サン=サーラ...   作:ドラケン

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惡の華 進むべき道 Ⅰ

 決闘(おはなし)を終えて帰ってきた奥の院の社、板張りの拝殿に腰を下ろして望達の出した結論を聞き終えて。今日は奥の院に泊まる事となり、澄んだ湖に突き出す縁側に座って月見をしながら装備類の手入れを行っていた。

 六挺拳銃の各アクセサリーの動作確認後に銃剣を研いで、バレルのクリーニングを終わらせて具現化した神剣魔法、神銃弾(マグナム)を摘み上げる。

 

「神との決戦か……まぁ、それ以外に選択肢は無かったんだけどな」

【ふん、何を偉そうに語っていますの? その『神(笑)』に軽くしてやられたと言いますのに……ああ、腹立たしい。いいですの、貴方はワタクシ達の総意である『覇皇』……その敗北は媛樣も含めた我等全員の敗北なのですよ!】

【全くだぜ、あんなに無様に負けやがって。覇皇としての自覚が足りねーんだよ。俺っちらに恥をかかせやがって】

呵々々(かかか)……これはあれだの、特訓フラグだのう。まぁ、儂も手伝うてやるぞ、覇皇殿】

【だねぇ、そろそろアタイ達も『担い手』が欲しいしね……】

【え~……こいつぅ? 僕的には女の子の方が……】

「キーキーうるせぇ奴等だぜ……」

 

 元々マガジンを持たない【烏有】以外の五挺拳銃の各マガジン及び予備マガジンに各神銃弾を装填し終えて、各銃本体に装填した一本を除いて"真世界(アタラクシア)"へと収納しつつ呟く。

 

 結論は至極、単純明解だった。そう、エト=カ=リファの本拠地であり……かつて、牢獄の時代の看守でありながら囚人でもあった者達が引き起こした暴動。神々を二分した争乱、己自身も暗躍した『南北天戦争』の舞台であった、『時間樹"エト=カ=リファ"』の始まりの場所。

 この時間樹にかつて生きた、今を生きている、未来に生きるべき……あらゆる生命の原点。時間樹の根に当たる『根源』へ赴き、創造神を討ち取る事である。それにより神名の強制力を断ち切り、更に創造神の権限でログへと介入して『元々の世界』の崩壊を改変するという訳だ。

 

――その風景は確かに刻まれている。神名と共に、輪廻する魂と共に。例え、記憶に残らずとも……巡る遺伝子の二重螺旋と共に。

 当の昔にそんなモノは朽ち果てた、この伽藍洞の俺にでさえも。

 

 幻視する、最も古い記憶の風景。ジルオルに殺される瞬間の、あの闇の底こそが根源の風景だ。

 左手で【是我】を取る。レバーアクションライフル『マーリン M336XLR』をモチーフにした、バレルに刀身を持つ長剣小銃(スウォードライフル)。ループレバーの動作確認の後、バレルのクリーニングを念入りに行って。最後に綺麗に磨き上げて、機関部下の装填口に五発のクリップマガジンを装填して照星に歪みが無いかを確認するべく、狙撃の構えを取る。

 

『だったら、俺から言う事はただ一ツだ』

 

 神を倒す。理想幹神等とは役者が違う、本物の創造神を。今度は、たったの数人で。自壊の神名を刻まれた他のメンバーは、出雲が保護してくれるとの事。

 その自滅的な結論を聞いて思ったのは、ただ――一ツだけだった。

 

『ナルカナ……エト=カ=リファの奴は俺が殺る。お前の昔の友達とやらは……俺が必ず、殺す』

 

 その、真摯なまでの殺害予告。他の誰もが、言葉を失う中で。

 

『……何を……』

 

 今現在は照星を覗いている――……光ですらも脱出する事適わぬ黒星(ブラックホール)の如き琥珀色の、瞳孔が縦に鋭く絞られる鷹龍の瞳……永劫回帰の結末にして始まりの、不可避にして不変の『直死』をもたらす……死を司る魔龍の瞳。

 死そのものと形容するしかない、心弱き者ならば視線を受けただけで絶命しかねない殺意を纏う真性悪魔の瞳に見据えられた、第一位永遠神剣【叢雲】の化身は。

 

『何を当たり前な事を言ってんのよ。あたしの下僕ならそのくらいの反骨心を見せるのなんて……当然でしょ?』

 

 危うく惚れてしまいそうになったくらいに不敵に笑い、超絶男前な答えを返したのだった。

 

「下僕になった覚えは無いけどな……っと、流石にコレは無尽蔵って訳にはいかねぇわな。無限光が、消えちまいそうだぜ……」

 

 回想を断つと同時に構えも解き、聖盃の内側に最後に残った瑠璃色の対装甲銃弾(アンチマテリアルバレット)を手に取る。彼の最強の剣である『永劫回帰の銃弾』だ。

 雨粒が降り注ぐかのような波紋が拡がり続ける銃弾を、クルクルと弄んで月影に透かす。さながら、海の中から覗くようにユラユラと揺れる金環の月を眺めながら溜息を零す。

 

【……知っているか、アキよ。『スマートな男』はあまり物を持たぬものだ。少しは持ち物を整理しろ】

(放っとけ、フォルロワ……って言うか、減った方だぞ、今の状態は)

【これで……か。呆れて物も言えん】

 

 呆れた思念を飛ばしてきたのは、直ぐ脇の空間に浮遊する【聖威】。辺りに散らばる銃器や器械に、フォルロワはうんざりした声色で溜め息を吐いた。

 

 ほとんど神剣と化した彼の()()に燃え続ける、蒼茫の煌めき……ジルオルの残滓であるこの時間樹の神であったが故に受け継いだ『生誕の起火』に【真如】の『アイテール』を加える事により性質の変異した"無限光(アイン=ソフ=アウル)"を凝縮した零剣……敵対する者に、直ちに死を与える、その大口径弾は――その実『空包(ブランク=カートリッジ)』なのだ。

 実体性の無い『(アカシャ)』を重ねて実体化するという、まるで賽の河原の石積みのような苦行の産物。たった一発を創り出すだけでも気の触れそうになるような、途徹も無い忍耐を必要とした。

 

「…………」

 

 その蒼穹か滄海のような。見覚えのある青さに、二人の少女を幻視する。

 恋人と義妹の、つんっと愛らしく突き出された……実に軟らかそうな、桜ん坊みたいな桜色の唇……。

 

『いやいや、違うって! フォルロワは俺の協力者なだけで』

『『つーんっ!』』

 

 帰ってきた室内にいた二人、肩に担いだ【聖威】の姿に『ぶーっ』とむくれ、宛がわれた部屋に引き揚げて口を聞いてくれなかった……ユーフォリアとアイオネアの二人の愛らしい膨れっ面を。

 やる事成す事、逆効果。なんだかやってられなくなり、酒を呑むかと徳利を引き出して盃に注ぐ。

 

 そして、銃弾を透徹城の内の捻れ絡まった双世樹の狭間に在る木の(うろ)……無限の"真世界"の深奥に当たる聖櫃(せいひつ)へ還し、指を鳴らしてツマミを呼び出すべく構えをとる。

 

「……煙草の次は酒ときたのね、この不良」

 

 その姿勢のまま――無防備な首筋に向けて振るわれた冷涼な青光で構築された剣の一撃を、【聖威】で受け止めた。

 

「……あら、気を抜いてるのかなと思ってみれば……残念」

「気を抜いてるだけで殺されかけちゃ敵わないんすけどね……会長」

「本気じゃないわよ、ただの挨拶でしょ?」

 

 タクトのような基部に凝集させた【光輝】の『ルミナスブレード』を受けて、ジト目で振り返る。

 

「あっれー? 俺と会長って挨拶で殺しあうような格好いい仲でしたっけ?」

「あら、気安い会話をするような格好悪い仲でもなかったでしょう? 私達は水と油……いえ、ニトロ基とグリセリンだったじゃない」

「わぁ、関係を持つとちょっとの衝撃で爆発しちゃう、って事か……言われてみればそうですね。何時からだか、あんましぶつからないようになってましたけど……元々、犬猿の仲でしたっけ」

 

 これも一種、気が合うという事なのだろうか。ギシギシ鎬を削りながら、目が笑っていない笑顔を浮かべあう。

 

【……貴様ら、本当に仲間同士か?】

 

 フォルロワの疑念も最もだ。この旅の序盤にて、集団の調和を重んじる沙月はアキの独断専行を苦々しく感じていたし、アキの方は沙月の民主主義的な行動理念を『腰が重い』と感じていた。

 

「それで、そんな嫌いな相手のところに来た理由は?」

「……隣、いいかしら?」

 

 問いに答えず、剣を収める沙月を促す。少し頭を下げ、彼女は紅い髪をさらりと夜風に靡かせながら縁側に腰を下ろした。

 それにより、静けさと夜闇を取り戻す湖上の院。風下に居る為か、薔薇の華のような香気を感じた。

 

「…………」

「…………」

 

 途端に会話が消えた。満天の星空の下で全男子学生の憧れの美少女と座っているのだ、健全な男ならドキドキして然るべき。

 しかし、今の感情はそれとは違う。要するに、多少緩和されたとは言えど……しこりは消えていない。何だか互いに苦手な相手なのだ、違う意味でソワソワしていた。

 

「……えっと……取り敢えず呑みますか? アイのエーテルから創った、神酒(エリクサー)なんですけど」

「……貴方ねぇ、学生が飲酒なんてしていいと思ってるの?」

「どの口が言うのか……精霊の世界でベルバ先輩を追っ払った時には、ベロンベロンに酔っ払って望に絡んでた癖に」

「っ……無駄に記憶力がいい男って嫌われるわよ」

 

 痛い所を突かれて、唇を尖らせる沙月。それを横目にアキは予備の盃を取り出し、酒を注ぐと彼女の隣に置いた。

 

「身体の具合、大丈夫ですか」

「え――……?」

「何すか、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして」

 

 と、何気なく尋ねた言葉に彼女が呆気にとられた顔をする。それに寧ろ、こっちの方が怪訝な表情をしてしまった。

 

「いえ、あの……君に心配されるとは思ってもみなくて」

「一体俺はどんだけの冷血漢だと思われてるのかと小一時間」

 

 それで、少しだけ場が和む。沙月は夜風に靡く髪を右手で押さえ、少しはにかむように微笑んだ。

 

――……本当、黙ってりゃ惚れ惚れするくらい美少女なのになぁ……

 

 等と考えてしまうくらいの美少女スマイル。だがそれは……常日頃、彼女がよく望に向けて見せているモノだ。

 こんだけ頑張って漸く向けられたモノを……日頃の積み重ねの差だと言われてしまえばそれまでだが……平然と受け取っているのだ、あの男は。

 

――つまりまぁ、やっぱりあのジゴロ野郎の魅了スキルは、数値化()不可能()レベルって事だ。羨ましいもんだね、全く……

 

 ハァ、と溜息を落としながら聖盃を煽る。そんな彼の思考が読めたという訳ではないだろうが、沙月は盃を少し傾けて。

 

「それでユーフィーちゃん達とは、ちゃんと仲直りしたわけ?」

「んブふぇーーッ! ゲホゲホッ! いきなり何を!」

 

 問われ、吹き出す。気管に入り、焼けつくような痛みを感じた。

 

「その調子じゃ、まだみたいね。呆れた……それでも彼氏? さっさと土下座でも何でもして許して貰いなさいよ」

「ふぐ……よ、余計なお世話です、俺達には俺達のスピードってモノがあるんですよ」

「あら、確か君は"最速"なんじゃなかったのかしら?」

 

 グゥの音も出ずに、ちびちびと盃を舐める。あっという間に居心地の悪い空間になってしまった。

 いっその事湖に飛び込んで、逃げ出そうかとまで思う。

 

「……正直、自分に呆れてはいます。恋人(ユーフィー)義妹(アイ)のどっちの方が大事なのか……優劣が付けられないんですから」

 

 だが、煮詰まっている現状を打破したくて。女性である沙月の意見を聞こうと話を向ければ。

 

「何を今更……君はフェミニストでしょう?」

「いや、誰がフェミニストですか。俺は寧ろ亭主関白」

「君は汚れ役なんて、今まで幾らでも熟してきたじゃない。今更、善人ぶるのは――それこそ、貴方が嫌いな……偽善ってモノでしょ」

 

 やっぱり止めとけば良かった、と茶化しに掛かったアキを一蹴する沙月。

 脳裡に浮かぶ、二人の少女。大事にしたい存在と、大事に――……

 

「そりゃ、一人の相手を大事にするのは格好いいとは思うけど……その為になら、大事にしてくれる相手を不幸にしていいの?」

 

 アキは、黙ってそれを聞いて。

 

「ああ……成る程。なんだ、簡単な事じゃないか……始めから、優劣は無かったんだ」

 

 まるでそれは……熾こされた撃鉄が、引鉄を引かれて堕ちるように当たり前の事。

 

「会長、野暮用が出来たんで俺はこれで。酒は適量が一番ですよ」

 

 やおら立ち上がると、己の聖盃のみを"真世界"に還して、振り返る事も無く掌をひらひらさせて歩き出す。

 それは何か、気付いてはいけない事に気付いてしまったかのような……ほぼ、逆上に近い感情だった。

 

「……言っておくけど、一度始めたなら……最後まで貫きなさい。二人を泣かせたら許さないんだから」

「判ってますよ、念なんて押されなくても俺は……」

 

 同じく、アキの方を向きもせずに盃を傾ける沙月の呼び掛けに、実に不真面目な調子で――……

 

「"法の埒外の悪漢(アウト・ロー)"なんですからね、俺は」

 

 怠そうに頭を掻きながら、久々に爽快な気分で憎まれ口を叩いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 縁側での沙月との会話の後、決意こそしたが愚図めきたくなったメロスの如く少し寄り道をして。奥の院の廊下を歩き回る。

 腕を組んで、こうなったら巫女か宮司に聞く事に決めた死龍の瞳に……歩く度にふさふさとした尻尾を揺らして、犬耳をピコピコさせている小柄な銀髪の巫女が映った。どうやら、何かを運んでいる最中らしくこちらの存在には気付いていない。丁度良かった、と。綺羅に向けて左手を上げ、声を掛けようとして……何故だろうか、うずうずと辛抱堪らなくなってしまった。

 

――そういえば……さっきは尻尾の手触りを堪能する暇も無かったんだったな。

 神様……あれ、仏様だっけ? どっちでも良いか……はおっしゃられた。『この世は因果応報である』と。則ち、尻尾を握ってビンタされて謝られた俺は、あと一つ悪い事をしなくてはならない。綺羅に仏罰が落ちたりしたら可哀相だもんな、うん!

 

 酒精(アルコール)の勢いもあり、ニヤリと悪辣な笑みを浮かべて、不埒なとある考えを実行しようとしてしまう。先ずは気を鎮めて、彼の(アサシン)スキルの集大成たる『圏境』……天地を結ぶ『空』たる起源を持つ彼の場合は、自身の炉である『龍炉』や回路である『龍脈』の操作にて周囲と同調。物理・魔術的にも、特殊能力での探知も感知も完璧に透禍(スルー)してしまうスキルで、周囲に溶け込むかのように気配を消した。

 次いで、上げかけていた手をにぎにぎと卑猥に動かして屈伸と伸脚、これからの動作を念入りに脳内で確認(シミュレート)する。

 

「……よし、やるか」

 

 そうして軽くウォーミングアップを済ませると、徐にクラウチングスタートで構え――呼吸と共に『生誕の起火』を灯した。

 これにより彼は、何者にも防げず躱す事をも許さない"直死"の魔刃と化す。

 

 エターナルの概念すらもを貫いた一撃、それを以て彼は――――板張りの廊下を蹴る!

 

「――ぃよう、綺羅。やっぱり抜群の手触りだな」

 

 両の耳をむにむにと揉み解すように握ったのだった。

 

「ひきゅ……!?」

 

 その吃音の後で……奥の院より少し離れた森の木の枝の上、ホーホーと物悲しく鳴いている……気の所為か酷く呆れたような表情をした(フクロウ)

 その梟が『パシーン!』と。大気と水面を揺らす程に盛大な渇いた音に驚いて飛び立ち、深森の闇の彼方に消えて行った……。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……あの、酒の勢いとはいえ本当にすいませんでした綺羅さん」

 

 そして当然、怒らせてビンタを受けた顔面を廊下に擦り付ける。

 

「もういいです……全く、貴方は……あんな高難易度のスキルをこんな下らない事に使うなんて」

 

 酔いは完全に覚めて、残ったのは綺羅が落としたナルカナの食事と……眉を吊り上げた綺羅本人だけ。

 

「いやぁ、折角の機会だったんでつい……因みに最近は燕を斬ろうと思っているでござる」

「とことんアサシンネタを重ねる気ですか……ところで、二の打ちが要らないアレは習得しないのですか?」

呵呵呵(カカカ)、甘いな綺羅……我が最強の剣たるリカーランスに、二の撃ちは要らぬわ!」

 

 綺羅の深紅の絶対零度のジト目を向けられた彼は、始めは花鳥風月を愛でるどこぞの無銘の侍の如く雅に笑い、次いでどこぞの武術を極めた魔拳士の如く豪快に笑って場を和ませようとして。

 

「……まだ、お酒が残っているようですね。丁度いい機会ですから、酔い醒ましに猛虎硬爬山をお見せしましょう」

「マジすんません、マジで調子に乗りました…お願いしますから、三発が同時一斉命中する三段突きだけは勘弁して下さい」

 

 結局、拳を握った綺羅の座った眼差しにもう一度地べたに額を擦った。

 

「ところで綺羅……教えて欲しい事があるんだが」

「教えて欲しい事、ですか?」

 

 と、頭を上げての真摯な眼差しと言葉。思わず毒気を抜かれて、綺羅はキョトンと目を円くして彼を見詰め返した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 それから暫く後、今度アキが立ち尽くしているのは――綺羅に教えて貰った、ユーフォリアとアイオネアの部屋の前。

 その右手には以前、綺羅から贈られた小刀……アキが小さい頃に持たされた肥後の守がある。

 

――相部屋だから、別々に話す手間が省ける。まぁ、裏を返せば纏めて相手取らなきゃなんねぇ……って事でもあるんだがな。

 

 閉め切られた襖が実に重苦しい。これならば未来の世界で相手した『守護竜(ガーディアン)』五体を纏めて相手にした方が、まだ気が楽だったなぁ……などと取り留めもない事を考えて。

 

「あー……クソッタレ、こんな所で二の足踏んでどうすんだ。結論は出した、後はやるしかねぇ……!」

 

 刀を腰帯に挿し、気合いを入れるべく勢い良く両頬を張る。しかし気負い過ぎた為、間違ってグーでやってしまって歯がへし折れそうになった。

 そして閉ざされた襖に手を掛けて、思いっ切り力を篭めて――

 

「……何か用、お兄ちゃん」

「……何かご用ですか、兄さま」

「ぎょえーっ!?」

 

 そこで、まさかのバックアタックを受ける。思わず、いい歳こいて『ぎょえーっ!?』等と口走って、恥ずかしいポーズなんかとってしまった。

 

「こ、今晩はお二人さん……いや、寧ろお二人様。あのですね、少しお話があり(そうろう)……」

 

 飛び出しそうになった心臓の拍動を抑えて両腕を忙しなく動かし、吃って口調がおかしくなりながら振り返る。

 

「「……つーんだ……」」

 

 目に映るのは、風呂上がりなのかしっとり濡れた蒼と滄の重そうな長い髪。仄かに香る石鹸の香と、寛げられた浴衣の首許からちらりと覗く薔薇色に上気した柔肌。

 いつもならこれに更に、向日葵と白百合の如く。思わず見惚れる程愛らしい笑顔がついて来るのだが……残念ながら今現在は、つーんとご機嫌斜め。二人揃って眉を吊り上げた、つんつんと突きたくなる軟らかそうな頬っぺを膨らませた鬼灯(ほおずき)の状態だった。

 

――くっ、まだ怒ってらっしゃる……ええい、ままよ! 俺とて男の末席を汚す者だ、ここでやらずにいつやるというのか!

 

 心を落ち着け、しっかり見据える蒼穹色の瞳と金銀妖瞳。

 行灯しか照明の無い薄暗い廊下が、戦時のような緊張に包まれた。

 

「立ち話もなんだ……取り敢えず、部屋に入らないか?」

「ここ、あたし達の部屋だけど」

「……入らせてくれませんか」

 

 いきなり出鼻を挫かれたばかりか、持ち直そうとした足まで捻ってしまった。

 情けない気分を堪えながら、襖を開いて先に歩み入った二人の背を見ながら歩く。

 

 そして……後ろ手に襖を閉じると、キチンと正座して、女の子座りをしている二人に向き合った。

 

「えっと……本日はお日柄も良く」

「もう……夜です」

「お、お月柄も良く」

「今、雲がかかってるけど」

 

 ションボリと月を見遣る。確かに満月には、薄く朧げな白い叢雲が掛かっていた。

 

――『月に叢雲、花に風』ってか……因みに、『風流なモノ』を表す『花鳥風月』や『雪月花』何かと違って、コレは『美しいモノにはとにかく邪魔が入りやすい』って意味なんだぜ……?

 ナルカナあたりに言ったのなら、『このあたしが邪魔者ですって? ぎゃらっしゃー!』てな具合に、激怒しそうな諺だけども。きっとこの諺は出雲発祥に違いないな。

 

「お兄ちゃん、どこ見てるの? お話をしに来たんじゃなかったの」

「うっ……は、はひ」

 

 と、現実逃避すら許されない。気分は龍虎に睨まれた鴉だった。

 

――負けるなら俺……確かに俺は鴉かもしれない。だが、鴉は鴉でも……俺は勝利をもたらすという神鳥、八咫鴉だ!

 

 臍下……丹田に気合いを入れ直し、二人に向けて――

 

「――すんませんっしたー!」

 

 それはもう、ベスト・オブ・土下座。誰もが『10.0』の札を上げる程、全世界の恐妻家諸兄の見本となるくらいに綺麗なフォームで……思っきり畳に頭を擦り付けた。

 少なくとも、目前のユーフォリアとアイオネアが驚嘆する程には。

 

「考えたんだ……結論も、出した。だからこそ……謝らせてくれ」

 

 その姿勢のままで、苦しげに声を漏らす。毛根に近い部分が黒く、毛先部分が金色のプリン頭の青年は――

 

「俺は……俺はお前達に優劣なんて付けられなかった。アイは大事な義妹だし、勿論の事ユーフィーは大事な恋人なんだ」

 

 そう告げて、腰に挿していた小刀を抜いて畳の上に置いた。

 黒の漆塗りに螺鈿細工が施された流麗な鞘を持ち、柄紐は浅葱色。鐺には家門らしきモノが彫られており、鍔は咲き誇る大輪の菊の華を思わせる。

 

「俺達は……この、刀に似てる」

 

 抜けば――青光りする直刃の刀身が現れる。霊格すら感ぜられる、出雲に相応しい霊刀だ。

 その目釘を抜き、柄紐を解いて……柄と刃、鞘の三つに分けた。

 

「この刃が俺で、鞘がユーフィー……柄が、アイだ」

 

 それは正しく出雲の至宝である。神代に謳われる、霊験あらたかな金属『青生生魂(アポイタカラ)』……もっと人口に膾炙した名で喚ぶなら『緋火色金(ヒヒイロカネ)』にて鍛たれた刀身を持つ霊刀だ。

 

「刃は鞘を護る為に他の命を奪い、鞘は刃が傷付かぬよう……無闇に他を傷つけないように護り、柄は……刃がその威力を振るい鞘を護る為には不可欠な存在だ。それ無しでは……振るった掌の方が傷付く」

 

 その銘は――掠れて読みづらく、アキは気づかなかったが『村雨』。史実には在らざる、だが間違いなく、それは人々が作り上げた史上最高の霊刀の一振りであろう事は理解できる。

 

「だから、なんて……巫戯化た事は言わないさ。それでも嫌なんなら――ユーフィーと別れるのも仕方ないし、アイとの契約も……解く」

「……っ」

 

 こくり、と。息を呑んだのは一体、どっちだったのか。

 

「何を言ってるの……だって空さんはアイちゃんとの契約を解いたら……死んじゃうんだよ?!」

「判ってる。けど、俺にとってはアイを失うのも、お前を失うのも……死ぬ事と同じなんだよ。それが、俺なりの……ケジメの付け方だ」

 

 刃を逆手に握り締めた姿はまるで、これから自刃する侍のようだ。事実――彼女達のどちらかに拒絶されたら死ぬ事になるのだが。

 黙り込む二人、その二人に向けて再度頭を下げて……結論を待つ。

 

「ずるいよ、そんなの……断ったら空さんが死んじゃうのに、だめって言えるわけないじゃない……」

「そうです……永遠を共に生きると、おっしゃって下さったのに……」

 

 搾り出されるような声に、唇を真一文字に結んでユーフォリアとアイオネアの言葉を受け止める。

 

「……すまない」

 

――それ以外に……返す言葉など、一体どこに有るというのだろうか。『愛している』などと自分から言いながら……このていたらく。

 自分で自分が情けない、だが−−

 

「……背負うと、決めたんだ。俺の勝手でこんな思いをさせるお前達を……絶対に幸福にする。だから……俺にチャンスを、くれ……!」

 

 決意と共に死龍が瞳を上げる。と――その視界を埋めた群青と、左右から抱き着いた……少女特有の温かな感触。

 

「二度と、そんな風に言わないで。あたし達三人は……誰かが誰かを背負ったりなんかしないの。三人で……一つなんでしょ?」

「そうです……私達は、柄と刃と鞘の……三人一組の『零位永遠神剣』なんですから」

 

 寄せていた頬を離し、林檎みたく真っ赤に染めた少女達は呟いた。

 

【……不服が在る、僕の立場が無いだろ】

「あぅ……ゆーくんは、えっと……あ、この部分だよ」

【なんだか、適当だなぁ】

 

 と、むくれたように現れた第三位永遠神剣【悠久】。それに彼女は、慌てて……鍔の部分を指差す。

 不機嫌な気配を放つ兄に弁明する妹の構図に、アキとアイは揃って苦笑した。

 

「と、とにかく……絶対ぜ〜ったい依怙贔屓(えこひいき)は無しだからね? あたしも、アイちゃんも……対等にだよ」

「…………(こくこく)」

 

 緩んだ場の空気に少し怒ったように、大胆な行為に少し……恥じらいながら。

 今度はユーフォリアとアイオネアが、揃って。

 

「「……約束、して」」

 

 二人揃って、長い睫毛をふるふる揺らしながら……瞼を閉じた。

 

 『約束』。彼の一番嫌いな言葉だ。この世界に、絶対など無いと知っているからこそ。

 

――……俺のリカーランスだって、俺が気付いてないだけで撃ち破る方法は有るかもしれない。もし、そうなったら……俺は、この二人を守りきれないかもしれない。

 そう考えると、死ぬよりも怖い。こんなにも愛おしい二人を、失うかもしれないなんて。守る人物が居るという事は、常に喪失の恐怖と共に在るという事なのだから。

 

「ああ……約束する」

 

 だからこそ――腹を据えて、その言葉を口にした。不誠実の代価、己に対する『罰』として。

 二人を抱き絞め、柔らかそうな唇に己の口付けを――

 

「いやっほ〜ぅ、癒し系ヒロインナルカナ様登〜場〜!」

「全校生徒憧れのマドンナ、斑鳩沙月参〜上〜!」

「「「………………」」」

 

 しようとしたその瞬間、勢いよく襖が開いて……ベロンベロンに酔っ払ったうわばみと大虎、ナルカナと沙月……

 

「空……この二人を、何とかしてくれ……」

 

 げんなりと疲れきった表情の望の三人が現れた。

 

「なによぉ、その『うわ、邪魔者キター』みたいな顔して〜、せっかく根源攻略の根本的解決方法を思い付いたのに〜!」

「根本的解決方法……?」

 

 折角の良い感じの空気を邪魔され、ジト目を向ければ――そんな事を口走った沙月。思わず鸚鵡返しに聞き返してしまう。

 それに気をよくしたのだろうか、ナルカナが。

 

「そう、これよこれ!」

 

 勿体を付けるように、徐に差し出された手に握られていたものは――先程渡した、彼の蔵酒『神酒(エリクサー)』なのだった……

 

 

………………

…………

……

 

 

 朝靄煙る早朝の出雲の深い森の中……穏やかに吹きおろす山陰地方の涼しい風に木々が合唱し、湖の水がきらきらとさざめく。

 その湖の上に建立された奥の院に繋がる橋の欄干に降りた雀達が、朝の挨拶でもしているかのようにチュンチュンと囀り合っていた。

 

「んー……良い朝だ。こういう朝は間違ってもクウォークス代表とかヤツィータの姐さんにエヴォリアの姐御、斑鳩会長とかナルカナ、イルカナなんて面子には会いたくねぇな……」

 

 そんな平和に鄙びた朝の風景の中をジョギングするプリン頭の青年。欠伸と伸びを同時に行い、肺腑を満たすマイナスイオンたっぷりの出雲の空気を楽しんでいた。

 

「あれ、くーちゃん。お早う」

「ああ、お早う希美」

 

 と、橋を渡る途中で希美と行き違い、普通に挨拶をされて普通に挨拶をし返した。

 

「体の具合はどうだ? 辛かったりしないか?」

「うん、大丈夫。昨日はやっぱり辛かったけど、今朝起きたらもう元気一杯だよ」

「そうか……でも無理はするなよ」

「くーちゃんったら、心配しすぎだよ。わたしは大丈夫、くーちゃんこそ、朝から根を詰めすぎないでね」

 

 等と、事情を知らない者には誤解されそうな会話をしてすれ違う。

 

――会長とナルカナが言っていた『根本的解決方法』とは……詰まり【真如】のディスペル効果を利用する事だった。エーテルを凝縮した『エーテルシンク』は、神名ですら一時的に無効とする効果がある。

 まあ、時間制限は有るし、自壊の神名だけでは無く通常の神名すら無効にしてしまうデメリットもあるのだが。それでも家族が居るというのは……心強いものだ。

 

 わざわざ険しい方の参道を選んで、『山麓の社』に『萌葱の社』、『深緑の参道』に『樹林の守』、そして『清水の社』の順に通過し――つい、興が乗りすぎて出雲の玄関口である『出雲開門』の外、この一帯を不可視化する結界の外に出てしまい慌てて戻ったり。

 そんな彼を見てくすくすと笑う、掃除をしていた色んな色の髪と瞳の巫女装束のエターナルアバター……『防衛人形(マモリヒトガタ)』達が頭を下げて来る度、頭を掻きながら下げ返す。

 

――実のところ母堂(ときみさん)親友(ルナ)の所為で、巫女さんに近付くと痛い思いしそうで苦手意識が有るんだが……こういう楚々としたところを見ると、案外悪くないと思っちまうんだよな、巫女さん……今度ユーフィーとアイに……いやいやいや、朝っぱらから何を考えてるんだ俺は……

 

 昨日の夜に、色んな悩み事が一度に解決した為に浮かれてしまっているのだろうか。目だけでなく、新たな趣味まで目覚めそうだ。

 ウキウキと地に足が着いていない走り方で、空を踏みながら軽ーく走り続けて……気が付いて見れば、『清水の社』側の岸と『緑の守』側の岸を繋いでいる年代物の吊橋を渡り終わったところだった。

 

「さてと、そろそろ帰るか……この先には洞穴だけしかないし、藪を突いて守護者(へび)でも出したら嫌だしな」

 

 最終目的地の緑の守まで辿り着き、巫女に挨拶して踵を返す。

 奥の方から大気を揺らすような、以前未来の世界で何度か聞いた猛毒の咆哮が聞こえたのはスルーする事にして。

 

「あ、居た居た……お兄ちゃ~んっ!」

 

 と、橋を渡りきって渓流の守へ向かおうと方向転換した時、後方からユーフォリアの声とてててっと元気に駆けて来る音が聞こえてきた。

 

「ん、ああ……お早――うぉっ!?」

「――どーーんっ!」

 

 そして朝の挨拶をしようと首だけ振り返った――彼の背中に、羽毛のような感触がのしかかる。

 そう、今しがた声を掛けてきた少女の重みと柔らかさ。そして、温かさが。

 

「おっとと……朝から元気一杯だな、ユーフィーは」

「えへへ……だって、朝からお兄ちゃんと一緒なんだもん」

 

 勢いよく抱き着かれるも、徹底的に鍛え上げられた彼の刃金の肉体は揺らがない。少しだけバランスを崩したが……次の刹那にはもう、適応している。

 おんぶされた形のまま、すぐ近くで朗らかに微笑む彼女の笑顔に……知らず、彼も表情を緩ませた。

 

――可愛い事言ってくれちゃってまぁ、この妖精幼娘(ニンフ)は……なんか……誰も居ない、誰も来ない出雲の森の奥深くに連れ込みたくなるな……

 

 等と思ったのだが彼女の背後の双龍『青の存在 光の求め』の内、猛禽の鈎爪みたいな前脚で器用に【悠久】を携えている『光の求め』の殺意×殺意をビシバシ感じたのでやめておく事にした。

 岐路に立たされた時に目端が効くからこそ、悪党は死なないのだ。

 

「ところで……ユーフィーさんや、その恰好は一体」

「恰好?」

 

 促すと、少し名残惜しそうながらぴょこんと背中から降りた彼女の姿を見て……目を細めて問う。

 上は学園指定の体操着、下は――とうに絶滅した筈の、ブルマ姿の彼女に。

 

「えっと……どこか変かな? お兄ちゃんと一緒に走ろうかな、って思って着て来たんだけど」

 

 自分の服装を確かめてくるりと、髪を靡かせ回転する。それにより、小さくて可愛らしい胸やお尻のライン。あれでよく神剣が使えるものだと思う程に細っこい二の腕や太股の、透き通るような白さを確認できた。

 

「予想は付いてるけど……誰にそれを着ろって言われたんだ?」

「えっとぉ……ナルカナさんがね、『アキはむっつりだから、体操着姿とかきっと喜ぶわよ』って」

「ヤロー、適当言いやがって……前も言ったけど、あいつの言う事を真に受けちゃいけません!」

 

 怒ったとでも思ったのだろうか、恐る恐るといった具合に口にしたユーフォリア。そこから発された名前は、昨日の暴飲により宿酔いしてダウンしている女性二人の内の片割れの名前だった。

 

――見てやがれ、後で林檎剥いて持ってってやっからな!

 

 と、心の中で感謝してみた。

 

「……全く、朝からお熱い事で」

「見せ付けやがってちくしょー、このロリコンめ!」

 

 そこに注がれる、彼らと同じく朝の軽い運動をしていたのだろう望と信助のジト目。

 因みに学生達は希美がダウンした事でものべーが消えたので、近くの森の中に降ろされた物部学園に寝泊まりしている。

 

「何だ、お前らもジョギングか……てか今お前ら、ユーフィーと一緒に来たよな? まさかオイ、俺より先に見たのか? アサシンの怨みを買うって事の恐ろしさを判ってんだろうな? 今日から安心して食事排泄睡眠が出来ると思うなよ」

「「独占欲強っ! てか怖っ?!」」

 

 等とジョークを交わしている内に渓流の守を通過した。

 

 根源に突入するまで、残りあと一日。絶対神との決戦を前にした者達とは思えぬ程に――日常的な光景だった。


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