サン=サーラ...   作:ドラケン

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神の目覚め 永遠者達 Ⅱ

 燦々と降る、ものべーの生み出す太陽の光。中庭のトネリコの根に敷いたレジャーシートに寝転んだまま、アキは拳銃を改造していた。

 魔法の世界迄はまだ数日、なので整備でもしようと思ったのが運の尽き。少し前のメンテナンスを遥かに越えた強化をさせられていた。

 

「……これで満足か?」

【そうだねぇ……まぁ、これなら僕らしいかな。オーケーさ】

 

 物凄く面倒臭そうにカスタマイズを行った【海内】に向けて、げんなりと問う。

 

「そーかい、俺はプレーンな方が好きなんだがね」

【それは君の趣味、僕の在り方は僕が決めるさ】

 

 銃口の制動機(コンペンセイター)と固定式の刺突専用バヨネット、銃身の上部にはレーザーサイト。グリップ下端には打撃用スパイク。大量のアクセサリーを装備されて、拳銃は原型から大分変わってしまっていた。

 

【ふふ、アタイらだってめかし込みたいものなんだよ】

【そういう事だ、黙って俺っちらの言う通りの強化をしてろ】

【貴方がた人だろうとワタクシ達神剣だろうと見た目は重要ですわ。どんなに心意気が優れていても、見た目が悪いモノは見向きもされないのですから】

【左様、儂らも漸く神剣としてのカタチを取れた訳だからのう】

「判ったからキーキー言うなよ」

 

 しかも、【海内】だけではない。【比翼】に【連理】、【天涯】と【地角】にも各々カスタマイズが施されている。

 

 【比翼】にはコンペンセイターと、展開式の紅い片刃バヨネット。大型のコンペンセイターで自動式拳銃に見える形状となった、下部には青い片刃のバヨネットが装備されてある【連理】。

 【天涯】には、固定式の白い両刃バヨネットとフラッシュライトが装備されている。同じく、深紫のバヨネットとフラッシュライトが装備された【地角】。

 

「んぁー、マジで疲れた……」

 

 合計三時間も、チマチマした作業を続けた為に凝り固まった背中を伸ばす。

 

「……ん?」

 

 その時、屋上の逆光に蒼と滄の影を認める。南側校舎に懸かる太陽光を遮って見上げてみれば、二人で一緒に洗濯物を取り込んでいるユーフォリアとアイオネアの姿が在った。

 元々から背が低い二人組である、そのままでは物干し竿に届かない。なので踏み台を使うが……取込係は運動神経抜群のユーフォリア、運動音痴のアイオネアは受取係でそれぞれ生足と黒タイツの健康的な脚線美を見せていた。

 

 と、自分達を見るアキの視線を感じたのか、アイオネアがこちらを見る。そして嬉しそうに小さく控え目に手を振る。

 健気な笑顔、見ているだけでも癒されるというモノだ。何となくずっと見上げてしまう。それに気付いて、ユーフォリアはアイオネアの視線を追い中庭から自分達を見上げる彼の姿を認め、視線を追い、中庭から見上げている姿を認めて少しはにかみながら手を振ろうとして。

 

「~~~~!」

 

 何かに思い至って一気に顔を紅潮させ、スカートの裾を抑えて。頭から湯気を噴き出しそうな勢いで怒り【悠久】を喚び出して。

 

「――ふギッ!?!」

 

 アキを中心にして練り上げられた禁制のオーラが発動、その動きを完全に封じる。

 抵抗するどころか声を出す事すらままならぬ彼の目に最後に映った光景……あわあわ慌てるアイオネアとユーフォリアの神獣である双龍が、彼に向けて対消滅のブレスを吐いた光景だった――……

 

 漸く躯が動くようになり、受け身無しで数十メートルを転がされてタンコブだらけ土埃塗れになったアキがトネリコの樹の下に帰ってきた。

 

「……何で俺は『グラスプ』されて、止めに『ダストトゥダスト』を打ち込まれたんだと思う?」

【スカートの女性を下から見上げれば、そうなって当然でしょう】

「ああ、成る程ね……ッて、逆光で何も見えなかったッての!」

【『李下に冠を正さず』、『瓜田に履を入れず』ですわ……というよりも貴方、見えたら見るつもりでしたのかしら?】

「……男としての本能で、つい……」

 

 文句を言いながらも、拳銃を全てホルスターに戻して。誤解を解き、水を飲みがてらに手伝ってやるかと立ち上がる。

 

 学園の廊下をアキはフラフラ歩いていた。漆黒の梨地に金のエングレーブが施されたデリンジャー、モチーフとなっているのは上下二連銃身の中折れ式拳銃『ディファイアント=デリンジャー』だ。

 

「疲れた……」

 

 『生誕の起火』までを使わされてしまっており疲労した彼はポケットにデリンジャーを戻す。そして――……

 

「うーむむむ……」

「…………」

 

 廊下の向こう側を除き見ている、あからさまに挙動不審なナルカナの後ろ姿を認めたのだった。

 

−−関わるな、関わるな……アレに関わったら最後だ。君子危うきに近寄らず、退くのも勇気だぜ!

 

 結論づけ踵を返す。足音を立てず気配を遮断する『【幽冥】のタツミ』時代の隠密スキルを発揮して――

 

「あら、良いトコロに来たわね。ちょっと付き合いなさい、アキ」

「……台風除けの加護が欲しい」

 

 にっこりと笑う()()()()に肩を掴まれて、そのまま彼女が居た位置に引きずられてしまう。

 

「他人の意見が欲しかったのよ。アンタはアレ、どう思う?」

「アレッて……」

 

 嫌々ながら覗き見た先、そこに。

 

「ごめんなさい、望さん。荷物を持ってもらっちゃって……」

「有り難うございます、ノゾムさん」

「いや、いいって。ユーフィーとアイは頑張り屋だからな……つい構いたくなるんだよ」

「あぅ……えへへ……」

「はぅ……」

 

 屋上から洗濯物を取り込んで来たユーフォリアとアイオネアの荷物を持とうとしている望。その望が二人の頭を撫でている。

 

「……アレが、どうかしたのか?」

 

――正直言えば。望が女の子の頭を撫でてるのなんて見飽きたぜ。あのクソッタレハーレム野郎が……。

 

「どうかしたじゃないわよ! おかしいじゃない!」

 

 そんなアキの反応が気に食わないのか、ナルカナは眉を吊り上げる。そしてビシリと自分の、二本のアホ毛の辺りを指差した。

 

「あたしは望に、一度も撫でられた事なんて無いわよ!」

「………じゃっ、俺忙しいんで」

 

 スッと敬礼して場を後にしようとする。しかし、喉元に【叢雲】の影を突き付けられては止まるしかないだろう。

 

「望を観察して判ったんだけどね、よく希美とかユーフィーの頭を撫でてるのよ。なのに、あたしを撫でた事は一回も無いのよ」

「死ぬ程どうでもいいグヘッ!?」

 

 鼻白んだアキに、右ストレートが刔り込まれる。彼は慌てずに持参したポケットティッシュをこより、鼻に詰めた。

 

「……慣れていくのが自分でも解る……んで、何だよ? 俺に何を望んでるんだお前は。撫でて欲しいの? 撫でたら解放してくれるの?」

「……【叢雲】の名に於いて命ず。汝、世界霊魂の大海に還れ……」

「判った、悪かった……とにかく、どうしたいのかを説明してくれ」

 

 真剣に『リインカーネーション』の詠唱を始めたナルカナを制し、とにかく解決策を考える為に話を聞く態勢に入った。

 

「まぁ……何て言うか……ほら、こないださ、望があたしを握ったじゃない?」

「エデガを倒した時か……そういや、あん時様子が変だったよな?」

「うん、その時に……」

 

 と、ナルカナは急にしおらしい表情になった。自分の体を抱いて、頬を赤く染める。

 

「何て言うかこう、胸がきゅーってなると言うか……あれ以来、望が他の女の子に優しくしてのを見ると……妙にムカムカするのよ」

「……あのクソッタレハーレム野郎は……」

 

 溜息混じりに、つい反吐を吐いてしまうのも仕方あるまい。握っただけで惚れさせるなど、一体お前はどんなテクニシャンだと。撫でポならぬ握ポか。

 

――スゲーな、怖いモン無しだなアイツ。いつか背中から刺されるんだろう。そうじゃないと、世界に奴の遺伝子しか残らない。

 

「だから、どうにかしてあたしも撫でられたいの。どうすればいいか今すぐ三つ作戦を考えなさい。五秒以内にね」

「無理、無謀、無駄パァ!?! 何回俺の顔面にコークスクリューぶち込んだら気が済むんだテメー、メンドーサ気取りかァァッ!」

 

 再度顔面に右ストレートを受けて、遂にキレたアキ。だがナルカナは廊下の向こうを覗いたままだ。

 

「あの二人と希美とあたしの違い……うーむむむ……はっ、そうか! 皆色々と小さいわ! まさか望は……小さい娘好き!?!」

 

 真剣に悩む彼女の表情に、溜息を禁じ得ない。脳天気な彼女だが、思いの外一途なようだ。

 

――羨ましいというか何と言うか……本当、業の深い野郎だ。良い女ばっか独占しやがって男の敵め。せめて毎日一回は箪笥の角に小指ぶつけてくんないかな、アイツ。

 

 というか、彼に惚れる女性は皆が誠心誠意一途に、他には見向きもしない上に見た目も極上の女性ばかりだ。希美も沙月もカティマもルプトナもナーヤも皆が皆。

 

「……まあ、素直になれば良いだけだと思うけどな」

「へっ?」

 

 ポツリと呟かれたその言葉に、ナルカナは振り返る。ポカーンと口を開けた無防備な表情だった。

 

「……一言『撫でろ』って言えば、撫でてくれると思うぜッて言ってんだよ。アイツ、間違いなく振り回されるの好きだし」

「で、でも……断られたら? あたしは……嫌われ者のナル神剣だし……」

 

 思い出す、理想幹戦でナル化マナに包まれた時の感覚。この宇宙を充たす生命と敵対する……六十兆の細胞一つ一つが纏めて反吐を吐くような嫌悪感を。

 

「……それが、ナルを『自分』って言ってた理由か……」

「っ……何よ、文句ある!あたしは特別な第一位の永遠神剣なのよ! 担い手なんて居なくても【運命】も【宿命】も【聖威】も及ばない、超絶美少女ナルカナ様よっ!」

 

 珍しく自信の無いナルカナの様子に、少し笑いが込み上げて来る。それを見咎めたナルカナは不愉快そうな顔をして、腰に手を当てて結構な声を出した。

 

「別に……お前はお前だしな。個性って奴だろ」

「むぅ……」

 

 それすらすんなりと肯定されてしまい、意固地になる理由を見失った彼女は眉尻を下げる。

 

 この男の渾名は"天つ空風(カゼ)"、ただただ前に進むという意志を表す。

 同じ方向に向かう家族であれば、その背中を強引にでも押す追い風として。行方を阻む敵に対しては、その存在理由すらも一片の容赦さえ無く薙ぎ払う向かい風として。彼の意に沿わぬ全て、何もかもを吹き飛ばす風なのだ。

 

――常日頃の強気な態度は……そのコンプレックスを隠す為の鎧なのだろう。流石は楯のチカラを持つ神剣、守るのが得意らしい。

 

「ただ在りのままに、在るがままに。己らしく在る事を貫けばいい。アイツはマジにぶつかってくる相手を笑わねェし、差別なんかはもっとしねェよ。てゆーか、あの鈍感に気付いて欲しいんだったら解りやすいくらいじゃねェとな」

 

 そして風とはそもそも、天を覆う雲を吹き払うモノであればこそ。空風は叢雲(くも)を吹き飛ばし、太陽か月、星の光明を齎す。

 

「……解りやすい、くらい……」

 

 またもや悩み始める彼女。もう言う事も無いと、アキは角を出て歩き始める。

 

「ま、精々頑張れ。援護はしないけど邪魔もしない。テメーらで……勝手に泥沼演じてくれや」

 

 最後に、どうしてそんなハーレム構築の手助けみたいな事を言ってしまったのかと自嘲して。取って付けた憎まれ口を叩く彼の背中。

 

「ふんだ……余計なお世話なのよ、バーカ」

 

 吹き抜けた空風に向け、叢雲より雹か霰のような憎まれ口と――……

 

「……ありがとう」

 

 慈雨の如き柔らかな笑顔が、叩き付けられたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 翌日朝早く、寝起きであるアキはうつらうつらと洗面台に向かい。

 

「ふぁ……あふあふ……」

 

 ボサボサの頭を掻き、実に面倒な感じでアンニュイに歩いて――……

 

「きゃっ!?」

「う……ッ!? 悪い……」

 

 小柄な人影にぶつかって謝る。その黒髪の、市松人形を思わせるパッツン前髪の改造和服の少女はしとやかに笑顔を見せて。

 

「……こちらこそ申し訳ありません、空さま。常日頃、姉がお世話になっております」

「いや、別にいいさ。お前も頑張れよ……俺も応援してるからな」

「うふふ……頼りにしていますね、『兄上(あにうえ)』様?」

 

 そう、ニヒルに声を掛けて。約、三歩ほど歩いてから――

 

「わっかりやすゥゥゥゥッ!?!」

 

 確実に三歩ほど遅れたツッコミを、あからさまに幼女形態を取ったナルカナ(?)に突っ込んだのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 時計の針の音がやけに大きく響く朝の食堂。そこにはいつも通りのナルカナと――その脇に座る小柄な……十二〜三歳程度の姿の『ナルカナ』が、どうしてそんな事になったのか弁明していた。

 

「要するに、望君には『小さい娘の方が人気が有るんじゃないか』と思った深層意識が独り歩きして分体を創ってしまった……と」

「あたしだって吃驚(びっくり)よ。勝手に実体化して、勝手に学園の中を歩き回って……どういうつもりよ?」

「はい、私も自我が芽生えた時には驚きました……ですが、こうして望さまにお会い出来る体を得たのですから、私は幸せです」

 

 水底のような静謐を破ったのは沙月、詰問を受けたナルカナ(大)はふて腐れて唇を尖らせて隣ではナルカナ(小)が笑い掛けた。

 

「「「「「「はぁ……」」」」」」

「……ハァ」

 

 『また望か』という皆の冷たい視線と溜息、何よりも希美と沙月とカティマとルプトナとナーヤ、そして頭上に仁王立ちしたレーメの発するプレッシャー。

 

「引鉄は空さまの『素直になれ』と、『解り易く』の言葉ですね。あの言葉でお姉ちゃんは、自分が小さい場合の姿……私を想像しましたから」

「巽君……歯ぁ食い縛りなさい」

「良いっすよ……俺を殴って気が済むなら、好きにすればいいじゃないですか……」

 

 結果的にそういう事になったかと、アキは言われた通りに歯を食い縛った。沙月の右掌は【光輝】でコーティングされて『インパルスブロウ』の……往復ビンタの破壊力を上げている。

 

「清廉なる、生きし子らを育む優しき水よ。我は御名を唄う……」

 

 隣ではアイオネアが必死になって、アキを護る為に青属性を無効化する神言『ワードオブブルー』を呟いている。

 

「有り難うな、アイ……けど、いやきっとペネトレイトするから」

「……(がびーん)!?!」

 

 だが、体験からその威力を知っている彼はそれを止めた。ショックを受けたアイオネアは、いじけてしまう。

 

「沙月さま、女性がそのようなご無体をなさらないで下さいませ。兄上さまも兄上さまです、女性の尻に敷かれ過ぎるのはどうかと思いますよ?」

「「『兄上さま』?」」

「ぬぁっ、ちょ、あんたねぇ!」

 

 と、沙月を窘めた妹ナルカナの言葉に一同は目を円くした。一方、本体の姉ナルカナは何故か顔を赤らめる。

 

「そう言えば、さっきもそんな呼ばれ方したけど……?」

 

 全く以ってそんな呼ばれ方をする謂れが無い彼は、首を傾げながら小さな方へと問い掛ける。

 

「簡単な話ですよ。お姉ちゃんはあの時に、いつもは昼行灯だけど困った時には道を示してくれる……そんな空さまを、『お兄ちゃん』みたいに感じたんです。なので私にとっては、空さまは兄上さまの認識になっているんですよ」

「わーっ、何言ってんのよアンタ! 分体の分際でーっ!」

「だめ~っ、お兄ちゃんの妹枠はもう埋まってるの!」

「(こくこくっ)!」

 

 遂に、実力行使にて妹ナルカナの口を塞ぎに掛かった姉ナルカナ。その双手を回避した妹ナルカナは、膝カックンにより姉ナルカナを撃退した。

因みに、アキの両側から抱き付いてのユーフォリアとアイオネアの訴えは歯牙にも掛けていない。

 

「へぇー! それって空の方が好きって事じゃん、望より!」

「そうですね! 巽は特別な存在という訳ですから、望より!」

「うんうん! 妹にとって兄は憧れだもんね、望ちゃんより!」

 

 と、物凄い勢いでそんな言葉を突っ込んだルプトナとカティマ、希美。

 恐らく彼女ら望ハーレムの面々の間には、利害の一致から新参者を拒むコミュニティーが形成されているのだろう。『これ以上競争相手を増やして堪るか』と、どす黒いオーラが展開されていた。

 

「うふふ、何を仰っているんですか皆さま。妹とは兄の視点では永遠の二番手、則ち妹の視点でも兄は永遠の二番手なのですよ」

「予防線張らなくても、兄貴呼ばわりされたくらいで特別な存在になったとか調子に乗らねーっての!」

 

 しかし、黒さでは妹ナルカナも負けていない。むしろ、姉よりも弁が立っている。

 

「そ、そんな事無いよ! 妹キャラは永遠の二番手なんかじゃないんだからーっ! ねっ、リアルにお兄さんが居るナーヤちゃん!」

「いや、わらわに聞かれてものう……あれは実兄じゃし、余り尊敬も出来ぬし。何よりわらわは小動物キャラなのでな」

「うわーん、裏切られたー!」

 

 その言葉に、望の妹的立ち位置の希美が反駁する。しかし、助けを求めた相手が悪い。というより、助けを求めた相手の兄が悪い。

 ナーヤは実に歯切れ悪く口篭り、あっさり協定を破棄した。

 

「ッてゆーか、人を鞘当てのダシに使うなよ!」

 

 そんなアキの声も届きはしない。コミュニティーが崩壊した彼女らは己のアイデンティティーを護る為の論争を始める。

 

「つまり、姉キャラの私が一番手って事よねー、望君?」

「違いますー! 妹キャラですー!」

「そーだよ、親友キャラが一番手に決まってんじゃん!」

「「アホキャラは黙ってて!」」

「何をー!?!」

 

 先手を打ったのは沙月、それを希美が防御する。そしてその尻馬に乗ったルプトナは二人の連携で撃墜された。

 

「第一、一番手は誰が何と言おうとパートナーのこの吾だ!」

「「「煩い、ペット扱い!」」」

「何だとー!?!」

「……今のはわらわもか? わらわも加えたじゃろ!?!」

 

 その期に乗じてレーメが踏ん反り返るも、今度はルプトナを加えた三重の防御に阻まれる。尚、三人はナーヤも同時に指差していた。

 そして最後に、今まで黙っていたカティマが――

 

「皆さん、落ち着いて下さいな。つまり総合して姫キャラが一番」

「「「「「「外野!」」」」」」

「はは……ははは…………」

 

 ダブルナルカナが火花を散らし、更にハーレムの面々が内輪揉めを始め、実に不毛な戦いが始まってしまう。『もうどうにでもなれ』と捨て鉢になっている望。

 

 因みにソルラスカとタリア、サレスは『付き合ってられるか』とばかりに食事を摂り終えて出ていっており、残る絶とナナシ、ヤツィータとエヴォリアとベルバルザードはどんな決着がつくかを面白がって見ている。

 スバルとユーフォリアとアイオネアは、どうして良いか判らず傍観の姿勢をとっていた。

 

「あはは……泥沼どころかブラックホールですね」

「だから面白いんじゃないのよ、スバル君。見てる分にはだけど」

「男として言わせて貰うとすれば、腹が立つだけの光景だがな」

 

 苦笑するだけしか出来ないスバルに笑い掛けたヤツィータ、一方のベルバルザードは湯呑みを傾けて食後の番茶を啜っている。因みに覆面はしたまま、一体どうやってとかツッコんではいけない。

 隣のエヴォリアと絶もまた、茶を啜りながら口を開く。

 

「係わり合いには成りたくないわね。にしても、絵に書いたようなモテ方するのね、あの子。あんな優柔不断そうな男のどこがいいのかしら」

「手厳しいな、エヴォリア……だがそこが望の魅力なのさ」

「……マスター、それはフォローになっていないかと」

 

 口々に呑気な事を言っていた面々の方に、疲れ果てた表情でアキが歩み寄る。そしていがらんでいる喉を、アイオネアの聖盃に充ちる水で潤して。

 

「もぉぉやってらんねッ! 暁、ベルバ先輩、スバルさん! 気晴らしに付き合ってくれ!」

 

 神銃形態に変わったアイオネアをスピンローディング、銃弾を装填する。

 

 その際に【真如】の青藍に煌めく鞘刃を波紋が揺らし、展開された緻密なステンドグラスの精霊光を通り抜けた瞬間にはいつも通りの軽鎧、アオザイの戦装束へと変わる。

 最後に通る右腕で聖外套を抜き出して袖を通さずに羽織って準備を完了する。

 

「丁度胸焼けしていたところだ」

「腹熟しには良いだろう」

「了解、付き合いますよ」

 

 了承して、絶とベルバルザードとスバルが立ち上がる。連れ立って出て行った男三人の姿を見送り、女三人は未だに姦しいハーレムの面々を見遣った。

 

「むー……」

「あら、どうしたのお嬢ちゃん? 貴女も加わるのかしら?」

「ブラックホールがビッグバンに変わっちゃうのね、外野としては大歓迎よ」

「ち、違いますよ〜っ! えっと、その……どうしてお兄ちゃんは平気な顔をしてるのかなって……」

 

 と、今までずっと押し黙っていたユーフォリアが唇を尖んがらせた。そこをエヴォリアとヤツィータに茶化されて、プンスカと頭から湯気を噴かんばかりに赤くなる。

 

「ああ、希美ちゃんの事?」

「平気って……随分とブチ切れてたじゃないの、彼?」

 

 その妙な言葉に、少なくとも彼女よりは人生経験の豊富な女二人が首を捻る。

 

「そんな事、無いですよ。お兄ちゃんが怒った風にするのは楽しかったり嬉しかったりする時の照れ隠しですから」

 

 そんな二人を見るでもなく、彼女は窓から校庭に立ってグットパーでチーム分けをしている四人の……ベルバルザードに次ぐ長身の青年を見遣った。

 三度繰り返してアキと絶、スバルとベルバルザードに組分けて一定の距離を取り、一礼すると彼等はそれぞれの得物を構える。

 

「まぁ、単純に諦めたんじゃない?」

「そうねぇ、横恋慕にすらなってないもの」

 

 と、苦笑する二人。校庭では実戦形式の特訓が始まる。速度と手数に優れる絶が遠距離射撃を行うスバルを狙って駆け、アキは一定距離を保ち続けながら重戦車の如きベルバルザードの足を止める。

 

「そんな事無いですよっ、お兄ちゃんだってたまには……」

 

 と、ユーフォリアが擁護しようとしたその瞬間。ベルバルザードが呼び出した、暴君ガリオパルサが吐いた『ハイドラ』の獄炎。

 それを『エーテルシンク』で打ち消したまでは良かった。が、気を良くした隙に接近され『バーサークチャリオット』をメガトンパンチ風に食らわされて吹き飛ばされる。

 

「「……たまには?」」

「……十回に一回は……カッコイイ時が……うぅ〜〜っ」

 

 悔しそうに、恥ずかしそうに唸る少女にエヴォリアとヤツィータは意地の悪い笑みを見せる。

 

「僅か一割ですか、それはまた」

「ふぇ……」

 

 だが、その戦場から妹ナルカナがいつの間にか離脱。ユーフォリアの隣に腰掛けていた。悠然と茶をシバいている辺り、姉よりも大物なのかもしれない。

 

「あら、貴女はもういいの?」

「はい、どうせ泥仕合ですから。あれで決着がつくようならこんな状態にそもそも陥りませんよ」

「道理ね……あの娘達も早く気付けばいいのに」

「ところで、何の話をしていたのですか? 良ければ私も聞きたいのですけど」

「そうそう、そうでした。続きをどうぞ、ユーフィーちゃん」

 

 促され、渋々と彼女は口を開く。余り乗り気ではないのか、或いは自分でも考えを整理できていないのか。

 

「……好きな人が他の人を好きで、自分を見てくれてもいないのに……それでも想い続けてて、哀しくならないのかなって……そう思ったんです」

 

 その瞬間、ベルバルザードの神剣魔法『グラビトン』を打ち消したアキが駆ける。大上段に構えたライフル剣銃【真如】を、防御の為に構えられた大薙刀【重圧】に向けて振り下ろし――……

 

「お兄ちゃん、前に言ってたんです。『報われなくたって、結ばれなくたって。俺自身が選んで行動した結果で、愛する人が他の男とでも幸福になってくれたなら……そこに意味は在る』って。でも……好きな人に好きになって貰えるのが一番幸せじゃないですか」

 

 波紋の鞘刃は大薙刀をあっさりと透り抜け、それに意表を衝かれて反応出来なかったベルバルザードの鳩尾に減り込まれた。

 それだけでは、【真如】は生命を奪えない。しかしトリガーを引くだけで、彼の内側から放たれる銃弾が心臓を撃ち抜くだろう。

 

「……そうねぇ、ユーフィーちゃんくらいの年じゃ判らないかもしれないけど、幸せのカタチは人それぞれ違うの。片想いだって立派な愛よ」

「『遠くに在りて想うのも愛』、という訳ですね。見た目と違って詩的な生き方をしているんですね、兄上さまは」

「というか、達観してるわねぇ。彼、本当に十代?」

「あら……分かるわ、エヴォリア。彼、あと十年は早く生まれてたらナイスミドルだったのにね」

 

 覆面で良く判らないが、恐らく舌打ちしたベルバルザードが敗北を認める。一方の絶とスバルも、決着が付いたらしく二人の方へと歩いてきた。

 アキは絶と手を打ち合わせ、勝利の確認を行う。そして次はスバルと組んで戦闘訓練を開始した。

 

「良く判りません、そんなの……」

「貴女にも、分かる時が来るわ。いつか、誰かを好きになった時に。『花の命は短し、恋せよ乙女』ってね」

 

 それを眺める四人の、まだ合点がいかない様子のユーフォリアに……ヤツィータはその頭を撫でながら、優しく微笑み掛けた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 調子に乗って目茶苦茶にした校庭を均し終えて、泥だらけの躯を風呂で洗い流した後。

 

――ものべーの擬似天幕が夕暮れの空を映している。希美の話では、明日の明け方には魔法の世界に到着するそうだ。

 

 甚平姿で、風呂の前で待っていた法衣姿のアイオネアから盃を受け取り飲み干した。

 黙って左手を差し出せば、それに嬉しそうに腕を組む彼女を部屋へエスコートする。歩幅の違いと、急ぐと転び易い彼女を気遣って。

 

「あれは……ミゥさんか」

 

 と、その道中に在る自室の前に影を見出だす。セーラー服を身に纏う、小柄な金髪のそれは――クリスト=ミゥ。

 

「タツミ様、お待ちしていました。少々お時間宜しいでしょうか」

「ええ、まぁ……構いませんけど」

 

 抑揚のない口調に、何処か違和感を禁じ得ない。だが断る理由にも成り得ず、了承する。ちらりと、左腕を強く抱き締めた彼女を見遣れば――

 

「兄さま、私は一人でも戻れますから……お気遣いなく」

「そうか、転ばないよう気を付けるんだぞ」

 

 と、上目遣いの金銀の双眸が腕を解いた。生花の花冠を避けて、緩やかなウェーブの滄い海色の髪を梳きながら注意する。小さな龍角と、尖った耳朶が見えた。

 

「は、はい……」

 

 白磁の肌を夕陽よりも赤く染めた龍の修道女は、慌てて頭を下げて花冠を廊下に転がしてしまう。

 それを拾い上げていたたまれなくなったらしく、漆黒のキャソックの裾と純白のクロブークを翻し。ぺたぺたと裸足の足を鳴らして足速に走り去って行った。

 

 途中で自分の足に躓いて、一回転んで。

 

「……えっと…だ、大丈夫なのでしょうか…?」

「まぁ、影が護ってくれてるから大丈夫かと」

「はぁ……そうなんですか……」

 

 暫し呆気に取られていたミゥだが、気を取り直して先導して歩く。

 

――はて、俺は何かやっちまったのか? ルゥさんやワゥなら夕飯で食べたいメニューを申請しに来たとか想像出来るけども……

 

 彼女の背中からは言葉を拒絶するオーラがひしひしと感じられる。辿り着いたのはクリスト室。扉を開いて中に入れば、同じくセーラー服姿のルゥとゼゥ、ポゥ、ワゥ、それに壁に寄りかかったクリフォードも揃って彼を見遣った。

 

「まぁ、一先ず座ってはどうだ」

 

 ルゥに促されて、用意されていた椅子に腰掛ける。五対計十個の瞳に曝されて、居心地悪く。

 

「えっと……俺、何かやらかしましたか?」

 

 幾ら考えても何も思い至らず、遂に痺れを切らして言葉を発する。その時、ミゥが口を開いた。

 

「いえ、ただ……空隙のスールードについてお聞きしたいだけです」

「スールード、ですか……」

 

 その言葉に、アキだけでなく全員の表情が暗澹たるモノとなった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 朝の一件の後、制服から着替えぬままに仰向けで布団に転がって。【悠久】を抱くユーフォリアは、天井を見上げてずっと解の出ない自問を繰り返していた。

 

「……どうして」

 

 呟きはカーテンを引いていない窓から、朱い風と共に流れ込む斜陽に染められた虚空に消えた。

 

 弟が答えてくれないのなら、彼女以外には【悠久】しか居ない部屋の静謐に、声は拡散するのみ。

 幼いと言ってしまえばそれまでだが、今でも尚砂糖を吐きそうなくらい相思相愛の両親を持つ彼女には判らない。愛する人に愛される、それ以上の幸福が在るものかと。

 

「……どうして――ひゃわっ!?!」

「はぅぅ、ごめんなさい……」

 

 もう一度呟いたその瞬間、部屋の扉が結構な勢いで開かれた。驚き跳ね起きたユーフォリアと、その声に驚き咄嗟に謝ったアイオネアの眼差しが交錯した。

 

「な、なんだ……アイちゃんかぁ……お帰り」

「た、ただいま……ゆーちゃん」

 

 互いにぎこちなく笑い合って、アイオネアは祈りを捧げるような仕種をとった。するとハイロゥが薔薇窓のオーラへと変わり、足元まで通過する。魔法陣が収束した後、彼女は制服姿に戻っていた。

 

「まぁ、綺麗なオーラですね」

「……ふぇ、あ、ありがとうございます……?」

 

 と、開きっぱなしの扉から黒髪の少女……妹ナルカナが笑い掛けた。姉と同じだった改造和服は、学園指定の制服に着替えている。

 

「あの、ご用ですか? えっと……」

 

 と、来客に気付いたユーフォリアが問い掛けて……何と呼ぶべきか、困ったような表情を見せる。

 それに妹ナルカナは『待ってました』と言わんばかりに、満面の笑顔を見せた。

 

「これはどうも、申し遅れました。私は『イルカナ』、妹ナルカナ改めイルカナと申します。望さまに名付けて頂きました」

「「は、はぁ……」」

 

 瞬間、ユーフォリアとアイオネアが目配せしあう。そして『安直』と感じた事を確認しあった。

 

「同じくらいの年の方がいらしたのでお話をしたいと思ったんですよ。とても興味が有りますから……『空位(ホロゥ)』の神剣さん?」

「わ、私……ですか?」

 

 しとやかに微笑んで彼女は、後ろ手に扉を閉める。アイオネアへ視線を向けたままで。

 

 

………………

…………

……

 

 

 話し終え、そして話を聞き終えて。アキは瞼を開く。

 

「……そうですか。『煌玉の世界』が滅んだのは、空隙のスールードの仕業でしたか」

「そうよ。アイツが私達の世界に剣を突き立てて煌玉の世界を滅ぼした……!」

 

 唇を噛み、悔しそうに吐き捨てるゼゥ。慰めるようにミゥがその肩に手を置いた。

 

「しかし、まさか『剣の世界』の段階で君に接触していたとはな……もっと、早く教えてほしかった」

「すいません、ルゥさん。あの時分では、只の行商人だとしか……正体を知らなかった、なんて言い訳にもなりませんけど」

「それは、仕方が無いですよ……タツミさんの優しさに付け込んだスールードが卑劣なんです」

 

 ルゥは『自分の手で討てなかったのが残念だ』とばかりに眉を顰め、珍しくポゥまでもが嫌悪を露にした。

 

「アイツに、ボク達は大切なものをいっぱい奪われたんだよ。世界も、エルダノームに住んでた人も、クリたんだって……殺されちゃったと思ってたし……しかもそれが、『人が足掻いて足掻いて、そして滅びる姿が愛おしいから』なんだよ? ボクは……絶対に許さない!」

 

 発火しそうなくらいに本気の怒りを見せたワゥ。当然だ、誰が故郷を消されて……それを防ごうとした努力を嘲笑われて……惚れた相手を殺されかけて平静でいられるものか。

 

――ああ、判ってる。有害か無害かで言えば、アイツは有害だった。人を惑わす類の悪女だった。

 

「でも、俺にとっては……アイツは大事な存在だった。それだけは誰にも文句は言って欲しくないし、言わせない」

「アッキー……」

 

 その『死』を以って、彼は――……その存在を輪廻の輪から弾き出したのだ。守りたかった存在を、己の手で滅却した。

 だから、歯を食い縛ってでもそれを肯定する。それは彼が他の人物……母と慕った女性にも感じたモノだったから。

 

「少なくともアイツは……俺の知る鈴鳴は自分の定めに刃向かった。『在るがままで在る』ってのは、『自分に流される』事じゃない。『自分に打ち克つ』事なんです」

 

 ぽっかりと心に孔の空いたその感覚はまだ、忘れていない。

 

「少しでもマシな自分で在ろうと、闘う事。それが例え烏有に回帰したとしても、俺は――……それを美しいと感じたんだ」

 

 だが、いずれはその消し難い痛みも……止め途無く寄せる永遠(ナミ)が、跡形も無く押し流すだろう。

 喜びも哀しみも、えり好みする事無く。虹色の記憶もいずれは色を失い、灰色を経て……空と消える。

 

「だから誰が何と言おうと……俺は鈴鳴をスールードとは認めない、アイツはアイツなんです。それで……どうか勘弁して下さい、お願いします」

 

 土下座せんばかりに頭を下げる。斬首を待つ罪人のように、何の為の……誰の為の裁きかも、はっきりしないままで。

 

「……タツミ様は、酷い方ですね」

 

 静かなミゥの呟きにより深く頭を下げた。憎まれても仕方が無い、それ程の事を口にしたのだから。その洗い立ての頭……石鹸の香りがする癖っ毛の髪にぽん、と。小さな掌が置かれた。

 

「判っています、貴方がそういう人だという事は剣の世界から……」

 

 彼女は一言一言、しっかりと発音する。まるで物分かりの悪い弟を諭すように。

 

「……そのまま真っ直ぐに。曲がる事無く、貫いて下さい。それで……大目に見てあげます……」

 

 頭を上げる。目に映るのは優しい…しかし、堪える笑顔。堪えられた涙の持つその意味は、間違えようも無い。

 

「それに、第一俺は生きてた訳だからな。まぁ、あの野郎は未だに許せねぇけど……アキがそう言うんなら、俺に言うことはねぇ」

 

「……はい、すんません、皆さん」

 

 慰めるようなクリフォードの言葉にその一言だけを口にして、アキはもう一度頭を下げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 机を囲んで座る、蒼滄墨の少女達。手元にはそれぞれマグカップ、聖盃、紙コップ。充たされた水は聖盃から注がれたモノ。

 

「なるほど……つまり貴女のチカラは『空』……(ゼロ)が基軸になる。空が充たされているモノとして、(マナ)とすり替える……と」

「はい、イルカナさん……その、変換量は容器次第ですけど……」

 

 二人分を注ぎ終え、空になる聖盃。それに彼女が祈りを捧げれば……揺らぐように聖盃の淵から波紋が生まれて鎮まり、水鏡と換えた。

 

「充分に規格外な能力ですよ、アイオネアさん。概念系の神剣は大抵オプションが付きますけど……だから銃を使っているんですね。何度撃ち尽くしたところで、それが原動力。無限の連鎖、『輪廻(サンサーラ)』ですか」

「凄いよねぇ、イルカナちゃん。エターナルでもそんな神剣……あ、"輪廻の観測者"の【無限】はそれっぽいけど……」

 

 照れた金銀の龍瞳と得意げな蒼瞳と見詰め合った黒瞳の眼差しが、紙コップの内側に映る己の黒瞳と交錯する。

 たった十分程だが、仲良くなるのにそう時間は掛からなかった。

 

「『空』ですか、道理で。確か、古い意味で中空を表す数字……」

「えっと、どうかしましたか、イルカナさん?」

「ところで『担い手が存在する』のはどんな気分なんですか? 私も一応化身なので、興味有ります」

 

 あからさまに話を逸らして、彼女は媛君を見詰める。此処からは、研究ではなく神剣の化身の分体としての興味だ。

 

「……幸福です、とても」

 

 それに媛君は、己の慎ましい胸に手を当てて答える。奇しくもその瞬間に、彼女の所有者も同じように己の胸に拳を当てていた。

 

「私はずっと、箱庭の中で良いと思ってました。外は怖いところだって聞いてたし、位階も貰えなかった空っぽの神剣だから……誰にも必要にされないって」

 

 夜明けとも夕暮れともつかない、薄紫に微睡む、伽藍洞の真世界。そこで初めて人と出逢った彼女は、無限遠の世界よりもずっと広い空を見た。

 

「でも、アキ様は私と手を繋いで下さった。空っぽには、可能性が充たされてるんだって……だから私は、冀望をくれたアキ様の冀望になりたくて……」

「ちょっと待って、じゃあ貴女のその能力は……後付け?」

 

「はい、私には空っぽの器しか……可能性しか無かったから。アキ様に見合う能力を身につけたんです」

 

 驚いたように問い掛けたイルカナに、当然だと答える。生命に『同じもの』は決して有り得ない。遺伝子に限界は在っても、生命の系統樹に限界は無い。

 彼女は契約者の魂によって能力を変える神剣だ。ただ、神剣宇宙の誕生した瞬間からアキと契約する事が決まっていた以上、今の能力以外は有り得なかったのだが。

 

「本当に規格外なんですね、貴女の能力は……ううん、だからこそ無限よりも莫大なチカラを生めるのかしら」

 

 何かを得心したらしく、もう一度頷いて水に口を付けるイルカナ。

 

「ふぅ……本当に美味しいですね。流石は零位元素」

「零位元素?」

「こちらの話ですよ。でも……」

 

 と、ふと。イルカナは表情を暗くした。何かを諦めるように。

 

「羨ましい……私は結局お姉ちゃんのオマケ。化身の分体だから」

「あ……」

 

 ユーフォリアが思い至ったのは、彼女が一応は神剣の化身ながらも本体を持たないという事。そこに本能が有ったら……もう入口も出口も無い迷宮のようなものだ、と。

 

「違います。イルカナさんは、紛れも無くイルカナさんですよ。『在るがままで在る』という事は『自分に流される』事じゃなくて『自分に打ち克つ』事なんです」

 

 その否定を否定した刧媛。懺悔を聞き入れる聖女のように、主人と同じ時に同じ言葉で。

 

「空っぽでも、運命を斬り拓けたんです。一位のイルカナさんならもっと素敵な未来を斬り拓けます、きっと……」

 

 面食らったイルカナは、ポカンと口を開いていたが……やがて。

 

「出来る……のかな?」

 

 虹色に煌めいて見える冀望の光を、見出だしてしまう。

 

「はい、勿論ですよ。諦めたら、終わるんじゃなくて続かなくなるんです……だから、諦めないで……」

 

 そうして、聖女よりも聖女である真性悪魔は微笑んだ。銘のまま、『在るがままで在れ』と。

 

「うん、諦めちゃダメ。あたしも応援するから」

「ありがとう……二人とも」

 

 ぐっと手を握ったユーフォリア、その手を優しく解いてゆっくりと立ち――顔を上げたイルカナ。

 

「もうすぐ食事の時間ですね。さぁ行きましょう、アイちゃん、ユーちゃん」

 

 そこには日頃の彼女の本体と同じ、雛菊のように愛らしい笑顔が在った。


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