サン=サーラ...   作:ドラケン

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第四章 魔法の世界《ツヴァイ》 Ⅱ
悠久の青 昔日の声 Ⅱ


「--……ん。あの、お兄ちゃん、大丈夫?」

 

 ゆさゆさと揺さ振られる感覚と、腰辺りに感じる温かな重み。

 そしてそのやや幼く舌っ足らずな、心配げな呼び声。

 

「う……うぅん……?」

 

 失神の暗闇にたゆたっていた、ズキズキと……いや、ガンガンと猛烈に痛む頭が、急速に覚醒の光へと向かい包まれていく。

 不承不承瞼を開けば--目の前には蒼穹の娘。

 

「大丈夫、お兄ちゃん?」

「あ? あ、あぁ……」

 

 跨がるようにして、というか、跨がって覗き込んでいたくりくりと黒目(蒼いが)がちな瞳と都合、見詰め合う。

 その蒼い髪と瞳を見た時、何かを思い出した事を思い出した。

 

--あれ? 何か思い出した気がしたんだけど……何だったっけか……?

 

 先程と違い、空の琴線に触れるモノは無い。何を思い出したか、それを失した彼は首を捻った。

 

--とても重要な、とても重大な事だった筈なんだが……ああクソッタレ、全然思い出せねぇ。

 

「あのぅ、本当に大丈夫? その、前代未聞のたんこぶが出来てるよ?」

「イテテ、こら、触るなって……なんでこんな事に」

 

 ぺたぺたと、神剣に直撃された後のコブに触る少女の手を掴んで押し止めた。流石に痛みが酷い。

 熱を持つ頭頂部、それを為した蒼い鎗のような剣のような神剣は二人の脇に転がっている。

 そして--己の左手に木と金属で作られた、射干玉のライフルを握っている事に気付いた。

 

--あ、れ……? 俺、【是我】は精霊の世界で無くした筈じゃあなかったっけ……?

 待て……【是我】? 俺、銃に銘なんて付けてたか?

 

 その違和感を突き詰めれば突き詰める程、新たな疑心が浮かぶ。だがしかし、何故か『先程透徹城の奥に仕舞い込んで忘れていたのを見付けた』という気がして来る。それが正しいのだと、この宇宙自体から諭されているように。

 

「あのね、あたし、気が付いたらお兄ちゃんの上で寝てて……でも、無事でよかったぁ」

「え、ああ……」

 

 と、掛けられた声に意識を引き戻される。最初は不安そうに様子を伺っていたのだが、大事は無いと解って安心したのだろう。

 純白の鳥の翼の髪飾り(?)をパタパタさせながら、にっこりと。向日葵《ひまわり》を思わせる笑顔を見せた。

 

「……はぁ……お前みたいな妹を持った覚えは無いっての。鏡見てみろ、もし俺の妹だったらそんな可愛い顔してる訳が無いだろ」

「ふにぃぃ~~、ひゃめふぇ~~」

 

 一緒に引き戻された苦痛に悪態でもついてやろうと考えていた空だったが、至近距離でそんな無垢な笑顔を見せられてしまっては、流石に毒気を抜かれてしまう。

 せめてもの抵抗に、頬っぺたを指で摘んで引っ張ってやった。

 

--……つーか、俺が心配されてどうすんだ。しっかりしろ巽空。

 

「……俺は大丈夫だ。お前は?」

 

 だから溜息混じりに口を衝いて出たのはそんな、ぶっきらぼうな台詞。ぐわんぐわんと軸のぶれた回転をする脳みそが紡ぎ出したのは--何処にでもある在り来りな台詞だった。

 摘んでいた手を離してやると、わたわたさせていた紅葉みたいな両手で自分の頬っぺたを押さえて、少女は。

 

「あたしはユーフォリア。この子はゆーくんっていうの。宜しくね、ダイ=ジョーブさん」

「誰が『ダイ=ジョーブ』だ誰が……んなエキセントリックな名前持った覚えはねェよ」

 

 少女--ユーフォリアは勘違いで答えて、傍に転がっていた神剣まで紹介した。空はふぅ、と溜息を落として。

 

「……俺はアキ、タツミ=アキだ。怪我とか痛い所とか無いかって聞いてんだよ、ユーフォリア」

「え、うん。あたしは元気だよ、アキさん……ところでそれって、どういう意味?」

 

 それに、ぽかんと。彼女は心底から、不思議そうな声を漏らす。『何を言っているのか解らない』という具合に小首を傾げる。

 

「……はぁ?」

 

 ここで漸く空は、話が別方向に噛み合っていない事に気が付いた。あんな事が有った後だというのに彼女は妙にあっけらかんとしている。

 まるで--覚えていないとでも言うかのように。

 

「何って……いや、さっき光を」

「光……?」

 

 空が指差す先を見遣り、眉尻を下げる。暫くうんうん唸っていたが--

 

「……その前に聞いてもいい?」

「……何をだよ?」

「えっと……あのね」

 

 凄く嫌な予感がしたらしく、空はユーフォリアにジト目を向けた。それが怒っているように見えたのか、少し怯えて口ごもりつつ、人差し指をつんつんとしながら。

 

「あたしは……何の為に、此処に居るんだろう……?」

「……はぁ」

 

 現在直面している状況を、至極単純に告げた。

 

「……分かったよ。取り敢えず、保健室に行くぞ。話はそこからだ、ユーフォリア」

「うん……あぅ」

 

 このままでは埒があかないと、空はこの学園で唯一こういう事で便りになりそうな女性がいる……気がした場所に移動する事を提案した。

 

「んにゅ~……はぅ。ん~にゅ~~……はうぅ……お兄ちゃ~ん」

 

 ユーフォリアもそれに賛同して幼い腰を浮かそうとするが--腰が抜けてしまっているのか、少し持ち上げると、ぽてっとまたもや空の腰の上に座り込んでしまう。そして困ったようにウルウルした瞳で見上げて来た。

 

「あー、分かった……よっ、と」

「きゃぅ……えへへー」

 

 なので、その体を抱き上げる。所謂、『お姫様抱っこ』だ。ただ、その足はズタズタ

。正直立つだけでも辛いのだが……まさか、自分達を守るために頑張ってくれた相手の前でへこたれられる筈もない。

 

 驚いたのも束の間の事である、ユーフォリアは嬉しそうに空の首に手を回した。

 

「お兄ちゃん、優しいんだね」

「うるせぇやい、今回だけだ」

 

 と、またも至近距離での極上の笑顔。気恥ずかしさも相まって、プイッとそっぽを向く。

 また、呼び方が『お兄ちゃん』に戻っている事にも気が付かず。

 

「…………」

 

 その時、漸く思い出した。ここは、学園の中庭だった事を。

 

「スクープ、『やっぱり……巽、ロリに走る! 破廉恥! 真昼間の中庭で野外兄妹プレイか!?』 物部新聞号外はこれで決まりね! 証拠写真激写ーっ!」

「あ、空……な、なんて羨ましい事を……!」

「誤解してんじゃねェェェェッ! てーか、『やっぱり』ってのはどういう意味だァァァァッ!」

 

 窓という窓から環視する、美里や信助を初めとした学生達を見た事で……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 己の意識が覚醒すると同時に、カプセルのような装置の蓋が開く。そこから歩み出ると、自動ドアを潜る。

 

「……すげぇな、一台欲しいぜ」

 

 再生治療によって、脚の怪我はもう直っていた。ついでに頭の瘤も消えている。

 それに気を良くしていつまでも裸でいた為に--

 

「あ、あの……タツミ様? いい加減に服を召しませんと、風邪を引かれますよ」

「あ、すいません、フィロメーラさん」

 

 頬を真っ赤にして苦笑しつつ、服を差し出したフィロメーラから受けとった制服に袖を通す。

 

「それと……可愛らしいお出迎えがいらっしゃってます」

「可愛らしいお出迎え?」

 

 と、フィロメーラが意味ありげに微笑みながら手招きする。そこには--

 

「んもー、遅いよお兄ちゃん!」

「おっとっと……こらこら」

 

 バフッと抱き着いてきたのは、蒼穹の娘。物部学園指定セーラー服に小さな体を包む彼女の突進を受け止めて、やれやれと下ろしてやる。

 

--まぁ……見ての通りだ。今や第三位【悠久】のユーフォリアは、物部学園《かぞく》の一員なのである。あれよあれよという間に学園全員に受け入れられ、阿川の行った『妹にしたいランキング』とやらではブッチぎりで堂々一位だったのだとか。

 そしてそれに反比例して、俺の株は絶賛暴落中。元々大した事の無い人気だったが、その人気者のユーフォリアに猥褻行為を働いたとして。最早ゴキブリ以下の扱いである、ただ人助けをした為に。大事な事だからもう一度言おう、ただ人助けをした為に……。

 

 軽く身なりを整えた後、彼女達を伴って歩き出す。ユーフォリアは右腕にしがみつかせたままで。

 

「くす……仲が宜しいんですね」

「はいっ、だってお兄ちゃんですから」

「違うって言ってんだろーが」

 

 コツコツと良く足音の反響する支えの塔ヴァリアスハリオの廊下。フィロメーラは、三歩後を静々とついて来ながら微笑んだ。

 

--うーん、淑女だな。いやはや、男を立てる女性は好ましいな。学園《うち》の女性陣に見習って欲しいぜ……。

 

 等と、もし知られたら袋叩きに遭いそうな事を考えていると。

 

「タツミ様……少し、深みが増しましたね」

「はい?」

 

 突然フィロメーラからそんな事を言われ、訝しみながら振り返る。と、止まり損ねたフィロメーラが思ったより近くに居た。

 

「あ……その、いきなり不躾な事を言ってしまってごめんなさい。何だか、前に見た時よりもずっと落ち着いて見えたので」

 

 と、慌てて立ち止まった彼女は頬を染めて、上目遣いでそんな事を呟く。ニーヤァではなくても、こんな美女からこんな媚びた仕種でこんな殺し文句を囁かれれば、男としては骨抜きにされても本望だろう。

 

--斯く言う俺も、その一人! だが、俺は巽空……そう、ドSのアキなんだよ!

 

「それって……オッサン臭いって事ですか? ショックだな~」

「えっ、い、いえ! そういう事ではなくて、いい意味でですよ」

「本当ですか? じゃあ、今夜はデートしてくれたり? やりぃ、フィロメーラさんなら御の字だ」

「た、タツミ様っ! わ、私は、そんなつもりで……!」

 

 なので、その矜持に乗っ取ってフィロメーラを困らせる。

 全く、いつまで経っても、照れ隠しが下手な男だった。

 

「ぷーっ!」

「イテテ! おいユーフォリア、二の腕の内側は止めろ!」

 

 と、その二人から無視される形になっていたユーフォリアが空の腕を抓った。

 

「ふんっだ、お兄ちゃんのばか」

 

 膨れっ面で空を見上げていたが、すぐにつーんとそっぽを向く。

--因みに、何故かユーフォリアは俺にのみタメ口だ。ナメられているんだろうか……?

 

「もう、タツミ様、さっきの言葉は取り消しますっ! タツミ様はとっても浅いです!」

 

 そしてフィロメーラも同じく、怒って足速に歩き出した。

 

--やれやれ……。

 

 流石に悪ふざけが過ぎたか、と。苦笑しつつ、二人を宥めすかしながら。置いて行かれないように歩調を速めた--。

 

 

………………

…………

……

 

 

 フィロメーラがエレベーターの前で止まる。ここから先はVIP以外入れないのだ。

 ユーフォリアには先に帰るよう告げて、一人、最上階を目指す。そう、あの男の私室へと。

 

 貰っていたカードキーを使い、扉を開く。

 

「うっ!」

「あらら、顔を見るなりそれですか、ヴェラー卿」

 

 第一声で居やそうな声を出したニーヤァ。因みに、割れていた窓は綺麗に直されているが、調度品は少しグレードが落ちているようだった。

 

「な、何の用だ。また俺にたかりに来たのか?」

「人聞きの悪い……元気かどうか見に来ただけですよ。まぁ、聞くまでも無いみたいだけど」

 

 と、胸ポケットから眼鏡を取り出して放り渡す。それを受け取り、ニーヤァは--

 

「お前……あの図案だけ、何よりこの僅かな時間でここまで精工に作り上げたのか……!」

「これでも理工学部希望なんで」

「ふん、腐っても神の転生体か。糞忌ま忌ましい」

 

 至極真面目な『科学者』としての顔で、空に感心したような目を向ける……のも一瞬。直ぐに取り繕うような悪口を吐いた。

 

「で、完成度は?」

「……チッ、認めるのも癪だが、俺が作った物よりも遥かに高性能だ」

「お墨付き、感謝しますよ。まぁ、お陰で機械類のメンテナンスや索敵がしやすくなりましたし」

 

--ニーヤァの発明品、その名も『透視眼鏡』。元々は服が透ける程度だったのだが……その出力を上げて、装甲やら障害物をも透視出来るように改良した物だ。

 先に言っておくが、他意はないからな。断じて他の目的に使う気はない、無いんだからな……。

 

 投げ返された眼鏡を受け取り、胸ポケットに仕舞う。その手で、携帯を見せた。

 画面に写っていたのは例の写真、そのデータが消去される。

 

「ちなみに別の記録とかは取ってねぇから安心しろ」

「ふん……どうだかな」

 

 そしてニーヤァは、気が抜けたように座り込んだ。

 

「……今回の事で、俺が代表の座を更迭されるのは分かっている筈だろう。今の内にたからんでいいのか?」

「なんだ、そんなにたかられたいのかよ?」

 

 おちょくるように言うが、反応が無い。どうやら余程堪えているようだった。

 

--っても、自業自得な結果なんだが。フィロメーラさんに化けたエヴォリアの色仕掛けに掛かったんだから。

 因みに、後で皆に聞いた話では『しめじだった』『もやしだよ』『カイワレ大根でしょ』とかなんとか、ソルやルプトナ、姐さんが散々に言っていた。色んな意味で色んな場所が再起不能なようだ。南無三。

 

 確かに、大失態だ。更迭もありえない話ではないだろう。

 

「あれだ、そりゃあ無責任だ」

 

 そう打ちひしがれる男に、ドSの彼は追い撃ちを見舞った。

 

「無責任も何も……仕方あるまい。あれだけの失態をしても代表に就いていられる程、俺は厚顔では……」

「だから、それが無責任なんだよ。失敗したらはいドロン雲隠れ、だから政治家って奴は嫌いなんだ。テメェのケツを拭くってのは、そういう事じゃねぇだろ。尻切れ蜻蛉なんだよ、お前のやり方は」

 

 煙草を取り出して火を付けて、一度紫煙を燻らせてから。

 至極、真面目に。だが救いの手など差し延べずに、ただただその尻を叩く。

 

「テメェのやる事は保身じゃねぇ。今回の事を教訓に、今回の責を負って尚、その椅子に座り続ける事だ。情けなく、格好悪く。後ろ指を指されながら、苦しんででも、ずっと」

「……ずっと、か。厳しい事を」

「ほら、また泣き言だ。それでも領主か、テメェ。何の為に権力があんだよ、莫迦が。そういうのを乗り切る為だろうが。俺はな、力を持ってる癖にそれを出し惜しみする、いけ好かねぇ奴が一番嫌いなんだ」

 

 辛辣な空の言葉に、ニーヤァは遠い目をする。遠い昔を懐かしむかのような、そんな目を。

 

「いつ以来だろうな……ここまで叱られたのは。父を亡くして以来、俺は……誰かに叱られた事など、無かった」

「そりゃ、仲間に恵まれなかった事で」

「全くだな……だが、目が覚めたぞ。分かった、俺は……苦しむとする。いつか、皆が認めてくれる領主になれるまで」

 

 そんなニーヤァに空は--スッと背を向けた。吸い掛けの煙草を携帯灰皿に押し入れて。

 

「じゃ、俺はもうお暇するかな。もう会う事もねぇだろ」

「ハッ……こっちこそ、貴様などとは二度と会いたくないわ」

 

 そう、悪態を吐き合う。心底、清々し合ったように。

 

「あばよ、ニーヤァ」

「失せろ、アキ」

 

 そう、最後の言葉を交わし合い、もう二度と向かい合う事無く。今生の別れとした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 部屋を出てエレベーターに続く廊下を歩く。と、そこに--旅団団長サレスの姿があった。

 

「…クウォークス代表、ヴェラー卿に何か用が?」

「いや、私が用が有るのは君だ」

 

 ふっ、と笑いを零したサレスに首を捻る。その後ろに続いて歩く道すがら、昨日の出来事の仔細を聞いた。

 

「……なるほど、あれは暁の策略に嵌まった望の力を利用した意念の光だったんですか。道理で強力だった訳だ」

「有り体に言えば、そうなるな」

 エレベーターに乗り込む頃には事件の原因と顛末を聞き終えた空が、腕を組み沈思に沈む。理解し易いようにかみ砕いているのだ。

 

--暁絶、かつて物部学園に在籍していた学生にしてこの旅の原因となった男……永遠神剣第五位、【暁天】のゼツか。

 『復讐の神』ルツルジ=ソゾアの転生体、神世の古で『対峙して、一度でも目を閉じれば二度と光を見る事は無い』とまで評された神速の剣士。両天でも数少ない、ジルオルと比肩した一柱だ。

 

「厄介な話ですね。光をもたらすもの達との戦いだけでも、手一杯だってのに」

 

 独りごちる、その目線の先では階数表示が物凄い勢いで減少している。

 

「厄介なのはそれだけではないんだがな。君の前世の事についても対策を練らねばならんのだから」

「…………」

 

 痛い所を突かれて、空は表情を歪めた。確かにそう、敵にあんな厄介な力を持つ神剣が与したのだ。そしてその原因は、自分。

 

「代表、ケジメは付けます」

「……君を、信じろと? 正に身から出た錆だろう」

 

 その眼差しは交わる事も無く、ただ静かな声が互いの耳朶を震わせるだけ。

 

「テメェ自身の不始末だからこそ、無理を承知で言います。俺に、ケツを拭く機会を下さい」

「言うは易し。君の力如きで何が出来る?」

「--出来る事が出来ます。俺が出来ると思う……全てが」

 

 先程言った通りに神銃士は、己の壱志を貫く。苦痛からも、屈辱からも逃げずに太刀向かう。

 その決意は、最早神にすら変えられはしない。

 

「言質《げんち》はとった、巽空。その言葉、努々忘れるな」

「……了解、有難うございます」

 

 呆れたようにサレスが呟いた時、エレベーターが停止してドアが開いた。

 そして、そこに--

 

「あ、お兄ちゃんお帰りなさい」

「帰ってろって言っただろうがよ……全く」

 

 やはり待っていたユーフォリアが、また空の右腕を抱く。それに、サレスは懐かしむような不思議な表情を見せたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 静寂に満たされた、その部屋の真ん中で。ニーヤァは煎れたての珈琲を啜りながら、真新しい硝子越しに外を見遣る。

 

 その眼下には人々の営み。戦で損傷した箇所を修復する技師達、その為の資材を運ぶ卸問屋、彼等に食事を振る舞う有志の一般人。

 自らの愚かさで壊しかけた、人の生命の輝きがあった。

 

「全く、嵐のような奴だったな」

 

 そしてニーヤァは、珈琲を……『インスタントの』珈琲を一息で飲み干すと、引き出しを開ける。

 中には、大量の書類。今回の戦からの復興に必要な資材や緒経費の見積書である。

 

「やってやるとも。貴様にだけは……笑われたくは無いからな」

 

 それを一枚手に取って、内容を吟味した後で。彼は判を押した。

 嵐の後の晴れ空のように、清々しい表情で。憑き物が落ちたように、今までとは違う顔で--。

 

 

………………

…………

……

 

 

 『先に帰っている。暇ではないのでな』とのサレスと別れ、空はユーフォリアと共にデパートへとやって来ていた。

 というのも、ユーフォリアが空のところに来たのは出迎えるのもあったが元は彼女の生活必需品の買い物に付き合って貰う為だったとの事。

 

 特に予定も無かったのでそれを承諾し、引っ張られるようにして連れてこられた空。

 今は--

 

「ああ--帰りてェ……」

 

 その浅はかさを後悔していた。女の買い物に付き合うという行為を、甘く見ていた事を。

 

「ねぇねぇ、お兄ちゃん。こっちとこっち、どっちがいいかな?」

「はいはい……左」

 

 本日、七度目の選択肢だ。やれコップだの歯ブラシだのと、もうまともに取り合う気力すら失せている。

 因みに、今選ばされたのは帽子。右のハットか左のキャスケットかを。

 

「むぅー、なんかてきとーだよ、お兄ちゃん」

「そんな事ない、そんな事ない」

「……だったら、いいけど」

 

 段々と感づかれ始めて、彼女の見る目が厳しくなってくる。流石に怒らせるのは本望ではないし、もう少しは真面目に取り合うかと思い直した。

 

「じゃあこっちとこっちだったら、どっちが似合うと思う?」

 

 次に差し出されたのは、部屋着にする服だ。

 右は大きく広がる肩口をリボンで調節する、クリーム色を基調とした可愛らしいワンピース。左は水色で無駄な華美さの無い、落ち着いたデザインのパンツタイプのツーピースだった。

 

「どう? どっちが似合う?」

「うーん……」

 

 交互に服を合わせて見せる彼女をじっくりと見詰める。

 

--うーん、どっちも似合わない事はない……似合わない方を切る作戦は失敗か。

 似合う方、ねぇ……要らない物を捨てるのは得意なんだが、要る物からどちらか一つだけってのは苦手だぜ……もしかして俺って、優柔不断なんだろうか。

 

 ちょっと自分に落胆しながら、服を見比べる。やはり、甲乙などちっとも解らなかった。

 

「あー、お兄ちゃん、またぼーっとしてるー」

「考えてんの。ほら、反対の方を当てろ」

 

 そろそろ引き延ばしも限界だ、答えを出さなければならない。

 ふう、と息を吐いて--

 

「右……だな」

「どうして?」

 

 即行で理由を聞かれた。今まで彼女は言われた通りに買っていたというのに、今回だけ。

 

「お前の声を聞いてたら、こっちが正解な気がしたんだ」

「声? あたしの?」

「インスピレーションって奴だよ、妹よ。そうだ、タンクトップも買ってあげよう。勿論、黒の」

「別にいいけど……?」

 

 何だか天啓、或いは電波じみた物を感じて決めた。

 ユーフォリアはあまり納得していないようだったが、それを買う事に決めたようだった

 

「じゃあ、最後にこっちとこっちならどっちがいい?」

「ん、どれどれ……」

 

 『最後』との言葉に、漸く解放されると気を良くした空。

 そのアンバーの瞳に映った--逆三角形をした小さな布地。右はピンクでフリルの沢山付いた物、左はシンプルなブルーとホワイトのストライプ柄。

 

「…………」

 

 つまりは、下着である。彼女はそれを何の恥ずかしげも無く、空に向けていたり。

 それに--

 

「左だな。断言してもいい」

 

 それに空は、なんら迷いも動揺も見せずに言い切った。

 

「どうして?」

「お前の属性色だろ」

「そっかー! うん、じゃあお金払ってくるね」

 

 清々しいまでの、言い切り加減だった。ユーフォリアもその簡潔さに完全納得、スキップしながら服と一緒にレジへ持って行った。

 

--ふん、甘いな。これでもし、黒の総レースとか赤のエナメルのティーバックとかの大人ショーツを出されたら確かに焦ったけど、幾らなんでも子供パンツなんかで取り乱したりはしやしないぜ……はて、俺は一体誰に対してこんな事を申し開いてるんだろーか。

 

「お待たせ、お兄ちゃん。じゃあ帰ろっか」

「おう……ほら、荷物寄越せ」

「え、いいよー。ちゃんと持てるから」

「莫迦、こういう時は素直に渡しとけっての」

 

 両手に紙袋を持って戻ってきた彼女から、その荷物を半ば奪う形で受け取り--透徹城に納めた。

 

「ありがと、お兄ちゃん」

「いいって事さ、妹よ。さてと、まだ時間はあるな……付き合ってやったんだから、俺の方にも付き合って貰うか」

 

 時計に目をやると、まだ午後の前半。丁度昼休み時間が終わったくらいだろう。

 

「それって……もしかしてデートのお誘い?」

「莫迦、違うっての。飯でも食うかってだけだ」

「ぶーっ……でも、いくーっ」

 

 先導するように歩き始めると、ユーフォリアは自由になった両手で空の右腕を抱き抱える。

 もう抵抗する気も失せたスキンシップ過多、それに抗わず空は。

 

「異世界の『異』……いや、この場合は魔法の世界の『魔』になるのかねぇ、和・洋・中みたいに」

「うにゅう……それってなんか、どっちも体に悪そうだよ……」

 

 そんな事を駄弁りながら、食事フロアへと歩いて行った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その夜、風呂上がりの空は廊下を上機嫌で闊歩していた。仁平姿で頭には手拭い、履物は下駄の、金髪蜜瞳に浅黒い外見と正反対の和風スタイル。

 長い神社での生活で染み付いた和風嗜好は、そう簡単には消えはしない。

 

【どうかしましたか、随分ご機嫌ですね、オーナー?】

(ん? そうか? 自分じゃ普通なんだが)

【いいえ、明らかにテンションが高いです。見ていて、気持ち悪いくらいに】

(ハハ、何気に辛辣だな……だが許そう)

 

 首に下げたお守りや黒鍵、羽の根付けと共に揺れる透徹城の中の【夜燭】から、レストアスが語り掛けてくる。

 カランコロンと小気味のよい音を立てながら、グラウンドと校舎を繋ぐアスファルトの道を歩く。ものべーにより再現された夕暮れの風景と風を浴びて、まだ湿っている髪を拭う。

 

(昔っから考えてたデートプランだ、試したのは初めてだったけど案外上手くいったんでな。これで、いざ希美を誘った時に焦らずに済みそうだ)

 

 上機嫌の理由は、それである。今日の事で、デートへの心構えが出来た為だ。

 それは、今までの彼の交遊関係では絶対に不可能だった事。

 

【…………いや、それは……些か彼女に失礼では】

(何言ってんだ、こういうのはな、誘っておいて何も用意してない方が逆に失礼だろ)

 

 そう、全く悪びれる事も無い。それもその筈、この男は案外一途。『初恋の相手』以外には、目もくれないのだ。

 

【貴方は……少しはですね、女心という物を……いえ、甘えさせてくれる相手に甘えているという点では彼女もおあいこでしょうか】

(何言ってんだ、お前?)

 

 少なくとも、彼自身には意味の解らないもの。ただ、彼の盟友は訳知り顔で呟いたのだった。

 それに疑念を返しながら、自室の扉を開く--

 

「あ、お帰りなさ~い!」

「--は……?」

 

 そこには、今日買ったばかりの部屋着で寛いでいるユーフォリアの姿が在った。

 

「お前……何でここに」

「なんでって、お兄ちゃんに一番に見せようと思って」

 

 立ち上がって、くるりと回る。翻るワンピースの裾と、蒼い髪。まるで、風の吹く蒼穹《そら》を思わせた。

 

「どうかな、似合ってる?」

「ああ、バッチリだな。ザ・妹って感じだ」

「よかった。えへへー」

 

 褒めてやると、そうはにかむ。その無邪気さに、勝手に部屋へと上がられていた事に対する怒りも萎える。

 

--そうだな……俺は救われてるのかもしれねぇな、この笑顔に。

 

 長らく付き纏っていた神世からの呪縛や、僅かな間とはいえ共に戦いを駆け抜けた神剣の裏切りに、口には出さずともささくれ立つところはあった。

 そういう気持ちを、この笑顔は……太陽の光のように温かく癒してくれていたのだ。

 

「……有り難うな」

「ほぇ?」

 

 突然礼を言われて面食らったのだろう、ユーフォリアは珍妙な顔をしている。そんな彼女に苦笑しながら、空は彼女の頭を撫でようと左手を上げた。

 気配を察し、彼女は少し頭を前に出した。日頃から他のメンバーに頭を撫でられているだけあり、慣れた様子である。

 

 さらさらと細やかに煌めく蒼穹《あお》の、穢れの無い長い髪。後少しでそれに触れるという所で--

 

「----…………」

 

 空は、左手を止める。理解してしまったのだ、そんな彼女の無垢さから----どれだけ、自分が穢れているかを。

 

「ほら、早く自分の部屋に戻んな。明日からはまた、忙しくなるんだから」

「えっ……う、うん……」

 

 撫でられる事も無く、いきなり帰る事を促されたユーフォリアは、困惑しながらも。

 彼の放つ雰囲気が変わった事を察したらしく、淋しげに俯きつつ部屋を出た。

 

「えっと……じゃあ、また明日ね、お兄ちゃん」

「ああ……また明日な」

 

 気を取り直して笑いながら手を振った彼女に、左手を振り返す。それを、彼女が見えなくなるまで続けて--自分の左手を、じっと見詰めて呟いた。

 

「……汚ねぇなァ」

 

 染み付いたガンオイルと焼けたマナの残滓、幾つもの傷痕に--見えない返り血、命の断末魔。

 この数ヶ月で、それらに塗れた己自身に自嘲する。

 

--こんな汚物の俺が、あんなに綺麗なものに触れていい筈が無い。アイツは--ユーフォリアには、俺みたいな薄汚いヒールよりも望みたいな潔白なヒーローの方が似合う。

 分かりきった事だろう。今は、自分を助けてくれた俺をヒーローみたいに感じて懐いているだけ。俺の正体を……ヒールだと知れば、離れて行っちまうに決まってる。分かりきった事だろ。

 

 眩しいと感じたのは、その魂の純度。永遠神剣を持つ彼女だって、自分と同じく命を奪った経験があるかもしれない事には気付いている。だが、例えそうでも彼女の魂に曇りは無い。その眩しさに、変わりは無い。

 その事に気付いた、ほんの刹那--胸の中を吹き抜けた空虚な風に、何もかもどうでもよくなってしまったのだ。

 

【……オーナー……】

(……悪い、情けねェ事考えた。ニーヤァにあんな大言壮語語っておいて、これじゃあいけねぇな)

 

 折角の湯上がりの気分は失ってしまったが、頬を張って気を取り直すと、明日に備えて早めの床に就いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 翌日、ものべーはザルツヴァイを発った。ナーヤとユーフォリアを一行に加えた目標は、支えの塔でレーメが絶の永遠神剣【暁天】の守護神獣『堕天使ナナシ』からインストールされた先。

 

 旅団にとっても未知の世界に。


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