サン=サーラ...   作:ドラケン

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空隙を満たすもの 星月夜の湖

 強烈な一撃を躱してアキは岩肌を転がる。地を割った剣は、炎すら巻き起こした。

 今まで通ってきた道を巨兵の追撃を受けながら逆走する。

 

「相も変わらず……ちょこまかと五月蝿い蠅だ、蕃神!」

 

 岩戸内ではノル=マーターと交戦している巫女達や時深。単体では相手にも成らないが、その圧倒的多数で機械兵士達は永遠者とその眷属の動きを封じている。

 

 アキは前からのノル=マーターを可能な限り打ち砕き、指揮官であるゴルトゥンを引き付けながら、遂に青空の下に帰還した――

 

「――死ねェェェ、蕃神! この南天神ロコの前に朽ちよ!」

 

 その眼前に現れたのは巨大な目玉の怪物、『影喰ライ』に憑依した南天神ロコ。

 

「――後から後からッ! しつこいんだよ、亡霊野郎ども!」

 

 その目から放たれた光線を、後ろに倒れ込む形のスライディングで躱してロコの足元を潜る。

 そこから起き上がりつつ『オーラフォトンブレード』を叩き付けるも、それよりも早くロコは空高く舞い上がった。

 

「――フンヌォォォッ!!!」

「――チィッ……クソッタレが!?」

 

 そして天高くより振り落とされたゴルトゥンの鉈剣を『威霊の錬成具』で受け止める。余りの威力に、踏ん張った足が地に埋まった。

 

「「――貰ったァァァッ!!!」」

 

 その隙に向けロコが空中から光弾を連射し、更にゴルトゥンが炎を噴き出す左手の銃口を向けた――

 

 

………………

…………

……

 

 

 イスベルの斬戟を辛うじて躱したユーフォリアだったが、その為に体勢を崩して墜落してしまう。

 

「いたたた……」

 

 森の中に突っ込んで事なきを得るも、そこは既に南天神達の勢力圏下。周囲から、断続的に無気味な駆動音と生木を圧し折る耳障りな音が木霊する。

 

 それに対応して、彼女は大剣に戻した【悠久】を構えて後退り――

 

「――きゃああっ!?!」

 

 踏み付けた植物の蔓に足首を搦め捕られ、逆さ釣りにされてしまった。

 

「捕まえましたよ、可愛らしい娘。さて、この南天神ウルの滋養とさせて頂きましょう」

「っな、南天神……?」

 

 重力に引かれてめくれる服の裾を押さえながら、ユーフォリアが見たモノ。

 巨大な樹の中央から美女の上半身が生え出た怪物『アルラウネ』に憑依した南天神ウルの姿。その指先は艶かしく、ユーフォリアの頬をなぞる。

 

「おや、ウル。先を越されてしまいましたか」

「イスベル殿、こちらは捕縛致しました。首尾は――」

「全く――子供相手に二人がかりとは大人げないな!」

 

 刹那、二条の銀閃が走る。ユーフォリアの足を捕らえていた蔓を切断して解放すると同時にイスベルを狙った――空を飛ぶ名無しの青年の【竜翔】の剣撃と。

 

「……貴女がたをお呼びした覚えは在りません、立ち去りなさい」

 

 更に捕縛を試みるウルの蔓を断ち切った銀髪の巫女。犬耳と尻尾を持つ、小刀を逆手に構えた彼女の剣撃が。

 

 

………………

…………

……

 

 

 降り注いだ光弾と火炎放射のただ中に在って、アキは無傷。それもその筈、彼は時空を隔絶する強固な守護『タイムトリップファン』に護られているのだから。

 

「……全く、エターナルになっても世話の焼ける」

「師匠……」

 

 二ツの攻撃を軽くいなし、時深は時朔の扇を閉じる。岩戸内に侵入したノル=マーターは、既に全滅させられている。

 

「……今は、出雲を護る事に専念します。チカラを貸しなさい、天つ空風のアキ」

 

 これ以上の侵入を防ぐ為に入口の守護を巫女達に任せて、彼の下に辿り着いたのだった。

 

「……コイツが、奴の言っていたエターナルとやらか」

「確かに強力なチカラを持っているようですな……策を弄さねば、勝ち目は薄いかと」

「ふん、その時の為に用意した軍勢と躯よ。やれ、ロコ!」

 

 ゴルトゥンとロコは口々にそう呟くと何かの信号を送るゴルトゥン。同時に、ロコが単眼を見開いて時深を凝視し始めた。

 

「何を――ッ!?」

 

と、身構えていたアキや時深が天を見上げた。その先に在る空間の裂け目、そこから――巨大な土隅を思わせる、袈裟を纏った……光背を輝かせ、腰から触手を生やした醜悪な機動兵器が姿を見せた。

 

「……なんて」

 

――ノル=マーターじゃない別の機動兵器。だが……少なくとも、俺はあんなモノ知らない。あんな……

 

「なんてゴテゴテゴテゴテ、ダセェ機械だ。あんなモン、設計した奴の気が知れねぇ」

「……そこですか?」

「俺は機能美派なモンで」

 

 降り立った土隅は、瞬時に周囲の空間を『涅槃ノ邂逅』にて変質させて二人に見る。無機質な、命を感じさせない機械の目。

 

「……あれは『抗体兵器』。遥か昔に造られた、『ナル』を回収する為の――」

 

、瞬間、抗体兵器が地面に腕をアンカーのように突き立てて口腔内の砲門を覗かせ、そこから放つ一条の極太の赤い閃光で『天ヲ穿ツ』。貫通(ペネトレート)するそれは【真如】の加護(プロテクション)系では防げない。アキは根源力を練り上げて両脚に錬成具を纏い、空高く飛び上がる。

 

 元々、彼は何かを『創造』する事と『流れ』を見極める事を得意としている。コンストラクタで培った構造や空間の把握に加え、気の鍛錬やレストアスを体躯に流していた事で、窮めてマナ操作に無駄が無く効率が良いのだ。

 その展開速度はただ、脅威としか言えまい。

 

「貴様の相手はこちらだ!」

「――チッ!」

 

 そんな彼を狙って、横殴りに振るわれたゴルトゥンの鉈。それを、空中に展開したオーラを蹴ってのバックステップで回避して着地する。

 

「どうした、あの神剣を屠ったように我等を滅ぼして見せろ」

「……余計な心配すんなよデカブツ。直ぐ、輪廻の鐶(マナ=サイクル)から弾き出してやる」

 

――クソッタレが、莫迦力を相手にするのは向かねェんだ、俺ァよ!

 

 心の中で毒づきながら、アキは時深を探す。だが、直ぐに無意味だった事を知った。

 

「幾ら速く動いても無駄。時間ごと早くなる私には敵いません――タイムアクセラレイト」

「……ガ、シュウウ……」

 

 時深と、式紙が変化した彼女の分身に挟まれた抗体兵器。その両方から同時に【時詠】の斬撃を受け続けた事で、『峻厳タル障壁』にヒビが走り砕け散る。そして最後に式紙が炸裂し、抗体兵器を破砕した。

 

「これで終わりですか、南天神? これくらいの相手に落とされる程、出雲は脆弱ではありませんよ」

 

 そのままユラリと、ロコを見遣る。単眼はソレを見詰めた後、不意に笑った。

 

「……ククク、解っているとも。所詮は――ただの様子見だ」

 

 そして、姿が変わる。目玉から紫色の人影…倉橋時深の影へと。

 

「貴様の姿と力を写し取る為の、な!」

「…………」

 

 哄笑するロコ。その袖とおぼしき部位から、濁りきった影の塊である剣を抜き払う。

 

「行くぞエターナル、我がチカラを見せて――」

「……姿形が問題では無いのですよ。問題は――魂なのですから」

 

 その背後では、涼しい顔で【時果】を袖に納める時深。ロコは影剣を構えたまま、驚愕に目を見開いていた。影色の瞳を血走らせて。

 

「私には解るんです。何時、何処に攻撃すれば良いか」

 

 瞬間、ロコの正中線に光の筋が走った。縦一線に真っ直ぐ。

 

「――クリティカルワン」

 

 そのまま、ロコは両断されて消滅する。何一つ為せぬまま、圧倒的なチカラに討ち滅ぼされた。

 

 これこそ、本物のエターナルだ。アキならば、少なくとも二十発の弾を必要とするであろう相手二体を赤子の手を捻るようにあっさりと打ち砕いた。

 

「ロコ――クッ、何と言うグォォッ?!!」

「オイコラ――テメェの相手は……こっちなんだろうがァァッ!」

 

 それに気を取られたゴルトゥンにアキは錬成具を纏った拳打を見舞う。その威力にゴルトゥンの角がへし折れた。

 

「えぇい、鬱陶しいわッ! 矮小な駄神の分際で、この我に傷を付けるなどォォォッ!」

 

 巨兵は火炎放射機を突き出して追撃を試みるが、アキは【真如】の斬戟でソレを破砕する。爆発に姿を見失い、一瞬気を抜いたゴルトゥンは素早い追撃に移れない。

 アキは着地すると更に高く、ウィングハイロゥを展開しながら高く跳び上がって大上段に振り上げた【真如】にオーラを纏わせた。

 

「……マナの霧となり、夜闇に散れ――光芒一閃の剣!!!」

 

 ゴルトゥンは鉈を構え、ソレを受け止めるべくチカラを篭めて――

 

「――バ、カなぁぁっ!?!」

 

 圧倒的な高密度の精霊光に鉈ごと、巨体を二分割されてマナの霧へと還っていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 天を翔けながら、名無しの青年はイスベルに肉薄した。イスベルは舌打つと盾を使っていなしたが、耐え切れずに砕けた盾が地に降り注ぐ。

 その地上ではユーフォリアの奮戦で奇襲から立ち直った出雲の巫女達によって戦線が持ち直していた。設定されたプログラムを履行するだけのノル=マーターでは、鍛え上げられた連携を誇る防衛人形に対抗出来ない。

 

「――イスベル殿、どうやらロコとゴルトゥンが滅んだようです……ここが引き際では」』

「何処へ引けというのです!? これだけ戦力を整えておきながら失敗したとなれば、我々に待つのは……っ!?」

「お嬢ちゃん、指揮官から倒すぞ!」

「はいっ!」

 

 近寄ったウルが進言するも、返ったのは苛立ちを含んだ答。その一瞬の隙に、名無しの青年がイスベルの首を切り落としユーフォリアは【悠久】をトップスピードへと乗せた。

 

「全速前進、突っ切れぇぇっ!」

「――ちいっ!」

「な、イスベル殿――がはっ!?!」

 

 しかしイスベルは落とされた首を抱き止めると、ウルの後に回り込み盾とする。余りに意外な行動を取られたウルは、『ドゥームジャッジメント』によって宙に浮かされ、貫かれて消滅していった。

 

「こうなれば、後はノル=マーターや抗体兵器を使って時間稼ぎを――」

 

 その間隙に、イスベルは空に浮く"門"へと撤退していく。

 

「……やれやれ、本当に役に立たない従業員(てごま)だ」

「――ガハッ!? ま、待て……まだ私は戦える……!」

 

 そこに響いた、鈴のような声。そして――イスベルが潜ろうとした門から、山のように巨大な剣が現れて彼女を貫く。

 

 その莫大な質量を持ち剣は地上に向けて落下していく。当然、その切っ先に貫かれているイスベルに待つ運命は――

 

「取り敢えず、掛金は返して貰いますよ。その躯と……魂を、ね」

「おのれ……おのれ、スールードぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」

 

 地を割り砕いて衝き立った剣で、南天神達は完全に滅び去った。

 それを確認して、一斉に視線を受けた巨大な剣の柄尻に立っていた鈴の髪飾りの少女は。

 

「――さぁさぁ皆さん、つまらない前座が失礼いたしました……此処からがメインイベントですよ」

 

 『空隙のスールード』は、妖艶な笑顔を持って答えた――

 

 出雲の大地に、地殻すらも貫かんばかりに深々と衝き刺さった大剣。その頂に立つ天女は無造作に、空間から融け出すように現れた紅い剣を左手に番えた。

 

「あの人は、確か……」

「スールード……だと……!」

 

 アキと時深の下に降り立ったユーフォリアと、その姿をみるや顔色を変えた名無しの青年、そして犬耳の巫女。

 その時、アキが己の外套を毟り取るように脱いで腰に巻いて動き易い武術服姿となる。その動きは、今にもとびだそうとしていた青年の動きを抑えながら行われた。

 

「……精霊光の風よ、歩みを止めぬ者達の背を押す追い風となれ――トラスケード!」

 

 と同時に【真如】の周囲を旋回するリング状のハイロゥが巻き起こす風が、アキの身を包む。展開された激励のオーラ、追風の加護を受けた躯にチカラが漲っていく。

 その覇気に、そこに居た全員……時深を除いた全員が圧倒される。

 

「アイツとは俺一人でケリを付ける。誰一人、手ェ出すな!」

「あ、お兄ちゃん!」

 

 ユーフォリア達に釘を指した彼は、脚に纏ったままの錬成具で『空間』を踏み跳躍して――

 

「――一人でも多く、巫女を助けてやってくれ。剣の眷属だろうが、命は命だ」

「巽さま……」

 

 最後に何とか、理性的な言葉を吐いて犬耳の巫女や時深の防衛人形を気遣うと同時に、ユーフォリアや名無しの青年を牽制した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 剣の現れた"門"が閉じると同時に、地上に展開していたノル=マーターの一部が一斉にスールードの下に集結を開始する。

 

「――先ずは、廃品回収といきましょうか」

 

 それを、彼女はプレッシャーだけで粉砕した。スールードから迸しる圧倒的な神性の圧力に、耐え切れずノル=マーター達は次々爆散していく。

 

「――鈴鳴ィィィィッ!!!!」

 

 その爆風を潜り抜けて斬り込んだアキ。だが、当然と言わんばかりにスールードは『ダークフォトンブレード』を剣で受け止めた。ダークフォトンの刃と、永遠神剣第四位【空隙】の刃が鬩ぎ合い、哭き散らす。雌雄を決しようとする、猛禽同士のように。

 

「『(くう)』自体をを踏んで来た訳ですか。芸達者ですよね、出来ない事って無いんですか?」

「煩せェよ……テメェの正体、今度こそ聞かせて貰う。打ちのめしてでもな!」

「ふふ、怖い怖い……ですがまぁ、備え在れば憂い無し。弾数無限の貴方に対抗するには――やっぱりコッチもそれなりに整えなければいけませんし」

 

 そしてその残骸内の僅かなマナを吸収された。塵も積もればなんとやら、その総量は莫大。

 

【気を付けて下さい、アキ様……! その方の神剣は……【幽冥】よりも強大なマナを有しています!】

(ああ、解ってる……比較するのが失礼なくらいだ)

 

 左手に携えた紅い剣、大地に衝き刺さった物と同じ第四位【空隙】が脈動するのが解る。余りに巨大なそのチカラに、アイオネアが今までで最大級の警告を発した。

 

「それじゃあ、ラストダンスと洒落込みましょうか。昔、ある世界を滅ぼした時の五十倍程度の力で本当に申し訳ないんですけど……男性らしくエスコートをお願いしますね――巽さん?」

「上等――征くぜッ!」

 

 振り抜かれた【空隙】の一閃に、極彩色のオーラが粉砕されて破片を撒き散らす。それにスールードは、ともすれば見惚れそうな程に艶やかな微笑みを見せた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 斬り結び、まるで輪舞曲(ワルツ)でも踊っているような二人の姿を眺めながら、三人の永遠者は目を見合わせた。

 

「……彼は相変わらず、血が昇ると猪突猛進ですね」

「あはは……お兄ちゃんって視野狭窄で一本気な人だから……余裕が無くて気が付かなかっただけですよ」

「言われなくても判ってます」

 

 犬耳の巫女が少し呆れたような、いじけたような視線を向けて呟く。ユーフォリアはそれに苦笑した。

 

「……貴女達。喋っている暇が有るなら、早く姉さん達の救援に向かって下さいな。まだまだあの戦闘機械達はいるのですから」

 

 そこに苦言を呈した時深。巫女とユーフォリアはその発したオーラに慌てて行動を開始する。大半がスールードに吸収されたとはいえ、未だノル=マーターや抗体兵器は無数。

 環が指揮を執っているだろう、奥の院に向けて、炎により発生した上昇気流で生まれた黒い雲の下を飛んで行く。

 

「貴方はどうするんです、『英雄』さん?」

「は――『英雄』? 誰がだよ」

 

 そして、アキとスールードを難しい顔をして睨み付けていた名無しの青年に語りかけた。しかし彼は、その意味が判らないらしく、首を傾げただけだ。

 

「……あんたの息子さんに、言われたからな。『一人でも多く助けてやってくれ』、ってよ。英雄とか侠勇ってのは、そういう気遣いとか戦力眼を持ってる奴を言うんじゃないのか?」

「だとしても、あの子がやったのはそう言えばあなた達が手を出せなくなると判っていたからと言うだけの打算、侠勇どころか梟雄の所業です。それに――英雄とは、どんな戦いからも必ず帰ってくる者の事を言うのですよ」

「ん……なんでかな、ぐうの音もでねぇや。退散させて貰うぜ、くわばらくわばら」

 

 言いつつ、青年は襲い掛かってきたノル=マーター三機を双刀を振るって撫で斬りにして飛び立った。更に上空で、抗体兵器を相手取る。

 それを見送って、時深は四方に式紙を投げて木に貼付ける。そして刀字を斬れば――周囲の世界が隔絶されて『結界』を作り上げた。

 

「悪いんですけど、今は取り込み中なんです。手早く終わらせたいので、勿体つけてないで出て来なさい……『最後の聖母イャガ』!」

「――そう、『最後の聖母イャガ』。私の名前って、それだったわ。エト・カ・リファに入る時に細分化し過ぎちゃって……思い出せなくなっちゃってたのよね」

 

 呼び掛けたのは、大樹の陰。その陰から湧き出るように、一人の女が現れた。

 

「ありがとう、お嬢さん。お礼に――私と、一つにならない?」

 

 白い薄絹(ヴェール)だけを身に纏った深紅の長髪と瞳の女。百人に問えば百人が『美女』と答えるだろう。

 しかし――直ぐに気付く筈だ。その女が有する、生命としてあからさまな『違和感』に。

 

「真っ平御免ですよ。私は貴女も、貴女の言う『赦し』も大嫌い。私は私、私だけが私なのだから……貴女の押し付けがましい『救済』なんて要らない」

「あら、哀しいわ……でも良いの」

 

 不敵に笑いながら痛罵した時深、しかし最後の聖母は僅かに愁眉を寄せただけで――ニコリと。

 

「――勝手に食べちゃうから」

「――っ!?!」

 

 瞬時に『空間跳躍』で姿を消したイャガ。それに反応して、時深は【時詠】と【時果】を交差させて背後に現れたイャガの振るう短刀を受け止める。

 余りに強大なマナ圧に軋む空間、暴風すら巻き起こす剣戟だった。

 

「普段なら貴女の第二位【赦し】と真正面から打ち合うなんて出来ないけど、今の私には【時果】が在ります。遅れは取りません」

「あら、そう? うふふ、楽しみね……私、食事するのもお話するのも大好きよ」

 

 その隔絶された世界の中で。二人の超越者同士が激突する――

 

 

………………

…………

……

 

 

 虚空を踊る二ツの影。一ツは天女、もう一ツは――龍。片方は優美に空を舞い踊り、もう片方は獰猛な機動を見せる。

 

「――さあ、見せて下さい、巽さん。今までずっと待っていた。何の混じり気も無い、ただただ人の子の努力が掴み取ったチカラを!」

 

 スールードは笑顔のまま、純粋な人のチカラとの戦いに歓喜する。歓喜しながら、その胸の内に眠る感情を吐き出す。

 

「私の正体なんて単純、彼女(わたし)の分体……だから許せないんです。この『私』以外に、『本物の私』が存在しているなんて!」

 

 他者の意など存在しない、純粋な願いと祈りの産物。その"生命"の煌めきを宿した『永遠神銃』に。その魂に刻まれた銘……彼の起源と同じ『空』の一字……『空っぽ』の意味を持つ神剣と、その担い手の一撃が見舞われた。

 

「貴方だけだ、私の『願い』を叶えられる権利を持つのは。貴方だけだ、私の『願い』を踏みにじる権利を持つのは! 貴方だけだ――私を、この『宿命』から解き放てるのは!」

 

 振り抜かれる左の【空隙】を回避し、空いた右から連続放射されている圧力(プレッシャー)を『威霊の錬成具』で堪える。

 

「治癒や蘇生……他の雑多な神剣が嘘吹く、マナを利用しての『無』から『有』を生み出すなんて言うチンケな奇跡とは違う……最早、『転生』の域にすら達した神律の紡ぎ手。真実の『無』から『有』を生み出す事の出来る窮境の秘蹟(サクラメント)の担い手たる貴方だけだ!」

 

 その錬成具の防御が、右手に番えた『二本目の』【空隙】によって粉砕された。

 根源力で編まれた装甲が砕け散り胸に傷が疾る。鮮血が迸しるも、戦意は萎えるどころか沸き立つ。

 

【命育む水よ、傷付きし同胞(はらから)を癒し給え――アーネストプライヤー】

「――ハッ、腑に落ちねェんだよ! 俺から【真如】を奪った所で、このチカラは"生命"を共有する俺にしか扱えやしねェ!」

 

 瞬時に傷を癒しての返しの刃に、スールードは防御――せずに飛びのいた。

 しかし、引かれたトリガーにより放たれた銃口から飛翔した斬撃『ブレードフラッド』に撃たれて、湖に向けて落下し――湖底から幾つも衝き出している石柱の天辺(てっぺん)に着地する。

 アキもまた同様に落下し、湖面に波紋を揺らしながら着水した。

 

「……まぁ、そうでしょうね。今の貴方は、まだその神剣の『本来の姿』すら見れてはいない。勿論、『本来のチカラ』も引き出し切れてはいないのですから」

「何……?!」

 

 水面に映る二人。その一時、水面は鏡のように凪いだ。

 

「まだ解りませんか? 貴方は今、『無限』のチカラを携えている。まだまだ――多寡が『無限』程度でしかない、そのチカラを」

 

 彼女はは二本の【空隙】を携えたまま、腕を組んで彼を見下ろす。その瞳はただ、真摯にアキの神銃を見詰めるのみ。

 

「『(カラ)の力』と『(カラ)の器』……その二ツの『()』が結び付いてこその『00(無限)』。ですが、まだ先は在る……見せて下さい。この神剣宇宙でただ一ツ、『無限』すらも越えて行く――蒼滄(あお)き『光』を」

 

 言葉を紡ぐと同時に【空隙】が炎上して、先程までを凌ぐ圧倒的な気配を放つその背から翼が現出した。鳳凰を思わせる荘厳な翼と尾羽。

 

「訳の判らねェ事をつらつらと……ゴチャゴチャ言ってねェで、とっとと来やがれ!」

 

 気圧されそうになる心を、虚勢で叱咤する。これが彼女の全力だ。

 

「ええ、全力で征きます。だから、早く巽さんも全力を出さないと――消滅させますよ?」

 

 この時間樹においては、神名の影響で下手なエターナルは通常の神剣士と変わり無い。

 だからこそ、エターナルとならない内で最高位である第四位神剣の持ち主は――この時間樹エト・カ・リファにおいてはエターナルに比肩する。

 

 飛翔したスールードに合わせて、アキは湖面に波紋を立てながら走る。そして精霊光を纏う【真如】と炎を纏う【空隙】が、大気すら四散させながら打ち逢った――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 アキとスールードがぶつかり合う奥の院手前の湖は、さながら台風の最中に在るように荒れ狂う。

 アキが【真如】の銃撃を連射すればスールードは二刀を以てそれを全て打ち払い、そのスールードが【空隙】を掲げれば天空より光が降り注ぎ、アキが【真如】と錬成具にて弾く。

 

「――ッ!?」

 

 その勢いのまま斬り込もうとしたアキだったが、空中でくるりと一回転しながら振るわれた【空隙】の……『遥か彼方』の斬撃に悪寒を感じ横っ跳びに回避した――その瞬間、【空隙】の振られた先に在った『空間』が切断された。

 

「――良い判断ですよ、巽さん。幾ら貴方でも両断されてしまえば……先程のようにエーテル塊で損傷部位を補填する間も無く、即死するでしょう?」

「――ハッ、確かにな!」

 

 辛うじて回避したアキは、着水の間際にもう一度踏み込んで即座に走る。その背中を掠めるように、スールードの光が追い縋った。

 サイドステップを織り交ぜての高速移動でなんとか回避し続ける。

 

「……早く本気を出して下さいよ、最後の『(カラ)』を。その時、貴方は無限をも超越する光を得て……その不格好な剣も真の姿となる。その時――私は否定光の大海に還り、単一の存在を為せる」

「――だから……テメェの言ってる意味が判らねェんだよ、畜生!」

 

 アキは水中に銃口を衝き入れて、トリガーを引いた。着弾の衝撃波で巨大な水柱が立ち上り、それに紛れて消えたアキを見失ったスールードだったが――直ぐに上空を見遣って微笑む。

 そして、天頂より降り墜ちる極星の一撃『南天星の剣』を、二本の【空隙】で受け止めた。

 

「筋は良いんですけど……その程度では、私と【空隙】には遠く及びませんよ」

 

 弾き返され、距離を取る。向かい合い真正面から視線をぶつけ合いながら、アキは思考を巡らせた。

 

(アイ……奴の言う意味、判るか?)

【いいえ……判りません。私の真のチカラと姿……それって一体……】

 

 気を抜かずに魂を通して会話するも、解は出ない。そもそも、己の事を己以上に知られているという不快感から、まともな思考など出来なかった。

 

――不格好、か……確かにな。何せ【真如】はただ、弾倉となる鞘刃を突っ込んだだけだ……

 

 かつて、仏蘭西(フランス)の農民達の戦争で偶然に生まれたというその武器に似た永遠神銃。原型は銃口にナイフを突っ込んでいたらしい。不格好と言えば不格好、そして――余りに不安定だろう。

 そこで頭を振って、雑念を払う。一瞬の判断が生死を分ける戦場で、戦意以外を抱くのは余りに幼稚な行為だ。少なくとも、神の助力を得た者達にヒトと変わらぬ身のままで太刀向かっていた彼はそれを身に染みて知っている。

 

――落ち着け……敵の術中に嵌まるな。言葉に耳を貸さず、ただ撃ち破る事だけを考えろ!

 

 低く腰を落し、獲物に襲い掛かる間際の獣のような……ダラバの八双の構えを取る。かつて、【夜燭】でそうしていたように。

 

 対して、スールードは余裕の構えを崩さない。美しい翼をはためかせながら、天女を思わせる姿そのままに優雅に空を舞う。

 

「次は私の番です。我が【空隙】の刃を躱せますか?!」

 

 そして、回転しながらの空間切断を連続で振るう。まるで駒のように世界を斬り裂いていく。

 一撃で二分割、二撃で四分割。一振りごとに身を躱す範囲を次々に削られ、遂には三撃目で回避する空間を完全に鎖された。

 

「――……最後の一撃です。さぁ、越えてみせなさい!」

 

 放たれた四撃目。不可視の斬撃が、アキの躯を両断すべく迫る。

 

「……マナよ、我が求めに応じよ…浄化の輝光へと換わり、遍く穢れを撃ち祓え――オーラフォトンクェーサァァァァッ!!!!!!」

 

――俺は……こんな所で立ち止まっちゃいられねぇんだよ!

 

 それに彼は銃口を向けて、自身の根源力で増幅した最大出力の一撃『オーラフォトンクェーサー』の蒼茫の光を以て迎え撃った――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 一方、ノル=マーターや抗体兵器の掃討に移った巫女達に協力していたユーフォリア達。既に数百にも及ぶノル=マーターと十数の抗体兵器を破壊する、大立ち回りを見せていた。

 

「――やぁっ、たあぁぁっ!」

 

 彼女の父の剣筋である『プチコネクティドウィル』で、抗体兵器の頭部を弾き飛ばし叩き割る。

 更に接近してきた機を、彼女の母の剣筋『プチニティリムーバー』で両断した。

 

「助かりました、ユーフォリア殿。流石に抗体兵器は、防衛人形には荷が重過ぎるので」

「いえ、お安い御用ですよ」

 

 名無しの青年と共にあらかた片付いた事を確認して、環は礼を述べる。それに粗い息を吐きながらもユーフォリアは律儀に返事をして――湖からの衝撃波に身構えた。

 

「……拠点を奥の院から清水の社に遷しておいて正解でした。あの戦いに巻き込まれては敵いません」

「…………」

「心配……ですか?」

 

 一瞬、彼女は表情を曇らせた。しかし直ぐにそれを振り払うと、真摯な笑顔を見せる。

 

「心配なんて、してませんよ。だってお兄ちゃんは死にませんから、絶対に。そう約束したから……」

 

 その青い瞳から伺えるのは、ただ純粋な信頼。何一ツ確証も無いというのに、真に無垢な全幅の信頼だけだ。

 本来ならば、歳経れば失ってしまうモノ。人を疑う事を覚えてしまえば、二度と手に入らないモノ。

 

「『鰯の頭も信心から』ですか。全く……この歳で年下に諭されてしまうとは思いませんでした」

 

 颯爽と駆け出して残敵を掃討するユーフォリア達に、環は思わず苦笑してしまった。そして自分の妹を思う。

 

「彼を信じるか、信じないか……後は時深、貴女次第ですよ」

 

 呟くと彼女は防衛人形達に指令を出して、ユーフォリアに続いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 地を貫く巨大な【空隙】の剣近くまで吹き飛ばされ、樹木に背中を預けたアキが呻く。衝撃に武術服の上半身部は破れ飛び、諸肌を曝している。

 

「アレを打ち消したのは流石ですけど……まだまだ全力では無いみたいですね。やれやれ、まだ自分が『ニンゲン』だと思っているのですか?」

「……何……!?」

 

 足元に降り立ったスールードが、その躯に刻まれた無数の傷を見遣る。巽空の生きてきた証明であり、消えない過程(モノ)

 

「だってそうでしょう? 今の貴方は、傷を負えばその剣のチカラにより即座に癒える。例え腕や脚を斬り飛ばされたところで、結果は同じでしょう……そんな存在が――『神剣のカタチとして』の不変の"生命"で生きる貴方が、ニンゲンとして振る舞っているなんてね。笑えるじゃありませんか」

「――テ、メェ……!」

 

 【真如】を振るい、スールードを後退させる。その間に、軋む躯に鞭打ち立ち上がる。

 

【アキ様……このままでは……】

(泣き言は止めろ、アイ……俺達は勝つしか無いんだ……!)

 

 アイオネアの不安げな声に、彼は膝を折りそうになる自身諸とも叱咤する。

 

――そう、勝つしか無い。例え……それがどれ程大事なモノを犠牲にするとしても。

 そう決めて、俺は……エターナルになったんだから。

 

 如何に躯や心を痛め付けられようが、彼の魂は決して折れない。

 何が在ろうと、ただ前に進む。ただ弛む事無く、ありのままで。

 

『私はいつでも――いつまでも、貴方を信じています……我が、若き主よ――……』

 

 思い返すのは、あの言葉。彼の魂に燈る蒼茫の煌めき。

 

――ニンゲンを捨てて繋いだ掌。その癖に、俺は……まだニンゲンのつもりだったんだ。

 

(……考えてみれば、お前にも無理させたよな……アイ? 無理して神銃にしてよ)

【そんな事、ありません……どの道わたしは――永遠神剣としては失敗作ですから。そんな私を受け入れて下さったアキ様の為なら、どんな罪にでも塗れます】

 

 己の内に眠る最後の『0』、それに気付く。精神を統一して、魂に埋没する。

 

(有難うな、アイ……頼む、俺と……)

 

――『(カラ)のチカラ』の体言であるアイオネア、そのチカラを受け入れる『(カラ)のウツワ』である【真如】。そして…それを振るう『(カラ)壱志(イジ)』である、この(アキ)

 どれ一ツ欠けても成り立たない。この三身一体こそが……エターナル"天つ空風のアキ"を構成する起源なんだ。

 

「俺と共に――神を超えてくれ!」

【はい、アキ様……わたしはその道を斬り拓く――神刃(あなた)神柄(つか)ですから!】

 

 瞬間、【真如】の鞘刃が蒼茫の煌めきを纏う。それはまるで、彼がかつて信頼した――レストアスのように。

 

「――来た、遂に来た! そうです、そのチカラを期待していた!」

 

 その様に、スールードは歓喜した。炎でもなく、水でもない。風でもなければ、光でも闇でもない。この世の如何なる事物でも無い、世の外に座す『000』に――……

 

「遍く全て……無限の可能性すらも超克する『無限光(アイン=ソフ=アウル)』!!!」

 

 同時に、剣銃【真如】がカタチを『(カエ)』る。永遠神銃としてではなく、有り得なかった可能性……『永遠神剣として契約した』、彼女の姿に。

 そもそも、本来の彼女は"生命"。定められたカタチなど無く、器に沿って併存する遍くカタチが彼女なのだ。

 

 微かに【夜燭】の面影を残した、蒼滄(あお)き片刃の直刀。華美ではないが美しい装飾の施された、1m50cm程の揺らめく波紋の刃紋の大剣。

 その聖刃の中央下部に嵌められた夜明の宝珠からは、尽きる事無く蒼茫の光が溢れ出る。

 

 その大太刀を、腰溜めに構える。対応したスールードも、再度空間を切断するべく【空隙】を構える。

 

「――この一撃、躱せまい!」

 

 先に動いたのはスールード、至近で二本をクロスさせて放つ。

 世界を割り切る斬撃の鋭い風斬り音はさながら、神剣の異能により無理矢理に剥離させられた空間の悲鳴の如く。

 

「躱す必要はねェ……超えて徃くだけだ、全てを」

 

 横一閃に振り抜かれた、水平線の剣撃。空間を断ち切る神の刃すら超え徃く生命の煌めきが。

 

「――これが……ヒトの子のチカラ……!」

 

 二本の【空隙】と、彼女の背後の大剣諸とも全てを両断した――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 その瞬間、勝敗は決した。二刀流の時深に対してイャガは一刀。

 【時詠】にて【赦し】を押さえ込まれた刹那に加速した【時果】を深々とその身に衝き立てられて、彼女は死を避けられぬ程の致命傷を負った。

 

「「――――っ!!?」」

 

 その時だ、結界が……壮絶なチカラにより破壊されたのは。

 

「これは……一体」

「……うふふ――見付けた」

 

 呟き、駆け出した時深になど目もくれず。イャガは、そのチカラの残滓を喰らう。

 

「遂に見付けた……私の『"空"腹』を滿たしてくれるモノ……」

 

 そしてその身は空間に融けていく。まるで始めから存在していなかったかのように……

 

 

………………

…………

……

 

 

「――グァッ!」

 

 天を翔る双刀が、追い縋る矢のような光の群れに飲まれた。抗体兵器の光背より放たれた『空ヲ屠ル』が、名無しの青年を打ちのめす。

 辛うじて致命傷を逃れた彼だったが、深傷には違いない。大地に撃ち落とされたまま傷を押さえて――

 

「何でだろうな……こんな目に遭ってんのに、懐かしいなんて」

 

 押し寄せる抗体兵器とノル=マーター。自分達の数百倍もの敵を前にして、懐かしさに笑った。

 

――『あの時』も、そうだったな……あの世界でも、こんな風に絶望的な戦いだった。その絶望の中に――

 

 意思のない機械兵器群は、その異様を気に留める事も無い。そのまま止めを差そうと、各々の武器を構えて――

 

「命は――輝いてた。それを見せてくれた、あいつらが居た!」

 

 目にも止まらぬ速度で駆け抜けた青年により、全てがスクラップと化した。

 それにより、優先順位が替わる。『拠点制圧』から『障害排除』へと目的を替えた機械達が、青年を目指して結集してくる。

 

「上等だぜ……来やがれ、屑鉄ども。俺は、あいつらにまた会うまで負けやしねぇ」

 

 それに、不敵に双刀を構える。一片足りとも恐れなどなく、それが決定事項だとでも言わんばかりに。

 

「永遠神剣第五位【竜翔】が担い手クリストファー・タングラム、トレジャーハンター『竜翔のクリフォード』……行くぜ!」

 

 破滅の女神を敵に回し、世界を救えなかったその男。しかし、故に誰よりも気高い英雄が、凱旋した――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 崩れ落ちる二本の【空隙】が、掌から零れ落ちるさまを眺めてから。スールードはアキへと、穏やかに笑いかけた。

 

「……参りましたね、まさかたった一撃で敗れるとは……本当に強くなりました。最初に見た時なんか、本当にこんな脆弱な存在が私の希望になるのか不安だったんですけどね」

「……生き抜いてりゃあ、チカラくらい付くさ。お前にも……何度も助けられたしな」

 

 ほぼ、ぶつかったような至近距離。その距離で、胸に大きな十字傷を負ったアキも皮肉げに笑った。

 

「……ふふ。しかし爽快な気分だ。貴方の剣に討たれたモノは全ての因果から弾かれる。私は、これで……スールードとしての宿命から解き放たれて……私のままで死ねる……ざまぁみろってなもんです」

 

 あっけらかんと自身の消滅を受け入れて。彼女はくすくすと笑う。それは、かつて剣の世界や精霊の世界で逢ったあの少女……『鈴鳴』としての顔だった。

 

「……莫迦だよ、お前は。何で一言、『助けてくれ』って言ってくれなかった……」

「……さぁて、何故でしょうか。それは貴方の残りの永遠で説き明かして下さい。永遠の時があるんですから、解けない謎くらい有った方が退屈しなくて済みますよ」

 

 続いて、背後の【空隙】が崩れ落ち始める。それが本体だったのだろう、スールード…いや……鈴鳴の躯がマナとして解け、空に融けていく。

 その冷たい掌がアキの頬に触れた。その形の佳い唇が、言葉に成らない声を発した。

 

「――……」

 

 そして最後に、一瞬だけ触れ合う。まるで風が触れたように、空蝉のように実体の希薄なモノ。

 だが、確かに存在した――鈴鳴という少女の温もりだった。

 

「……本当に、莫迦だよ……お前は」

 

 握り締めた【真如】は、いつもの剣銃に戻っていた。だがその鞘刃に煌めき無くなっている。まるで、空に掛かっている雨雲を映したように。

 

「お兄ちゃん……」

 

 全ての敵を片付けたユーフォリアと時深が駆け付けた時、丁度雨が降り始めた。二人が現れた事にも気付かず、アキはただただ涙雨にうたれながら立ち尽くすのみ。

 

「……クソッタレ……」

 

 その搾り出すような声に、ただ……二人はその背を見詰めるしか無かった……

 

 

………………

…………

……

 

 

 夜半過ぎまで降り続いた慈雨が上がり、人工の光が無い出雲の空は宝石箱をひっくり返したように美しい星天を見せている。

 

「…………」

 

 その夜闇の底、奥の院の屋根に腰を下ろしたアキは天を眺めていた。天の川の煙るように細密な星の集まりと、襲撃で時間流が乱れた為に現れ出た黄金色の満月を肴に御神酒を煽る。

 冷えた湿気を孕む夜風は心地好く、寛げた宮司装束の衿元から覗く包帯を巻いた躯を撫でた。

 

「こんな所に居た……もう、お兄ちゃん。病み上がりなのに無理しないで……って、あー! お酒なんて呑んでっ!!」

「俺は何て事ねェよ。後、細かい事言うな。もう歳なんて取れないんだからな……」

 

 そこに、巫女装束のユーフォリアが屋根へと登って来る。そして彼を見咎めるや、ぷりぷりと怒り始めた。それもその筈だ、数十分前までこの男、生死の境を彷徨っていたのである。

 『無限光の聖剣(アイン=ソフ=アウル)』を振るった為にチカラを著しく消耗したアイオネアが意識を失い、同じ生命を共有する彼もまた倒れたのだ。

 

 幸い彼は直ぐに目を覚ましたが、アイオネアは今もまだ眠っている。少し前までは彼が看病していたが、環の気遣いで今は犬耳の巫女が看ている。

 

「アイちゃんはまだ目を覚まさないのに……心配じゃないの?」

「してねェよ、心配なんて。アイは強い子だ、必ず目を覚ますって判ってるからな」

 

 右隣に腰を下ろした彼女を見る事無く、彼は杯の澄んだ清酒が映す酒月を見遣る。

 

――それに、心配し続けたなんて知ったらひたすらに恐縮しちまう。そんな娘だ、アイは。

 

 ゆらゆらと揺れる満月は、当たり前だがその遥か下の湖に映るそれと全く同じ。

 

「それとね……あの男の人、記憶が戻ったんだって。クリフォードさんって言うんだって」

「そうか」

 

 期待した言葉を聞けなかった為か、ユーフォリアは少し悲しそうな顔をした。そして、アキの顔色を窺うように唇を開く。

 

「あの……話したくなかったら良いんだけど…あの人とお兄ちゃんって、どういう知り合いだったの?」

「…………」

 

 ユーフォリアの問い掛けにも、アキは暫く黙り込むのみ。

 湖上の楼閣を再度、涼やかな風が吹き渡る。湖と杯の水面を揺らし、風はどこへとも無く消えていく。それはまるで"生命"のようだと、ふと思った。

 

「――……ッはぁ……ハハッ……」

 

 一息に飲み干して息を吐き、同時に――笑った。口の端を皮肉げに吊り上げて。傾け酒を注いだ徳利、カラになったそれを適当に転がした。

 

「俺が持ってる銃……あれ全部を創る時に、色々世話になったんだよ」

 

 そして、右手に持っていたモノを見せる。鳳凰の尾羽のような羽があしらわれた根付け。首飾りに結わい付けられたモノだ。

 

「これは、最初会った時に貰ったモンだ。『また出逢えるお呪い』らしい……どこまで本当か判らないけど……確かに何度も引き合わせてくれたな」

 

 消えずに遺ったそれは、恐らくは鈴鳴の羽。今まで気付かなかったが、ほんの少しだけマナの残滓を感じる。

 とは言え、『(くう)』に因って因果を断ち切られた以上、どんな意味を持っていたとしてもただのマナで出来た物体でしかない。

 

「まぁ、目的の為に利用されただけなんだろうけどな……それでも、俺にとっちゃ恩人だった。護りたい世界の一部だったんだ…」

 

 根付けを懐に戻し、もう一度アキは静かに笑う。行き場を無くした感情を弔うように、静かな笑み。

 

「俺ァ、自分の大事なモノを自分自身でぶち壊しにした……超弩級の大莫迦野郎さ。結局のところは、『変わってない』んじゃあ無くて『変われてない』んだ……ショウの時と同じ、何にも出来なかった」

「……お兄ちゃん」

 

 だからこそ、彼女は気付いた。この男が自分から笑うのは――嬉しい時でも楽しい時でも無く、堪え難い程に悲しい時や苦しい時なのだと。

 あの時の……【幽冥】との戦いを終えて見せた笑顔もそうだったのだろう、と。

 

「……神を超えるチカラなんて下らねェもんより、命を救えるチカラが欲しかったんだけどなぁ。全く、陳腐な台詞だけどよ……八百萬の神を殺すより人一人を救う方が、よっっっぽど難しいぜ」

 

 痛みも、苦しみも。何一つ誰にも押し付けずに、ただ己を磨く為に噛み砕き飲み干し滋養とする。

 どれだけ『救い』が無いとしても、それが…アキが『成長』と呼ぶモノだった。

 

「……ていっ」

 

 ペシリと手を叩かれ、アキは杯を取り落とす。勿論酒は打ち撒けられ、コロコロ転がった杯が湖に落ちて浮かぶ。

 

「っつぁ、オイオイ何て事すんだ勿体ねーな……杯も返さなきゃならねーのによ――ってオイィィィ!」

 

 それを追いかけて身を乗り出したアキだったが、そこを更に彼女に押されてユーフォリアごと湖へと落ちてしまう。

 

「ぶはッ!? お前、何を――」

「いいから、動かないで」

 

 思いの外浅い湖は、直立すれば太股位の水深しか無い。

 水底は砂なので怪我こそ無いが、尻餅を付く姿勢でのしかかられて身動きを封じられ、背けて捩った顔も両手で向かい合わされて――蒼い虹彩(アイリス)に映る、自分の表情まで見える距離に。

 

「ユー……フォリア?」

 

 湖から、淡い光の粒が立ち上る。それはさながら蛍……『ある存在』の無聊を慰める為に放たれた別の世界起源の、『マナ蛍』という生物である。

 酔いなど一気に醒め、別種の熱が身を包む。鼻先が触れる程の至近距離にユーフォリアの顔が近付き……額同士がくっつけられた。

 

少し顎を上げれば、唇が触れ合う距離で。ユーフォリアは祈りを捧げるように、彼の両手を包み込み胸の前で手を組む。そして目を閉じると、彼女はすうっと息を吸い込んだ。

 

「――暖かく、清らかな、母なる再生の光……」

「――……」

 

 紡がれるは唄声。美しい調べに乗せられた賛美歌。

 

「すべては剣より生まれ、マナへと帰る。どんな暗い道を歩むとしても、精霊光が私たちの足元を照らす」

 

 『歩み続ける事を諦めるな』と。夜に怯える子への子守唄、生きる事を肯定する祈り(ウタ)

 

「清らかな水、暖かな大地、命の炎、闇夜を照らす月……すべてが私たちを導きますよう」

 

 頭ではなく、心に染み入る韻律。耳ではなく、魂を震わせる旋律。雑音など消え果てた、ただ清音。

 

 風すら止み、鏡の如く凪いだ湖に映る星天は、まるで星の海。その中に在って唄うは、水の妖精のような少女。

 

「すべては再生の剣より生まれ、マナへと帰る。マナが私たちを導きますよう……」

 

 唄い終え、閉じられた唇の代わりに瞼が開く。静謐のように深い、深い瞳の色。

 

「そうか、記憶……お前も取り戻してたんだったな。で、これって何て歌なんだ?」

「題名は判らないけど、ママの生まれた世界の唄。よくパパとママに、子守唄で唄ってもらったから覚えてるの」

「そうか……俺もだよ。餓鬼の時分は怖がりで寂しがり屋で臆病者だったから……夜中に布団に潜り込む度に、時深さんが歌ってくれたんだ」

「じゃあお兄ちゃんって、今もちっとも変わってないね」

「こいつめ」

 

 アキが浮かべたのは……笑顔。それを彼女はしっかりと見詰め、もう一度口を開く。

 

「……諦めないで歩き続けて。まだ途中じゃない。今はどれだけ辛くても、きっと……希望の光は見えるから」

「…………」

 

 いつもより、幾分大人びた笑顔。普段が快活な大輪の向日葵だとするなら、今は静謐の月夜に咲いた待宵草(マツヨイグサ)の華か。

 

「……生意気言いやがって…さて」

「『家族相手にしゃちほこばるな、もっと我を出せ』って言ったのはお兄ちゃんだもん」

「違いねぇな、ッたく」

 

 ずぶ濡れのまま、アキは仏頂面に戻る。それを見て、彼女もいつもの向日葵の笑顔を見せた。

 互いに『いつも通り』に戻った、その二人。

 

「……お二人とも、そんな所で何をしておられるのですか?」

「「…………」」

 

 何時からそこに居たのか、二人に向けて奥の院の縁側に立つ犬耳の巫女がジト目を向けながら問い掛けた。

 

「いや、ちょっと一泳ぎしようかな~と!」

「そうそう、そうなんです! ちょっぴり水浴びでもしようかなって思って!」

 

 一瞬で離れたアキとユーフォリアは、それぞれ背泳ぎと平泳ぎして誤魔化そうとする。しかし、巫女の視線は冷たいままだ。

 

「そうですね、私には関係の無い事です。ご当主様がお呼びですが、どうぞお二人でしっぽりとお楽しみ下さいませ」

「「しっぽり!?!」」

 

 そのまま、肩を怒らせてずんずんと歩いていく犬耳巫女。アキとユーフォリアは、急いで縁側に上がり彼女を追い掛けたのだった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 障子を開くと、正座して上座に座る環と時深の姿。

 伏せていた顔を上げ、三人を改め……困ったような顔を見せる。

 

「……遅かったですね……と言うか、何でずぶ濡れなんです?」

「水練をなさっていたそうです」

 

 濡れ鼠の二人が一緒に下座に正座する。巫女は一礼し、部屋に入らないまま障子を閉めた。

 残された四人の間に沈黙が流れる。黙って瞑想でもしているかのような環と時深に、そんな二人の深意を探ろうとするアキとユーフォリア。

 

「――ックショイ!」

「――っくしゅん!」

 

 が、同時に盛大なくしゃみを放つ。身を震わせるところまで同時だった。

 

「……仲が良いですね。まるで本当に姉弟(きょうだい)のよう」

「まぁ……確かに妹みたいなモノですけどね」

「妹……? 姉ではなくて?」

 

 ズビッと鼻水を啜り、何となしに言った言葉。だが環は、不思議そうに聞き返す。

 

「その娘は、別の時間樹で育った存在な上にエターナルですから。生きてきた絶対時間で言うなら、貴方より年上ですよ?」

「…………」

 

 環の言葉に、アキは右隣りの少女を見遣る。彼女はバツの悪そうな表情を見せた。

 その瞬間、パンと乾いた音を立て時深の時遡の扇が閉じられる。

 

「そんな事より、天つ空風のアキ……貴方に問います。貴方の剣は……誰が為のモノか」

 

 それが試す為の言葉だと言う事は、直ぐに判る。だからこそ、アキは……ありのままを答える。

 

「――俺の為です。俺が手に入れたのは、俺の『願い』を叶える為……それだけのモノです」

 

 再度、沈黙が部屋を支配した。驚いた顔をした環とユーフォリア、鋭く睨み合う時深とアキ。

 今この状況で戦闘に発展すれば、彼には闘い様が無いというのに。

 

「――あー、良く寝たわ~。環、御飯用意してよ~……っていうか、やけに騒がしかったじゃないの。安眠妨害よ、全く……寝不足は美容の大敵なんだから」

「「「「……………………」」」」

 

 その時、奥の襖が開き一人の少女が現れた。場の空気を完膚無きまでにぶち壊して。

 長い黒髪と袖を靡かせて、着物を改造した露出の多い服を身に纏う娘。寝起きらしく不機嫌そうな、横柄な物言い。

 

「――莫迦な……何で……お前が……! 何でお前がこんな所に居るんだよ、ナルカナァァァッ!?!」

 

 それに、一番反応したのはアキだった。ザッと立ち上がると、それはもう『前世はザリガニだった』と言っても信じられる後ろ跳びで距離を取り、ビシリと指差す。

 最初は胡乱げな目で彼を見ていた少女だったが、やがて何かを考え込むように目を閉じた。

 

「……あんた……」

 

 余りにも烈しいアキの反応に、残り三人は呆気に取られている。だからその一言は、とてもクリアに響いたのだった。

 

「……誰だっけ?」

 

 その、心底からの問い掛けが。

 

「あー、あと……汝、磔刑に処す。原罪の裁きを受けなさい」

 

 そして少女は気を取り直したように直立すると――くるりと一回転しながら腕を振った。

 

「は――あべぇぇし!?!」

「お、お兄ちゃ~ん!」

 

 瞬間、熾天使の扇『フラベルム』がアキの躯を弾き飛ばして障子を突き破り、彼は再度湖の中に叩き込まれた。

 

「……『ナルカナ"様"』でしょう? 多寡が宮司の分際であたしを呼び捨てるなんて良い度胸じゃない」

 

 薄れ行く意識の中で、彼が最後に見たモノ。仁王立ちしてアキを見下ろす、彼の前世が最も恐れた神『ナルカナ』の姿だった――……


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