サン=サーラ...   作:ドラケン

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悠久の青 昔日の声 Ⅰ

--唐突だが、好きだった言葉が有る。今まで、ずっと忘れていたけど。

 

『空さん、これを読めますか?』

 

 霞んだ情景。彼は辛うじてソレが思い出深い天木神社の境内だと解った。

 そこで巫女が地面に書いた文字を、八歳くらいの少年に読ませている。『空元気』という漢字を。

 

『えっと……そらげんき?』

『ふぅ……文弱の徒は格好悪い物ですが、武骨も大概ですよ。文武両道こそが一番、勉強しなさい。これはですね……』

 

 それに巫女は、自信満々に--

 

『これはですね、あきげんき、と読むんですよ』

『あき……おれの名前?』

 

 子供相手に、とんでもない嘘を教え込んだ。

 

『ええ、そうです。どんなに辛い事が有ってもへこたれず諦めない……ただ元気なだけより、もっと意味のある元気の事なんですよ。貴方は、そんな意味にもなる素敵な名前を持っているんです』

『そうなんだ~!』

 

--んで、学校でマジそう読んで赤っ恥をかかされたんだっけか。だから二度と思い出したくなくて、記憶の奥底に封じた言葉だ。

 

『そう、だから過去がどうあれ、未来がどうあれ……決して貴方は『空虚《カラッポ》』なんかじゃない。何が有ろうとも挫けずに、真っ直ぐ……貴方らしさを貫いてくださいね』

『ときみさん……?』

 

 ふと、声を沈ませて。くせっ毛の少年の頭を撫でながら、巫女は天を仰ぐ。釣られて、少年も仰ぎ見れば。

 

--でも……それはきっと。この命が生まれて以来聞いた、他の誰のどんな言葉よりも。

 

 何処までも蒼一色の大空に悠揚と棚引く、一筋の白い飛行機雲に吹き抜ける一陣の風。それを翼に受けて、物悲しく鳴きながら高く飛び去っていく孤高の隼。

 その姿は、日の光を浴びて金色に煌めいて見えた。

 

 そして風に踊る髪をそっと抑えながら。虚空に溶けてしまう程に小さな声が鼓膜を震わす。

 

『遮るものなんて何も無い、あの悠かな空を駆け抜ける、"天つ風"のように--……』

 

--この巽空という莫迦野郎の、どうしようもなく莫迦らしい生き方を決定付けた……本当に本当に、大好きな言葉だったんだ……。

 

 

………………

…………

……

 

 

「--い……おい、起きぬか」

「……ん……?」

 

 呼び声に、眠りの壁の向こうに拡散していた自我が再結集する。左腕を目隠し代わりにしていた為に、声の主は霞んで見えているが--こんな時代がかった喋り方をする者はそうはいない。

 

「ああ……ネコさんで、痛い痛い足踏んでますすいません大統領」

 

 物部学園の中庭、トネリコの樹の根元にはレジャーシートの上に寝そべる空。そして樹の脇の土に衝き立てられている【夜燭】。

 

「……具合はどうじゃ」

「ええ、もう大丈夫です。治療費の件はお世話になりました」

 

 腰を降ろしたままで言い、何気なく体を捻って見せる。少し引き攣れたような感覚こそあれ、最早回復したといってもいい。

 

--しかし、再生治療とかマジで魔法の世界さまさまだな。たった二日で古傷になっちまった。

 あれだ、やっぱ科学は魔法すら越えるんだよ、うん。

 

「気にするでない、ただの礼じゃ。兄上やフィラを助けてくれた事へのな」

 

 言って、一度頭を下げるナーヤに少し鼻白む。何せ切羽詰まっていたから気付いていなかったが、ニーヤァは管制室の前の通路に倒れていたらしく望とナーヤが出ていく時に共に引きずり出して後を他の皆に託したそうだ。

 

「感謝される言われなんざ、無いっすよ。エヴォリアを相手に生き残る策戦考えるのに手一杯で昏倒してたヴェラー卿を、エヴォリアに囚われてたフィロメーラさんの心を……俺は、どっちも結果的に見捨ててる」

「自分自身を卑下するでないわ、見苦しい。結果的に全員助かっておろう。ぬしの判断は正しかった、ただそれだけじゃ」

 

 まるでというか正に慰めの言葉。驚いたのは空の方、木っ端微塵に打った斬られる事をも覚悟していたのだから。物理的に【無垢】の鋭利な一部分とか使って。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙する。元より接点の少ない異世界人同士、何も話す事が無い。取り敢えず--

 

「……座ります?」

「……うむ」

 

 レジャーシートを譲って、空は少し離れた位置に胡座をかいた。都合ナーヤはその後ろ姿を眺める形になった。

 カチャカチャと、金属質な音。空の手に握られた【幽冥】の音だ。

 

「……辛くは、無いのか」

 

 その背に掛けられた気遣わしげな呟き。

 

「……辛くなかったらカッコイイんでしょうけどね。わりかし堪えてますよ、流石に--」

 

 『キツイっすね』、と続く筈の言葉は【幽冥】の……いや、もうただのモデルガンに戻ったフィラデルフィア=デリンジャーの撃鉄が熾された音で掻き消される程に小さかった。

 

「--でも、反って楽になった気もしますよ」

「楽に、じゃと?」

「ええ、何て言うのかな……漸く『生きてるんだ』って気がして」

 

 引鉄を引いて、撃鉄を墜とす。火蓋を押し開けて薬室に減り込む燧石が……ただのイミテーションなのだから、音しか出ない。

 

「今までの俺は、そう……色んな物事に、『生かされてた』んだと思います。色んな好意に、色んな悪意に上手い事バランス取って」

 

 その姿に己自身を重ねる。弾丸も火薬も入っていない、役立たずな『空《カラ》銃』。

 空虚な己に装填されていた弾丸は『蕃神』、弱者だった己に力を与えてくれた火薬は【幽冥】。

 

 その二ツを一斉に失えば、後に残るのは役立たず。『銃』はソレだけでは役には立たない。本当に意味が有るのは、狙った物を撃ち砕くのは『弾丸』なのだから。

 

「--……でも、今からは違う。もう庇護は無い。だから限りなく何処までも広がる空っぽな可能性が有る。だから俺はきっと、此処から始まる。『巽空』は……此処から『生きてる』んだ」

 

 ぐっとデリンジャーを握り締めつつ、真摯な琥珀色の瞳で蒼穹を見上げる。高い天空には--何も無い。果てしない蒼が広がるのみ、無窮の……『空』が。

 

「……楽天的じゃな、お前は」

「いやいや、根暗で引っ込み思案ですよ、オイラは。心配して貰う価値なんて無し」

 

 クルクルと指先だけで回転させ、己の米神に銃口を突き付けて。多少お道化て引鉄を引く。

 撃鉄の墜ちる音を聞きながら、ナーヤは溜息を零した。

 

「『初対面の男』の心配などするものか、たわけ」

「……はい?」

 

 再度、呆気に取られた空。その呆け顔にナーヤは『ぷっ』と吹き出しかけて、なんとか堪える。

 

「わらわの名はナーヤ・トトカ=ナナフィじゃ。これからは宜しく頼むぞ……『たつみ』」

「……えー、若年性健忘症ッすか『ナナフィ』さん?」

「茶化すでないわ、全く……」

 

 つまり、『此処が始まり』だと。前世など関係なく、一個の人間同士として。今漸く、この二人は挨拶した事になる。

 

「さて、わらわはもう行く。元々、のぞむに用があるのでな」

「あー、急いだ方がいいっすよ。競争率高いですから。スタート前で混戦、泥沼状態のレースみたいになってますよ」

「言われんでも解っておるとも。ではな」

 

 すっと立ち上がり校舎に消える彼女を見送る。それが完全に見えなくなってから、改めて空は樹の幹に寄り掛かった。

 

--参ったな、許されちまった。

 

 朝の優しい、さざめく木漏れ日のシャワーを浴びながら。鼻孔をくすぐる草の香りを孕む清涼な風を斬る【夜燭】。その黒刃が一瞬、蒼く煌めく。

 

【オーナー、申し訳ございません。私にもっとチカラが有れば--あぅ!?】

 

 脳に直接流し込まれる思考は、恐縮しきったレストアスだ。休眠から覚めてずっとこの調子である、責任感が強いにしても程というモノが有ろう。

 

 それに空は、フィラデルフィア=デリンジャーを打つけた。

 

(阿呆、お前は良くやった。足りなかったのは俺のチカラ、覚悟、意気地だよ)

【……オーナー】

 

 寝そべった姿勢を正し、まるで平伏するような形で頭を下げる。

 

【頭を上げて下さい、オーナー。らしくも無い、貴方はいつも通りに『力を貸せ』と命じればいい】

(悪りぃ、これからも苦労掛ける。済まねェ)

 

 苦笑して、寝そべる。そんな、彼に--

 

【もしも、宜しければなのですが……オーナー……】

(……ん?)

 

 またも躊躇するように歯切れの悪い、レストアスの意思。それは本当に、何度も何度も、繰り返し繰り返し逡巡して。

 

【もし良ければ、この【夜燭】と『契約』を--】

 

 遂に、その決定的な言葉を口にしかけた、その刹那--

 

「【--ッ!?!」】

 

 世界そのものを切り裂くように、『光』が天を裂いた。

 

(今の光は……何だ?! 支えの塔から走った! 莫迦な、あそこは修理の為にサスペンド中だぞ!)

【申し訳ありませんが解りません……私には【幽冥】のような索敵能力は有りませんので……】

 

--クソッタレ……悔しいが、俺も大分、カラ銃におんぶに抱っこだったらしいな。これからの戦いでも、俺はあの隠蔽も索敵も無しで闘わなきゃならないって訳か。

 

 支えの塔から放出された光は、世界の壁を突き破り分枝世界間に飛び出して行った。

 それを確認し、取り敢えず空は安堵する。

 

「チッ、支えの塔に行ってみるか--?」

 

--何が有るか解らない。ならば装備を整えていくべきだ。しかし装備はもう無い。

 

【--オーナー、光が!】

「な、にっ!」

 

 レストアスの悲鳴じみた思念に反応し、振り返れば。分枝世界間に抜けた筈の光が--魔法の世界に向かって飛来している。

 

--何が出来る? 何も出来ない。俺には、何の力も無い。

 

「……クソッタレ……!」

 

--何でだ。何故、こんなに俺は無力なんだろう。願いは有っても、ソレを叶えるだけの力が無い。

 

「--力が……有れば!」

 

 己に対する無力感と失望感と共に見上げる光。せめて--逃げる事無くソレを迎える。せめてもの抵抗に、睨みつける眼差しだけは逸らさない。

 

「……アレ、は……?」

 

 その眼差しの先、光との狭間に何かが映る。だが、それは空には、人間の視力には蒼い米粒にしか見えなかった--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 極彩色の閃光が駆け抜けた後の、雲も白んだ月すらも無い虚空がヒビ割れる。

 

 それは『門』。隣り合わぬ次元同士を繋ぐ軌跡だ。その門から、まるで--何も存在しない筈の、真空から"揺らぎ"によって電子と陽電子のペアが突然現れるように--

 

「--到着っ……とと」

【わわ、いきなり空の上だよ】

 

 空に溶け込む蒼穹色の髪の少女と、鎗とも杖とも、剣ともとれる形状の『永遠神剣』が現れ出た。

 

「此処に……居るんだね」

【……気になるの?】

「初任務なんだよ、当たり前じゃない」

 

 見下ろした、白亜の天空都市。陽射しを浴びて煌めく市街の端に、妙な形の舟……ものべーが停泊している。

 その次元くじらを眺める眼差しは、少しの愁いを帯びていた。

 

「ところで、どう出逢えば不自然にならないのかな……」

 

 『うーん』と。少女は思案顔となる。根が素直なのだろう、打算的な行動は不得手らしい。

 

【まぁ、なるようになるよ】

「もう、適当はダメなんだから」

 

 相方のその言葉に、ぷーっと頬を膨らませた彼女。見た目通りの精神年齢、或いは幼いと言えるのかもしれない。

 

【……不安?】

 

 そこに送られた神剣の意思は、少し不愉快そうな響きが混じっている。

 正直彼は、今回の任務には疑問を感じていた。彼らの『両親』がそうであったように。

 

「うん、初めて人と知り合う時はいつでも怖いけど……いつだってとっても楽しみなんだ」

 

 だがしかし、彼女はそんな深意に気付く事は無く。サラサラと、蒼い天鵞絨《ヴェルヴェット》のように美しく靡く髪を抑える。

 そして、明らかに風に靡いたのではない白い翼の髪飾り(?)をパタパタと振るわせて屈託の無い笑顔を見せた。

 

「--どんな人達と出逢うのかな。皆と仲良くなれるといいよね」

 

 『出逢い』が有れば『別れ』が有る。この世を構築する全てが、矛盾する『対』にて成り立つ以上、例外は有り得無い。

 

 その"宿命"を知って、それでもなお。その果てが誰も避けられぬ永遠の訣別《わかれ》であると、知ってもなお。生命は、孤独では在れない。

 

【大丈夫だよ、自然体でいけば。君を嫌う人なんて居る訳ないさ】

 

 ならば、せめて。永遠なる時の流れの中で切り取られた、僅かな一時だけでも。

 せめて、この幼《いとけな》い心魂に『より多くの幸福が訪れん事』を、『悠《はるか》な刻』を象徴する『銘』を戴く神剣は切に願う。

 

「そうと決まれば行動あるのみ、行くよ~っ!」

【落ち着きなよ、もう……なんでそんなに乗り気なのさ?】

「え? だって早く終わらせたら、自由時間を貰えるかもしれないでしょ? だってここは、パパの生まれた時間樹だし」

 

 気勢も新たに、永遠神剣を前方に投げ出そうとした彼女。それを当の永遠神剣が諌める。

 少女はそれにつらつらと、用意しておいたかのような台詞を口にした。

 

【はっはーん、読~め~た~ぞ~。確かにこの時間樹はトキミさんや父さんの出身地なんだもんね。もしかしたら、『アイツ』がいるかもしれないからだ~】

「ち、違うもーんだっ! あたしはお仕事に私情は挟まないの!」

 

 ニヤニヤと(神剣なので、表情など無いのだが)した感じの思念に、彼女は顔を赤くして反駁する。実に仲の良いパートナー同士のじゃれ合いである。

 その先行きを祝福するかのように、虹色の光が照らした。まるでもう一つ太陽が現れたようだ--

 

「……あれって、何だろ?」

【……どうやら、この世界は僕らを歓迎してないみたいだね】

「ふえぇぇぇぇっ!?!」

 

 それは--意念の光。支えの塔を損傷させつつ放出された『対象を滅ぼす』という意思の結晶。

 しかもそれは、他ならぬ『破壊と殺戮の神』の意思、並の破壊力ではない。それが『何か』に鏡面反射されて、真っ直ぐ跳ね返ってきたのだ。

 

 当然、その軌道上に居る少女は巻き込まれてしまうだろう。

 

「怒られる前に謝っておくね」

 

 だが、彼女に回避の考えは毛頭無い。そんな事をすれば、眼下の都市があの光に撃たれてしまう。

【解ってる、君がそういう性格だって事くらいは……全く、困ったもんだよ】

「えへへ……ありがと、ゆーくん。大好きだよ」

 

 仕方なさそうな口ぶりだが、彼とて端から眼下の都市を見捨てるつもりなど無い。

 少女と神剣は、真実『双子』。悠久に変わる事の無い、固い絆で結ばれているのだから--例え、この世界の理《ことわり》に力を削ぎ落とされていたとしても。

 

【--護って見せる。ユーフィーは、何があろうと必ず……この三位【悠久】が護る!】

 

 これ以上無い心強い同意を得て、少女はにこりと笑った。そして永遠神剣をしっかりと握り締め、大きく息を吸い込む。

 

「--【悠久】のユーフォリアの名に於いて命ず……」

 

 永遠神剣第三位【悠久】とその担い手であるユーフォリア。

 時間樹エト=カ=リファ外から訪れし、上位の永遠神剣を携えた『永遠者《エターナル》』の翳す右手に、魔法陣が展開された。

 

「塵は塵に、灰は灰に……」

 

 その呼び掛けに応じて現出する【悠久】の守護神獣は、絡み合う東洋風の双龍。

 氷晶の青龍『青の存在』、輝閃の白龍『光の求め』の二頭。

 

「声は、事象の地平に消えて--ダストトゥダストっ!!」

 

 二頭に護られるように【悠久】を構えたユーフォリアが、目標を示せば--弐龍がブレスを吐く。

 

「【--てやぁぁぁぁぁっ!!」】

 

 青白の煌めきは周囲の浮遊マナを巻き込んで、消滅させながら。滅びの光と撃ち合った--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 一際鮮烈な光を放ち、天が鳴動した。全てが終息し、代わり……静寂が訪れた。

 

 耳に痛い程の静寂、目に沁みる程に濃い蒼穹。左手を翳して、陰を作って見上げるその一点に--見出だした。

 

「……ッアレは!」

 

 遥か高空から、まるで失墜するイカロスのように、ソレは墜ちてくる。

 遠すぎて良く見えない。しかし、間違いようはない。間違いなく--

 

「--人だろう、クソッタレ!」

 

 思わず周囲を見回した。そしてそんな行動を取った『不様な己』に悪態を吐く。

 

--莫迦野郎が! 何を、神剣士なんて探してやがる! 今此処に居るのは俺一人だろうが!

 

 理解してしまえば後は思考するのみ。どうすれば、人間の脆弱な力で受け止められるのか。

 

--安牌は、レストアスをゲル化させて緩衝材にする方法。やれば出来ない事じゃないな……せめて、エヴォリア戦の消耗が無きゃ。

 

 今のレストアスにはその規模で実体化する程のマナは無い。脳内電流で会話をするだけでも厳しい状況だ。

 その一瞬の思考の間にも、人影は地表……物部学園のグラウンドに向けて速度を増している。

 

「迷ってる暇、ねぇよな……!」

 

 パン、と一度両頬を張って。空は【夜燭】の柄からレストアスを己の躯に移す。

 

【オーナー、何をするつもりですか?!】

 

 そんな常軌を逸した『決心』を読み取るや、レストアスは自身の所有者に詰問する。

 だが、彼は苦笑いしただけ。

 

「……悪りィ、ちっとばかし--莫迦やらかして来るわ」

 

 瞬時に駆け出した躯には、強化など無い。そもそもレストアスの加護『エレクトリック』は頑健さ強靭さではなく瞬発力や知覚速度を増すモノ。『攻撃を受ける』事の役には一切立たないのだから。

 

--なら、腹を括るしか無いだろ。唯一の救いは此処が医療も進歩した世界な事か。多少の怪我では死なないのは実証済み、神の采配に感謝感激雨霰だぜクソッタレ!!

 

 つまり、この後に襲い来る痛苦から逃れる為に。電気信号で脳内麻薬を無理矢理引き出す為、だ。

 

 中庭からグラウンドに走り出る。直上十数メートルには、小さな蒼い粒。それが髪の長い、女性で有る事を漸く理解する。

 

--速ェな。ああ、クソッタレ、逃げたいなぁ。逃げたいけど……あんなに恥ずかしい事を、堂々と言っちまっただろ?

 

 一瞬の内に思い出すのは少し前の会話。ナーヤと交わした、多分に気障ったらしい台詞。その後、茶化した程のソレ。

 

『--……でも、今からは違う。もう庇護は無い。だから限りなく何処までも広がる空っぽな可能性が有る。だから俺はきっと、此処から始まる。『巽空』は……此処から『生きてる』んだ』

 

 そう、口にしたのだ。そんな、『空元気』を精一杯、口にした。もしも自分で決意しただけなら、もっと愚図めいていた筈。

 だが、他者にあんな恥ずかしい事を言ったのならば--やるしか無いだろう。『巽空』らしい生き方を貫く事を--諦めない事を!!

 

--だから、やってみるさ。俺の『可能性』を信じて、どんな艱難辛苦でも踏み越える。

 そうさ、人間に想像出来る事は全て--実現可能な範囲内だ!!

 

「--ってオイ!?!」

 

 ダークフォトンを展開して受け止める姿勢を整えた--刹那、娘が落下軌道を変えた。いや、風に流されたのだ。

 僅かなズレ、しかしソレは落下地点を大きく逸らす。銃士の空は、狙撃という観点からソレを身に染みて知っていた。

 

「レストアス!」

【正気とは思えない、オーナー! 今アレをやれば痛覚をシャットアウトする事など不可能になる! それどころか……】

 

 今度は判断に迷いは無かった。だがしかし、盟友の返事は芳しくない。

 そう間を置かず、どうやら気絶している蒼の娘は中庭にぶつかるだろう。

 

 だから、『切り札』を切った。

 

「つべこべ言ってないで--俺に力を……貸せ!」

【--……貴方という人は……! どうなっても知りませんよ!!】

 

 中和してしまわないようダークフォトンを消した瞬間、足の裏に稲妻が集束して炸裂する。

 それを加速に、一瞬で今来た道を逆走した。脚甲も何も纏ってはいないただの学生服、ただの革靴。それで反動加速を行えば--脚が生理的に嫌な音を発てたのも、当然の帰結。

 

「--届けェェェッ!!!」

 

 それでも、そんなモノには気を裂く余裕など無い。ただただ、目の前の相手を受け止めるべく。空は届く筈の無い手を延ばした--!!

 

 

………………

…………

……

 

 

 ゴロゴロと転がって何とか勢いを殺し、最後に後頭部をトネリコの樹の幹に強かに打ち付けて。

 

「~~っは……ゲホッ……!」

 

 仰向けに、青々と茂る樹の枝葉を見上げながら、やっと空は息をする方法を思い出した。

 

--脚と腕……付いてる。躯……そこかしこ痛てぇ。頭……正常。

 

【--な訳が無いでしょう、この鉄砲弾ーーーっ!】

「イデデデ!? 止め、脳みそ電気で焼ける!! 冷気で凍るぅぅ!!」

 

 怒りに任せたレストアスの脳内拷問に、空は身をよじる。よじりながら、苦笑した。

 

(……仕方ねぇだろ、俺は人間だ。何の事はねぇ、結局は他の皆と同じなんだよ)

【だったら何故です! この者は神剣士、放って置いても問題など無かった筈だ! 貴方がその命を賭けずとも、造作も無く助かった筈だ! なのに、何故!!】

 

 レストアスは冷酷さからそんな事を言っているのでは無い。身を案じればこそ。

 ……だからこそ、己の腕の中に感じる予想以上に軽い重みに安堵を覚える。

 

 盟友《トモ》の折角の助けに、応えられた事に。

 

(『普通』なら、な。だけど、俺は『巽空』なんだよ。どうしようもない莫迦さだけが取り柄の--神に刃向かえる『可能性』を持つアウトサイダー、『神銃士』だ)

 

--だから、その壱志《イジ》が俺を支える限り。こんなチビスケに命張らせて、テメェはのうのうと指くわえてられる訳が無いだろ。そんなのは『俺』じゃねぇ。

 

 それは只の決意表明だ。『斯く在りたいと願う』と、そう告げただけ。

 

【……それが、貴方の『壱志』であるのならば。私も、我が主君の『遺志』に遵いましょう】

(レストアス……?)

 

 だが、それで充分。少なくともその神獣にとっては、己の壱志を定めるのに充分だった。

 

【--貴方のような向こう見ずを、放っておく訳にはいきません。これからも、力を貸して差し上げます……所有者《オーナー》】

 

 妙な反応をして、休眠に入ったレストアスに首を捻って。

 頑張ってみてもどうにも恰好の付かない己に自嘲しつつ。

 

--しかし情けねぇよな。神銃士じゃなくて神剣士だったらもっとクールに、かつスタイリッシュに助けられてただろうに。

 お前もよくよく運が無かったな、チビスケ……。

 

 先程から胸に抱き抱えっぱなしで、放置していたその人物に目を向ければ--目を奪う、長く蒼穹《あお》い髪。

 

「--……!」

 

 刹那、まるで『錠』に『鍵』が差し込まれたように。忘れていた最後のピースが、極彩色のユメの最後の欠片が--嵌まった。

 

『ありがと、あっくん。あたし、あっくんだーいすき!』

 

 その蒼い髪、抜けるように白い肌。まるで--『妖精』のような、儚げな容姿。

 

『あたし、ゆーふぉりあ。みんなからはゆーふぃーってよばれてるの。それと、このこはゆーくん』

 

 充ちた聖盃から零れた一滴が、渇いた地を潤していくかのように。悠久《はる》かな刻を経て回帰した、濫觴の記憶。

 

「ユー--……」

 

 その名を腕の中の少女に向けて、空の唇が最後の音を発しようとした--その刹那。

 

--ガィィィィィィィン!!!!

 

 と、物凄い音を発てて。剣とも杖とも、槍ともつかない神剣が。

 

「……あべ……し…………」

 

 遥かな高空より、狙い済ましたかのように空の頭に直撃した。

 

--……ホント、俺ッて奴ァ……何処までいっても恰好がつかない、カマセだよなァ……

 

 決定的な一撃を受けた空はただただ、役目だけは果たした満足感に包まれて。

 意識の手綱を早々に手放したのだった……


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