サン=サーラ...   作:ドラケン

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精霊の森 揺籃の巫女 Ⅱ

 多数の浮島に囲まれた、華咲き乱れるその真中に在る社。社とは言っても、高く積まれた幾何学的な模様の石箱に天地を貫く巨大な木の幹が在るだけの空間。

 だがそれでも空中の庭園とでも言うべき壮麗さを誇り、或る種の楽土を思わせる。

 

「--ふむ。これはこれは、面妖な事も起きるモノだのう」

 

 その裡に響く、しわがれた声。その主は高位の修道士めいた衣裳の老人。

 その胸の辺りで組まれた掌の前には、単眼の嵌め込まれた魔法具のような金属球が浮遊している。

 

「--何か不都合が起きたか?」

 

 老人の呟きに答える野太い声。老人の背後の空間が歪んで、その歪みの彼方より魔導師を思わせる衣裳、山伏の持つ物のような錫杖を持った壮年の男性が歩み出た。

 

「いや、問題らしい問題は起きておらん。故に問題なのだ」

「……相も変わらず持って回った言い回しをする。つまりどういう事だ?」

 

 苛立ちを含んだ男の声に、老人は喉に詰まった笑いを漏らした。小莫迦にされたと感じ取り、男は尚、不愉快そうな顔をした。

 

「なに、理由と結果のバランスが狂っている部分が見受けられるのだ。例を挙げるとすればヤハラギの死などが顕著だの」

「ふむ、確か『予定』ではそこで『亡霊』が出て来る筈だな?」

 

 顎髭を撫で付けながら、男性は記憶を探る。老人は何やら手元を操作しながら言葉を紡ぎ続ける。

 

「左様。だがヤハラギは死んだ。……どうも『ログに残らぬ不確定因子』が存在しておるようだの」

「では、『計画』はどうなるのだ? 修正は早い方がよかろうて」

「まぁ待て。これがどういう理由で動いておるか、それを確かめぬ事にはな。遣いようによっては、エヴォリアなどよりも余程当てになる」

 

 ニタリと、老人の口角が邪悪に釣り上がる。『ログに残らない』。簡単に言ったがこれは、時間樹の根幹を揺るがす能力なのだ。

 だから見付けられたと言ってもいい。それこそ、彼が求め続けた得難い能力なのだから。

 

「--理解した。ではこれも誤差の範囲だな」

「当たり前の事を言うで無いわ。我々に間違いなど有りはしない」

 交わした視線に、焦りの色などは見受けられない。真実、彼等は『その可能性』すら予見していたのだから。

 

「我等、『理想幹神』にはな……くくくくく……」

 

 

………………

…………

……

 

 

 所は空の自室。その静かな空気。部屋の主は黙々と武器の手入れを行っており、その相方は卓上で所在なげに転がっている。

 装備品の手入れを終えて、空は背伸びをした。長い間曲げていた背中が急に伸ばされて、ボキボキ音を鳴らす。静かな分それは良く響いた。

 

「チッ……胸当てはもう使えねぇか。こっちのグリップガンも修理には大分時間と手間がかかるな」

 

 ダラバとの戦いでの損壊、損傷した武具の多さに、彼はのへーっと机に突っ伏す。

 そのまま目を窓の外に向ける。陽光の燦々と降り注ぐ、校庭へ。

 

--今、ものべーが航行しているのは世界と世界の狭間--『分枝世界間』だ。外は星と闇に包まれ、果てしない時間樹の偉容を見せ付けていた。つい先程までは。

 マスターの希美の願いを受けて、ものべーはなんと『太陽と月』を生み出したのだ。規格外にも程が有るだろ。

 

【……旦那はん。もっとこう……有意義な時間の使い方は出来へんのどすか? 友達と親睦を深めるとか、意中のあの娘にお近づき~……とか?】

(お前何言ってんの? でもまぁ、確かに時間は節約しないとな。鍛練鍛練」

【駄目どすわ、この人……典型的な非モテ男子やわぁ】

 

 言うや、白壁に立て掛けられた【夜燭】に手を伸ばす。

 その時、青い塊が姿を現した。ファンタジー映画などで見られるスライムのような。蠢く不定型の小さなそれは、レストアスの体の一部である。

 

--ほらな、心なしかレストアスの機嫌も良さそうだ。

 

 何にしても、剣術は不得手だ。レストアスと盟約した手前、剣を窮める必要もある。

 だからこそ訓練は欠かせない。決して友達がいないからでは無いのだ……と言い訳して。体操着に着替えた空は、中庭のトネリコの樹へ。彼のお気に入りの場所へと向かって歩き始めた。

 

「あら、巽くん」

「あ、どうも椿先生」

 

 その道すがら、早苗と出会う。彼女は少し疲れた顔をしていたが、微笑みを見せて--空が担いだ大剣に、愁いの表情を強めた。

 

「また、無茶な特訓でもする気ね。君は病み上がりなのよ」

「いや、ハハ……」

 

 保険医の居ない現状、怪我人の手当は希美や早苗が担当している。とは言え付け焼き刃、専門的な事は恐らく何も出来ないだろう。それも、現在の物部学園が抱える問題だ。

 

「……君は生傷ばっかりね」

「他の皆と違って、防御技が疎かですからね……けど、これからはダークフォトンで何とか」

「そういう事じゃないでしょう、いつもいつも君は戦いに出る度に大なり小なり怪我して帰ってくるじゃない」

 

 静かな、しかし確かな口調で。早苗はその少年の疵だらけの身体を眺める。

 元より、土建や引越等の日払いの良いバイトを中心に熟していて、更に十年来続けさせられた鍛錬で筋肉質な、だがしなやかな猛禽じみた肉体。今でも大柄で頑健な体つきは、まだ発展する可能性を宿している。

 

「正直、この辺りが潮時だと私は思うわ。君は人と余り変わらない力しか持って無いんでしょう? 諦めてもいい筈よ……守られる側に回ってもいいの」

「…………」

「そりゃあ、今までずっと君達の力に守られてた私が言うのも変な話だけど……このままじゃあまず間違いなく、取り返しの付かない事になるわ。そうなってからじゃ遅いのよ。死んでしまったら……そこまでなんだから」

 

 ベルトに挿した【幽冥】や、肩に担ぐ【夜燭】を見詰めながらの翻意を願う言葉。それに空は黙り込む。黙り込んで、頭を掻いた。

 

「……先生。死ぬってどういう事か解りますか?」

「え? それは--」

 

 そこで気付く。彼女の良く知る二人、世刻望と永峰希美を。その二人から聞いた『転生体』と言う言葉の意味を。

 

「もしかして君は、『死んだ時』の記憶が有るの?」

「……ええ、まぁ。他の皆の事は解りませんけど……少なくとも俺に限った話なら、有ります」

 

 早苗は息を呑んだ。軽い気持ちだった訳ではない。だが、自分が推論でしか言えない事をこの男は知っている。釈迦に説法という訳だ。

 

「……死ぬ事自体は、そう辛くは……いや、痛いし苦しいですけど、そう辛くは無いんです。ただ、何よりも悔しかった」

「悔しい……?」

「ええ、自分の力の及ばない総てが。今よりずっと強かったんですよ? 多分、今あの頃持ってた力を出せれば、学園の神剣士全員を同時に相手したって勝てる筈です。『神』なんて仰々しい呼び名は伊達なんかじゃ無いんですよ……それでも駄目だった。だからこそ諦められないんです、総てを」

 

--勿論それは俺に限った話じゃない。他の連中も今とは比べモノにならない力を持っていた。当然だろうな、『神名』を完全に呼び起こしていたのだから。

 

 と、そこまで考えて。ふとした疑問が沸いた。その『可能性』に思わず、頚から下げた黒金の鍵のペンダントとお守りと、羽飾りを握り締める。

 それは『あってはならない事』。それは有り得ない。有り得ては……ならない筈だった。

 

「君が、そこまでして願ったモノって--」

「心配して下さって、本当に有り難うございます……ですけど、今はただ自分の可能性を信じさせて下さい。お願いします、先生」

 

 話し過ぎた事を感じ取り、唐突に会話を断ち切って一礼をすると歩き出す。

 

「--あ、それと……『チカラ』はただ壊すだけ。何かを守るのは『ココロ』だと思ってるんです、俺。俺が持ってるのは、壊すしか能が無い『チカラ』。だから、俺に関しては恩を感じる必要なんて有りませんから」

 

 照れ隠しだろうか、顔も向けずぶっきらぼうに告げて。頭を掻きながら、空は歩き去った。

 

「……駄目ね、私……生徒に気を遣わせるなんて」

 

 溜息を落とした早苗は--

 

「……さて、頑張らなきゃね」

 

 己の無力を恥じる事を止めて。そう決意した。

 

 陽射しの差し込む廊下を歩き、欠伸を噛み殺す。

 

【旦那はんって、もしかして……年上好き?】

(あぁん? 訳の解らねぇ事を言ってんじゃねェよ。また投げられたいのか?)

 

 と、【幽冥】からの念話が入る。どうやら内部で聞いていたようだ。

 

【じゃあ綺麗なお姉さんは嫌いなんどすかぁ? ていうか希美はんに惚れてはるところから鑑みるに、落ち着いた包容力の有る大人の女性が好みと見受けあんした!】

(そりゃあ……どちらかと言えば餓鬼よりは大人の魅力だろ……ッて)

 

 グワシッ、と空の手が【幽冥】を掴み、勢いよく--

 

「飛べェェェ、カラ銃ゥゥゥ!」

【銃は飛ぶモンやありんせんえ、飛ばすモンどすうぅぅぅ~~~~……あべし!?】

 

 偶然にも、開け放たれていた窓から投げ飛ばした。【幽冥】は、クルクルとブーメラン宜しく回転しながら、校庭隅の走り幅跳び用の砂場に衝き刺さったのだった。

 

 そこに『ピンポンパンポーン』と、ものべー通信……もとい校内放送が入った。

 

『神剣組は至急、生徒会室に集合して下さい。繰り返します……』

「チッ、ツイてねぇな」

 

 呼出しがかかり、仕方なく鍛練は取りやめて生徒会室を目指したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 生徒会室に空が辿り着いた時、中には既に三人が居た。放送した本人である沙月、遅刻などしそうに無い優等生のタリア。そして、いつぞやも着ていた旧制服に身を包んだカティマの三人だ。

 

「「--あ……」」

 

 空とカティマの視線が交差した瞬間、二人は同時に顔を赤くした。それを目敏く見付けた沙月が、冷やかすように口を開く。

 

「ん~? ちょっとどうしたのよ、怪しい反応じゃない?」

「そんなんじゃ無いですよ。その……剣の世界を出る前に、全力で今生の別れ的ノリの会話したんで、いざ落ち着いて面と向かうと顔から火が出そうなだけです」

「そ、そうですね……穴が在れば入りたい」

 

 『旅の恥は掻き捨て』のつもりだっただけに、思い出すだけでも赤面してしまう。その場の勢いとは恐ろしいモノだ。

 

「取り敢えず……あの件はお互いの心の平穏を保つ為に忘れる方向でどうでしょうか?」

「え、えぇ。それがいいでしょうね」

 

 ポリポリと頭を掻く空、咳払いで茶を濁すカティマ。同時に長い溜息を落とした二人に、沙月達は何とも言えない眼差しを向ける。

 

「ですけど、轡を並べて闘えるのは嬉しいです。また宜しくお願いします、姫さん」

「私も同じですよ。こちらこそ、また宜しくお願いしますね、巽」

 

 最後にそう告げ合い、いつぞやのように頭を下げ合った。

 

 最後の一人であるソルラスカの到着は遅れに遅れ、到着したのは放送から三十分後。それに制裁を加えて、生徒会室ではこの世界の成り立ち……『時間樹エト=カ=リファ』の説明が行われた。この広大な分枝空間で『元々の世界』を見つけ出すのは、砂漠に落ちた砂金の粒を見つけ出すより難しいという事も。

 そして、それを解決する手段が『旅団』の本拠地に行けば有るという事が説明された。

 

--…さて、何だかな…?

 

 望や希美がその説明に聴き入る中、空は別の思案に暮れる。

 

--まるでレクリエーションだな。『旅団』の新入団員育成コースッてか?

 望と希美の神剣士としての実力は高い。確かに実戦の回数は他と比べれば見劣りするだろうが……前世が前世だ。その潜在能力は、未知数。更に『北天の剣神』までセットだ。

 

 旅団がどんな組織かは知らないが、それが『正義』を標榜するのならば。

 その三人は、容易に手を貸してしまうだろう。そういう二人だと彼は幼い頃から思い知っているし、そういう人だと一月も掛ければ理解出来る。

 

--……俺みたいな奴にまで手を差し延べたお人よしなんだから。

 

 と、そこで説明が終わる。希美が立ち上がり、皆に珈琲を配っていた。望や沙月は、自然にそれを飲んだのだが。

 ソルラスカとタリア、カティマの異世界組はその黒い液体を簡単には口に入れようとしなかった。始めて飲む液体に、期待と不安を寄せているのだろう。

 

「座標軸についての解説はあれで良かったかしら?」

「……分かった、望ちゃん?」

「……何と無くは。空は?」

 

 講師役の沙月が周囲を見渡したが、答える声は頼り無い。まあ、一回でいきなりこのような難解な式を理解しろという方が無理なのだが。

 呼び掛けに口許まで寄せていたカップを止め、空が口を開く。

 

「理解はしてる。でも改めて知りたい事が有る。『旅団』の--」

「「ングッ!!?」」

 

 と、そこにくぐもった声が響く。いかにも『苦いっ!』といった具合に口を真一文字に結んでいるカティマとタリアの呻きだ。

 だが、それはまだいい。未知の黒い液体に警戒して、少量しか口にしなかった為に我慢が効いた。問題は、負けず嫌いの彼--

 

「ぶふーーーーーッ!」

「ぅ熱ッちゃあぁぁぁぁっっ! 目が、目がァァァッ!」

 

 一気にカップの半分近くを口に含んだソルラスカは、案の定その全てを噴き出したのだ。隣の席に座っている空に向けて。

 

「オイィッ、何してくれんだ! まだ一口も飲んでねェんだぞ!」

 

 今し飲もうとしていた珈琲に彼の噴き出した飛沫が入ってしまい、空にはもう手が付けられない。折角、希美が淹れてくれた珈琲を無駄にされてしまって憤慨する。

 

「悪かったな、俺のやるよ」

「厄介払いだろうがよ! そして何より張本人のテメーから施しは受けねェェッ!」

「あらら、希美ちゃん、砂糖とか入れた?」

「あぅ、ミルクを忘れてました」

「あー、それはキツいかもな」

 

 申し訳なさそうな顔をする希美、それを慰める望。口をシバシバさせているカティマとタリアに、騒ぐ空とソルラスカ。暫し会議は遅延する事となる……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 結局、会議は『出たとこ勝負』で決着した。希美の『出た所が、一面の海とかは嫌ですよ』という言葉にも、沙月の弁に因るならば『ものべーには、優秀なソナーというか世界探知器が搭載されてるから、いきなり土の壁とか海の中ってのは無いと思う』との事。

 

 そんなこんなでものべーに座標を教える為に、沙月と希美は別の部屋に向かって行った。途中沙月やタリアが顔を赤くしていた理由は……空には判らなかった。

 暫くすると、その二人を付けて行ったレーメが何故かふらふらになって帰還した。

 

 【幽冥】を砂場に放置したままの空には現状『精密索敵』も無いので、何が起きたのかは解らない。しかも、他の神剣士とは違って手元に召喚したり等というお得な事も出来ない。

 持って来ておくべきだったと、割と本心から後悔した。

 

「さぁ、次の分枝世界にゴー!!」

「わたしの、わたしのファースト……始めては望ちゃんに……」

 

 戻って来た沙月は妙に艶々と、希美は妙に鬱々としていた。希美が何を言っているのかはちっとも聞き取れなかったのだが、望が声を掛けても反応が薄い。

 

 と、唐突に顔を上げて、希美は叫んだ。

 

「先輩のバカーーーー!!!!」

「「「「「「うわぁぁぁぁっ!!?!」」」」」」

 

 途端に学園を烈震が襲い、周囲が真っ暗になる。持ち主の激情に反応したものべーが凄まじい勢いで前進して起こした過重力に耐えられず、望達はゴロゴロと部屋を転がった。

 そして一点に集められると全員で身を寄せ合い、嵐が過ぎ去るのを待つばかり……。

 

 閃光が視界を覆い轟音が響き、ものべーは世界の境界を抜けた。まさに一変した世界。

 まるで水の中に居るような空、浮かぶ無数の太陽は幻灯のように揺らめいている。

 

「--またか……」

 

 恐らくは一番最初にそれを確認した空は、頭を抱えた。

 

「どうしたのですか、巽……っ!? これは……」

 

 続き、窓の外を眺めたカティマも絶句する。それもそうだ、何故なら--

 

「どうしたんだよ、空、カティマ……うっ!!」

 

 そして望も、窓の外の光景に目を瞬かせた。眼下一面に広がる、剣の世界を上回る密林……いや、最早ジャングルに--

 

 

………………

…………

……

 

 

 やっと痺れが抜けたので保健室を後に、空は水を飲もうと食堂の扉に入る。そして直ぐに、止めておけば良かった、と後悔する。

 

「--巽くん? どうしたの」

「阿川……水飲みに来ただけだよ。そっちこそどうしたんだ、女子で寄り集まって」

「女子会よ、女子会」

「さいですか、邪魔して悪い」

 

 何せ、室内には女子ばかり四人。そこに一人男子が進み入るには結構な胆力を必要とした。

 下手なディフェンススキルより余程強力な守りを根性で突破し、グラスに注いだ水をあおる。

 

「--ッハァ……」

 

 疲れきって熱を持った五臓六腑に、冷たい水が染み入っていく。旨くはないが心地好さにもう一度グラスに水を注ぎ--ふと感じた視線に目を向けた。

 

「……何か、用か?」

 

 好奇に煌めく、四対八つの瞳に気圧される。そこでやっと、女子生徒は皆調理部隊の面々だった事に気付いた。

 

--確か……井之上に白崎、九条だったか。中々美形の三人娘だ。

 

「ううん、大した用じゃ無いけど--どうせなら巽君、お茶飲んでいかない?」

 

 シャギーの入ったセミロングの娘、井之上の言葉に三人が頷く。それに空は、包帯の巻かれた右手をひらりと交わした。

 

「あー……いや、悪いんだけど用があるんで」

「そう……じゃあ単刀直入に」

 

--無理。この空気には耐えられない。免疫皆無だもん俺。

 

 断りを入れて、入れ返された後。そのままグラスの水を煽り--

 

「巽君ってさ、永峰さんの事好きなんでしょ?」

「ンブはーーーーッ!!?」

 

 勢いよく吹き出した水で、七色の虹を掛けた。

 

「うわ、巽君わっかりやすーい」

「典型的ね」

「後掃除しときなよー」

「ゲホッ、エホッ!? な、何の事だか解りませんが何をおっしゃるのかサッパリ」

「巽君の方がね」

 

 クスクスと四人分の忍び笑いが漏れ出す。咳き込みながら、空はしどろもどろに『変』答した。

 

「誤魔化そうとしても駄目だよ、巽くん判り安すぎるもん」

「そうそう、手伝いに来てくれるのも永峰さんに会いたいからなんでしょ?」

「うちらが頼み事した時と、希美ちゃんが頼み事した時じゃ相当な差が有るし」

「うぐっ……」

 

 四対一、圧倒的に不利だ。瞬く間に追い詰められていく。どこか別の世界で、金髪裸コートの変態眼鏡鬼畜男が率いた某フェアリーみたいに一糸乱れぬ連携。

 

「ま、本人には通じてないみたいだけどねぇ」

「だ、だから誤解」

「はいはい、顔真っ赤よ巽」

 

 腰まであるロングヘアーに眼鏡の九条の言葉に、空は戦闘時並に周囲の状況を素早く確認する。

 脱出口は、彼女らの後ろに在る。突っ切らない限り脱出は不能、そしてまさか彼女らを倒す訳にもいかない。

 

--クソッタレ……どうするんだ巽空。今のこの状況と較べれば、アズラサーセなんて天国みたいな状況だったぞ!

 

「な、何が望みだ……」

 

 空は生唾を飲み込み、震える唇を開く。

 

「やだな~、それじゃあたし達が脅迫してるみたいじゃない」

「そ~よそ~よ、私達は応援してあげようと思ってるんだからさ」

 

 対して、あっけらかんと答えた美里とポニーテールの白崎。その言葉は、彼には到底理解出来ないモノ。此処に居るのは、ほとんど面識も無い相手ばかり。美里以外は下の名前すら思い出せない程度の付き合いだ。

 

「……応援? 何で?」

 

 眉をひそめて怪訝そうに問う。空は生まれの所為か、他人をおいそれとは信用しない。『何処かのお人よし』と違って、来るモノは拒むタイプだ。

 

「うっわ~、おもいっきり疑いの眼差し」

「仕方ないけど。折角のぞみんの気を惹く作戦考えてたのに」

「無理強いしても仕方ないしね。諦める?」

「巽が嫌なら仕方ないよ。ただ、私見だけど……現状維持で世刻を上回るのは無理だと思うわね」

「……随分な言いようだな。そこまで言うからには確実なんだろうな」

 

 だが、負け通しの噛ませ狗とて一匹の牡だ。そこまで言われて、おめおめと尻尾は巻けない。

 

「勿論よ。これを見なさい」

 

 徐に美里が取り出した物は一冊の本だ。厚くは無いその本の題は--

 

「これは……『初心者でも出来る! お手軽スイーツ百選』?」

 

 元々の世界では良く有る情報誌だ。勿論、彼はそんなモノ買った事はおろか手に取った事すら無いが。

 

「そう、甘味よ巽くん! 甘い物が嫌いな女の子なんて、この世に居ないわよ!」

「望くんの方はそういうの不得手っぽいし、これでアドバンテージ取るしかないってば!」

 

 勢い込んで語る美里と白崎の声が聞こえているのかいないのか、空はその雑誌を眺め続ける。

 

「…………」

「「「「…………」」」」

 

 その様子を固唾を飲んで見守る少女達。その彼女達の耳に溜息が聞こえて--

 

「な、成る程……その手が有ったかーー!!!」

 

--そう、確か師匠も似たような事言ってたな! 『意中の相手を射止めたいなら、先ず胃袋を掴みなさい』って! 

 そんで、おはぎ食わせて貰って気を遣って『三食これでオッケーです』って言ったら、一ヶ月の間おはぎ生活になった! それ以来俺は甘い物苦手だけど、女の子が言うんだからそうなんだろう!

 

 バッとそれを照明にかざした空に、少女達は表情を綻ばせる。

 

「後は、巽くんの頑張り次第よ。あたし達も協力するから」

「ク……すまん、恩に着る」

 

 四人に一礼し、脱兎の如く走り去る。恐らく自室で研究でもする気なのだろう。

 そして、バタバタと走り去る足音が聞こえなくなった頃。

 

「「「「掛かったーっ!」」」」

 

 食堂には、ガッツポーズを繰り出す少女達の姿が在った。

 

「流石は美里! 伊達に一番長く巽くんと付き合ってないわね!」

「まぁね~。のぞみんを引き合いに出せば、きっと上手くいくって思ってたのよ」

 

 そう、彼女らには強かな計略が在った。確かに応援も嘘ではない、他人の恋路ほど面白い物も無いし、何より--手軽に甘い菓子が食べたかったのだ。

 

 だが、彼女らの計画は早速遅延の憂き目を見る。翌日発見された『大樹』の為に……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その日、物部学園一行は漸く人の棲む場所を見付けた。大きな港を持ち、結構栄えている。しかし『港』ではない、此処は森の中のど真ん中。言うなれば『空港』の立ち位置。

 だがそこはなんと木の上。周囲の木などは較べモノにならない程に巨大で広大な、まるで『世界樹ユグドラシル』だ。

 

「凄いな、とても木の上だなんて思えない」

「だよねぇ……地面も有るし」

 

 木造家屋しかないその町を歩きながら、望と希美は珍しさに辺りを見回す。その二人を背後から監視しつつ周囲の様子に気を配る空とタリアが続く。

 

 現在、この世界の情報を集めるべく行動している。そして、空は剣の世界での実績から情報収集の監督を任されたのだ。

 『二人が良い雰囲気になったら邪魔しなさい。情報の収集なんて二の次で良いから!』と。

 

「空? どうしたんだ、がっくりと肩を落として」

「いや、なんかこう……世の無常を感じてな。頑張れ俺、負けるな俺……」

 

 自身を鼓舞しつつ木の幹や枝に渡された板の橋を渡る、うなだれた少年のうらぶれた背中。その背に--

 

「さっさと行くわよ、暇じゃないんだから」

 

 タリアの氷点下の声が掛かる。

 

「……てか、俺だけで良かったでしょうに。なんで貴女まで?」

「貴方が頼りないからでしょ」

 

 眉根を寄せ、鋭い視線を向けているタリア。それに負けず劣らぬ仏頂面で見返す空。

 因みに外套は纏っていない。武器は【幽冥】とグリップガンを一本のみだ。篭手と脚甲も外し、紅い襟巻きを取ればアオザイにスニーカーという出で立ちだ。

 

「……ムッかつくわー……」

「何か?」

「いえ……」

 

 歩調を速め、四人は歩み行く。気まずそうに寄り添い先頭を歩く望と希美、中程で面倒臭そうに頭を掻きながら周囲に気を配る空、それらを監視するタリア。

 実に纏まりの悪い組み合わせ。だが正直なところを言えば、空とタリアは良く似ている。どちらも理詰めで物事を考えてから、行動を起こすタイプ。

 

 だからだろうか、理解する事の出来ない事柄に関しては徹底的に排除しようという感情が起こる。故の、同族嫌悪。

 こうして、嫌に静かな一行は町の偵察を行っていく……

 

 

………………

…………

……

 

 

 喧騒に包まれた酒場、その角扉を空とタリアは押し開けた。情報収集と言えば酒場、そこに間違いは無い。無いのだが。

 

「昼日中から来るような所じゃあないでしょう、しかも俺らみたいな若輩者が。舐められるだけだと思うんですけど?」

「五月蝿いわね……」

 

 睨みつけるタリアを横目に見て、取り敢えずカウンターを見る。そこでは給仕なのか、不釣り合いに幼い青い髪の少女がいそいそと働いていた。

 どうやら昼は食事処として営業しているようだ。

 

「で、何処にします? 俺はあの隅が良いんですけど」

「言われなくてもそこにするわよ…って、世刻と永峰は?」

 

 言われて振り返ったが、そこに二人の姿は無かった。この酒場に入る際、率先して行き過ぎた為に先にこの二人が酒場に入るような形になったのだ。

 

--しまった、入るのを見届けてから入れば良かったな……。

 

「ちょっと、巽! アンタなんで目を離したのよ!」

「ッて、なんで間髪容れずに俺?! アンタだって気を抜いてたじゃないですか!」

 

 いきなり理不尽に叱られて反論する。そこにまたも気まずそうに、望達が入って来た。

 

「あ、悪い。待たせたか?」

「ごめんなさい、ちょっと怖じ気づいちゃって……」

 

 実に申し訳なさげに謝る二人。ただでさえ、空とタリアの口論で注目を集めていたところに嫌でも視線が集まる。

 

「「「「…………」」」」

 

 それを避けるかのように、四人はそそくさと一番隅の席に着いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 席を離れて行ったタリアと希美を見送ると、空は取り敢えず前を向いた。すると、望とバッチリ目が合った。

 

「そういえば空、お前、酒場とか慣れてるのか?」

「ん? ああ……実はな、バイトでバーテンやってんだ。だから、慣れてるといえば慣れてる」

「へぇ……酒、呑めるのか?」

「嗜むくらいなら。お前は?」

「俺もだ」

「ってもこの世界の金は無いから、今日は我慢しとけ」

「始めから呑む気は無いっての」

 

 頬杖を衝いた望と、背もたれに寄り掛かって足と腕を組んだ空。二人は何とも言えない空気で会話する。実に他愛の無い事ばかりだ。望の頭の上のレーメが退屈そうに欠伸した。

 

「いらっしゃいませ、パスティル亭にようこそ。注文取りに来るの、遅くなってごめんなさい」

 

 そんな二人に掛かった声。先程見た給仕らしい少女。青い髪の、まだ年端もいかない雰囲気だ。

 

「あ、もしかしてお客さん達、別の世界から来ましたか?」

「え、何で解るんだあイテテ!?」

「……どうしてそう思うんです」

 

 その問いに、馬鹿正直に答えた望はレーメによる制裁を受ける。代わり、空が引き継いだ。

 

--つーか、コイツには交渉事は任せておけない。

 

「あたし、レチェレと言います。一度来たお客さんの顔はしっかり覚えられるんです」

「へぇ。で、俺達の顔には見覚えが無いから別世界の人間だろう、と」

「はい、そういう事ですね。このお店に始めて来る人って、大抵は異世界の人ですから」

 

 朗らかに笑う給仕……レチェレに愛想笑いを見せて、空は思考を回す。

 

--そうか、つまりこの世界では異世界人だという事は隠す必要が無い。加えて世界間の交流は結構頻繁そうだ。

 

「という訳で、何を注文します? サービスしますよ」

 

 その手の男ならば、間違いなく勘違いする最高級の営業スマイルが振る舞われる。これなら普通は無理してでも注文したいと思う所だろう。だが--

 

「すいません。俺達、この世界に来たばかりで通貨の持ち合わせが無いんですよ。換金できる場所に行ければ良いんですけど、何処かに在りますかね?」

 

 そう、金が無いのだ。無い袖はどうしたって振れはしない。

 それに彼女は得心がいった表情を見せた。

 

「それじゃ、この店の一番の料理をご馳走しますよ」

「え? いや、だから……」

「気になさらないで下さい。別の世界の人はお金で苦労するから、融通する事にしてるんです。それがこの酒場の主義なんです、勿論ご贔屓にしてくれる事が前提ですけどね」

 

 優しく笑み、得意げに無い胸を反らした。年相応の愛嬌有る仕種に、彼は思わず苦笑してしまう。

 

「少しだけ、時間を頂きますね。いらっしゃいませー!」

 

 別の客の応対に行ったレチェレを見送り、空は視線を前--望に戻す。

 すると望は別の席に着いている、何だか露出過多な紅髪の女性と言葉を交わしていた。

 

(おいおい、また引っ掛けたのかアイツ……)

【くふふ、一級のフラグ建築士は違いますなぁ……旦那はんなんて、さっきのロリ娘はんを明らかなチャンスでもポッとすらさせられへんのに】

(ぶん投げられてェのか、テメー。第一、俺はロリコンじゃねぇ)

 

 『何してんだ、スケコマシ』と言おうとしたところで、話を切り上げられた。

 注意をするタイミングを逸した事で黙り込んだ空の耳に、言葉が聴こえた。背後の席に座っている冒険者風の男達の話だ。

 

「おい、聞いたか? 『魔女』がまた出たってよ……」

 

 その会話内容に耳を澄ます。望も気付いたらしく、黙ってそれを窺っていた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 花摘みから戻ってきた女性二人が席につく。同時に運ばれてきた食事を見て眉根を寄せたのだが、余りに美味しそうなその誘惑には勝てずに皆で平らげた。

 

「御馳走様でした、何から何まですいません」

「いえ、お口に合って幸いです。またいらして下さいね」

 

 食事を終え、彼らはパスティル亭を後にした。それなりに収穫が有ったので、報告に戻ろうと。

 

 収穫とは、先程の話の裏付け。『この世界の人間と精霊の仲は、随分と険悪』という事と、『この世界は付近の分枝世界間を行き来できる群世界』だという事だ。

 この街はウルティルバディアという名前で、市長はロドヴィゴという人物。木の下は下界と呼ばれ、精霊の勢力圏下である事。

 

 ついでに換金場所も教えて貰い、それに空は単独で向かった。

 

「くっくっ……やっぱ金属の価値は全世界共通だな。いやー、財布が厚くて重いのはやっぱり良い」

 

 その左手に、この世界の貨幣が詰まった財布を持って歩く空が、ほくそ笑みながら独りごちる--

 

「やっぱり『元々の世界』の金属の純度が高いから凄い交換レートだったな。俺も今度は小銭持ってくるかな」

「でも、勝手に元々の世界の硬貨を換金してもいいのかなぁ」

「緊急避難って事で勘弁して貰うしかないな。実際コッチは漂流中なんだし」

 

 と、隣から声。独りで行こうとする空を心配して付いてきた望と希美。つまりは、幼馴染み三人が並んで歩いている形だ。来るまでに気になった地点をそれぞれ出し合い、そこに行ってみている。

 

「いらっしゃい、どれも天然石製だよ!」

「わぁ、綺麗……」

 

 時は昼下がり、鄙びた陽射しが降り注いでいた。今、彼らは露店を冷やかしながら歩いている。

 既に用は済んだ身、本来ならば真っ直ぐ帰るべきところ。

 

 だが、言っては悪いがタリアの監視付きで羽を伸ばせなかった。やはり異世界に来ているのだから、少しくらい観光がしたいのだ。故に、気のおけない幼馴染み三人で口裏を合わせた。

 

 装飾品の露店でアクセサリーを眺めたり、手に取ったりしていた希美。その目と手が先程から同じモノを捉えていた。

 

「……それにするか、希美?」

「え?」

 

 それに気付いた空の意を決した言葉に、希美はポカンと口を開く。それ程に、この少年が金を使うところは珍しいのだ。

 

「いやその、希美には随分と……文字通り、助けて貰ったから……その御礼にと思って」

「そんなの気にしなくていいよ、くーちゃん。私達は仲間、ううん……『家族』なんだから」

「--……『家族』……?」

 

 と、希美は微笑んで意味ありげな視線を望に送る。その言葉に、空は呆けたかのように無防備な声を漏らした。

 

「あー……そうだな。家族なんだ、助け合うのは当たり前だろ」

 

 いつぞやの自分が使った言葉を遣われて、望は赤く染まった頬を掻きながらそっぽを向く。

 それに何か、沈思に沈む空。

 

「いや、贈らせてくれ。それなら家族に、誕生日プレゼントをさ」

 

 そして顔を上げた。望に負けず劣らず頬を染めての一言、次いで希美も頬を染めた。

 

「くーちゃん……覚えててくれたんだ」

「ああ、当然……て、まぁ結構前だったけど。剣の世界はそういう雰囲気じゃ無かったから自重したけど……まだ、間に合うかな?」

 

 周囲から状況を窺うような視線。装飾品店の前に頬を染めた年頃の男女三人組が並んでいるのだ、店主はどうしていいか判らずただただ様子を窺っているだけだ。

 だが外野からは『面白いモノが見られるんじゃないか』と視線が集まっている。

 

「……ホントにいいの?」

「勿論! 俺は確かにケチだけど、吝嗇じゃない!」

 

 悩む様子を見せた希美だったが、勢いこんだ空のその言葉に。

 

「ありがとう、くーちゃん。大事にするね」

 

 小さな……本当に小さな、屑石だろうが翡翠の勾玉が嵌められたブローチを選び取った。

 

【……むむ。何やらノゾミと天パがいい雰囲気だぞ、ノゾム?】

(……何で俺に言う? 幼馴染みなんだから贈り物くらいするだろ。俺だって買って置いて有るし)

【……はぁ。一応言っておくが、無くしてからでは遅いぞ。永遠に続くモノなど、何処にも無いのだからな】

 

 レーメとの念話に、少し憮然として答えた望。その視線の先には、贈り物にはにかんで笑う希美とその笑顔に照れて頭を掻く空。

 

「あ……そうだ。わたしに贈り物したなら、ポゥちゃんにも贈り物しないとダメだよ?」

「あー……確かに。でも何がいいんだろうな、ポゥの趣味といえば本だけど」

「心を篭めて選んだモノだったら、きっと喜んでくれるよ」

 

 それは取り戻したかった日常の一コマだった筈だった。幼き日、まだ沙月や絶と知り合う前の日々と同じ……だというのに。

 

(……あれ?)

 

 何故だろう、彼にはそれが--遠く霞んで見えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 夕食が終わって、自室に戻る道すがら。腹ごなしに少し散歩する事にしていた空は、庭のトネリコの木に背を持たせかけた。

 夕焼けに染まる天、夕闇の迫る地。見事なコントラストの天地を涼やかな風が吹き抜けていく。

 

「…………」

 

 目を閉じ、それを肌で感じる。瞼を透して染み入る朱--

 

『……温いな。温過ぎるんだよ、テメェは……!』

(なんだよ、久し振りじゃねェか『オレ』? 引き篭るのにはもう飽き--ッ!?)

 

 その朱が毒々しいまでの『紅』に換わる。それはそう--久しく出て来なかった『自分』。

 

『楽しかったか、トモダチゴッコは? 忘れたか、あの憎しみを? 許すのか、奴を……!』

「--ッ! --ッ!?」

 

 ギリギリと脳髄を直接握り絞られるかのような激痛。呼吸すらもままならず、ただ詰めた息を繰り返すだけ。

 

『殺せ……奴を殺せ! 破壊神、ジルオル=セドカの転生体を!! 前の世界ではお前の好きにさせてやった、次は俺の番……等価交換だ!』

 

 押し寄せる『紅い闇』。質量を持つ、可視の憎悪。馴染みの有るそれは神世の古に有していた神名『触穢』--

 

--莫迦な……! コイツ、いつの間にここまで回復を……!!

 

『もう一度言ってみろよ、『俺』? 『俺の手で貴様を撃つ』ッてよォ!』

「……カッ、は……!」

 

 永遠神剣や神名の持つ強制力は味わった者にしか理解出来まい。それは努力でどうこう出来る苦痛ではない。心を蹂躙される、その痛苦は。

 

--コイツなら、遣る。俺を喰い潰すだろう。どんな方法を使ったかは解らないが、コイツは神名を取り戻したんだ……! ならば、もう殺せる。『俺』を……!

 

『くく……クハハハハハッ!!』

 

 哄笑が、響く。彼の耳にのみ。耳障りな鴉の鳴き声に似たソレ。

 

--消える……のか?

 

 『紅い闇』に染まりつつある、己自身を感じながら。

 

--消える……?

 

 徐々に、『過去』に浸蝕されていく己自身を感じながら。

 

--消え……て……

 

「たまるかよ……消えてたまるかァァァッ!!!」

 

 心に作用する『強制力』を断ち切るなど、只の人間には出来ない。そんな事が出来るとするならば、きっと『選ばれたヒーロー』か何かだろう。

 少なくとも空は前者、才は無い。強制力を止めるには、『強制力を送る存在』が止めるに足る理由を提示しなければならない。

 

 だから--己自身のコメカミに、【幽冥】を衝き付けた。

 

 ピタリと浸蝕が止まる。漸く、息をついた。

 

『……撃てよ。そして幕を引け、テメェの人生に』

 

 そして、嘲笑う。紅い闇の彼方から、無数の鴉の鳴き声。

 

『出来る訳ねェよな、『オレ』を否定したお前はこれきり。なら、死ねる訳がねェ。違うか?』

「…………」

 

--ああ、そうだな。その通りだ、『オレ』。お前の言う事は一々、俺の本心だ。

 

『そんなの気にしなくていいよ、くーちゃん。私達は仲間、ううん……『家族』なんだから』

『あー……そうだな。家族なんだ、助け合うのは当たり前だろ』

「--ハ」

 

--確かに、温い。温い言葉だ。

 

 つい先程の光景。日盛りの中で交わした言葉。その、温かな--

 

「終わりなのは、『俺』だけじゃねェだろ『オレ』? カラ銃は、俺が死ねば間違い無く食い尽くすぜ? 俺も、お前もな」

『…………』

 

 黙り込んだ『自分』に、ニタリと口角を吊り上げる。

 

「選べよ。何を成す事も無く此処で消え去るか、少し堪えて願いを成就するか……さぁ!」

 

 攻守が、入れ替わる。『自分』とて解っているのだ、【幽冥】がどんなモノか。

 かつて『神威の簒奪者』と唾棄したそれが、神でも立ち向かう事が困難なモノである事を。

 

『流石に『オレ』の転生体だな。良く口が廻るぜ、クソッタレ』

「好き好んで成ったんじゃねェよ、クソッタレ」

 

 そして互いに毒を吐く。互いに、混じり気無しの憎悪を篭めて。

 

『解った……今は主導権を預けておいてやる。精々、見限られないように気をつけるんだな』

 

 圧力が……『紅い闇』が薄れて消える。心を圧迫する苦痛も。

 

『ソレを手放した時が、テメェの終わりの時だぜ。愉しみだなぁ、ハハハハハ……』

 

 全てが終わった後、目を開ける。辺りは色の濃い暗闇に包まれている。これ程に安らぐ闇を、彼は初めて感じた。

 

「……ハ、全く」

 

 苦笑が漏れる。漏らさなければ、やっていられない。

 

【くふふ……『転生体』って奴も、色々大変どすなぁ】

「…………」

 

 そんな内部抗争をごく至近距離で見ていた【幽冥】は、ケラケラと茶化すように笑っていた。

 元より利害のみで結び付く間柄、その程度のものだ。剣の世界の戦争を駆け抜けたところで『絆』など生まれようも無い。

 

--内には前世、外には【幽冥】。正しく内憂外患か。手札は最悪の道化一組、やってらんねぇぜ。

 

 気怠げに立ち上がると、視線を上げた。視線の先には見事な半月。その、穢れの無い煌めきを浴びながら……空は自室を目指した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 翌日、ぞろぞろと早苗の先導の下に学生が校舎を後にしていく。第一陣として選ばれた生徒達が、ウルティルバディアで羽を伸ばす為だ。

 しかし、その為には先立つモノが要る。では、どうやって通貨を得るか。

 

 答えは単純だ、神剣士の特権を使う事にした。永遠神剣……この力を『傭兵』として使い、報酬を得ようと。

 

 その為の下見として、神剣組は『大樹』の根元に降りてきていた。因みにクリスト達は学園の警備に残っている。

 

「……望くん。『鬱蒼』って漢字で書ける?」

「今なら書ける気がします」

 

 そんな悪口も口を衝こう、正に原生林。アマゾンも真っ青と言う具合の大木ばかり。

 獣道すら見つかるかどうかだ。

 

「--ハァ、フゥ……」

 

 そんな一行の最後尾に空の姿。ライフルとPDWに各マガジン、RPG、更に【夜燭】が担がれている。

 

「巽……やはり【夜燭】は置いてきた方が良かったのでは?」

「……ハフ、いえ、このくらい何でも……ゼェ、ハァ」

 

 またもや強がる。だがしかし、誰がどう見てもそれは死重量以外の何モノでも無い。

 本来の彼の持ち味は奇襲。だというのに動く事すらままならない量の武器を持っていては素も子も無い。

 

「契約をすれば一発解決じゃないの。戦力補強にも成って一石二鳥だっていうのに」

「ほ、放っといてください……俺の勝手でしょうが」

 

 わざわざ隣に移動して来てまで厭味を言う沙月に、反駁する空。望は苦笑いしながら並び歩む。

 

「もし迷ったら命取りだな--」

 

 そのまま巨木を見上げた視界の端に何かが素早く動いたのを、彼は見逃さなかった。

 

「--見つけたぞっ!!」

「うわっ!?」

 

 飛び出したその影に、望は反応した。鋭い蹴りをスレスレで回避した。その勢いが次に狙うのは、その先の空。

 だが、【幽冥】の探知はマナの反応を漏らしはしない。それは、予見していた。だから--驚愕に目を見開いた。

 

「んごフェあぁぁーーーッ!?!」

 

 避けられなかった。沙月と口争を繰り広げていた空は、その沙月に肉の盾代わりにされて。

 独特な形の靴が顔面に減り込む。蹴り飛ばされて装備をポロポロ落として、空は草叢に突っ込んでいった。

 

「--ちぃっ! 外したか……」

「いや、おもくそ命中してね?」

 

 吐き捨てるように言ったその娘。白妙に緋袴を腰布のように巻き黒髪を一つに結わえた、彼ら一行と歳の頃はそう変わらない少女。

 

「お前が『災いをもたらすもの』だな! この世界を好きにはさせないぞっ!」

 

 ソルラスカの呟きなどは耳にも入っていない。彼女はただ視線の先--沙月を、睨みつけている。

 

「わ、私……?」

「そうだっ、このボクが来たからには……悪は必ず潰える!」

 

 呆気に取られている沙月だが、少女の方はお構い無し。その豊満な胸を反らして得意げに語る。

 

「先輩、下がって下さい!」

 

 そんな沙月を護るべく【黎明】を携えた望が進み出る。

 少女は、それを見て身構えると跳び退いた。

 

「あれ……この感じ……ハッ! 分かったぞ、そっちは子分だな! 子分を身代わりにしてたなんて……卑怯者め、隠れてないで正々堂々と勝負しろ!」

「タリア、俺、頭が悪いからよく分からねーんだけど……アイツは何を言ってるんだ?」

「異世界の言語か何かじゃない」

「というより、不意打ちしてきておいて卑怯者呼ばわりって……」

 

 勝手に一人で納得して、一人で盛り上がる少女に周囲から不審な目が向けられた。そんな中、その声は響く。

 

「--ボクの名前はルプトナ! 精霊の娘、永遠神剣第六位『揺籃のルプトナ』だっ!! ジルオル、覚悟しろっ!!」

 

 望をビシリと指差し、彼女--ルプトナは突撃した--!!

 

 ルプトナが【揺籃】で見舞う、水の刃を纏う三発連続の後ろ回し蹴り『レインランサー』を、望の『オーラシールド』が受け止める。が、盾が受けられたのは二発目まで、最後の一撃は【黎明】本体で受け止めて競り合う。

 

「--この靴……永遠神剣だぞ、ノゾム!」

「分かってる……!」

 

 その靴底には水色をした精霊光。破壊力を増す為に、水流の刃が纏われている。

 受け止めた望と睨み合っているルプトナ。その顔が、キッと鋭く絞られた。

 

「ちっ! ボクのランサーを凌ぐなんて……やるな、ジルオル!」

「--ジルオル? 俺は、世刻望だッ!」

 

 跳ね飛ばすと同時に踏み込む。その一瞬の間にもルプトナは木々の隙間を、縦横無尽に跳ね回っていた。

 

「ああもうっ、ちょこまかと!」

 

 【光輝】を短刀に変えて投擲していた沙月だったが、未だ命中弾は無い。それ以外の神剣士に至っては、速度と変則的な動きに翻弄されて目で追う事もやっとである。

 

「この闘い方……流石に土地勘が有るらしいな!」

「当然でしょ、アッチにとってはホームグラウンドなんだから!」

 

 【疾風】を回転させて、電気を纏う刺突『フューリー』を見舞うタリア。だがそれは、草叢を薙ぎ払っただけだ。

 

「遅いよっ! いくぞ、ルプトナァァァ……」

 

 その隙に、ルプトナはダンッと枝から跳ね跳ぶ。そして--

 

「--キィィィィッック!」

 

 靴底に纏う水流は氷に変じて、鏃となった。その必殺の一閃は、寸分の狂い無く望に向かう--!

 

「レーメ!」

「おうっ!」

 

 だが、それこそ望む処。追えば捉えられないが、相手が向かって来るなら捉えられる。

 金色のガントレットに包まれた右の拳で持った、双児剣の一方に濃密な精霊光が纏わり付く。更にその場で一回転して、遠心力すら味方に付けた。

 

「真っ直ぐに、貫く--オーバードライブッ!」

 

 衝き出された破壊の剣と氷の槍が、激突する--!!

 

 まるで、ダイヤモンドダストのように。澄んだ音を立てて、氷片が舞い散る。

 

「--くッ!」

「--っあ!」

 

 後方に飛ばされつつも踏ん張る望、間一髪で貫かれた氷の中から脱出したルプトナ。その周囲を、神剣士達が取り囲んだ。

 

「くっ、流石は『災いをもたらすもの』ジルオル改めノゾム、強い! だけど、次だ! 次は倒してみせるからなっ!」

 

 だが、彼女は驚くべき跳躍力でその囲みを脱した。近場の木の枝に乗ると--

 

「覚えてろーーっ!!!」

 

 指差し、捨て台詞を吐く。枝のしなりを利用して勢いに乗り、そのまま木々の合間に姿を消していった。

 それを見送り、神剣士達は構えを解いた。

 

「……身軽な奴だな。そういや、巽の奴も最初は木から降ってきたんだっけ」

「何とかと煙は高いところに昇るっていうしね……って」

 

 そして、思い出した。物の見事に吹っ飛ばされていた、その少年の存在を。

 

「心配しなくても大丈夫よ」

「先輩、幾らなんでも……」

 

 反駁しようとした望だが、機先を制した沙月の指先が件の少年が突っ込んだ草叢を指す。

 そこには--無かったのだ。彼の落とした様々なモノは有るが、空自身の姿が。

 

「……追跡しているようですね」

「まぁ、こういう抜け目の無い処は流石としか言えないわね」

 

 近くの苔蒸した地面に、足跡が残っている。一直線に、ルプトナが去って行った方へ向いていた。

 

 

………………

…………

……

 

 

「--ハァ、ハァ……!」

 

 枝の上を翔けて行くその後ろ姿を、彼は知っている。

 

「--ハァ、ハァ、ハァッ!!」

 

--見間違える筈が無いだろう。見間違えて堪るか、奴は--!!

 

「--見付けた。遂に見付けたぞ……!」

 

 思わず叫びだしそうになるのを堪え込み、追跡に専念する。自分の役目は、本拠地の探り出しだ。

 

『--殺せ……!』

 

 そんな事は判っている。だが、その姿が呼び起こすのだ。

 望--ジルオル=セドカを前にした時より強烈な敵意を。

 

『--判ってるだろう。奴は敵、ジルオルとは違うんだ。何の問題も無く……殺せる!さぁ、殺せ、殺せ殺せ!』

「殺す……殺してやる……!」

 

 神世の記憶、深紅の憎悪を。

 

【旦那はん、落ち着きなんし!】

「--ッ」

 

 鋭い叱責の言葉を受けて、紅い闇に包まれつつあった思考が鮮明となる。そして気付いた。自身が既に【幽冥】を番えていた事に。

 

(……クソッタレ。テメェに落ち着けなんて言われるのは、この上なく癪だな)

【うわー、差別どすわ差別~】

 

 どうにか憎悪を抑え込む。容易な事ではないが、この程度の感情如きは今まで彼が堪えてきた屈辱と比べればどうという事はない。

 

【それに--血気に逸ってあんな上玉のマナを持つ娘っ子と、始源の器から零れ落ちた神酒みたいな神剣を喰い損なうなんて契約解除ものどすから。くふふふふ……】

 

「ハ……なんだよ、結局はお前も逸ってんじゃ--……ッ!?」

 

 と、ルプトナが立ち止まった。同時に空も止まり、木の影に身を隠す。

 スクッと立ち上がるルプトナ。その足元、彼女の永遠神剣が青く煌めき--

 

「--じっちゃぁぁぁんっ!!」

「--オォォォォォッ!!!」

 

 第六位神剣【揺籃】の守護神獣『リヴァイアサン・海神』を現出させた。

 

 天の蓋が抜けたような豪雨の中、樹上からルプトナは見渡した。この雨は、召喚した海神が頭上に向けて撃ち上げた水の塊が空中で解けたモノ。

 一瞬で止んだが、それで十分。濡れて張り付く艶やかな濡れ羽烏の髪を流すと、その視線は一点を捉えた。

 

「ふっふーんだ、ボクの後を付けようなんて一億年早いっ!!」

 

 一本の木。その木の陰に向けて、得意げに指差して叫ぶ。

 

「……成る程、少しは考えが廻るみたいだな」

 

 木の陰から歩み出た、黒い外套のフードを右手で引っ張り、深く被せている男。黒羅紗の外套には高い撥水性が有るらしく、大量の水を尽く弾いている。

 

【くふふ……マナを溶かした雨で形状感知どすか。確かにそれなら、気配を消しても見付かりあんす。しかし確信無しで出来んせん、どこで気取られたんどすやろ?】

 

 その左の手に握られた暗殺拳銃【幽冥】は燧石を濡らさないよう、気取られないように外套の中に納められていた。

 

「ボクの勘が、お前はジルオルの仲間だって言ってる! 語る言葉なんて無いっ!」

 

 返った言葉。それに揃って沈黙する空と【幽冥】。フードの奥の空の琥珀の三白眼が炯々と輝いた。それに【幽冥】は『あちゃあ』と思念を漏らす。

 

「『ジルオルの仲間』……?」

 

 冷徹な声。冷徹ながら地獄の炎を思わせるそれは、今までずっと抑え続けてきたジルオルに対する感情。望を前にする度に感じ続け、それでも必死に抑え付けてきた感情だった。

 だがもう、抑えが利かない。望だけではない。目の前にいるその少女は、彼にとってはもう一人の--絶対に、赦すべからざる者。

 

「グルルゥ……!」

 

 先に気付いたのは海神の方だ。彼の眼差しは、最早明確な殺意と言っていい。

 

「どうしたのさ、じっちゃん! こんな奴くらい、一発でやっつけちゃうよ!」

 

 だがルプトナはまだ気付かない。彼が、神世でも有数の悪性の神であった事。そしてその身に宿す鷹の如く隠す爪と、蠍の如き猛毒を。

 

「……そうだな。最近は、随分と温くなってたしな。だったら悪人は悪人らしく振る舞ってやるとも、御望み通り--」

 

 雨が止んだ事を確認してフードから手を離すと、そのままの勢いで肩に掛けていた銃を番えた。

 決殺の一撃とする為に秘匿しておく切り札【幽冥】の代わりに、スピンローディングで目立たせたレバーアクションライフルを突き付けて威圧する。

 

「撃ち抜く!」

 

 宣言すれば、【幽冥】の発する赤黒の毒々しい精霊光……彼岸花を思わせる『デリュージョン』が花開く。彼の神名を混ぜ、オーラや地形等の敵対する者にプラスとなる効果『のみ』をマイナスへと改悪するオーラを。

 漆黒の煌めきに照らされながら向けた、施条の確認できる銃口。

 

「征くぞ--『ナルカナ』ッ!!」

 

 その彼方に立つルプトナを照星に捉らえて--彼は怨み募るその名を吐き捨てた。

 


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