焔の追憶 宿命の夜 Ⅰ
夜の底に沈む街。未来的を通り越して幻想的な佇まいの、巨大な塔の一角に在る部屋。
大きな椅子に腰掛けた、紫の髪を二ツに別けた少女は仕事机の上に山と積まれた書類に目を通していた。
まだ、幼いと言ってもいい容姿には余りに不釣り合いな仕事。何より目を引くのは--大きな、猫のような耳。
--コンコンコン……
「……開いておる。入れ」
律儀に三度鳴らされたノックにそのままで答える。間髪容れずにノブが回った。
「ご政務中に失礼する、大統領。少々お時間宜しいかな?」
扉を開いて歩み入った長身は、精悍で怜悧な眼鏡の青年。暗緑の髪を一ツに束ねたマントの男。
「構わんさ、団長殿。用件だけを手短に言うのならばな」
「これは手厳しい……ではあまり邪魔をするのも心苦しい故、一言で済ませるとしよう」
判りやすい厭味に彼は冷笑する。そして本当に手短に。
「待ち人来たりて」
「--誠か! 遂に……って待て待て!! 何処に行くのじゃ!」
その言葉に、手にしていた書類を投げ出しつつ立ち上がって男を見遣った少女。先程までの、張り詰めた空気など消え去っている。しかし、男は既に扉を開きかけていた。
「『手短にしろ』と言ったのは、お前だろう?」
「馬鹿者! 本当に一言で帰る奴があるか! いつじゃ、一体いつ『あやつ』は来るのじゃ!」
フッ、と。感情を見せた彼女に厭味ったらしい笑みを浮かべた男をジト目で見遣り、年相応の表情になった少女は--期待に充ちた声で問う。
それに、彼女の脇に控えていた鮮やかな翠の髪と青い瞳の侍女が答えた。
「落ち着いて下さいませ。どの道、御政務を終わらせなければ会いには行けませんよ」
「ぬぅ、そうであったな……全く、兄上も少しは政務に力を入れて欲しいものじゃ」
「アレが政務? 天地がひっくり返ろうと有り得んな」
「反論出来ぬところが情けない」
はぁ、と悩ましげな溜息を零し、椅子にどすんと腰を落とす。
頬杖を突くと忌ま忌ましそうに、書類へ髪と同じ紫色の眼差しを向けた。
「……まぁ、君にとってはいい事ばかりでも無いだろう。なにせ、『奴』も居る」
そんな彼女に投げ掛けられた、一言。それにニヤリと不敵な笑顔が返る。
「『奴』の事を言っておるのなら、細工は隆々。『歓迎』の準備は整っておる」
それは間違っても友好的な笑顔ではない。そう……猫科の猛獣が獲物を捕らえる時に見せるような、そんな『笑顔』。
「ならば、いい……いや、油断はするな。『奴』の二ツ名は--」
「言われずとも気など抜かんさ。わらわはもう、二度とな」
眼鏡の奥の鋭い褐色の瞳を炯々と輝かせた男。この場にて始めて真面目に語り始めた男にそう言い切り、少女はカーテンの引かれていない窓を眺めた。
その先には--
「……いっそ朔夜の方が有り難い。不快な月じゃ、『奴』の神剣を思い出す」
鎌の刃のように鋭く、深く湾曲した……まるで血に塗れたように紅い三日月--……