極楽浄土を模した箱庭の中心世界ゼファイアスに咲き乱れた百華が、水平に振り抜かれた聖なる剣の起こした風によって舞い上がる。
それと同時に最小単位『マナ』の粒子と化してエデガ=エンプルと永遠神剣・第四位【伝承】が立ち昇っていく様を見詰めながら。
「見てるか……約束は果たしたぜ……レストアス……ッ!」
遂に幾多の無理が祟り傷が開いてしまった右脚の痛みに耐え切れず、気が遠くなりながら崩れ落ちるように尻餅をつく。
「ふきゃっ?!」
「――イッ……!?!」
その際に永遠神剣の柄を握ったままだったので、ユーフォリアも後方に引き倒されるカタチで尻餅をつかされてしまう。
それが右腿の上だった為に絶叫を上げてしまいそうになったが……何とか堪えきった。
「あぅ、ご、ごめんね、お兄ちゃん……! お尻が……」
「い、いや……気にすんな。むしろ気付けになったからよ……」
頭の羽根を逆立てるくらいに慌てて、ユーフォリアはその小振りな尻をずらしたが……じくじくとした痛みは残る。
微かに眉をひそめたその様子に、彼女は暫くもぞもぞと動いて。
「……あ、あのね、お兄ちゃん。その……手を……離して貰えないと、手当てが出来ないの……」
もじもじと恥ずかしそうに身体を揺らし、【悠久】の柄を握り合う掌を見詰めて。俯いた為にさらりと流れた
「……あー……」
生誕の起火の使い過ぎて、数時間も間を置かずに何度も限界を突破した代償として。
指先から肘、膝から爪先までは引き攣ったように動かない。四肢の末端の感覚はほぼ死んだも同然の状態だ。
「……悪い。流石にハナクソほじる力も、って奴でな。躯が言う事を聞かねェんだ、振り解いてくれ」
――だから、不意にくらりと来たのはきっと……その疲れの所為だ。そうに違いない。
「むー……振り解けって言われてもお兄ちゃんが両手握ってるし、あたしだってへとへとだし……」
「じゃあアレだ……アイ?」
呼び掛けてみるが、返事は無い。だが、
アイオネアも【悠久】も疲れ果てて、休息に入ったのだろう。
「さぁて、どうしたもんかね……ふう」
「も~、それやめて~!」
何とか意識を持ち直し、丁度いい高さに在るユーフォリアの頭の上に顎を置いて、ふいーっと溜息を吐く。勿論、嫌がる彼女は羽根をパタつかせて抗議した。
「――糞……餓鬼……どもが……!」
「「……ッっ!?!」」
そしてそこが、まだ敵地だった事を思い出す。確実に止めを刺していない、残った神の存在を。
「貴様らのような……無知なる者などに……我らの理想世界の達成を……邪魔されて……堪るか……!」
「野郎……まだ生きてやがったか、しつけェな!」
ふらりと立ち上がって、憤怒と憎悪に染まった青い濁瞳を向けるエトル=ガバナ。
元々土気色の血色の悪い肌に加えて、アキの一撃を受けて変な方向に曲がった鼻と、その鼻から流れた血の跡が残った様は正しく怨霊。
「何故、理解出来ぬのだ……北天神も南天神も、全ては創造神により生み出されただけの紛いモノだ! 今のままでは我らは、【叢雲】を封印する為だけに創られた時間樹……この『牢獄』の番犬に過ぎんのだぞ!?」
「……『牢獄』、だと?」
「……っ」
その悍ましい姿にそぐわず、呪詛の如き文句を吐き付ける。意味の判らない言葉に、つい鸚鵡返しをしてしまった。
その直ぐ真下で、ユーフォリアが息を飲んだ事にも気付かずに。
「我は認めんぞ……必ず、ふざけた宿命を与えた『奴』を『座』から追い落とし、我の理想世界を創り上げて見せる……その為にもぉぉぉぉッ!」
狂気じみた声と共に突き出されたエトルの右の手元に浮かび上がる、無数のヒビが入った【栄耀】が軋みながらも紫光を発する。
あと一度でも何か衝撃を受ければ、割砕するであろうその神剣。
「――死ねェェェェいッ!!!!!」
「……ックソッタレ!」
だが最早反撃どころか、アキにもユーフォリアにも立ち上がる気力すら残っていない――!
「……な、に……? ぐ、アァァッ!?」
その右腕が青いマナを纏う槍戟に撃ち抜かれて断裂する。呆気に取られていたエトルだが、苦痛に直ぐに悲鳴を上げた。
「――……ちょっと、ケイロン。『外したらフォローよろしく』って言ったじゃないの。あの神剣を狙ってたんですけど?」
【……申し訳ありません、沙月殿。セフィリカに取り込まれている間に、どうも腕が鈍ったようです】
「会長……!?」
その『マーシレススパイク』の射手は、ログ領域から救出された学園生徒会長……永遠神剣・第六位【光輝】の担い手たる斑鳩沙月と守護神獣ケイロン。
「……万物の根源たるマナよ、間断無き命を我らに与えよ――ヴァイタルエクステンション!」
そして放たれた【栄耀】の紫光より二人を護ったのは、地面より迫り出した巨大な古木の守護神獣『賢明なる巨人』と、永遠神剣・第五位【慧眼】の担い手サレス=クウォークス。
「こちらには『賢明なる巨人』の加護が在る。我々の前に、敗北の運命など存在しない!」
「サレスさん?!」
その巨木より漏れ出すマナの慈光が、アキとユーフォリアを包む。圧倒的な癒しのチカラに、身体の傷と疲れが癒えていく。
「――待たせたな、二人とも!」
そこに望を先頭にした陣形を取る、旅団と光をもたらすものが駆け付けて、二人を囲んで防衛陣形を整えた。
「馬鹿な……!? 貴様ら……どうやって此処に?!」
右腕の傷口を押さえて、よろめきながら空を見渡す。ゼファイアスを被う障壁は解除されていない。
もしも障壁が解除されれば、空間転移によりゼフェリオン=リファに取って返し、潜伏している筈のサレスを始末する算段だった。
だが、障壁が解除されなかった為にエトル達は中央島にサレスは居ないと判断、目下の障害である二人の
「……残念だが、答えてやる義理も無い。ただ……よくやったな、巽、ユーフォリア。お陰で上手く事が運んだ」
「ハハ、さっすが代表。お見通しでしたか。相変わらず敵に回したくねェ……」
「よく言うよ、私の【慧眼】にも記載されない君の行動を判断する事、その深意を探る事がどれだけ大変だったか……情報が少ない君もな、ユーフォリア」
「あはは……」
指先で眼鏡を押し上げながら、彼は背後の二人を見遣った。呆れたような物言いだが、そこには労りの響きが有る。
「……さてと、無駄話はそこまでで良いでしょ? にしても雑魚よね、あれだけの好条件を整えておいて負けるなんて」
「ああ、此処までだ……」
進み出たナルカナ、その隣には望。そして『断罪の女神』ファイム=ナルス……
「わたしを利用した事……わたしに望ちゃんを殺させようとした事……みんなを傷付けた事!絶対に許さないんだから!」
否、永遠神剣・第六位【清浄】の担い手たる永峰希美。相剋の神名と衝動を、彼女の意志とファイムの意志に分割して有する事で克服した姿が在った。
「……我が……我の……予測が…………」
一体どこで手筈を間違えたというのか。必ず勝てる筈だった戦いは最早、勝率こそが零。
相方は消滅させられ、手勢は壊滅寸前。本拠ゼフェリオン=リファも陥落し、自身が展開した障壁の為に残った手勢が駆け付ける事はおろか脱出すら適わない。
「……こうなれば、奥の手だ!」
そうして引きずり降ろされた、『神座の守護者』の神名を持った道化が天に向けて左手を翳す。
その指先が鍵盤を弾くように動き、周囲にナル化マナが湧き出た。
それはエデガが消滅した地点へと凝集し――足元から積み重なって彼を再構築していく。
「……おお……身体が…………チカラが戻ってくるぞ……!」
「まだじゃ、こやつらを倒さねばならんのだからのう!」
「何……!? ま、待てエトル……まだ、ナルは制御出来ぬ筈では……! よ、止せ、我を実験台にするつもりか……グァァァァッ!?!」
既にエデガの蘇生は完了している。しかしエトルは、更なるナル化マナを送り込んでいく。
「おいおい、仲間割れか? なんだありゃあ……」
「知らないわよ、こっちこそ説明が欲しいわ」
「あいつら……勝手に『あたし』と同化してんじゃないわよ!」
ソルとタリアの疑問に答えた訳ではないだろう、ナルカナは相当に苛立った様子で叫ぶ。
「――させるかッ!」
「――ぬぅっ!?」
そこに、【慧眼】を開いて燐光を纏ったサレスが突撃する。エトルは対応しきれず、それに【栄耀】の攻撃でしか抗し得ない。
「サレス様ぁぁぁっ!」
「落ち着け、サレスは無事みたいだぜ!」
爆発と閃光、土煙が満ち溢れる中にタリアの悲鳴じみた叫びが木霊する。駆け出そうとする彼女を、ソルが止めた。
その言葉通り、多少の傷は負っているがサレスは生きている。
「……おのれ、ナルの注入を阻まれたか……まさか、捨て身で来るなどとは思わなんだ」
「予想出来なかった、か? 我々が生きているのは……
「ッ……だが……十分だ! さぁエデガよ、精々時間を稼ぐが良い!」
悔しそうに表情を歪めたエトル。だが直ぐにその姿が揺らぎ、空間転移にて消えていく。
「待て、逃がすかッ!」
「止めなさい、今はアイツより……コイツの方が厄介よ!」
それを追おうと駆け出しかけた望を、ナルカナが止めた。
その視線の先には……
「……オオォォ…………オオォォォ……」
空間に浮かぶ闇の塊。最早エデガの形などしていない、ただ、周囲を呑み込む底知れない闇色の穴がぽっかりと空いているだけ。
そこから感じられるのも、冷たい気配。マナを呑み込もうとする、ナル化マナの気配だけだ。
「何と言う……悍ましさなのでしょうか…」
「……これが、ナルに呑まれた者の末路という訳じゃな……」
カティマとナーヤが、冷や汗を浮かべて神剣を構える。合わせて他の皆、躯の傷と疲れは癒えても気力までは戻ってきていないアキとユーフォリア以外がそれぞれに神剣を構えた。
「無駄よ、あんた達の神剣じゃあ呑まれるだけ。アキならいけるんでしょうけど……今は無能、か」
「……放っとけ、莫迦野郎」
ナルカナはふぅ、と溜息を零して望を見遣る。そして−−…
「望、あたしを遣いなさい。アレには、あたしも混じっちゃってるけど容赦しなくていいから」
白い光と共に、その身体が一本の剣に換わっていく。毛抜型の柄を持つ、鍔元の刃部分には青い宝玉の嵌められた優美なシルエットをした両刃の和剣。
そこから発せられる、思わず息を呑んでしまう程の神性と武の気配。その姿こそ彼女本来の姿である、永遠神剣・第一位【叢雲】だ。恐るべきは、それが『意志』だけに過ぎないという処だろう。
「……分かった。それしかなさそうだな……」
望は【黎明】を腰の鞘に戻すと、右手をその柄に伸ばす。ゆっくりと伸びたガントレットに包まれた腕が、しっかりと柄を握る。
「のわっ! 何なのだ、今の声は?」
「……ナルカナ、どうかしたのか? 変な声を出して」
その瞬間、念話にて何かしら悶着が起こったらしく、レーメと望が訝しむ。
「凄い力を感じる……俺の身に余るくらいに。でも、確かにこれなら奴も倒せるな……いくぞ!」
だが、目の前の闇の存在を再確認した望は構わず駆け出した。迫り来る神剣に敵意を感じ取り、闇はナルに満ちた波動を放つ。
呑み込まれてしまえば、マナ存在では耐えられまい。
「ハァァァァァッ!」
望は両手で握り締める【叢雲】を大上段から振り下ろしてその悪意の波動を斬り開き、跳躍して――その刀身を楯の力……闇の中心へ、深々と突き立てた――!
「オォオ……オオォオォォォ……」
不気味な鳴動と共にエデガだったモノが霧散していく。後に残ったのは、何も無い虚空だけ。ナルに呑まれた以上、転生も無い。
可能性すらも呑み込む、真なる虚無がそこに在った。
「流石だな、完全勝利だぜ、望!」
「ひー、ふー……いつもよりずっと疲れた……」
その戦い振りに皆は口々に望達へ賞賛の言葉を贈っていたが、未だ動けないアキだけは腕の中で身を震わせた少女に気付いた。
『ヴァイタルエクステンション』によって既に肉体的には完全回復し、手は柄から離れてそれぞれの持ち主……【悠久】はユーフォリア、神銃に戻った【真如】はアキの左手に戻っている。
「……どうした、ユーフィー?」
「えっ……あ、うん……」
声を掛けられ、未だに彼の胡座の上に腰を落としていた彼女は振り返る。
力無く笑っているようだが、その目には――……涙が浮かんでいた。
「もしも……もしもお兄ちゃんに助けてもらえなかったら……あたしも……あんなふうになってたのかなって……怖く……なっちゃって……っ」
目の当たりにした死より悍ましい終末に、その小さな心は打ちのめされたのだろう。もしかしたら、自分もああして終焉を迎えていたかもしれない、と。
かたかたと身を震わせる彼女を、まるで子供のようだと感じて……まだ、子供だったんだと気付く。
「……莫迦。そんなしょうも無い事……金輪際忘れちまえ。いいな?」
遥か高く巻き上げた花びらが、漸く降り注いで来る。色とりどりの甘やかな香気を含んだ、まるで風花のように。
その花弁の雨の中、アキは……ユーフォリアの髪を梳くように、優しく優しく頭を撫でた。
「お兄ちゃん……ぐすっ……」
遂に涙を零したユーフォリアは、その涙を見せたくないとばかりにアキの胸元に顔を埋める。
「……ぅん……うんっ……ふぇぇ……」
それを咎めたり逆らったりせず、彼は彼女が泣き止むまでずっと……蒼く滑らかな長い髪を梳き続けたのだった……
………………
…………
……
ゼフェリオン=リファを中心点にアルフェ=ベリオ跡地の正反対の拠点、『リド=ヴァーダ』に停泊するものべーを目指す一行。
「あぅ、お兄ちゃん……本当に大丈夫? 重たくない?」
「ハハ、軽すぎるくらいだっての」
アキは腰が抜けてしまったと言うユーフォリアをおんぶした状態で【悠久】を支えに彼女の腿を固定、返して貰った【是我】のスリングを襷代わりにして走っていた。
因みに、【真如】の影はユーフォリアと完全に一体化してしまったらしく分離できないとの事。
「……にしても、ユーフィーちゃん、いつの間にか随分成長してるじゃない? 私がいない間に何をしたのよ、巽君?」
「本当、随分おっきくなってるって言うか……主に、胸が」
「何もしてねーですよ、全く……」
「希美ちゃん、どこ睨んでるの?」
くふふー、と茶化す沙月と温かい目で見守る希美にジト目を返す二人。尚、希美が羨ましそうに見詰めた部位はアキの背中でぷにっとなっているアレの事。
「っとと……」
「ふあっ! お兄ちゃん、やっぱり」
と、意識を逸らした為に小石に蹴躓いてよろけてしまう。当然の事だが、アキも疲労困憊なのだ。
「煩いぞ、全く……こういう時はな、黙って男を立てとけよ」
だが……自分の背中を頼りにする存在が居る以上は、痛いだの苦しいだの疲れただのでヘタレていられない。
「……お兄ちゃんの意地っ張り」
「何を今さら」
それに、何より――昔、どこかで感じた事があるようなその重みに憧憬を覚えたのだ。
――懐かしい、か。昔ッつっても、時間樹外から来たユーフィーを背負う機会なんて有る訳がないし、有ったとして……
「……えへへ」
「今度は何だ、いきなり笑ったりして?」
「何だかね、懐かしいなぁ……って思ったの」
と、背中で囁いた彼女。それに足を止めずに聞き返せば。
「昔ね……こんな風に、おんぶして貰った事があるんだ……一回しか会った事がない男の子だったんだけど……凄く優しい男の子だったんだ……」
そう、幸せな夢を見るように回想する彼女の寝惚け眼。それに、何とも言えない感情が芽生えた。直ぐに解ったのだ、それが……希美が望の事を話す時と同じだったから。
――だから、きっとこの感情は……それが拗れただけ。それ以外になにがあるってんだ。コイツだって女の子なんだ、恋くらいしてるだろう……。
「……また……会いたいなぁ…………あっ……くん……」
「悪かったな、王子様じゃなくて悪党でよ」
戯けて答えながら歯を食い縛り、尽き果てた体力を尽き果てた気力で空転させる。
正しく『終わりから始まる』能力を持つ、永遠神剣・空位【真如】の担い手の面目躍如たる芸当だ。
「ところでよぉ、空。どうやって俺らがあそこに駆け付けたか知りたくねェか?」
そこに、どや顔のソルが寄って来る。自分が立案した策でも無いというのに、余程彼に自慢したいらしい。
そんな彼の方を見ずに、アキは。
「にしても、流石はクウォークス代表。空間跳躍の門を建てただけで中枢の転送装置に繋げろッて事だと気付くなんて」
前方を走っていたサレスに話し掛けた。呼び掛けられ、サレスは彼の隣に移動して来る。
「あんな場所に、これみよがしに建てられれば馬鹿以外は気付く。寧ろ、打開策に気付かなかったらとヒヤヒヤしたものさ」
「ですね……俺らの方も限界ギリギリでしたし。やっぱ敵に回したくねェな」
ソルラスカ・カティマ・ナーヤ共通の、コンストラクタ……つまりは戦況を優位に導く為のアーティファクト構築スキルで、フロン=カミィスに拠点間を繋ぐ『空間跳躍の門』を建設した。
その深意をサレスが【慧眼】にて読み取り、ゼフェリオン=リファから直接中枢の転送装置にリンクさせて、本来は空間跳躍の門同士でしか出来ない転送を可能にする。それこそが、アキとクリフォードとポゥが各々で同時に思い描いた策戦だ。
つまり、この策戦の肝は如何に管理神に気取られずにサレスとの連携を取るかと管理神を引き付けられるかだった。
要するに、この策戦による勝利は三人の阿吽の呼吸で仕組まれた事になる。
そして漸く、アキはソルラスカに満面の笑みを浮かべて振り向く。物凄く清々した顔で。
「……で、なんか用か、ソル?」
「……ううん、別に何も……」
すごすご退却していく、そんな彼をタリアが呆れた目で見ていた。
「……ところで、代表。ナル化マナとエトルはどうするんですか?」
ものべーが見えたその瞬間に、ゼファイアスを覆う障壁が消えていく。それを驚く事も無く眺め、アキは質問を口にした。
サレスは眼鏡を押し上げて、深く思案した後に。如何にも『解っている事を聞くな』とばかりに溜息を吐く。
「永遠神剣があれだけズタズタに損傷しているんだ、エトルは長くは持たないだろうさ。ナル化マナは……抗体兵器を利用する」
虚のチカラを振るう抗体兵器は、その内部にナル化マナを貯める事が出来る。更に、理想幹の巨大な精霊回廊に接続すれば莫大な増殖が可能な設計になっている。
それを利用するという訳だ。
「制御系を奪い、残機を回収に。増殖した機も順次回収するように再設定して中枢をシステムダウンさせた。如何なる異能を持っても干渉不能の君の能力や攻撃と同じ。どんな策を弄そうと、アクセス出来ない以上どうしようもない」
「怖えなァ……本当、敵に回したくねェや」
ニヤリと笑いかけたサレスに、アキは苦笑を返す。そして一行は、ものべーの作り出した"転移門"をくぐった。
………………
…………
……
命からがら、中枢部ゼフェリオン=リファに降り立ったエトル。
精霊回廊に繋いでいた抗体兵器やマナゴーレムは奪い取られており、ミニオンを生産しようにも神剣【栄耀】は割砕寸前だ。
もう……一撃を放つのが限度だと、神剣士の本能が悟っている。
「おのれ……おのれ…黙ってこのままでは済まさんぞ……!」
それでも彼は憎しみを収めない。ログ領域から今も漏れ出しているナル化マナにも気を止めず、障壁を再展開し残存勢力を奪還すべく、もう動きもしないコンソールに急ぐ――
「――あら、おじいさん。そんなガラクタで何をしようって言うの?」
その時、突然背後から響いた声に、彼は冷水を浴びせられたような怖気を感じて振り返る。
そこに立っていたのは――……女。白いヴェールのみを身に纏った、露出の多い紅い長髪と瞳の美女……『最後の聖母』イャガだった。
「こんにちは、随分と焦っているけど……どこかで、立食パーティーでも催されてるの?」
ニコリと、彼女は優しく微笑む。だが、その笑顔は要するに――食卓に並べられた料理に向ける、祈りや感謝と同じ。
「貴様……何者だ! 一体どうやってここに入った?!」
「ごめんなさいね、それは私にも判らないの。何者なのか、何処に行くのか」
「くっ……頭のおかしい女め……」
一歩を踏み出したイャガに対して……じり、と。エトルは後退った。腐っても、時間樹を運営した神。彼女がどんな存在なのか、解らずとも肌で感じ取ったのだろう。
「どうして、逃げようとするの? 悲しいわ」
底の無い奈落のような深紅の瞳に、魂まで吸い込まれそうな錯覚に陥ってしまう。
既に悟っている。逃げなければ、殺される。この女は始めから……危害を加える心算で現れたのだ。
「う、煩い、近寄るな! 我は理想幹神なるぞ!」
「あら……そうだったの……? ごめんなさいね、ちっともそうは見えないわ」
その言葉に、エトルは憎悪の瞳をイャガへと向ける。彼は手負いの獣だ、追い込まれてしまうと何をするか判らない。
『アナライズ』により隙を探り、『ビジョンスフィア』を放とうと構えて――
「そうね、時間も勿体ないから……早速」
と、突然に彼女は口を開いて――閉じた。本当にただ、それだけ。
「あら、貴方……意外とイケるのね」
「は――?」
それだけでイャガの口からは骨を噛み砕くような無気味な音が響き、エトルが地面に倒れ込んだ。
一体何が起こったのかも判らずに、今まで地面を踏み締めていた筈の足を見れば――
「なんだ……これは?」
綺麗さっぱり、膝から下が無くなっていた。右の腕を失ったのは記憶に有るが、足はいつ失ったか判らない。
「次は腕にしようかしら」
「な……なんだ、これは?」
再度、彼女が虚空にかじりついた――瞬間、左腕が無くなった。肩、腿、腹部……イャガがその口を開き閉じる度に躯が欠損していく。
だと言うのに、血の一滴も流れず痛みも無い。何一つ、彼には目の前の状況が理解出来ない。
「……は、ははは……そうか……これは……夢だな!? 悪い夢に決まっておる」
その余りにも不条理な存在に、神の誇りも矜持も何もかも、全てを彼は投げ捨てた。
これは夢だ、と。覚めれば消える悪夢に違いない、と。
「そうね、もう夢にしておきなさいな。そして夢の続きは……私の
それすらも彼女は優しく包み込む。彼女にとっては、あらゆる生命が赦すべきモノ。だから、なんであれ否定はしない。
今までで一番大きく、その口唇を開いて――……
「――――待て、その前に!」
悲痛なまでの声で、『その前に』……一体、彼は何と言おうとしたのだろうか。
彼女の口が閉じられてしまった今、その言葉の続きが紡がれる事は二度と無い。代わりに響くのは、骨を噛み砕く咀嚼音。
最後に残っていた上半身を一気に喰われて完全に消滅した。それが『欲望の神』にして、理想幹神と呼ばれた男の末路。
今や、彼女の腹の中で消化を待つのみ。神名もろとも食われ、最早転生する事もあるまい。
「……美味しかったわ、でも……まだ足りないわね」
彼女は、剥き出しの腹を撫でる。人一人を呑み込んだにも関わらず、全く膨らんではいない。
「あら、次の食事が向こうから来てくれたわね」
そう、薄く笑って……イャガは遠くへと離れていく次元くじらの姿を見詰めた後に、ナル化マナを回収しようと集結して来る抗体兵器達を眺めた……。
………………
…………
……
少なからず危惧していたエトルからの攻撃は一斉無く、理想幹を脱出したものべーは、悠々と分枝世界間に泳ぎ出た。
「どうやら、追撃は無いようだ。皆、よくやった……我々の完勝だ」
学園の校庭にて、いつ敵が来ても闘えるよう即応体勢を整えていた一行。一斉にシュプレヒコールが上がる――
「……はふ……ボク、もう疲れて歩けないよ…」
「あー、本当に疲れたわ……お酒が呑みた〜い」
「ふう……早くシャワーを浴びて寝てしまいたいのう」
「ぐごー……」
「……ソルなんて立ったまま寝てるわよ」
「まぁ、器用なものですね……」
事も無く、皆は一斉に脱力した。誰しも、極限まで緊張していたのだから。三々五々に警戒を解き、皆は神剣を仕舞う。
張り詰め、凍てついていた空気が一気に弛緩し、朗らかな温かさが満ちていく。
「にしても……懐かしの
ぐっと背伸びをした沙月。ほんの数日だろうが、やはり離れていると恋しくなるモノなのだろう。
――ログ領域で前世『誕生を司る太陽神』"セフィリカ=イルン"に躯を乗っ取られていたという会長。浄戒で前世は消滅したそうだが…そんな神が居たのか。俺の前世
「……わたしもなんだか、懐かしく感じちゃうな……」
朗らかに笑っている希美。サレスによってログ領域から相剋を分断されて、二ツの意思が並列しない限り神名が目覚める事はない。
事実上は克服したのだ。
「ふぅ、つーかーれーたー……少し休むわ」
と、一番元気そうなナルカナが校舎に消えていく。
先程エデガを倒す際に、望に柄を握られてから様子がおかしかったのだが……持ち直したようだ。
「……じゃあ、俺もコイツを部屋に寝かせてから休むわ……」
「そうだな……明日の事は明日考えようぜ……あふ」
遂には寝てしまったユーフォリアを背負うアキがそう口にしたのをしおに、他のメンバーも次々に校舎に入っていく。
人を背負っている為と、第一位の神剣を片鱗とはいえ使った疲労によりヘロヘロと歩くアキと望も、最後尾で校舎に向かった。
昇降口で望と別れ、途中自販機でミネラルウォーターを二ツ買ってユーフォリアの部屋に向かう。
蒲団に寝かせて肩まで掛布を掛け、枕元に永遠神剣・第三位【悠久】とペットボトルを置いて。
「…………」
何かに操られるかのようにスッと、右手を……無防備なその頭に手を伸ばしかけて、はたと止める。
――危ねェ危ねェ……幾らなんでもそれは無しだよな、うん。相手の同意も無しに……。
ちらりと、盗み見る。スヤスヤと眠るユーフォリアの寝顔――……の頭の白い羽根を。
それは今でもピコピコと、まるで誘うように動いている。
――アレはやっぱ生えてんのか?! いやいや落ち着け、同意無しじゃ痴漢と同類……例え事後承諾でOK貰えたとしても、俺自身の矜持が許さねェェェ!
ついつい摘みたくなる衝動に衝き動かされる右手を捕まえて、ぶん投げる。繋がっているのだから、意味はないが。残り僅かな気力を総動員して、部屋を後にしようとして振り返れば――
「……何してるの、巽君?」
「……いや……別に」
そんな様子を、完璧に不審者を見る目で見ていた沙月と希美と……バッチリ目が合ったのだった。
「なんつーか、その……大分疲れが溜まってるみたいで……手が出て」
「うん……そうだね。くーちゃん、大分
一応の理性の勝利に安堵しながらリノリウムの廊下を歩くアキと……今度は可哀相な人を見る目をする希美とジト目を向けてくる沙月。
火照った躯に冷たさは心地好いが、決して美味く感じないミネラルウォーターを傾ける。
本当ならばアイオネアの産む水が飲みたかったのだ。しかしまだ休息している状態、無理な注文だ。
「全く……いい、いくら成長したからってユーフィーちゃんに手を出すのは犯罪ですからね」
「そうだよ、改正された条例に違反しちゃうよ? 経歴に前科が付いちゃうよ?」
呆れ顔の二人は人差し指を立てて、説教する口調になる。まだ戦闘装束姿だが、恐らくはこれから風呂なのだろう。脇に抱えた着替えの制服が、如実に物語っている。
「いやいや、そういう意味の手を出すじゃねェから! 羽根が本物かどう……か……」
「……何よ?」
不本意な誤解をされている事に、反駁しようとして……アキは、沙月の頭を見遣る。
「……因みに会長……その頭の羽って……何ですか?」
そこには紅い髪と……白い『羽』が存在している。沙月はにこりと、一部の隙も無い笑顔でアキに笑い掛けて。
「さぁ?」
「『さぁ?』ってアンタ……自分の事ですよね?」
「しかし驚いたわ……君が神剣士になってるなんて」
「わぁ、華麗なスルー。後、俺は神剣士じゃなくて神銃士です」
「あはは……相変わらず、くーちゃんはそういうところにこだわるね……」
視線の先には、ライフル剣銃型の永遠神銃【真如】。深い瑠璃色のダマスカスブレードを揺らして、得意げに口を開く。
その時、丁度浴室とアキの自室の分かれ道にに差し掛かっている事に気付いた。
「本当、今回は食事当番の事とかで迷惑掛けてごめんね……お疲れ様、くーちゃん」
「ま、そうね……ユーフィーちゃんをしっかり護りきった事は褒めてあげるわよ」
「あー……そういうの苦手だから、止め止め……じゃあ、また明日」
そうして希美と沙月の二人は、揃ってふわりと笑う。こそばゆい気持ちになったアキは、頬を掻き歩き去ったのだった。
………………
…………
……
そして理想幹を脱出した翌日、分枝世界間を航行するものべーは魔法の世界を目指している。
その時、泥のような眠りを貪っていた全員が自然に起きて結集していた。
「うう……頼む、急いでくれ……もうもたねェ……」
「早く……早く持って来てよ〜……」
「うにぃ……ゆーくん…どうして鞘みたいなカタチに……みゅーぎぃってだぁれ……?」
「んん〜……ゆーちゃん起きて〜」
台に突っ伏して掠れた声で呟く、ソルラスカとルプトナ。まだ寝呆けて、こっくりこっくり舟を漕いでいる……一晩経って元の幼い姿に戻ったユーフォリアを、倒れないようにアイオネアが支えている。
別の台には望とレーメ、ナルカナとカティマとナーヤ。更にタリアとヤツィータとスバル。
エヴォリアとベルバルザードに、澄ました顔で【慧眼】の頁を捲るサレス。
そして更に別の卓にミゥとルゥとゼゥ、ポゥ……まだ寝ているクリフォードとワゥの姿が在った。
「希美ちゃーん、こっちの焼売は出来たけど唐揚げは出来たー!?」
「はい先輩、今揚がりましたー! くーちゃん、炒飯は?」
「悪い、もう少し掛かりそうだ……おい暁!餃子は焼けたか!」
「何! 水餃子じゃなかったのか?」
「「「ええっ!?!」」」
「冗談だよ」
「「「暁ィぃぃ!」」」
そう、食堂だ。厨房は忙しさの余り戦場に、食卓は餓えきった屍が幾つも突っ伏して地獄の様相を呈していた。
漸く全員に食事が行き渡った時、代表して望が立ち上がった。視線が集中した事を感じて、彼は少し緊張して表情を硬くする。
「えっと……皆、今回の戦いは皆の頑張りがあって成功した。誰一人欠ける事も無く帰って来れたのも、一重に皆のお陰だ……」
掲げられるグラス、注がれているのは学生の手前ジュースだ。ソルラスカやヤツィータは『締まらない』と文句を垂れていたが。
「勝利を祝して――乾杯!」
『カンパーイ!』と唱和した瞬間、獣が獲物を貪るように騒々しい食事が始まった。
その先陣を切るソルとルプトナ、ナルカナ、ワゥの奪い合いを余所に、アキは調理者特権として先に取っておいた料理……アイオネアに預けていた分に箸を付けた。
「兄さま……どうぞ」
「ング、ムグ……悪いな、アイ」
空位の永遠者である代償として、腹が減る事を忘れたアキは申し分程度に料理を口に運ぶ。
そんな彼に、左隣に座った制服姿の花冠の少女は靈澪を湛えた聖盃とたおやかな微笑みを向ける。
「……にしても、化身ってのもピンキリよねぇ。アイちゃんみたいな器量の佳い娘も居れば、あーんな騒々しくて生意気なのも居るんだしね。よーしよーし……」
「あぅ……えっとその……有り難うございます、サツキさん……」
「会長……それ、本人に聞かれたら大変な事になりますよ」
俯いて人差し指をつつき合わせるアイオネアを撫でながら、ポツリと呟く沙月の視線の先。
ソルラスカ達を『ディシペイト』により氷漬けにして無力化、料理の一人締めを図り……望のチョップでたしなめられてしまったナルカナの姿が在った。
「……ああ、そうだ会長。俺、嘆願が有ったんでした」
「嘆願? 一体何かしら」
箸を置いて改まる。そして、決意と共に。
「――学園祭、やりましょうよ」
理想幹攻略作戦を開始する前に、冗談めかして言っていたその本心を口にしたのだった……