サン=サーラ...   作:ドラケン

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宿命の邂逅 無我の覇王

――予感があった。きっと、その出逢いが……運命すらも変えていく予兆なのだ、と。

 

 

………………

…………

……

 

 

 西の方角に傾いだ日の照り付けるアスファルトに長い影が伸びる。信号が赤に変われば車の流れが止まり、人の列が動き出す。

 その流れ終わるを待つ中に一台、二人乗りした漆黒のバイク。前に乗るフルフェイスの男は筋肉質な体躯を包むライダースーツ、後ろで彼の腰に腕を回すヘルメットの少女は――白衣に緋袴の巫女装束を纏う銀髪。

 

「さて、先ず綺羅の用事からだな……っと」

「はい、有難うございます」

 

 呟くと同時に歩行者用信号が明滅、赤に移り変わる。それを受けて、ニュートラルになっていたギアをローに入れた。

 ゆっくりと発進して段々と加速、ギアを上げて更に加速する。元来スピード狂の彼だが、流石に公道で無免許――正確には『原付免許しかない』のに、目立つのは遠慮する事にした。

 

「……で、どこ行く? 無難に公園……じゃあつまらねぇし、ゲーセン……は綺羅のイメージじゃないし」

「……はい、有難うございます」

「お、あんな所に大人の遊園地が……あそこで遊んでくか、綺羅?」

「……はい、有難うございます」

「駄目だこりゃ……」

 

 ぎゅーっと腰に抱き着いたまま、同じ言葉を繰り返すのみの彼女。それに盛大に溜息を漏らすが――やはり、反応は無かった。

 

――事の発端は俺。俺が街で買い物をしたいが為に、環さんの処を訪ねたのが全ての始まりだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

『……そうですか、それは丁度良いですね。では綺羅を散歩に連れていってあげてくれませんか』

 

 言われて先ず始めに浮かんだ情景が、首輪を嵌めてリードに繋いで四つん這いで散歩させる情景。

 それに激しく興ふ……もとい、自己嫌悪した。

 

『最近どうもあの娘は気を張っているようなので……気晴らしさせてあげてくださいな』

 

 一も二も無く合意する。少し前のバイクの件で粗相が有る今は、環の気分を害するのは危険だし……そもそも綺羅は恩人だ。

 月光に煌めく、白金(プラチナ)の体毛に紅玉(ルビー)の眼差し。ミニオンの化けた黒獣から、無力だったあの時に護ってくれた彼女を元気付ける程度……労苦の内にも入らない。

 

『有難うございます、巽さん。あの娘も喜びます……やはり貴方は名前の通り、清々しい御仁ですね』

 

 褒められて赤面してしまい、それを悟られるのが嫌で、勧められた焙じ茶を一気に啜った。環がそんな事を言った理由は単純、『巽為風(そんいふう)』……六十四卦の一つに掛けての事。

 

――要するに俺の名前は意訳すると『風の生まれる空』なんて言う、超小っ恥ずかしい意味になったりする。それが我が起源なのだから、おいそれと文句は言えないが。

 

『うふふ……何だか、照れた男性というのも可愛らしいものですね。特に貴方みたいな武人肌の男性がそんな初心(うぶ)な反応をすると、不思議と切なくなって抱き締めたくなってしまいます』

 

 しっとりと艶やかな笑顔に、正座をしたままで生唾を飲み込んだ。さながらまな板の上の鯉の如く、鯉コクにでもされる気分だ。

 このままだと何だか、暗転した後に『哲学的な体験だった』とか言わないといけなくなってしまう気がした。

 

『では、こちらを……心ばかりですがお礼です』

 

 環が捧げ持つ脚付きの盆に載せられていた、緋色の破片。それが何かに気付いて流石に息を飲み、手を伸ばせば――掌は破片には届く事なく、空を切った。

 

『驚きましたか? これは、以前の『空隙のスールード』の侵攻の際に我々を苦しめたもの……『渾天宮(こんてんぐう)』です』

 

――話によれば、あの時、『大地を呪う』永遠神剣第四位【空隙】の事を知る出雲の巫女達は先ず地に衝き立った大剣を破壊しようとしたらしい。

 しかし、進めど距離は縮まらず、あろう事か到達せずに反対側に出てしまう始末。結局、俺が鈴鳴を倒すまで手出しが出来なかったらしい。

 

『その効果を持ったままの破片が見付かりました。マナを流し込めば、渾天宮の効果が発現するんです。どうやら『魔法』ではなく『技術』に属する概念のようなので、貴方に相応しいかと』

 

 『実のところ、出雲の技術者では解析できなかっただけなのですけれど』、と。年上の女性らしからぬ可愛らしい仕草。

 それを、代価として頂く。少しだけ、前述した『代価』も欲しかった気がするが。

 

『――あっ……』

 

――と、そんな邪念を抱いていた為か。渾天宮を突き抜けてしまう。そのせいで……何と言う不始末か、環さんの胸を思いっきり揉んでしまった。

 そして最速で土下座。最近、こんなのばかりである。

 

『もう……巽さん、そんなに『こっちの代価』の方が良かったんですか?』

 

 朱が差した口許を袖で隠し、そんな、艶やかな笑顔を向けられてしまった。ユーフォリアやアイオネアにはまだ無い、大人の魅力を。

 

『実は、この渾天宮を実用化したいのですが……先に申した通り、我々ではお手上げなんです。巽さん……お手伝い頂けませんか? 勿論……『タダで』等とは言いませんから……』

 

 撓垂れ掛かるように、耳元で囁かれた魔羅の囀ずり。健常な男子なら、抗えよう筈もなかった――……

 

 

………………

…………

……

 

 

「……哲学的な体験だった」

「何がですか?」

「いや別に、ちょっと倉橋の巫女が改めて怖くなっただけで……って、綺羅か……漸く答えてくれたな」

 

 ウィンカーを出してカーブを左に曲がりつつ、やっと答えてくれた綺羅を誤魔化して答えを返せば。

 

「……はい、有難うございます」

「元の木阿弥っ!?」

 

そんなこんなで風は不本意ながら、律儀に法律を守りながら街の中を走り抜けた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 道を歩く人の波を両断して、男はただ紫煙を燻らせながら立っていた。

 他者を圧倒する威容に数人連れの今時の若者達ですら自ら道を変え、路上指導員らしき男性も近くに見られたが声を掛けるのを諦めて去っていく。

 

「…………」

 

 その研ぎ澄まされた刀剣のように鋭い三白眼、強靭で精悍な印象の雄獅子の(たてがみ)を思わせる金髪の偉丈夫。ダブルのスーツに黒の革靴を履き、立襟のシャツの胸元を開いて刃金の如く鍛え上げられた胸筋を曝し……ポーラータイを寛げたまま使っている。

 誰かを待っているのか、腕を組み仁王立ちする男。吸い殻を路上に投げ捨てると、踏みにじって火を消した。

 

「来たか……さて、今回の小僧も前回の"聖賢者"のように愉しめる相手ならば良いのだがな」

 

 その男が独特なイントネーションで、さながら剣を研ぐように低い……地底から響くかの如きバリトンの声と共に現職の極道者でさえも震え上がる笑顔で、反対側の路上に停車したバイクを運転していた青年と犬耳の巫女を見遣った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 バイクを停めた後、紙切れを貼り付ける。環から貰った式紙の符、その効果『不可視』と『不可侵』の術式を起動させたのだ。

 これで余程優れた霊感の持ち主か、永遠神剣の担い手でも無い限り此処に物が有る事に気付かないし、当然触れる事も出来ない。

 

「倉橋の戦巫女が使う符術を、そんな目的に使わないで下さい」

「綺羅だって『誤認識』の術式で自分の姿を普通の女の子に誤魔化してるだろ?」

「私は、倉橋の巫女の端くれですからっ」

 

 白衣の袖と緋袴の裾をはためかせながら、ヘルメットを外せば――ぴょこんっと現れた犬耳。

 

「ま、取り敢えず行こうぜ」

 

 と、進み出す建物は……デパート。ビル一ツ丸ごと店舗で、今時珍しく屋上にはアトラクションもあるタイプの奴だ。

 

「……此処は、デートで来るような場所なのですか?」

「いやぁ、実は最高のナポリタンを作って、ユーフィーを。指輪を買ってアイ喜ばせようと画策してるんで……って何、デート?」

「こほん、早く行きましょう」

 

 テクテクと歩いていく犬耳巫女。その後ろ姿を眺めながら――刹那感じた、肌が粟立つ程に濃密な殺意に振り返る。

 

「――……」

 

 そこに在ったのは、見ず知らずの人の波だけ。誰も他の存在に気を留めていない、無秩序な人いきれだけだ。

 頭を掻き毟り……息をしなければ、死んでしまう事をやっと思い出す。よく考えれば永遠者の彼は呼吸しなくても死なないが……それも忘れる程、正体を失っていた。

 

「何だかな……少し気を張り過ぎてんのかな、俺も」

 

 それに、より深い溜息をついて……先に自動ドアを潜って行った綺羅を追い掛けて歩きだした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 道順は地下から。地下の食品街を回って食材を買い、透徹城の中に仕舞った後で、服や家電コーナーを見て回る。

 エアコンにカルチャーショックを受けている綺羅に笑い掛けたり、アーケードゲームのコーナーではシューティングゲームで獲得する事ができる最高のポイントを叩き出して子供からヒーロー扱いされたりしながら上階に順繰り進んで行き、残すは屋上のみ。

 

 因みに、現在は宝飾品のフロア。綺羅には悪いが先に屋上に行って貰って……アイオネアの為に指輪を選ぶ事にした。

 

「しかし、やっぱり高いな……最低でも五万クラスか」

 

 うぅむ、と唸る。尚、今は根源力で作り出したスーツ姿だ。やはりそれなりの高級店、ラフな恰好でこういう店に入る訳にはいかないだろう。

 アイオネアのサイズは把握済み、なんならスリーサイズだって判る。財布に入っている金額……以前環から貰ったバイト代の残りと相談して、買える内で一番高い品物……彼女のイメージによく似合う瑠璃(ラピス=ラズリ)の小さな宝珠をあしらった指輪を指差して。

 

「これを下さい――」

「これを貰おう――」

 

 隣から同じものを指差す範馬勇次……もとい、金髪のガテン系スーツ姿ヤクザ(多分)と視線を合わせてしまった。

 

「……すいません兄さん。実はコレ、婚約指輪みたいなものなんで……遠慮して貰えると有り難いんですけど」

「それは奇遇だな、小僧。俺としてもコレは大事な方への献上品だ、遠慮して貰えると有り難いのだがな」

 

 その時の女性店員の困惑たるや、察して余り有るというものだろう。どちらもほぼこういった店に縁が無い、ヤクザの若頭とその舎弟くらいにしか見えない二人組。

 

「随分小さいサイズを選ぶんですね……ロリの姐さんでもいるんですか?」

「俺の上司は小柄なのでな……そういうお前こそ、恋人は小児の学童か何かか?」

 

 天から降るかの如く、地から昇るかの如く睨み合う三白眼と三白眼。妙に似通った部分のある容姿をした彼等は、ともすれば――親子のようにも見えた。

 

「あの、結局どちらがお買い求めになられますか……?」

 

 今にも警備員を呼びそうなくらいに困った顔で女性店員が恐る恐る呼び掛ける。それに男達は互いに顔を見合わせて。

 

「互いに譲る気は無しか……では、ケリを付ける方法は一ツだけだな、小僧?」

「上等……吠え面かかして差し上げますよ、オッサン?」

 

 二人の放つ剣呑な気配に、周囲が凍り付く。彼等二人は揃って、スラックスのポケットに利き手を突っ込み――

 

「「――――勝ォォォ負ッ!!」」

 

 カウンターに、バシーーン!と。博徒が丁半博打を張る時のように、財布を叩き付けたのだった

 

 

………………

…………

……

 

 

 屋上に向かう道すがら、リボンで包装されている小箱……指輪の入る天鵞絨(ベルベット)材の小箱を、懐に仕舞う。

 

「いや、参った参った……まさか、二十万も入っているとは。随分と羽振りが良いな、小僧」

「薄氷の勝利でしたけどね……まぁ、特許料って奴ですよ」

「ほぅ、特許ときたか……」

 

 エレベーターを待つ間、隣に立つ巨漢と言葉を交わす。尚、押し釦は上下の両方が押されている。

 アキが上へと昇って、男性が下に降りるという訳だ。

 

「しかし惜しい……昼飯はともかく、朝飯を止めておけばな……いや、負けた負けた。よい勝負だったぞ、小僧。やはり勝負は、力と力の鬩ぎ合いでなければな。小細工を弄する戦など興が冷める」

「後悔先に立たず、ってね……おいオッサン、此処は禁煙だぜ? 煙草はちゃんと喫煙所でしろよ」

「ん、おお……それだ、オッサンは止めろ。流石に傷付くぞ」

「だったらアンタも小僧は止めてくれよ。俺は空、巽空だ」

 

 からりと負けを認めた豪放磊落なその男。屈託なく笑いながら腕を組んで煙草を吸おうとする男性を窘める。

 男性はそれを受けて、少し呆気に取られた顔をした後で……ニヒルに笑って煙草を懐に戻した。

 

 その瞬間、到着を告げるチャイムと共にエレベーターの扉が開く。表示されている矢印は上向きだ、詰まりはアキが乗るべき。

 

「……そうだな、いずれ俺達はまた勝負する事になろう。お遊びとはいえど、勝者には敬意を払わねばなるまい」

 

 男性は、どうせ歳を取るならこうなりたいと思う程に燻し銀な笑顔と共に。

 閉じ行く扉の隙間から、一瞬――空間を軋ませるように、圧倒的な黒いオーラを滲ませて。

 

「タキオス。俺の名は――――"黒き刃のタキオス"だ」

 

 アキの背中に向けて、静かにそう囁きかけた。ただし後半は……残念ながら、アキには届かなかったが。

 

「タキオス、ねぇ……やっぱり外人だったか」

 

 それを受けて、不思議な親近感を抱きながら……綺羅の待っている、屋上の喧騒に歩み出たのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 日盛りの屋上はそれなりに広く、思いの外多様な遊具が有って結構混雑していた。

 何処かに居るだろう綺羅を探して歩く。元々な小柄な体付きの綺羅だ、それに休日の為に多い子供が邪魔をする。

 

 という訳で、探すのを巫女服から銀髪の犬耳に変更。流石に此処は日本、黒髪ばかりで居たとしても茶髪が限界だ。

 あっさりと見つかる銀色の犬耳、やっぱり人は認識を返れば随分と見えるものが違って来るものだ。綺羅は屋上の触れ合いコーナーで、仔犬を抱き上げていた。

 

――その他に珍しいところでは、カップルらしい男女が一組。双方が物部学園指定の制服に袖を通した、紫の髪に赤いメッシュを入れた野生児と茶色がかった黒髪を三つ編みにした優等生風の少女が同じ白馬に乗った姿で、この俺と目を合わせて慄然とした表情でメリーゴーランドに揺られているくらいだな。

良い歳して、恥ずかしくないのかねぇ……恋は盲目ってか。

 

「よっ、待たせたな」

「あ……巽様……」

 

 廻るメリーゴーランドは留まる事無く、二人が裏に回って見えなくなった。そして何も無かったかのように綺羅の居るところまで歩き、爽やかに彼女に声を掛けた――瞬間に膝をガクガク震わせて脂汗と冷汗を噴き出して、まるで天敵とでも出会った小動物のようにアキは震え始めた。

 

「綺羅――奴らが戻ってくる前に言っておくッ! 俺は、奴らの激甘空間をほんのちょっぴりだけ体験した! い……いや……体験したと言うより全く理解を越えていたんだが……あ、ありのままに今起こった事を話すぜ! 俺は綺羅を探して屋上に出たと思ったら……いつの間にかソルとタリアのデートを見てた! 何を言ってんのか判らねーと思うが、俺も何を見たか判らなかった。頭がどうにかなりそうだった……アレは『サイレントフィールド』だとか『ファイナルベロシティ』とか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねぇ……何かもっと恐ろしいモノの片鱗を味わったぜ!」

「は、はぁ……?」

 

 次の瞬間、大気が動きを止めて大声で叫んだ筈の声は自分の耳にすら届かず――黒い風に攫われるようにアキの姿が掻き消えた。

 一人取り残された綺羅、その胸元に抱かれた仔犬が母親に抱かれているように安心した表情で小さな尻尾を振っている。

 

 そして気が付けば人目の無い壁際に押し付けられており、顔の両端に薙刀型と爪型の永遠神剣を突き付けられていた。

 

「――忘れなさい。アンタは何も見てない、良いわね?」

「――忘れろ。オメェは何も見てねぇ、良いな?」

 

 第六位神剣【疾風】と【荒神】を首筋に当てて威を示したまま凄むタリアとソルから、鬼気迫る顔で睨まれて。

 

「えぇー、でもこんな前代未聞に面白っ……おめでたい話題、俺一人だけの胸中に仕舞っておくなんて勿体ないすよイーッヒッヒッ!」

 

 全く悪びれる事無く、腹に一物も二物も抱えていそうな悪辣な笑顔で笑った。

 

「しかしソル、何も言って来ないからフラれたんだと思ってたのに……なんだ、オーケーだったのか。それならそうと早く言えよ、俺とルナでずっと優しい眼差しを送り続けてたんだぜ?」

「余計なお世話だバカヤロー! なんか最近おかずくれたりしたのはその所為か!」

「あぁもう、最悪……よりによってこの悪魔に見付かるなんて」

 

 がっくりと肩を落としたソルとタリアに苦笑する。苦笑して――

 

――そうだ。こんな、平和な世界を守る為に……もう、誰も泣かなくていい世界の為に。俺は――刃となる。幾ら血に塗れても、憎しみを産み出そうとも……それが、最後となるように。

 

 朝から『出掛ける』と、別々に外に出ていったというこの二人。念の入った事だ、どうしても隠して起きたかったんだろう。

 

「だいたいソル、アンタが此処をデートに選ぶのがいけないのよ、ほんっとにガサツなんだから!」

「な、なに! この世界の事なんてほとんど知らねーんだから、仕方ねぇだろっ!」

 

 鼻面を付き合わせて喧嘩している二人を尻目に席を蹴る。夫婦喧嘩は犬も食わない、という奴だ。

 

「お幸せにー」

 

 まぁ要するに……衆目を嫌という程に集めているので、係わり合いになりたくないというだけの事。

 

「お待たせ、綺羅。おお……可愛い仔犬だな」

「はい……本当に可愛らしい……」

 

 立ち尽くしていた綺羅のところに戻って、そう語り掛ければ慈愛に満ちた……本当に母親のような表情で、円らな瞳の豆柴の仔犬の頭を撫でる彼女。

 仔犬も仔犬で実に気持ちよさ気に、彼女に撫でられながら欠伸していた。

 

 財布の中には前の再建バイト代に加えて、昼の一件の後に環に己のアーティファクトを売った代金……通常コンストラクタで作れるモノは当前、独自のアーティファクトである、あらゆる異能による効果を『解呪』する神酒の『神酒』を無限に満たす、彼の手製の神宝……聖なる徳利や神剣魔法を凝集した『神銃弾』代等の残りがある。

 

――出雲という組織にはそれらは実に興味深いものらしく、結構な額で買い取ってくれた。環からは『素晴らしい我学の結晶ですね』なんて讃えられてしまった。誰が"探眈究求(ダンタリオン)"だ。

 正直、大分買い叩かれたんだけど…このまま行くとマジで、出雲に客員として迎えられかねないな。

 

 因みに、指輪を購入したが残りはまだ七万円程は有る。なので思い切って。

 

「何なら……俺が仔犬をプレゼントしてやろうか、綺羅?」

「えっ……え、えええっ?!」

 

 言った時、綺羅がこっちが驚く程の声で驚いた。釣り目がちな紅い瞳が驚愕に、頬が羞恥に染まる様をつぶさに観察してしまった。

 

「ここっ、困ります巽様……私は、時深様の従者であって、主の許可無しにそんな……い、いえ……嫌な訳ではなくて、むしろ嬉しいのですが……って、わ、私は何をっ!」

「ちょ、とにかく落ち着け綺羅っ、回りに迷惑だ」

「「う、うぅ〜……!」」

 

 慌てた綺羅と驚いた仔犬の唸り声が重なる。余っ程驚いたらしく、彼女らしくない程盛大にキョドっていた。

 果して何かおかしな事でも言っただろうか、と。首を捻って……彼女の頭、揺れる犬耳を思い出す。

 

「……あ」

 

 つまり先程の言葉は彼女にとって『何なら…俺が子供をプレゼントしてやろうか、綺羅?』となる訳で、もっと判り易く意訳すると……『ヤらないか?』となるのだ。

 

――……って、ただのセクハラ発言じゃねぇかァァッ! 恥ずかしっ、意識しないで下ネタ使っちゃった、超恥ずかしっ!!

 

「いや、あれだ、今のは別にそういう意味ではなくてだな!」

 

 今度慌てたのはこちらの方、両手を彷徨わせてしどろもどろと言い訳しようとして――

 

「「……っぷ……あははは……」」

 

 きょとんと不思議そうに二人を見遣る仔犬を余所に、アキと綺羅は一頻り笑い合ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 神剣宇宙の或る世界、青い燐光に充たされた世界の中で。

 

「……フム……こうか…? いや、こうか……」

 

 仁王立ちで、ルービックキューブを解こうと四苦八苦している――巨躯の竜人。背後には竜人よりも更に巨大で長大な戦槍が衝き立てられている。

 

「お前も暇だな、"知識の呑竜"? 少しは仕事をして欲しいのだが」

「良いところなのだ、少し黙っておれ"堕落"の……」

 

 その竜人に燻し銀な溜息混じりで語り掛けた、清潔な印象を受けるスーツをビシリと着熟した初老の紳士。左手には煙草を、右手には――長柄の大鎌を携えている。

 

「仕様の無い奴だ……折角、お前の好きそうな話を持って来てやったというのに」

「ほう、何だ? 言ってみよ」

 

 全くもって興味なさそうな空返事。それに老紳士は、紫煙を燻らせながら。

 

「……ニンゲンのままで神剣を用い、神を倒した存在が居るそうだ。そしてそやつは神剣に選ばれて、エターナルと化したらしい」

「…………」

 

 あっさりと告げられたソレに、竜人の手が止まる。その鋭い眼差しを、始めて紳士に向けた。

 

「面白かろう、誰かさんの出自に似た存在が居ると思わんか?」

「……フ」

 

 大きく裂けた顎で笑って……竜人はルービックキューブを再度、廻し始める。

 

「昔話をしよう。昔という言葉も新しい程に刧初の神剣宇宙……未だ天地が一ツだった頃、その狭間には何も無かった」

「何だ、いきなり……」

 

 キューブはカキカキと音を響かせ、少しずつ色を合わせていく。

 

「黙って聞け。天と地は常に触れ合い、争っていた。その最中……或る二振りの神剣が"門"を拓いたという」

「"門"? あの"門"か?」

「そう、"門"だ。この世の外に繋がると言う門をな。"門"の向こうには、"何でもない全て"が在ったという」

 

 焦れたらしく、紳士は取り出した携帯灰皿に煙草を押し付けた。

 

「一体それがどうした、良く有る与汰話ではないのか?」

「言ってくれるではないか、我が神剣の知りうる最も旧いの記憶だぞ」

 

 ふ、と鼻を鳴らして紳士は新たな煙草を取り出して、マッチで火を点す。

 

「真実かどうかすら定かではないが……二本は、その彼方から――……『位の無い永遠神剣』とやらを呼び込んだという」

「それがその男が手に入れたモノだと? 確かに、報告では『空位』なる正体不明の階位との話だが」

「さぁてな……昔の話だ。始まりが有れば必ず終わるとはよく言ったものだが、終わりから始まるとは限らんのだから……世界とは不条理なものよ」

 

 一方的に話を断ち切ったその瞬間、竜人はキューブを握り潰した。殆ど砂に変わり、床に降り注ぐ。

 

「それで、それはトキミに任せていた事案の筈。何故お前が知っている?」

「おや、そうだったのか? 以前に"全ての運命を知る少年"が嬉々と話していたのでな」

「あの男は……」

 

 ふう、と。竜人は溜息を吐いた。その時、新たに足音が響く。

 

「うぃーっす、いやいやどーも! 遅れましたー!!」

「ましたー……」

 

 底抜けにあっけらかんとした声と間延びした声が響く。

 

 片方は、学生服のような服に身を包んで……左手に、てるてる坊主を吊したぴこぴこハンマーを持った女性。

 もう片方の間延びしていた方は、日本の古い伝承に出て来るような和装の、額に小さな鬼の角を持つショートカットの少女。

 

「遅かったな、"縁思"、"破滅の導き"」

「周期なんて感覚で生きてると、どーもルーズになってさー……って、リーダーは?」

「あやつは居ない方が話が進む。さて、では会議を始めるとするか……"聖賢者"、"永遠"」

 

 振り返った竜人は、三人に向けて……その後方にぶすっと立っている、白い大剣を携えたつんつん頭、学生服に陣羽織を羽織った少年。

 その少年の隣に立つ、紫がかった青い長髪に腰にマントを纏った、壮麗な装調がなされた長柄の大剣を携える少女を視界に納めて。

 

「我等の望まぬもの……永劫回帰を齎す者、秩序の体言たる永遠者……"天つ空風のアキ"の対処についてが、今回の議題だ――……」

 

 深い知識を透かした瞳で、そう語り掛けた……

 

 

………………

…………

……

 

 

 奥の院へと帰り着いたのは、太陽が西の連山の稜線に隠れた逢魔刻。バイクを透徹城に収蔵して綺羅の方に振り返れば……深々と、頭を下げた彼女の姿。

 当然、そこに仔犬は居ない。彼女が、『生命を金品に替える事など出来ません、全ては縁に因るものです』と断ったのだ。

 

「今日は、有難うございました……お気を煩わせてしまい申し訳ありません」

「俺が好きで連れ回したんだし……感謝されるのは筋違いだっての」

「はい……相変わらず巽様は天邪鬼に正直者です」

 

 再度、長く伸びた影。綺羅は少しはにかむように、名残を振り払うようにすっきりした顔で笑う。

 笑顔には、何かを決意したような色があった。

 

「……だから、私は……」

「うん……?」

 

 そしてしっかりこちらを見据え、アキの目を見て何か口を開こうとした……その時、彼の背後の鳥居の影を見て表情を強張らせた。

 それを追って視線を巡らせれば。

 

「あら、やっと戻ってきましたか。待ってましたよ、空さん」

 

 鳥居の影から歩み出た、ジト目の時深の姿を認めた。

 

「何か用ですか、時深さん?」

「ええ、少しね……だけど、もしやお邪魔だったかしら? 次の狙いは綺羅ですか、この色情狂」

「いえ、色々な意味で別にそんな事は」

 

 夕陽よりも紅い緋袴の裾を翻して一般的に知られる下駄とは違う、独特な履物が石畳を踏みカツカツと音を立てる。

 赤銅色の黒い髪が、赤らんだ山間の涼しい風にさらりと靡いた。

 

「では、丁度良いですね。綺羅、空さんを借りますよ」

「あ……は、はい……」

 

 しゅん、と落ち込んだように耳と尻尾を垂れ下がらせてしまった。その可愛らしい仕種に、思わず頭を撫でてしまう。

 

「じゃあ、また後でな……綺羅」

「あぅ……くぅ〜ん」

 

 手触りの良い銀色の髪をかいぐり愉しめば、真っ赤に染まって俯きながら鼻を鳴らした綺羅。

 最後に犬耳を一撫でして、彼女がビクリと反応したのを微笑ましく見て……先を歩く時深の背中を追い掛けるのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 通されたのは、簡素な一室。生活に必要なモノを最小限、最低限に抑えた侘寂の局地とでも言うべき……有り体に言えば、殺風景な和室だった。

 

「そんなに肩肘張ってないで、ゆっくりしなさいな。ここは私の部屋なんですから」

「あ、はい……いや、それにしてもここ」

「あら、やはり気が付きましたか? そうです、此処は貴方が最初に寝ていた部屋ですよ」

「……ですよねー、やっぱりなぁ」

 

 と、何故か嬉しそうに言われてしまって。まさか『殺風景すね』等と言う訳にもいくまい。

 大人しく畳の上に正座する。勿論、自ら下座側を選んで。

 

「用事というのはつまり、貴方にご褒美です。師匠を越えた、免許皆伝みたいなものですね」

 

 小さな机の上に置かれていた桐の箱が差し出される。受け取って、紫色の紐を解いて箱を開ければ……中には五つの小さな破片。

 だが、今ならすぐに解る。コレは−−…

 

「……永遠神剣の凍結片、ですか」

「ええそうです、正解。永遠神剣【焔英】に【遠雷】に【再緑】、【聖威】と【運命】の凍結片です。これだけを集めるのにどれだけ苦労したか……大切に使いなさい」

 

 はふぅ、と心底疲れたような溜息を漏らした時深に一礼して、推し戴く。

 確かに、どれもかなり高位な永遠神剣の凍結片だ。これを無駄遣いなどしたら罰が当たろう。

 

「それと、これは私が昔回収した上位永遠神剣の凍結片……【再生】の凍結片です。ある単一世界で、妖精(スピリット)と呼ばれた存在全ての母だった第二位永遠神剣……かつて、"再生の炎リュートリア"と呼ばれたエターナルが担った、『偉大なる十三本』と讃えられる永遠神剣の一柱の凍結片ですよ。命を司る能力を持っていたので、命そのものの【真如】とは相性が良い筈です」

「第二位神剣【再生】……ですか」

 

 そしてもう一つ、手渡された黒い破片。見た目とは違い、染み入るような温かさを放つそれをぐっと握り締める。

 

「言われてみれば、母親みたいな……時深さんみたいな、温かい感じがします」

「な、なんですいきなり……もう、突然甘えて」

 

 そんな彼の言葉に思わず恥じらうように頬を染めた時深だったが……コホン、と咳払いして直ぐに落ち着きを取り戻し、代わりに。

 

「全く……今更ですけど、貴方達が出雲に来た時は肝を冷やしましたよ。ものべー、でしたっけ? 次元くじらの質量を巫女が総出で受け止めて、降ろして見ればほとんどの神剣士が戦闘不能状態……おまけに貴方はボロボロでしたし」

「おまけは酷くないっすか…後、怪我の心配くらいしてくれても」

「『親は無くとも子は育つ』、私は放任主義なんですよ」

 

 向かい合って上座側に座った時深が、座ったままで畳の上をにじり寄る。障子紙を透り抜けて二人を照らす斜陽には、僅かに夜闇の色が混じりつつあった。

 

「……さて、と。それでは空さん……ちょっと目を閉じて下さい」

「はい……?」

 

 いきなりの台詞に面食らい、口をポカンと開けてしまう。直ぐ近くには、夕陽の茜色を受けて染まる彼女の端正な顔。

 

「何をモタモタしているんです、早く閉じなさい」

「ええっと、はい」

 

 少し苛立ったような彼女の声色に促されるままに瞼を閉じる。瞼の裏の闇の奥で時深が何か身じろぎしている事は、修羅の道を歩む者としての直感が告げているが……何をしているのかまでは解らない。

 

「動かないで下さいね……」

 

 その言葉と同時に――甘い香気に包まれる。肩に触れる上衣の袖に、首に巻き付いた両の腕。耳元に感じる呼吸音。

 

「っ……と、時深さん?!」

「こら、動くなって言ったでしょ……」

 

 それに慌てて動いてしまい、こら、と怒られてしまった。

 

「よし、出来上がり。目を開けていいですよ」

 

 そして……スッと呆気なく、時深の気配が遠ざかる。目を開けば先程と同じ距離に離れた彼女の姿。

 その代わり、名残の如く残されたのは……エト=カ=リファとの戦いで失っていた、頚に掛けられた安全祈願のお守り。

 

「これは師としてではなく――……貴方の母としての、成人のお祝いです」

「…………」

 

 手縫いらしいが、流石は巫女だ。市販の既製品と、なんら遜色ない出来栄え。

 袋の中には、何か小石のような物が入っている感触が有る。同時に時の流れが歪んでいるような感覚が感じられた。

 

「『時果の漏刻』……私から贈る、最後のお年玉ですよ」

「……はい、有り難く頂戴します。百人力ですよ」

 

 にこりと悪戯っぽく笑った彼女の笑顔を見詰めながら、嬉しそうに穏やかな笑顔を返した彼。

 

「生き続けなさい、空。勝ち負けなんてどうでもいい、立派な存在になんてならなくてもいいから……この、ただ一つの無限の宇宙の中で……私より一瞬でも長く、生き抜きなさい」

 

 血の繋がらない親子の偽りの会話。しかし……一体誰に、それを嘲る権利が有ろうか。

 

「誓って……必ず、生き続けます……母さん」

 

 例えそれが偽りでも。もう、二度と叶わない筈だったその交わり……その奇跡のような間違いを……何の権利を持った、誰に否定できるというのか。

 

「さぁ、話はここまでです。明日に備えて早めに寝なさい」

「ういーす」

 

 最後に二人はそんな風に……わざと、軽く話を断ち切って。

 

「「――――……」」

 

 本当に名残惜しそうに背中を向けあって、互いの顔を見ずに離れたのだった。


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