刃の大剣……騎壊銃剣(バスタースウォード)【輪廻】を盾のように構えながらバイクに跨がり、空間を焼き斬りながら現れたアキ。

 

「アキ……望が……ユーフィーが……沙月が、レーメが……あたし、護れなかった……」

「ハ――下らねェ。あいつらが簡単に死ぬような、誰かに護られるようなタマかよ」

 

 アキの背中に掛かった、ナルカナの涙声。だがアキはニベも無く突き放す。何故ならそれは、アキにとっては有り得ない事だから。

 その展開した黄金の竜巻障壁『アブソリュート』が、凄まじい勢いで削られていく。やはり、見えない獣に貪り喰われるかのように。

 

「――――ところで、俺の可愛いお姫様が此処に居る筈なんだが……知らねェか、ババア?」

 

 それすら歯牙にも掛けず、アキは辺りを見回す。口にした通り、彼の『可愛いお姫様(ユーフォリア)』を捜して。

 

「あぁ――――あの、『蒼い髪の可愛らしい娘(オードブル)』の事?」

 

 それに、ナル・イャガが微笑みながら反応する。まるで――――待ちに待った、メインディッシュが運ばれてきたかのように。

 

「ごめんなさいね――――他の付け合わせと一緒に、食べちゃった」

 

 何の感慨も無く、ただその事実を口にした――――刹那、今までアキを守っていた竜巻がナル・イャガに牙を剥く。

 大自然の暴力『ネイチャーフォース』は、ナル・イャガの宿す存在マナ自体に働き掛けてその存在を滅却し――――。

 

「――――あははっ、やっぱり、正解だった……【運命】でも【宿命】でも【聖威】でも【叢雲】でもなく、貴方が……【輪廻(あなたたち)】だけが、私の飢えを満たしてくれる唯一――――!」

 

 それすらも喰い尽くしたナル・イャガが、狂気その物と成り代わった瞳で口角を吊り上げる。最早、理性など微塵すらも無い。

 

【ふん――――この【聖威(われ)】も、よくよく舐められたものだ!】

 

 フォルロワの不愉快げな意思が響く。第一位神剣としての意地だろうか、ナル・イャガの言葉に酷く苛ついて。

 

「莫迦、相手にすんなよ。あんな化け物の妄言なんざ、な」

【……アキ】

 

 『ネイチャーフォース』を繰り出した姿勢から元に戻ったアキは、【輪廻】を正眼に構えて――――

 

【莫迦は貴様だろう。一々、あの化け物の妄言を相手にしおって】

「ハ――――何の事やら。俺ァ、ただよう……!」

 

 その鈍い金色の髪を逆立たせながら琥珀色の瞳孔を完全に見開き、龍牙を剥き出した彼は。

 

「この覇皇(オレ)より先にユーフィーを『喰った』とかホザくボケ茄子に、分際って奴を弁えさせてェってだけなンだよ――――!」

 

 豪気な、凄惨な笑顔を浮かべたまま、最後の戦いに望む――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

「――――ん、うぅ……? 此処は……?」

 

 何と無しに身の危険を感じ、酷く悪い寝起きの目を冷ましたユーフォリアは辺りを見回した。その無垢な眼差しに映るのは……肉質の壁が蠢く、少女には軽くトラウマになりそうな光景。

 そして――――

 

「――――ハァァァァァァァァアッ!!!」

 

 その肉の壁に、双子剣【黎明】を振り抜く『黎明のノゾム』の姿だった。

 

「くそっ――――くそっ、くそっ! 伝えないといけないのに……それなのに、俺はっ!」

 

 悲痛に叫びながら、望は繰り返し【黎明】を振るい続ける。『デュアルエッジ』、『オーバードライブ』、『エクスプロード』、『クロスディバイダー』、『オーラフォトンブレード』……しかし、ナル化マナを大量に含むその肉の壁は、些かも揺るがない。いや、寧ろその一撃一撃に宿るマナを吸収し、更に防御力を高めているかのようだ。

 

「ノゾム……」

「望くん……」

 

 それを眺めながら、レーメと沙月は痛ましそうに表情を曇らせていた。

 

「此処は……」

 

 そう聞こうとして、思い出す。自身がナル・イャガに『喰われた』事を。

 では、此処はナル・イャガの胎内である事には間違いない。まだ消化されていないが、彼女達はこのままであれば死を待つのみである。

 

 しかし、望の様子は余りにも平時と違い過ぎる。何となれば、望は普段、現状に対して醒めていると言っても良い。善くも悪くも『現代の若者』、という風に。

 

「くそっ、くそっ!」

「望さん……」

 

 その望が、気が触れたかのようにただただ、【黎明】を振るい続けつている。大事なものに、本当に『全力を尽くす』必要に気づいたように。

 その姿は――――他でもない。何時でも何処でも……『全身全霊で挑まねばならなかった』男を、彷彿とさせた。

 

 それに気付いた時、ユーフォリアは……永遠者(エターナル)“悠久のユーフォリア”は、大剣【悠久】を構えていた。

 間違いなく――――そうしているであろう、己の『伴侶』を信じて。

 

「手伝います、望さん。早く、脱出しないと」

「……ごめん。ありがとう、ユーフィー」

 

 光の刃を纏う【悠久】、それを一別しただけで、望は再び【黎明】を振るう。しかし、その攻撃に籠めたマナ自体が喰われて養分となってしまう。遅からず、彼らも同じ末路を辿る事となるだろう。

 さながら、空を斬るように。余りにも無意味な、その行動。しかし、それが大海を揺るがす一波となる事を信じて。

 

「……ノゾム、吾も手を貸そう。あの我が儘神剣に、一言くらい文句を言わねば気がすまぬからな」

「……そうね。私も行くわ、望くん。あの我が儘神剣に、一緒に文句を言ってあげましょう!」

 

 そこに、【黎明】の守護神獣『天使 レーメ』と『光輝のサツキ』が加わる。釈然とはしていないようだが、『ライトバースト』と『デマテリアライズ』が肉の壁に見舞われる。

 しかしと言うか、やはりと言うか。ナル・イャガの胎内は小波程の動きもない。

 

「頑張りましょう、皆さん!」

 

 それでも――誰も、諦めずに。その刹那――――

 

『そう、まだ諦めるのは早いぞ』

「「「「――――!」」」」

 

 聞き慣れた、その声が響いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 振り抜かれる大剣は黄金の軌跡を残し、波紋の刃は空を斬る。ナル・イャガの空間転移により、かつて時深より(ぬす)んだ碧遠寺流『一ヶ条・回剣』は躱された。

 

「――――ッ!」

 

 しかし、それで終わりはしない。続いて『二ヶ条・輪剣』、『三ヶ条・廻剣』、『四ヶ条・転剣』と、流れるように繰り出す。

 

「あら、おかしいわね……痛みの味が、しない」

 

 遂に『五ヶ条・捨剣』でその身を捉えて斬り裂くも、ナル・イャガはそう口にしたのみ。そう口にしたのみで、斬られた傷を『修復』しながら笑った。

 知る由はないが、それはナル化の末期。最早、痛みすらも虚無に還っているのである。

 

「ふふ、貴方もあの子も、随分と張り切るのね。やっぱり、愛した相手の弔い合戦となると違うわね」

 

 挑発を無視し、【輪廻】を振るう。存在の起因である『(くう)』を断絶する『ゼロディバイド』を繰り出す。しかし、それも彼女の身体を包む『精霊光の聖衣』に阻まれた。

 はしゃぐように、ナル・イャガが腕を振るう。それだけで、空間が軋み断裂する。食らえば間違いなく死ねる一撃だ。

 

「ハ――――その程度でよォ!」

 

 その一撃を身を沈み込ませて回避し、代わりに空いた手に凝縮した黄金の竜巻を放つ。

 竜巻は、ナル・イャガの目前で解けて立方体の檻となる。即ち――――

 

「――――空間を断絶する俺の剣撃、テメェに受けきれるか!」

 

 元より似た技が得意であり、更には本家を見た事で真実となった『空間断絶』。時空を遮断した檻ごと敵を両断する、本物の実力者でなければ不可能な剣撃。

 

「ええ――――勿論よ。いただきます」

「――――チッ」

 

 【輪廻】を振るおうとした刹那、凄まじいまでの悪寒に身を躱す。瞬間、アキの身体があった空間が『呑み込まれた』のが感覚的に理解できた。

 

――化け物が! 時空を遮断されてまで、規格外かよ!

 

 ナル・イャガが『絶対防御』のバリアを喰い破る。正に、虫食いのように穴だらけになって潰えていく立方体。

 跳び退り、大剣の柄を操作する。とはいっても、押し出すようにしただけだ。それだけで大剣はダマスカスブレードの刃を上下に開き、剣牙(きば)の並ぶ龍の顎門(アギト)と化して――――。

 

「だったら、これでどうだよ――!」

 

 放たれた砲閃は『神々の怒り』。降り注ぐ光の刃に、ナル・イャガは斬り刻まれ――――る事無く、平然と立っている。

 

【そんな、嘘……全力を尽くしたのに】

【くっ……『化け物』か。正に妥当な表現だな!】

 

 絶句する、アイオネアとフォルロワ。さもありなん、(てき)の強さに合わせて威力を変える『神々の怒り』が全く通じないなど尋常の沙汰ではない。

 防御力ではなく防御回数を主観に置いた護り『輪廻の(わだち)』を展開し、それを睨み付ける。

 

「ここまでナル化が進ンでたのか――――たく、厄介な話だぜ!」

 

 喰い破られていく防御を他所に、【輪廻】を銃から剣に戻し、石の足場に突き立てる。澄んだ音を立てる音叉のように、【輪廻】が震える。

 そこに展開されたオーラは『トラスケード』、黄金の追い風がアキの背を押す。まるで、戦意の後押しのように。

 

「あたしの名に連なる力――王の聖剣!」

 

 そこに、ナルカナの『エクスカリバー』が叩き込まれた。『トラスケード』により攻撃力を底上げされた一撃に続き、アキの『エターナルリカーランス』が最速でその命を狩り獲る。

 

「ふふ……頑張るのね。最愛の人を失っても尚、戦意は挫けず、意志は揺るがない。強いわ、貴方達」

 

 それをも、『精霊光の聖衣』と見えない牙で捩じ伏せたナル・イャガが、ふと笑顔を消す。それは、まるで――

 

「だけど、悲しむ必要も抗う必要もないのよ? だって、貴方達の大事な人は私と一つに成ってるのだから……私と一つに成れば、貴方達の大事な人と同じ存在に成れる。誰もが一つに繋がる。もう、他人なんていない――――誰もぶつかり合わない、誰も罪を犯す事の無い……究極の平穏がもう、目の前にあるのよ」

「いけしゃあしゃあと、この下衆女……あたしの力を掠め取っただけのくせして、救世主でも気取るつもり?!」

 

 腕を広げ、虚空を掻き抱く。慈愛と陶酔に満ちた笑顔で、ナル・イャガは……正に『聖母』の如く。

 『全てが一つに』――――即ち、『原初神剣に回帰すれば、誰も罪を犯す事は無い』。それが、“最後の聖母イャガ”がロウ・エターナルである理由。本人以外には理解できまいが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

「下らねェな。そンなモン、救いなンかじゃねェ……正真正銘の『無』だ。命は違うから響くんだよ、同じ命なンざありゃしねェ……!」

「ええ、そうよ。『無』であれば誰も何も失わない。だって、何も持っていないのだから。だから、私はナルを求めた……だけど」

 

 その思想に反吐を吐きながら、ナルカナと共にナル・イャガの隙を探る――その琥珀の瞳一杯に、ナル・イャガの顔が寄せられた。

 

「そこで――――貴男を見付けた。『無』もまた、存在の一形態だと気付かせてくれた貴男。『あらゆる存在を許す空間』、魂の源……汲めども尽きぬ、生命の泉(レーベンスボルン)――――永遠神剣【輪廻】の担い手、“天つ空風(カゼ)のアキ”」

「くうっ!? 嘘、でしょ……!」

 

 『痛み』に動きを封じられたナルカナに対して聖母の抱擁を受けたアキ、体温が奪い去られるようなその冷たさ。血涙を流す紅黒のナル・イャガの瞳は、陶然と揺らめいている。

 

「貴男の『空』と私の『無』が一つになれば、完璧な世界が生まれるわ。『存在』と『虚無』が同時に行われる、何もかもを内包しながら何も産み出さない――――究極の『輪廻』が!」

「――――!」

 

 まるで、腐った魚のようだ、と。刹那の内に生理的な嫌悪が沸き上がった。

 衝動に従い、【輪廻】を振るう。その刃は今までの【是空】――マナゴーレムの殻ではなく、【聖威】という第一位神剣のもの。そもそもが違い過ぎて、比較する事すら烏滸がましい。

 

 果たして、波紋の刃はナル・イャガの素っ首を捉えた。後は掻っ捌き、命脈を断てば全てが終わる。

 

「そんなに――――私を受け入れたくないの?」

「ああ――――断じてな」

 

 それが――後、たったその一工程が実現できない。無数の顎に喰らい付かれたように、ピクリとも【輪廻】が動かせなくなる。

 悲しげに眉を顰めたナル・イャガ。その口が――――大きく開かれる。ナルカナはまだ、『痛み』のダメージから立ち直っていない。

 

「そう……悲しいわ。でも、安心して。そんな貴男も赦してあげるから。私の胎内(なか)で、終わる事の無い夢を見なさいな――――」

 

 そして、最後通牒のように。強く、強く、喰い縛られた――――!

 

「――――っ?!」

 

 その一瞬――――走馬灯のように、“家族”の顔が脳裏を(よぎ)った。望、沙月、希美、カティマ、ソルラスカ、タリア、ルプトナ、ヤツィータ、ナーヤ、スバル、絶、エヴォリア、ベルバルザード、ミゥ、ルゥ、ゼゥ、ポゥ、ワゥ、クリフォード……ユーフォリア。

 

――そうだ……こンなとこで死ねるかよ。こンな、訳の分からない奴に――――故郷を、家族を奪われて堪るか!

 

 繋がっているのだ。その魂は、【輪廻】の輪で。エト・カ・リファの『自壊の神名』を緩和する為に皆に飲ませた、あのエーテルで。

 

「――――うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」

 

 怒号と共に、黄金の追い風をその身に宿す。ダークフォトンだけの時とは雲泥の差となる『限界突破』による爆発的な強化で、見えない顎の拘束を引き千切る。

 

「くっ……驚いたわ、まだそんな元気があったなんて――――っ?!」

 

 跳び下がったナル・イャガが左腕を向ける。空間を喰らう為に。

 (しな)やかに、しかし強壮に。差し出された聖母の腕が――――膨張し、破裂した。

 

「お兄ちゃん――――!」

「――――ユーフィー!」

 

 そこから飛び出してきた――――最愛の少女。美しさと可憐さを併せ持つ、成長した姿のユーフォリアを。

 

「――――有り得ない……私の胎内から、出てくるなんて!」

 

 ナル・イャガは即座に左腕を修復し、今度こそ暴食が始まる。虚空を擂り潰し、貪る一撃が――――

 

「やれやれ、無粋な真似をしてくれますね。これだからいかず後家は」

「全くだな……折角の感動の再開を邪魔しようなどと。僻みか、行き遅れ?」

 

 それを、イルカナの『ディスペランスシールド』とフォルロワの『オーラフォトンバリア』。

 

「兄さまとゆーちゃんの邪魔を……しないで下さい、オバサマ!」

「くっ……貴女達こそ、邪魔なのよ小娘ども!」

 

 アイオネアの『ホロゥアタラクシア』が、ナル・イャガの暴食を辛うじて押し留める。

 その僅かな時間を惜しむように、アキとユーフォリアは抱き締め合っていた。

 

――勢いよく胸に飛び込んできた、この世界で一番大事な温もりを思い切り抱き締める。

 土埃と煤煙、脂汗と滲血に塗れた……俺の聖女を。

 

「お待たせ……だな。悪い、正義の味方じゃなくて悪党なモンだから……少し遅れちまった」

「ううん……遅れてない。寧ろ最大の威力を、最高の速度で……最善のタイミングだったよ」

 

――もしも失ってしまったのなら、俺の生きる意味を半分無くしてしまう……その少女。

 

「……信じてたんだから……きっと、直ぐに飛んで来ててくれるって。やっぱりお兄ちゃんは、あたしの最高の……『大侠雄(スーパーヒール)』だね」

「『大侠雄(スーパーヒール)』か……ハハ、良いな、ソレ。今度から使わせてもらおうかな」

 

――柔らかくて、軽い。甘やかで純真無垢な、幸福(ユーフォリア)そのものの名を持つ少女を。

 

「……何があっても駆け付けるさ。例え神剣宇宙の端と端、別の次元に分かたれたとしても……絶対に、零秒でな」

 

 込み上げる、喉元まで出かかった嗚咽を無理矢理に飲み下して。

 

「……お兄ちゃん、何か……あったの?」

 

 それに、気付かれてしまう。首に両腕をしっかりと巻き付けるように抱き着いて。自分だって幾つも怪我をしていて辛いだろうに、こちらを心配そうに見上げて来る黒目がちな眼差しに嘘は吐けない。

 

「いや……何も」

「そんなはず無いもん……だって、今まで空さんが『絶対に』なんて安い言葉で約束した事……一度も、無かったもん」

 

 今まで、そんなに見ていてくれたのか。面映ゆい感情と共に――……己の中に流れるどす黒い血、彼女の純潔な……清廉な真紅の血とは似ても似つかない、己の忌まわしく穢れた血を思い出す。

 

 だから――"真実"を。

 

「本当だって、何も――なんにも『無かった』よ」

 

 『生まれた意味も、何もかも有りはしなかった』と……『ずっと捜し求めていた(モノ)は、始めから影も形も無かった』と。

 括れた腰に腕を回して、更々と綺麗に流れる蒼い髪ごと頭を抱き寄せて……紛れもない"真実"を口にした。

 

「有るもん、絶対に有るんだもん……ねぇ、お兄ちゃん。何も無かったんだったら、どうして――どうしてそんなに優しく笑ってるの……?」

「……ユーフィー」

 

 言われて、仕挫ったと気付く。以前にも彼女に指摘された事だ、『お兄ちゃんが笑う時は、何か辛い事が有った時』だと。

 今の自分の感情すら、解らない。振り切った筈の、痛みや悲しみをまだ、抱えているというのか。

 

「……有り難う、けどな……」

 

――まだ……侠客(オトコ)としても悪党(アウトロー)としても……俺は、三流(ぬるい)にも程が有る。

 大事な彼女(ツレ)に心配をかけるなんて……な。

 

「この悲しみも、憎しみも……全て俺の血肉になるモノだ。少しでも強く、一歩でも先に……進む為の糧なんだ」

 

 少女の髪を梳くように撫でながら、改めて己の不甲斐無さを呪う。涙を湛えたその眼差しに……何故にこうも、甲斐性が無いのかと。

 アニメとか小説の主人公ならば、愛する女を泣かせたりはしない。悪役ならば、尚更だ。尚更――……死出の旅でも、笑顔で見送らせるモノだろう。

 

「……大切な存在(モノ)を失わない為に味わう苦難なんざ――――血反吐を吐いてものたうちまわっても、笑って乗り越えて見せるさ。第一まだ、ヤりたい事もいっぱい有るしな」

「そんなの……ふにゃぅっ?!」

「こらこら、折角の感動の再会に余計な言葉は要らないだろ」

 

 だから、出来うる限り。最高の『空元気』で、彼女を安心させるべく『大侠雄(スーパーヒール)』の仮面(つよがり)を被る。

 悪辣な、全てを睥睨する笑顔で。一滴の涙を零しながら、まだ何か言おうとした彼女の頬を伝う涙に口付けた。

 

「……愛してる。可愛い可愛い、俺のユーフィー……」

「ふぁ……お兄ちゃん……うん、あたしも大好き……」

 

 潤んだ瞳で見上げてくる少女と、愛を囁き合う。敵前で、あまつさえ"家族"が危機に曝されている状態なのだ。

 本来なら場を弁えろと一蹴されるだろうが、今の彼等にとっては……舞踏会のようなもの。

 

「ところで、一体どうやって出てこれたんだ?」

「うん……皆が、力を貸してくれたの。アイちゃんのエーテルで繋がってるから、マナリンクとセレスティアリーで繋がって」

 

 そういう事か、と理解する。流石は――

 

「流石は団長だな……自分の出番を解ってらっしゃる」

 

 クルクルと廻る事を止めて、互いに唇を寄せ合う。恥じらって頬を染める少女に優しく微笑み掛けて――――睨み付ける沙月の視線に気付き、まだ物足りないが漸くいちゃつくのを止めて、ユーフォリアを下ろす。

 

「なんで、どうして……どうして貴方達は、私を否定するの! 理解できない……分からない!」

 

 喚き散らすナル・イャガだが、最早誰もその言葉に耳を貸していない。ユーフォリアと同時に飛び出した望はナルカナの元に向かっているし、沙月とレーメはそんな望に付いていっている。アイオネア達三人は、初めから彼女と言葉を交わす余裕がない。

 そんな中、アキはポケットからタキオスから譲られた煙草入れを取り出した。

 

「お兄ちゃん、それって……」

「景気付けだ。まだまだチャレンジ段階だけどな」

 

 そのブリキの小箱から取り出した紙煙草を加えて、ジッポライターで火を燈す。思いっ切り息を吸い込めば、煙草の灯火が少しだけ勢いよく迫って来た。

 

「ケホ……糞下味。やっぱり人生みたいな味がしやがる」

 

 同時に……咥内と喉、肺腑を満たす紫煙。まだ慣れない強さの香気に軽く咳き込みつつ、吐き出す。

 苦笑いする望と、ジト目の沙月とレーメと、瞳を伏せたままのナルカナの方へと後退した。

 

「……行こう、お兄ちゃん」

 

 しかし、ユーフォリアはその場に留まったままで紅葉みたいな掌を差し出す。『遥かなる時の流れ』を象徴する一振り、光の刃を生み出す柄だけの剣……第三位永遠神剣【悠久】を構えていた。

 ひしひしと伝わって来る、不退転の決意。こうなればもう梃子でも動きそうにない。

 

「この強情っ張りめ……まあ、そこも好きなトコの一つなんだけどな」

 

 中程まで吸った煙草を地面に捨て、その掌に右手を重ねながら踏み躙る。

 そうして、フリーになった左手で――彼の契約した永遠神剣の象徴たるレバーアクション式ライフルの柄を持つ"永遠神銃(ヴァジュラ)"。『生まれ変わり、死に変わること』を象徴する永遠神剣【輪廻】を招聘した。

 

「――お兄ちゃん……」

【――兄さま……】

【アキ――】

「ああ、行くぞユーフィー、アイ、ロワ」

 

 目の前に蠢く悪意の塊。落ち着きを取り戻して、怨嗟の眼差しを向けるナル・イャガ。それを前に、恐れなど微塵も無い。左手と右手、この命。その全てに感じる、大事な温もりが有る限り。

 

――俺達なら……何が相手だろうと、絶対に負けない!

 

「……永遠神剣・刃位【輪廻】が担い手、"天つ空風のアキ"――――」

 

 その"壱志(イジ)"に掛けて、覇皇はスピンローディングを行う。軽快な金属音を立てて、騎壊剣銃は排莢と装填、コッキングを果たして。

 

「――――撃ち貫くッ!」

 

 高らかに、誇らしげに。世界全てに響けとばかりに、その名乗りを上げた――――!


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