法の護人 鋼の大地 Ⅰ
立ち並ぶ摩天楼の一つ。一際高く豪奢な印象を与える高級ホテルの最上階、貸し切りの状態のラウンジで。まだ十代中程としか見えない、銀色の髪と
メインディッシュを終えてナイフとフォークをマナー通りに置いて口を拭った彼女は、深紅の雫が注がれた細身のワイングラスを手慰みにする。
「やはり失敗したか、あの
唾棄した後、その雫を艶やかな桜色の唇に流し込む。見た目は少女だが彼女もまた
発酵した葡萄と木樽の芳醇な香気に、刹那、弥栄なる大地を幻視した。
そうして空となったグラスに、少女の神気に当てられたか、虚ろな瞳で控えていたウェイターが再び
「しかし……予想外の掘り出し物か。あの小僧め、まさかあれ程の逸材であったとは」
次に注がれたのは、琥珀の
「……『生まれる事も出来なかった』分際で、我の予想を上回るとは――忌々しい」
まるで子供を見るように自分を見下ろす、不届きな三白眼の琥珀色だった。
「――御食事中、失礼します」
そこに、軽やかな少年の声。軽率にも熱を帯びた思考を断ち切り、彼女は――
「何用で参った」
「ふふ……酷いですよ、フォルロワ様。折角訪ねてきた部下に、そんな言い方をしなくても」
視線を向ける事もなく、白い髪と装束に、白い片刃の片手剣を腰に佩した中性的な少年に問う。少年はそれになんら気分を害した様子もなく、彼女に笑いかけた。
己の背後で少女に恐れを成したように萎縮している黒髪に黒衣の、やはり黒い片刃の片手剣を佩した同じ外見の少年を尻目に。
「だから言ったんですよ。あんな雑魚じゃなくて僕とガルバルスに任せてくださっていれば、上手く運んだのに」
「ふん……」
少年の物言いに、彼女は不愉快そうにグラスを傾ける。記憶に残る、その男の印象ごと飲み干して。
「……態態此処まで来たのは、そのような無意味な事を言う為ではあるまい。もう一度だけ聞いてやる――」
一瞬の内に、ラウンジの空気が凍り付く。少女が発した凄まじいまでの圧力に。
「――
「「――――ッッ!?」」
元々怯えていた黒い少年は勿論、ケラケラと道化のように笑っていた白い少年すらも、畏怖に表情を変えた程だ。
「この時間樹に侵入した時に、幾つか同じ反応を感じました。恐らくイャガや……“法皇”達かと思い、報告に参上した次第です」
流石に、本気で怒らせるつもりはないのだろう。ヘリデアルツと呼ばれた少年は恭しく礼を取って口を開いた。
「その程度の事は分かっている。エト・カ・リファが眠りに就き、その後を任された神々は烏合の衆……我が管理せねば、この時間樹は最早経ち行かぬのだからな」
だが、少女に焦りなどの感情は無い。落ち着き払ったまま、自身の神気に意識を散じたままのウェイターへとチップを渡して立ち上がった。
「あの“法皇”達を敢えて見逃していたとは……流石ですね。流石は――」
「下らぬ、おべっかは止めろ。貴様らはまだ出る幕ではない、大人しく観客に徹しているがいい」
「――直々に動くのですか? 貴女が?」
歩み去る少女に、少年は微笑む。珍しい事もあったものだ、と。
しかし少女は、それにも足を止める事はない。少年達など、端から目に入れてもいない。
「あっはは……『
「に、兄さん……早く帰ろう」
弟に語りかけた白い少年だったが、黒い少年は更に蒼白な状態になっている。呼吸する事すら、辛そうだ。
だが、白い少年はまたもヘラヘラ笑い――
「それとも――そんなに良い男なんですか、“天つ空風のアキ”って男は? よかったじゃないですか、今まで契約者を作らなくて。男ってやっぱり、初物が好きですからね。まぁ、今の貴女の姿で色仕掛けが効いたら、それはそれで問題――」
巻き起こる漆黒の剣風が、ラウンジごとホテルの階層を両断する。崩れ落ちる瓦礫の雨が、遥か下層の舗装された道路に降り注いでいく。
夜闇に閉ざされたラウンジの中、ただ一人立つ――漆黒の両刃大剣を無造作に持った少女。
『怖い怖い……それじゃあ、後は大人しく出番を待ってますよ』
虚空に響く少年の声に、少女は『己の分身』を消した。そして実に残念そうに、巻き込まれて亡骸すらないこのラウンジの従業員の――。
「――多少は気に入った店だったのだがな」
『質と味』だけを、心底悔やんで。
まだ生きているエレベーターで下の階へと降りていった。