薄明の空 小さな希望
勝負は一瞬だった。閃いたのは二射、同時に放たれた白と紫の矢はぶつかり合い――砕け散った紫は消滅し、白は相対する射手を射抜く。
ショウはセントラルタワーの屋上に仰向けに倒れ伏す。その目に映る――久しく見ていなかった、夜明け前の瑠璃色の夜明け。
強大過ぎる浄戒の神名を無理矢理詰め込んだ代償として彼の躯と心、魂は既に壊れていた。どんなに足掻いても助かる道は在るまい。
だが――彼はそれで満足だった。
「ショウ……ごめんよ、僕は……」
無意味な死ではなく、友の手に掛かって破壊されたのだから。
――馬鹿野郎……なんて顔してやがる。お前がそんな顔してちゃ、安心して逝けねェだろ……
「いいぜ……行けよ、スバル……この狭苦しい"鳥篭"を抜けて……お前が憧れ続けた……広い…………世界に……」
だから、彼は友人を鼓舞する。この余りに優し過ぎる人生最高の親友を――送り出す。
――俺はその光の中には行けない。俺は……この闇の底で充分だ。
だってそうだろ……闇の中からじゃなきゃ、光は見えない……
「スバル……俺は……これからもお前のトモダチで…………居られるか……?」
「当たり前だろう、ショウ……僕らは……いつまでも……」
伸ばした手を、スバルは迷わずに握り締めた。力は――弱い。スバルももう、動いているのが限界の状態だった。
「……ああ……ずっと…………」
――永遠に、俺達は…………
「「……トモダチだ……」」
その朝に希望など無く。ただ、変わらない絶望が彩る。始まりが有れば、必ず終わりが有る。
しかし、終わるからこそ……始まりが有る。それこそが、"輪廻"だ。
最期の瞬間にまた心から笑い合えた二人の"絆"は――まだ、終わりなど迎えてはいないのだろう……
………………
…………
……
暗く鎖されていた視界。それを、ゆっくり開けば――見慣れたくない保健室の天井が目に映る。
「あら、目が覚めた、クー君? 気持ち悪いところとか無い?」
「……姐さん……俺は……」
「血液を1リットルも抜かれてたのよ……よく生きてたわね。皆心配してたんだから」
白衣姿のヤツィータを一度見遣り、軽い眩暈を覚えながら上半身を起こす。と−――隣から生理食塩水が渡された。
「…どうぞ、巽くん」
「セラフカ……さん?」
学園の制服に身を包んだスバル、トレードマークの赤い鉢巻きは着けたまま。彼はそれまでの経緯を説明する。旅団に加わった事、繰り返す世界の滅亡……ショウの死。既に、それから三日が過ぎている事を。
「……そう……ですか」
全てを聞き終えた空の目に映る、壁に立て掛けられた【夜燭】。
【……ご無事ですか、オーナー……】
(ああ……ッてか、お前こそな)
黒い剣は【疑氷】の矢により穴が穿たれ、あちこち無惨に傷付いている。消滅していないのが不思議なくらいの損傷度合いだ。
――結局何も為せず、何者にも成れやしない……俺は何の為に、他者を傷つけてまで
「……ッ!!」
込み上げてきた吐き気ごと生理食塩水を飲み下し、大きく息を吐く。そんな空の手に、スバルの手が重なった。
「……有り難う、巽くん。ショウの魂を救ってくれて。ショウの奴……最期の瞬間に笑ってました。きっとそれは、希望が実在する事を知ったからだと思うんです」
「……それは、俺じゃないですよ。ショウにとっての希望はセラフカさんだ」
「だとしたら、僕の希望は君だ」
突然の言葉に面食らう空。しかしスバルは構わずに続ける。
「僕の大事なトモダチの魂を救ってくれた君が、僕の希望だ。だから、やっぱりショウにとっても君は希望だった。それで……いいじゃないか」
そう、笑顔を見せた。トモダチの死からたった三日しか経っていないのに。
――なんて強い人なんだろうな。お前が惚れ込んだのも理解できるぜ、ショウ……
その笑顔は、よく似ている。何処かのお人よしな幼馴染みに。
「……有り難う、もう大丈夫だ……『スバル』さん」
「……お大事に、『空』くん」
そうしてファーストネームで呼び合って、スバルは席を立つ。空も立ち上がろうとしたが、そこはヤツィータに抑えられてしまった。
仕方無しに寝転び、窓の外に目をやれば――ものべーの擬似天幕に投影された夜空。
「姐さん、そういえば今は……どうなってるんです?」
「うん? 言ってなかった?」
「聞いてねっすよ……」
『ゴメンあそばせ〜』と言わんばかりの仕種に溜息を落としつつ、耳を傾ける。下手な事を言うとどれだけ脱線するか、判ったモノではない。
「……浄戒を奪取して、暁絶の待つ世界に向かっているところよ」
「……ッ!!?」
「あ、ちょっとクーくん!? 待ちなさい!」
そこで跳び起きた。思い出したのだ、今がどれ程危うい状況かを。ヤツィータの止める声すら聞かず、空は保健室を走り出る。
−−しまった……! 何、
縺れそうになる足、それに鞭打ち二人を探す。世刻望と永峰希美を探して、望の部屋に辿り着き――
「はい、望くん。あーん♪」
「駄目です先輩、それはわたしの役目です! 望ちゃん、あーん!」
「いや、自分で食うから……」
沙月と希美にちやほやされながら夜食にスナック菓子を食べている最中の色男モテ地獄を目の当たりにして、扉を
………………
…………
……
擦りむいた鼻に貼った絆創膏を摩りながら、空は暗い廊下を歩んでいた。
「……ったく。シリアスかましてた自分が恥ずかしくなったぜ……」
あの後、二三質問と厭味を言って保健室に引き返し治療して貰い、装備を取って自分の部屋に帰る事にしたのだ。ついでに食堂で勝手に肉類中心のこってりした食事を平らげ、道々食後の番茶がわりに数本の缶珈琲を手に入れて。
しかし、直ぐに表情は引き締まる。『何か変わった事は無いか?』というその問い掛けに、望と希美の二人が表情を曇らせたのを見逃さなかった。
――やっぱりそうだ。浄戒を取り戻した事で、望はより強く前世を感じるようになった筈。
そして希美は……浄戒が側に在ると『相剋』が目覚めるかもしれない。
『相剋』の神名。それは所謂、『ワクチン』のようなものだ。神という『プログラム』に対して、絶対的優位を持つ『ウィルス』の『浄戒』を狙い撃ちにした神名。故に他の神名に対しては特に作用しないが、『浄戒』にだけは絶対的優位を持つ。
ボヤきながら、缶の蓋を開ける。神を弑す神の『破壊と殺戮の神』"ジルオル=セドカ"を確実に弑す為に在る……『断罪と救世の女神』"ファイム=ナルス"に刻まれた、『浄戒』に対する『相剋』。
――でも俺は……どんな状況でその『相剋』が目覚めるのか知らない。それが発現する前に南北天戦争を脱落してしまった。今はまだ、二人はあくまで今まで通りの関係のままだが……神名が目覚めれば、あの二人は……
「……ったく。世の中って奴はどうしてこう上手く出来てるのかね。クソッタレなカミサマは、よっぽど悲恋モノが好きらしいな」
反吐を吐きながら何気なく視線を向けた先に少女は居た。暗がりの底から星空を見上げている小さな黒い影。
「……黒ジャリ天か」
「……生きていたのですか。巽は手先が器用でゴリラ並の筋力に、ゴキブリ並の生命力なのですね。ギャンブルも好きなようですし」
「断じて眉毛は繋がってねーぞ」
窓の桟に腰を下ろしていた堕天使ナナシ。ともすれば闇に溶けてしまいそうに感じる。何となく沈んでいるようだ。
「……何か?」
「いや、別に」
暫く続いた沈黙、動く物の何も無い学園の静寂の中、黙って珈琲を含み続ける。
「……お願いが、有ります」
「――……何が?」
鼓膜を揺らした声に、一拍分間を置いて応える。その声に逼迫したモノを感じた為に。
「……今からでも世刻達が元々の世界に帰るように、説得して貰いたいのです」
それにナナシも一拍分間を置いて応えた。心を落ち着かせる為に。
「……あのな、無茶言うな。俺達が此処まで来たのは、お前の主人の暁の方が招き寄せたからだろ?」
「……だからこそです。貴方になら判る筈でしょう、己の神名に命を蝕まれる……苦痛と恐怖が」
夜風が吹き渡れば、微かに聞こえる枝葉の擦れる音。静かな
それをひとしきり聞いた後で。
「判んねーよ……
「……敵だから、ですか」
此処に来て、初めてナナシは本心からの情動を見せた。キッと空を睨みつけ、低く恫喝するように。静かな、しかし激しい怒りの感情を見せる。
「そういう訳じゃない。判るさ、死ぬのが恐いのは。でも……それは他の誰でも同じだろ? 『滅び』の神名なんて持ってなくたって、生まれたら死ぬのは当たり前だ」
「そんな事が言えるのは『触穢』から解放されたからでしょう……! マスターは今も苦しんでいます、目の前に迫った『滅び』に!」
空は缶珈琲を一口含むと、顔を向ける事も無く宣った。流石に怒りを爆発させたナナシ、だがやはり空は意に介さずに一気に飲み干し――心底悔しそうに。
「……なんて、お前と議論したって仕方無いよな。暁の奴に言わなきゃよ。けど、俺じゃあ姿を見る前に唐竹割りが関の山だ」
実力差は嫌と言う程に理解している。何せ神獣だけでもあの強さの永遠神剣の持ち主だ、旅の始まりの時の交戦など遊ばれていただけだろう。
「……当たり前です。マスターは誰よりも強い方ですから」
「またしても
「だからっ……! 誰がデキてる奴らですかっ!!」
またもそこで気を取り直して、咳ばらいしてナナシはいつもの澄ました顔に戻る。扱いに慣れてきた優越感からニヤついていた顔を、空も引き締めた。
「……だからよ、望を信じてやってくれ。アイツは本心から暁を救おうとしてる。それを諦めてないんだ。『トモダチ』ってだけで」
「そんなもの……」
「ああ、綺麗事の上に絵空事さ。夢見てると俺だって思う。全てが上手くいく訳が無い、誰かが利を得たなら誰かが損をするのが現実だ。それでも……もし全部が上手くいくのなら。努力が報われるなら、諦めたくないんだよ」
近くの屑籠に空き缶を投げる。缶は屑籠の縁に当たり、クルクルと縦に高速回転して見事に入った。
「――何せオイラは鼻タレ小僧。物語はハッピーエンドで終わらなきゃ嫌な
最後の最後で恥ずかしさを隠し切れずに、茶化して。ナナシの脇に封を切っていない缶珈琲を置いて、バリバリと髪を掻きながら歩み去る背中。そこに――
「マスターを……助けて……」
そこに投げ掛けられた微かな、搾り出すような……震える声。
「……約束は出来ない。けど、努力はする。それで……勘弁してくれ」
振り返りはしない。たった今、自分で『夢を見ろ』と言ったのだ。沸き上がるのは怒り。此処まで自分を思ってくれる存在を一人にしておく絶に。何より――頼られても応えられもしない無力な己……『巽空』に。
だが、それに甦る笑顔があった。夢か現かは今だに判別が付かないが……滄海[あお]の髪と金銀の瞳、儚い笑顔。
自分も同じ事をやったのだ。差し延べられた手をとらなかったのだ、いつも通り意固地になって。
――本当……やってらんねーんだよ、クソッタレ……
足音は少女の声から、情けなくも逃げるように。決戦の世界へと、逃れる術も無く進んで行った。
………………
…………
……
翌日の学園の校庭、次の世界まではまだもう少し時間がある。その合間に空はソルとの套路に励んでいた。
「うっし、一先ず終わりにしようぜクロ、空」
「左様、流石に四時間続け通しは疲れたであろう。根の詰め過ぎは悪影響を及ぼそう」
「そう……だな。訓練で躯壊すのも莫迦らしいし」
ソルラスカの【荒神】の守護神獣の黒狼『黒き牙』……クロの忠告に従って切り上げる。校舎と校庭を繋ぐ階段に腰を下ろす二人と一匹。途中、空の懐から落ちた物をクロが拾い上げた。
「巽よ、落としモノだ」
くわえられていたモノは――骨。肉が付いていれば、某原始的な肉になるだろう。しかし似合う姿だ、心なしか尻尾が揺れている気がする。
「うん? 『トーの聖骨』か……ミニオンが落としたやつだな……」
受け取り、空は……ウズウズと身を震わせて。足を踏ん張り、大きく振りかぶって。
「――取ってこーーーいッ!」
「――アオーーーン!」
思いっ切り、聖骨を遠くへと投げ飛ばす。クロはそれに向けて疾風のように走り、戻ってきた。
「よーしよしよし……」
「ハッハッハッ……さて、そろそろよいかな?」
ム○ゴロウさんのようにかいぐる空を暫く好きにさせて――クロは、戦闘の際に見せる鋭い眼差しを向けた。
「うっす、クロ先輩……思い残した事はもうねっす」
「ふむ、その意気に免じて今回は不問に付そう。二度とやるな」
「何やってんだ……おお、『地牙』のインスピレーションが……もう覚えてるけどな!」
聖骨を噛み砕き、クロは噛んで含めるように告げる。ソルは呆れ返った声を向けるだけだった。
「そういやぁ、俺もパーマネントウィル持ってるぜ。そらコレ」
言うや懐から何かを取り出したソル。それは――口を縛っただけのビニール袋。
「……フッ、莫迦なりに頭使ったじゃねぇか。でも甘いな、俺は恥をかくのなんて何とも思わないからな。見えないぞ、何も見えない」
それを、『裸の王様』的な試しだと思った空は見たまんまを答えた。ソルラスカはまたも呆れ顔を見せる。
「あん、当たり前だろ。『コバタの森の風』が見える訳ねーだろ」
「紛らわしいわ! つーか何を保管してんだテメーは!空気の缶詰か! そしてミニオンがどうやって持ってたか教えろ!」
「雁首揃えて何騒いでんのさー」
問い詰めている最中、校舎の方からルプトナが現れた。制服姿なところを見ると、暇を持て余しているらしい。
「……あれ、ソル、それコバタの森の風じゃん」
「何で?! 何で判るんだよ!」
「あ、ボクも持ってるよ、パーマネントウィル。ほらコレ」
そうしてポケットから取り出したのは――土の入ったビニール袋。
「……って、見た事ねーよそんなん持ち歩いてる奴!!お前は夢敗れた高校球児か!」
「なんだよぉ、ただの『十六夜の平原』じゃんか」
「だからミニオンがどうやって持ってたか教えろォォォ!」
「ちょっと、何騒いでるのよ〜……こっちは二日酔いで辛いんだからね〜……あらぁ、コバタの森の風と十六夜の平原じゃない」
「だから何で判るんだァァッ!」
そこにフラフラと、頭を抑えたまま現れたヤツィータ。昨日も深酒したのか、顔色が悪い。
「あたしも持ってるわよ、パーマネントウィル。はいコレ」
そして、懐から取り出された――少量の水が入ったビニール袋。
「オイィィ! 保険医が何持ち歩いてんだよ!コレッ……確実に使い方一つしか思い浮かばねーよ!」
「なによぉ、ただの『冥界の地下水脈』じゃないのよ」
「だから何で頑なにビニール袋に入れて来るんだよ! ビニール袋の中に世界でも創る気か!」
「あら、良いわねそれ。どんなスキルを覚えられるのかしら」
「俺が一から十まで全部ツッコむと思うなよォォッ!」
コバタの森の風と十六夜の平原、冥界の地下水脈を一つのビニール袋に纏めて泥水を作った三人と、ゼイゼイと肩で息をしながらツッコみ続ける空。
「……貴方達は、いつもあんな風に騒いでいるのですか?」
「あの四人が特別おめでたい性格なだけだ。一緒にしないで欲しいものだな」
「まったくじゃ」
それを生徒会室から眺めていたナナシは、冷たい眼差しをサレスとナーヤと共に彼等へ向けた。
………………
…………
……
訓練を切り上げ、ミネラルウォーターを手に入れて自室に戻る道々、思い出した事があった。
――そう言えば綺羅の奴、元気にしてるのか……? 時深さんがいるんだから狂犬病とかの心配はないと思うけどよ……
クロを見て思い出した、旅が始まる前に黒狗に襲われた時に助けてくれた凛々しい銀狗。
「――巽、丁度良いところに」
「はい?」
振り返れば屋上で干していた物を取り込んで来たらしい、畳まれた服の入った洗濯籠を持つカティマとタリア、ユーフォリア。
「
「ボケはあんたが校庭で相手してた連中だけで十分よ」
ジト目で睨まれて『
「毎度すみません。礼はいずれ、精神的に」
「期待しないで待ってるわよ。じゃあ、急ぐから」
――面倒見も良くてしっかり意見も言う良妻賢母タイプ、ソルの奴も中々見る目があるよな……まぁ、十中八九尻に敷かれてカカア天下だろうけどアイツにはそういう方が似合うか。
スッと手を挙げてさっさと帰っていくタリアを見送る。
「……ッてか、見てたんなら助けてくださいよ。あのボケの三連星、一人で捌くの大変だったんすよ」
「何を言うかと思えば。だからこそ関わりたくなかったのですよ」
「ごもっとも……ところで姫さん、ボケに対してエグいですよね? 具体的に言うと生で囓った蕗の薹くらい。なあユーフォリア?」
そう、何気なく話を振った。さっきから一言も発していない少女に。すると――
「…………(ぷいっ)」
とばかりにそっぽを向かれてしまった。いかにも『怒ってます』といった感じで。
「ユーフォリア? おーい……」
「…………(つーん)」
回り込んでみても同じ、蒼い髪を靡かせて逆方向を向いただけだ。
「怒っているのですよ、巽に」
「俺ですか? なんかしたっけ……」
頭の白い羽根も、彼を拒絶するように逆立っている。思い悩むも、心当たりはまるで無い。
「……言い方は悪くなりますが、私達は巽の無茶にもう慣れていますから。ですが……」
膨れっ面のユーフォリアに、苦笑を漏らしながら問うた。すると、カティマも苦笑を漏らす。
「ユーフォリア殿は……泣いていましたよ。貴方を心配して」
「…………」
二人とも結構なサイズの籠を抱えている。目線を戻して見れば。
「……きらい。無茶ばっかりするお兄ちゃんなんて……きらいだもん……」
タオルを詰めた籠に顔半分を埋めて、上目遣いに睨みつける彼女。その真摯な怒りを臆面も無く――
『久遠の刻も……無間の世すらも、超えて――……』
あの時と同じく、純粋な感情を真っ直ぐに向けられて。逃げる事など出来はしない。
「……悪いな、無茶は止められねぇ。何せ俺は――……弱いからな……」
思わず出てしまう左手……感謝から彼女の頭に置こうとした左手は、暫く宙を彷徨い――心配を掛けた張本人に、そんな資格が有る訳が無いと。己の癖っ毛を掻いた。
「俺自身さ、泥臭くてダサいのは判ってるんだ。それならせめて、『チカラが無いから敵う訳無い』とか物分かりがいいのを気取って諦めてる、糞ダセぇ最低な奴には成りたくないんだよ……」
「でも……それで死ぬかもしれないんだよ。もしかしたらお兄ちゃんが死んじゃうんじゃないかって……本当にあたし……心配で……」
その時の気持ちを思い出したのか、曇り空の向日葵のように項垂れ……雨に降られたようにうっすらと涙ぐむ。
――……情けないのは今に始まった事じゃないが、久々に心底情けない。こんなガキんちょを泣かせる程、心配掛けるなんてよ……
「――死なねぇよ……死ぬもんか。まだ何もやり遂げてない今のまま死んだら、何の為に生まれたのか判らなくなるだろ。だから……死んで堪るか、死んでもな」
「……じゃあ、約束して……死なないって、約束……」
ぐすぐす鼻を鳴らしながら、右の小指を差し出した彼女。指切りを……正に『不可能』の代名詞を約束して欲しいと。
「判った……約束するさ。俺は絶対に死なない。少なくとも、俺から負けは認めない。相手が何者でも……俺は、必ず生き抜いてみせる」
そうして、
「……約束したよ。あたし……お兄ちゃんを信じてるから……」
その『約束』がどれ程の意味を成すか、知る由も無く――……
「……ああ。これでも
ただ、彼女が指を解き見せた――晴天の太陽を仰いで溌剌と咲いた、大輪の向日葵の華へと返り咲く笑顔に安堵した。
「巽は相変わらず、無茶な約束をしますね。戦いに出るというのに『死なない』とは……」
「はは、何を言ってるんですか、姫さん?」
カティマの差し出した黒い外套、元式典用の外套は……この数ヶ月で随分と傷んでいる。
「無茶・無謀・無様の三段オチが巽空の得意技です。知りませんでしたか?」
受け取り、お道化た調子で冗句を口走った空に彼女は少し呆れた風に破顔した。
「ふふ、これは一本取られました。私との手合わせの時にも、これくらい見事に一本取って欲しいものですね」
「うく、見事な返しの刃で……」
外套を左肩に掛けながら理解した事。自分の『家族達』は、こうも優しい。皆が皆、元気づけようとしてくれていたのだから。
「……そういえば今日の食事当番って誰でしたっけ? ど忘れしちまいました」
恥ずかしい言葉で表すのならば、"家族の絆"とでも言うのだろう。胸中に溢れる温かな気分を軽口で隠して。
「えーっと……確か」
「沙月殿だった筈ですよ」
そのまま並び歩き、角に差し掛かった時。その悲劇は起きた。
「えっマジすか? ヤベー、当たり外れ大きいから念の為に胃薬用意しとかないといけナバヒッ!?」
空の喉元に凄まじい勢いで突き刺さった
「あ〜〜ら、それじゃあ巽くんに味見して貰う事にしましょうか。じゃあ、借りてくわね」
「え、ええ……ごゆっくり……」
「…………(ぶるぶる)」
虫の息の空に冷たい声で告げての威圧に、カティマとユーフォリアは|戦(おのの)くのみ。
「行くわよケイロン、久しぶりに創作料理に挑戦しましょうか」
「了解。しかし、御申し付け下されば槍をお貸ししましたのに……」
「……た、たしゅ……け……」
ケイロンに首を掴まれていった彼を救ったのは、偶然にも食堂に居合わせた望と希美、スバルの必死の擁護だったという……