サン=サーラ...   作:ドラケン

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黒の剣姫 青の暴君 Ⅲ

「何者だ、止まれ!」

 

 朝の清澄な空気を震わせ、怒声が木霊する。その男の登場に、門を守っていた三人の男達は揃って身構えた。

 各々が持つ槍や剣を突き付けての恫喝。しかし、その男は一切意に介さずに--

 

「--邪魔だ」

 

 低く、地を揺るがす遠雷の如き声で門番達を圧倒した。

 

「な、何を……!」

 

 その手には黒く鋭い、大剣--

 

 

………………

…………

……

 

 

 深い森、マイナスイオンが充ち溢れた爽やかな空気の中を六人は歩いて……いや、歩いているのは一人だけだ。他の五人は飛翔する浮遊物体の中。あっち行きこっち行き落ち着きの無いワゥを御するのに苦労しながら、彼等は村まで後半分の所までたどり着いた。

 そこは木が倒れた為か、樹冠に穴が穿たれて蒼穹が覗いている。

 

【この辺りで一休みしましょうか、タツミ様?】

「そうですね……地図も書き込みたいんで、有り難いです」

 

 その倒木に腰を下ろして、空は手帳を開く。それに大まかな道程と目印を記入していく。

 

【へぇ、なかなか上手だね~】

【本当に……デフォルメがお上手なんですね】

「どうも……」

 

 後ろから覗き込むワゥとポゥの言葉に面映ゆさを感じる。元々、他人に褒められる事に慣れない彼には、たったそれだけでも赤面しそうな程の効果が有る。

 

【この前、サツキの絵を見たんだけどさ、もうすごいの何のって。笑っちゃったよ~!】

 

 思い出し笑いに興じる彼女達の台詞を聞きつつシャープペンシルを走らせる。

 

【こら、ワゥ。そんな事言っちゃ駄目でしょう?】

【だって面白かったんだも~ん。ミゥ姉もそうだったでしょ?】

【そ、そんな事は……ぷっ】

【ふふふ……まぁ、あれは確かに有る種の才能だな】

【ルゥ姉さんまで……】

「…………」

 

 『女三人寄れば姦しい』とよく言うが、四人も居ればそれに尚、輪を掛けて喧しい。

 

【…………】

 

 そんな中、一同から少し離れた位置にその姿が有る。黒い機影は、クリスト・ゼゥだ。

 彼女だけは会話に加わらずに、ただ周囲に警戒している。

 

「……辺りに敵なんて居ねェよ。居るのは動物くらいだ」

【--っ!】

 

 地図への書き込みを続けつつ、目線を上げる事も無く空が呟く。その時、ウサギに似た小さな角がある生物が草叢から踊り出て彼女を驚かせた。

 途端に、彼女は実に不快そうに彼を見遣る。索敵や感知の能力の高さは聞いていたが、自分が感知できなかったそれをこの男が平然と感知していた事に。

 

 そこで手帳を閉じて立ち上がる、大まかな記入が終わったのだ。

 

「さて、終わりました。お待たせして済みません」

【いえ、それでは行きましょう】

 

 振り向いた背中に、鋭い視線を感じながら。空はポケットに手帳を仕舞い込んだ。

 

………………

…………

……

 

 

 後少しで村、そこで漸く六人は気付く。その、焦げ臭い空気に。

 

【……タツミ様】

「…………」

 

 呼び掛けられる前に【幽冥】を番えて撃鉄の辺りを眉間に添える。こうする事で、更に索敵範囲が上がるからだ。

 

「神剣の反応が有ります。かなりの数、しかも村の方から……」

 

 それに彼女らは息を呑む。だがすぐに気を取り直して--

 

【……ここで取れる選択肢は二つ。引き返すか、進むか……】

【迷う必要が有るか、ミゥ?】

 

 怜悧なルゥの答えに、他の三人も頷く。空気が変わった事を、肌で感じられた。先程までとは違う、別人の様に漲る決意を。

 

【タツミ様、我々は村へと救助に向かいます。タツミ様は、学園に戻ってください】

「--な、何言ってるんですか! 相手は間違いなくミニオンだ、しかも数はこっちの六倍強の! 学園を襲った数の倍以上なんですから、ここは逃げるしかないじゃないですか!」

 

 翻意を求める空の言葉に、ミゥは優しく微笑む。

 

【だからといって、見捨てる事は出来ません。私達はもう、二度と……後悔する選択はしないと誓いました】

【そーいう事。アッキーは危ないから付いて来なくていーよ】

【むしろ邪魔だから来ないで】

【まあ、要するにゼゥはイカルガ達を連れて来てくれと言っているんだ】

【お願いしますね、タツミさん】

「ちょっ……!」

 

 それ以上の言葉を待たず彼女達は宙を翔ける。何の迷いも見せず、紛れも無い死地へと。

 

「……何だよ、それ……!」

 

 彼女らに一体、何があったのか。それを彼は知らない。彼女らが歩んできた道程など、何一つ。

 

『--だったらどうしたんだよ? 死にたい奴らは死なせておけ。『オレ達』には生きて成し遂げる願いが有る、そうだろう?』

 

--ああ、そうだ。その通りだよ、『オレ』!!

 

 そう、死ねない。その為に人の身に甘んじてまで転生を繰り返し、漸くチャンスを得たのだ。

 

--だから、『俺』の願いを成就するまでは……絶対に死ねない。

 

『……ですが、諦めないで下さい。例え独りきりの独り善がりでも、貴方が信じる道をただ一筋貫き通して下さい。吹き抜ける一陣の風の様に。あの大空を駆け抜ける、天つ空風《カゼ》の如く。ただ、真っ直ぐに……』

 

--だが解る。ここで言われたとおりに反転すれば、俺は……ただの腰抜けだ!

 それだけは出来ない。誰よりも、この俺自身がそう願っているんだから!

 

『何を寝ぼけてやがる、テメェの今の力で何が--』

 

 スゥッと、空は息を吸い込んだ。肺一杯に空気を吸い込み--

 

「--煩ッせェんだよこの腰抜けチキン野郎がァァッ! 俺は俺だ、テメェの指図なんざ受けやしねェェェッ!」

 

 その"壱志"を張る。神名の昴りに、手や足は震え心臓は逆流せんばかりの速さで脈打っている。

 それを力ずくで押さえ付けて。

 

『……ああ、そうかい。じゃあ、勝手に死にやがれ……! どうせお前が死んでも、『オレ』には次が有るんだからな!』

 

 身を縛っていた強制力が消える。間を置かずに、彼は腰を漁る。腰の鞄の中の、小さな水筒を。

 

「……さぁてと。巽空、一世一代の大博打だ--」

 

 ホルスターから取り出していた【幽冥】のチャンバーに、水筒に入れていた氷の欠片を装填して顔を青ざめさせつつ笑った--

 

 

………………

…………

……

 

 

 村は、燃えていた。門番だった男達は揃って唐竹割りに両断され、零れた己らの鮮血と臓腑の海に沈んでいる。

 

「ギャアアアアッ!」

 

 金斬り音と共に悲鳴が木霊する。悲鳴の坩堝のその中でも、一際大きな悲鳴だった。

 打ち上げられた剣が墜落して、それを掴んだままだった二本の腕が力無く落ちる。

 

「ま、待ってくれ、助けて……」

 

 尻餅を付いて、目の前の青と赤の少女達に命乞いする男。その身は鎧に包まれているが、両腕は鎧ごと断ち切られている。青い少女が持つ、冷気を纏う両刃の西洋剣。そこにはベトリと血が凍り付いていた。

 この青年の腕を断ち切っただけでこうはならない。既に無数の命を薙ぎ払っている。

 

「--ギ、ふ……!?」

 

 トス、と実に軽い音を立てて、青年の胸に赤の持つ双刃剣が突き立てられた。鋼の鎧など紙と同じ。これが、『神』の一字を戴く剣の力だ。

 

「--燃えろ……」

 

 その神剣が焔そのもののように赤熱、『ファイアエンチャント』にて青年の身体が炎上させる。

 

「どうせ、全て……灰に還る」

 

 炎が消えれば、そこにはもう何も無い。虚ろな瞳の赤い少女は誰にとも無く呟いた。

 その刹那、ミニオンが散開する。そこに踊り出た、五つの機影。

 

【皆、作戦通りに往くわよ!】

【【【【--応っ!】】】】

 

 先頭のミゥの指示に姉妹は頷く。相手は三体、対するクリスト達は五。数としては優勢だ。

 

 空間を渡り、眼前に現れたゼゥに反応して刀を構えた黒。だが、ゼゥはすぐにもう一度消える。

 『居合の太刀』は狙いを外し、黒の体勢が崩れた。

 

【フォトントーピードっ!】

 

 その黒に向けて、一条の閃光が放たれた。ミゥの撃ち出した閃光『フォトントーピード』に肩口を撃ち抜かれた黒が刀を手放す。

 

【遅いっ!】

 

 その背後にゼゥは現れた。鋭利な剃刀の如き翼を広げての格闘技『ランブリングフェザー』を放ちながら、懐を翔け抜ける。

 三本の刀創を負った黒は、紫の霧に変わり消滅した。

 

【--炎よ、敵を撃てっ!】

 

 ワゥの詠唱に呼応した魔法陣と、三つの火炎の榴弾が現出する。それに狙われた緑が身構える間も無く--

 

「--凍てつく風よ、凪げ」

 

 ワゥの神剣魔法を、青ミニオンの青魔法『アイスバニッシャー』が打ち消す--

 

【悪いな、読み通りだ--起動、アイシクルアローα!】

「ぐっ……!」

 

 よりも早くルゥの対抗魔法への対抗魔法が、青を貫く。三本の氷の矢に術式ごと身を貫かれて、青が動きを止めた。

 

【ファイアボルトっ!!】

 

 三発の炎弾が翔け、緑ミニオンの身を焼き砕く。

 

【とどめです!】

 

 その満身創痍の二体を、横殴りの暴風が薙ぎ払う。ポゥの放った、『ブラストビート』が。

 

 

………………

…………

……

 

 

 森の中を駆けながら周囲に意識を配る。敵の気配は--

 

「--剣よ、此処に」

「--ッ!?!」

 

 間髪入れず、彼は寄り掛かっていた木を蹴り撥ね跳ぶ。

 刹那に両断された木が、軋む音を立てて倒れた。その向こうに赤と青の二体のミニオン。

 

--莫迦な、何で俺の存在がバレてるんだ!?

 

 【幽冥】を番えて解った、隠蔽が剥がされている。

 

『--ククッ、ハハハハッ!』

「テメェ……そうそう思い通りに行くと思うなよッ!」

 

--畜生、我が前世ながらなんて野郎だ! 思い通りにならないと判った途端に、足を引っ張り始めやがった!

 

「……紅蓮よ、その力を示せ」

 

 神剣魔法が発動し、赤の頭上に業火の球が現出する。

 

「--ファイアボール」

「甘い--読み通りだッ!」

 

 撃ち出された火の球に、照準を合わせて【幽冥】の引鉄を引く。

 

「熱いだろうがよッ!」

 

 火傷しかねない程の熱風を浴びながら、左手に番える【幽冥】の引鉄を引いた。

 銃口の下の蜥蜴の瞳の宝玉が、装填された『アイシクルアロー』を素にした魔法陣を発する。

 

 それは瞬く間に青く染まり--氷の棘を吐き出した。

 

「マナ認識。凍てつく風よ、凪げ--アイスバニッシャー」

 

 だが、それは--凍てついた。彼の左腕ごと。

 

「--なっ」

 

 沙月が危惧した通り、【幽冥】には決定的な隙が有る。一度装填するという動作にも時間が掛かりすぎ、また、撃ち出す際にも一定時間を要する。

 神剣と同化している【幽冥】は無傷だが、遣い手たる空はそうもいかない。凍てついたのはほんの一瞬だけだったが、それでも強化の無い身体の空には十分だ。十分、痛撃になる。

 

「--が、アアアアッ!!?!」

 

 苦痛に腕を抱え込めば、曲げた肘がギシリと鳴る。皮膚が裂け、凍り付いた血が血管を破き傷跡を拡げる。

 

「敵性、殲滅……」

 

 彼が呻く間に、青が跳躍した。血に塗れた剣が、凍気を纏い蒼く煌めく。

 

「これで、とどめ……」

 

 朱い血の氷晶を撒き散らしつつ西洋剣が振り下ろされて--その一撃を、受け止めた六角柱が砕け散る。剣を弾き返され、同時に斬撃を受けた青ミニオンが跳び下がる。

 

【大丈夫ですか、タツミさん!】

【ちょっとアンタ、何をのこのこ出て来てんのよっ!】

「ポゥ、ゼゥ……」

 

 凍って張り付いていた掌や指が動かせるようになって、【幽冥】から漸く手を離す。

 

【闘う力も無しに戦場に出て来てどうすんのよっ! 死ぬ気!?】

 

 まくし立てるゼゥ、その剣幕に彼は--

 

「……ああ、どうせ俺は弱いさ! でも、弱いからって逃げ続けて……それで俺は何処まで逃げりゃ良いんだよ!」

 

 凍傷を負った左手に、裂いた袖を巻き付けながら噛み付いた。

 

「俺は、闘える! 確かにお前らと較べれば微々たるチカラだろうけど……それでも、太刀向かえる可能性が有る!」

【何バカ言ってんのよ! たった今、そのチカラが通用しなかったばっかじゃないのよっ! 絶対に敵わないわよ!】

「--煩せェ、この世に……」

 

 その左手で彼女を押し退けて、彼は二人の前に歩み出た。

 

【な、アンタ……!】

【何をしてるんですかっ!】

 

 構える。【幽冥】をホルスターに戻して見慣れた構え--我流の拳術の構えを。

 

「この世に、『絶対』なんざ在るもんかァァァッ!!」

 

 何時しかミニオンは青と赤だけでは無く、緑と黒も現れている。その前に、神と対峙するにしては余りに無防備な身を曝す。

 

「--羽虫が、喚くな……」

 

 その一団から赤が飛び出した。双刃剣を炎で紅く染め上げて、目の前の『羽虫』の命を刈り取る為に。

 

【タツミさん!】

【タツミ、下がりなさいよっ!】

 

--叫び声は聞こえている。だが、下がらない。そうだ、下がれる訳が無い。一体、何を甘えていたのだろう。闘う力に永遠神剣? そんなモノが何だって言うんだ。

 

 握り締めた拳から、不必要な力を抜いて開手へと変える。今まで試した事はないが、数え切れないくらいに受けた技だ。

 

--それが何だ! そんなモン、結局は『闘う』チカラじゃなくて、『闘える』チカラだろうが!

 

 タンッ、と目の前に降り立った赤いミニオン。その、まるで燃え盛る炎のような長く赤い髪が陽炎の如く揺らめく。

 

--そうだ。安全な場所から何が出来る。この世に絶対なんて無い、勝利をもぎ取りたければ見合うだけの何かを賭けろ。【幽冥】も言っていただろう、無償の奇跡は無い。解っていた筈だ。

 だから、命を賭けろ。俺自身の命を賭けろ! 俺には、足りていなかったんだ。覚悟と決意が! 俺には始めから、その一発限りの『命《たま》』しか無いだろう!

 

「消えろ--」

 

 振りかぶられた右腕が左側から襲い掛かってくる。炎熱を纏った、ミニオンの永遠神剣が。それに『振らさせられている』神の手先の剣が。

 

 

------!!!!

 

 

 鮮血が舞う。空の左頬に、鮮血が染みる。

 

「--ぐ、うぐ……が……!」

 

 肘を基点に背負い投げされ、己の永遠神剣を心臓に刔り込まれたミニオンの吐いた血が。

 

「--ハァ、ハァっ……ハァ」

 

 乱れた、荒い息を吐く。心臓が破裂しそうに脈打っている。

 紙一重にまで近付いていた死が、離れていく足音のようだ。

 

「--クッ!?」

 

 襟首を掴まれて引き寄せられる。すぐ間近に、虚ろな赤い瞳。

 

「どうせ、全て……灰に還る」

 

 それは確かにそう語っていた。『何を意固地になっているのか』と。『そこまで努力しても、最期には全て無意味だ』と。

 

「解ってる……」

 

--解ってる。そんな事は当の昔に気付いている。それでも。

 

「それでも俺は、前に進むだけだ……!」

 

 赤く濁る瞳を睨み返して告げる。その決意に満ちた彼の躯を赤い燐光が撫でていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

『殺りやがった……!』

 

 濁った血液のように赤い渦巻、そんな地獄めいた力の奔流の中に溶ける意識が呟いた。

 虚空という容器の中で、ただ渦を巻いていただけのそれが。

 

『只の人間が……ミニオンを!』

「くふふ、何驚いとりますねん」

 

 それが呆然と呟けば、その背後から赤黒い気配と共にゆっくりと和装の女が歩み出る。

 余裕に満ちたその様子は、同じモノを見ていると言うのに正反対だった。

 

「旦那はんはやりゃあ出来る御人なんどすぅ~」

 

 流れ込んで来る相当量の純粋な赤のマナ。それに、彼女は身震いした。歓喜が沸き上がって来る。漸く腹を決めたのだ、あの粋がるだけの糞餓鬼が。

 

 漸く--『男』の顔をした。

 

「くふふ……これはこれは、旦那はんも頑張っとるようどすなぁ。わっちも頑張らんとぉ」

 

 やっとスタートラインに立った。此処からだ。此処から始まる。すっと、唇に寄せた指先。その、唇が三日月のように歪む。

 そこに『弾丸』が現れた。赤く禍々しい紋様の刻まれたスモークガラスじみた黒い弾。内部に無数の針の生えた赤い弾が封入された、今しがた空が殺害したばかりの赤ミニオンの命そのものが。その『魔弾』に呼応して、彼女の周囲が黒と赤に染まりゆく。

 

「愛想尽かされへんよぉにぃ……くふふ」

 

 まるで煉獄の焔のように赤い瞳が見開かれた瞬間、彼女を中心に毒々しい紋様の赤黒色の精霊光が展開され--

 

「マナよ、災竜の息吹となり敵を討て--」

 

 その詠唱と共に、魔弾が神威を発揮する--

 

 

………………

…………

……

 

 

 衝き付けられた銃に青ミニオンは身構えた。先程のように、そこから撃ち出されるであろう魔法を打ち消そうと--

 

「凍てつく--」

「略式詠唱《ダブルアクション》--」

 

 青の詠唱の最中、引かれた引鉄が撃鉄を跳ね上げて打ち下ろした。刹那、青の横に居た緑の上半身が文字通り吹き飛んだ。

 

「----ヘリオトロープ」

 

 よろよろと下半身のみが後退り、ドサリと倒れて消える。

 

「かぜ、よ……」

 

 やけに熱い風は、その少し後に。一体何が起きたのか、彼女には少しも理解出来なかった。

 その合間に装填し終えた銃口が、再度ミニオンに向けられる。

 

 今度の狙いは黒ミニオン、既にそれは残り三歩の距離にまで接近して『居合の太刀』を繰り出そうとしていた。

 察して、三度目の青魔法の詠唱が響き始める--

 

「根源力を--」

 

 その引鉄が引かれて撃鉄が落ち、空中で迎撃されて吹き飛んだ黒が青の脇を掠めて墜落した。対抗魔法が紡がれ終わるよりも早く、旱魃を呼ぶという災竜の息吹……マナを起爆剤とした綺麗な核融合、さながら太陽の如き熱量が黒を撃ったのだ。

 

「……、………、…………!」

 

 半身を失った黒の肌は焼け爛れ、更に熱で喉が潰れたのか。暫く声も無く悶え苦しんだ後でやっと動かなくなり、紫色のマナの霧に還って逝った。

 

「--……ク、アアアアッ!」

 

 苦虫を噛み潰した青のミニオンが飛び出す。西洋剣が蒼く煌めき、先程の『ヘヴンズスウォード』を、装填中の空に叩き込む--!

 

「--な」

 

その突撃に空は、【幽冥】を上方に投げた。正しく、予想の範囲外の行動だ。

 『あの武器は危険なモノだ』と、戦い慣れていたからこそ、それを目で追ってしまい。

 

「かはッ……!?」

 

 衝き出された正拳に胸を打たれ、西洋剣を手放し--重力に従い落ちてきた【幽冥】が、空の手に収まるのを見た。

 そして、眉間に突き付けられたそれを瞼に焼き付けて。青の意識は煉獄の底に呑まれたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 何が起きたのかは、解らない。それは彼を後ろからそれを眺めていた少女達も同じ。

 

【何、今の……?】

【解らない……見えなかった】

 

 消滅していく青から離れると、【幽冥】に弾丸を装填している空。装填をしながら、彼はすかさず振り向いた。

 鋭い三白眼の眼差しに、二人は少したじろぐ。だがそれが自分達に向けられたモノではなく、後ろから来た三人に向けられていると気付いた。

 

【皆、大丈夫?】

【助けに来たよ~~っ!】

 

 見慣れた存在であるミゥとワゥ、そしてルゥの三人に。

 

【何を考えているんです、タツミ様っ! あれほど戻って下さいと申し上げたじゃありませんか!!】

【全く……君はもう少し利口だと思っていたんだがな】

「……すいません、自分でも莫迦やろうとしてるってのは分かってたんですけどね」

 

 申し訳の無さそうな空の態度を受けて、年長組はこれみよがしな溜息を落とす。

 

【全く……私達が知り合う男の人って、どうしてこう無鉄砲な人が多いのかしら】

【……そうだな、評価を改めよう。少なくとも私は、こういう馬鹿は嫌いじゃない】

 

 落として、笑いかけた。今まで彼に見せていた愛想笑いでは無く、屈託の無い本当の笑顔で。

 それに釣られ、彼は苦笑した。

 

「……あれ? それってつまり、俺嫌われてました?」

【おや? あれで好かれているとでも思っていたのかな?】

 

 そう苦笑し、軽口を叩いて--

 

「ハハ……まさか--ッ!」

「--ほう、中々にやるではないか、乱波ども」

 

 それは、すぐ凍り付いた。背後から響いた、遠雷の如き男の声に--

 

 

………………

…………

……

 

 

 ジャリ、と地を踏み締める音。その圧倒的な存在感が、背中越しにでも感じられる。

 

--今自分が息を吸っているのか、吐いているのか。この心臓が、きちんと拍動しているのか。それすらも解らない。

 

「随分と多くの鉾を壊してくれたものだ。特に男、貴様の神剣には随分と珍しい力が有るようだな」

 

 なんという冷たい空気。反して、首筋にちりちりと焼けるような感覚。その根源の一つ、周囲の森に数十単位のミニオンの気配。

 だが、背後のその存在に全身の筋が固まってしまっている。指先の一つも動かせない。

 

--背を向けている俺でこれだ。今まも向き合っている彼女達は、一体どれ程の威圧に曝されている事だろうか。

 

 前方の彼女達五人はただ一点を見詰めている。恐らくは声の主。その目には、ただただ絶望のみが見えている。

 

「--さて、答えよ乱波。貴様らは何処の手の者だ?」

 

--死んだ。振り向かなくても、解る。この声は、知っている。俺ではなく、かつての『オレ』が。

 

「『--"ヤハラギ=ヤクシ"」』

 

--死んだ! 神世の古に『南天の剣神』として名を馳せた神。俺が振り向く一瞬の間に、奴は俺を五回は殺せる。

 

「……フム、何語だ? 聞いた事が無い言葉だ。だが--」

 

--だがそれでも!! 死ねない、こんな所で死ねない。まだ、何の目的も達していない!!

 

 決意を身に宿す。先程と同じく、『可能性』を掴み取る為に。

 

--そう、絶対は無い。どんなに不可能の理屈を積み上げようが、付け込む隙は存在するのだから。積み重ねれば積み重ねる程、綻びが生まれる可能性が生まれる。

 

「……だが、不思議なモノだな。何と懐かしい響きよ!」

「---ッ!?」

 

 殺気は無かった。彼にとっては、石ころを蹴飛ばすように自然な行為なのだろうから。

 ただ……風を斬る、その音だけが聞こえた--!!

 

 

………………

…………

……

 

 

 校庭を走る影。双振りの剣を腰に提げた少年のモノだ。

 

「レーメ、何か感じるか?」

「どうやらかなり接近されているらしいな。しかし、迎え撃つには好都合っ!」

 

 閉じられた校門を飛び越える。望はそこから一瞬で森の中に着地した。ものべーが次元転送をしたのだろう。

 

「…………!」

 

 目前まで迫る四体のミニオンの気配をありありと感じる。だが、彼に怖れはない。なぜなら--

 

「空達が作ってくれたチャンスだ。何としても学園を守り抜くぞ、レーメ!」

 

 その揺るがぬ決意が有る。自ら危険を買って出た友人の気概に、どうしてこの正義感の塊のような少年が遅れを取ろうか。

 本当は今すぐ助けに行きたい。だが、それをやってはこの学園が守れない。空とクリストの皆が、身を危険に曝してまでミニオンを引き付けたのは何故か?

 

 そう、それは……命を守る為だ。そして、自分達に体勢を整える時間を与える為だ。

 

(だから、無事に帰ってきてくれ……皆!)

 

 歯を食い縛り、望は前方を睨みつける。

 

「おう、それでこそ吾が主だぞ、ノゾム!」

 

 それを誇り、相好を崩すレーメ。自分の主が自分の意志でこの場に立った事、それが彼女にはこの上なく嬉しい。

 その誇るべき主が双子剣を抜き放つ。片方が『昼』、もう片方が『夜』を示すという対の双振り。第五位永遠神剣【黎明】を。

 

「来い……俺達が相手だッ!」

 

 その闘志を察知して、望に狙いを定めたミニオン達が森の中より飛び出した--

 

 

………………

…………

……

 

 

 地を転がった青いモノ。それは紛れも無く、物部学園指定の制服を纏った空だった。

 

「グ、あ……カハッ!」

 

 俯せに、吐血する。その背には大きな裂傷。骨こそ無事なのだが、右の脇腹から左の肩口まで走るその傷。それは、ただの風圧にて入った傷痕。

 出血量は少ない。それもその筈だろう、傷口は肉が硬化する程に焼けている。だからこそ、痛みは文字通り骨身に染みた。

 

「躱したか。流石に、舐め過ぎたようだな」

 

 言葉と裏腹に満足そうな男にも、痙攣を繰り返す空には反応する事ができない。背の傷の苦痛は、今まで彼が感じたどの痛みも凌駕している。

 今にも意識が途切れそうな痛みに何とか自我を保っていられるのも、師との鍛練で身に付いた苦痛への耐性によるモノ。

 

 その空の襟首に剛腕が掛かる。指先までガントレットに包まれた、牙の如き指。

 

「~~~~?!」

 

 掴み揚げられて、苦痛の呻きを漏らす事すら出来なくなる。霞みつつある目を開くと、その眼前には浅黒い肌の偉丈夫。

 右目に大きな傷痕を持つ、猛虎の如き偉容の男が在った。

 

「フム、どれ程の男かと思えば。まだ小僧ではないか。いや、その若さにてこれだけの陽動を熟した技量と胆力こそ、称賛すべきか」

 

 しげしげと空の顔を眺め、ふと彼は眉をひそめた。だが、それも一瞬だけだ。

 

「まあ良い、答えよ小僧。貴様らを雇ったのは反乱分子か、或いはパズライダ共和国か?」

「ア……か……」

 

 片腕で空を掴み揚げたまま問う。だが、空に答えられはしない。言葉ではなく、政治的な話をされても異邦人の空にはさっぱりと。

 

「どうした、吐けと言うておる。事と次第では、生かしてやっても良いぞ。貴様ら程の手練、そうはおらぬからな」

 

 何よりも襟に掛かった手に気道を圧迫されているし、第一その意識は既に飛びかけている。だから何も言えない。

 

「フ……成る程、余程調教されておる様だな」

 

 それを吐かぬ意志と勘違いしたのだろう、虎の男は諦めたように笑い--その黒い大剣の反り返る程に深く湾曲した切っ先を、空の水月に当てた。

 

「案ずるな。すぐに仲間も送ってやる。此処に居る者どもも、あの神獣の背に乗る者どももな」

「---ッ!!!」

 

 その一言を受けて彼の『撃鉄』が落ちた。脳裏に浮かぶのは--

 

「--さらばだ、名も知らぬ小僧。中々に面白い余興であったぞ」

 

 当てられていた大剣に、グッと力が篭められた。その切っ先が胸に刔り込まれる--その瞬間。

 

「-----?」

 

 空の左腕が上がった。上がったとは言っても、それは対峙した男の目の位置までだ。

 だったのだが、それに彼は意識を奪われた。その手に握られた、黒い何かに。

 

【マナよ、災竜の息吹となり敵を討て--】

「--走れェェェッ!!」

 

 響いた空の声に、彼女らは漸く我に返る。我に返ると互いに視線を交わしあい--散開して藪の中に飛び込む。

 その刹那、引鉄が引かれた。

 

「--ヘリオトロープ!」

「-----ヌゥ!?!」

 

 割込魔法など振り切って、射線に在る対象を核融合の超高熱量で焼き滅ぼす【幽冥】の『魔弾』。

 それが至近距離から、彼の眉間に叩き込まれた。

 

 煙に包まれた男の上半身。威力にのけ反る男の胸を反動で推力を得た空が蹴りつけて、緩んだ握力を振り切った。

 

「----小僧ォォォォッ!!!!」

 

 その瞬間、空間が息も出来ない程に濃密な闘気で塗り潰された。咆哮と共に、孤を描いて湾曲した大剣が煙を薙ぎ払う。

 現れ出る男は無傷、真っ直ぐに突き出された刃の一撃は--

 

「--グァッ!?!」

 

 空中では躱せもしないその一撃に、彼はその剣圧を受け流さず。

 

「--ヌゥッ!!?」

 

 敢えてそれを躱す事をせず、胸を割らせた。その切っ先で横一文字に、切れ味だけに割かれて。

 そんな、今まで誰もしなかった事を目の前で行われた事で呆気に取られた男は、ほんの僅かに剣先を乢ませた。

 

 それにより切断を免れたその身は、弦から放たれた矢の如く森へ突っ込んで行く--

 

--しまった。

 

 虎の威圧を持つ彼は、舌打った。怒りに任せて振った剣戟により体勢を崩して、追撃に移るまでの間隙を作ってしまった。

 

「--おのれ……」

 

 そこで彼は剣を納めた。周囲の気配を探るが感じられるのはただ手下達の持つ神剣の気配のみ。

 自身の左手を見遣る。そこには掴んでいた少年の服の一部と……妙な小袋が引っ掛かっていた。

 

「ふ、ふふ……ははは……!!」

 

 そして、笑った。本当に久々に、心よりの笑いを上げる。そこに遠巻きに見守っていた手下どもが近付いて来る。緑が歩み出て癒しの神言を呟いて--纏めて五体、黒い大剣によって一撃の下に消滅させられた。

 

「役立たずな人形共めが……!」

 

 決められた行動しか起こさないその人形共は、『使役者』を守る事を最優先とされている。それ故に、敵を見逃した。

 対して、あの神剣士達の弾性に富む行動たるや。最早、この近辺には一人として居まい。あの者達はしっかりと己の役目を果たした。斥候、そして足止めを。

 

 その鍵と袋を握り締めて、彼は俯く。唇に鉄の味が拡がる。眉間の僅かな傷より流れ出た血が。

 

「--誇れ小僧! この私を……『夜燭のダラバ』を嵌め、手傷を負わせてのけた事を! 返す返す口惜しいモノよ、小僧ォォッ!」

 

 猛然と上がった虎の咆哮に木々がざわめく。周囲の手下はただ、彼--ダラバ=ウーザと彼の持つた永遠神剣第六位【夜燭】の放つ闘気に圧倒されるばかりだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「もし、聞こえますか? 酷い傷です、一体何があったのです?」

「……ウ、ア……」

 

 掛けられるその涼やかな声にも口が開かない。だが言わなければならない。今伝えなければ、間に合わない。

 遮二無二握り締めた金属に、拳が痛い。それが果たして、落としそうになった大事なものかどうかも判らないが。

 

「何ですか? もう一度……」

「水です。これで、その者の唇を湿らせなさい」

 

 低く精悍な声。その声の後、唇に湿った布が押し当てられる感覚。それを啜り、焼け付いていた喉が癒える。

 

「……どうやら、落ち着いたようですね」

「ミニオン……に、襲わ、れ……北西……ダラ、バ……」

「--ダラバ、だと……!」

 

 安心した声の後、空はゆっくりと口を開いた。途切れ途切れの、その言葉。しかし最後の単語に、何者かは息を呑む。

 

「貴方! それは確かにダラバと名乗ったのですか!!」

 

 揺さぶられ、背中と胸の苦痛に目を開く。その目に入ったのは、ブロンドの美しい髪。晴れ渡った蒼窮の様に深い蒼の瞳。

 あの男と同じだ。見覚えのあるその美しい顔容は。

 

「"アルニーネ=アケロ"……?」

「……え?」

 

 呟いた瞬間、彼の意識は暗い闇の底へ。何か呼び掛け続けている少女の顔も、段々と昏み懸かっていった。


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