黒紫に塗り潰された天木神社の境内に、さながら空間を焼き切るように燃え盛った蒼茫の焔と共に一組の男女が現れた。言うまでもなく、それはアキとユーフォリアだ。
「はふぅ……お兄ちゃん、大丈夫?」
強制力の枷から解き放たれ、知らず詰めた息を吐いたユーフォリアが問い掛ける。それにアキは、小脇に抱えていた彼女をゆっくりと下ろしながら。
「ああ、大丈夫だって。ちょっと腕と肩口を抉られたくらいだ。なぁに、これくらいなら『剣の世界』でダラバに付けられた傷の方が酷かったぜ」
裂かれた外套、砕かれた鎧、破かれた戦衣。ただ永遠神剣の切れ味だけでこれだ、もしもマナの加護を受けていれば――間違いなく一刀両断だった。
「全然大丈夫そうじゃないよ~! ところで、『だらば』さんってだあれ? 酷いことするよね」
「まぁ、戦争だったからな……それに、死人をあんまり悪く言うなよ。立場が違っただけだ」
ぷくーっと頬を膨らませて、既に血が止まり薄皮が張り掛けている傷口を見遣る彼女の肩をぽむっと叩く。
それだけで、重傷を負い、ダークフォトンやオーラフォトン、生誕の起火を使い過ぎた反動か。意識を翔ばし掛けた事は、噫にも出していない筈だ。
――クソッタレが……危ねぇな。兄貴が妹の前で、情けねェ姿を晒す訳にゃいかねぇんだよ。
危うく、奥歯を噛み締めて。悪辣に笑うような表情で、何とか意識を保つ。多少、頬を噛み切ったのは誤差としておこう。
「兄さま……あの、呑まれますか?」
「いや、いいよ。あんまり便利なものに頼り過ぎるのはどうかと思うしな。なぁに、半日もすりゃあこんな傷くらい治っちまうって」
【真如】から化身体に戻り、心配そうに
「――これ、若造ども。其処は神々の通り道じゃ。脇を歩きなされ、全く……これだからゆとり世代は」
そこに、提灯を提げた老人が呼び掛けた。その男性は、『写しの世界』で環の脇に控えていた――
「加山さん――」
「戯け、儂は『鹿島 信三』。誰が若大将じゃ……いや、悪い気はせぬが」
「こりゃ失礼しました」
白髪に口髭を蓄えた、痩躯の宮司の老人。その手には提灯の他に、鞘に収まったままでも一目で大業物と分かる、鯉口を切った古刀が握られている。
――まぁ、いきなり現れたしな……武闘派集団の『出雲』の面々からすれば、頚元に刃を突き付けられたようなもんか。
『余裕無かったんだから勘弁して欲しい』と頭の中で思いつつ、辺りの物陰に潜んでいる
「…………」
敵ではないと察してくれたらしく、彼女達は――光をもたらすもののミニオンのように狗……秋田犬や柴犬等の様々な日本犬の姿をした防衛人形達は、三々五々、何処かに消えていった。案外、セキュリティは万全だったらしい。住んでいた時は気が付かなかったが
――ひょっとして、綺羅の私兵だったりしてな。流れ星綺羅……それはそれで見てみたい気も。
等と、取り留めの無い事を考えつつ。拝殿の裏にある住居区に歩み入る。と――入り口に、そわそわと提灯を持った小柄な人影。更にその後ろには女性が六、男性が二人。
それを見てとった信三は、最前の人影に向けて一礼した。
「おお、綺羅か。夜分遅くにご苦労――」
「――ご主人様!」
その挨拶を聞きもせず、綺羅は一目散にアキにしがみつく。赤い瞳に、涙すら湛えて。
「おおっと、こら……そんなに大歓迎されたら困るぞ、綺羅?」
「……また軽口を……あの【聖威】と闘ったのですよ、少しくらい弱さを見せてください……」
「はは……大の男が、女の前でか? 無茶言うなよ」
苦笑しながら、白髪に手櫛を通す。更々と、実に手触りの良い髪に。まるで、飼い犬を愛撫するように。
綺羅はそれに、戦衣を引っ張るようにしながら口を開く。
「ご主人様……無茶はしないでください……私を少しでも思って下さるなら……ぐすっ」
「分かった……だからほら、あんまり泣くな。ドS魂に火が付いちまうだろ?」
折れている為に上がらない左腕ではなく、右腕で。犬耳を揺らすように。
「むぅ~っ! 綺羅ちゃん、お兄ちゃんは怪我してるんだから、あんまりくっついちゃダメなのっ!」
「そ、そうです……! 早くお休みになられないといけないんです、兄さまは……!」
と、回りがどんな反応をすれば良いのか悩んでいるところで、ユーフォリアとアイオネアはアキを取り戻そうとするかのように彼にしがみつく。
「それなら、私が手当てしますから問題ありません。第一、言っている事とやっている事がちぐはぐです、あなた達が離せばいいではありませんか」
『ぶ~っ!』と頬を膨らませて可愛らしく睨むユーフォリアと、『む~っ!』と涙目で上目使いのアイオネア。対するは、『う~っ!』と小さく唸るジト目の綺羅。
三者三様でありながら、一様にアキに抱き付いたままで。
「………………」
その
ベルバルザードは、覆面なのでどんな表情か分からなかったが。
「ふふ、いつの間にやら随分と人気者ですね、空さん?」
「うっ……環さん」
「あ――ご、御当主様!」
おっとりとした声に目を向ければ、臍が眩しい改造和服。天女の如き黒髪の美女にして、平安の世より連綿と続く退魔の旧家『倉橋家』の現当主・倉橋環の姿。
それには綺羅も居住まいを正す。見れば、信三も刀を右手に持ち替えていた。二心が無い事を示す行為だ。
「仲が良いのはいい事ですが、貴女は『倉橋の戦巫女』の従者です。きちんと状況を弁えなさい」
「は、はい……申し訳ございません……」
叱られてしまい、犬耳巫女はしょんぼりと項垂れてしまう。尻尾などは可哀想に、袴の内側に捲き込まれてしまっていた。
「空さんも空さんですよ? こう言う時、年上ならば年上らしく教え導くのが正しい在り方とは思いませんか?」
「は、はい……仰有る通りです」
そして、案の定とばっちり。その静かな迫力に逆らえず、素直に叱られてしまう。
――いや、そう見えてこの三人は全員俺より年上なんですが……言わない方がいいんだろうなぁ……。
相変わらず外見で損している事に、溜め息を禁じ得なかった。
放っておけばまだまだ続きそうなお叱り。それを見かねたか、単に時間が惜しくなったか。信三が口を開く。
「御当主様……そろそろ本題に」
「あら、私とした事が――こほん、そうですね、では本題に。皆さん、奥の間に」
それにより話を切り上げた環に導かれ、全員が奥の間に移動した。
「まぁ、本題といっても大した事ではありません。明日朝、ナルカナ様達が帰ってこられると言うだけです」
皆が一堂に会したところで、環は簡潔にそう口にした。
「「「「「――――――――………………」」」」」
それだけで、空気が凍りついた。祭りの打ち上げ花火が終わってしまったか、折角の洗濯途中に鬼が帰ってきてしまったような空気だった。
何気に、環も信三も綺羅も。中々よろしい
――斯く言う俺も、まるで滑り止めなしで受けた本命の大学に落ちた浪人生の気分だ……後は環さんが何を言っていたかすら記憶に無い。
そんな状態で、気付けば風呂に入っていた。いつの間に……夢遊病の気でもあるのか、俺は。
と、お約束なことを考えつつ。折角の癒しの時を楽しむ事にして。
「フゥ……いやほんと、いい湯だ」
「全くだ……日頃の疲れが染み出すようだ」
「…………むっっっっさ」
両脇のクリフォードとベルバルザードにげんなりとした表情を作ったそのまま、アキは頭の上に乗せた手拭いを絞ってから頭に乗せ直しつつ透徹城から酒と盃、そして盆を取り出して湯に浮かべた。
――何てーか、ちっとも癒されない。俺の時間を返せ。あとベルバ先輩は風呂でくらい顔を出せ。
ちびりと盃を舐めながら手拭いで顔を隠しているベルバルザードを見てそんな事を思っていると、その視線に気付いたベルバルザードが――頭を下げた。
「今、こんな穏やかな時間を過ごしているのは……お前のお陰だ。決して赦されようもない殺戮者である我ら『光をもたらすもの』が、な」
湯気に消え入るように小さな声で、そう呟きながら。
「……ま、そりゃあそうだろ。守らなきゃいけないもんの為だろうが何だろうが、命を奪ったからには死んでも咎人だ」
「はは、厳しい奴だな、アキは。普通そこは優しい言葉をかけてやるところじゃねぇか?」
「姉御の場合ならそれも考えたけどなぁ……先輩には踏みつけられて雑魚呼ばわりされたし」
「まだあの時の事を根に持っていたのか、貴様は……」
それをいつもの悪辣な笑顔と辛辣な言葉で斬って捨てたアキに、クリフォードが苦笑する。それに更に軽口を返せば、ベルバルザードも呆れたような声色で答えた。
「ならば――丁度良い。明日朝一番で手合わせといこうではないか」
「ハ――上等、今度はアンタを地に這い泣き叫ばせてやりますよ」
言いつつ、浴槽から出たアキ。上がる為ではなく、単純に尿意を催した為だ。
さりとて、完全和風のこの天木神社。ユニットバス等ではもちろんない。
なので、排水溝の前に立って――ジョボボと以下略。何が面白くてそんな描写をしなくてはならないと言うのか。
「フゥ……」
「お……中々でかいな、まぁ俺の程じゃないが」
「何おぅ、確かにアンタの600NEに比べりゃ口径で劣るが……俺の50BMGを舐めて貰っちゃ困るぜ。装薬量は上だ!」
「舐めるかよ、色んな意味で……」
と、その隣にクリフォードが並んでジョロジョロと以下略。具合により、前からではなく後ろ姿でイメージするのを推奨する。
そんな二人の間に――ボジョボジョッ、と一際激しい水音。そう、巨漢ベルバルザードが以下略。その量たるや、排水溝が一時的に溢れた程であった。
「ベッ――!」
「ベル、バ――」
「――アララ……」
それに、二人は目を見開く。その、デイビークロケットの核砲弾に。
みるみる内に潰えた両脇の二人の水音を尻目に、その水音はそれからも一分近く続いた。
「ヨウ……中華饅頭デモ買イニイコウゼ」
と、ブルンブルンと滴を払いながら、何故か片言でそう口にしたベルバルザード。
「「――チワァァァァッス!!!!!!」」
そんな彼に、アキとクリフォードは揃って頭を下げたのだった。
………………
…………
……
そんなこんなで風呂を上がっていった二人を見送り、もう一度湯に浸かる。今度こそ、自身の治癒に専念する為に。
――皮と肉は繋がった。後は骨だけなんだが……こいつが中々治らない。そう言えば未来の世界のガーディアンも、骨を断った腕や翼は再生が遅そうだったしな……。いくら龍の因子と言っても、メリットばっかりじゃ無いって事か。
まだ上がらない利き腕を労るように、右手で肩を揉む。ゴキゴキとする感触は、ただ折れたのではなく粉砕だという事の現れ。
溜め息を吐いて湯中で胡座をかき、桧作りの浴槽に寄り掛かって天井を仰ぐ。
――明日中には治しとかないとな……しかし、この世界はマナが薄いからな。治りが遅い遅い。
苦戦している理由は、それである。マナの希薄なこの世界では、癒そうにも逆に吸いとられているような感覚すらあるのだ。
「こうなったら、誰かからマナでも貰おうかなぁ……ハハ」
等と、するつもりもない悪行を挙げてみる。マナ存在同士は、そういう事が『そういう事』で出来るのだ。詳しくは年齢制限的な問題なので割愛するが。
「ふ~ん、誰から?」
「そりゃあお前、やっぱり姉御とか環さんなんかのナイスバディな大人の女性がいいなぁ」
と、寄り掛かるように右足の上に座った、生まれたままの姿のユーフォリアからの問いかけに答えた。
「むぅ……それでしたら、わたしの雫を呑んで下されば良いのに」
「こらこら、女の子がそんな誤解を受けそうな事を言うんじゃありません」
逆側の左足に座って寄り掛かる、同じく生まれたままの姿のアイオネアが再度進言するも、アキは聞き入れなかった。
彼は格子窓から覗く満月と星宿を眺めながら、両脇の二人の幼げな腰に手を回して抱き寄せ――
「……いつ入ってきた?」
笑いながら、問い掛けた。それに二人は、きょとんと見詰め合って。
「「今」」
「さいですか……」
全く気付かなかった事に、アキは流石に戦慄した。戦士としては、あるまじき事だ。そもそも二日間まんじりとも寝ていないのだから、ただ単に限界なだけだろうが。エターナルにも、疲労回復の睡眠は必要なのだ。
しかしそんな事より、問題は――
「邪魔したな、じゃあ兄は先に上がるから」
と、腰に手拭いを巻いて自称50BMGを隠して立ち上がる――事は、脚に乗る二人が居る状態では出来なかった。
「ダ~メ。あたし達は、お兄ちゃんのお手伝いしに来たんだから。片手だと、髪とか洗いにくいでしょ?」
「はい……その、左手が使えないんですから、わたし達が兄さまのお体をお流しします」
「いや、いいって……別に一日くらい洗わんでも」
それでも立ち上がろうとする彼を押さえ付けるように、二人は小さな裸体を押し付けてくる。
「「む~~っ!」」
「こ、こらっ! しがみ付くんじゃない!」
湯の温度に桜色に色付く抜けるように透き通った白磁の柔肌と、浅黒く傷だらけの筋肉質な肌とコントラスト。左右の、同色ながらも全く質感の違う青色のグラデーション。
その湯よりも温かな薄い肉付きと――脇腹に感じる、ささやかな感触。少しでも乱暴に扱えば壊れてしまいそうな儚さに、知らず鼓動が乱れる。
――ま、待て……落ち着け巽空。お前は犯罪者予備軍のロリコンさんじゃないだろ? そうだ、こんなものはあれだぞ、日頃の引っ付きもっつきの延長だ。色即是空、空即是色だ(?)。
「――失礼します、ご主人……巽様。あの、差し出がましいとは思ったのですが、お怪我で不便をしていらっしゃるのではないかと思い、お手伝いしに参りました」
「この忙しい時に……」
等と考えていると、やたらと緊張した声が真正面にある湯屋の戸の向こうから響く。幾分上擦っているが、間違いなく綺羅の声だ。
「い、いや、大丈夫! 心配には及ばな――」
「はいっ! その、不束者ですが、精一杯努めさせて頂きま……す…………」
「人の話を聞いてくれ……頼むから」
断ろうと口を開くも、最初から随分とテンパっていた綺羅はそのまま戸を開けてしまった。その赤い瞳が、浴槽内で絡み合う三つの裸身を捉えて……呆けたようになる。
「ふふ~ん、綺羅ちゃんはいいよ。人手なら足りてるから」
「は、はい……兄さまは、わたしとゆーちゃんだけで大丈夫ですから」
そこに、アキに引っ付いたままの二人が勝ち誇るように口々にそう告げる。さしもの綺羅も、何も言わずに戸を閉め――
「――いいでしょう、私も倉橋家に仕える誇り高き狗神族の末席……武でも知でも、閨でも他者の後塵を拝す訳にはいきません!」
「何でそうなるんだぁぁぁッ!!!」
……ずに、一気に装束を脱ぎ捨てた。ただし、首輪だけは残した倒錯的な状態である。その白くなだらかなラインが目に入りそうになり、慌てて目を天井に逸らす。
早くも真っ赤になった綺羅は、二人の間に滑り込むように抱き付いてきた。勿論、50BMGをふさふさの尻尾の下に敷いて。
「もう、綺羅ちゃんのいじっぱり~! お兄ちゃんのお世話は妹のあたしがやるのっ!」
「それはこっちの台詞です! そもそも、貴女達なんかよりずっと昔からご主人様の怪我の手当てをしていたんですから!」
「じ、時間の長さは関係ありません、大事なのは密度です。わたしは妹ですし、手当てどころか何度も命を差し上げましたからっ」
「ああ~っ、アイちゃんが抜け駆けした~っ!」
途端に、きゃんきゃんと騒ぎ立てる三人。またもや休息とは程遠くなる浴場。
金褐色の短髪を気怠げに掻き上げ、アキは二人を見遣る。鋭い三白眼の瞳は、うるうると見上げてくる三対の瞳を真っ向から受け止め――
「……分かったよ……好きにしてくれ。全く、とんでもねぇ
結局その蜂蜜色の瞳と同じく、甘い事を言ってしまったのだった。
………………
…………
……
――強さとはなんだろう。体の強さ、心の強さ、運の強さ……偏に強さと言っても色々なものがある。
「んっ、ふっ……お兄ちゃあん、どう……? 気持ち、いい……?」
「ああ……上手だぞ、ユーフィー」
「えへへ……じゃあ、も~っと頑張っちゃうね」
目を閉じたままで『
そして、また思考の海に沈む。正に、現実逃避そのもの。
――俺は弱い。自虐でも自惚れでもなく、間違いなく旅団では最弱だろう。だから、俺はもっと強くなる努力と……より高性能な武器を作り出さなければ。
それに、フォルロワとの戦いで少し手牌を切っちまった。あれもログとやらに載せられたかもしれないしな……。
「はふ、んん……兄さまぁ、兄さまの……凄く硬くて太いです……」
「そりゃあ、兄さまだからな……アイ、疲れたなら休んでもいいんだぞ?」
「だ、大丈夫です……兄さまに満足していただけるまで、頑張れます……」
やはり目を閉じたままで受けていた、もう一人の『義妹』の奉仕とその言葉。それに背筋が震える感覚を味わう。
だが、やはりアキはそのまま思考の海に戻っていった。
――理想幹神との戦いで、準備のし過ぎと言う事はないだろう。周到に周到を積み重ねてこそ、勝利を得る事が出来るだろう。
しかし、この思考すらログに記されるかもしれない。全く、遣り辛い話だぜ……。
ふう、と溜め息を吐く。浴槽のヘリに腰を掛けて軽く足を開き、俯くようにして没頭していた彼の頭上から――
「く~ん……ご主人様ぁ……そろそろいいですか……?」
「ん――そうだな、綺羅……そろそろ掛けちまおうか」
「――は、はい……!」
と、見なくても尻尾を振るわせている彼女の様子が手に取るように分かる。その希望を叶えるようにそう答えて。
「――それでは、流します。しっかり目を閉じててくださいね」
「ああ」
だばーっと、シャンプーを頭から流された。要するに、そういう事である。
「きゃふ~っ! もう、綺羅ちゃん! いきなり流さないでよ~!」
「はうぅ……泡が流れちゃいました……」
それに鍛え上げられた胸板をタオルで擦っていたユーフォリアが頭から湯を被ってしまい、同じく背筋が龍の顔に見えかねない程に発達した背中を擦っていたアイオネアがボディーソープの泡を流されてブー垂れる。
「ちゃんとご主人様の言葉を聞いていれば分かった事です」
因みに、三人はバスタオルを巻いているのでギリギリ15禁でオーケーな筈だ。何とか言いくるめて巻いてもらった次第である。
下手をすれば、その下の幼げな体で洗っ(以下略
「もう、洗い直しだよぉ……」
「いや、充分だって……大体、もう洗って無いところは腰くらいだ。お前ら俺の50BMGまで洗うつもりか」
あと、興味はないだろうがアキも腰に手拭いを巻いている。抜かりなしだ。
「ごじゅーびーえむじー?」
「ほぇ?」
その隠喩に思い至らないユーフォリアとアイオネアは首を傾げて青髪を靡かせただけ。
「あぅ……ご、ご主人様がお望みなら……」
「望まないから……」
対し、そういう知識のある綺羅は頬を染めて恥じらいつつ。濡れた白髪をいじりながらそんな事を宣う。
それに、アキは金褐色の短髪を掻き上げて水気を払いながら、浅黒い龍躯を湯に浸す。その後を追うように、三人も次々浴槽に入って来た。
「えへ~」
「ふに~」
「く~ん」
「……何故に寄り添うのかね、お前らは」
そして申し合わせたように右にユーフォリア、左にアイオネア、真ん中に綺羅が陣取る。再び、ある種のマウントポジションだ。
湯の熱に加えて、小柄ゆえに体温の高い少女三人に寄り添われているアキの体感温度たるや、まるでサウナだった。
「ねえ、お兄ちゃん……この傷、すごいね」
「ん……? ああ、それか」
と、ユーフォリアが恐る恐るといった具合で指を這わせた胸元……丁度『⊿』を逆さまにしたようなその傷跡。
「懐かしいな……ダラバに斬られた傷だ。背中のと合わせて、【夜燭】の本当の担い手、飛将ダラバにな」
剣の世界に殺戮の嵐を巻き起こした、『軍事国家グルン・ドラス』の暴君。アイギア国の暗部を支え、それ故に闇に葬られたレストアス家の最後の生き残りだったダラバ=ウーザに刻まれたそれ。
「じゃあ、兄さま……この傷跡は」
「それか? それは俺の前世……クォジェの反転弾で撃ち抜かれた痕だな」
アイオネアが指し示したのは、背中から胸部に抜けた銃創。それは魔法の世界で受けた傷だ。
神世から連綿と憎しみを繋げてきた呪毒の神名、奸計と謀略を象徴する悪神『クォジェ=クラギ』の永遠神剣【逆月】の破片を使った弾頭での傷。
「では、ご主人様……この傷は?」
「それはな、ショウの矢傷だ」
太股に走る傷は、未来の世界にて友の為に戦い続けた男による矢が掠めた傷跡。
命中するまで敵を追い続ける矢を放つ弓形の神剣【疑氷】の担い手、ショウ=エピルマによって。
――全く、思い出してみれば勝った事なんてごく僅かだな。俺は、お前らに報いれる程に強くなれたのか?
その他にも、
何時でも、自分より強い相手を敵に。たった一つの命を的に。心身をズタズタにしながら、それでもなお膝を折らずに進み続けてきた反骨の意思の体現――不撓不屈なる
「悪いな、見苦しい体で」
「なにいってるの、お兄ちゃん」
「そんな事はあり得ません、兄さま……寧ろ……その」
「そうですよ、ご主人様。寧ろ魅力的です……えっと、一人の雌としては」
「ハハ……そう言って貰えるなら、報われたかな」
それに少女達は、微かに熱を帯びた視線を向けた。それが、答えであろう。
「――いやホント、よく生きてたもんだぜ。まぁ、そのご褒美みたいなもんかな、この時間は」
等と結論付け、難しい事は考えずに状況を楽しむ事にする。自分より年上なのに小粒オンリーとはいえ、いずれも紛れもない上玉揃い、言ってみれば今はマハラジャの湯浴みみたいなハーレム状態なのだ。
これを楽しめなければ男としては終わっていると思う……いや、楽しめたら楽しめたで
――時深さんも『ヘタレにだけはなるな』って口を酸っぱくしてたしな。よーし、そうと決まれば酌でもして貰うか。
と、浮かばせていた酒を引っ付かんで……生温くなっているそれを飲み干した。
そして更に、透徹城から新たに酒を抜き出そうと意識を集中して――
「――あれ?」
ぐにゃりと視界が歪み、意識が透徹城から虚空に溶ける。それは、さながらテスト前日に一夜漬けしたような。仕事が片付かずに貫徹した後に布団に入ったような。
つまり――いきなり酒精を多量に流し込んだ事による眠気。それに普段ならば10分入らない風呂に一時間以上浸かっている長風呂の湯中りが加わった結果だった。
「今からって時に……俺の……軟弱者……ヘタレ野郎……」
そんな事を毒づいている間にも、意識は拡散していく。それに気づいた少女達が何かを言っているようだったが……最早意味のある言葉には聞こえずに。
「ぐぅ……」
そんな寝息を立てたのだった。
………………
…………
……
深く、深く微睡む。色のない色の底の底に沈みながら、根元に至る。
この世界はたった一振りの■■が砕けた結果。■■が夢見た、夢の夢。
未来永劫、醒める事はない。過去刹那、
夜眠れば無限の夢を見るように、朝目覚めれば有限の現を見るように。
しかし、恋焦がれるものがある。美しき我が伴侶よ。我が最愛の絆よ。
砕けながら、其処に在った物が無くなった空虚は其処に在る。
ああ、懐かしの我が家へと。漸く再会せし、我が『鞘』よ。
今、帰ろう……『
………………
…………
……
目を開けば、ぐるぐる回る薄暗い天井。額には濡れ手拭い、傍らには水差し。
「う……」
体を起こさず、辺りに視線を巡らせる。見えてきたのは――すやすや眠る、三人の少女。まず間違いなく、看病していてくれたのだろう。
時間はもう午前二時過ぎ、三時間は卒倒していたものと思われる。今度は酒にまで負けたか、等と苦笑しつつ、自分の代わりに三人を布団に寝かす。
そして自分は、縁側に出ると煙草を一本蒸かす。鈴虫の鳴き声に耳を傾けつつ、先程見ていた妙な夢に意識を傾けて――もう思い出せなくなっていることに苦笑いする。
一服を終えて――透徹城内部の最重要区画の一つに仕舞い込んでいた『ソレ』を取り出した。
「さて――朝までに仕上げねぇとな」
フォルロワとの戦いで鹵獲していた、一機の抗体兵器を――
………………
…………
……
朝日と共に、空間が捩曲がる。そこから現れ出でたのは一頭の鯨。背中に学園の校舎を乗せた次元くじら『ものべー』である。
それは天木神社の裏手の山林に着陸した。僅かな時間の後、複数の足音が境内に集った。
「あはははは~、ナルカナ様のご帰還よ~!」
疲れ果て憔悴しきった一団を連れたナルカナの帰還を以て、穏やかな日々は終わりを告げたのだった。
「……ハァ」
思わず、溜め息を溢してしまった。今はナルカナのテンションが高くて気付かれていないが、もしも聞かれていたら『ストームブリンガー』ものである。
と、そんなアキの袖を引く者が居た。目を向ければ紫の髪に猫耳――間違いようもなくナーヤである。
「あき、頼まれておった『もの』は持ってきたぞ。まぁ、持って来たのはわらわではなくものべーじゃがな」
「下から見てましたよ……いや、助かります。後は『アレ』に少し手を加えてやれば準備万端だ」
ニッ、と悪辣に笑い掛ければ、彼女は照れたように頬を染めながら俯いた。まるでそれは、憧れの存在を前にした少女のようである。
少なくとも、妙な雰囲気に気付いたユーフォリアとアイオネアがそわそわし始めるくらいは。
「それで、その……ご褒美はいつ貰えるのじゃ……?」
消え入るような声で、袖を引っ張る彼女は問うた。その仕草は何と言うか、子猫のようで反則スレスレな愛らしさである。
「ご褒美……? 何でしたっけ?」
「うにゃああ……意地悪を言うでない。ご褒美と言えば、アレに決まっておろう……」
すっ惚けたアキに、ナーヤは建前上怒ったような声をあげた。しかし正しく猫なで声、迫力の『は』の字もない。
「お主の……ゴニョゴニョ……黒くて太くて力強い……ゴニョゴニョ……から……勢いよく飛び出すアレじゃ……」
等と断片的に聞こえたからには。
「お兄ちゃんのすけこまし~!」
「ノヴァは止めてぇぇぇぇ!?」
再び、『お~らふぉとんのう゛ぁ』が火を吹くのは、自明の理であった……。