サン=サーラ...   作:ドラケン

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新たなる風 船出の朝

--……甘い香りに目を覚ますとそこは青い空と、見渡す限り一面の花の海だった。

 

『……ししょうの……ときみさんのしわざだ。まちがいねぇ』

 

 それに幼く舌っ足らずながら口と目付きの悪い、だが利発そうな少年の声が響いた。溜息混じりに呟き、寝巻のまま見た事も無い花の褥に横たえていた体を起こす。

 

--何せ、今回が始めてじゃないしな。始めは近くの森、次は少し遠くの山の中とか。

 ったく……確かに名前は似てるけども、俺はどこぞの地上最強の巨凶《オーガ》の息子じゃねーっての。

 

 辺りを見回して、迷わず首謀者だと断じた相手の姿を探す。が、辺りには他の人影は無かった。

 その代わりというのもおかしな話だが、すぐ脇には鞘に収まった護身用の脇差し……実は国宝級の価値がある青江の脇差しが無造作に転がされている。

 

『はぁ……また、なげっぱなしのしゅぎょうか。ほんと、ししょうにもこまったもんだぜ。そんなんだからケッコンどころかコイビトのひとりもできないし、ハツコイの『そうゆーと』とかいうのにもあいてにされないんだよ』

 

 物心ついたかどうかも怪しい年でありながらも、慣れた手つきで脇差しを腰帯に挿したくりくりとしたアンバーの瞳と癖毛の金髪の少年はやけに老成した物言い。

 浅葱色の長襦袢の袖内から腕を抜いて中で腕を組み、到底本人には聞かせられない文句を口にして唇を尖らせて柔らかな草叢を踏みながら、何か手掛かりが無いかを探し始めた。

 

--……まぁ神社での娯楽なんて、古文書とか祝詞や神楽。良くて時代小説くらいだったしな。この古風な考え方とか口癖を抜くのに、随分と苦労したもんだ。

 

 先程と同じく補足を入れたのはこの映像……『回想』を見ている『現在』の空の意識。

 同一の視点でありながらも独立した思考が出来る辺り、明晰夢という物のようだった。

 

『しかし……どこだろう、ここ。たしか、にほんはふゆだったから……まさか、ガイコクかな?』

 

 そんな不安が沸き上がるくらい、見た事の無い景色。辛うじて、明るくて暖かい事が彼の心に幾許かの落ち着きを与えていた。

 

『はぁ……ときみさーん、どこにいるんですかー!』

 

 だが、やはり幼児は幼児。不安に、無意味だとは知っていながら最後の呼び掛けをして--

 

『え、ときみさん? どこどこー、ときみさんどこにいるのー?』

『……は?』

 

 背後から聞こえた、自分よりも更に幼くて舌っ足らずな幼女の声を受けて振り返ったのだった--

 

 

………………

…………

……

 

 

 最初に目に入ったのは、天井の白いタイルと蛍光灯の白い光。

 

「……ぐ、あ……!」

 

 身を起こす。それだけの作業で、死にたくなるような程の苦痛が全身を襲った。

 

「上手く……死に損なったみたいだな、俺……」

 

 胸に手を当てる。焼けるような熱を持っているそこは、包帯でがんじがらめにしてある。また特大の継ぎ接ぎが増えた事だろう。

 琥珀色の三白眼を揺らしつつ、溜息を零しながら己の髪を梳く。

 

「……ぬ、目を覚ましたか天パ」

 

 頭の横から声。ベッドの脇の棚に座り、剥かれた林檎をかじっているレーメだ。

 

「ジャリ天か……あれから、どれくらい経った?」

「五日だ。全く、ノゾミとポゥに感謝するのだぞ? ほとんど寝ずに、ずっと治癒魔法を掛け続けていたのだからな。この鉄砲弾め」

 

 モソモソと動きながら問う空に、レーメは多分に怒りを載せた声で応えた。

 

「……そうか」

 

 足元の椅子に座り寝息を立てている少女達が目に入る。ショートの黒髪の彼女は希美、その希美の膝の上で眠る緑色をした透徹城に収まったクリスト=ポゥ。

 

--やれやれ、これは本当にもう死ぬまで頭が上がらないな……。

 

「……有難う、二人とも……」

 

 心からそう呟き、彼はゆっくりと手を伸ばす。

 

「あ、こら天パ、返すのだっ!」

「おいおい静かにしろよ、二人が目ェ覚ますだろうが。第一これは、俺んだ」

 

 ベッド脇に置かれた皿、さっきからレーメがかじっている林檎の置かれた皿に。

 林檎に刺してある爪楊枝を摘むと、それを口に運ぶ。

 

「相変わらず頭に来る奴……おぉ、忘れるところだった。サツキに知らせてくるとするか」

 

 そこでレーメは思い出したように飛び立ち、半開きになっていた扉から出て行った。

 

【お目覚めどすか、旦那はん】

「……ん……」

 

 と、唐突に【幽冥】より思考が接続された。

 

【くふふ……いやぁ、そういう事どすかぁ。旦那はんもお人が悪ぅござりあんすな、そうならそうと言ってくれればようござりあんすのにぃ。さすが、わっちが選んだ契約者どすわ】

(はぁ? 何だいきなり、気持ち悪い)

 

 気の所為か、かなり機嫌が良さそうな。

 

【謙遜しはってぇ。旦那はんは、ダークフォトン使いやったんどすなぁ……そりゃあオーラフォトンを使うのが下手な訳どすわ】

(『ダークフォトン』?)

 

 取り上げた林檎をかじっていた空は、皿を置いて【幽冥】に目を向けた。

 

【ダークフォトンってぇのはぁ、オーラフォトンの対みたいなモンどす。起源は同じマナどすけど、言わばプラスとマイナス。オーラやオーラフォトンを中和する性質を持っとるんどすわ】

(へぇ……そうなのか)

【そうなのかってぇ、旦那はんの能力どすえ。前世とやらの神剣はダークフォトン系だったんどすか? 中々に稀有な神剣どすなぁ】

(いや、違うけど?)

【……へ?】

 

 あっさり否定すれば【幽冥】は呆気に取られたような声……思考に声と表すのも変な話だが……を漏らした。

 

【成る程、つまりそれは旦那はんの潜在的な能力っつう訳どすか。珍しい訳でも無いか、“法皇”が効率的な世界破壊のテストベッドとして設置した浮き世界の中でも、来訪者と現地民の間に生まれた混血が神剣無しでもマナを扱ったとか『あの女』も言うとったしな……】

(あぁ? 何をぶつくさ独り言を言ってやがんだよ)

 

 急に思案に沈んだ【幽冥】へと語り掛けるも、相手にされない。

 

(……と、そういえば【夜燭】はどうしたんだ?)

【ああ……あれなら庭園に刺したままどす。そうどすな、そろそろ『喰らい』に行きましょかぁ】

 

 無視されたままなのも癪に触るので、話題を変えてみれば効果は覿面だった。眠っている少女達を起こさぬようにベッドから出ると、多少ふらつきながらもなんとか立ち上がる。

 ここまで鍛えてきたからなのか、前回よりも酷い傷にも関わらず結構しっかりした足取りだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 宵の街。グルン=ドレアス制圧からはもう六日経っているのだが、未だに解放の興奮は覚めやらぬらしく街は活気に溢れている。

 壊れた施設の修復等は後回し。道に溢れた人々は酒を浴びながら新たな王名を讃える。『カティマ=アイギアス女王陛下万歳』と。

 

 後二日は、この祭じみた祭宴は続くのではないだろうか。

 

 その人の波を縫うように、黒い外套を纏う男が歩く。そう、巽空その人。彼は、他の天使とは違い余り顔を知られていない。

 故にこうして大きな通りを堂々歩いても気に留められる事も無いらしい。

 

【くふふ、色街みたいな馬鹿騒ぎどすな。これはこれで死出の旅路の手向けのようでぇ。【夜燭】を喰らう前座としては及第点どす】

 

 と、【幽冥】がへらへらと声を掛けて来る。空はそれに、ただ前を見詰めて。

 

(--はぁ? トチ狂ってんじゃねェよカラ銃。アレは俺のモンだ。テメェに喰わせる義理は無ェ)

 

 事もなげに言い放たれた、その言葉。それに【幽冥】からの思念が一瞬止まった。しかし、すぐに続きが流れ込んで来る。

 

【……旦那はん旦那はん、何トチ狂ってますのん? 契約をお忘れどすかぁ、この【幽冥】によって得た永遠神剣その他は全部わっちのモンどすぇ? それとも契約を破るお積りで?」

 

 物分かりの悪い子供に諭すかのような。それでいて氷点を下回る、温度の無い声色。それに空は、口角を吊り上げて嗤う。

 

「そりゃあそうだ。だが【夜燭】はテメェで倒して奪ったモンじゃねェよな? なんせ--ライフルと『触穢』でダラバを倒して、俺に譲られたモノだろ?」

「--……!!」

 

 その言葉と全く同時に【幽冥】から赤黒い精霊光が漏れ出す。

 陽炎の如く立ち上る漆黒の霧。空間すら喰らう悪逆の翳り、遍く幻実を貪る『穢れ』そのもの。

 

「どうした、喰わねェのかよ」

「…………」

「喰うんなら一撃で決めろよ? 殺す時は一撃で殺さなきゃ反撃が来るぜ? 追い詰められりゃ、鼠だって猫を噛むんだからな……」

 

 もしも有ったのならば、ギリリと【幽冥】の歯が鳴った事だろう。全く動じないその少年の不遜な態度に、猛禽類の眼をした少年の外套の下の【幽冥】はただ精霊光を漏らすのみ。

 

 そして--

 

「……く、ふふ……よござんす、今回はわっちの負けで我慢します……けどぉ……」

 

 この男の性能と、他に契約者を探す手間を比べて。ピエロの如くおどけた物言いをして、【幽冥】はその精霊光を納めた。

 

「--覚えときなんし……二度目は有らしませんぇ」

 

 ただ、その呪い殺さんばかりに憎悪を篭めた思念。性質の悪い、爬虫類を思わせるそれを隠さずに空にぶつけて。

 

「……失望させんなよ。俺の相方なら安い捨て台詞なんざ吐くな」

 

 それにすら不遜な視線と軽口を返した空に舌打ちし、【幽冥】の意識は埒外に霞んでいった。

 

「……さて、本番はこれからか」

 

 呟いて見上げる城郭。彼は外套のフードを被り、腹に力を込めてダークフォトンを発揮した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 深遠に沈んだ、庭園の真ん中。夜の風に吹かれる望月の白い虹を浴びて、【夜燭】は黒耀石めいた煌めきを返している。

 

「……よぉ、【夜燭】」

 

 その大剣に向けて軽く声を掛け、空は地面に突き立った刃に迷う事無く歩み寄った--刹那、雷の獣が顕現した。

 

「……よぉ、レストアス」

 

 その獣に向けても、空は軽く声を掛けたのだった。

 

『------!』

 

 それに判別不能な、雷鳴に似た鳴き声と弾け飛ぶ稲妻で威嚇するレストアス。

 

 認めない。お前が主だなんて、認めない。そう叫ぶかのように。確かに【夜燭】は譲られた。だが、レストアスは譲られていない。つまり、レストアスを手なずけるのはダラバが残した最後の試練という訳だ。

 

「お前の力は、身に染みてる。俺の求める事は単純、お前を傘下に加えたい。ただ、それは魂の誓約じゃなくて利益の追求だ」

『……?』

「俺の求めを受け入れる換わりにお前の求めも受け入れる。つまりは等価交換--」

 

 スッと。差し出された、包帯の巻かれた左手。それを見詰めて、不思議そうに頚と思われる部位を捻るレストアス。三対の金眼が、戸惑っているようにも見えた。

 そんなレストアスに、空は呼び掛け続ける。

 

「--共に来い、レストアス。俺の目的の為にお前の力を遣わせろ。換わりに、お前の目的の為に俺の力を遣わせてやる」

『--……!!』

 

 月下に、炯々と煌めく猛禽類の如き赤い鳶色の三白眼とその傲慢とも言える物言い。だが、それにレストアスは安堵を覚えた。

 確かな寄る辺。何があろうとも揺らがない意志。『確たる自我』を持たないレストアスはその側に居る事で始めて安寧を感じる性質を持つ。持ち主を失った今、その心は際限無い不安に苛まれ続けていたのだろう。

 

 ゆっくりと、掌が伸ばされる。蒼く帯電する雷獣の抱いている刃に向けて。レストアスも、その掌を見詰める。その男は知っている筈だ、もし認められざる者が自分に触れればどうなるかなど。それを知った上で【夜燭《じぶん》】を掴み取る事が出来るのかと。

 

 そして空は---何一つ迷わずにレストアスの躯に触れた。

 冷たい水の感触、しかしサラリとした粘性の無いスライムのようにも思えるレストアスの躯。掌が水分に濡れる事は無い。

 

 遂に、掌が【夜燭】に触れる。柄を握り締め、地から引き抜いて肩に担ぐ。

 

--なんて、重い刃だ。契約していないからというだけでは無い。この刃には、『あの男』の人生が詰まっている。

 その刃を引き継いだ責任は重い。その重さが、この重さ。

 

「--『盟約』は成立。歓迎する、レストアス。立ち塞がる総てを斬り伏せて……共に徃こう」

 

 月下にて交わされたその盟約。白虹に、夜闇に祝福されて。彼は『剣神の刃』と手を携えた。

 

 噴水の縁石に空は腰を降ろす。【夜燭】の凍結片を隣に立て掛け、煙草を取り出す。

 真円の望月を眺めながら紫煙を燻らせると安堵の溜息を吐いた。

 

「……お見事」

「あ……姫さん。どうも失礼してます」

 

 そんな彼に声を掛けたカティマ、その手には【心神】が在った。だが、いつもの鎧姿ではなく落ち着いた色合いの服を着ている。

 

「何やら【心神】が騒ぐので遣って来てみたのですが……佳いモノを見れました」

「……あ~……」

 

 空はバツが悪そうに頭を掻いた。あんなにも小っ恥かしい台詞を吐いたのを人に見られていたのか、と。

 

「しかし巽、どうやって城内に? 見張りを通せば我々に話が来てもいい筈ですが…?」

「ハハ、アサシンを舐めちゃいけませんよ。あのくらいなら手負いでも潜り抜けられます」

「そうですか。警備体制を見直す必要が有りますね。次は捕らえて見せましょう」

 

 他愛もない(?)会話。だが、それももう少しのモノかと。少しだけ感傷を覚えた。

 暴君ダラバが討たれて、黒幕のエヴォリアが去った今、この世界に彼らが留まる必要は無い。本来ならもう去っていても良い筈。

 物部学園一同がそれを先伸ばしにしたのは、ものべーのマスターである希美に空の傷の治療に専念して貰う為だった。

 

 その手が腰の後側に備える魔弾を入れたウエストバッグを漁る。取り出したのは琥珀色の魔弾……ではなく、飴玉。この世界のモノではなく、元々の世界の品だ。

 

「それは……飴玉ですか? 綺麗ですね……まるで宝石のよう」

「好物なんです。どうぞ」

 

 その飴玉をもう一つ取り出して、カティマに差し出した。包みを解いて含み、頬張る。

 暫くそうして沈黙が続いたが、不意に。

 

「……傷はもう良いのですか?」

「はい、希美とポゥのお陰で」

「皆、心配していたのですよ? 少しは自愛してください」

「うぐ、申し訳ない」

 

 涼しい夜風がそよぐ。銀色の月の煌めきを浴びて美しく靡く、金の髪。既視感を感じつつ、二人は口を開く。

 沈黙が場を支配する。月に群雲が掛かり、大地に深遠が降る。

 

「巽、貴方が目覚めたという事は……行かれてしまうのですね?」

「……はい。明日には準備をして、明後日の朝に発ちます」

「では、最後の機会ですね。無理を承知でお願いします。巽、この世界の未来の為に……この世界に残って頂けませんか」

 

 その下で、静かに静かに言葉が交わされた。それに片膝を衝いて【夜燭】を突き立てた空は、深く頭を垂れて言葉を紡ぐ。

 

「元々、我々は局外者。この世界に干渉するのはルール違反です。ですから……暇乞いに参りました、アイギアス女王陛下」

「…………」

 

 『アイギアス女王陛下』。その言葉に彼女は少しだけ、悲痛な顔をした。今までの彼が使っていた『姫さん』とは違い、それに情は篭っていない。紛う事無き家臣としての物言い。

 だが、彼女は王者だ。臣下が王に謁見したいと申し出たのならば、応えぬ訳にはいかない。毅然とその正面に立ち、【心神】を臣の片口に当て--斬心を示した。

 

「--汝を縛る柵は断ち斬った。これにて、そなたの翼は自由……このような不甲斐無い私に、よく仕えてくれました」

「いえ、私こそ……貴女のような真の王者に仕える事が出来た事を、今生の誉れとします」

 

 更に深く、頭を下げる。最後に【幽冥】を抜いて、その撃鉄を額に当てて仁義を通した。

 

「風の如き貴方には、自由こそが良く似合う……迷わず、その壱志を貫き通しなさい。それが一時の主よりの最後の下知です、神銃士『幽冥のタツミ』」

「承りました、陛下……」

 

『--貴方は何故、戦うのですか■■■■殿?』

『それはその……恥ずかしながら■■■■■■■■■から、です。アルニーネ様』

『そうですか。お互いに道のりは果てしなく遠いようですが、努力致しましょう……私も何れは……あの方に……』

 

 

--刹那、幻視した過去の風景。神世の古に交わした言葉。しかしそれはフィルムの擦り切れた映画のように肝心な部分だけノイズが走っており、思い出せない。俺は……『オレ』は一体、何て答えたんだったか……。

 

「では、これにて。良い夜を」

 

 携帯の時計機能で時間を確認し、立ち上がる。傍らの【夜燭】を担ぎ上げ--

 

「……礼と言っては何ですが……手伝いましょうか、巽?」

「すみません……気合い入れてる時はイケたんですけど……まだ俺、病み上がりでした……」

 

 ……られずに、結局カティマに運んで貰う事になったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 昼下がりの郊外の森の中。普段は静かなその森だが、今は巨大な山……ものべーが鎮座している。そのものべーに向かう、人の列。物資の搬入を行う学生達だ。

 森の拓けた所、その小さな広場に積まれた荷物の山。大分総量を減らしているが、まだ結構な数が残っていた。

 

「--巽殿ですか?」

「--はい? あ、クロムウェイさん」

 

 特に重い食糧品を運ぼうとしていた所を呼び掛けられ、多少間の抜けた返事を返した。

 

「何故貴方が荷運びを? 怪我の方は良いのですか?」

「ハハ……仕様です」

 

 尤もなクロムウェイの言葉に、苦笑して茶を濁す。それで大体を察したのだろう、クロムウェイも苦笑を見せた。

 

「ちゃんと働いてないと、上司にイビられるもので。そう思うと、いっそこの世界に永住しようかな、なんて思いますよ」

「では、陛下の申し出を蹴ったのは惜しい事をしましたね」

「まったくですよ」

 

 これが恐らく、この人と交わす今生で最後の言葉となるだろう。空もクロムウェイもそれが判っていた。だから、今までしなかったような軽口で話す。

 

「あ……そういえば外套を借りたままでした」

「構いません、お持ちください。大した価値など有りませんが、私からのせめてもの御礼です」

 

 それが、同じ主君に仕えて共に戦い抜いた戦友同士の在り方だと感じたからだ。

 

「……解りました。有り難く頂戴します」

 

 頭を下げる。本当に頭の下がる思いだった。彼は、この後のこの世界でもきっと立派な将になる事だろう。

 

「大事に使わせて頂きます、クロムウェイさん」

 

--俺には、到底真似できない。本当に凄い人だ……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 そうやって尽きない名残を振り払い、別れた。その暫く先で、空の目の前にカティマが現れる。

 

「あ、巽……」

「姫さ……陛下。どうして……」

 

 『こんな所に居るんですか?』と聞く前に気付く。クロムウェイと逢った時点で気付くべきだったのだろうが、皆に別れを言った後の帰り道だったのだ。

 だが、様子がおかしい。随分と思い悩んでいるようだ。

 

「巽、一つ宜しいでしょうか」

「は、はい」

 

 決意を篭めた彼女の視線を受け、自然と背筋が伸びた。カティマの両手が空の肩に掛かり--

 

「……難攻不落の城が有ります」

そう、告げた。

 

「…………はぁ、難攻不落」

「はい、難攻不落です。今までに経験したどんな城塞よりも。その攻略法で、巽の知恵を借りたいのですが……」

 

 あまりと言えばあまりに突拍子の無い台詞に、空は面食らう。

 

--さて、どうしたものだろうか。そりゃあまだ北部にはグルン=ドラスに与していた諸侯の勢力が在るというが、その事だろうか?

 

 腕を組んで、その左手の親指を眉間に当てて思考した結果。

 

「それじゃあ、これは俺の世界の昔話なんですけど--……」

 

 静かに提案する。彼は知らない。これが、大変な事態を齎す事を--

 

「成る程……参考に成りました。有難うございます」

「いえ、こんな事でしか役に立てない駄目人間ですから」

「またそんな事を……巽は充分に立派です。まあ、向こう見ずな点と自分一人で全部何とかしようとする点を除けば、ですが」

「耳が痛いです」

 

 ポリポリと癖毛を掻きつつ苦笑する。それに、彼女も微笑んだ。

 

「巽。それでは……また」

 

 『また』と。その言葉に、再度感傷を呼び起こされる。もう二度と逢う事も無い、だからそれは嘘になる。

 

「陛下……『それでは』」

 

 だから、彼はそう告げた。彼の矜持が、ソレを許さなかった。

 

 静かに離れてゆく二人。これが、巽空の『剣の世界』での物語の幕引きだった

 

 

………………

…………

……

 

 

 ものべーが浮上していく。始めは途方にくれたその風景も、こうなれば名残となる。

 皆同じ事を考えているのだろう、窓という窓から幾つもの瞳が、朝陽の昇る世界を見詰めていた。

 

 神剣士達とて同じようなものだ、生徒会室に集結した一同は全員学生服姿だ。望に希美、沙月、空……そして、ソルラスカとタリアも。

 

「なんか妙に騒がしくないか? あ。あれ……アイギアの人達か」

 

 そんな望の呟きに、全員が目を向けた。そこには確かにものべーに向かって駆けて来る大勢の騎士、街の者達の姿。

 

「どれどれ……そうみたいね。馬に乗って追い掛けて来てる…」

 

 かっちりと制服を着た優等生然としたタリアの言う通り、手を振り何かを叫びながらものべーに向かって馬を駆けさせている先頭の騎士達。

 見間違えよう筈も無い、それはヨトハ村から共に戦い続けた姫君の忠臣達だった。

 

「私達にお別れしてくれてるのかな?」

「こっちに向かって叫んでるし、そうじゃないかしら」

「へへ、なんかこそばゆいぜ」

 

 詰め襟の制服を第二ボタンまで寛げた、不良みたいなソルラスカが鼻を掻いた。

 口々に照れと万感の思いを込めた言葉を紡ぐ一同。追い縋る者達はまだ叫び続けているようだが、どんどん遠くなり、やがて--

 

「ああ、見えなくなっちゃった」

 

 希美が漏らした言葉に、全員が何とも言えない溜息を漏らした。恐らくは永遠となるその別れに。

 

「アレって本当に、見送りだったのか?」

「俺も、そう思う。何て言うか、第六感が『悪い事が起きる』って告げてる気がする」

 

 ただ、望と空は納得していないようだったが。

 

 その時、扉が開いた。そこから現れたのは、レーメに率いられたクリスト達。

 

「さて、連れて来たぞ天パ。吾に小間使いの様な真似をさせおって、一体なんだと言うのだ?」

 

 部屋の中央に在るテーブルの上にならぶ。先ずレーメが不服そうに吠えた。

 

「ああ、ちょっと此処ではっきりさせとかなきゃならない事があってな」

 

 それに怜悧な三白眼を向けて、空は棚に置かれたノートを取る。その題名は『食糧帳簿』、それを沙月に渡す。

 不審げにそれを受け取った沙月だったが、中身を確かめるや眉をひそめた。

 

「ちょっと巽くん、何よこれ? 今回の補給が無かったら、真っ赤じゃない。ちゃんと節約しなさいって言ってるでしょ」

「してますよ。してましたよ、今までも。ですけどどうやら『鼠』が居るようでしてね」

「「「「「……鼠?」」」」」

 

 理不尽な怒りを受け、空は不快そうに頭を掻きつつレーメに視線を戻した。それに彼女は、そっぽを向いてぴーぴーと口笛を吹く。

 

「えっと、まさかとは思うけど空……それって」

「ああ、そのまさかだよ担い手の世刻君」

「な、何を言うか! 吾がそんな事をするかっ!」

 

 途端に憤慨するが、望は胡散臭そうに見詰めるだけ。随分良好な信頼関係のようだ。

 

「ならば、証拠を見せてみよ! 吾がやったという、動かしようの無い証拠をな!」

 

 ビシリ、と空を指差して強気に出る。それを受けて空はポケットから、黒い機械を取り出した。

 

『……ふっふっふ、潜入完了だ。天パも換気口を通って侵入できるとは、夢にも思っておらんかったようだな』

「【--!!!?!?」】

 

 それを弄ると、流れ始めた声。刹那に顔色を変えたレーメと--

 

『さてと、それでは何から頂くか……よしワゥ、手を貸すのだ!』

『オッケー! 食っべるぞー!』

【【【【…………】】】】

 

 ワゥだ。ルゥが頭を抑え、ポゥが慌てて、ゼゥが無視し、ミゥがゆっくりとワゥの方を向いた。

 表情は窺えないが、その身からオーラフォトンの煌めきが漏れている。ワゥは震えて泣きそうな顔をしていた。

 

『うーむ、この薫製肉の味わいは堪らんなー……何か飲み物はないか?』

『お菓子甘ーい! 美味しー!』

 

 その間もスピーカーからは彼女らの犯行が委細漏らさず事細かに伝えられる。これではぐぅの音も出まい。

 

「ハッハッハ、ジャリ天。まさか録音されているとは夢にも思わなかったようだな。で、この鼠共にどうやって罰をくれてやろうかと思ったんですが」

「キツイのくれてやってください、沙月先輩」

「な、ノゾム! この鬼畜ー!」

『お、何だこのどでかい木箱は。何が入っておるのだろうな』

『きっとおっきなお肉だよー!』

 

 流れ続けるスピーカーから何かを叩く音。この録音機が置かれていた木箱だからだ。続き--

 

『後少しの辛抱、せめてものべー殿が飛び立つ迄は隠れていなければ……』

 

 場を、静寂が包んだ。

 

--カチッ、ジー……カチッ。

 

 その静寂の中では、操作する音がやけに大きく響いた。

 

『お、何だこのどでかい木箱は。何が入っておるのだろうな』

『きっとおっきなお肉だよー!』

『後少しの辛抱、せめてものべー殿が飛び立つ迄は隠れていなければ……』

 

--カチッ、ジー……カチッ。

 

『お、何だこのどでかい木箱は。何が入って--』

「もう止めて巽くん。十分聞いたからそれ以上巻き戻さないで」

 

 そこで、押し止められる。沙月だった。疲れ果てた顔で。

 

「いやッ俺、どうも耳遠くなったみたいでッ!」

 

 だが認めたくないのは彼も一緒。何かの間違いであれと。可能性に賭ける。

 

「止めなさい! これ以上現実を衝き付けないでッ!」

 

 沙月は、頭を抑えている。他の神剣士も皆苦笑いを浮かべていた……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 学園の食糧庫に集まった一同。その中央には、ここに居てはいけない人物の姿。現アイギア国女王陛下、カティマ=アイギアスの姿があった。

 

「--で、後の事はクロムウェイさん達に任せて此処に来たと」

「……はい」

 

 叱られた子供のようにうなだれ--事実叱られている訳だが--彼女はその経緯を説明した。

 クロムウェイに『王族としての責任を果たすべきという気持ちと、望達に付いて行きたい気持ちがある』との悩みを打ち明け、彼は『この広い世界を見て、心のままに力を貸すのも良いでしょう』と告げたという。結果彼女は、この道を選択したのだ。

 

「考えに考えた結果、私は此処に参りました。私は皆さんに受けた恩を、何一つ返していないのですから」

 

 そこまで言うと、彼女は木箱に納めていた【心神】を取り出した。それを抱えて、宣言する。

 

「私は……恩を返したいのです! どうか私の力を、私と永遠神剣第六位【心神】の力を望達の為に振るわせて下さい!」

 

 強い意志を燈した瞳。それを望に向け、カティマは許しを待つ。

 

「カティマ……有難う。行こう、俺達と。『家族』として!」

 

 誰も、異論など無い。皆静かに頷く。抱き着いてきた希美を抱き留め、カティマは嬉しそうに。

 

「はい! 皆さん……これからも宜しくお願いします!!」

 

 極上の笑顔で告げたのだった。

 

 カティマに専用の部屋を宛がい、そこに向かう途中でおもむろに沙月が問うた。

 

「ところで、カティマさん。どうして食糧に紛れ込んでたの?」

 

 至極、真っ当な疑問だ。彼女はこういう搦手は苦手そうに思えるからだ。

 

「はい、これは『トロイの木馬』策戦です」

 

 それに、中々立派な胸を張って答えたカティマ。

 

「……へ~ぇ、『トロイの木馬』ねぇ」

 

 ジロリと、沙月が振り返った。その視線の先には、こそこそ一行から離れて行こうとしていた空の姿。

 

「ちょっと、どこ行くの巽くん。私、君に尋ねたい事が有るんだけど?」

「いや、ちょっと……用事を思い出しまして」

 

 そこをケイロンのラリアットでブン戻されて、吊られたままで彼は会話する。

 

「あ~ら、凄い汗ね。それに顔が真っ青よ?」

 

 それは確かに、己の策で潜入を許したという事も有る。だが実際一番の理由は絞まり続ける剛腕の所為だ。これを機に止めを差す気なのかも知れない。

 

「……な、何でもないですケロ」

「何でもあるじゃない? 噛む程、焦ってるじゃないの。蛙になる程にテンパってるじゃないのよ」

 

 沙月の目が、三日月状に歪む。嗜虐に充ちた眼差し。ケイロンの腕に更に力が篭る。遂には気道を圧迫し始めた。

 

 よかれと思って授けた策が文字通り自分の頚を絞める結果となり、何だか彼はもう総てがどうでも良くなってきた。

 

--もう二度と、人に策謀なんて預けるもんか……。

 

 薄れゆく意識の中、そう誓った空だった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 米粒よりも小さくなった神の舟が、朝陽に満たされた空を泳いでいく。

 ヨトハ村の神木の元に置かれた無名の碑。二つ並んだその碑は、旅立つ少年少女達を祝福するかのように燦々と降り注ぐ木漏れ日を浴びていた--……


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