サン=サーラ...   作:ドラケン

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悠久の青 昔日の声 Ⅲ

 朝早い……とは言っても、分枝世界間を航行中のものべーの作り出した擬似太陽が昇って間もないだけの物部学園の廊下を一人歩く空。

 

(平和だな)

【平和ですね】

 

 脳に電圧として潜むレストアスとの会話も弾まないくらいに平和だ。

 

--なんせ、目的地まで後一週間は有るらしい。暇で躯が鈍りそうだぜ……。

 

 欠伸を噛み殺し肩を廻しながら通り抜ける教室からは、何の音も聞こえない。

 いや、学園全体から感じられる人の気配が余りに希薄。

 

--そりゃそうだろう、何せ学生や教員は誰一人居ない。ものべーに乗っているのは旅団の、神剣士のみ。物部学園関係者は皆、魔法の世界で待っている。

 

【……お言葉ですが、オーナーは神剣士では在りません】

「…………」

 

 氷点下の突っ込みを久々発動の『ワードオブブルー』で無視し、人気の無い廊下を歩き続ける。

 

--俺達が向かうのは間違いなく敵の策の中だ。前に暁が世界ごと物部学園を、破壊しても構わないと言わんばかりの行動をした事を考えれば……無理してでも置いて来る事こそ正解なんだ。

 

【火中の栗を拾う真似をするのは、それが出来る者だけで良いですからね……】

(ああ……でも、妙にあっさり受け入れられたよな)

 

 思い出す、学生達の姿。もっとぶー垂れられると思っていたのだが、拍子抜けするくらいあっさりと学生達はそれを受け入れた。

 

【流石に、危険だと解ったからでしょう。先の戦で戦闘に加わっていなかったとはいえど、避難誘導などは行ったのですから】

(そうだな……それにまぁ、俺達が帰れなかったとしても、魔法の世界に残ってるあいつらは支えの塔の機能さえ戻れば帰れる)

 

 コツコツと、足音は何処までも遠く響き、自分以外の存在が消失したような不安感を想起させる。

 

【……オーナー、そう情けない事を言わないで欲しい。闘う前からそんな事でどうするのですか】

(もしもだよ、もしも。俺だって死にたかないさ……闘うさ、全力で--生き延びる)

 

 叱咤に、強がりを返す。今まで通り、いつも通りに。

 

【……それなら良いのです。貴方は貴方の道を貫いてください。私は、そんな貴方の道を切り開く為の剣ですから】

(ああ、有難うよ)

 

 神造の朝陽が注ぐ廊下、そこはかとない充実感を感じながら。角を曲がれば--出くわしたのは望と希美。

 

「あ、おはよう空」

「おはよう、空くん。朝早くからご苦労さま」

「当番だしな。ところでオーダー有るか? 出来る限り適えるぞ」

 

 と、そこでもう一人の影。

 小さなそれはレーメだ。制服姿の三人と天使は自然と並び歩く。

 

「とか言って、本当はメニューを考えるのが面倒なだけだろう」

「ジャリ天お前……いつから俺の心まで読めるように」

「なるかっ!」

 

 そんな、どうしようもなく他愛の無い会話を交わしながら。三人は食堂の扉をくぐったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 食事当番だった空は遅めの食事を、寝坊して大分遅く起きて来たソルラスカと相席で摂っていた。因みに火を使った為、空は上着を脱いで黒のTシャツ姿。

 

「……空、コレやるわ」

「何だ、お前納豆嫌いなのか?」

「この、ネバネバしたのが何ともな……代わりに茹で玉子くれよ」

「ざけんな、浅漬けだ。それ以外はリリースする」

 

 因みに今日のメニューは味噌汁に白いご飯、納豆と生or茹で玉子、焼鮭と胡瓜の浅漬け。修学旅行の朝ご飯みたいに純和風だ。

 空は鮭の身を崩して醤油を掛け鮭ご飯に、ソルラスカは玉子掛けご飯にしている。

 

「おーっす、ソル、空! 今日も雁首揃えて女っ気無しのシケた面してんじゃん、カッワイソー」

 

 そこに現れた制服姿のルプトナ。手に持った盆には朝食メニュー。その違いはただ一つ、女性限定メニューの餡蜜が有る事。

 

「そーなんだよ、俺ら三人に足りないのは女っ気なんだよなぁ」

「三人も揃ってカッサカサ、ピーカン照りの女っ気無しだぜ」

「そうそう、ボクら、三人揃って女っ気無しの不毛な砂漠……」

 

 淋しげにそう呟く二人。それにルプトナはソルラスカの隣の席に座りながらウンウンと頷き、直ぐにジトッと二人を睨みつける。

 

「……っておい、お前らそれどういう意味だよ。ボクは紛れも無く女だろ。女が女っ気無いってどーいう事だよ!」

 

 それに空とソルラスカはキョロキョロ周りを見渡した。

 

「「え、女? 何処何処?」」

「ガッデム! お前ら後で覚えてろよ!」

 

 プンスカと、ルプトナは湯気を吹きそうな勢いで、ご飯を味噌汁に突っ込み猫まんまにした。

 

 殆ど日常茶飯事だ、この三人のこういう会話は。だから気にする者は殆ど居ない。

 じゃれあっているのだと、皆が知っているから。

 

「--あ、あのっ!」

「「「えっ?」」」

 

 だが……一人。ほんの少し前に加わったばかりの彼女は、それを知らない。

 

「そのっ、け、喧嘩はいけないと思いますっ!」

 

 キョトンとする三人と違って、着崩す事無くきっちりと制服に袖を通した、朝食の載る盆を抱えた蒼い髪の少女は。

 

「あー……いや、今のは要するにだな、ユーフォリア……」

 

 ちらりと目配せする空。それに応えるような形で、ソルラスカとルプトナが口を開く。

 

「おはよー、昨今どう?」

「ぼちぼちだな、今日もいい天気だぜ」

「……くらいの意味の会話でよ、別に喧嘩してた訳じゃなくて」

「うう、ホントですか……?」

「「「ホントホント」」」

 

 まだ知り合って間もない相手、しかも年上三人に向かって注意を喚起したのだ、よっぽどの勇気を使ったらしく微かに涙を浮かべていた彼女だったが。

 

「……それなら、良かったです」

 

 直ぐに屈託の無い笑顔を見せたのだった。

 

「あの、はやとちりしてごめんなさい……」

「いいってば、ボクらが紛らわしい事言ったのがいけないんだし。ほら、そこ座って」

 

 ルプトナに勧められてその正面、つまり空の隣の席に腰を下ろすユーフォリア。ご飯には、何処で貰ったのか、ふりかけが掛かっていた。

 

「んで、どう? 何処に何が在るとか解った?」

「はい! ちゃんと覚えました。ルプトナさんが解りやすく教えてくれたお陰です」

「そっか、ならいいんだ」

 

 随分と話が弾んでいるルプトナとユーフォリア。どうやら食事の時間が遅れたのはユーフォリアに施設案内をしていたかららしい。

 

「ルプトナの奴、妙に面倒見いいな?」

 

 不思議そうに呟くソルラスカ。しかし空には、何と無くルプトナがユーフォリアを気に掛けている理由が解った。

 

--……同じような境遇のこの娘を放っとけないんだろうな……。

 

 しかし、気付いたからといって口にはしない。それは余りに無粋が過ぎるというもの。

 

「……言い出しっぺだからだろ」

「ああ、そういや」

 

 だから、ただそう言っておく。どうやらソルラスカはそれで納得したらしく、自分の玉子掛けご飯を掻っ込んでいた。

 

「何か困ったら直ぐに言いなよ。『家族』なんだから、遠慮なんてしないでさ」

「はい、ありがとうございます」

 

 猫まんまを杓文字で食べつつ、豊満な胸を反らして言うルプトナ。それに、器用に箸を使ってご飯を口に運んでいたユーフォリアは笑顔を見せる。

 

「へぇ。箸、使った事有るみたいだな」

「え? あ、これ?」

 

 突然横から話し掛けられ、彼女は頭の翼をビクンと動かす。

 

--あれってやっぱ……生えてんのか?

 

 ルプトナに対してとは違って、よそ行きの言葉遣いが崩れる。

 まるで、びっくりした猫が毛を逆立てるような反応に、逆に空の方がびっくりした。

 

「何と無く出来たんだ。それに、お兄ちゃんの使い方を見て、こういう具合かなって」

「見ただけで真似できるのかよ、凄ぇな、お前は……俺とルプトナなんざ今だにスプーンかフォークだぜ」

 

 そうソルラスカの言った通り、彼とルプトナはスプーンで食事を摂っている。

 異世界出身者中心の今現在、箸はマイノリティだ。

 

「ってか、空は左利きだから参考にならないしぃだたたっ……」

「おめーらは努力が足りねーんだよ、ちっとは見習え……そして俺にどれだけイソフラボン摂らせる気だ。あいつらは女性の味方だ」

 

 さりげに納豆を押し付けて玉子を奪おうとしてくるルプトナの手を箸で抓り、撃退する空。

 

「うわぁ、ネバネバしてるよ……お兄ちゃん、これって食べられるものなの?」

 

 そこで興味を抱いたのか、彼女は自分の分の納豆に箸を伸ばした。一粒つまみ上げると、細い糸を引くソレをおっかなびっくり見ている。

 

「まぁ待て、食べ方が有るんだよ。先ず醤油を加えて、掻き混ぜてみな」

「う、うん……」

 

 実際にやって見せながら、空は納豆をグリグリ掻き混ぜる。真似して続くユーフォリア。

 

「後は好みで薬味を入れてもいいぞ、因みに俺は刻み葱派だ」

 

 パラパラと刻み葱をふり、空はより粘つくようになった納豆を口に運んだ。やはり同じように刻み葱をふり、ユーフォリアも納豆を口に運ぶ。

 

「…………」

 

 そして、シュンと頭の翼を垂らしたのだった。

 

「駄目だったか……解った、俺が始末するさ」

「あぅ、でももう箸をつけて」

「食事は、ただのエネルギー補給じゃない。旨いモン食って英気を養うもんだ。無理してまで苦手なモンを食うな」

「「あーっ!」」

 

 すっと取り上げて、代わり茹で玉子を渡す。それにソルラスカとルプトナが声を上げた。

 

「ボクにはくれなかった癖に!」

「俺にもくれなかった癖にー!」

「テメーらは押し付けてきただけだろーが! これは詫びだ、俺が薦めて駄目だった訳だからな……あとソル、気色悪いから止めろ」

 

 四人の納豆を一つの椀に纏めて掻き混ぜる。

 これではもう、取り戻しようも無い。渡された茹で玉子を、受け取るしかないだろう。

 

「ごめんなさい、好き嫌いして。あたし、悪い子だよね……」

「…ソレもだ、止めろ」

「えっ?」

 

 落ち込んだ彼女に、納豆を掻き混ぜつつ空は静かに言った。僅かに照れ臭そうに。

 

「『家族』相手に変にしゃちほこばるな。もっと我を出していい。それでなくてもココにいる連中はお節介だからな」

「そうだよ、ユーフォリアはボクらの妹なんだから。我が儘くらい言いなよ」

「気ィなんざ使わなくてもいいぜ、自然体でこいよ。俺には実際に、ハキュレタって妹がいるんだ。だからかな、放っとけねぇんだ」

 

 仏頂面を崩さない空に続いて、言葉の足りない部分をルプトナとソルラスカがからりと笑いながら優しい言葉を以って続けた。

 

 出身世界も育ちも、てんでバラバラ。しかし、確かな絆を以って繋がる『家族』。

 

 そんな三人を順繰り見詰めて。

 

「……うん!」

 

 ユーフォリアは恐らく今日一番になるであろう笑顔で応えた。

 

「ところで……何で空にはタメ口なのさ? あと、『お兄ちゃん』って何? 空ばっかズルイじゃんか」

「ふえ? えーと、えーと……だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだから」

「おいおい、あれだ、ルプトナ。空は何でも『ロリペド』って病気らしいからな」

「『ろりぺど』? なんですか、それ?」

「小さい女の子が好きらしいぜ。付き纏って、『お兄ちゃん』とか『パパ』なんて呼ばせる変態の事らしい。信助がそう言ってた」

「ああ~、そう言えば精霊の世界でも黒髪のちびっことかレチェレに唾つけてたっけ」

「宜しい諸君! ならば戦争だァァ!」

 

 この後、完全装備の姿で校庭で神剣士二人《れっきょうこく》を相手にした神銃士《しょうこく》は……汚名を返上し、名誉を挽回する為に勇ましく戦い--斯くも華々しく散ったのであった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 昼過ぎの自室、この学園では武道館以外で唯一畳張りの自室で胡座をかき、部屋着の甚平姿の空は永遠神銃【是我】を整備していた。

 部屋は彼のストイックさを表すように、無駄な物は全然置かれていない。僅かに、銃器の雑誌や料理関係の本が置かれているくらいだ。……というのも、実は無駄なものを置いているとレストアスにそれをプラズマで消滅させられてしまうからだが。

 

「ふ~む……何て言うか、不思議だ」

 

 思わず、そう口走ってしまう。自分で作った筈なのに、自分が知らない機能が幾つもある、そのライフル。

 原型の『マーリンM336 XLR』から、ワルサー社製の高性能オートマチック狙撃ライフル『ワルサーWA2000』に変わり、更にドイツ帝国製の大型軍用オートマチック拳銃『モーゼルC96』に変わった後……またライフルに戻った。

 

「…………」

 

 銃把を握ったまま集中すれば、展開される精霊光(オーラ)。青、赤、緑、黒、白……小規模ながら全ての属性色の魔法陣が煌めき、古い文字で描かれたような円形で足元に旋回する。

 そして、バレルに現れた星雲(ネビュラ)を思わせる三つのリング……『ハイロゥ』。

 

「こんな機能、設定した覚えはねぇんだけどな……」

 

 ゆっくりと互い違いに旋回しながら、同色の風を起こすそれ。その風が孕む、今まで感じた事の無い属性。

 何より――そのチューブラーマガジンだ。抜き取ったそれの内部を覗き込む。そこには、まるで海の中から海面を見上げるような。それでいて、まるで万華鏡を覗くような幻想的な光景が広がっていた。

 

「ほえ~……お兄ちゃん、凄いねこれ」

「そうだな……しかもこのマガジン、残してあった銃弾を口径に関係無く200発以上装填してあるんだぜ……」

「そうなんだ……それにしても、この輪っか、何だかハイロゥみたい」

「ハイロゥ?」

「うん、ママが使ってたの」

「へぇ、ママねぇ……って、何か思い出したのか?」

 

 空が目を離したところで、その膝の上に座っていた部屋着のワンピース姿のユーフォリアが代わりに覗き混む。

 小さなその体は大柄な空の躯にすっぽりと隠されていて、後ろからは全く見えない。

 

「ママ……あれ、ママって誰だっけ?」

「俺が知るか……ハァ」

 

 ため息を落とせば、間近の白い羽根が揺れる。何故こんな状態になっているかは、恐らく説明の必要もあるまい。

 空が【是我】の整備を始めようとした時に訪ねてきたユーフォリアが、興味を引かれただけのこと。

 

「さて……と。じゃあ、特訓でも始めるか」

「ソル兄さんかルナお姉ちゃんと組手するの?」

 

 と、ユーフォリアがマガジンから目を離して振り向く。『ソル兄さん』とか『ルナお姉ちゃん』と言うのは、言うまでもなくあの二人の事。

 あの後、ルプトナがどうしてもお姉ちゃん呼びされたいと駄々をこね、更には自分だけ略称がないと文句をつけ始めたためにそうなった。

 

『じゃあ、ルーなんてどうだ?』

『それじゃあルゥと被るじゃんか。却下』

『おいおい、単純すぎんだろ空。ここはオメー、プーだぎゃあああ!』

『ソルゥゥゥ! ソルにジョルトが!』

『ふう……で、空。『トーの聖骨』なんて持ってどうしたのさ?』

『えっ、い、いや、別に……』

 

 というやり取りがあったとか無かったとか。因みにソルラスカは今、保健室である。

 

「いや、ギターだよ。宝の持ち腐れとか嫌いだからな、俺は」

「お兄ちゃん、『ぎた~』って何? 目薬入れて叫ぶの?」

「古くね?」

 

 言いながら、ショルダーストックから発条(ゼンマイ)で巻き取る形で収納していた弦を引き出す。

 六本の弦を銃口近くに固定し、ストックの位置を少し上げて完成だ。

 

 ピックはない、なので指を使う。だがその弦もまたマナ製、生身でやれば指が飛ぶ。

 ダークフォトンで強化した指でもなければ。

 

 室内に、音色が響く。それは弦楽器の放つ音色。温かみのある、木の反響を利用した音色だ。

 ただし決して上手くなど無く、初心者が何とか掻き鳴らしているレベルである。

 

「うーん……やっぱり難しい」

 

 その元凶である空は、ギターの教本を睨みながら【是我】の弦を弾く。

 しかし、右手で弦が上手く押さえられていない為に音がズレていた。

 

――楽器なんて音楽の授業でしか触った事無いんだが……折角楽器の形をしてるんだ、弾けるようになっておかないと持ち主とは言えないよな。

 

 等と思案しながら、彼はダークフォトンに包まれた左手で弦を弾く。

 

――始めに演った時には危うく、親指を飛ばしかけたからな……。

 

 ふぅ、と溜息を落しながら弦を弾く。ジョリーン、と下手くそな音色が響く。

 コードもヘッタクレも無く、実に耳障りだ。

 

「ハハ、参ったなぁ……これじゃあ今にクレームが来ちまうぜ」

 

 そう、膝の上で聞いている少女に苦笑する。空は一度休憩を取ろうと、ペットボトルの水を飲む。

 

「――温かく、清らかな、母なる再生の光……」

「え――?」

 

 その、ユーフォリアの呟きに凍り付く。何故、その唄を知っているのか、と。

 

「ふに、どうしたのお兄ちゃん?」

「いや、お前……どうしてその唄を」

「これ? これはね……あれ? 何で知ってるんだっけ」

「……ハァ」

 

 ため息を落とし、空はまた【是我】を掻き鳴らす。アコースティックの音色を響かせ、【是我】が唄う。この黄昏れの景色にマッチした、物悲しい音色を。

 

――そうだな。もしこんなものでもコイツの助けになるんなら……頑張ってみるか。

 

 途切れ途切れで、よく詰まり、音階を外す。下手くそな奏者の、下手くそな弾き語り。

 だが、不思議とそれは--この男の、余りにも不器用な生き様を想起させた。

 

「…………」

 

 『これでいいさ。良い事なんて無かったクソッタレな人生(モノガタリ)だけど――(オレ)は、(コレ)がいいのさ』と。

 

 『自分(テメェ)の自由になる安泰な人生なんて、詰まんねぇ。もし、人生を選び直せるとしても俺はまた俺でいい。いや違う……俺“が”、いいんだ。思い通りにならねぇからこそ、踏ん張れって太刀(たち)上がれるんだ。太刀上がって、挑むだけの価値が有るのさ』と。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん」

「……うん?」

 

 その見え透いた強がり、分かり易いくらいの空元気。それでも、その男は--誰でも無い。己自信の『壱志(イジ)』を貫く事を、決して止めはしない。

 

「あたしね……この曲、好きだよ」

「……そうか」

 

 それはまるで、『無明の夜』の底を--真っ直ぐにしか進めない不器用な信念と借り物の青い燭火を道標に進んでいくかのような、そんな彼の生き様を表していた。

 

 その音色は、しばらくの間。沙月からクレームが入るまで、続いたのだった。

 


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