サン=サーラ...   作:ドラケン

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法の護人 鋼の大地 Ⅱ

 人っ子一人いない、静かな天木神社の境内。玉砂利の上を雀がチュンチュン跳ね回り土鳩がクルッポーと囀りながら闊歩する、麗らかな昼下がりの空気――を切り裂いて、眩い光が満ち溢れた。

 驚いた雀と土鳩が羽ばたいた。それは、門。異なる次元と次元を繋ぐ軌跡。

 

「――とうちゃ~く!」

 

 と、一番始めに駆け出したのはユーフォリア。学園指定のセーラー服の短いスカートを翻らせながら、楽しげに鳥の羽とマナの残滓が煌めく中を駆け抜けた。

 

「ったく……鉄砲玉か、お前は」

「ひゃう、ゆーちゃんったら……」

 

 それに右手を引かれる形で続いて歩き出たのは学ラン姿のアキと、彼の左手に抱き付いている旧指定セーラー服のアイオネア。

 金褐色の癖毛を靡かせながら、気怠げに開いた琥珀色の慈しむような眼差しを向けるアキと、転びそうになり長いスカートをはためかせながらも満更でもなさそうなアイオネアだった。

 

「ユーフォリア様、人払いはしてありますが万が一と言う事もあります。エターナルとしての自覚と節度を持って下さいませ」

「てへ~」

 

 更に、白妙に緋袴の綺羅が苦言を呈しながら現れた。それにユーフォリアは、反省したようなしてないようなてへぺろを見せながら、アイオネアの両手を取ってくるくる回り始めた。本当に上機嫌らしい。

 

「ふふ……いいじゃない、わざわざはしゃいでる子に水を差さないでも」

「左様――子供ははしゃぐのが仕事だ」

 

 その後、現れたのは――学園に残っていた早苗の服を勝手に拝借したエヴォリアと、4Lでも筋肉でピッチピチのTシャツに黒短パンを穿いた某征服王ファッションの……覆面の代わりに帽子とマスクで顔を隠したベルバルザードだった。

 

「……ベルバ先輩、それはいくらなんでも」

「案ずるな……大事なときにはちゃんと『じゃーじ』とかいう奴を着る」

「ああ……アンタは体育教師役な訳ね……で、姉御は保健体育科専攻?」

「あら、よくわかってるじゃない? それにしても、あの無垢な二人――ふふ、本当に可愛らしいわ……誰かのものになる前に食べちゃいたいくらい」

「はう、なんだか急に寒気が……」

「…………(ぶるぶる)」

 

 と、軽口を叩き合う。少し前では、想像も出来なかった光景だ。

 そう、彼女達『光をもたらすもの』が旅団について行っては、魔法の世界で待つ学生達に混乱をあたえてしまうからだ。

 

「ここがお兄ちゃんの育った世界なんだ……ほんとにハイ・ペリアそっくり」

「俺からすると、そのハイ・ペリア……写しの世界の方がそっくりに思えるけどな」

 

――どちらが主観かの違いだ、仕方がないこと。なんでも、ユーフィーの父親は写しの世界出身らしい。

 その写しの世界の事を、ユーフィーの母親の世界『龍の大地(ファンタズマゴリア)』では『龍の爪痕(バルガ・ロアー)』の彼方にある『天国(ハイ・ペリア)』と呼んでいたんだとか。因みにお袋さんは大陸を制した『ラキオス王国』の『神剣妖精(スピリット)』部隊で『ラキオスの青い牙』と渾名された凄腕で、親父さんは異世界からの『来訪者(エトランジェ)』にしてその隊長だったそうだ。

 いやぁ……固有名詞ばっかで解りにくい。なんにしても、ユーフィーの強さはそんな両親の良いとこ取りって訳だ。サラブレッドって奴か……。

 

「何にしろ、少しは羽を伸ばせそうだな」

「そうね……積もる話も有ることだし。例えばクリフォードが居なくなった後の事とか」

「そうだな、例えばクリストフが居なくなった後の事とか」

「そうね、クリストファーが居なくなった後の事とか」

「そうですね、クリスさんが居なくなった後の事とか」

「そーだね、くりたんが居なくなった後の事とか」

「いやぁ、残念だなぁ。実は俺、アキと先約が――分かった、先ずは永遠神剣を仕舞ってくれ」

 

 次いで現れた、クリフォードとクリスト五姉妹。因みにミゥ達は通常の人間サイズ。つまり、普段の姿のままだ。

 だが、それはおかしい。彼女らは通常のマナ中では消耗してしまう、その為に今まで特殊なユニットに入って戦闘していた筈だ。それでは、今はなぜ外にいるのか。

 

――種は簡単だ、彼女達の首にかけてある透徹城に煌玉の世界のマナを産み出すマナコンバーターを備え付けただけ。出雲の技術を借りて、漸く完成にこぎ着けた。

 一度に使える量は制限を受けるが、これで彼女達は本来の姿で――神剣士として戦える。『空隙のスールード』に立ち向かった、『剣の巫女』として。衣装も、ボディスーツのようなものではなく昔着ていた衣装になっている。

 

「それでは、エヴォリア様方は天木神社を拠点に適当に過ごされるそうですが……空様達は如何されるのですか?」

 

 何の気なしに、綺羅はそう訊ねた。それに――

 

「ハッハッハ……実はな、俺には三ヶ月以上家賃を滞納してる部屋と無断欠勤してる職場があるんだ……だから今から、そこに頭下げにいくんだ……」

「「「「「……………………」」」」」

 

 ドロリと濁った死んだ魚みたいな目で、どんよりと覇気の無い声のアキが答えた。

 

――因みに、光をもたらすものの襲撃は出雲により『なかった』事にされたらしい。校舎は時深さんの力で『在る状態』にされ、あの漂流に巻き込まれた生徒は式紙で代用しているらしい。なので、他人と接触しても問題は起きない……と思う。

 

「それ……踏み倒した方が無難なんじゃない? 不可抗力でしょ、私達がやっておいてなんだけど」

「うるへぇやい、俺は不義理は大嫌ぇなんだ。どんな理由だろうが、約束破ったからには筋を通さなけりゃ気が済まねぇ」

「難儀な性分な事だ……」

 

 心底嫌そうに溜め息を吐きながら、彼は金褐色の癖毛を掻き毟る。エヴォリアやベルバルザードが呆れるのも仕方ない、生まれ持った気性なのだから、避けては通れない。

 恐らく、生きてきた中でも最も面倒で情けない戦いになるだろうとしても。

 

「――って訳だ、お前らもここで待ってろ」

「「ぶ~っ」」

 

 と、既に鳥居をくぐって石階段を降り始めていたユーフォリアとアイオネアの姿を見て、アキは更に一つ深い溜め息を吐いてからそれを押し留めたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「…………」

 

 ふう、と息を吐きながら、手荷物を手にした普段着のアキは慣れ親しんだ部屋に鍵をかける。嵩張るものは透徹城の中の無量広大なる『ディラックの海』に仕舞ってある、後はこの鍵を返せば立ち退きは完了だ。

 この三ヶ月を除いて家賃を滞納していなかった事、部屋を大事に使っていた甲斐もあり、敷金は戻ってきた。とはいえ、ボロが付く程の安アパート。雀の涙である。

 

「実はねぇ、巽くんが居なくなったら畳むつもりだったんだよ。このアパート……今どき流行らない、住人を子供扱いのお節介ばばあ。元々経営難だったんだけど、始めてアンタを見たとき、ああ、この子が私の最後の坊やなんだってね。そう思ったのさ」

 

 謝罪と礼に菓子折りを手渡した去り際、大家の老婆は深意の読めない笑顔でそう呟く。

 

「にしても本当、ちょっと見ない間に良い男になってまぁ。さっきの口上なんて、まるで清水の次郎長だよ。私らの時代じゃあ、最高の色男さね」

 

 七十年前の戦争で南方に出征する際に撮影したという白黒の、予科連に所属していたという若々しい夫の遺影が飾られた仏壇にそれを備えた老婆は、シワだらけの顔で笑った。

 

「…………」

 

 歩き出た日盛りの中、大家のポストに貰った敷金の入った封筒を投函する。一度大きく礼をした後、アキは迷わず一直線にアパートを後にした。

 

 敷地内に停めていた、大型二輪車。『未来の世界』で手に入れていたものだ。系列としてはアルティメットスポーツやスーパースポーツ、スズキの隼やカワサキのニンジャを思わせる鋭角で洗練されたデザイン。

 それに跨がり、フルフェイスのヘルメットを被る。そして懐からフィラデルフィア・デリンジャーを取り出してハンドル中央の同サイズの横向きの穴に挿入、捻って垂直にした後――トリガーを引いた。

 

 それにより、炉に火が入る。かつて、航空機などに使用されていた起動方式『ショットガン・スターター』だ。

 嘶いた鉄馬(バイク)(アクセル)を入れる。護謨(ゴム)(タイヤ)がアスファルトを捉え、風を切りながら速度を上げていく。

 

「あと一つ……か」

 

 そしてそう、急き立てる。一つ、人間だった頃の自分の繋がりが消えた事に……その体その物が消えたような喪失感を味わいながら。

 

 

………………

…………

……

 

 

 アキはある店の前に立っていた。たった――というにはあまりにも鮮烈な三ヶ月を駆け抜けた彼には、懐かしいと言えるその佇まい。

 それに、アキは呼吸を整えて――

 

「こっ――こんちゃーす!」

 

 精一杯、軽く声を掛けて暖簾を潜る。否、そんな物は無いが。

 そうして潜った入り口の先に、彼が三ヶ月前まで勤めていたダーツバーならぬシューティングバーがあった。

 

「すみません、店長(ボス)――ばわ!」

 

 と、頭をあげたアキの額に、軽い衝撃と赤い飛沫。

 

「全く……早く支度しな。もう開店時間だよ」

「う、ういっす!」

 

 いつものようにマテバをホルスターに納めた燻し銀に急かされ、慌ててスタッフルームに走り込んだのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「ありがとうございましたー!」

 

 ギャルソン服に着替えて接客に当たっていたアキが、頭を下げた。まだ閉店時間には早いが、今のが最後の客だ。

 店長に指示された通り、表に『close』の看板を立てた。恐らく、早く閉めるのは欠勤理由を問う為だろう。

 

 そして、予想は的中。しかしまさか、本当の事が言える筈もなく『親戚の急病』等という在り来たりな答えを返した。

 

「そうだったのか……だったらそう連絡してくれればいいものを。どれだけ気をもんだか」

「すみません……」

「本当、従業員が逮捕とかマジ勘弁だから」

「って、保身の為かい!」

 

 等と巫山戯合いながらも、心配をかけてしまったのは言うまでもない。こんな時、本当の事を言えない己が身の不自由を呪う。

 

「…………ご迷惑をお掛けして、こんなことを言うのは烏滸がましいと思います。でも、ケジメを付けるには――」

 

 そして、その決定的な言葉を口にしようとして――。

 

「巽くん、前上げたデリンジャーは持ってるかな?」

「え――あ、はい」

 

 と、話を遮られてしまう。突然の事に、アキは思わずデリンジャーを差し出した。

 それを手に取った店長は、見た事も無い程に鋭い瞳でデリンジャーを検める。

 

「随分と使ったね、それに君も――随分と、殺したみたいだ」

「――――」

 

 驚きの余りか、倣いか。つい、アキは戦闘時の眼差しを店長に向けた。

 それを、店長は涼しげに受け止める。何でもないとでも、言わんばかりに。

 

「昔、フランスの外人部隊(エトランゼ)に居た頃に引き抜きにあってね。これでも優秀だったんだよ。多分、日本人じゃ初の事だったんじゃ無いかな……『出雲』と敵対する欧州の『光をもたらす者』の『クルセイダー』になったのは」

「『光をもたらすもの』って――じゃあ、店長はエヴォリアの配下……」

「エヴォリア……? さて、たぶん違う組織じゃないかな。僕は末端だったからリーダーの事は何も知らないんだけどね、何せ。まぁ、倉橋の戦巫女とその従者に負けて永遠神剣を失っても放っておかれてるくらいだし」

 

 言い、古傷なのだろう右足を引き摺って歩きながら、奥の部屋から古い写真を持ち出した。

 烏賊墨色(セピア)に色褪せた、荒涼とした沙漠の野営地に洋装の軍服の男達が数多く映ったその写真。中心には隊長らしき頽廃的で冷酷そうな雰囲気の……明らかに見覚えの在る顔をした、四四式騎兵銃と瀟洒な西洋刀剣(サーベル)を携えた中年の騎馬兵。角には、嘘か誠か『1950.6.18』の数字があった。

 

「第四位【面影(おもかげ)】を手にしていた影響か、普通の人間より時の流れが遅くてね……もう、とっくに三桁は突破してるんだけど」

「…………」

 

 『人に歴史あり』とはこの事か。巻き煙草を燻らせてスコッチを煽る、今のこの初老の男性からは全く持ってその雰囲気はない。

 しかし――嘘ではないと感じる己が其処には居た。この男性の一挙手一投足に籠る、残滓のような『殺人経験者』としての重厚さに。

 

「どうやら君も、神剣に魅入られた虜囚――かと思ってたけど、僕とは違うみたいだね。良い神剣に出会ったらしい、大事にしてあげるんだよ。砕けた後じゃあ、礼も言えない」

「店長……」

 

 祈るように呟かれた、酒と煙草……そして時に焼かれた低い声。

 

「――この銃は、旧日本軍時代に部下から贈られたんだ。敵の兵から鹵獲した物らしくてね。その部下も、前の戦争で死んだ。妻を残して……」

 

 苦い記憶を思い起こし、彼の表情が曇る。だが、それも少しの間。デリンジャーを投げ渡すと、にかりと笑った。

 

「死ぬな、空……死んだら敗けだ。どんなに汚かろうと惨めだろうと、生きている方が勝ちだ。僕の経験なんて、これから君が進む道の険しさに比べればたいした事はないけれど――せめて、無くしてばっかりだったこの死に損ないの戯言を忘れないでくれ」

「……はい、店長――有り難う御座います。薫陶、絶対に忘れません」

 

 だから、同じように。一番の得意技である『空元気』を張る。

 

「――今まで、本当に……お世話になりました!」

 

 最大級の感謝と共に、頭を下げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 すっかり夜の帳が降りた物部の町。その片隅の高台に位置する天木神社の一室に、行灯のものである橙色の灯が灯った。

 

「……ふぅ。それじゃあ、早速準備に取りかかるか」

 

 純和風な造りの客間で、アキは手頃な机の前で胡座をかく。そして精神を統一し、自らの『阿頼耶(アラヤ)識』に位置する藏識の性海(しょうかい)……『ディラックの海』を内包する透徹城の門を開く。

 虚空を揺らす波紋が、アキの両掌に現れる。其処から覗く拳銃のグリップを掴んで引き抜けば――次々に現れ出る、五挺の拳銃(媛君の忠臣達)

 

【おや、アタイらに用とは珍しいねぇ】

【呵々々、儂らに何用かな?】

【チッ……何が悲しくて、この俺っちがテメェなんぞに招聘されなきゃいけねぇんだよ】

【全くですわ、媛樣なら兎も角、こんな夜更けに貴方に呼び出されるワタクシ達の身にもなって御覧なさいませ】

【そうだよ、せめてむさ苦しい君以外に可愛い乙女くらい呼んどいてよ】

「相変わらず俺に対する配慮が一切無いな、お前らは……」

 

 口々に喧しい意志を投げ掛けてくるそれらを躱し、呟く。因みに、彼等の意中の媛君は、今頃風呂の最中だろう。

 そしてマーリンM336XLRをモチーフとした長剣銃(スウォードライフル)【是我】、最後にフィラデルフィア・デリンジャーと壊れたままのモスバーグ464SPXのバレルを取り出した。

 

「今のままじゃ、まだまだ手牌が足りねぇからな……強化(カスタム)させて貰うぜ」

 

 それを手に、根源力と共に呼び起こす『生誕の起火』で同化させる。見た目には今までのデリンジャーと違いはない。が、他の拳銃と同じく『永遠神銃(ヴァジュラ)』と化したそれはアキの意に沿って折り畳み式銃剣(バヨネット)装備の軍用大型機械式拳銃『ワルサーP38』から、通常はバレル下に装備する『M26 MASS』を上側に反転して装備した個人防衛火器『マグプルPDR』、近代的レバーアクションライフル『モスバーグ464 SPX』をモチーフとした黒地に赤の紋様が彫られた長剣銃へと変遷した後、また、暗殺用超小型拳銃にしてアパッチ・リボルバーの『アパッチ・デリンジャー』に還る。

 

【成る程……一理ありますわ。『備えあれば憂いなし』、ですわね】

【けっ……それも媛樣の為か。だが、テメェの好きにはさせねぇ。俺っちらの気に入らねぇものは付けさせねぇぜ】

 

 そんな臣下達の言葉を聞き流しながら、彼はデリンジャーに語りかける。

 

「……出てこいよ、居るのは分かってんだ」

【………………】

 

 と、湧き出るように現れた漆黒の塊。それは、何処かで見た形をしていて――

 

「アイの影、か――やっぱり、お前も臣下だったんだな」

 

 『喋る』という機能を持たないのか、『媛君の影武者(ドッペルゲンガー)』はグッとサムズアップして見せた。影武者らしくない影武者も居たものである。気さくにシェイクハンドで握手した後、融けるようにデリンジャーと一体化した。

 

「……さ、次はお前らだ。全く、長い夜になりそうだぜ」

 

 左腕をぐるりと回し、一つため息を吐いて、喧しい臣下達の注文を聞きながら。

 

 

………………

…………

……

 

 

「――失礼致します、綺羅です」

「ああ――開いてるぞ」

 

 障子の向こうに見えた犬耳のシルエットから掛かった声に、振り向かず答えた。やがて静かに障子が開き、閉じる。室内に、呼吸と鼓動が一人分増した。

 

「どうした、なにか用か?」

「いえ、その……随分と根を詰められているようなので、夜食をお持ちしました」

 

 言われて、初めて彼女を見やる。成る程、その手には盆に載せられた白い三角形……日本人の心である、お握りが三つと沢庵三枚、そして白湯(さゆ)

 

「つまらないものですが……不要でしたでしょうか」

「いや、有り難うな。そういえば、今日はまだ何も食ってなかった」

 

 いつの間にか過ぎていた数時間、休憩には良い頃合いだ。なので、ガンオイルで汚れた手を拭ってお握りを摘まみ上げる。

 

「あ、それはですね――んむっ!?」

「こらこら、文字通りのネタバレは無しだ。折角、綺羅が拵えてくれたんだから、楽しみを奪ってくれるなよ」

「……くぅ~ん」

 

 綺麗な三角形のそれをかじる前に、中の具材を喋ろうとした彼女の唇に人差し指を当てて制する。相も変わらず、そういう妙なところは某諜報員かぶれの気障(キザ)な男だった。

 それに彼女は頬を染めて恥ずかしげに俯き、嬉しそうに尻尾をゆらゆらと揺らした。

 

 【真如】との契約により、その身は人外。『輪廻龍(ウロボロス)』の特性により、浅黒く強靭な龍鱗の肉体は尋常の刃物や銃弾などでは傷一つ負わず、龍の爪牙と同義の錬磨され尽くした体術はマナ存在にとっても脅威と成り得る。

 そしてあらゆる幻想種の頂点に立つ琥珀色の龍の瞳は、見詰められた者から抗う意志を挫く妖魅を孕んでいる。

 

「――ん、梅干しか。酸っぱくて活力が湧いてくる」

「は、はい……良かったです、お気に召して……」

 

 胸を撫で下ろした犬耳の巫女。その健気さに、思わず胸に込み上げてくるものを感じる。常日頃、望のハーレム具合に鬱屈する学園男子の一人であり、更に最近はクリフォードと言う新たなハーレム野郎を迎えたばかりなのだ。自分を立ててくれる少女に愛着を感じないと言うことがあるだろうか。いや、ない。(反語)

 

――やっぱり、男を立てる淑女は良いなぁ……学園の女連中に見習って欲しいぜ。

 

 と、魔法の世界でフィロメーラを見て抱いたのと同じ、もしも聞かれたら一大事な感想を心の中で愚痴った。本当は抱き締めてしまいたいくらいだったが、それは流石にセクハラだ。

 お握り三つを平らげ、白湯を飲み干す。そして――真新しい煙草の封を切り一本を銜えた。禁煙とは、得てして失敗するものなのである。

 

「――フゥ……」

 

 オイルタンクライターで火を点し、紫煙を燻らせる。久しく感じるニコチンに、肺腑と脳味噌が喜んでいるような感覚を覚える。

 

「飯に煙草に良い女……後はこれで酒があれば完璧だったな」

「巽様は未成年でしょう……って、い、良い女というのは誰でしょうか……」

「堅い事言うなって、もう年なんて取れないんだからな……そして良い女は、(みな)まで言わせないもんだ」

 

 ククッ、と悪辣に笑いながら、『海』より精霊の世界で仕入れていた地酒と聖盃を取り出す。因みに『海』の中に入れた物は劣化しないので、腐る心配はない。まぁ、その分、寝かせる事も出来ないのだが。

 聖盃に酒を注いで、一息に煽る。度数の強い蒸留酒、喉が焼け五臓六腑に酒精(アルコール)が染み入る苦悦に、思わず唸る。

 

 障子を開け放ち、満月を望む。夜風を一頻り浴びてから腰を下ろして、机に向かう。その天板に並べた銃弾を一つずつ改め、不良品がないかチェックする為に。

 彼にとっての『武器』とは、『銃器』ではなく『銃弾』だ。念は入れ過ぎるくらいで丁度良い。

 

「お、お戯れはやめてください……本気にしてしまいます……」

「お世辞でもなんでもないって、本当にそう思ってるんだからな」

 

 側に腰を下ろして、なんだかんだ言いつつ酌をしてくれる綺羅。一瞬感じた、石鹸の香り。

 湯上がりらしく、しっとりと湿った白い髪が張り付く桜色に(いろ)付いたうなじ――と、平仮名で『きら』と書かれた赤い首輪。その鮮やかなコントラストに、目を奪われ――

 

「――って、首輪?」

 

 と、そこで正気に戻る。和装の彼女には似つかわしくない、赤いエナメルとシルバーの金具の光沢。間を置かず、それが自分がプレゼントした物だった事を思い出す。

 

「は、はい……あの、是非巽様に見ていただこうと思いまして……」

「あ、ああ……」

 

 誉めてほしい子犬チックな上目遣いに見詰められ、生返事を返す。なんと言うか、犯罪スレスレである。

 

――いや、そりゃあ超弩級に似合ってるさ。似合ってるけど……それを認めたら俺は何か、人として大事なものを無くしてしまう気がする。

 

 そう返事に困り、愛想笑いで誤魔化そうと試みた。

 

「……似合って……ませんか……やっぱり」

「んな訳無いだろ、似合ってる。似合いすぎて困ってる」

 

 と、悲しそうに呟かれては仕方ない。アキは凄い勢いで首肯しながら、思った通りを口にした。

 

『巽空 マインド-30』

 

――ん……? 今なんか視界の端に妙な文字がインサートしてきたような……いや、気のせいだな。なんか少し具合悪いけど、これも気のせいだ。

 

 ちょっとだけ人として大事なものを失ってしまったが、後悔はなかった。何故なら――

 

「くうぅ~~~ん……」

 

 照れに照れて真っ赤になった顔を隠すも、尻尾が揺れているので喜んでいる事が丸分かりな綺羅を見れたのだから。

 と、そこで彼女がやおら立ち上がった。止める暇もなく、機敏な身のこなしで障子のところまで移動し――

 

「こ、今夜は……これで戻ります。あまり根を詰められずに、ちゃんとお休みなさいませ――」

 

 もじもじと、恥じ入るように首輪の金具弄りながら――

 

「――ご主人様……」

 

 消え入りそうな声でそう呟いて、足早に去っていった。後に残されたのは、呆気に取られた男一人。

 

「…………生殺しだな、コリャ」

 

 完全に目が冴えたアキは、もて余す感情を『手駒』を整える作業を再開して昇華する以外に無い。

 結局、東の空が白むまで灯りが消える事はなかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……ちゃん、お兄ちゃん、朝だよ~」

「……さま、兄さま……朝です……目を醒まされてください」

「う……うぅん……」

 

 ゆさゆさ、と。柔らかな朝の光の中で、優しく揺すられる感触。しかしそれは、明け方に床に着いたばかりの彼には些か……否、とても不快だった。

 なので、掛け蒲団を引き上げて丸まって嵐が過ぎ去るのを待つ。

 

「む~、お兄ちゃん! 早く起きてよ~! 折角、あたし達で朝ごはん作ったのに~」

「あ、あの、兄さま……キラさんが朝食の用意が出来ているって……」

「勘弁してくれ、妹達よ……兄さんは今さっき寝たばっかりなんだ……朝飯は後でチンして食うから、眠らせてくれ……」

 

 そんな、ダンゴムシみたいになったアキを叱咤しながら、ユーフォリアとアイオネアはその掛け蒲団を引き剥がそうとする。

 勿論抵抗するアキは、もうほとんど護身開眼の状態だ。詰まりは亀の甲羅状態である。

 

「あれだ、こんな日の二度寝は最高だぞ。他の人間共が齷齪働いてる中、惰眠を貪る……これぞ贅沢の極致、『時間の無駄遣い』だ」

「もう、馬鹿な事言ってないで……早く起きなさ~いっ!」

 

 と、遂に掛け蒲団を剥がされる。そして現れる――

 

「ほ~ら、おいでユーフィー、アイ……今なら腕枕をしてあげよう」

「ほえ……うぅ~」

「は、はぅ~……」

 

 ユーフォリアとアイオネアを誘うように、仰向けになり手を差し伸べたアキの姿。

 それはまるで、二匹の蝶を誘う性悪な食虫植物。一度捕まれば、二度と逃れられはしまい。

 

「うぅ~、でもぉ……綺羅ちゃんがぁ」

「そ、そうです……キラさんが」

 

 と、いきなりな悪魔の囁きに二人は戸惑い始める。

 その逡巡を好機と見て取ったアキは、駄目押しの一言を口にした。

 

「十分くらいなら大丈夫だって……それに、今回を逃したらもう二度としないかもしれないぞ~」

「「はぅ~~」」

 

 『二度と』の修飾詞がついた事で、妹二人は目に見えて慌て始めた。それもその筈、この男が『一度口にした事は必ず守る』男だと言う事を知っている。

 

「じ、じゃあ……ちょっとだけ。ちょっとだけなんだからね、お兄ちゃん」

「少しだけ……ですよ、兄さま……」

 

 と、如何にも仕方なさそうな事を言いながら左右に別れ、寄り添って寝そべる。筋肉質で、決して寝心地が良いとは言えないアキの腕枕に顔を綻ばせる。

 

「お兄ちゃん、なんだか嬉しそう」

「ん、ああ……そりゃあお前、両手に花は男の夢だからな。まぁ、お前達の場合は両手に蕾になるけど。クハハハ……ハッ!」

 

 寝不足でうまく回らない頭で、これが勝ち組の風景か、と。両手に抱いた小さくて柔らかな温もりを感じつつ、意味もなく悪党っぽい笑い声を上げてみたりして――やっと、冷たい目をして見下ろしている綺羅が目に入ったのだった。

 

「いや、あの、綺羅さん、これは」

 

 別にそんな必要はないのだが、何故かドモッてしまう。正座しようにも、両側の妹達のせいですは所為で素早く動けなかった。

 と、そこで変化があった。綺羅がにっこりと笑ったのである。

 

「朝からお盛んで何よりです、()()()()?」

 

 笑っているが笑っていない、威圧感たっぷりの笑顔で。

 

「「……『ご主人様』……? 」」

 

 更に、両側の妹達まで危険物に変えた。

 

「それでは、私は朝餉の準備がありますので」

「ま、待て綺羅……一人にしないで」

「お兄ちゃん……どういう事か、説明してくれるよね」

「…………(こくこく)」

「解ったから【悠久】を仕舞って、臣下達にも帰って貰いなさい……お願いします」

 

 言わずもがなだが――朝食にはありつけなかったアキであった。


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